澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

安倍政権の国会召集拒否は「国民への説明責任を回避」ー「立憲デモクラシーの会」が見解

(2020年8月14日)

誰の目にも、いま国会審議が必要である。新型コロナ対策が喫緊の重要課題である。審議すべきテーマは多岐に及んでいる。豪雨災害への対応も必要だ。イージスアショア計画の廃棄に伴って敵基地先制攻撃能力論などという物騒なものが浮上してきた。アメリカからの思いやり予算拡大要求問題も、中国の香港弾圧問題もある。

通常国会を閉じずに会期延長すべきところ、政権・与党は強引にこれを打ちきって臨時国会を開会しようとしない。そこで7月31日、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党の野党4党は、憲法53条の規定に基づく臨時国会召集の要求書を提出した。

憲法第53条は、こう定めている。
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」

要求書の内容は「安倍内閣は、新型コロナウイルス感染症への初動対応を完全に誤り、『Go Toトラベル』に象徴される朝令暮改で支離滅裂な対応を続けて、国民を混乱に陥れているにもかかわらず、説明責任を果たしていない」というものと報道されている。しかし、問題はその内容の如何や正当性ではない。「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならない」というのが憲法の定めである。安倍内閣の、憲法尊重の意思の有無が問われているのだ。

今のところ、安倍内閣には、憲法尊重の姿勢は見えない。このことを巡って、憲法学者や政治学者でつくる「立憲デモクラシーの会」が昨日(8月13日)、衆議院議員会館で記者会見し、厳しく批判する見解を表明した。記者会見するに出席したのは、中野晃一・上智大教授、石川健治・東大教授、高見勝利・上智大名誉教授、山口二郎・法政大教授の4人。

同見解は、憲法53条の条文設置の趣旨を、「国会閉会中の行政権乱用防止のため一定数の議員の要求で、国会を自律的に召集する制度を設けている」「憲法違反が常態的に繰り返されている」「内閣の準備不足などとして、召集時期を合理的期間を超えて大幅に遅らせるのは、悪意すら感じさせる」と厳しく指摘している。

6月10日、那覇地裁で「憲法53条違憲国家賠償請求事件」一審判決言い渡しがあった。同判決は、「内閣には通常国会の開催時期が近かったり、内閣が独自に臨時国会を開いたりするなどの事情が無い限り、「合理的期間内」に召集する法的義務を負うもので、単なる政治的義務にとどまるものではない」としている。しかし、7月末の野党の召集要求に対し、政府・与党は早期召集に応じない方針を示している。つまり、敢えて違憲を表明しているのだ。これは、15年と17年の前科に続いて、安倍政権3度目の憲法違反行為である。

政権のこうした姿勢について、石川健治・東大教授(憲法学)は、「憲法改正手続きを経ずに、53条後段の削除と同じ効果が生まれている」と危惧を呈したという。また、中野晃一・上智大教授(政治学)は、「言葉の言い間違いではなく、安倍首相が『立法府の長』であることが現実化しつつある」と述べたとも言う。なるほど、そのとおりである。

なお、下記のとおり、同見解では「憲法上重大な疑義のある『敵基地攻撃能力』が政権・与党内で軽々しく論議されていることも、現政権の姿勢を示すもの」と言及されている。安倍政権、問題山積ではないか。一日も早く臨時国会を開催せよ。

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立憲デモクラシーの会が8月13日発表した見解の全文は以下の通り。

安倍内閣の度び重なる憲法第53条違反に関する見解

2020年8月

 新型コロナウイルスの感染拡大と経済活動の大幅な収縮に歯止めが掛からず国民生活が深刻な危機に見舞われるさなか、国会は閉じる一方で、来月にも国家安全保障会議で「敵基地攻撃能力」の保有に向けた新しい方向性を示す安倍晋三政権の意向が報じられている。

コロナ対策の当否など火急の案件だけでなく、国政上の深刻な課題が山積しているにもかかわらず、安倍首相は国会の閉会中審査に姿を現さず、記者会見もまともに開かず、何より憲法53条に基づく野党による臨時国会開催要求にさえ応じない。これは、主権者たる国民に対する説明責任を徹底して回避していると言わざるをえない。

