「あらゆる差別の根源としての天皇制」を容認してはならない
(2022年3月19日)
「週刊金曜日」(22/03/18・1369号)が、天皇制と水平社宣言を並んで取りあげて、それぞれが熱のこもった誌面を構成している。各記事の中では触れられてはいないが、偶然にこう並んだはずはない。天皇と部落差別とは光と影の存在、相互依存の関係にある。その目次は下記のとおり。
天皇制 皇位継承問題 焦点は「直系か傍系か」だ 永田政徳
「菊タブー」に物申す 女性天皇の是非よりも国民主権から問え
今こそ天皇制存続についての議論を 鈴木裕子
日本初の人権宣言「水平社宣言」から100年
「人権擁護の法整備」の大切さを訴える 西村秀樹
部落解放同盟中央本部 組坂繁之執行委員長に聞く
「貧困・格差解消に翼を広げる」
あらためて、西光万吉という人物に敬意を表明したい。彼の発案になる「水平社」というネーミングが素晴らしい。そのとおりこの人間社会は「水平」なのだ。人間皆同じ、高い人も低い人も、尊いも卑しむべき人もないのだ。誰にも恐れ入る必要はないし、誰をも見下したり差別してはならない。それが、この社会を見る目の原点、「公理」である。
ところが、天皇はこの公理と決定的に不調和な異物である。一部の人間の思惑で無理矢理拵えられた「貴」によって社会の水平が破られ、他方に「賤」が作られた。人間平等という原理を受容しては「貴種」「貴族」の存在はあり得ないのだから、皇室やら皇族をありがたがる愚物には、論理的にも現実的にも人間の不平等が必要なのだ。天皇信仰と部落差別とは、表裏一体のものとして、ともに廃絶しなければならない。
特定の人や集団に対する差別観は、別の特定の人や集団に対する神聖視に支えられている。部落差別や、在日差別をあってはならないと考える人は、あらゆる差別の根源としてある天皇への神聖視や敬意表明の強制を容認してはならない。人間社会皆等しく「水平」であることの実践が必要なのだ。「週刊金曜日」記事が、天皇や皇族への一切の敬語を使っていないことで、実に清々しいものになっている。
不合理な差別をなくするためには、まず天皇という逆差別の存在をなくして「水平」を実現しなければならない。そのための第一歩として、天皇や皇室の神聖性を打破しなくてはならない。バカバカしい敬語の強要に敢えて異を唱えなければならない。同調圧力に屈してはならない。
「金曜日」誌上で鈴木裕子が力説するとおり、女性天皇容認でよしとするのではなく、「今こそ天皇制存続についての議論が必要」なのだ。しかも、実のところは、天皇も皇族も、自分の生まれを呪っているに違いないのだから。
そして思う。旧優生保護法下、ある人々には不妊・断種が強制された。そして、皇室の女性には男子の出産が強制されたのだ。同じ人間に対する扱いとしての、目の眩むような恐るべきこの落差。
優生思想を唾棄すべきものとする多くの人に申しあげたい。天皇の存在を容認する思想も、実は優生思想の半面なのだ。あらゆる差別に反対する立場からは、けっして天皇の存在を容認してはならない。