(2022年4月13日)
昨日が東大の入学式。なんと東大は、あの河瀬直美に祝辞を述べさせたと聞いて驚愕した。いや、驚愕したという自分の感性が愚かなのだと思い直す。オリンピックとNHKと東大と河瀬直美。みんなお似合い、俗世のシンボル。
その河瀬の祝辞の内容が、物議を呼んでいる。朝日が「ロシアを悪者にすることは簡単」と紹介した内容。東大のホームページに、「令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河? 直美 様)」として、全文が掲載されている。相当に長い。こんなもの聞かされる新入生は、さぞかし退屈で辛かろう。が、東大とは、こんな俗世の匂い芬々のところなのだと学ぶ意味はあったかも知れない。
朝日は河瀬の祝辞の内容をこう記事にしている。((A)と(B)は、私(澤藤)が付けた符号で記事にはない)
(A)「ロシアを悪者にすることは簡単」としたうえで「なぜこのようなことが起こっているか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないか。誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで私は安心していないか」と述べた。
(B)そのうえで「自分たちの国がどこかの国に侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある。そうすることで自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したい」と語りかけた。
(A)は、典型的な「プーチンにも3分の理」という論。「『どっちもどっち』という姿勢に過剰にこだわった結果、結局はものの本質を見誤ってしまっていないか。誤解を恐れずに言えば、『悪』を断罪することを恐れて自分の立場の確立を捨て去ってはいないだろうか」
(B)は、朝日の記者の上手な筆のさばきで、河瀬がそれなりに真っ当なことを言った印象を読者に与えている。その部分を抜き書きすると下記のとおり。この部分だけを掬い取って評価する向きもあるようだ。
「人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。」
彼女なりの人間一般と国家一般との関係について意見を述べ、脈絡なく唐突に「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある」と言う。歴史性や、国際環境をまったく捨象して、どの国も侵略国へ転化の可能性があるとして、その自覚を求めている。悪いことを言っているわけではないが、人を集めて聞かせるほどのことではない。
よく分からないのは、(A)と(B)とのつながりである。(A)が「どっちもどっち」だから、(B)の「日本を侵略国としてはいけない」という自制論に結びつかない。
むしろ、(A)で「どう弁解しようとロシアは悪である」と結論し、(B)で「我が国もどのような理由あろうとも他国の侵略をしてはならない」「君たち、一人ひとりが日本をそんな国にしてはならない」とすれば論理は整合する。が、これが彼女の言いたかったことであろうか。定かではない。
私には、彼女がこう言っているように聞こえる。
「人間は弱い生き物です。当然映像作家という人間も。だからこそ、とある国家や社会に上手につながって、その中で生かされているともいえます。ですから、東京オリンピックの映画を作れと言われれば、注文者の意図を汲み忖度もして、望まれた映画を作るのです。たとえ、それが「国威発揚プロパガンダ」と揶揄されても。また、NHKから依頼があれば協力を惜しまず、「五輪を招致し喜んだのは私たち」と述べるのです。もっとも、「五輪反対デモは金で動員」のテロップがデマだと批判の声が上がれば、私は関係ないと逃げますがね。だって、人間は弱い生き物なんですから。
そうして「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある。自制心を持ってそれを拒否する選択をしたい」は、私の判断として、まだ安全な範囲にある言論なのです。せめてこれくらいのことは言っておかないと、作家としての値打ちはない。でも、この言葉に責任をもつかどうかは別問題。繰り返しますが、だって、所詮人間は弱い生き物なんですから」
(2022年4月4日)
ヒトを宿主とする「戦争ウィルス」という亡霊が、人類誕生以来今日まで、世界の各地を徘徊してきた。そして今、このウィルスによる古典的な「戦争病」がヨーロッパの一角に発症し、その被害が猖獗を極めている。
当然のことながら、このウィルスは戦時にのみ存在するものではない。平時に、ヒトの内奥に潜伏して伝播を繰り返し、ときに権力者に感染して、基礎疾患と相俟って戦争病の発症と重症化をもたらす。その症状と被害とはとてつもなく無惨で甚大である。宿主の絶滅をももたらしかねず、その対応は人類全体の喫緊の課題となっている。
戦争ウィルスには、いくつもの亜種・変異株がある。
国際収奪種
大国ナショナリズム種
民族ヘイト株
言論統制株
好戦教育株
それぞれのウィルスが各国で蔓延し、他国のウィルスとの相互作用によって急速に活性化される。いったん発症すると、未だに有効な治療手段は開発されておらず、このウィルスの暴虐を制御することは困難である。戦争という典型症状に至らずとも、戦争未満の大国の横暴や威嚇は常に国際緊張の火種となってきた。
この事態に、けっして人類が拱手傍観してきたわけではない。数々の平和思想を生みその実践も重ねられてきた。戦争を違法とする国際条約の締結や、国際連盟・国際連合、さらには国際司法裁判所も創設されている。それでもなお、戦争ウィルス根絶は困難で、戦争病を駆逐し得といない。
人類はこのウィルスに対する有効な抗体をもたないのだが、実は既に75年前に戦争ウィルスに対する有効なワクチンは開発され、少なくも一国には接種されている。そのワクチンの名を「日本国憲法第9条」という。
そのワクチン効能の機序は、被接種国の権力に「戦争の放棄」と「戦力の不保持」を命じることによって、一切の戦争を不可能としてた平和を招来しようというものである。ワクチンであるからその接種率の向上が課題であるところ、残念ながら、現在に至るまでその明るい見通しは開けていない。
だが、あきらめてはならない。このワクチンの効果は実証済みなのだ。戦争ウィルスに起因する最も警戒すべき重症症状は、侵略戦争の開戦である。「9条ワクチン」は、被接種国が侵略戦争に暴走することへの有効な法的歯止めとなる。もちろん、侵略戦争に不可避的に附随する軍国主義の高揚や言論統制、教育の国家化なども防止する。そして、外交における相手国への威嚇や挑発はなく、国際協調を実現する外交態度の実現ともなる。
もっとも9条ワクチンは平和への万能薬ではない。全世界の主要国がこのワクチンを接種するまでは、平和をつくる国際運動の有力な武器になるという役割を果たすことになる。平和のための工夫と努力の、頼もしい拠り所となるのだ。
いま、望まれることは、9条ワクチンの接種率の向上である。今、人類の平和構築の構想は過渡期にある。このワクチンの接種が全ての主権国家に行き届いたとき崩れぬ平和が実現する。世界の戦争が根絶され、恒久平和が実現する。
