毎日新聞「オピニオン欄・社説を読み解く」は、月初めの火曜日に「前月の社説の主なテーマを取り上げ、他紙とも比較しながらより深く解説します」という論説委員長の署名記事。本日は、「国会審議のあり方」を取り上げて、安保法案審議に関しての自社の社説を解説している。切れ味の鋭さはないが、落ちついた姿勢で、内閣とメディアをたしなめ批判する内容となっている。
記事での言及はないが、各紙の関連社説の標題が掲記されているのが目を引く。
◇安保法案審議に対する社説の見出し
毎日 「大転換問う徹底議論を」(5月15日)
「決めつけ議論をやめよ」(5月26日)
朝日 「この一線を越えさせるな」
「合意なき歴史的転換」(5月15日)
読売 「的確で迅速な危機対処が肝要」
「日米同盟強化へ早期成立を図れ」(5月15日)
日経 「具体例に基づく安保法制の議論を」(5月14日)
「自衛隊の活動域さらに詰めよ」(5月21日)
産経 「国守れぬ欠陥正すときだ」
「日米同盟の抑止力強化を急げ」(5月15日)
東京 「専守防衛の原点に返れ」
「平和安全法制の欺(ぎ)瞞(まん)」(5月15日)
この見出しで、大まかに各紙のスタンスがつかめる。一方に、東京・朝日があり、対極に産経・読売がある。その間に、毎日・日経が位置するという構造。但し、この序列は当該の社説に限ってのこと。毎日の「リベラル度」は朝日と変わるまい。
東京新聞5月15日の社説にあらためて目を通した。熱のこもった、素晴らしい内容だ。読者の気持を動かす筆の力を感じる。
タイトルが「専守防衛の原点に返れ」で、三つの小見出しがついている。「平和安全法制の欺瞞」「憲法、条約の枠超える」「岐路に立つ自覚持ち」というもの。
まずは「平和安全法制」との政府のネーミングを欺瞞と断じている。
「呼び方をいかに変えようとも、法案が持つ本質は変わりようがない」「その本質は、自衛隊の活動内容や範囲が大幅に広げられ、戦闘に巻き込まれて犠牲を出したり、海外で武力の行使をする可能性が飛躍的に高くなる、ということだ」
社説子は熱く訴えている。
「思い起こしてほしい。なぜ戦後の日本が戦争放棄の「平和憲法」をつくり、それを守り抜いてきたのか。思い起こしてほしい。なぜ戦後の日本が「専守防衛」に徹してきたのか。
それは誤った政策判断により戦争に突入し、日本人だけで約三百十万人という犠牲を出した、先の大戦に対する痛切な反省からにほかならない。」
この社説の骨子は、戦後貫いてきた「専守防衛」の原点に返って、「海外での武力の行使に道を開く危うい法案」を批判するもの。「平和憲法を守り、専守防衛を貫いてきた先人たちの思いを胸に刻みたい」「二度と侵略戦争はしない、自国防衛以外には武力の行使や威嚇はしないという戦後日本の原点」に立ち返れ、とも言っている。
この社説の立場には賛意を表する。が、やや違和感を拭えない。我が憲法の平和主義の「原点」は何かという点についてである。
憲法9条を字義のとおりに読み、公開されている制憲議会の審議経過を通覧する限り、「非武装平和」が原点であったことに疑いはない。けっして「専守防衛」ではなかった。
東西冷戦構造の中で、警察予備隊から保安隊、そして自衛隊創設が「押しつけられた」。そのとき、国民世論のせめぎ合いの中で、設立された実力装置は、国防軍ではなく、「自衛のための実力」との位置づけにとどめられた。こうすることで憲法との折り合いをつけたのだ。これが、「専守防衛」路線の出自である。
原点の非武装平和の理念は大きく傷ついたが、専守防衛としてしぶとく生き残ったとも評価し得よう。今、現実的な論争テーマは、「専守防衛路線からの危険な逸脱を許してはならない」というものである。これが、許容ぎりぎりの憲法解釈の限界線を擁護する実践的議論でもあることを自覚しなければならない。
(2015年6月2日)
新日本宗教団体連合会(新宗連)の「新宗教新聞」(月刊・2015年5月23日号)が届いた。
一面トップが、「『安保法制』に危機感」の大きな見出し。リードでは、「有識者や宗教者から『国民の理解、国会議論がないまま先行する姿勢は、民主々義の存立を脅かす』『9条だけでなく、憲法そのものを壊す』などの批判の声があがっている」と強い危機感がにじみ出ている。
5月15日国民安保法制懇の反対声明が詳しく紹介されている。「健全な相互理解と粘り強い合意形成によってなり立つはずの民主主義の『存立を脅かす』」「自衛隊に多くの犠牲を強いるばかりか、国民にも戦争のリスクを強いる」と、新ガイドライン・安保法制関連法案危険性指摘の引用が印象的である。
また、「安倍政権の戦略は『改憲』」とタイトルを付して「九条の会」の学習会や5月3日横浜・みなとみらい地区臨港パークでの「5・3憲法集会」開催も紹介されている。この集会での大江健三郎発言の「安倍首相はアメリカとの間で『安保法制』を進めようとしているが、多くの日本人は同意していない」と安倍政権批判や、樋口陽一の「憲法は70年間、改正を目指す度々の攻撃に対して、先輩の憲法学者や国民が守り支えてきた」との訴えが記事になっている。
また、大阪宗教者9条ネットワークが「戦争法案断固反対」を採択したとの記事もある。この記事では、「安保法制」ではなく、「戦争法案」断固反対との見出しが目を引く。5月16日午後2時から、「宗教者としてともに歩むー平和を尊び憲法9条を世界に」をテーマに、大阪市の大阪カテドラル聖マリア大聖堂で開かれた集会で、「宗教者9条の和」代表世話人でもある宮城泰年聖護院門跡門主、松浦悟郎カトリック司教がそれぞれ憲法の大切さ、平和への思いを語った。中学2年の時に敗戦を迎えた宮城門主は、軍事教練などの苦い思い出を語りながら、「自民党は、『安保法制』11法案の成立を企てているが、9条だけでなく、憲法そのものを壊していこうとしている。今こそもう憲法に敏感にならなければならない」と危機感を露わにし、松浦司教は「日本の世界への貢献は、軍事力とは違う土俵がある」として、平和的な支援活動がアジアや世界から信頼を得ていることを強調した。「戦争法案に断固反対する」集会アピールを採択した後パレードに移り、大阪城公園まで9条改悪反対などを訴え行進したという。
紙面の隅々に、戦争反対、世界に平和を、そして、宗派を超えた戦没者の追悼という意気込みが溢れている。さらに、戦争責任から目をそらしてはならない、戦争の危機が宗教弾圧をもたらすとの危機感などが感じられる。
また、巨大宗教団体である真宗大谷派(東本願寺)が5月21日に、里雄康意宗務総長名で、「日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願うー正義と悪の対立を超えて」とする声明を発している。心して耳を傾けるべき立派な内容である。やや長いが、全文を紹介したい。
「私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された『安全保障関連法案』に対し、強く反対の意を表明いたします。そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて『真の平和』の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、『積極的平和主義』の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。
『私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか』、
『過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじる愚行を繰り返してもよいのでしょうか』と。
私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。」