そもそも憲法53条後段は、国会閉会中における行政権の濫用を防止する目的で、一定数の議員の要求により国会が自主的に集会する制度を設定したものであり、「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とするのは、衆参どちらかの少数派の会派の要求がありさえすれば、国会の召集の決定を内閣に憲法上義務づけたものである。

また、議員からの召集要求があった以上は、召集のために必要な合理的期間を経た後は、すみやかに召集すべきであるとするのが学説の一致した見解であり、近年は政府でさえ「合理的期間を超えない期間内に臨時国会を召集しなければならない」(2018年2月14日横畠裕介内閣法制局長官答弁)と認めている。さらに、本年6月10日那覇地裁判決は、「内閣が憲法53条前段に基づき独自に臨時会を開催するなどの特段の事情がない限り、同条後段に基づく臨時会を召集する義務がある」とする。議員の要求によって召集される臨時国会での審議事項は、上記の自律的集会制度の本質上、内閣提出の案件の存否にかかわらず、各院において自ら設定しうるものである。内閣の準備不足などとして、召集時期を必要な合理的期間を超えて大幅に遅らせようとするのは、憲法53条後段の解釈・適用に前段のそれを持ち込もうとする悪意すら感じさせる。

2015年と2017年につづいて2020年にもまた、このような憲法違反が常態的に繰り返されようとする事態は看過できない。そうした中、憲法上重大な疑義のある「敵基地攻撃能力」が政権・与党内で軽々しく論議されていることも、現政権の姿勢を示すものと言える。敵基地攻撃は国際法上preemptive strike すなわち先制攻撃と見なされるのは明らかで、政権内の言葉遊びですまされるものではない。安倍政権はいずれ終わるとしても、その負の遺産は消えない。これ以上、立憲主義や議会制民主主義を冒瀆することを許してはならない。

長崎被爆の日に見る、地元の真摯さと政権の不誠実。

(2020年8月9日)
8月9日、長崎被爆の日である。犠牲者に対する鎮魂の祈りをともにしたい。そして、この犠牲を繰り返さぬための決意を再確認しなければならない。

長崎市には、「原爆被爆対策部」がある。そこに「平和推進課」があって、さらに「総務企画係」「平和発信係」に分かれているようだ。

「平和推進課・総務企画係」は、原爆資料館・平和会館・永井隆記念館などの維持管理や市民の利用受付を担当し、「平和推進課・平和発信係」の所管業務が、《平和アピールの推進…核実験への抗議、8月9日に市長が発表する平和宣言の作成、広島市や国連と連携した平和事業の実施、インターネットによる平和アピール》《核兵器廃絶を求める国内外のNGOとの連携を図り、平和意識の啓発》《日本非核宣言自治体協議会事務局》《公益財団法人長崎平和推進協会との連携・協力による官民一体となった平和活動の展開》だという。

その「平和発信係」が管理するホームページに本日(8月9日付)の「長崎平和宣言」が掲載された。

https://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

 

長 崎 平 和 宣 言

 私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど 75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。

どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。

75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。

 私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。

 被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。

今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から 50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。

3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。

被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。

世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。
折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。

世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。

日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。

東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

2020 年(令和2年)8月9日

長崎市長 田 上 富 久

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平和宣言の掲載に限らず、「平和推進課・平和発信係」のホームページには、真摯さが満ちている。平和と核廃絶を訴える本気さが感じられる。このホームページを閲覧するだけで、原爆の恐怖と、核廃絶に向けた多くの人の努力を知ることができる。

https://nagasakipeace.jp/japanese.html

これに反して、まったく真摯さも本気さも感じさせないのが、いつもながらのアベ晋三の言。本日の式辞は、6日の広島での式辞とほぼ同じ原稿の棒読みでお茶を濁した。「8月6日」を「8月9日」に、「広島」を「長崎」に書き換えた程度のもの。

目の前で、長崎市長が被爆の犠牲者を代理して、「核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。『戦争をしない』という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください」と、悲痛に訴えているのだ。これを聞き流して恥じないのが、アベのアベたる所以。のみならず、「記者会見」は、2社の記者の質問に対して、予め用意した原稿を読み上げるだけのお粗末。

いったいどうして、こんな人物が、いつまでも行政のトップにいるのだろうか。広島と長崎と沖縄を除いて、日本国民は、それほどに安倍政治に寛容なのだろうか。

アベ政権って、いったい何だ? これだ。

(2020年8月8日)