それまで、このワクチンの摂取率を上げることが、人類の課題である。侵略・軍拡・核武装容認・核威嚇・敵基地攻撃能力整備論は、ウィルスに冒された症状の発現である。これを克服する努力を重ねなければならない。世界の主要国に接種が進行するまで。貴重な既接種国が、自らワクチンの効果を否定することは、人類史に対する冒涜とというべきである。
(2022年4月3日)
花冷えである。しかも本格的な雨。せっかく咲いた花が、かじかんで震えている。気持ちも晴れない。ウクライナの停戦が実現しそうで実は困難なことが見えてきて胸がふたぐ。ロシア侵略軍の蛮行によるウクライナの人々の甚大な被害、その報道に落ち着かない。これからどうなるのか。そして、日本への影響は。おろおろするばかり。
同じ出来事を経験しても、教訓として得るものは人によって大きく異なる。アジア太平洋戦争の惨禍を経て、「二度と戦争をしてはならない」と教訓を語る人が大多数なのだが、実はそのような人ばかりではない。「もっと周到な準備の下に、国防体制を立て直して、今度こそ勝つ戦争をしなければならない」という反省の仕方もあるのだ。どちらも、論理としては成立しうる。
ロシアのウクライナ侵略の推移を見て、「自衛のための軍備が必要」「防衛予算を増額しなければならない」「国家への忠誠心がなくてはならない」「強国との軍事同盟が不可欠」「敵基地攻撃能力があればさらに安心」「非核三原則を見直して核共有も」と、「教訓」を声高に語る人がいる。
しかし、果たしてそうだろうか。むしろ、汲むべき教訓は、「軍事力で国民を守ることはできない」ということではないのか。ウクライナに「9条」はない。むしろ、相当の軍事力を持った国である。洗練された兵器をもち、兵の練度も高い。それでもなお、ロシアの軍事侵攻を防ぐことはできなかった。また、ウクライナのNATO加盟への強い意思が、ロシアの侵略を決意させたともいわれている。
この度のウクライナ侵攻に、ロシアは、そしてプーチンは、どう教訓を得ただろうか。国民に対する情報操作による世論誘導の危うさ、そしてその破綻の危惧におののいてはいないか。国際世論を敵にまわすことの重圧を感じてはいないか。経済制裁による国家財政のデフォルトの危険を認識してはいないのか。なくもがなの侵略を敢えてした愚を後悔しているのではないか。この侵略がどのような結末になるにせよ、ロシアの権威も経済力も凋落することが目に見えている。世界の諸大国もこのロシアが陥った現実を見据えて教訓としているだろう。
日本は、維新直後から第2次大戦まで、侵略戦争を繰り返してきた。9条に象徴される敗戦時の「不戦の誓い」は、侵略戦争の放棄という気分であったろう。日本が侵略戦争さえしなければ、日本に攻め入る侵略国があろうとは考え難かった。こうして自衛戦争まで放棄し、戦力不保持を明記した9条が成立した。
その後、日本が侵略の対象となる現実的な危機の経験はなく、むしろ、日米安保の存在は、アメリカの戦争に巻き込まれる危険の文脈で語られ続けてきた。今、ロシアから侵略対象とされたウクライナを、中国からの侵攻の危険に曝されている台湾になぞらえ、あるいは日本に喩えて、「侵略される危険」が語られている。憲法制定時とは、日本周辺の国際環境が大きく変化してきたというのだ。
しかし、だからと言って、軍事力の増強、軍備拡張の路線に走ってはならない。ましてや核の保有などと短絡するのはもってのほか。特定の国家を意識して、侵略防止のための軍備拡張は、実は相手国を刺激して二国間の緊張を高め、戦争を誘発することにもなりかねないのだ。
金子みすゞの「こだまでしょうか」をこう解したい。
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「仲良くしよう」っていうと「仲良くしよう」っていう。
「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「もう遊ばない」っていう。
「僕の方が強いぞ」っていうと「僕の方がもっと強い」っていう。
「僕の方がもっともっと強いぞ」っていうと「僕の方がもっともっともっと強い」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、どこの国でも。
(2022年3月26日・連続更新満9年まであと5回)
疫病が蔓延していても、外つ国に戦争があっても、季節の巡りは変わらない。春はきて花が咲く。小鳥もさえずる。そして、巷では相も変わらぬ改憲論である。
北朝鮮がミサイル発射した、それっ改憲だ。コロナ対策に改憲だ。中国の脅威に備えて改憲だ。1票の格差是正にカイケンだ。天皇の跡継ぎ確保にカイケン。箸が転んでも改憲、転ばなくても改憲、カイケン。そんなカイケン論者が、マイクを握っていた。
「諸君、この度のロシアのウクライナ侵攻を見よ。目を覚ませ。もはや憲法9条で国は守れないことが明白になったではないか」
「おや、まったく存じませんでした。ウクライナは憲法9条をもっていたのに、侵略されたんですか」
「いや、そうではない。ウクライナには立派な軍隊もあり、徴兵制もある」
「じゃあ、立派な軍隊も徴兵制も侵略防止には役立たなかった、と言うべきではありませんか」
「私が言いたいのは、ウクライナの軍備が足りなかったということだ。もっともっと軍事力を増強しておけば、ロシアも侵略できなかったはずなのだ」
「ロシアの侵略を阻止するために、もっともっと軍事力を増強って、いつたいどのくらいの軍事力が必要だったのですか」
「愚問だ。そんなことは分からん。多ければ多いに越したことはないとしか言ようがない。ロシアの兵力を上回ることができれば万全だが、それは無理だろう」
「ウクライナが軍備を増強していればロシアに侵略を断念させたかも知れません。でも、その反対にロシアを刺激してロシアの軍事力を増強させる切っ掛けにも、もっと早い侵略の口実にもなったかも知れません」
「そんなことは当たり前だ。軍備の増強とは、国民の負担を覚悟してやるものだ。ウクライナであろうとも、ロシアであろうとも、国民がその負担を嫌がったら他国の侵略を許すことになる」
「軍事力で国を守ろうとすれば、相互に軍事的な優位を競わねばならない。たちまちにして軍備拡大の負のスパイラルに落ち込んでしまう。日本国憲法の平和主義は、その歴史的教訓を踏まえてのことではありませんか」
「古来から、『汝平和を欲さば戦への備えをせよ』というではないか。侵略を阻むための国民の負担はやむを得ない。軍備の後れが敗戦につながったら悲惨なことだし、元も子もなくなるのだから」
「『汝平和を欲すれば、平和への備えをせよ』でなくてはならないと思いますよ。それが9条の精神。むしろ今こそ、しっかりと9条を守らねばなりません」
「じゃあ、私から聞こう。憲法9条とは、丸腰の思想だ。この奸悪な国がひしめく国際社会で、9条丸腰論で日本を守ることができると思っているのかね」
「軍備で平和を守るという方途に平和へのリアリティがなく、むしろ危険が大きいのですから、非武装の道を選択するしかありません。日本国民は敗戦後、その覚悟の選択をしたのです。9条と前文とが一体となった日本国憲法の非武装平和主義は、軍備による平和をしのぐリアリティがあるのは当然です」
「後生大事に9条さえ守っていれば、平和が保てるとでも?」
「そんなことは誰も言っていません。まったく逆です。日本国憲法の平和主義は、日本国と国民に、積極的な平和への努力を要請していると理解すべきです。多くの戦争の原因である、主権侵害、国際的収奪、経済格差、人種や民族による差別、貧困、人権侵害等々の解消に積極的に参加し、各国の国家や国民の交流を盛んにし、国際機関の運営に協力する…。そのような平和のための積極的な行動を通じて日本国民の平和と安全が保障されるものとの理解です」
