表現の自由は、その内容がどうであれ、これと切り離して保障されなければならない。当然といえば当然のこの理だが、これを貫徹することの難しさを痛感させられる。
「私は貴方の意見には反対だ、だが貴方がそれを主張する権利は命をかけて守る」という箴言は、ヴォルテールが述べたとされながら、実は誰も出典を特定できない。それでも人口に膾炙しているのは、その内容が名言中の名言だからだ。具体的な場においてこの原則を貫徹することはなかなかに困難である。実践困難だが正しいからこその名言である。
「シャルリー・エブド」に対するテロ事件の続報に考え込んでいる。街頭にくり出したヨーロッパやアメリカの民衆との連帯に違和感はない。しかし、オランドや安倍晋三、あるいは産経や読売とまで一緒に「言論の自由を守れ」の大合唱の輪の中にいることの居心地の悪さを感じざるを得ない。
我が国の戦後史において、今回のシャルリー襲撃事件に最も近似した事件は何であったろうか。「悪魔の詩」の訳者であった筑波大五十嵐一助教授の殺人事件(1991年7月)ではない。我が国におけるイスラムへの揶揄の言論がもつ社会的なインパクトは、フランス社会とは比較にならないからだ。
おそらくは、中央公論嶋中事件(1961年2月)がシャルリー攻撃に近似するものではないか。雑誌『中央公論』に発表された深沢七郎の小説「風流夢譚」の中に、皇太子・皇太子妃が斬首される記述があった。斬首された首が「スッテンコロコロ」と転がると描写された。これを不敬であるとして右翼の抗議の声があがり、加熱する批判と擁護の論争のさなかに、右翼団体に所属する17歳の少年が中央公論社の社長宅に押しかけ、社長不在で対応した家政婦を殺害した。
まぎれもなく、天皇制の神聖を揶揄する当代一流作家の言論への野蛮なテロ行為である。しかしこのとき、街頭に「私は中央公論」の声は起きなかった。ペンを立てた群衆の行動もなかった。むしろ、この事件を機に、ジャーナリズムの皇室に関する言論は萎縮した。中央公論社は右派に屈服し、「世界」と並んでいたそれまでのリベラルな姿勢を捨てた。
「シャルリー」は、イスラムの神と預言者の神聖を冒涜する言論によって、テロの報復を受けた。これに抗議し、「私はシャルリー」と声を上げることは、イスラムの神や預言者の神聖が尊重に値するものとしつつも、ヴォルテール流に神聖を冒涜する薄汚い言論の自由を尊重すると立場を明らかにすることなのだ。「シャルリーのイスラムを揶揄し冒涜する立場には反対だ、だがシャルリー紙がそのような立場の主張をする権利は命をかけて守る」ということなのだ。
敢えて、安倍晋三に問い糺したい。読売や産経にも聞いてみたい。天皇制の神聖を冒涜し、靖国の祭神を揶揄する言論についても、「そのような主張をする権利は命をかけて守る」と言う覚悟があるのか、と。
1月9日付産経社説は、「信教に関わる問題では、侮辱的な挑発を避ける賢明さも必要だろう。だが、漫画を含めた風刺は、欧州が培ってきた表現の自由の重要な分野である」と、表現の自由の肩をもっている。この原則を「天皇制や靖国に関わる問題では、侮辱的な挑発を避ける賢明さも必要だろう。だが、天皇や靖国を標的にしたものにせよ、批判や風刺は文明が培ってきた表現の自由の重要なその一部である」と、貫くことができるだろうか。ここにおいてこそ、ヴォルテール的な民主主義のホンモノ度が問われることになる。
今回テロに遭遇した言論はマジョリティのキリスト教を批判するものではなくマイノリティのイスラムを標的とするものであった。フランス社会では恵まれない側の人々が信仰する宗教への冒涜の言論であったようだ。かつての植民地支配を受けた末裔の宗教への揶揄でもある。マジョリティの側が「言論の自由を守れ」と言いやすい条件が揃っているように思える。
もし、ヨーロッパでキリストを冒涜する表現について、日本で天皇を揶揄する言論について、群衆が街頭を埋めつくして「マジョリテイの心情を傷つける言論であればこそ、より厳格にその自由を保障せよ」と叫ぶ時代が到来するそのとき、ヴォルテールがはじめて笑みを浮かべることになるだろう。
(2015年1月11日)
昨日1月5日の月曜日が、どこも仕事始めであったろう。
歳時記に
何もせず坐りて仕事始めかな (清水甚吉)
とある。なるほど、情景が目に浮かぶ。
本郷三丁目の駅から、サラリーマン軍団が神田明神に向かっていた。「何もせず」ではなく、神事で結束を確認する儀式に参加なのだろう。もしかしたら、上司の強制かも知れない。報道では、この日お祓いを受けた会社数は3000を超えたという。恐るべし、神道パワーいまだ衰えず。
もっとも、神田明神は天つ神の系統ではない。典型的な国つ神と賊神を祀る。天皇制との結びつきは希薄だ。自らを新皇と名乗った平将門を祭神とする神社として印象が深いが、実は3柱の祭神を祀っているという。一ノ宮に大国主を、二ノ宮に少彦名を祀って、平将門は三ノ宮に祀られているという。大国主が大黒、少彦名が恵比須信仰と習合して、産業の神となり、とりわけ恵比須信仰が商売繁盛に霊験あらたかと、資本主義的利潤拡大祈願の集客に成功したようだ。
それでも、神田明神とは将門の神社と誰もが思っている。天皇に弓を引いて、賊として処刑され首をさらされたと伝えられる反逆の将を祀る神社である。ここに、仕事始めのサラリーマンが押し寄せる図は、なかなかに興味深い社会現象ではないか。
一方、天つ神系の総本山、伊勢神宮では安倍晋三クンが仕事始め。参拝しただけでなく、ここで記者会見を行い年頭談話とやらを発表している。安倍クン、そんなところで、そんなことをしてちゃいけない。官邸で、「何もせず坐りて仕事始め」をしていた方が、ずっとマシなのだ。
安倍首相の年頭談話の冒頭が次の一節。
「皆様あけましておめでとうございます。先ほど伊勢神宮を参拝いたしました。いつもながら境内のりんとした空気に触れますと、本当に身の引き締まる思いがいたします。先月の総選挙における国民の皆様からの負託にしっかりと応えていかなければならない、その思いを新たにいたしました。」
各紙が、首相の伊勢参拝は新春恒例のこと、と異を唱えずに見過ごしているのが気になる。確かに、伊勢には靖国と違って、軍国主義や戦争のきな臭さがない。だから、近隣諸国からの抗議の声も聞こえてこない。しかし、外圧があろうとなかろうと違憲なものは違憲なのだ。
伊勢こそは国家神道の本宗であった。最高の社格・官幣大社の中でも特別の存在。憲法20条の政教分離とは、国家神道の復活を許さないとする日本国憲法制定権力の宣言である。とすれば、「政」(国家権力)の最高ポストにある内閣総理大臣が、伊勢神宮という「教」(神道)の最高格式施設に参拝することを許容しているはずもない。明らかな違憲行為として、首相の年頭参拝に「異議あり」と声を上げずにはおられない。
