ご近所の皆さま、ご通行中の皆さま。近寄ってくる戦争の足音が聞こえませんか。
私たちは、「本郷・湯島九条の会」の者です。9条の会は、2004年に井上ひさしさんや大江健三郎さん、澤地久枝さんなど9人の方の呼びかけに応じて全国に立ち上げられました。いま、各地の地域や職域、学園、あらゆる分野に7500もの、単位9条の会が結成されて、それぞれのやり方で「9条を擁護する」「9条の精神を実現する」活動を行っています。私たちの会は、町内会の会長さんが代表者となっている、地域9条の会の一つです。
毎月第2火曜日のお昼の時間に、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前を借りて、「日本国憲法を守れ」「9条と平和を守れ」「あらゆる戦争への動きを根絶しよう」という街頭での訴えを続けています。今日も、しばらくお耳をお貸しください。
今年は、戦後70周年に当たります。1945年8月の敗戦から70年目の節目の年。70年前の東京には空襲が繰り返されました。東京の空襲被害は3月10日の大空襲だけではありません。サイパン・テニアンから飛来したB29の編隊による焼夷弾攻撃は100回にもわたって、東京を焼き払いました。文字どおり、東京を廃墟にしました。ここ、本郷も湯島も例外ではありませんでした。
70年前の今頃、日本と同盟を結んでいたムッソリーニのファシズム・イタリアも、ヒトラーのナチズム・ドイツも降伏し、日本だけが絶望的な戦いを続けていました。沖縄は凄惨な地上戦のさなかにあり、日本の主要都市のほぼすべてが、空襲の対象となっていました。
敗戦は明らかでしたが、戦争はなかなか終わりませんでした。天皇やこれを支える上層部が、「もう一度戦果を挙げてからの有利な講和」にこだわったからです。「有利な講和」とは国体の護持、つまりは天皇制の維持にほかなりません。しかし、最後の最後まで、「もう一度の戦果」はなく、沖縄は徹底して蹂躙され、広島・長崎に原爆が投下され、さらにソ連の対日参戦という事態を迎えて、無条件降伏に至りました。国体の護持、つまりは天皇制の維持にこだわることさえなければ、100万を超す命が助かったはずなのです。
国民は、正確な情報を知らされなかったばかりか、「神国日本が負けるはずはない」「いまに必ず神風が吹いて最後には戦局が好転する」そのように信じ込んでいました。一億総マインドコントロールの状態だったのです。もちろん、神風は吹かず日本は敗けました。70年前の8月のことです。
これ以上はない惨禍の末に戦争は終わり、国民は悲惨な思いの中からたくさんの教訓を学びました。よく考えてみれば、この戦争は侵略戦争であり植民地拡大戦争だったではないか。日本は、被害国ではなく、加害国としての責任を免れないと知りました。再び、戦争の加害者にも、被害者にもなりたくはない。どのような戦争も悲惨この上ないのだから、勝ち負けに拘わらず戦争をしてはならない。これが多くの国民の共通の思いでした。
この平和を願う国民の思いが、新憲法を平和憲法として誕生させます。日本の国民が、憲法の制定を通じて、再びの戦争をしないことを誓約したのです。戦争の被害者にも加害者にもならない。この考えが日本国憲法前文に平和的生存権として書き込まれ、憲法9条の条文にも結実しました。
憲法9条1項が、「国権の発動たる戦争」の放棄を宣言し、さらに念のために「武力による威嚇または武力の行使」をも、永久にこれを放棄しました。戦争の放棄です。
それだけではありません。戦争の放棄を担保する手段として、9条2項で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と、戦力の不保持を宣言したのです。
9条1項と2項、戦争の放棄と戦力の不保持。この二つを併せて読めば、日本が、自衛の戦争をも含む、いかなる戦争もしないと誓約したことに疑いはありません。
旧憲法下での最後の議会となった第90帝国議会で、新憲法をめぐる改憲論議が行われました。そこでの野坂参三共産党議員と吉田茂首相との有名な「自衛権」論争があります。
野坂は、「古来独立国家として自衛権をもたない例はない。9条も自衛戦争は否定していないはず」と糺しましたが、吉田は「歴史上、侵略を標榜した戦争はない。すべての戦争が自衛の名のもとに行われた。憲法9条はけっして、自衛の戦争を認めるものではない」と、徹底した平和主義を語っています。