「とは言うがね。現に、どこかの国から侵略されたらどうする。そのとき、丸腰ではどうしようもないではないか」
「現に侵略されたらどうするか? 軍備があろうとなかろうと、たいへんな事態であることに変わりはありません。アフガンもイラクも、相当の軍備があってなお、ソ連やアメリカによる侵略で悲惨な目に遭っています。現在のウクライナも同様。こうならないような努力をしなければなりません」
「集団安全保障や集団的自衛権を積極的に活用せよということかね」
「むしろ、どの国とも等距離を保っての中立策が現実的ではないでしょうか」
「この度のウクライナ侵略問題では、NATOの支援が有効に働いているように見えるが」
「ウクライナはNATOに加盟はしていませんが、明らかにその庇護の元にある。準加盟国といっても、事実上の加盟国といってもよい。しかし、アメリカはウクライナに対する直接支援を自制せざるを得なかった。また、NATO加盟の米・英・仏は核保有国です。その核威嚇もロシアの開戦意欲を封じることはできなかった。大国との軍事同盟が有効であるか。よく考えなければならなりませんよね」
「問題は9条だが、これは理念や精神の問題で、それ自身に戦争を抑止する効果はないという説明かね」
「戦争には侵略戦争と自衛戦争とがあります。過去の皇軍の戦争も今回のプーチン・ロシアの戦争も、明らかな侵略戦争。非武装なら侵略戦争は仕掛けられませんよね。これだけでも、9条には大きな効果があります。国内に軍隊がなければ軍人が威張ることもないし、軍国主義教育がはびこることもない。9条は大切ですよ」
「そうか。納得はしないけど、分かった」
その場を離れて、しばらく歩くと、またスピーカーからの声が聞こえた。
「諸君、北朝鮮のICBMのEEZへの着水を見よ。さらに、香港蹂躙を経て台湾侵攻を目論む中国を見よ。今日のウクライナは明日の台湾である。目を覚ませ。もはや憲法9条で国は守れないことが明白になったではないか。核共有の議論も必要となっているではないか」
(2022年3月25日・連続更新満9年まであと6回)
ロシアのウクライナ侵攻1か月目に当たる昨日(3月24日)の毎日新聞夕刊トップに「露軍 死傷・捕虜4万人」「侵攻1カ月 NATO推計」という大見出し。
リードは、「ウクライナに侵攻したロシア軍の死傷者や捕虜などの人的損失は3万?4万人に達するとの推計をNATO軍当局者が23日、明らかにした」「露軍の侵攻開始から24日で1カ月。ウクライナ軍の激しい抵抗を前に露軍の被害は増大している。都市部への遠距離攻撃が増え、民間人の被害が拡大している」というもの。
もちろん、ロシア軍の被害の正確性はよく分からない。が、あらためて戦争とは人を殺し合う野蛮なもので、業の深いものと思わざるをえない。侵略側のロシア軍の軍事作戦が順調であってはならない。その思いは強いが、さりとて、ロシア軍兵士の死傷者の増大を歓迎する気持ちにもなれない。
私の父も関東軍の兵士として、ソ満国境の守備隊に駐屯していた。紛れもない侵略軍の一員である。しかも、終戦まで「五族協和」などという皇軍のプロパガンダを信じ込んでいたという。定めし、今のプーチンが、当時の裕仁の役どころ。プーチンやらヒロヒトの妄言を信じ込んだ罪の代償が戦死であり、その母の涙というのはあまりにも切ない。
私が愛読する米原万里の著書の中に、「ロシアは今日も荒れ模様」がある。その一節に、ソ連崩壊直前の1990年夏時点での、「兵士の母の会」会長のモノローグが掲載されている。
ナタリア・シェルジェコア(「兵士の母の会」会長):4年前一人息子を徴兵されてから軍隊生活の恐るべき非人間性に改めて驚かされる。兵舎内のリンチ事件や事故で息子を奪われたソ連各地の母親と連絡を取り合い、89年4月に兵舎内の人権確立を求めて軍を外側から監視する市民組織「兵士の母の会」を結成。今息子はすでに兵役を終えて大学生になっているが、母親の方は徴兵制が廃止されるまで兵士の母を続けるそうだ。本職は経済研究所の研究員。
「9年余も続いたアフガン戦争で、ソ連軍は15000人の戦死者を出している。けれど、ペレストロイカ以降のたった4年間で、戦場ではなく兵舎内で同じ数の兵士が命を奪われているの。その原因は古参兵による新兵いじめ、異民族出身者間のリンチ、土木工事に動員されての事故死。ソ連の軍隊がどれほど非人間的なところか分かるでしょう
中国でも東欧でも学生たちは改革運動の先頭に立っているというのに、ソ連の学生は天安門事件の時も知らん顔。大学入学前の3年間の兵役中に、想像力も思考力も奪われた従順な家畜の群れに改造されてしまうからよ。新兵いじめはその格好な手段。だから死人が出るほど悲惨なこの悪習を軍当局は温存しているのね。
しかも軍隊は上官の命令が絶対的な世界だから、18歳から21歳までの青年たちを不当に使役している。危険な土木工事や、チェルノブイリの除染作業に、労働安全規定など完全に無視して動員しているわ。その強制労働の代償が月70ルーブルよ。それに許せないのは将軍たちの別荘作りにまで兵士たちを動員していること。
今年90年6月1日には、モスクワのゴーリキー公園で「兵士の母の会」主催の大集会を開いたのよ。軍に息子の命を奪われたり身障者にされた母親たちが全国から馳せ参じてくれた。息子達の遺影を抱えた母親たちが一斉に壇上に上がって訴えたの。
1.憲法も国際協定も禁じている軍隊内強制労働を直ちになくすこと
2.国会議員と親の代表に兵舎内立入検査を認めさせること
3.戦時平時の別なく軍勤務中に落命した将兵の母親を全て対等に扱い、一人当たり5万ルーブル以上の賠償金を支払うこと
どれも当たり前のことでしょう。」
ロシア兵の母親による抗議は、30年後の今も起きている。英国紙テレグラフやラジオ局「スバボーダ」などによると、ロシア南部のケメロボ州で、兵士の母親たちがツィヴィリョフ州知事と面会し、次のような厳しいやりとりを交わしたという。(岡野直報告)
母親 みんな騙された。
知事 誰もだましていません。
母親 大砲の餌食になるため送られた。ベラルーシで演習なんてやらなかったのでは。準備もできていなかったのに、なんで若者が送られたんですか。みんな20歳ですよ。
知事 これは特別な作戦で、誰もコメントはしないんです。それは正しい。彼ら(若者)を使ったのは…
母親 「使った」って!私たちの子供を「使った」のですか。
知事 彼らは、特別な任務を与えられて、そのため努力しているのです。
母親 彼らは自分の任務を知りません。
知事 叫ぶことや、誰かを批判したりすることはできますが、今行われているのは軍事作戦です。結論めいたことを言ったり、批判したりしてはいけません。作戦はまもなく終了します。
母親 その時には、みな死んでいる。
息子たちの遺影を抱いた、万を超えるロシア軍「兵士の母」の涙を思わずにはおられない。その涙は、ウクライナ兵士の母のものと変わるところはないのだ。罪深いのは戦争であり、責めを負うべきはプーチンである。
(2022年3月24日・毎日連続更新満9年まであと7回)
ロシア軍がウクライナに侵攻を開始したという仰天の報から、本日でちょうど一か月、そして4週間。まさかの戦争、まさかの侵略、まさかの原発攻撃、まさかの無差別爆撃…。多くの市民の家が焼かれ、非戦闘員が逃げ惑い、市民や兵士の命が失われた。数え切れない悲しみと怒りと不幸を生み出した、この悪夢の一か月。