さらにキリスト教も、である。日本キリスト教協議会のホームページの冒頭に、小橋孝一議長による「今月(2015年5月)のメッセージ」が掲載されている。「剣を取るものは皆、剣で滅びる」という標題。
そこで、イエスは言われた。「剣を鞘に納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる。」マタイ26章52節
イエスを守ろうとして剣を抜いて大祭司の手下に打ち掛かった者を制して、主は「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と断言されました。これは歴史の主の世界統治方針です。
どのような理由があろうとも、武力によって立つ者は、たとえ一時的には成功したかに見えても、結局歴史の主にその罪を裁かれ、身を滅ぼす結果になるのです。
大日本帝国は「富国強兵」のスローガンを掲げて、武力によって諸国を侵略・支配する罪を犯し、裁かれて滅びました。そして「剣を鞘に納める」誓いを内外に表明して、新しい歩みを始めました。
しかし戦後70年、その誓いを破り、再び「剣を取る者」となるための議案が国会で議決されようとしています。再び「剣で滅びる」道に歩み出そうとしているのです。何と恐ろしいことでしようか。
戦後の「平和の誓い」は、戦争によって自分たちが受けた苦しみによるもので、他国・他民族を殺し苦しめた罪の悔い改めによるものではなかったのではないか。その浅さが今露呈しているのです。
日本社会の根底に潜む罪を今こそしっかりと見つめ、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」との歴史の主の御言葉に身をもって聴き従い、世に訴えなければなりません。
「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」
これこそ、日本国憲法9条の精神ではないか。安倍晋三にも、高村正彦や中谷元にもよく聞かせたい。いや宗教者は、もっと品がよく、「安倍さんも、高村さんも、中谷さんも、皆さんよくお聞きください」というのだろう。それにしても、宗教者諸氏の平和への思い入れと、それが損なわれることへの危機感はこの上なく強い。
日本国中の津々浦々、そしてあらゆる分野に、安倍内閣の戦争法反対の声よ、満ちてあれ。
(2015年5月26日)
名は体を表すという。もちろん、「多くの場合には」ということであって、「常に」ではない。狗肉を売るに羊頭を掲げるのは、この「多くの場合には」という常識に付け込んでのこと。不用意に名を軽信すると、あとで悔やむことになる。
狗肉を狗の肉と正直に表示したのでは買い手がつかない。そこで、羊頭の看板を掲げ、偽装表示を施すことが必要となってくる。狗の肉を、あたかも羊の肉と思い込ませるセールストークで売り込もうという悪徳商法。ここでは、羊の肉と名付けられて、実は狗肉が売られることになる。
「他のどんな名前で呼んでもバラはバラ」であるごとく、「他のどんな名前で呼んでも狗肉は狗肉」なのだ。看板ではなく、包装ではなく、名前ではなく、欺罔のセールストークではなく、商品の中身の実体を見極めなければならない。うっかり買ってからでは、取り返しのつかないことになる。
うまい話には裏がある。甘い話には毒が潜んでいる。ゴテゴテと看板を飾り立てるセールストークは、それだけで眉唾物と警戒しなければならない。今まさに、政権が危険な商品を国民に売り付けようとしている。
このブログでは一貫して「戦争法案」と呼称してきた5月16日国会提出の閣法2法案。その正式名称は「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」と、「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案」である。「平和」「安全」「国際」「共同」などの好もしいイメージの語でデコレーションされた法案の名称。これが羊頭である。美しいラッピングでもある。端的に言えば、偽装表示にほかならない。
メディアでは、「平和安全法制整備一括法案」「国際平和支援恒久法案」などと呼んでいるが、これは体を表した名ではない。狗肉の実体を隠すことに手を貸しているというべきではないか。トリカブトをバラと呼んではならない。狗を羊と見誤ってはならない。
前者の提案理由に、「国際連携平和安全活動のために実施する国際平和協力業務その他の我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するために我が国が実施する措置について定める必要」が謳われている。後者についても、「国際社会の平和及び安全の確保に資する」という。「国際」「連携」「平和」「安全」「協力」の大安売りである。
私(たち)がその実体から戦争法案と名付けた法案は、他のどんな名前で呼ぼうとも、「平和」や「安全」の名で飾りたてようとも、戦争の腐臭が消えないのだ。眉に唾を付けよう。この法案の売り手は、これまでも平気で嘘をついている男なのだから。
さらに問題は、「専守防衛」にある。
安倍首相は昨日(5月27日)午後の衆院平和安全法制特別委員会で、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法案について、先制攻撃を排除した「専守防衛」の原則を変更するものではないとの見解を示した。民主党長妻昭代表代行が「専守防衛の定義が変わったのではないか」と問い質したのに対し、「専守防衛の考え方は全く変わりない」と否定した。
専守防衛とは、自衛力の行使を、自国の領土が武力攻撃を受けた場合に限るということだ。しかも、自国民の安全を守るために最小限の実力の行使に限定する。これが、自衛隊の存在を許容する9条解釈の限界とされてきた。自衛隊は、専守防衛に徹するものとして誕生したのだ。1954年自衛隊法成立に際しては、参議院が「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」を成立させている。全会一致でのことだ。
専守防衛は、自衛力の行使の場所は自国領内に限定することを想定している。時間的には、相手国からの攻撃のあとのものとの想定である。遠く、自国を離れた戦地での防衛的な武力行使や、先制攻撃をもっての武力行使をまったく想定していない。海外での武力行使、自国を攻撃していない国に対する武力行使は、専守防衛ではない。
集団的自衛権の行使とは、自国が攻撃されていないときに、同盟国への攻撃に反撃する武力行使なのだから、専守防衛から逸脱することになるのは自明のことである。専守防衛では、つまりは個別的自衛権の行使では不十分だとしての法改正なのだから、あまりに当然のこと。
しかし、専守防衛から逸脱するとあからさまに認めれば、国民に不安の種を植えつけることになる。ここは、集団的自衛権という危険な狗肉に、専守防衛というラッピングをしてしまおう。憲法9条遵守という羊頭の看板も掲げておこう、というわけだ。
着目すべきは、看板でも、ラッピングでもない。商品実体なのだ。戦争法案が想定する集団的自衛権行使を選択肢として許せば、自衛隊は国防軍化することになる。いざというときのために、装備も編成も作戦も、すべては一人前の軍隊として歩き出すことになる。これだけでたいへんに危険なこととなる。
さらに、この上なく危険な同盟国アメリカの先制攻撃で始った戦争のある局面で、アメリカの一部隊が攻撃されたからということから自衛隊が一緒に闘うことになりかねない。これを「巻き込まれた戦争」というか、「日本主導の戦争」というかは問題ではない。日本が戦争当事国となり、全土が攻撃目標となり得るのだ。
くれぐれも用心しよう。暗い夜道と安倍話法。