違憲・違法は、回数を重ね、時を経ても変わらない。労基法違反も男女差別賃金も、「これまでずっとやって来たことだから、今さら違法と言われる筋合いはない」などという会社側の開き直った言い訳は通らない。「毎年のこと。恒例だから問題ない」と言っても、伊勢参拝が合憲にはならない。ダメなものはダメ。違憲は違憲なのだ。
安倍晋三クン、キミの悪癖だ。憲法をないがしろにしてはいけない。8月の戦後70周年談話をどうするかは先のこととして、まずは伊勢神宮への参拝を反省したまえ。これも、天皇を神の子孫とする天皇制を支えた制度の歴史認識の問題であり、憲法遵守義務の重要な課題でもあるのだから。
(2015年1月6日)
「北星学園大学の植村隆さん雇用継続の決定について、各紙がそれぞれの社風で記事を書いている。東京新聞と北海道新聞がほぼ同じ内容。見出しに、「『脅迫に負けるな』支援受け」「市民の力の勝利」と文字が躍る。
この二つの見出しが事態を端的に物語っている。せめぎ合いは「卑劣な脅迫者」と「真っ当な市民」との間のものだった。最初は脅迫者側が優勢に見えたが、「脅迫に負けるな」という市民の声が大きなうねりになって結実し、「市民の力の勝利」に至ったのだ。このことの意味は極めて大きい。
道新に(東京にも)次のような感動的な一文がある。「これは市民の力の勝利だ」と述べた北星学園大学教員の名言である。
「今回、確信した。民主主義は政治家や学者によって守られるものではない。市民が納得のいかないことに声を上げ、議論をし、自らも説明責任を果たすことでしか、実現しない」
この度は、市民の側が成功体験を積み上げ自信をもった。
同じ道新に(東京にも)、次のコメントが紹介されている。
「結城洋一郎小樽商大名誉教授の話 北星大が脅迫に屈すると『あいつを気に入らないから辞めさせろ』と、あらゆる組織で同じことが起きかねない。今回の誇りある決断は、そうした風潮を抑止する。」「警察は警備を強化し、脅迫などの捜査を進めるべきだ。愉快犯であっても、厳しい態度を示すべきだ。」
不当な連中に間違った成功体験を経験させてはならないのだ。
朝日は、精神科医香山リカさんのコメントを掲載している。
「この間、…間接的に脅迫を肯定するかのような議論が、ネットを中心に一部で見られたのは大変残念だった。万一、また学問の自由や大学の自治を侵害する卑劣な行為が起きた場合、大学内部で対処せず、今回のように情報公開し、外部の支援者がスクラムを組んで大学を守る方法が有効ではないか。その意味でよい先例になったと思う。」
実に的確な指摘だと思う。(1)卑劣な行為起きた場合内部だけの問題としない。(2)情報公開し外部に訴える。(3)外部の支援者がスクラムを組んで卑劣な行為を糾弾する。香山さんは、今回の教訓をこのように定式化して、「よい先例になった」と評価しているのだ。
敢えてもう一つ付け加えるとすれば、(4)外部の犯罪行為には躊躇なく警察や検察の手を借りて取締りを依頼しよう。告訴や告発を躊躇することは、業務妨害や、脅迫・強要・名誉毀損・侮辱犯に間違ったメッセージを送ってしまうことになりかねない。北星への卑劣な脅迫者たちは、「これくらいのことはたいしたことはない」「俺たちの立場は政権や社会に支持されている」「こんなことに警察が手出しすることはないだろう」と思い込んでいたのではないか。
私が今回使った「成功体験」という言葉は、北大教授の町村泰貴さんのブログから借用したもの。便利で使いやすい言葉だ。この人のブログからは、教えられることが多い。
町村さんは、11月5日付のブログで、「北星学園大学は脅迫に屈することを選ぶ模様」と嘆いている。そのなかに、「このような形で脅迫に屈すれば、脅迫者たちの成功体験が次の脅迫を呼ぶことであろう。」という一文がある。指摘のとおり、彼らに「成功体験」をさせてはならないのだ。
町村さんは、さらにこう続けている。
「学問と言論の自由は、当然ながら、世間の反発を買うような内容の言動も含めて、その自由が保障される必要がある。もちろん内容面についての批判を受けることは甘受しなければならないのだが、それを超えて、辞職しろとか、自決しろとか、そのような脅迫を甘受する必要はないのであり、そのような脅迫は原則として取り締まりの対象となるべきである。
そして脅迫に対しては、大学は脅迫者に対する刑事告発や民事責任追及といった方法をもって対抗し、かつそれが危害を加えられるおそれに至れば、警備にコストがかかるかもしれない。そのコストは、本来脅迫者たちから損害賠償として取り立てるべき筋のお金である。」
ここまでが民事訴訟法学者の言である。この示唆を受けて、あとは実務法律家が語らなければならない。「大学が、脅迫者に対する刑事告発や民事責任追及といった方法をもって対抗する」には弁護士の助力を必要とする。道の内外を問わず、多くの弁護士が北星の役に立とうと身構えている。
町村ブログの重要な示唆は民事訴訟提起の勧めである。刑事告訴や告発も辞さないというだけでなく、民事訴訟も考慮せよというのが町村教授提案ではないか。なるほど、考えてみれば、大学が警備費用など余計な出費を負担する筋合いはないのだ。この損害は、脅迫に加わった多数加害者たちの共同不法行為として構成することが可能ではないか。住所氏名が判明した脅迫行為加担者には、警備費用などのコスト分を損害として賠償請求訴訟の提起が十分に可能である。共同不法行為が成立する以上は人数割りで損害が按分されるのではない。共同不法行為加担者の一人ひとりが、損害の全額を賠償する責任を持つことになる(民法719条)のだ。この際、いくつかの実例を作っておくことが、後々のために有益ではないだろうか。
その町村さんが昨日のブログでこう書いている。
「おりしも、パキスタンではあのマララさんを襲ったグループが学校を襲って100人以上もの死者を出した事件が今日報じられている。思想も過激さも大きく異る二つのケースだが、子どもを攻撃対象とする卑劣さにおいて北星学園大学脅迫犯とパキスタンの過激派とは同根だ。こうした連中を助長し、のさばらせ、共感したりすることは有害だ。
逆に、脅迫には屈しないということを選んだ北星学園大学に、心からのリスペクトを送りたい。」
まったく同感である。
(2014年12月18日)
北海道は今日は猛吹雪とのこと。そのなかで、北星学園にだけは暖かい陽が射し、さわやかな風が吹いたようだ。言論の自由と大学の自治を蹂躙しようとした卑劣な排外主義の横暴に歯止めがかけられたのだ。
まずは、北星学園理事長と学長連名の本日付下記声明を熟読いただきたい。苦悩しつつも、理性ある社会の連帯の声に励まされながら建学の理念を貫いた、その真摯な決意を読み取ることができる。