プーチン・ロシアのウクライナ軍事侵攻に対する批判は、ほぼ世論を席巻している。親ロシア派として知られる維新の鈴木宗男までが、議会のロシア批判決議に賛成した。こうなると、自公維国や右翼とも声を揃えてのプーチン批判には、内心忸怩たる思いもあるのだが、今はともかくプーチン非難に徹しなければならない。ロシア・プーチンに対する抗議の声を積み上げなければならない。
もう30年も前のこと、湾岸戦争に伴って自衛隊の海外派兵を可能とする「国連平和協力法案」が国会上程されたとき。我が家では「家族声明」を出した。私と妻と中学生の長男と、当時家族の一員で平和を願うチャウチャウの「シシ丸」、4名全員の合議一致の声明。これを新聞に取りあげてもらったことがある。大組織の声明も大事だが、一人ひとりの無数の声明はより重いと思う。
当ブログでは、2月28日に「ロシアのウクライナ侵攻に抗議する、東京弁護士会・兵庫県弁護士会・大阪弁護士会・自由法曹団の各声明紹介」を掲出した。
https://article9.jp/wordpress/?p=18650
その後に目についたいくかの「声明」をご紹介する。ぜひとも、もっともっと、抗議の声を挙げていただくよう期待したい。
(1) ロシアのウクライナ侵攻反対する一庶民声明
一、戦争は、庶民を犠牲にするものであり、どんな戦争も庶民に対する犯罪である。
私は、軍事で儲けようとする国家権力者と対峙する庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、大日本帝国が近隣諸国にしたことは、ロシアがウクライナにしていることと同様である。
私は反大日本帝国の庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、アメリカが敗戦確実の日本に原子爆弾を落とし、日本をアメリカの言いなり国家にしたことは、ロシアがウクライナにしていることと同様である。
私は在日米軍基地の返還を求める庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、アメリカがイラクにしたことは、ロシアがウクライナにしていることと同様である。
私はこれまでの大国の軍事攻略を批判する庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、ウクライナは、チェルノブイリ原発事故を起こしながらなおも原発大国である。
私は、福島原発事故を起こしながらなおも原発大国である日本が、「憲法9条を改正し、大日本帝国のような軍国主義を復活させ、原子爆弾を製造しようとしている」と大国から侵攻されることを憂い、憲法9条の実現と原子力発電所の廃止を求める庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、戦火を逃れて難民になっているウクライナ庶民、経済制裁で苦しんでいるロシア庶民、そして戦闘をしている兵士たちも庶民。
私は、ウクライナ庶民、ロシア庶民と連帯する庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
(この一庶民が、どこのどなかは知らない。たった一人の「声明」もネットでは拡散できる時代となつているのだ)
(2) ロシアによるウクライナ侵攻について(地方6団体声明)
2月24日、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を行った。
このことは、国際社会ひいては我が国の平和と秩序、安全を脅かし、明らかに国連憲章に違反する行為であり、断じて容認できない。
ここに我が国の地方自治体を代表して、ロシア軍による攻撃やウクライナの主権侵害に抗議するとともに、世界の恒久平和の実現に向け、ロシア軍を即時に完全かつ無条件で撤退させるよう、国際法に基づく誠意を持った対応を強く求める。
また、政府においては、邦人の確実な保護や我が国への影響対策について万全を尽くしていただきたい。
令和4年(2022年)2月25日
地方六団体
全 国 知 事 会 会 長 平井 伸治
全国都道府県議会議長会会長 柴田 正敏
全 国 市 長 会 会 長 立谷 秀清
全国市議会議長会会長 清水 富雄
全 国 町 村 会 会 長 荒木 泰臣
全国町村議会議長会会長 南雲 正
(衆参各議院の決議の前に、地方6団体がこの声明を発していた。侵攻の翌日のこと、素早い対応に驚かざるを得ない。)
(3) 【緊急声明】ロシア軍のウクライナ軍事侵攻を強く非難する
東京を本拠とする国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、2022年2月におけるロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻を強く非難する。
武力による軍事侵攻は、武力行使を原則禁止する国連憲章に対する重大な違反であり、ウクライナの民間人の生命及び安全に対する権利を深刻に侵害するものである。なお、プーチン大統領は、軍事侵攻の事実上の理由として、過去8年間の脅しと大量虐殺の対象となってきたウクライナ国内の人々を守ることであり、そのためにウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指すと述べているが、そのような大規模な人権侵害の具体的な証拠は何ら示されていない。また仮に事実だとしても、国連憲章上、そのために一国の判断により武力を行使することは許されない。
ヒューマンライツ・ナウはロシアに対し、直ちにウクライナにおけるすべての軍事行動の停止とウクライナからの全ての兵の撤退をすることを求める。また、ロシアで戦争に反対して拘束された人々の即時釈放と拘束下での人道的処遇の確保を求める。
2022年2月25日,東京
特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ
(人権団体の緊急声明である。さすがに早い。ウクライナ侵攻開始翌日の声明。ロシア国内での人権侵害にも言及されている。)
(4) 3月5日毎日新聞の報道では、同時点で、日本の大学や学会少なくとも計約50団体が、ロシア軍のウクライナ侵攻に抗議する声明を学長名などで出している。海外の戦争に学界が強く反応するのは異例という。
日露大学協会の幹事校を務める北海道大の宝金清博学長は「ウクライナ侵攻は許容されない」とする声明を日本語、英語、ロシア語、ウクライナ語で発表した。国内唯一の旧ソ連圏・東欧の地域研究機関、同大スラブ・ユーラシア研究センターも、ウクライナ市民と戦争に反対するロシア市民への連帯を表明。ロシア・東欧学会などロシア関連の学会のほか、東京大や九州大も同様の声明を出した。
また、プーチン露大統領の核兵器を念頭に置いた発言などに関して、原爆被爆地にある広島大や長崎大、原発事故からの復興でウクライナと協力してきた福島大が批判した。
大学事情に詳しい教育ジャーナリストの小林哲夫さんは「大学の反戦声明は、ベトナム戦争でもイラク戦争でもほぼなく画期的だ」としている。
声明を出した主な大学や学会など(3月5日時点、毎日新聞調べ)