(2015年5月28日)
アベ君。私は恥ずかしい。高校生のキミに歴史を教えたのは私だ。キミの歴史への無知は私にも責任がある。なんともお恥ずかしい限りだ。
これまでもハラハラし通しだった。キミの歴史や社会に関する知識が乏しいこと、ものの見方の底の浅いことは私がよく知っている。それでも、今までは周りが上手に支えてくれて、たいしたボロを出さず乗り切ってきた。私は感心していた。周囲のフォローの努力と力量にだ。しかし、やっぱり浅い底が割れた。
キミは、ポツダム宣言もカイロ宣言も読んだことがないと国会で言っちゃった。もっとも、「そんなもの知らないよ」「読んだことないんだ」と率直には言わなかった。「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」と、ちょっとヘンな日本語で格好をつけてはみたが同じことだ。
今にして思う。高校生の時に、キチンとキミの歴史と社会の成績に落第点をつけて、留年させておくべきだった。そのうえで、まっとうに勉強させておくべきだったのだ。それがキミのためでもあったし、日本の国民のためにもなったのだ。不勉強なキミを及第させ、卒業させてしまったことがまちがいだった。まことに残念だ。
どういうわけか、キミは憲法と言えば、大日本帝国憲法のことしか頭になかった。古い憲法と、五ヶ条のご誓文だけはよく覚えていたようだ。それから、お祖父さんが活躍した満州には関心があったようだ。しかし、ポツダム宣言受諾と敗戦、それに続く戦後の諸改革、日本国憲法の制定、そして戦後民主主義に関しては、ちっとも勉強をせなんだ。キミの頭の中では、日本の歴史は1941年12月8日あたりで止まっているようだった。ポツダム宣言やカイロ宣言など、そのあとの出来事はキミの気に入らないこととして知る気にも読む気にもなれないのだろうな。
昨日(5月20日)の党首討論での志位和夫の質問は、次の通りだ。
志位 戦後の日本は、1945年8月、「ポツダム宣言」を受諾して始まりました。「ポツダム宣言」では、日本の戦争についての認識を二つの項目で明らかにしております。
一つは、第6項で、「日本国国民ヲ欺瞞(ぎまん)シ之ヲシテ世界征服ノ挙(きょ)ニ出ヅルノ過誤」を犯した勢力を永久に取り除くと述べております。日本の戦争について、「世界征服」のための戦争だったと、明瞭に判定しております。日本がドイツと組んで、アジアとヨーロッパで「世界征服」の戦争に乗り出したことへの厳しい批判であります。
いま一つ、「ポツダム宣言」は第8項で、「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行(りこう)セラルベク」と述べています。
「カイロ宣言」とは、1943年、米英中3国によって発せられた対日戦争の目的を述べた宣言でありますが、そこでは「三大同盟国は、日本国の侵略を制止し罰するため、今次の戦争を行っている」と、日本の戦争について「侵略」と明瞭に規定するとともに、日本が「暴力と強欲」によって奪った地域の返還を求めています。
こうして「ポツダム宣言」は、日本の戦争について、第6項と第8項の二つの項で、「間違った戦争」だという認識を明確に示しております。
総理におたずねします。総理は、「ポツダム宣言」のこの認識をお認めにならないのですか。端的にお答えください。
こりゃ、答えは簡単だ。「当然、認めます」「当たり前の話ですよ」で済む問題だ。しかし、キミは「ポツダム宣言の認識をその通りに認める」ことはできないのだ。しかも、その理由を説明し反論するだけの知識も能力もない。だから、キミの返答は次のような、ちぐはぐなものになってしまった。
アベ この「ポツダム宣言」をですね、われわれは受諾をし、そして敗戦となったわけでございます。そしていま、えー、私もつまびらかに承知をしているわけでございませんが、「ポツダム宣言」のなかにあった連合国側の理解、たとえば日本が世界征服をたくらんでいたということ等も、いまご紹介になられました。私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから(議場がざわめく)、いまここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、いずれにせよ、まさにさきの大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけでありまして、われわれはそのことは忘れてはならないと、このように思っております。
聞かれたのは、「間違った戦争だというポツダム宣言の認識を肯定するのか否定するのか」ということだ。結局キミは認めるとは言わなかった。歴史的経過として、日本が同宣言を受諾をして敗戦となった事実は認めるとは言ったが、そんなことは聞かれていない。問題は、戦争の評価だ。私は、教師として口を酸っぱくして、キミに教えたはずだ。あの戦争は侵略戦争であり、植民地拡大のための戦争だった。これを誤りとして反省するところから戦後日本は再出発し、近隣諸国にも迎え入れられたのだ。キミはどうして、「あの戦争は間違いだった」と言えないのか。「カイロ宣言やポツダム宣言に書いてあるとおりだ」と言おうとしないのか。ヘンな教え子をもってしまった私は不幸せだ。
キミの昨日のこの答弁のニュースは、アメリカにも届いていることだろう。キミは先日、アメリカの上下両院合同会議で演説したそうだ。その席で、「カイロ宣言やポツダム宣言に書いてあるところはつまびらかにしませんので、その評価は差し控えます」と口走ったらどうなっていただろう。おそらくは、議会の空気が凍り付いたろう。そして、その瞬間に日米関係に亀裂が走ったことだろう。昨日の発言が「日本の国会でのことだったから、どうせたいしたことではない」と、キミは言うのだろうか。
私の周囲では、これが今年の流行語大賞の有力候補と騒ぐ者が多い。「つまびらかに読んでおりません」あるいは「つまびらかに承知はしておりません」というフレーズだ。首相の無知あるいは不誠実が物笑いのタネになっている。一部では、これで大賞は決まりも同然とまことしやかにささやく者さえある。もっとも、私もその部分についてはつまびらかにしないのだが。
(2015年5月21日)
追記
上記の記事に思いがけない反応を得た。最初に、「もちろんパロディである」と注記しての引用ブログが目についた。「わざわざパロディと断りが必要なのかな」といぶかしんでいたところ、「澤藤さんは弁護士になる前に高校の教員をしていた経験があるのですか」「まさかとは思いますが、本当に安倍さんを教えたことがあるのですか」という問合せを受けて唖然とした。大方に誤解はないと思うが、この読者サービスの趣向を真実の体験と読み違えることにないように追記しておきたい。
私に安倍晋三首相の教師としての実体験があったとしたら、それこそ慚愧に堪えない。とても恥ずかしくて、公表できるようなことではない。フィクションだからこそ、軽く書けるのだ。
私が語らせた高校教師像は、戦後民主主義の体現者の象徴である。その理念の承継に必ずしも成功せず、その内側から民主主義の攪乱者を生みだしたことに呻吟する存在なのだ。そのような寓意を汲み取っていただきたい。
(2015年5月25日)
確認しておこう。5月15日政府が国会に提出した新法「国際平和支援法案」と、下記10法の一括改正を内容とする「平和安全法制整備法案」について、当ブログは「戦争法案」と呼ぶ。
・武力攻撃事態法改正案
・重要影響事態法案(周辺事態法を改正)
・PKO協力法改正案
・自衛隊法改正案
・船舶検査法改正案
・米軍等行動円滑化法案
・海上輸送規制法改正案
・捕虜取り扱い法改正案
・特定公共施設利用法改正案
・国家安全保障会議(NSC)設置法改正案