http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/2014_1217.pdf
まずは、北星学園の皆さんに敬意を表しなければならない。そして、この成果獲得の過程に満ちている多くの教訓を確認しなければならない。そしてまた、これですべてが解決したわけではない。このステップを確信として、さらに大きな支援の輪を広げなくてはならないと思う。
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元朝日新聞記者である植村隆氏は、23年前に2通の従軍慰安婦問題報道の記事を書いたとして故ないバッシングの対象とされてきた。二つの記事はいずれも立派なもので、これを非難するのは「理由なく難癖をつける」に等しい。にもかかわらず、同氏に対するバッシングは、本人のみならず家族に及び、さらにその矛先は勤務先の北星学園大学に向けられた。
本年の5月以後、心ない者の扇動に乗せられた卑劣きわまりない脅迫・強要・業務妨害の電話やメールが一斉に北星学園に押し寄せた。「大学への脅迫や抗議は5月?11月半ばだけでも2千近くに上った」(道新)という。この事態は、今の時代の空気を象徴するものとして、凝視しなくてはならない。排外主義の空気がこうまで色濃くなっているという背筋が寒くなる現実があるのだ。
攻撃の標的として確かに学校は弱い。北星学園は、大学生だけでなく中高一貫の女子校を抱えている。本当に安全を守れるのか、保護者を安心させることができるのか。トラブルのある学校への進学希望者が減るのではないか、いたずら電話などに完璧な対処ができるのか、心配は尽きない。職員にも大きなストレスがかかっている。現実に警備費用の負担が大きくのしかかっているとも聞こえてくる。経営の観点だけからなら結論は単純だ。一人の非常勤講師の雇用継続を拒否した方が合理的な判断であることは間違いない。
しかし、その北星学園は最終的に毅然とした判断に至った。本日植村氏の雇用契約を来年度も継続するむねを正式に発表した。経営ではなく敢えて理念にしたがった選択をしたのだ。
その経過は、北海道新聞に手際よくまとめられている。
「同大は当初、学生や受験生の安全を優先して、雇用を打ち切る方針で検討していた。しかし、大学を運営する学校法人の理事会などで、『雇用打ち切りはキリスト教を基礎とした建学精神に反する』と反対意見が多く出された。
また市民グループ『負けるな北星!の会』が発足し、全国の弁護士380人が脅迫状事件で容疑者不詳のまま札幌地検に告発するなど、支援の動きが国内外に広がった。札幌弁護士会が『民主主義に関わる』として協力を申し出たこともあり、大学は講師の契約更新に必要な安全確保ができると判断したとみられる」
本日の学長声明では、「暴力と脅迫を許さない動きが大きく広がり、そのことについての社会的合意が広く形成されつつあり、それが卑劣な行為に対して一定の抑止力になりつつあるように思われます」と言っている。極めて率直に正直に、「北星学園ひとりの力だけでは、この事態を乗り越えられない」「多くの人の励ましを得て、この社会の声の力強い後押しがあるなら乗り越えられるだろう」というのだ。
私たちは、もっともっと支援の輪を広げ、力強い応援をしなければならない。
言うまでもないことだが、大学運営の業務の平穏は守られなければならない。この業務平穏を妨害することは犯罪である。私たちは、2度目の告発を準備中で、今度は早期の起訴にまで持ち込みたいと考えている。
北星学園に対する「電凸」を「虚偽の風説の流布による業務妨害」(刑法233条)とするもので、近々札幌地検に告発状を提出する予定。電凸という用語は私も今回初めて知ったが、これは今やネット社会の住民のいやがらせ常套手段。これを防遏する意味が大きい。
卑劣な攻撃から平穏な学園を防衛するためには、さらなる刑事告訴や告発、場合によっては民事の損害賠償も考えねばならない。それが、社会の責任であり、人権と社会正義の擁護を使命とする実務法律家の使命でもある。これを徹底してこそ、民主主義的秩序を擁護することが可能となる。
あらためて背筋が凍る思いがする。もし、北星学園が暴力と脅迫に屈して逆の結論を出していたとしたら…。暴力と脅迫はさらにエスカレートし、至るところで跋扈しかねない。非理性的な排外主義の社会的圧力が、言論の自由や学問の自由、大学の自治を蹂躙しかねない。かろうじて、そうはならなかった。その意味で、今日は良い日だったのだ。吹雪荒れる日ではあっても…。
(2014年12月17日)
12月13日、世界に「南京アトロシティ」(大虐殺)として知られた事件が勃発した日。そして、今年は明日に第47回総選挙の投票日を控えた日となった。
77年前の1937年7月に北京郊外盧溝橋での日中軍の衝突は、たちまち中国全土への戦線拡大となった。同年11月19日、日本軍は占領地の上海から当時の首都南京を目指して進軍を開始した。
この南京攻略作戦は、中支那方面軍司令官の松井石根(陸軍大将・東京裁判でA級戦犯として死刑)が参謀本部の統制に従わずにしたものとされ、無理な作戦計画が糧秣の現地調達方針となって、進軍の途中での略奪や暴行などが頻発したとされる。
その進軍の到達地首都南京開城が12月13日。城内外が、その後3か月にわたるアトロシティの舞台となった。日本軍は、逃げ遅れた中国兵や子ども・女性を含む一般市民を虐殺し、強姦、略奪、放火などを行った。加害・被害の規模や詳細は推定するしかないが、死者数「十数万以上、それも20万人近いかあるいはそれ以上」(笠原十九司著『南京事件』岩波新書)と推測されている。
「南京アトロシティ」は、当時現地にいたジャーナリストや民間外国人から発信されて世界を震撼させた。しかし、情報管理下にあったわが国の国民がこれを知ったのは、戦後東京裁判においてのことである。その東京裁判では、老幼婦女子を含む非戦闘員・捕虜11万5000人が殺害されたとし、南京軍事法廷(1946年に国民党政府によって開かれた戦犯裁判)は30万人が殺されたとしている。
小学館「昭和の歴史・日中全面戦争」(藤原彰)に、次の記述がある。
「当時の外務省東亜局長石射猪太郎の回想録には、『南京アトロシティ』という節を設け、現地の日本人外交官からの報告にもとづき、局長自身、陸軍省軍務局長にたいして、また広田外相から杉山陸将にたいして、日本軍の残虐行為について警告したと書かれている。実数は不明だが、膨大な件数の日本軍による残虐行為が行われ、世界の世論をわきたたせたことは、明らかな事実なのである。」