【国公立】北海道大、東北大、福島大、東京大、奈良女子大、広島大、九州大、長崎大、新潟県立大、京都市芸大、神戸市外大【私立】北海学園大、酪農学園大、高崎健康福祉大、聖学院大、早稲田大、上智大、明治大、立教大、国際基督教大、明治学院大※、東洋大、武蔵野大、桜美林大、東京農大、東京基督教大、日本福祉大、朝日大、立命館大、龍谷大、京都外大、京都ノートルダム女子大、関西大、大阪観光大、神戸親和女子大【学会など】日本学術会議、ロシア・東欧学会、日本ロシア文学会、日本スラヴ学研究会、日本社会学会、日本18世紀学会、日本社会文学会、日本平和学会、日本医学会連合、日本天文学会、居住福祉学会、日本私立大学連盟、国立大学協会 ※は学科名義や部局有志名義など。他はトップ名義など。
(5) こういう声明には最も縁遠い印象の慶應大学も、慶應義塾大学(関係)教員有志名で、下記の「ロシア政府によるウクライナ侵攻に関する緊急声明」を発出している。
我々、慶應義塾大学でロシア・東欧・ユーラシアに関する研究と教育を行う者は、ロシア政府によるウクライナへの軍事侵攻を強く非難し、即時停戦を求めます。
また同時に、ウクライナとロシアの両国に対し、また全世界に対して、すべてのウクライナ語話者およびロシア語話者、ウクライナ国民およびロシア国民に対する、迫害・差別・誹謗中傷・行動の強制が行われることのないよう、強く要望します。暴力はもちろん、暴言の応酬、政府と国民とを同一視した個人攻撃、少数派や弱者に対する差別、発言や行動の強要は、どのような状況下であれ許されるものではありません。
現在、ウクライナ国内はもとより、世界中に暮らす当事国の国民と関係者がこの戦争に傷つき眠れぬ日々を送っています。その原因の一つは、周囲の人々からの、あるいはネット上での心ない非難や態度、無責任な言葉です。ウクライナやロシアにおける民族構成と歴史認識には想像を越える複雑さがあり、両国民一人一人のこの戦争に対する立場は、属する国家のそれと必ずしも一致しません。また出自や思想信条の違いによってその生命や職業が脅かさることは、そもそもあってはなりません。
我々は、だから部外者は黙っていようと言うのではありません。むしろ今こそ、少しでも客観的な情報を求め、多くの当事者たちの生の声に耳を傾けるべきでしょう。戦争終結後も両国には深い傷と溝が残ります。失われた人命と遺族の悲しみは永遠に歴史に刻まれ、ウクライナ社会は復旧に多大な時間を要し、ロシアは国際社会で孤立を深めるでしょう。そうした戦後世界で共に生きるために今できることは何か、我々は考えるべきです。
2022 年 3 月 2 日
慶應義塾大学 熊野谷葉子(法)、越野剛(文)、朝妻恵里子(理工)三神エレーナ、大串敦(法)、北川和美、深澤洋子、守屋愛、アナトーリー・ヴァフロメーエフ, 廣瀬陽子(総政)、後藤クセーニヤ
(6) 日本ペンクラブは、日本文藝家協会、日本推理作家協会とともに、3月10日、「ロシアのウクライナ侵攻に関する共同声明」を発表しました。13時からの共同記者会見には日本ペンクラブ桐野会長、日本文藝家協会林真理子理事長、日本推理作家協会京極夏彦代表理事が出席し、声明を発表後、記者の質問に答えました。
「ロシアによるウクライナ侵攻に関する共同声明」
私たちは、ロシアによるウクライナ侵攻に強く反対します。
これは、完全に侵略であり、核兵器使用に言及した卑怯な恫喝であり、言論の自由を奪い、世界の平和を脅かす許し難い暴挙です。
私たちは表現に携わる者として、人々の苦悩や悲嘆、そして喜びを表してきました。しかし、新たな戦争の愚かさについてなど、書きたくはありません。
ウクライナの人々の命、人々が築いた文化、産業、街や学校、施設などがこれ以上破壊されないように、そしてロシアの人々の自由と命も無用に奪われることのないように、一日も早い戦争の終結を願います。
2022年3月10日
日本ペンクラブ・日本文藝家協会・日本推理作家協会
各団体理事会および有志による声明文
日本ペンクラブ 会長 桐野 夏生
日本文藝家協会 理事長 林 真理子
日本推理作家協会 代表理事 京極 夏彦
(7) ロシアによるウクライナ侵攻に関する緊急声明
2022年3月1日
一般社団法人日本医学会連合
会長 門田 守人
2022年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始しました。独立国家の主権を侵害し国際秩序を毀損する行為として許されるものではありません。さらに、戦闘に関わる人的被害の報告とともに、国連難民高等弁務官事務所(the office of the united nations high commissioner for refugees; UNHCR)からは、故郷を追われた避難民は36万人以上に達するとの報告がなされています。
人々の生命・健康を守るべき立場の医学・医療に関わる学会を代表する学術団体として、日本医学会連合は、人命および人権を代償に一方的に現状変更を迫る軍事侵攻に強く反対します。
世界各国が協調と対話を重ね、平和的外交手段で可及的速やかに事態を収拾することを求めます。
(医学界が平和を求め戦争を忌避するというのは、当然のことながら心強い)
(8) 平成2年に平和都市宣言をした君津市は、世界の恒久平和は人類の共通の願いであり、その実現には人々が互いに理解を深め合い、戦争のない社会を追求するとともに、あらゆる差別や暴力を排除していかなければならないと考えています。
よって、今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻を断じて容認することはできず、令和4年3月7日に、市と市議会の共同による声明を発表しました。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対する共同声明
2月24日、ロシアは国際社会の声を無視し、ウクライナへの軍事侵攻を開始した。
これは、武力の行使を禁ずる国際法や国連憲章に違反し、国際社会の平和と秩序を根幹から脅かすもので、断じて容認することはできない。
平成2年に「世界の恒久平和は、人類の共通の願いである」とする平和都市宣言をした君津市及び君津市議会は、ロシアによる軍事侵攻に対し、抗議と非難の意を強く表明するとともに、ロシア軍の即時無条件での撤退を強く求める。
また、政府においては、国際社会と連携し、ウクライナの人々及び在留邦人の安全確保や国民生活にもたらす影響への対策に万全を尽くすよう要請する。
令和4年3月7日
君 津 市 長 石 井 宏 子
君津市議会議長 三 浦 章
(国際問題についての声明に元号使用は情けないが、市長と議会議長の連名で、地方自治体の声明として簡潔に立派なものとなっている。)
(9) ロシアによるウクライナ侵攻に抗議する声明(文京区)
文京区は、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、昭和54年12月「文京区平和宣言」を行うとともに、昭和58年7月には「文京区非核平和都市宣言」を行い、核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴えています。
この度、ロシアがウクライナに軍事侵攻を行ったことは、国際社会の平和と秩序、安全を脅かす行為であり、断じて容認することはできません。
加えて、核兵器の使用を示唆したことは、唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないことを強く主張している文京区及び文京区民の声を踏みにじるものであります。
ここに、私は、平和宣言及び非核平和都市宣言を掲げる首長として、核兵器の使用に断固反対し、ロシアに対して厳重に抗議するとともに、即時に攻撃を停止し、完全かつ無条件での撤退を強く求めます。