「国際平和」や「平和安全」はまやかしであって、「戦争法案」という呼び名こそがこの法案の本質を表している、そう考える理由を述べておきたい。
私の認識では、憲法9条は1954年自衛隊創設によって「半殺し」の目に遭った。「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」はずの日本が、常識的には治安警察力を遙かに超える軍事力をもったのだ。違憲の状態が生じたことは誰の目にも明らかだった。しかし、このとき憲法9条は死ななかった。しぶとく生き延びた。
このときから、自衛隊は、「国に固有の自衛権を行使する実力部隊であって、憲法にいう戦力には当たらない」とされた。自衛隊の発足と当時に、参議院では全会一致で、「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」が成立してもいる。自衛隊の任務は、専守防衛に徹することとされ、その限度を超えた装備も編成ももたないことが確認されたのだ。
このとき、非武装に徹することによって平和を維持しようとした憲法9条の理念は大きく傷ついたが、「専守防衛」というかたちでは生き残ったと評価することができよう。
その後、「自衛隊を一人前の軍隊にせよ」「そのためには9条改憲を」という外圧は強かった。この「押しつけ改憲」と闘い、せめぎ合って、日本の国民世論は9条を守ってきた。そのため、自衛隊が防衛出動に踏み出せるのは、国土が侵略を受け蹂躙されたときに限られた。だから、自衛隊は、外征や侵略に必要な武器の装備はもてなかった。外国に派遣されたことはあっても、海外での戦闘行為はできなかった。満身創痍の憲法を活用し、9条の旗を押し立てた国民運動とそれを支えた国民世論の成果であったと言えよう。
歴代の保守政権も9条をないがしろにはしてこなかった。「右翼の軍国主義者」が首相に納まるまでは…、のことである。
今までは、自衛隊が武力を行使する局面は、「我が国土における防衛行為」としてのものに限られていた。飽くまでも、必要な限りでの自衛・防衛行為であって、これを戦争とはいわない。しかし、集団的自衛権の行使となれば、まったく話しは違ってくる。他国の戦争の一方当事者に加担して、自らも戦争当事国となるべく買って出て、武力を行使することになる。これは明らかな戦争加担行為にほかならない。
「戦争をしないから9条違反の存在ではない」とされてきた自衛隊に、戦争をさせようという法案だから「戦争法案」。この呼び方が、体を表す名としてふさわしいのだ。かくて、戦争法が成立すれば、これまでしぶとく生き残ってきた「半殺し」状態の9条に、トドメが刺されることになる。
5月14日閣議決定、15日国会に法案を提出。本日(19日)は、衆議院本会議で戦争法案審議のための特別委員会設置が可決された。自民・公明の与党のほかに賛成にまわったのは次世代の党。これで法案の集中審議が可能となった。小さいながらも次世代の党は、与党単独採決と言わせないための「貴重な」役割を演じている。委員は45名。自民28、民主7、維新4、公明4、共産2。委員長に浜田靖一元防衛相、筆頭理事には江渡聡徳前防衛相や長妻昭・民主党代表代行らが就任した、と報じられている。民主と共産に期待するしかない。
子どもの頃を思い出す。父が戦地の苦労を語り、母が銃後の辛酸を口にする。幼い私は、父母の心情をよくは分からないままに、「そんな戦争には反対すれば良かったのに」と言う。母が、「そんなことはとても言えなかった」「言えるような時代ではなかったんだよ」と呟く。父も母も、積極的に戦争に賛成した人ではない。しかし、戦争反対と言った人でもなく、反対と言える時代を作る努力をした人でもなかった。平均的庶民の一人として、応分の責任を持たねばならない世代に属していた。
いま時代は、あの戦争における戦前のターニングポイントあたりにあるのではなかろうか。戦争に反対と今なら言える。が、この言論の自由はいつまでもつか、見通せない。
戦争に反対、戦争を選択肢となし得る国とすることに反対。戦争のための教育に反対、防衛秘密法制に反対。戦争に反対する言論への封殺に反対。声を上げ続けなければならない、と思う。
何よりも、今は「戦争準備の法案に反対」と声を大きくしなければならない。新たな戦後を作らないために。また、次の世代から、「そんな戦争には反対すれば良かったのに」と言われることのないように。
(2015年5月19日)
(内閣広報官)本日は、皆さまからのご要望で、御質問にお答えするかたちで特別に総理がホンネを語ります。オフレコのお約束は厳格にお守りいただくよう、特にご注意ください。違約の社には、官邸から調査がはいることもありますことを事前に警告申し上げます。では、ご質問をどうぞ。
(記者)幹事社から質問いたします。
閣議決定された安全保障関連法案ですが、報道各社の世論調査では、賛否が分かれて、慎重論は根強くあると思います。また、野党からは、集団的自衛権の行使の反対に加えて、先の訪米で総理が議会で演説された「夏までに実現する」という表明についても、反発の声が出ております。総理はこうした声にどうお答えしていく考えでしょうか。
(総理)国民の命と平和な暮らしを守ることが、政府の最も重要な責務であります。我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、あらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行う「平和安全法制」の整備は不可欠である、そう確信しています。ですから、国民のために法案の成立を早期に実現するよう努力いたします。
あらゆる世論調査で、国民が集団的自衛権の行使容認に反対ないしは慎重の結果となっていることはよく心得ています。しかし、国民の命と幸せな暮らしを守るために、この法整備を断固としてやり遂げなければならない。それが政権を預かるものの使命と考えています。
もちろん、国民の皆さまに、しっかりとわかりやすく丁寧に審議を通じて説明をしていきたいとは思います。しかし、いつまでもグズグスしているわけにはまいりません。民主主義のルールに従って、予め予定された期間の議論が終了すれば、粛々と多数決で決着をつけねばなりません。
先般の米国の上下両院の合同会議の演説において、「平和安全法制の成立をこの夏までに」ということを申し上げました。これは、国際公約ですから、国民の納得よりも優先させねばなりません。「夏」とは、常識的に8月末までにということですから、それまでに衆参両院の審議と議決を済ませる覚悟です。国民への説明を丁寧にする、委員会や本会議での審議を尽くすというのも、時間を区切ってのこととならざるを得ません。国民の納得は望ましいことですが、仮にそれが得られなくても、早期にこの法案を成立させることの方が、遙かに重要なことなのです。
こうした私の方針は国民の皆さまよくご存じのはず。私を、改憲論者で、平和は武力によってこそ守られるというイデオロギーの信奉者だと知ってなお、国民の皆さまに支持いただいています。2012年暮れの総選挙以来、私は総裁として、また我が党として、この戦争法制を整備していくことを一貫して公約として掲げています。特に、先の総選挙においては、昨年7月1日の閣議決定に基づいて、「平和安全法制」を速やかに整備することを明確に公約として掲げ、国民の審判を受けました。
皆さまご記憶のとおり、2014年総選挙は、私自身が「アベノミクス選挙」と命名し、「景気回復、この道しかない」とのキャッチフレーズを掲げた選挙でした。確かに、安全保障政策の転換を争点とした選挙ではなかった。しかし、よく読めば公約には安全保障問題も掲げていたのです。これを「争点ずらし」などというのは、負け犬の遠吠え。勝てばこっちのものですから、総選挙の結果を受けて発足した第3次安倍内閣の組閣に当たっての記者会見において、戦争法案は通常国会において成立を図る旨、はっきりと申し上げたはずであります。