「それはまさに、日本の歴史にとって一大汚点であるとともに、中国民衆の心のなかに、永久に消すことのできぬ怒りと恨みを残していることを、日本人はけっして忘れてはならない。」「この南京大虐殺、特に中国女性に対する陵辱行為は、中国民衆の対日敵愾心をわきたたせ、中国の対日抵抗戦力の源泉ともなった。」
もって、肝に銘すべきである。
日本国憲法は、過ぐる大戦における戦争の惨禍への深刻な反省から生まれた。戦争の惨禍とは、自国民の被害だけを指すものではなく、近隣諸国民衆の被害をも含むものと解さなければならない。日本国民は、決して戦争に負けたことを反省したのではない。無謀な戦争を反省して、この次は国力を増強して用意周到な準備の下、頼りになる同盟国と組んでの戦勝を決意したのでもない。戦争そのものを非人道的なものとしてなくす決意をしたのだ。だから、日本国民の戦争被害だけではなく、加害の事実にも真摯に向き合わねばならない。
日本人にとって、戦争被害の典型が広島・長崎の原爆であり、沖縄の地上戦であり、東京大空襲であろう。加害の典型が、占領地での南京アトロシティであり、731部隊・平頂山事件・捕虜虐待であり、また従軍慰安婦であろう。
幸いに、日本の戦争被害について、これを「でっち上げだ」という声は聞かない。にもかかわらず、安倍政権誕生以来、戦争における加害の事実を否定しようとする歴史修正主義者の跋扈が目に余る。自国に不都合なものであっても歴史的真実から目を背けてはならない。
歴史修正主義は、必然的に日本国憲法への敵対的な姿勢となる。あの戦争についての反省を拒否することは、憲法の成り立ちを否定し、とりわけ国際協調と平和主義を否定することになるのだ。
安倍政権がまさしくその立場である。これに鼓舞され追随して、ヘイトスピーチの横行があり、朝日バッシングがある。北星学園への卑劣な脅迫や一連のいやがらせもこれにつながるものである。
ことは、保守か革新かのレベルではないように見える。歴史に真摯に向き合うか否かは、保革の分水嶺ではない。加害の戦争責任を認める立場は、むしろ保守本流の立場であったはずではないか。
明日の投票日に、是非とも危険な安倍自民とこれへの追随勢力に、国民のノーの審判をしていただきたいものと思う。「この道しかない」と、あの忌まわしい「いつかきた道」に再び連れ込まれることのないように。
(2014年12月13日)
本日(12月10日)発売の「文藝春秋・新年号」に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」と題する朝日新聞植村隆元記者の「独占手記」が掲載されている。
私が普段この雑誌を購入することはない。が、今号だけは別。さっそく買って読んでみた。素晴らしい記事になっている。「週刊金曜日」・「月刊創」・ニューヨークタイムズ・東京新聞(こちら特報部)に続いて、ようやく出た本人自身の本格的な反論。
タイミングが実によい。明日(12月11日)が北星学園の理事会だと報じられている。この手記は、学園の平穏を維持する立場から植村講師雇用継続拒否もやむを得ないと考える立場の理事に、再考を促すだけのパワーをもっている。
手記は、植村バッシングが実はなんの根拠ももってはいないこと、にもかかわらず右翼メディアと右翼勢力とが理不尽極まる人身攻撃を行っていること、この異様な事態にジャーナリズムの主流が萎縮して必要な発言をしていないことを綿密に語っている。
これは今の世に現実に起きている恐るべき悪夢である。マッカーシズムにおける「赤狩り」とはこんな状況だったのであろう。あるいは天皇制下の「非国民狩り」もかくや。今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならないと思う。
植村手記はその最終章で、「頑張れ北星」「負けるな植村」の声が高まりつつあるとして希望を語っている。そして、自分を励ます言葉で結ばれている。まだまだ、救いの余地は十分にある。我々が声を上げさえすれば…。
手記は全27頁に及ぶ。時系列とテーマで、「手記その?」?「手記その?」の7章から成る。それぞれが読み応え十分な内容となっている。これまでの経緯を述べて、文春・読売・西岡力らのバッシングに対する全面的な反論になっている。
その手記に前置して、「我々はなぜこの手記を掲載したのか」という編集部の2頁におよぶコメントが付けられている。これはいただけない。文春編集部の懐の狭さを自白するお粗末な内容。しかし、それを割り引いても、植村手記にこれだけのスペースを割いたのは立派なもの。営業政策としての成功も期待したい。朝日バッシングの重要な一側面をなす植村問題について語るには、今後はこの手記を基本資料としなければならない。文春を購入して多くの人にこの記事を読んでもらいたいと思う。ただ読み流すだけでなく、徹底して読み込むところから反撃を開始しよう。
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植村手記に前置された文春編集部のリードは、あからさまな植村批判の内容となっている。読者には白紙の状態で手記を読ませたくないという姿勢をありありと見せているのだ。編集部なりの要約にもとづく植村への批判を先に読ませて、その色眼鏡を掛けさせてから手記本文を読ませようという訳だ。
このリードは、「植村隆氏が寄せた手記は、日本人に大きな問題を突きつけている」と始まる。読み間違ってはいけない。大きな問題とは、植村の言論に対するバッシングという手記執筆以前の異常な現象をさしているのではなく、この文章の文意のとおり、「手記」自体が問題だと言っているのだ。問題の具体的内容は、「(1)ジャーリズムの危機」、と「(2)社会の危機」だという。もう一度、間違ってはいけないと念を押さねばならない。「(1)ジャーリズムの危機」とは、23年前の記事に対する現今のメディアの執拗な攻撃のことではない。植村の手記に表れているジャーナリストとしての姿勢にあるのだという。植村が「真実を見極めるべきジャーナリズムの仕事にふさわしくなく、(従軍慰安婦)として被害にあったと主張する人に『寄り添う』と言っていること」を、危機だというのだ。これには驚いた。
次いで、「(2)社会の危機」とは、「植村氏とその家族に向けられたいやがらせ、脅迫の数々」を言っている。しかし、この明白な犯罪行為を含む卑劣な諸行為は、文春自身を含む、朝日バッシングに加担したメディアが主導して作りだした社会の雰囲気によって起こされたものではないか。そのことについての自省の弁はない。
ちなみに、数えてみたところ、「(1)ジャーリズムの危機」に関する記事は63行であるのに対して、「(2)社会の危機」に関する記事は9行に過ぎない。