本日(8月8日)、第59回日本民主法律家協会定時総会が開催された。
コロナ禍のさなか、リアルの出席者はできるだけ押さえて、大半はOn-lineでの参加。これをハイブリッド方式というそうだ。昨年までは考えられなかったこと。

人事では、右崎正博代表理事が勇退して、新理事長に新倉修氏が就任した。事務局長は、米倉洋子氏が留任。また、33年にわたって事務局員として協会の実務と「法と民主主義」編集を支えて来られたた林敦子さんが退任の挨拶をされた。

恒例の相磯まつ江記念「法と民主主義賞」の授賞式も、今年は第16回となった。
受賞者は2019年4月号の「特集・日韓関係をめぐる諸問題を検証する」の執筆者である下記の各氏。

◆日・朝・韓関係の戦後史と現状 … 和田春樹
◆日韓の戦後処理の全体像と問題点 … 山本晴太
◆中国人強制連行強制労働事件の解決事例と韓国徴用工問題解決への展望 … 森田太三
◆韓国徴用工裁判の経緯、判決の概要と今後の取り組みについて … 川上詩朗
◆徴用工判決と金景錫事件 … 梓澤和幸
◆日韓合意の破綻……「慰安婦」問題と日韓関係 … 大森典子
◆韓国の側から見た日韓関係の現状と提言 … 李 洪千

特別賞として、19年7月号特集『軍事力に頼らない安全保障とは』の中の論文
◆平成27年「安保法制」による集団的自衛権行使容認の違憲性 … 宮?礼壹
に授与された。

広渡清吾選考委員長から選考経過と受賞理由についての解説があり、受賞者の森田太三、宮?礼壹の両氏から、さすがに聞かせる挨拶があった。

なお、今年の春、相磯まつ江氏は、天寿を全うされて97歳の生涯を閉じられた。長女の芹沢真澄氏が、母の志と「法と民主主義」への思いを語って、「今後も、相磯まつ江記念賞の継続を」と訴えられた。

記念講演は、石田勇治氏(東京大学教授・歴史学)の「ナチドイツの経験に見る 緊急事態条項の危険性」である。時宜に適ったもので、要約が「法と民主主義」に掲載されることになるだろう。

総会アピールの全文を紹介しよう。やや長文だが、面白い。あらためて、アベ政権って、いったい何なんだ? という問に対する回答である。

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コロナ禍の今を見つめ、安倍政治に終止符を打ち、
平和で民主的で個人の尊厳が守られる政治に転換しよう!

2020年8月8日 日本民主法律家協会

(はじめに)新型コロナウィルス感染拡大は、安倍政権が市民の命と生活を守らない政権であることを白日の下にさらけ出した。営業停止要請や失職に対する補償はないに等しく、有効な感染防止策を打つことができない。しかも、感染者数が急増する中、巨費を投じて旅行を奨励する「Go-Toトラベルキャンペーン」を強行するなど、支離滅裂なパフォーマンスと明らかな税金の無駄遣いは目を覆わんばかりである。
コロナ禍の中、市民の政治的関心が高まる一方、政権への不信は深刻化している。5月に検察庁法改正法案が約900万の抗議のツイッターの力で廃案になったことは、その現れである。今こそ、安倍政権に代わる、平和で民主的で市民1人1人の尊厳が守られる、市民と野党の新しい政権が必要である。
9月にも解散総選挙が予想される今、2012年12月に発足して7年7か月になる第二次以後の安倍政権がどのような政権だったかを改めて振り返り、政権交代が必須であることを確認したい。

(権力の集中)安倍政権は、発足と同時に、国の根幹部分の人事を官邸が握る手法で権力の集中をはかった。日銀総裁、内閣法制局長官、NHK会長を交代させ、内閣人事局を設置して各省庁の幹部人事を官邸が一括して握った。恣意的な人事は司法にも及び、最高裁判事の任命において日弁連の推薦を初めて拒否した。ただし今年、検察庁法改正により検察幹部の人事も内閣が握る体制を作ろうとしたが、世論の強い反対の前に同法案は廃案となった。