国民の皆さまが望んでおられるのは、ものごとをテキパキと決めて前に進む政治であろうと心得ています。決められない前政権の政治に批判があって、安倍政権になったのではありませんか。ですから、私は、特定秘密保護法も、沖縄辺野古基地建設も、NSC設置法も、日米ガイドラインも、テキパキと決めてきました。7月1日閣議決定もその流れです。選挙で信任を得た以上は当然のことと考えています。世論調査の結果を無視するとはいいませんが、その結果で決断を躊躇することはいたしません。もちろん、国民の審判によって弱体化した野党の反対は覚悟の上で、粛々と採決の所存です。
(記者)国民の不安、懸念などについて説明を伺いたいと思います。自衛隊発足後今日まで、紛争に巻き込まれて自衛隊の方が亡くなることはなく、また、戦闘で実弾を使ったりすることもありませんでした。このことが国内では支持されていましたし、国際的な支持でもあったかと思います。今回の法改正で、自衛隊の活動がすごく危険になるとか、リスクな方に振れるのではないかと懸念されますが、この点に関する総理の御説明をお願いいたします。
(総理)まさに自衛隊員の皆さんは、日ごろから日本人の命、幸せな暮らしを守る、この任務のために苦しい訓練を積んで危険な任務に就いているわけであります。これからも同じようにその任務を果たしていくということが基本であります。
自衛隊発足以来、今までに1800名の方々が、様々な任務で殉職をしておられます。こうした殉職者が出ないよう努力はしたいと思いますが、これまでも危険な任務であったことはご理解いただきたいと思います。
自衛隊員は自ら志願し、危険を顧みず、職務を完遂することを宣誓したプロフェッショナルとして誇りを持って仕事に当たっています。その誇りのよってきたる根源は、死をも厭わずにお国のために尽すところにあります。当然のことですが、この法案が成立すれば、海外の戦闘で自衛隊員の死者が出ることは予想されるところですから、その戦闘死の顕彰を考えなければならないことになるでしょう。
私が、靖国神社参拝にこだわっているのは、過去の歴史をどう捉えるかというだけではありません。これからの戦争や武力行使における自衛隊員の犠牲者の顕彰につながるものと考えているからです。国が、戦闘員の死に無関心で、その死に感謝や尊崇の念をもたなければ、いったいだれが命がけの任務に当たることになるでしょうか。
危険な戦闘任務のための特別手当や、遺族に対する特別の補償の用意も必要でしょうが、何よりも全国民に戦闘死を名誉とする国民意識の涵養が不可欠だと思います。その死を誉れあるものとして子どもたちには教えなくてはなりませんし、公共への奉仕としてこれに勝るものはない立派な行為として、道徳の教科書にも是非載せなければならないと思います。
そして、できることなら、靖国神社に戦死した自衛隊員を合祀したい。その合祀の臨時大祭には、戦前の例に倣って、余人ならぬ天皇陛下自らのご臨席を賜ることが望ましいと考えています。
一方、怯懦から敵前において逃亡するなどの卑劣な行為には、旧陸軍刑法や海軍刑法に倣って厳罰を科する法制度を整えなければなりません。軍法会議の新設も必要になりましょう。そのためにも、憲法改正が必要なのです。
ここまで来れば、「非武装」や「専守防衛」という憲法9条を中核にした戦後レジームを放擲し、たるみきったその精神的呪縛からもようやくにして脱却できたことになります。そのとき、念願の精強な我が軍の軍事力によって平和と安全を確立する「あるべき日本の姿を取り戻した」と言えるのではないでしょうか。
(内閣広報官)時間も経過しましたので、記者の皆様からの御質問を打ち切ります。この席での総理発言はホンネのところですから、くれぐれもご内密にお願いいたします。
(2015年5月16日)
70年前、私たち日本人は一つの誓いを立てました。もう二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。この不戦の誓いを将来にわたって守り続けていく。そして、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。
このような腑抜けた誓いにもとづく国の在り方を、私は予てから「戦後レジーム」と呼んで、このような考え方の呪縛から脱却すべきことを訴えてまいりました。そして、ついに本日、日本と世界の新たな秩序を確かなものとするための戦争法案を閣議決定いたしました。
もはや武力によらずして、どの国も自国の安全を守ることはできない時代であります。私たちはその厳しい現実から目を背けることはできません。私は、近隣諸国との対話を通じた外交努力を重視していますが、有利な外交を推し進めるためには、どうしても武力が必要になります。口先の外交だけの国とナメられたのでは、一方的な妥協を余儀なくされるばかりです。
総理就任以来、私を歴史修正主義者と騒ぎ立てる中国と韓国は無視し、それ以外の地球儀を俯瞰する視点で積極的な外交を展開してまいりました。その結論は、丸腰外交の限界ということでございます。外交には軍事力の支えが不可欠なのです。しかも、いざというときには、口先の威嚇だけではなく本気になって断固総力戦に踏み切る気概がなくては外交の成功はありえず、平和を守ることもできません。戦前のごとくに、国民すべてが一億一心となって滅私奉公の覚悟を確認し合う、そのような日本を取り戻さねばなりません。
もっとも、本気で戦端を開いた場合、我が国の軍事力はいささか心もとないことは、皆さまご存じのとおりです。そのため、我が国の安全保障の基軸である日米同盟の強化に努めてまいりました。先般のアメリカ訪問によって日米のきずなはかつてないほどに強くなっています。日本が攻撃を受ければ、米軍は日本を防衛するために力を尽くしてくれる…はずです。そうでなくては困るのです。ですから、下駄の雪といわれようと、ポチと蔑まれようと、目上の同盟者アメリカにおもねるしか、我が国には選択の余地はないのです。
安保条約に基づいて、私たちのためその任務に当たる米軍が攻撃を受けても、私たちは日本自身への攻撃がなければ何もできない、何もしない。これがこれまでの日本の立場でありました。本当にこれでよいのでしょうか。もちろん、日本ができることはたいしたことではありません。それでも、ポチとしては、いや目下の同盟者としては、ご主人であるアメリカのためにお役に立てるよう心掛けていますよ、と殊勝なところを見せなければならないのです。
この辺の機微を国民の皆さまにはよくご理解いただきたいのです。もはや、これまでのように、「憲法の制約がありますから」「日本の憲法9条では…」などという弁解が通じる時代ではないのです。端的に申しあげれば、憲法を守ることよりも、アメリカにゴマを摺ることの方がはるかに大切なことなのです。そのようにしてでも、アメリカに擦り寄り、いざというときには拝み倒してもアメリカの軍事力に縋って我が国の平和と安全を守らなければならないのです。集団的自衛権というのは、そのような受益に見合ったリスクの負担なのです。ここをよくご理解ください。
日本近海において米軍が攻撃されるとします。世界の警察をもって任じるアメリカですから、これまでも頻繁にいろんな国と紛争を起こしてきました。もちろんこれからも、ドンパチがあるでしょう。そのとき、日本に対する攻撃はないからと言って、黙って見ているのでは友だち甲斐のない奴と見限られてしまいます。大して役には立たないでしょうが、及ばずながらの一太刀の加勢をしておくこと、一声でも吠えておくことが、後々のために大切なのです。このときが、汗のかきどき、血の流しどきなのです。自衛隊員に貴い犠牲が出たとすれば、それこそアメリカへは高く恩を売ったことになります。おそらくは犠牲になった隊員やご家族にも、お国のための戦死として本望なことでしょう。