もっとも、誰が読んでも、文春のリードの書き方はおざなりで切れ味にも迫力にも乏しい。91年当時の植村署名記事や今回の植村手記を、本気で批判しているとは思えない。「ジャーナリズムの危機」などという大袈裟な言葉が空回りしている。植村手記掲載に対する右翼からの批判を予想し、先回りして弁解の予防線を張っておこうという姿勢なのだろう。文春自身がジャーナリズムの萎縮の一つの態様を見せているのだ。
そんなことを割り引いても、植村手記掲載は月刊文藝春秋編集部の英断といって差し支えない。これが、植村バッシング終息への第一歩となりうるのではないか。
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「手記その?慰安婦捏造記者と書かれてー西岡力氏への反論」や、「手記その?バッシングの日々ー大学の雇用契約も解消された」を読むと、この社会は異常な心理状態にあると薄ら寒さを感じる。国賊や売国奴、反日の輩を探し出して天誅を加えなければならないとする勢力が跋扈しているのだ。このような排外主義者にメディアの商業主義が調子を合わせ、扇動的な言論を売っているという構図ではないか。
植村手記は押さえた筆で書いているが、「週刊文春」、「フラッシュ」、「週刊新潮」、「週刊ポスト」の名を挙げて、取材姿勢や記事の内容の問題点を具体的に指摘している。さらに、「読売の取材姿勢」については、小見出しを作って問題にしている。
これらのメディアの報道に追随して、無数の匿名のブログやツイッターが悪乗りのバッシングを競い合っている。その標的は最も高い効果を狙って、弱いところに集中する。今攻撃対象となっているのは植村氏の家族であり、北星学園なのだ。その卑劣な無数の言動のなかには、少なくない業務妨害や名誉毀損、侮辱、脅迫、強要などの明らかな犯罪行為が含まれている。
文藝春秋社や小学館などは、堂々たる主流の出版メディアではないか。まだ遅くない。その見識を示して、このような異様な現状を修復することに意を尽くすべきではないか。
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最終章「手記その?『負けるな植村!』ー私の何が悪かったのか」は、窮状を訴えつつも感動的な決意の表明であり、国民への呼びかけともなっている。「負けるな植村!」は、自身に対する激励である。91年に慰安婦問題の記事を書いた当時の32歳の植村が、今56歳になった北星学園講師の植村へのエールでもある。
「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃し、ひるませようとする勢力が2014年の日本にいる。それには屈しないと声を上げる人々もいる。お前も一緒に立ち向かえと、若き日の自分から発破をかけられているのだ。」
「私は『捏造記者』ではない。不当なバッシングに屈する訳にはいかない」
これが結びの言葉だ。私たちが、この言葉を受け止め、呼応する決意をつなげなければならない。
手記の文中に「『慰安婦問題』を書くと攻撃を受けるという認識が朝日新聞自体にも広がっているようだ。記者たちの萎縮が進んでいるように思える」「そこが私を攻撃する勢力の『狙い』なのではないか」「松蔭、帝塚山に続いて、北星も脅しに屈したら、歯止めが利かなくなる」とある。私たち一人ひとりに、このような萎縮と闘うことが求められている。
まずは、この手記を徹底して読みこもう。そして、植村氏と北星を激励しよう。さらに、自らの課題として「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃しひるませようとする勢力」に屈しない決意を固めよう。他人事ではないのだ。
(2014年12月10日)
幸いに、軍艦マーチも大本営発表もない。トップのニュースは徳島の積雪被害、次いでTPPについての各党の選挙政策、そしてアメリカの大陪審黒人差別問題。開戦のニュースはなかった。
NHKラジオのニュースに総選挙の政見放送が続いた。共産党の小池副委員長が、流暢にアベノミクスの失敗と消費税問題から説き起こし、重点政策を語った。
73年前の今日。1941年の12月8日も月曜日だった。今日と同じく、この日も寒気厳しく東京の空は抜けるように高く澄んでいたという。その日、午前7時NHK臨時ニュースの大本営陸海軍部発表で国民は「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と初めて知らされた。日中戦争膠着状態の中での新たな戦線の拡大である。これを、多くの国民が熱狂的に支持した。
この日国民はラジオに釘付けになった。正午に天皇(裕仁)の「宣戦の詔書」と東條首相の「大詔を拝し奉りて」という談話が発表され、午後9時のニュースでの真珠湾攻撃の大戦果(戦艦2隻轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破)報道に全国が湧きかえった。そうして、この日から灯火管制が始まった。
戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にする。73年前には気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされた。治安維持法が共産党の活動を非合法とし徹底して弾圧した。大本営発表だけに情報統制し、宣戦布告を「大詔渙発」として天皇を国民精神動員に最大限利用した。こんな歴史の繰りかえしは、金輪際ごめんだ。
今朝は7時のラジオニュースを聞きながら、布団のなかでぬくぬくと「平和」を満喫した。今のところ戦争はなさそう。軍機保護法も治安維持法もない。共産党も公然と政見放送ができる。これが安倍晋三が脱却を目指すとしている「戦後レジーム」なのだ。安倍晋三が取り戻そうとしている日本とは、「大本営発表の世界」ではないか。この日の宣戦の詔書は、早朝の閣議で確認されたもの。その閣議には、安倍が尊敬するという祖父・岸信介が商工大臣(在任期間1941年10月18日?43年10月8日)として加わっている。そんな日本の取り戻しなど許してはならない。
戦争は教育から始まる。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の弾圧から始まる。戦争は排外主義から始まる。新しい戦争は、過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、特定秘密保護法による外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正者の跋扈は、新たな戦争への準備と重なる。集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのだ。