令和4年3月4日
文京区長 成澤 廣修
(私の地元自治体の区長声明。核兵器核兵器に断固反対と言っている)
(10) ウクライナ侵攻に関する声明文(中央大学)
2022年2月にはじまったロシア政府によるウクライナ侵攻によって、多くの市民の生命が失われ、平和の中に生きるという本質的な人権が侵害されています。中央大学は、この惨禍を終わらせようとする国際社会の努力に敬意を表するとともに、大学を設置する学校法人として、また高等教育研究機関としての責任を果たし続ける所存です。
いうまでもなく、学びは人類の福祉、平和と人権の基礎であり、それを守ることが高等教育研究機関の重大な責務です。そこで、中央大学は、その使命の一つを「人類の福祉に貢献すること」であると学則に定め、また中央大学ダイバーシティ宣言においても「すべての人びとに学びの機会が平等に開かれることの重要性を認識」していることを表明して、世界中の国や地域から、多くの学生・研究者・教員を受け入れています。
中央大学は、この惨禍の一日も早い終息を祈望しつつ、ウクライナやロシアからの学生・研究者・教員の皆さんが安心して教育研究を継続できるよう全力で努力するとともに、キャンパスの内外を問わず、ロシアをはじめとする出身地に基づく全ての差別やヘイトに反対することを表明いたします。
2022.03.17
理事長 大村 雅彦
学 長 河合 久
(ウクライナ・ロシア両国からの留学生・研究者・教員の人権に配慮を、という趣旨の声明。なるほど)
(11)(一社)国際空手道連盟極真会館 田畑 繁 理事長が、日本国内外に「ウクライナ侵攻」についての声明文を発表しました。
声明文「ウクライナ侵攻について」
理事長 田畑 繁
大山倍達総裁は1975年の第1回世界大会において、極真理念を発表しました。
「極真カラテは人種、民族、国境を越え、政治、宗教、思想の垣根を撤廃し、世界人類の平和の実現を目指す。」
私たちは一人一人の命の尊さを知っています。武道は、人命を尊重し、敬意を表し、礼儀礼節を尽くします。両親に授けていただいたかけがえのない命ほど大切なものは、世の中にはありません。世界中どの国でも、両親の愛、家族の愛を一身に与えられて、人は育っていきます。人は元々、愛し合う力を持っています。人間は愛の結晶です。
しかし、戦争は命を殺す行為です。平和とは真反対の行為です。戦争の犠牲の上に成り立つ平和などありません。この、何物にも代えられない尊い命を戦争の犠牲にしてはなりません。
私たちは、これ以上、戦争による犠牲者が出ないこと、又、亡くなった全ての人に哀悼の誠を尽くします。
そして、極真会館は戦争に反対します。
(空手界からの戦争反対の声明、スポーツ界から、もっと同様の声が欲しい)
(12) 東京藝術大学 学長声明
ロシアによるウクライナ侵攻は、許しがたい暴挙であり、決して容認できるものではありません。
ウクライナは、作曲家のセルゲイ?プロコフィエフ、カロル?シマノフスキ(キエフ県生まれ)、20世紀最高のヴァイオリニストのダヴィッド?オイストラフやナタン?ミルシュタイン、そして1931年から13年間にわたり東京藝大音楽学部の前身である東京音楽学校で多くの音楽家を育て、日本音楽界の恩人とも言うべきピアニストのレオ?シロタなど多くの優れた音楽家を輩出しています。戦禍に直面するウクライナ市民の苦しみはもちろんですが、ロシアの人々もごく少数の一部の指導者たちの過った判断によって突入した侵略戦争により、世界中からの経済制裁や、優れたアーティストやアスリートもロシア人であるからという理由で締め出されるなどの理不尽を強いられています。
このような愚かな戦争が、一刻も早く終結することを願います。
令和4年3月4日
東京藝術大学長 澤 和樹
(平和あっての芸術。専門性高い分野からの声明は貴重)
(13) 日本遺族会声明
ロシアのウクライナ侵攻に対する抗議声明
先の大戦で、愛しい肉親を亡くし、二度と私たちのような戦没者遺族を出さないという固い決意のもと、昭和22(1947)年に結成以来、70年余の長きにわたり、一貫して恒久平和な社会を求め活動を続けている日本遺族会は、ロシアのウクライナ侵攻に断固抗議する。
ロシアは、2月24日ウクライナ東部で攻撃を開始した。露軍は東部、北部、南部から侵攻し戦闘は全土に広がり、首都キエフでは市街戦が激化し、多数の民間人が死傷し、戦線は拡大を続けている。
ウクライナでは、18歳から60歳の男性は出国が禁じられ、90日以内に軍に動員される国民総動員令が発動され、ウクライナ国防省は火炎瓶を作って市民に徹底抗戦を求めている。50万人以上が国外に退避し、逃げ場を失った多くの市民は、地下鉄を防空壕とし、不安な日々を過ごしている。市街地のマンションや学校への砲撃、国を守るために銃を手にする市民、この惨状を目の当たりにし、かつての戦争を思い出さずにはいられない。
ウクライナの現状は対岸の火事ではない。愚かな指導者の誤りで、戦争はいつでも始まることを今、示している。
ロシアのウクライナ侵攻は、人々のささやかな幸せを、ありふれた日常を一瞬にして奪った。いかなる理由があろうと、誰であろうと個人の自由を奪う権利はない。そして、いかなる場合も、意見の相違を埋めるのは、対話による話し合いしかありえない。
国籍も、言語も、肌の色も、全てが違ったとしても、世界中の誰しもが、愛しい人がいて、その人の幸せを願っている。
武力による報復は、更なる悲劇しか生み出さない。故に本会は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴え続けることで、平和を希求してきた。
ここに日本遺族会は、ロシアのウクライナ侵攻を非難し、即時停戦、撤退を求める。
令和4年3月2日
一般財団法人日本遺族会
会長 水落敏栄
(遺族会が、「ウクライナの現状は対岸の火事ではない。愚かな指導者の誤りで、戦争はいつでも始まることを今、示している」という言葉は重い。ロシアとウクライナの両国に新たな「戦争遺族」が生み出されることは、いかにも辛い)
(2022年3月23日)
本日午後6時、注目のゼレンスキー・ウクライナ大統領の国会演説。オンラインで12分間のスピーチだった。激したところはなく、戦時下のリーダーの言とは思えない穏やかな内容。軍事につながる支援要請はなかった。安倍・プーチン関係についても、真珠湾攻撃も口にしなかった。ロシア軍の原発攻撃についての言及はあったが、核の脅威や核威嚇についての踏み込みは意外なほどに浅かった。あれもこれも、計算し尽くしてのことなのだろう。
日本の国会での演説。当然全国に放映される。この機会をどう生かすべきか。ゼレンスキーは、なりふり構わぬ軍事支援要請ではなく、戦争終結後までを見据えて日本からの好感獲得を第一目標としたようだ。ところが、その「日本」は一様ではない。何を訴えれば好感につながるか、実はなかなかに難しいのだ。
一方に《政権とそれを支える自公維国》があり、他方に《野党と自覚的市民勢力》の存在がある。この2グループの望むところはまったく異なる。「平和を守るためには武器が必要だ」「侵略者ロシアに対抗するための武器の提供を」「武器を購入するための資金の提供を」と言えば、与党側は身を乗り出してくるだろうが、野党側はそっぽをむくことになる。また、ロシアの核脅迫をとことん非難し核廃絶を訴えれば、野党陣営は喝采するだろうが、与党側は渋い顔をせざるを得ない。