(軍事大国化への暴走)安倍政権は、歴代自民党もなしえなかった方法で、日米軍事同盟の強化による軍事大国化への道を暴走した。政権発足後直ちに国家安全保障会議(日本版NSC)を設立し、米軍との情報共有のための特定秘密保護法を成立させ、2014年7月には集団的自衛権を容認する閣議決定を行い、2015年9月市民の強い反対の声を押し切って戦争法(安保法制)を強行採決した。その後は、戦争法による新任務を与えて戦闘状態にある南スーダンに自衛隊を派遣し、本年1月には「調査研究」名目で自衛隊を中東に派遣するなど、自衛隊の海外派遣を積み重ねた。
また、唯一の被爆国でありながら、2017年122か国の賛成で採択された核兵器禁止条約に反対した。
防衛費は、第二次安倍政権以降8年連続で増額され、トランプ大統領の言いなりにアメリカ製兵器を大量購入し、2020年度防衛予算は5兆3000億円を突破した。沖縄では県民の明確な意思を無視し、巨費を投じて辺野古基地建設を強行している。
中国や北朝鮮への敵視も異常である。第二次世界大戦中の日本のアジア侵略を反省する姿勢がないことから、韓国の徴用工判決を巡って日韓関係も最悪となっている。東アジアの平和を構築しようとする姿勢は皆無であり、かえって緊張関係を高めている。最近首相は、北朝鮮を対象とする敵基地攻撃能力論を言い出しており、「戦争をする国」への野望はとどまるところを知らない。

(9条改憲への執念)安倍政権は、発足と同時に「戦後レジームの転換」、「日本を取り戻す」と叫び、憲法尊重擁護義務を投げ捨てて憲法改正を政策の前面に掲げた。ただし、復古調の自民党改憲草案や憲法96条改正が世論の支持を得られないとわかるや、明文改憲の主張はいったんおさめ、集団的自衛権行使を盛り込んだ安保法制を成立させて9条の「実質改憲」を果たした。その上で、2017年5月、憲法9条1項2項を維持しつつ自衛隊を憲法に明記する改憲を2020年までに実現するとのメッセージを発し、これに、緊急事態条項、教育の充実、参議院の合区解消を加えた「改憲4項目」を打ち出した。しかし、改憲を望まない世論の力で、現在までの3年3か月、「安倍改憲」の議論は一歩も進ませていない。

(大企業と富裕層のためのアベノミクス)安倍政権は、デフレを克服し景気を浮揚させるとして、「アベノミクス」と称する経済政策を強行した。しかし、アベノミクスは、日銀に大量の株式や国債を引き受けさせて、株高と湯水のような公共投資を実現するものであり、大企業と富裕層には過去最高水準の利益をもたらしたが、労働者の所得は増えなかった。非正規雇用が増え、年収200万円以下のワーキングプアは1000万人を超え、社会保障は年々削減され、消費税は5%から8%に、8%から10%にと引き上げられ、格差と貧困は拡大する一方である。

(権力の私物化)安倍政権はまた、権力の私物化を大胆に行った。森友学園問題では、学校建設用地の売買において、安倍首相夫人の関与により9億円余の国有地を8億円値引きさせた。加計学園問題では、理事長と安倍首相が「腹心の友」であるところ、獣医学部新設について文科省の反対を安倍首相が抑え込んだ。7年連続で行われた首相主催の「桜を見る会」では、安倍後援会の会員を800名以上招待し、予算の3倍以上の国費を費やしていたことが明らかになった。

(相次ぐ閣僚の辞任)安倍政権の下では、10名もの閣僚が公職選挙法違反の不祥事や失言で辞任した。しかし、安倍首相が任命責任をとって辞任することはなく、森友、加計、「桜」など安倍首相こそが辞任すべき案件においても絶対に責任を認めることはなかった。

(公文書の隠蔽・改ざん)公文書の隠蔽・改ざんが多発したことも、安倍政権の大きな特徴である。
森友学園問題では、安倍首相夫人の関与が記載された近畿財務局の公文書が改ざんされ、これに関与させられた職員が自殺するという痛ましい事件が起きた。加計学園問題でも、官邸の関与を裏付ける記録が作成されていなかった。「桜を見る会」では、国会議員の質問通告の直後、招待者名簿が廃棄された。
これらの他、自衛隊の南スーダンの日報やイラク派兵時の日報の隠蔽、裁量労働制に関する労働時間のデータや「毎月勤労統計調査」のデータの偽装、コロナ専門家会議の議事録不作成など、安倍政権下における情報隠しや偽装は枚挙にいとまがない。2013年12月成立した特定秘密保護法は、内閣が勝手に秘密指定をすることによって市民の知る権利を奪うものであり、公文書隠蔽の法制化である。