こんな安倍自民に300議席など与えてはならない。12月8日の今日、強くそう思う。
(2014年12月8日)
12月3日付のニューヨークタイムズに、右翼的潮流による「朝日・植村バッシング」に関する記事が大きく掲載された。
下記URLで閲覧が可能である。
http://www.nytimes.com/2014/12/03/world/asia/japanese-right-attacks-newspaper-on-the-left-emboldening-war-revisionists.html?_r=0
見出しは、「歴史修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃」と訳して大きくはまちがつていないだろう。単に、植村隆・北星学園大学講師に対する卑劣な脅迫についての現象面の報道にとどまるものではなく、背後の構造をとらえての右翼的な潮流への批判となっている。匿名の右翼だけでなく、安倍晋三首相や読売新聞が名指しで批判の対象となっていることに注目しなければならない。
残念ながら、日本のメディアで、これだけまとまった朝日バッシング批判の記事に接したことがない。批判の姿勢も立派なものだ。とはいえ、日本のメディア事情について、内容はかなり悲観的だ。日本のジャーナリズム全体の沈黙に対する批判がある。
このニューヨークタイムズの記事が、良心的なグローバルスタンダードと言えるのだろう。外国メディアですら、声を上げている。私たちも黙ってはおられない。
とりあえず、全文を翻訳してみた。仮訳である。間違いも多かろうが、これで大意はつかんでいただけると思う。
拡散していただけたらありがたい。これが、反撃の第一歩に繋がればと思う。
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ニューヨークタイムズ
戦争修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃
マーティン・ファックラー 2014年12月2日
日本の札幌発
その記事を書いたとき、植村隆は33歳であった。当時日本の二番目に大きい朝日新聞の調査報道記者であった彼は帝国軍が世界第二次大戦時に女性が軍の売春施設で働くことを強制されたかどうかを調査していた。彼の「未だに涙を伴う記憶」と題する記事は韓国の慰安婦の物語の最初のものであった。
この25年も前の記事が、現在ジャーナリストを引退して56歳になる植村氏を政治的右翼がターゲットにしている。タブロイド紙が彼に韓国人の嘘をまき散らしている売国奴との烙印を押している。暴力の脅しが大学での教授の機会を一つ奪い、二つ目をまさに奪おうとしていると、彼は言う。超国粋主義者らは彼の子どもを追いかけ、ティーンエイジの彼の娘を自殺に追い込めと人々を扇動するインターネット記事を発信している。
こうした脅しは右翼のニュースメディアや政治家による、日本の保守主義者が好んで憎む朝日新聞に対する広範で痛烈な攻撃の一部である。しかし、この最近のキャンペーンは戦後日本における一番激しいものであった。安倍晋三首相をふくむ国家主義政治家が日本の進歩主義の政治的影響の要塞の一つを脅した攻撃の奔流をあらわにしたものである。戦時中の売春の強制にたいする1993年の政府の謝罪の再考を要求する修正主義者を勢いづかせるものでもあった。
「彼らは歴史を否定するように脅迫を使っている」と植村氏は言い、自分自身を守るための緊急の訴訟手続きにまで言及し、書類の束を持って、北の都市でインタビューに応じた。「彼らは黙らせようとして脅している」
メディアの言う「朝日新聞への戦争」は朝日新聞が批判者たちに屈服して、80年代と90年代初めに掲載した12本の記事を撤回した(今年)8月に始まった。これらの記事は、朝鮮の婦人を軍事売春施設へ誘拐したと述べた吉田清治という日本軍元兵士の言葉を引用している。吉田氏の証言は20年前に信憑性が否定されていたが、朝日新聞の態度をすかさずとらえて、135年つづいた新聞のボイコットを要求した。
10月には安倍氏自身が「朝日新聞の間違い報道はたくさんの人々を傷つけ、悲しませ、苦痛を与え、怒らせた。日本のイメージを傷つけた」と述べて、国会の委員会で攻撃をした。
この月の選挙において、解説者たちは日本の保守派は有力な左派新聞の脚を縛ろうとしたと分析した。朝日新聞はずっと日本の戦時軍国主義の賠償を支持し、安倍氏のほかの問題についても反対していた。しかし、2年前の選挙の壊滅的な敗北のあとにリベラルな反対派がさんざんな有様になるにつれて、だんだんに孤立化してしまった。
安倍氏とその同志は長い間うかがっていた大きな獲物、つまり日本軍が何万人もの朝鮮人や日本人でない婦人を戦時中に性奴隷として強制したという国際的に受け入れられた意見を追い詰めるチャンスとして朝日新聞の苦難をつかまえたのである。
大部分の歴史家の主流意見は帝国軍隊は侵略した征服地の女性を慰安施設として知られる軍営の売春施設で働かせるためにかり集めたということで一致している。その施設は中国から南太平洋に及んでいる。その女性たちは工場や病院の仕事を提供すると騙されて、慰安施設に着くと帝国軍人のための性的慰安を強制された。東南アジアにおいては施設で働かせるために女性をまさに誘拐したという証拠がある。
兵士たちと性行為を強制されたと後に証言した女性たちは中国人、朝鮮人、フィリピン人そしてかつてオランダの植民地であったインドネシアにおいて捕らえられたオランダ人であった。
しかし、戦争が始まったときすでに20年余も日本の植民地であった朝鮮において日本軍が女性を誘拐したり、捕まえたりしたという証拠はほとんどない。歴史修正主義者はこれを、女性たちが性奴隷として捕まえられたということを否定し、慰安婦は単に金のために軍について歩いた売春婦だと言いつのるための事実としている。彼らの意見によれば日本は、恨みを晴らそうとする南朝鮮によって繰りひろげられる中傷キャンペーンの犠牲者である。
吉田氏は嘘をついたー朝日新聞は1997年に彼の証言を変えるべくもないーという朝日の結論ではなく、正式訂正を出すのに時間がかかりすぎたということが、従軍慰安婦問題研究者にとっての驚きであった。朝日の記者たちは安倍政権がそれらの記事を朝日新聞記者を非難するために使うようになったがために朝日新聞はそれを結局はおこない、記録を率直に出すことによって攻撃が鈍ることを望んだといった。