なにしろ生中継での演説でである。ゼレンスキーが何を言い出すか与党側も心配だったようだ。「日本企業はロシアから全部撤退しろと言うのでは」とか、「真珠湾攻撃には触れないでと要望した」などと報道されていた。結局、与野党とも、胸をなで下ろす結果となったというところ。
結局、ゼレンスキーはロシア非難に徹し、その余は無難なスピーチに終始した。それが、ソフトで穏やかな印象の演説となった。パンチの効かない、話題性に欠ける、印象の薄い演説になったことは否めない。しかし、それでも、多くの日本人から広く好感を獲得するという目的には成功したと言えるだろう。
とはいえ、現に攻撃を受けている被侵略国の大統領の発言である。ロシアに対する非難は痛烈だった。何よりも日本のロシアに対する制裁を継続するよう求めた。そして、同時通訳では要領を得ないところもあったが、「1000発以上のミサイル、空爆があった。多くの街では家族、隣人が殺されても、彼らはちゃんと葬ることさえできない。家の庭、道路沿いに(埋葬)せざるを得ない」と説明した。また、ロシアの侵攻で多数の子供が犠牲になっていることを強調して、「最大の国(ロシア)が戦争を起こしたが、その影響・能力の面では大きくない。(ロシアは)道徳の面では最小の国だ」と非難している。この点については、多くの日本人の共感を得たものと思う。よかったのは、それ以上に「祖国のために、ウクライナ国民は立ち上がり、闘っている」などとは言わなかったこと。抑制が利いていたとの印象を受けた。
ところが、ぎごちなくオーバーに「閣下の勇気に感動しております」「わが国とウクライナは常に心は一つ」などと続けた参院議長山東昭子の空回り挨拶。完全に白けた。聞くだにこちらが恥ずかしい。
ウクライナと日本、はからずも両国のタレント出身政治家のスピーチが並んだが、彼我のレベルの大きな落差を見せつけられることとなった。
(2022年3月22日)
最近落ち着かない。なんとなくウロウロ、という心もちなのだ。3・11のときもこんな感じだったが、あれ以来のこと。いま、戦争の惨禍が現実のものとなって人々を苦しめている。恐怖、飢餓、家族の離散、そして生命の危機。
ウクライナの市民の多くの命が奪われている。もちろん、兵士の命なら失われてもよいとはならない。ロシア兵の命も同じように大切だ。1000万人という難民一人ひとりの心細さを思う。胸が痛む。落ち着かない。
先月まで、マリウポリという都市の名さえ知らなかった。いまその街が、ロシア軍に包囲され、孤立無援の状態にあるという。住宅の8割は破壊され、35万を超える市民が電気や水の入手も困難な状況で息をひそめていると報じられている。ロシア国防省は20日、ウクライナに対し「マリウポリから軍を撤退させ、市を明け渡せ」と要求したが、ウクライナの副首相は21日、この降伏要求を拒否したという。落ち着かない。これからどうなるのだろう。降伏要求拒否でよいのだろうか。
私は生来臆病なタチで、「命がけで」「英雄的に闘う」とか、「愛国心」やら「民族の団結」などという勇ましい議論には馴染めない。そして、「戦争だから犠牲はやむを得ない」とか、「国家の立場から」「民族としては」「歴史を俯瞰すれば」という大所高所からの語り口にも、ざらつくものを感じてしまう。「国益を重視する立場からは…」という物言いには心底腹が立つ。
国家よりも、民族よりも、栄光の歴史よりも、一人ひとりの今が大切なのだ。何よりも命、自分と家族の命、そして安心、暮らしに必要な水・灯り・家・パンとケーキ・庭に咲く花・学校・病院・畑・山林…、その全てが一体となった平和、平和な暮らし。
しかし、言われるだろう。「個人の尊厳が最重要だとしても、国や民族が団結して英雄的に立ち上がらねば、今は個人の尊厳も守れない切迫した事態になっている」と。それはそうなのかも知れない。だから、そのことに腹を立てているのかも知れない。そんな事態に追い込んだのは誰だ。誰の責任なのだ。
ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終わったとき、平和の世紀が幕を開けると思った。しかし、そうはならなかった。あれ以来、地域紛争、民族紛争、宗教戦争が絶えることなく頻発してきた。湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争…。多くはアメリカの責任が大きかった。今や、世界の秩序が変わり、一強のアメリカに代わって、幾つかの大国が悪役を演じる時代となった。
どうすればよいのやら。平和への道筋は見えてこない。だから、落ち着かない。胸が痛んで、ウロウロするばかりなのだ。一つだけ、心に留めておこう。平和を願う声を発信し続けよう。そして、この機に乗じて、非核3原則を揺るがせにしたり、9条の理念を攻撃する動きに、断乎として抵抗しよう。せめて、そのくらいの決意を固めよう。うろうろしながらも。
(2022年3月21日)
ゼレンスキー・ウクライナ大統領の我が国での“国会演説”が、明後日(3月23日)午後6時からオンラインで生中継となる見通しと報じられている。今のところ、自公維国が積極姿勢で、立憲・共産は慎重とのこと。
被侵略国には連帯したい。が、何を言うかはよく分からない。それでいて、世論に与える影響は大きい。慎重になるべきは当然だろう。日本の多数派、政権与党側に擦り寄っての支援要請発言とならざるを得ない以上は、我が国の少数派勢力には十分な警戒心が求められる。
よもやとは思うが、「ウクライナ人民は、国民一丸となって、祖国の栄光のために、死をも恐れずに、降伏を拒否してひたすら闘う。そのための軍事支援を。そして、平時にも軍備の増強を」などと、戦前さながらの軍国主義・国家主義・好戦主義を煽られてはたまらない。
ジャーナリストの鳥越俊太郎が自身のツイッターで、厳しい反対の意向を示していることが話題になっている。
反対理由は、「紛争の一方当事者の言い分を、国権の最高機関たる国会を使って言わせることでいいのか? 国民の声も聞かずに! 中国・台湾紛争でも台湾総統の演説を国会で流すのか?」とツイート。ゼレンスキー大統領の国会演説に疑問を呈している。
さらに「私はゼレンスキーに国会演説のチャンスを与えるのには反対する!どんなに美しい言葉を使っても所詮紛争の一方当事者だ。台湾有事では台湾総統に国会でスピーチさせるのか?」と猛反対。「紛争の当事者だ。何を言うか、分からんねぇ?国民は許さない。たとえ野党まで賛成してもだ!!」
また立憲民主の泉健太も、ゼレンスキーに演説させるにしても、「両国政府の合意の範囲」が当然であると主張している。党内から批判の声も上がったが、3月18日の記者会見では演説自体に反対ではないと釈明しつつ、国会が国権の最高機関であることや過去のケースを理由に首脳会談や共同声明、演説内容の「事前調整」の必要性を改めて強調したという。
私は、どちらかと言えば賛成の立場。但し、事前に幾つかの前提を踏まえてもらう必要があるだろう。日本には平和主義の日本国憲法があり、憲法9条は戦力放棄を定めている。非核3原則という国是もある。戦前の日本は、帝国主義的侵略国であったが、敗戦と同時に国のありかたを一変して、恒久平和主義を遵守する国家になって現在も変わらない、と。その立場からのウクライナ支援には自ずから限界があることの認識が必要なのだ。
ゼレンスキーに国会で喋ってもらうのは、飽くまでも理不尽な侵略を受けている国と国民の代表としてである。紛争当事国の一方としてのことではない。