もっとも、こうあからさまに本音を申しあげると不快、あるいは不都合とおっしゃる向きもありますので、ここは「集団的自衛権行使の要件をしっかりと定めました」と言っておくことにいたします。「同盟国アメリカが攻撃される状況は、私たち自身の存立にかかわる危機」という強調を前提として、「その危機を排除するために他に適当な手段がない」「なおかつ必要最小限の範囲を超えてはならない」という3つの要件による厳格な歯止めがある、としておきましょう。
集団的自衛権の行使が厳格に過ぎたのでは、アメリカに恩を売ることはできません。当然のことながら、そのあたりは、適宜、以心伝心、魚心あれば水心という腹芸で運用宜しきを得なければ役には立ちません。
それでもなお、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか。漠然とした不安をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。「ここからは、抑揚をつけてゆっくり、はっきりと断言する」。あれっ、カンニングペーパーのト書きを間違って声を出して読んでしまいました。撤回して続けます。
その不安をお持ちの方にここではっきりと申し上げます。そのようなことは絶対にあり得ません。新たな日米合意の中にもはっきりと書き込んでいます。日本が武力を行使するのは日本国民を守るため。これは日本とアメリカの共通認識であります。
あれっ? これだけの説明で、国民の不安を解消することはできないだろうと私も思いますが、原稿にはこれ以上の理由の書き込みはありません。
誰が考えても、本当は危ないことをするんです。日本が攻撃されていないのに、アメリカが攻撃されたら助っ人を買って出ようというのです。その途端に日本は中立国ではなく、戦争当事国になります。ですから、アメリカとの交戦相手国から、日本が攻撃を受けても文句は言えません。とりわけ、日本の軍事施設や原発の近くにいる方には覚悟が必要です。
しかし皆さん、リスクなくしてメリットだけというムシのよい話はありません。このような危険を敢えて冒してこそ、もし日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます。正確に言えば、戦争と戦争による被害を覚悟し、敢えて戦争を辞さないとする決意と準備があって初めて、近隣諸国は日本と米国の本気を恐れて、うっかり手を出すことをためらうのです。
ですから、戦争法案という呼称はきわめて正確なのです。集団的自衛権の行使を認めることは、戦争を準備しその覚悟をすることなのですから。ただ、そう言ってしまっては、法案が通りにくいことになりますから、「戦争法案などといった無責任なレッテル貼りは全くの誤りであります。あくまで日本人の命と平和な暮らしを守るため、そのためにあらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行うのが今回の法案です」と言っておくことにします。そして、法案の名称は、正確に「戦争法」とすることは避けて、「平和」や「安全」で飾っておきましょう。
戦後日本は、平和国家としての道を真っすぐに歩んでまいりました。世界でも高く評価されています。その平和は、自衛隊の創設、日米安保条約の改定、度重なる改憲の試みなどの戦争への動きに抗した、国民的な平和運動の努力の結果であると一般には理解されています。しかし、もうこれからは違います。
武力を背景に強い日本を作ること、日本の武力で足りないところは、アメリカの武力を頼ること、集団的自衛権の行使容認を立法化して、日米同盟を現実に戦争のできる実効的な同盟に作り替えること、このことを通じてしか我が国の平和と安全の確立はありません。
私はそのように確信いたします。一見矛盾するレトリックのようですが、戦争の準備と覚悟が、抑止力にもとづく平和を生むのです。時代の変化から目を背けて立ち止まるのはやめましょう。そうして前に進もうではありませんか。
日本と世界の平和のために、精強な軍事力を育てようではありませんか。いざというときには戦争を厭わない強い国民精神を養おうではありませんか。
子供たちに平和な日本を引き継ぐため、自信を持って、声を大にして言いましょう。
「君たち、お国のために海外で戦う気概をもちなさい」「いざというときは、自分を犠牲にしてでも戦う勇気と公共心を持ちなさい」「そうすることで、我が国の平和と安全を守ることができるのですよ」と。
私はその先頭に立って、国民の皆様と共に新たな時代を切り拓いて、今は失われた、本来の強い日本を取り戻す覚悟であります。
(2015年5月15日)
私たちは、「本郷・湯島九条の会」の者です。9条の会は、2004年に井上ひさしさんや大江健三郎さん、澤地久枝さんなど9人の方の呼びかけに応じて全国に立ち上げられました。いま、各地の地域や職域、学園、あらゆる分野に7500もの、単位9条の会が結成されて、それぞれのやり方で「9条を擁護する」「9条の精神を実現する」活動を行っています。私たちの会は、町内会の会長さんが代表者となっている、地域9条の会の一つです。
毎月第2火曜日のお昼の時間に、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前を借りて、「日本国憲法を守れ」「9条と平和を守れ」「あらゆる戦争への動きを根絶しよう」という街頭での訴えを続けています。今日も、しばらくお耳をお貸しください。
今年は、戦後70周年に当たります。1945年8月の敗戦から70年目の節目の年。70年前の東京には空襲が繰り返されました。東京の空襲被害は3月10日の大空襲だけではありません。サイパン・テニアンから飛来したB29の編隊による焼夷弾攻撃は100回にもわたって、東京を焼き払いました。文字どおり、東京を廃墟にしました。ここ、本郷も湯島も例外ではありませんでした。
70年前の今頃、日本と同盟を結んでいたムッソリーニのファシズム・イタリアも、ヒトラーのナチズム・ドイツも降伏し、日本だけが絶望的な戦いを続けていました。沖縄は凄惨な地上戦のさなかにあり、日本の主要都市のほぼすべてが、空襲の対象となっていました。
敗戦は明らかでしたが、戦争はなかなか終わりませんでした。天皇やこれを支える上層部が、「もう一度戦果を挙げてからの有利な講和」にこだわったからです。「有利な講和」とは国体の護持、つまりは天皇制の維持にほかなりません。しかし、最後の最後まで、「もう一度の戦果」はなく、沖縄は徹底して蹂躙され、広島・長崎に原爆が投下され、さらにソ連の対日参戦という事態を迎えて、無条件降伏に至りました。国体の護持、つまりは天皇制の維持にこだわることさえなければ、100万を超す命が助かったはずなのです。
国民は、正確な情報を知らされなかったばかりか、「神国日本が負けるはずはない」「いまに必ず神風が吹いて最後には戦局が好転する」そのように信じ込んでいました。一億総マインドコントロールの状態だったのです。もちろん、神風は吹かず日本は敗けました。70年前の8月のことです。
これ以上はない惨禍の末に戦争は終わり、国民は悲惨な思いの中からたくさんの教訓を学びました。よく考えてみれば、この戦争は侵略戦争であり植民地拡大戦争だったではないか。日本は、被害国ではなく、加害国としての責任を免れないと知りました。再び、戦争の加害者にも、被害者にもなりたくはない。どのような戦争も悲惨この上ないのだから、勝ち負けに拘わらず戦争をしてはならない。これが多くの国民の共通の思いでした。