にもかかわらず、その動きが弾劾の嵐をひきおこし、修正主義者に彼らの歴史解釈を引き起こす新しい引き金を与えることになった。彼らは外国の専門家たちを不信で頭を抱え込ませるようにした。つまり朝日新聞に従軍慰安婦が強制の犠牲者であったということを世界に納得させる責任があるとしむけたのである。
何人もの女性が苦難について証言するようになつたが、日本の右翼は国際的な日本非難を引き起こしたのは朝日新聞の報道が原因だと主張した。それらの非難には20世紀最悪の人権侵害のケースだとして明白で無条件の謝罪を要求した2007年の合衆国議会決議がふくまれる。
安倍氏とその同盟者にとっては、朝日を辱めることは、1993年の従軍慰安婦への謝罪をくつがえし、屈辱的な帝国日本の肖像画を削除したいという積年の願いを実現することである。右翼の多数は日本はアメリカ合衆国を含む第二次大戦の交戦国と較べて、悪い行いはしていないと言いつのっている。
「朝日新聞の今回の行いは修正主義者にとっては『それ見たことか』という機会を与えた」と中野晃一上智大学教授は言う。「安倍は日本の栄光を傷つけたという彼の歴史的な信念を追い求めるチャンスだと考えている」
朝日の保守的競争紙で世界最大の発行部数を誇る読売新聞はライバルの苦境について、従軍慰安婦報道の間違いを大きく扱った宣伝用リーフレットで大文字で書き立てた。8月以来、朝日の発行部数は約700万部のうち230797部も減少した。
右翼紙は植村氏を朝日が訂正した記事のなかに彼の記事などなかったにかかわらず、「慰安婦のでっち上げをした者」とあげつらっている。
植村氏は彼の味方をするメディアはほとんどないという。朝日でさえ怖がって彼を守ろうとはしなかった。のみならず、自分自身でさえ守らなかった。9月に、朝日新聞社長はテレビで謝罪し、編集長を処分した。
「安倍は朝日問題で他のメディアを自己検閲に追い込むよう脅している」と法政大学の政治学者山口二郎は言う。彼は植村氏を支える申し立てを組織している。「これは新しいマッカーシズムだ」という。
植村氏が地方文化と歴史を教えている北海道のミッションスクールである北星学園大学は超国家主義者の爆弾攻撃の脅しによって、彼との契約を見直そうとしている。先日の午後に植村氏の支持者たちが校内のチャペルに集まった。軍国主義へ向かう行進が異議を踏みにじった戦前の暗黒時代の過ちを繰り返さないように警告する説教を聞くためであった。
植村氏は公に姿をさらすことは気が進まないのでと説明して、参加はしなかつた。
「これは他のジャーナリストを沈黙追い込むよい方法だ」「彼らは私と同じ目にあいたいとは思わない」と彼は言った。
(2014年12月3日)
恒例の「学校に自由と人権を」集会。今年は、「今こそ子どもたちを戦場に送るな」という副題がつけられた。安倍政権発足以来まことにきな臭い。ヘイトスピーチデモの跋扈、特定秘密保護法、武器輸出3原則の放擲、国家安全保障会議、NHK人事、集団的自衛権行使容認の閣議決定、そして「従軍慰安婦」問題バッシング。「子どもたちを戦場に送るな」という、古めかしいはずのスローガンが、にわかにリアリティを持ち始めたのだ。
「日の丸・君が代」は、子どもたちを戦場に送る小道具として重要な役割を果たすだろう。この旗と歌に対する条件反射的な尊崇の念の植えつけとセットになってのことである。
本日の私の発言は20分。「君が代訴訟の現段階と今後の展望」と題して、詳細なレジメを提出した。が、発言の大意は以下のとおり。
「10・23通達」が発せられてから11年になります。この間、学校における国旗国歌への敬意表明の強制とは、一体どのような意味を持つことなのだろうかと考え続けてきました。解答が出せたわけではありませんが、私なりに4つの問題領域に分けて考えられるのではないかと思っています。
1番目の問題領域は、権力的な強制と、強制を受ける人の精神の内面との衝突あるいは葛藤の問題です。人が人であり、自分が自分であるために、あるいは教員が教員であるために、精神の内面の核となっているものは不可侵でなければならない。「日の丸・君が代」の強制は、このような人間の尊厳を破壊するものとして許されざるものではないだろうか。
「日の丸・君が代」は国旗国歌とされています。日本という国家の象徴です。目に見えない日本国が「日の丸・君が代」というデザインや歌詞・メロディとなって、目の前に形をなします。また、「日の丸・君が代」は戦前の大日本帝国と極めて緊密に結びついた歴史を背負っています。「日の丸に正対して君が代を斉唱する」行為は、現在ある日本国に敬意を表明することでもありますが、天皇を神とした時代の国家主義・軍国主義・侵略主義・差別思想を肯定し、その時代の国家を丸ごと肯定する要素を含むものと理解せざるを得ません。人によっては、自分が自分である限り到底服することができない、という思いがあって当然だと思います。
2番目の問題領域は、教育というものの本質や、憲法・教育基本法が想定する教育のあり方に照らして、「日の丸・君が代」の強制が許されるはずがなかろう、ということです。
本来、教育とは公権力の思惑とは無縁のところで、行われなければなりません。これが近代市民社会での基本原理といってよいと思います。しかし、例外なく、全ての権力は権力に都合のよい従順な国民の育成のための教育をしたくてならないのです。
その悪しき典型が、戦前の天皇制日本でした。天皇を神とし、神なる天皇のために生きることこそが臣民の幸せだと、靖国の思想を教育として説いたのです。その教育の結果が、戦争の惨禍であり、敗戦であったことは国民全てが骨身にしみたところです。
敗戦後は、その失敗の反省から国を作りなおし、原理の異なる憲法を制定しさらに教育のあり方を180度変えたはず。とりわけ、権力が教育の内容に介入してはならないとする大原則を打ち立てたはずなのです。にもかかわらず、どうして教育の場で、「日の丸・君が代」強制という権力による国家主義イデオロギーの刷り込み強制が許されるのか。重大な問題といわねばなりません。
3番目の問題領域は、そもそも権力というものには、できることの限界があるはずではないか。「日の丸・君が代」あるいは国旗国歌を国民に強制することは、立憲主義の大原則からなしえないことなのではないか、という問題です。
国家は、主権者国民によって権力を付与された存在です。主権者国民が主人で、国家はその僕、ないしは道具でしかありません。国民に役立つ限りで存続し運営されるに過ぎないものです。ところが、国民から委託を受けたその国家が、主人である主権者国民に向かって、「我に敬意を表明せよ」と強制することは、倒錯であり背理であるはずなのです。そのような権能は、公権力のなし得るメニューにはいっていないと指摘せざるを得ません。