(反憲的法案の採決強行)安倍政権は、2013年12月の特定秘密保護法、2015年9月の戦争法(安保法制)、2017年6月の共謀罪、2018年5月の働き方改革関連法案における高度プロフェッショナル制度の導入などの反憲法的な重大法案について、市民の強い反対の声に背を向け、数の力による採決強行を繰り返してきた。なかでも、過去3度廃案になった共謀罪法案は、「中間報告」の手法で参議院法務委員会の審議を省略し、参議院本会議で採決が強行された。まさに民主主義を踏みにじる暴挙であった。

以上をみるならば、安倍政権は日本国憲法に基づく国の形を変えてしまった、戦後最悪の政権であると断ぜざるを得ない。この最悪の政権に終止符を打ち、安倍政権が行ってきた悪政・失政を一つ一つ覆し、平和・人権・民主主義を守る市民のための政治を築くことは、まさに必須の課題である。
日本民主法律家協会は、そのために全力をあげる決意である。

「核抑止論は虚構に過ぎない」 ー 広島平和式典挨拶から

(2020年8月6日)
1845年8月には、忘れることのできない諸事件が重なった。8月15日は、日本の歴史を分かつ日として、日本人にとって忘れてはならぬ日。これに対して、8月6日は世界の人類全体が戦慄の感情をもって記憶すべき日である。

あれから75年目の8月6日。本日も青い真夏の空の下、広島市の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。コロナ禍のさなかの式典として、規模は縮小された。その準備の過程で、平穏な式典の進行を求める主催者(広島市)と、式典の意義にこだわる市民団体との間に摩擦のあったことが報道されている。

敢えて単純化すればこんなことだろうか。市民団体側は、「平和式典は核廃絶につながるものでなければならない。にもかかわらず、式典主催者は、遺族の慰霊のみを目的とする式典にしようとしているのではないか。式典周辺での拡声器使用自粛要請はその表れにみえる」

これに対して市は、飽くまで「原爆死没者の慰霊」と「世界恒久平和の実現の祈念」の両者を式典の理念とするもので、決して「慰霊」だけを目的としているものではないという。

拡声器の音量については妥協が成立して、平穏に本日の平和式典は進行したようだが、核廃絶のための喫緊の課題は、2017年に国連で採択されたが未発効の「核兵器禁止条約」について締約国を増やすこと、まずは日本政府が「締約国」となるべきことである。そして、もう一つ。黒い雨訴訟の一審判決への控訴期限が迫っている。被爆者救済の切実な具体的問題が眼前にある。

松井一実市長は、平和宣言の中でこの点について次のとおり訴えた。訴える先は、目の前にいるアベ晋三である。

 これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

 国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。

 そのためにNPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。

また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

これに対して、アベ晋三はどう応えたか。

75年前、1発の原子爆弾により廃虚と化しながらも、先人たちの努力で見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにし、平和の尊さに思いを致しています。
 広島と長崎で起きた惨禍と、もたらされた人々の苦しみは、繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を前に進めることは、わが国の変わらぬ使命です。
 本年は被爆75年という節目の年です。非核3原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促し、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードしていきます。
 核拡散防止条約(NPT)が発効50周年を迎えました。結束した取り組みを各国に働きかけ、積極的に貢献します。
 「核兵器のない世界」の実現へ確固たる歩みを支えるのは、核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取り組みです。わが国は被爆者と手を取り合い、被爆の実相への理解を促す努力を重ねていきます。
 原爆症の認定について、迅速な審査を行い、高齢化が進む被爆者に寄り添いながら、総合的な援護施策を推進します。

 全てを抽象論でごまかした、恐るべき無内容。完全なゼロ回答である。被爆者や遺族の面前で、「核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めていただきたい」「多くの人々の苦悩に寄り添い、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。」との訴えの拒絶である。このくらいのシンゾウの強さ、面の皮の厚さでないと、保守政権の維持はできないのだろう。いちいち国民の要望に耳を傾けていては、きりがないと言うことなのだ。

なお、この日注目されたのは、「核抑止論は虚構に過ぎない」という湯崎英彦・広島県知事の挨拶である。これも、アベ晋三の面前での発言として、重みがある。下記は、そのさわりである。

