澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

産経の「主張」は、戦前の文部省と同じことを繰り返している。再びこれに騙されてはならない。

(2022年2月12日)
 「建国記念の日」にこだわりたい。昨日付の産経社説(「主張」)が、「建国記念の日 子供たちに意義を教えよ」というもの。この非論理、このバカバカしい論調が危険極まりない。陳腐なアナクロと看過するのではなく、批判や非難が必要である。「現在の滴る細流が、明日は抗しがたい奔流となりかねない」のだから。私も、子どもたちに語りかけてみよう。産経に騙されてはならないと。

 皆さん、誰もが自分の意見を言ってもよい社会です。この世にはいろんな意見が入り乱れています。ですから、とんでもない意見も堂々と述べられていることに気を付けなければなりません。自分の頭で考えて、納得できるものでことを選ばなくてはなりません。たとえば、産経のような大新聞の社説を読むときにも、とんでもないことが述べられているのではないかと批判の目を失ってはいけません。もちろん、私(澤藤)の意見についてもです。

 「辛(かのと)酉(とり)の年の1月1日、初代の神武天皇が大和の橿原宮で即位した。よってこの年を天皇の元(はじめ)の年となす―と、日本の建国の由来が、日本書紀に記されている。」

 ここには、「日本の建国の由来」が書かれていますが、二つのことに気を付けてください。一つは、「日本の建国の由来」が史実に基づくものではなく、神話をもとに語られていることです。そしてもう一つは、初代天皇の即位を「建国」としていることです。

 未開の時代にはそれぞれの部族がそれぞれの神話を作りあげましたが、文明が進歩するにつれて、考古学や歴史学に基づく客観的な史実を重視するようになりました。いまだに、国の成り立ちを神話に求めて「これこそ自国のプライドの源泉」とメルヘンを語ることは、独りよがりではありますが微笑ましいとも言えましょう。しかし、神話に基づいて「日本=天皇」と言いたくてならない産経のような主張には警戒を要します。悪徳商法の騙しに警戒しなければならないように、です。

 明治維新以来敗戦まで、日本は紛れもなく「天皇の国」でした。そこでは、天皇の天皇による天皇のための政治が行われ、天皇の命令として国民は軍隊に組織され、侵略戦争が行われました。また苛酷な植民地支配も行われたのです。「天皇の国」は、軍国国家、侵略国家でした。戦後の憲法は、その反省から出発しています。

 今、強調すべきは、天皇の支配する国であった日本を徹底して清算することで、「平和を望む国民が主権者の日本」の姿をき近隣諸国に見てもらうことではないでしょうか。戦争を起こした天皇(裕仁)はその責任を認めず、謝罪しないまま亡くなりました。いま、「日本=天皇」と繰り返すことは、とんでもない時代錯誤だと言わざるを得ません。

 「この日は今の暦の紀元前660年2月11日にあたり、現存する国々の中では世界最古の建国とされる。科学的根拠がないから必要ないという批判はあたらない。大切なのは、日本が建てられた物語を私たちの先祖が大切に語り継いできた積み重ねである。」

 「科学的根拠がないから必要ない」の意味上の主語は、「建国記念の日」のようです。しかし紀元節復活反対は、「建国記念の日は科学的根拠がないから必要ないという批判」をしているわけではありません。少なくも私は、「必要ない」ではなく、「有害だから認めない」と批判をしているのです。なぜ有害なのか、天皇という存在、天皇を戴くという制度が、諸悪の根源だと考えるからです。

 「日本が建てられた物語を私たちの先祖が大切に語り継いできた」は、大嘘だと思います。神武東征の物語とは架空のものにせよ、勝者が敗者を武力で制圧した物語です。勝者の物語だけが残りましたが、敗者の怨みの物語は消えていったのです。

 明治期にまったく新しく作られた近代天皇制は、暴力に支えられたものでした。大逆罪、不敬罪、治安警察法、治安維持法、国防保安法、新聞紙法、出版法…。天皇の権威を認めない者にはいくつもの弾圧法規による重罰が科せられました。正式な裁判を経ることなく、特高警察に虐殺された人も少なくありません。この史実に目を背けることは許されません。

 「建国神話を軍国主義と強引に結びつけた批判が一部に残っているのは残念である。日教組などの影響力が強い学校現場でも、建国の由来や意義はほとんど教えられていない。」

 「建国神話と軍国主義とは、故なく強引に結びつけられた」ものではありません。「日本書紀」には、神武天皇が大和橿原に都を定めたときの神勅に、「八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」とあります。ここから「八紘一宇」(世界を、天皇を中心とする一つの家とする)というスローガンが生まれ、朝鮮・満州・蒙古・中国への侵略を正当化したのです。

正義凛(りん)たる 旗の下
明朗アジア うち建てん
力と意気を 示せ今
紀元は二千六百年
ああ弥栄(いやさか)の 日はのぼる

 国民は、これに乗せられました。今、同じことを安倍晋三や産経がやろうとしています。批判の精神が必要なのです。

 「中学校学習指導要領は「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」と定めている。国の成り立ちを知らなければ、真に国を愛せようか。」

 このような立場を歴史修正主義と言います。あるいは、「愛国史観」と言ってもよいでしょう。本来、大切なのは客観的・科学的に歴史的真実を見つめる姿勢です。ところが、産経の態度はそうではありません。まず、「国を愛する」ことが求められています。そのうえで、「国を愛する」立場から「国の成り立ち」を学べというのです。しかも、その国の成り立ちが、非科学的な架空のものであることは産経とても認めざるを得ません。要するに、史実も科学もどうでもよい。大事なのは、神話を信じて伝承することだ。そうすれば、子どもたちに、天皇制の素晴らしさを植え付けることができる、と言っているのです。

 「きょう、子供たちに日本の建国の由来と意義を教えよう。そして私たちに繁栄した祖国、ふるさとをバトンタッチしてくれた先人に感謝しよう。」

 産経新聞の立場は、基本的に戦前と変わらないものです。私はこう言うべきだと思います。「きょう、子供たちに、日本の建国の由来とされているものが、実は後の世の政治権力が捏造したまったくのウソであることをしっかりと教えよう。さらに、そのウソが国民を戦争に駆りたてるために利用された危険なものであることも教えなければならない。そして、天皇制政府の暴虐に抵抗して虐殺された先人を悼み、それでも抵抗を続けた人々を讃え感謝しよう。」

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