最後4番目の問題領域は、直接には国家や権力の問題ではなく、社会の同調圧力の問題です。社会の多数派は少数派に対して、同じ思想、同じ行動をとるよう求めます。これに従わない異端者を排斥しようとします。極端には、国賊、非国民ということになります。今、社会の多数派は、「国旗国歌に対して敬意を表明することは国際儀礼ではないか」「社会人としての常識ではないか」「起立・斉唱くらいはすべきではないか」という態度です。
この多数派の意思が、民主主義の名の下に権力に転化して、「日の丸・君が代」強制となっています。政治的な権力を支え、「日の丸・君が代」強制を合理化しているものが、実は社会の多数派の意思であり同調圧力なのです。
本来一人ひとりの人権は、多数派の圧力からも、権力的な強権の発動からも守られねばなりません。むしろ、少数者の人権だからこそ脆弱で侵害から守られねばなりません。「日の丸・君が代」強制は立憲主義の原則上、公権力のなし得る権限を越えたものであることを厳格に指摘しつつ、教育への権力の介入を阻止するために、今後とも「日の丸・君が代」強制と闘っていかねばならないと思います。
厳しい現場で教育者としての良心を貫いて懲戒処分を受けている皆様には心から敬意を表明いたします。私たち弁護団も、ご一緒に訴訟活動に邁進する覚悟です。
(2014年10月25日)
「法廷で裁かれる日本の戦争責任ー日本とアジア・和解と恒久平和のために」(高文研)を読んでいる。600ページを超す浩瀚な書。日本の戦争責任を追及する訴訟に携わった弁護士が執筆した50本の論文集である。とても全部は読み通せない。結局は拾い読みだが、どれを読んでも、熱意に溢れ、しかも事件と書き手の個性が多彩でおもしろい。
各論文は、宇都宮軍縮研究室発行の月刊「軍縮問題資料」の2006年から2010年まで連載特集「法廷で裁かれる日本の戦争責任」として掲載されたものを主としている。これに加筆し、書き下ろしの論文を加えて、沖縄出身の端慶山茂君が責任編集をしたもの。同君は私と修習が同期、親しい間柄。
日本国憲法は歴史認識の所産と言ってよい。憲法自身が、前文において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する」と言っている。明治維新以来の国策となった富国強兵の行き着くところが侵略戦争と植民地主義であり、その破綻であった。その歴史への真摯な反省が、国民主権・平和・人権の理念に貫かれた憲法を創出した。また、侵略と植民地支配への反省こそが、大戦後の国際社会への日本の復帰の条件でもあった。ところが、今政権は、「戦後レジームから脱却」し「日本を取り戻す」と呼号している。日本の責任と反省を忘れ去ろうとしているごとくである。その今、日本の戦争責任を確認することには大きな意義がある。
「法廷で裁かれる日本の戦争責任」は、政治的・道義的な戦争責任ではなく、法的責任を追及しこれを明確にしようとする提訴の試みの集成である。15年戦争と植民地支配における「戦争の惨禍」の直接の被害者が、侵害された人間性の回復を求めて、日本国を被告として日本の裁判所に提訴したもの。
そのような戦争被害者が日本の戦争責任を追及した訴訟の数は多い。本書の巻末に、「戦争・戦後補償裁判一覧表」が90件を特定している。この表には日本人のみを原告とした訴訟の掲載は省かれている。原爆、空襲、沖縄地上戦やシベリア抑留の被害など、本書では10本の論文に紙幅か割かれている「日本人の戦争被害」の各訴訟を加えれば、優に100件を超すことになる。
本書は、そのすべてを網羅するものではなく、50本の論文が必ずしも1件の訴訟の紹介という体裁でもない。どの論文も独立した読み物となっており、どこからでも読むことができる。全体を「従軍慰安婦」「強制連行」「日本軍による住民虐殺、空爆、細菌・遺棄兵器」「韓国・朝鮮人BC級訴訟」「日本人の戦争被害」などに分類されている。各訴訟が、それぞれに創意と工夫を凝らしての懸命の法廷であったことが良く分かる。困難な訴訟に果敢に取り組んだ弁護士たちの熱意に頭が下がる。本書は日本の弁護士の良心の証でもある。このような献身的な働きが、各国の民衆間の信頼を形作り、平和の基礎を築くことになるだろう。今政権は、「戦後レジームから脱却」し「日本を取り戻す」と呼号して、日本の責任と反省を忘れ去ろうとしている。本書は、その禍根の歴史を忘れてはならないとする警告の書として読まれなければならない。
なお、本書の発刊が本年3月であるが、その後半年を経て、思いがけなくも本書は新たな発刊の意義を見出す事態となった。朝日新聞の吉田清次証言記事取り消しと、これに勢いづいた右翼メディアや靖国派政治家の、朝日や河野談話への執拗な攻撃である。あたかも「日本軍慰安婦」の存在そのものがなかったかのごとき言論が横行している。本書は、この無責任言論への有力な反論の武器となっている。悲惨な性奴隷としての実態のみならず、軍の関与も強制性も判決が事実認定しているのだ。時効・除斥期間、国家無答責、国家間の請求権放棄合意等々の厚い壁に阻まれて、勝訴には至らなくても、証拠に基づく裁判所の認定事実には重みがある。
1993年8月の「河野談話」の末行は次のとおりに結ばれている。
「なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」
「慰安婦」問題について本邦において提起された訴訟とは、1991年から93年にかけて提訴された「アジア太平洋戦争 韓国人犠牲者補償請求訴訟」「在日・宋神道訴訟」「関釜朝鮮人『従軍慰安婦』謝罪訴訟」の3件である。被害者らの勇気ある名乗り出と提訴が、河野談話を引き出したのだ。そして、韓国・朝鮮人「慰安婦」提訴の後には、中国・台湾・フィリピン・オランダ人などの訴えが続いた。訴訟が明らかにしたこと、訴訟が世に訴えたことは大きい。
本書の「まえがき」のタイトルが、「和解と恒久平和のために」となっている。そして、まえがきを要約した袴の惹句が、次のとおりである。
「日本の裁判所が日本の戦争責任について審理している裁判例50件を、主に訴訟担当弁護士が解説。戦争の惨禍の加害と被害の実相を明らかにし、日本とアジア諸国とのゆるぎない和解を成立させ、恒久平和実現への願いを込める!」
本書は、禍根の戦争の歴史を忘れてはならないとする警告の書である。来年は戦後70年となるが、情勢はますます、本書の警告を必要としている。図書館などに備えていただき、多くの人に目を通していただきたいと思う。
(2014年10月13日)