この平和を願う国民の思いが、新憲法を平和憲法として誕生させます。日本の国民が、憲法の制定を通じて、再びの戦争をしないことを誓約したのです。戦争の被害者にも加害者にもならない。この考えが日本国憲法前文に平和的生存権として書き込まれ、憲法9条の条文にも結実しました。
憲法9条1項が、「国権の発動たる戦争」の放棄を宣言し、さらに念のために「武力による威嚇または武力の行使」をも、永久にこれを放棄しました。戦争の放棄です。
それだけではありません。戦争の放棄を担保する手段として、9条2項で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と、戦力の不保持を宣言したのです。
9条1項と2項、戦争の放棄と戦力の不保持。この二つを併せて読めば、日本が、自衛の戦争をも含む、いかなる戦争もしないと誓約したことに疑いはありません。
旧憲法下での最後の議会となった第90帝国議会で、新憲法をめぐる改憲論議が行われました。そこでの野坂参三共産党議員と吉田茂首相との有名な「自衛権」論争があります。
野坂は、「古来独立国家として自衛権をもたない例はない。9条も自衛戦争は否定していないはず」と糺しましたが、吉田は「歴史上、侵略を標榜した戦争はない。すべての戦争が自衛の名のもとに行われた。憲法9条はけっして、自衛の戦争を認めるものではない」と、徹底した平和主義を語っています。
こうして制定された日本国憲法ですが、戦後しばらくすると政府の解釈が変わります。自衛隊が創設された1954年、政府は「自衛隊は憲法にいう戦力に当たらないから違憲の問題は生じない」と辻褄を合わせる説明を始めました。「憲法は国に固有の自衛権を否定していない。自衛隊は、敵国が日本の領土に進攻してきた際に自衛権を行使する実力組織に過ぎない。自衛隊は、自衛を超えて海外で武力を行使することはない。自衛の必要を超えた装備や編成をもつこともない。だから9条に違反しない」というのです。いわゆる専守防衛路線です。
この政府解釈は批判されつつも、定着して60年続きました。明らかに憲法の条文に違反はしてはいるものの、自衛隊の装備や編成、あるいは行動を、専守防衛にとどめて、逸脱を防止し、暴走することのないよう自衛隊への歯止めの役割を果たしてきたという側面を見落としてはならないと思います。
安倍政権はこの専守防衛路線を乗り越えようというのです。自衛隊暴走への歯止めを外してしまおうというのです。これは完全に憲法9条の戒めを破ろうということにほかなりません。
集団的自衛権の行使を容認することによって、自国の自衛のために限定されていた実力の行使が歯止めを失うことになります。戦争をする組織ではない、飽くまで敵が国土を蹂躙したときに自衛する実力部隊であったはずの自衛隊が、集団的自衛権行使の名のもとに、同盟国とともに海外で闘う組織になるというのです。
国土を離れた海外での武力の行使を「自衛」とは絶対に言いません。それは憲法が禁じる「戦争」にほかなりません。昨日、自公が合意して、これから閣議決定を経て国会に提出される法案は、自衛隊に海外での武力行使を認める法律案ですから、「戦争法案」と呼ぶのが適切で相応しいのです。
今年1月に亡くなられた9条の会呼びかけ人のお一人、奥平康弘さんの言葉を借りて、私なりの言葉で表現し直せば、「憲法9条は、1954年自衛隊ができたときに『半壊』した。そして、2014年7月1日の集団的自衛権行使容認を認める閣議決定で『全壊』しようとしている」
他国との軋轢は外交で解決すべきとするのが、日本国憲法の立場です。相手国を軍艦で脅し、近くで軍事演習をして、軍事力で威嚇し、ことあれば武力の行使に及ぶという選択肢を完全に捨てたのが日本国憲法の立場です。70年前に、戦争の惨禍を繰り返すまいという国民の願いがそのような憲法を作ったのです。
しかし、安倍政権が目指している国のかたちは明らかに違います。強い国、強い外交を行うためには、いざというときには戦争という選択肢をもたねばならない、というのです。これは危険なことです。何よりも、近隣諸国からの信頼を失う愚行といわざるを得ません。戦後70年間築いてきた、平和ブランドとしての日本をなげうつことでもあります。
今朝の各紙の報道によれば、「戦争法」関連法案は、既存の有事法制10本をまとめて改定する一括法「平和安全法制整備法」と、自衛隊をいつでもどこでも他国軍の戦闘支援に派兵する新法「国際平和支援法」(派兵恒久法)の2本建てだということです。解釈改憲・立法改憲によって憲法9条にトドメを刺そうとするものとして、到底看過できません。
皆さん、2年前の憲法記念日を思い出してください。発足間もない第2次安倍政権は、96条改憲を明言していました。「9条改憲が本丸だが、本丸攻めは難しい」「それなら、まずは外堀を埋めてしまえ」「96条の改憲手続きを変えて、明文改憲のハードルを下げるところから手を付けよう」という構想でした。
ところが、この96条改憲論がたいへんに評判が悪かった。2年前の5月には、「裏口入学に等しい姑息な手段」「卑怯卑劣な手口」として強い世論の反撃を受けました。その結果、安倍内閣はこれを撤回せざるを得ない事態に追い込まれてしまったではありませんか。
今、安倍政権がやろうとしている戦争法案の上程は、裏口入学どころの話しではありません。堂々と、憲法の玄関を蹴破って、憲法の平和の理念を押し潰そうというのです。一昨年同様、再び世論の力で憲法を9条を守り抜こうではありませんか。そして、戦争法の制定を推し進めようとしている安倍政権には、退場願おうではありませんか。憲法9条に成り代わって、皆さまに訴えます。
(2015年5月12日)
山内敏弘(一橋大学名誉教授・憲法)が、5月5日付赤旗で「軍事に大転換 断固阻止」と語っている。その中で、「戦争に備えたら戦争に」というフレーズが出て来る。言うまでもなく、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制を整備する」という安倍政権の戦争立法を批判してのもの。だから、「平和を望むなら平和に備えよ」との9条の理念が説かれている。
ローマ時代から「平和を望むならば戦争に備えよ」という言葉があったという。おそらくは「備えあれば憂いなし」と同じ感覚での言い習わしなのだろう。
当時、平和とは「外敵の進攻から自国の人民が守られている状態」の意であろうから、ことあるときには進攻してくる外敵と戦って勝てなければ平和を守ることはできない。戦いに勝てる軍事力は一朝にしては作れない。だから、隣国からの侵攻の気配のないときにも、戦争に備えた常備軍を保持しなければならず、訓練も怠ることはできない。そのことが「平和を望むなら、平時にも戦争に備えよ」と言い古されることとなった。
この命題は一面の真実である。しかし、真実の一面でしかない。各国がそれぞれ他国に猜疑心を持ち、相互に疑心暗鬼で国家が並立するときの真実であろう。国際協調が育たなかった人間の歴史は、長くこれを真実としてきた。しかし、今もなお真実であろうか。
古来この言葉を金科玉条としてきた諸集団・諸国家は平時から軍事力を競い合ってきた。いつか軍事の均衡が破れたときに戦端が開かれ、勝者に束の間の「平和」が訪れる。しかし、その「平和」が長く続くことはなく、勝者はまたやがて別の強者と闘わなければならない。平和とは常に暫定的なもので、戦争の恐怖から逃れることができない。
そのために、いずれの国も国民も、平時に一見友好的な隣国にも心を許すことはできない。常に戦争に備えよ、他国の軍事力を凌駕できなければ安心できない。ところが、その事情や考えは、隣国とて同じことなのだ。お互いに、「平和のためには軍備の増強が必要だ」「平和を望むからこそ戦争に備えなければならない」「国民の望む平和を保障するための精強な軍事力を」とならざるを得ない。こうして、各国とも際限のない軍備の負担に苦しまなければならない。ローマから、二つの世界大戦を経験するまでの長きにわたって、この呪縛から抜け出すことは夢物語でしかなかった。