 なぜ、我々広島・長崎の核兵器廃絶に対する思いはこうも長い間裏切られ続けるのでしょうか。それは、核による抑止力を信じ、依存している人々と国々があるからです。しかしながら、絶対破壊の恐怖が敵攻撃を抑止するという核抑止論は、あくまでも人々が共同で信じている「考え」であって、すなわち「虚構」に過ぎません。

 一方で、核兵器の破壊力は、アインシュタインの理論どおりまさに宇宙の真理であり、ひとたび爆発すればそのエネルギーから逃れられる存在は何一つありません。したがって、そこから逃れるためには、決して爆発しないよう、つまり、物理的に廃絶するしかないのです。

 幸いなことに、核抑止は人間の作った虚構であるが故に、皆が信じなくなれば意味がなくなります。つまり、人間の手で変えることができるのです。どのようなものでもそれが人々の「考え」である限り転換は可能であり、我々は安全保障の在り方も変えることができるはずです。いや、我々は、人類の長期的な存続を保障するため、「考え」を変えなければならないのです。

 もちろん、凝り固まった核抑止という信心を変えることは簡単ではありません。新しい安全保障の考え方も構築が必要です。核抑止から人類が脱却するためには、世界の叡知を集め、すべての国々、すべての人々が行動しなければなりません。

 皆さん、今こそ叡知を集めて行動しようではありませんか。後世の人々に、その無責任を非難される前に。

この知事発言は、子ども代表が朗読した「平和への誓い」と通底している。

 血に染まった無残な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
 「あのようなことは二度と起きてはならない」
 広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
 人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
 私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
 私たちは、互いに認め合う優しい心を持ち続けます。
 私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。
 被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々が諦めずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。

この二つのメッセージをつなげると、ほら、何とか希望が見えてくるではないだろうか。

週刊ポスト「安倍首相を引きずりおろす」「今こそ落選運動を」特集の意味。

(2020年8月3日)
本日の各紙朝刊に、週刊ポスト(8月14・21日合併特大号)の大広告。イヤでも目に飛び込んでくる冒頭タイトルが、白抜きの「今こそ落選運動2020を始めよう」である。落選させようという対象に驚く。なんと、「安倍首相を引きずりおろす『国民の最強手段』がこれだ!」。保守色のイメージが強い小学館の週刊ポストが、安倍首相を引きずり下ろせキャンペーンの大見出しなのだ。

世には、定評というものがある。講談社はリベラルで、小学館は保守というのもその一つ。だから、週刊現代は政権批判に厳しいが、週刊ポストは生温い。いやどうも、この思い込みもあてにならない。あの嫌韓イメージの強い週刊ポストが、かくも果敢に安倍政権攻撃の特集を組もうとは、びっくり仰天というほかはない。そして、仰天のあとには考えさせられる。

週刊ポストの広告は、「落とすべき議員リスト」を挙げる。本文では実名が語られているのだろうが、広告では下記のとおりだ。
・無策でコロナ禍を拡大させた7人
・緊急事態宣言中に私腹を肥やした6人。
・スキャンダルを”なかったこと”にした6人。
・政権交代の邪魔になる野党の7人 ほか

これは、さすがだ。確かに、誰もが、こんな議員は落とすべきだと思うに違いない。読者の共感を獲得しそうではないか。

さらに驚くべきは、「10・25総選挙『289選挙区&比例』完全予測」である。「自民68議席減、野党連合73議席増!」「総理大臣もニッポン政治も変わる!」とのシミュレーションを提示している。

10月25日総選挙の根拠については分からないが、仮に、ここで総選挙となれば、現状286の自民党議席は68減となって、216となる。過半数に必要な233を下回るというのだ。代わって、「野党連合73議席増!」となる。もちろん、アベ晋三は総理の座から追い落とされる。日本の政治は変わらざるを得ない。

もっとも、このシナリオには条件が付いている。野党連合が成立し、各小選挙区に一本化された野党連合候補が擁立されなければならない。これさえできれば、週刊ポストシミュレーションが現実味を帯びてくる。

週刊ポストが、このような特集を組んだことの意味は大きい。30万部超の発行部数をもつ週刊誌の編集者が、世の空気を「反安倍」の風向きと読んだのだ。今や、安倍政権への提灯記事では部数は増えない。「安倍首相を引きずりおろす」という特集記事でこそ、ポストは売れると踏んだのだ。