こうして制定された日本国憲法ですが、戦後しばらくすると政府の解釈が変わります。自衛隊が創設された1954年、政府は「自衛隊は憲法にいう戦力に当たらないから違憲の問題は生じない」と辻褄を合わせる説明を始めました。「憲法は国に固有の自衛権を否定していない。自衛隊は、敵国が日本の領土に進攻してきた際に自衛権を行使する実力組織に過ぎない。自衛隊は、自衛を超えて海外で武力を行使することはない。自衛の必要を超えた装備や編成をもつこともない。だから9条に違反しない」というのです。いわゆる専守防衛路線です。
この政府解釈は批判されつつも、定着して60年続きました。明らかに憲法の条文に違反はしてはいるものの、自衛隊の装備や編成、あるいは行動を、専守防衛にとどめて、逸脱を防止し、暴走することのないよう自衛隊への歯止めの役割を果たしてきたという側面を見落としてはならないと思います。
安倍政権はこの専守防衛路線を乗り越えようというのです。自衛隊暴走への歯止めを外してしまおうというのです。これは完全に憲法9条の戒めを破ろうということにほかなりません。
集団的自衛権の行使を容認することによって、自国の自衛のために限定されていた実力の行使が歯止めを失うことになります。戦争をする組織ではない、飽くまで敵が国土を蹂躙したときに自衛する実力部隊であったはずの自衛隊が、集団的自衛権行使の名のもとに、同盟国とともに海外で闘う組織になるというのです。
国土を離れた海外での武力の行使を「自衛」とは絶対に言いません。それは憲法が禁じる「戦争」にほかなりません。昨日、自公が合意して、これから閣議決定を経て国会に提出される法案は、自衛隊に海外での武力行使を認める法律案ですから、「戦争法案」と呼ぶのが適切で相応しいのです。
今年1月に亡くなられた9条の会呼びかけ人のお一人、奥平康弘さんの言葉を借りて、私なりの言葉で表現し直せば、「憲法9条は、1954年自衛隊ができたときに『半壊』した。そして、2014年7月1日の集団的自衛権行使容認を認める閣議決定で『全壊』しようとしている」
他国との軋轢は外交で解決すべきとするのが、日本国憲法の立場です。相手国を軍艦で脅し、近くで軍事演習をして、軍事力で威嚇し、ことあれば武力の行使に及ぶという選択肢を完全に捨てたのが日本国憲法の立場です。70年前に、戦争の惨禍を繰り返すまいという国民の願いがそのような憲法を作ったのです。
しかし、安倍政権が目指している国のかたちは明らかに違います。強い国、強い外交を行うためには、いざというときには戦争という選択肢をもたねばならない、というのです。これは危険なことです。何よりも、近隣諸国からの信頼を失う愚行といわざるを得ません。戦後70年間築いてきた、平和ブランドとしての日本をなげうつことでもあります。
今朝の各紙の報道によれば、「戦争法」関連法案は、既存の有事法制10本をまとめて改定する一括法「平和安全法制整備法」と、自衛隊をいつでもどこでも他国軍の戦闘支援に派兵する新法「国際平和支援法」(派兵恒久法)の2本建てだということです。解釈改憲・立法改憲によって憲法9条にトドメを刺そうとするものとして、到底看過できません。
皆さん、2年前の憲法記念日を思い出してください。発足間もない第2次安倍政権は、96条改憲を明言していました。「9条改憲が本丸だが、本丸攻めは難しい」「それなら、まずは外堀を埋めてしまえ」「96条の改憲手続きを変えて、明文改憲のハードルを下げるところから手を付けよう」という構想でした。
ところが、この96条改憲論がたいへんに評判が悪かった。2年前の5月には、「裏口入学に等しい姑息な手段」「卑怯卑劣な手口」として強い世論の反撃を受けました。その結果、安倍内閣はこれを撤回せざるを得ない事態に追い込まれてしまったではありませんか。
今、安倍政権がやろうとしている戦争法案の上程は、裏口入学どころの話しではありません。堂々と、憲法の玄関を蹴破って、憲法の平和の理念を押し潰そうというのです。一昨年同様、再び世論の力で憲法を9条を守り抜こうではありませんか。そして、戦争法の制定を推し進めようとしている安倍政権には、退場願おうではありませんか。憲法9条に成り代わって、皆さまに訴えます。
(2015年5月12日)