しかし、この論理は、論理自体が戦争を誘発するリスクを内包している。その意味では悪魔の論理と言わねばならない。
「備えあれば憂いなし」は、自然災害への備えの場合には妥当する。しかし、相手国のある軍事に関しての「備え」は、相手国を刺激して別の「憂い」を誘発する。軍事的備えの増強は隣国から見れば、相手国の戦いの準備であり、軍事的進攻への対抗的な備えを増強しなければならないシグナルとして映るのだ。これへの対抗措置が、また新たな対抗措置を必要とし、相互に軍備の増強競争が始まることになる。
そのことを山内は、「戦争に備えたら戦争になる」と言っている。戦争への備えの主観的な意図如何にかかわらず、である。かくて、戦争へのスパイラルが作動を始めることになるのだ。
「戦争に」ではなく、反対に「平和に」備えたらどうだろうか。相手国は、敵対心のないことに信頼して軍備の負担を軽減してもよいと考えるだろう。相互に、軍備の増強の必要はないことになる。これは、平和へのスパイラルの作動である。
山内が言うとおり、まさしく「戦争の準備をすれば戦争になる」。歴史がそれを示している。だから「真の平和を望むなら平和の準備をしよう」。これが憲法9条の思想である。人類の歴史の進歩によって国際協調主義が成熟しつつあるとの認識にも支えられている。
安倍政権の戦争法案は、明らかに「切れ目なく戦争の準備をすれば、切れ目のない平和と安心がもたらされる」という考え方だ。これがローマ時代の常識であり、以来牢固として変わらず生き残ってきた思想。しかし、実は「切れ目のない戦争への備えとは、切れ目のない戦争誘発策」でもある。戦争準備が戦争を呼ぶことになるのだ。いまや、この考え方のリスクを見据えなければならない。
われわれはあらためて、「戦争の準備」を拒否して、「平和の準備」をしなければならない。このことを近隣諸国にも、全世界にも呼びかけよう。戦争を避けるために。平和な世界を実現するために。
(2015年5月8日)
昨日のブログでは、戦場での投降を「勇気と理性ある判断」と称賛した。これに少し付言したい。
もう20年近くも前のこと。沖縄の戦跡をめぐって現地の人から話を聞く機会があった。中部にも南部にもたくさんのガマ(洞窟)があり、多くの避難民がここに逃げ込んだ。よく知られているとおり、米軍の投降勧告に従ってガマから出て命を永らえた人もおり、投降を拒否して自ら命を断った人もいる。その差はどこから生まれたのか。
私の聞いた説明ですべてを理解したは思わない。しかし、次のような印象深い話をそれぞれのガマの中で聞いた。
一つは、100人に近い規模の避難民集団のリーダーが看護婦経験者だった例。彼女は統率力もあり親切な人柄でもあって、自ずとリーダー格となってみんなに信頼されていた。しかし、中国での従軍看護婦としての自らの体験から、捕虜になることは死を意味することと思い込んでいた。皇軍の投降者に対する取扱いから学んだことである。こうして、このグループは、投降勧告を最後まで拒否して殆どが亡くなった。多くは手榴弾による自決であったと説明を受けた。
もう一つのグループは、沖縄からハワイへの移民者の二世としてハワイで生まれ若い頃をそちらで過ごした経験をもつ初老の男性がリーダーだった。こちらは、米軍の降伏勧告を受け入れて、ほぼ全員が投降し命を永らえている。このリーダーは、「アメリカでの生活経験から、米軍が捕虜を殺したり、虐待するはずはない」と考えていた。その思いから、苦労してみんなを説得したのだという。
前者は、日本軍の鬼畜の行為から、「米軍も鬼畜に違いない」と思い込んだ例。後者は、自分の生活体験から、「鬼畜米英」というレッテルを信用しなかった例。この考え方の差異が多くの人の生死を分けることとなった。理性ある判断の基礎にこんな事情もあったのだ。多くの沖縄県民が、捕虜になりさえすれば助かるところを、刷り込まれた種々の情報や観念によって投降できずに、あたら「宝とされた命(ぬち)」を落としたことを無念と思う。国家とは、大日本帝国とは、罪の深いものと、あらためて考えざるをえない。
戦場での敵陣への投降が、「投降すべからず」という国家の命令に叛いても個人の生命を大切にする行為の典型であるとすれば、その対極にあるものが「特攻」であろう。国家のために、自分の命を捨てる行為である。「一身を犠牲にして、多数の敵を殺す行為」、これをどう評価すべきか。特攻が強制であれば国家の非道これに過ぎるものはない。特攻が真に自発的な意思によるものと仮定すればなおのこと、個人の命をも飲み込む国家の凶悪さが際立つものと言わねばならない。
そもそも戦争とは相互の殺戮と破壊の集積である。あらゆる戦闘行為が殺戮と破壊をもたらす罪である以上、特攻も同様の罪でしかない。しかも、積極的に、できるだけ多数の殺戮を企図するものとして、より重大な罪なのだ。特攻を元祖としこれに倣って現代に蔓延しているのが「自爆テロ」。これと本質において変わるところはない。
5月3日の未明、たまたま「ラジオ深夜便」保坂正康インタビューで特攻の話を聞いた。そして、その日の午後、立教大学で行われた全国憲法研究会が主催した憲法の日記念講演会で、ほぼ重なる保坂の話に接した。
印象に残ったことのいくつかの要約。
「特攻機が離陸した後は無線機のスイッチはオンのままとなる。基地では特攻隊員の『最期の叫び』を聴いて、これを通信記録として残していた。厖大な記録だったが敗戦時にすべて焼却されている」「それでも、個人的なメモを残していた参謀もいた。殆どの最期の声は『お母さーん』か、恋人と思しき女性の名前だった。『大日本帝国万歳』というのはほとんどなかった。中には、『海軍のバカヤロー』と叫ぶ者もあった」
「特攻は志願を建前としてたが、実際には強制だった。知覧で特攻機の整備兵だったという人から話を聞いたことがある。『特攻が決まると、殆どの者は茫然自失し、痛々しいほど取り乱す。私は、そのような若者を次々と死地に送り出したことに、いまだに心の痛みが消えない』と言っていた」
「特攻での死者は学徒兵と少年兵とが圧倒的に多く、職業軍人は少ない。これは、指揮官を育てるのに金を費やしているからだ。ここに、生死を分ける差別の構造が見える。ある参謀は言っていた。『息子を戦死させない方法を教えてやろうか。陸大に入学させることだよ』と。エリートは前線に行かず死なないのだ」
「特攻は軍事として外道だ。どこの国にも、その国の軍事学が育った。しかし日本にはそれがなかった。フランスとドイツに学んだ上っ面だけの西洋軍事学に武士道をくっつけた。それも『武士道とは死ぬこととみつけたり』という葉隠の文字面だけを都合良く利用しただけのもの」
保坂の言は傾聴に値する。特攻を命じた旧軍のシステムに怒りを露わにしていることには大いに共感する。しかし保坂は、特攻隊員の死に感傷的なまでに感情移入している。特攻隊員の死を他の戦争犠牲者の死とは分けて特別視しているやに覚えて、多少の違和感を禁じ得ない。むしろ、思う。どうして、知性も勇気も持ち合わせた人々が、「海軍のバカヤロー」と言いつつも、敵艦に突っ込んでいったのだろうか。形式的にもせよ、どうして「志願」したのだろうか。「命が大切」「命が惜しい」「生きながらえたい」「この命、国家なんぞに呉れてやってたまるものか」と考えるべきではなかったか。
いささかも特攻を美化してはならない。国家のための死の選択を美しいなど言ってはならない。国家が、国民の生を謳歌する自由を奪った非道として断罪しなければならない。特攻は、戦争の非道、戦争の悲惨、戦争の醜さ、戦争の愚かさを際立たせた一つの事象として記憶されなければならない。
(2015年5月7日)