なお、自民党の深谷隆司が、こう言っている。「16日の米国連邦議会向けの演説で、ゼレンスキー大統領はロシアの残虐行為を真珠湾攻撃になぞらえていた。彼の無知と偏見に私は驚いた。日本軍は真珠湾で民間人を狙った攻撃や、無差別爆撃をしていない。」
驚いてみせる必要はない。ゼレンスキーはこう言ったのだ。「真珠湾を思い出してほしい。1941年12月7日の恐ろしい朝、空があなたたちを攻撃する飛行機で黒くなった。米同時多発テロを思い出してほしい。2001年の恐ろしい日、邪悪が米国の都市を戦場に変えようとした。そのとき、無辜の人々が空から攻撃された。誰も予測していなかったように。そして、あなたがたはそれを防げなかった。我が国は同じことを経験している、毎日、まさに今この瞬間も」(訳は、CNN・Japan)
自民党には、かつては我が国がロシアと同じく、隣国に侵略戦争を仕掛けたという自覚がないのだろうか。宣戦布告なき真珠湾攻撃をいまだに反省していないのだろうか。
(2022年3月20日)
ロシアのウクライナへの侵略批判は、徹底して行わねばならない。しかし、過去の日本の大陸への侵略や、近くはアメリカのいくつもの侵略行為に目をふさぐものであってはならない。日本の過ちを自覚しつつ、プーチン・ロシアを批判する最近の幾つかの論稿を抜粋して引用したい。
毎日新聞に毎月1回の掲載だった「加藤陽子の近代史の扉」。昨日(3月19日)の掲載分が「露軍ウクライナ侵攻 武力をたのむ国は自滅する」という表題。これが、連載の最終回とのことでややさびしい。
「武力をたのむ国は自滅する」とは、日本近代史に鑑みての言明である。だから、ロシアも自滅の道に踏み込んでいるという含意がある。
「ウクライナを短期決戦で制圧できる」「ロシアのかいらい国家をつくれる」と踏んだプーチンの誤りに関連して、日本近代史のエピソードは「相手に対する軽視や慢心からの認識不足に起因した短期決戦構想の失敗事例に事欠かない」という。具体的に語られているのは、盧溝橋事件直後の「(第二次)上海事変」。情報不足からの苦戦に、天皇(裕仁)、外務官僚、軍務官僚の言として、「心配した」「敗北するのではないか」「大失敗を演じた」との評価が紹介されている。
局部的な作戦失敗のエピソードではなく、もっと長い歴史的スパンでの英国の歴史家トインビーの日本分析が紹介されている。「千年王国を目指して日本が樹立した満州国は、日本の安全感の増進に役立たない。武力をたのむ日本は古代のカルタゴのように自滅するしかない」というもの。同様に、加藤も「ウクライナを軍事的に制圧してもロシアは安全感を得られまい。引き返すしか道はないのだ」と締めくくっている。まったくそのとおりだと思う。軍事に訴えざるを得ない事態に至ったことが、既に自滅の第一歩なのだ。
もっと端的に、「プーチンは誤算? でも裕仁は想定通りを喜んだ」という日本近代史のエピソードが諸所で引用されている。「hanten-journal」名のネット発言だが、「hanten」とは反天皇の意であろう。この見解にも同意せざるを得ない。まったくこのとおりなのだ。
力によって現状を変える。
それを平和のためと強弁する。
国際的な非難や経済制裁を受けても開き直り、むしろ資源確保に奔る。
民間人、子どもも女性も殺戮する。
病院を破壊する。医者も患者も殺す。
占領したら自国の領土とするか傀儡政権を打ち立てる。
ロシアのウクライナ侵攻のことだけではない。
侵略戦争では、必ず起こることだといっていい。
1941年12月8日午前1時半、真珠湾攻撃開始よりも早く、マレー半島で日本軍による戦いの火蓋が切られた。宣戦布告前の奇襲作戦であり、シンガポールを含むマレー半島全域の占領が目標であった。55日間でマレー半島を一気に南下する電撃戦を展開し、翌年2月8日にはシンガポール島への上陸作戦が敢行された。イギリス軍の抵抗にあったが1週間でシンガポールを陥落させた。その過程で日本軍は、ブキテマにおいて女性や子どもを含む数百人の村民の虐殺やアレクサンドラ陸軍病院で医師や患者200〜400名もの殺戮など、数々の蛮行を繰り返した。「子どもも女も、皆、殺せ」という命令も出されたという。
さらに占領後の数週間の間には、日本軍に敵対する者を一掃するとして、シンガポール側の調査では5万人(日本が認めたものだけでも5000人)もの無抵抗の人びとが殺害(粛正)されている。
内大臣木戸幸一の日記には、シンガポールの陥落に際して昭和天皇に「祝辞」を述べた際の記述に、「陛下にはシンガポールの陥落を聴(きこ)し召され天機(てんき=天皇の機嫌)殊(こと)の外(ほか)麗しく、次々に赫赫(かくかく)たる戦果の挙がるについても、(略)最初に充分研究したからだとつくづく思うと仰(おう)せり」とある。昭和天皇は上機嫌で、事前の研究によって想定通りに「戦果」があがったことを喜んでいるのだ。
ロシアのウクライナ侵攻後の3月10日に、77年前のこの日に起こった東京大空襲の記憶を継承するという文脈でTVインタビューに「今ウクライナで起こっていることが、東京でも起こっていたことを忘れないで欲しい」と訴えている人がいた。被害の記憶も重要だが、むしろ忘れるべきではないのは、ロシアよりも何十倍・何百倍もの規模となる侵略戦争を、かつての日本が行ったことである。
もう一つ。毎日新聞3月16日夕刊の「特集ワイド」。「ウクライナ侵攻 旧日本軍手法に重なるロシア 「泥沼化」教訓、世界に示せ」という大型特集。話者は、日中戦争研究を専門とする広中一成。
大国が隣国を武力で脅し、言うことを聞かなければ軍を進めて意のままにする――。ロシアのウクライナ侵攻は、どうしても過去の日本の中国侵攻と重ね合わせてしまいます。
例えば、今回のロシアには北大西洋条約機構(NATO)への対抗、つまり、自分の国と仮想敵の間にあるウクライナに緩衝地帯を設けたい、という意図があります。一方、満州国が1932年に日本の謀略と武力で生まれた背景にも、共産主義のソ連の南下防止に不可欠、という考え方がありました。
今回、ロシアはウクライナの非軍事化を主張していますが、ウクライナをロシアの思う通りにしたいという動機を前提にすると、本当の意味の非軍事化や中立化は考えにくく、なんらかの形でかいらい化すると想像するのが自然です。「だまされないぞ」と思っていたほうがよいと思います。今年は満州国建国90年なのですが、1世紀近くたっても手法はあまり変わらないように見えます。驚きです。
ロシアは当初、ウクライナを数日で占領しようと考えていたようです。一発大きな打撃を与えれば、敵は降伏するだろうと。戦前、日本の軍部の一部でも、中国に一発浴びせれば屈服するだろうという、いわゆる「対支一撃論」(中国一撃論)という考えがありました。しかし、日中戦争が始まって中国に一発浴びせても降伏しない。もくろみが外れたのです。その結果、戦争が泥沼化していきました。
ロシアも、屈服せず粘り強く抵抗するウクライナに手を焼いています。日本は中国戦線で歯止めがきかなくなって泥沼に陥り、最終的に破滅しました。プーチン大統領には、歴史の教訓から学んでほしいと思います。
かつての中国への侵略については、日本を批判するか擁護するか、という内向きの議論が多いように思います。それだけではなく、世界に向けて侵略戦争を否定するメッセージを発することで、加害の歴史を教訓として生かせると思っています。日本政府にも今回の戦争を終わらせるため、かつての戦争加害者の役割として、彼らに対話を呼びかけることはできないでしょうか。考えてほしいところです。