しかも、もっと具体的に、国民は「コロナ対策での政権の無為無策」に憤っており、「緊急事態宣言中に私腹を肥やした安倍政権に近い議員もいるぞ」「安倍政権下であればこそ、スキャンダルを”なかったこと”にした議員もいる」「政権交代の邪魔になる野党の議員をあぶり出せ」。こんな議員たちを落選させようというアピールが多くの国民を引きつけると判断している。

このポストの特集は話題を呼ぶことになるだろう。その話題が反アベの世の空気を増幅することにもなるだろう。類似の企画を生むことにもなる。安倍指弾の世論は着実に興隆することになるだろう。

この広告を載せた、本日(8月3日)の朝日新聞朝刊が、「内閣支持率30代も低下」という解説記事を掲載している。「安倍内閣の「岩盤支持層」だった30代が、コロナ禍の対応を評価せず、支持離れの兆し」「コロナ対応に不満」という内容。

「今年5月の世論調査では、30代の内閣不支持率は45%で、支持率27%を大きく上回り、全体の支持率を押し下げる要因となった。」というのだ。

また、「本日(8月3日)発表されたJNN(TBS系)の世論調査では、内閣支持率が35.4%、不支持率は62.2%を記録。JNNは2018年10月に調査方法を変更しているとはいえ、第二次安倍政権発足後、支持率最低と不支持率最高を記録したことになる」という。

週刊ポストに先見の明あり、ということのようである。

安倍内閣は、速やかにコロナ対策臨時国会を招集せよ

(2020年8月2日)

梅雨は明けたか、
コロナはまだかいな。

コロナ明けるまで、
気が気でならぬ。

とにもかくにも
国会開いて審議を尽くせ。

 一時はおさまっていたかに見えた新型コロナの感染だが、このところ確実に再拡大しつつある。ウイルス感染の拡大は国民一人ひとりの生命・健康と生活、さらには経済活動に関わる。政治は、国民の叡智を結集してコロナに対応しなければならない。そのためにこそ、国家はある。無為無策を決めこんで、傍観していることは許されない。国民の目に見えるところで、知恵を出せ。汗をかけ。

また、主権者から権力を付託された政権がこれを奇貨として暴走することを許してはならない。何をしているのか、国民に全てをさらけ出せ。

そのためには、直ちに国会を開かねばならない。国民の目に見えるように、専門知を結集せよ。確かな根拠に基づく、適切な対応策を策定せよ。その政策の施行の合理性を国民に説明して、協力を求めよ。決して、過剰に国民の人権を制限してはならない。

安倍政権は、自ら臨時国会を招集してしかるべきだが、何を恐れてかやろうとしない。そこで4野党が連合して、「臨時国会召集」要求に至った。一昨日(7月31日)のこと。臨時国会開催要求の理由について、「新型コロナウイルス感染拡大が続くなか、安倍晋三首相が説明責任を果たしておらず、対策の拡充・見直しを図るためには召集が必要」としているという。これは、憲法53条に基づく憲法上の権利の行使である。内閣には、国会召集についての憲法上の義務が生じていることになる。

憲法53条には、こう書いてある。

「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

要求者となった国会議員の数は131人、衆参各議院の総議員の4分の1以上となっている。とすれば、「内閣は、臨時国会の召集を決定しなければならない」のだ。それ以外の選択の余地はない。

ところが、憲法大嫌いの安倍政権である。軽々に憲法に従いたくはないと、駄々をこねているのだ。実は、これが3度目のこと。

内閣の言う理屈は、こうだ。「憲法53条には、いつまでに内閣が臨時国会の召集を決定しなければならないのか、その期限が明記されていない。だからいつまでに臨時会を招集するかについて内閣は縛られない」という。これを「詭弁」というのはきれいに過ぎる。「屁理屈」というのがふさわしい。

法解釈の常道においては、期限の猶予が付されていない以上は、「直ちにその召集を決定しなければならない」ことになる。手続上どうしても必要な期間を控除してできるだけ早い期間に、ということになる。

要求書の中では、「(政府の)後手後手の対応は事態を収束させるに至らず、感染者は再び急増、深刻な事態を招いている」と指摘しているという。ぐずぐずしているうちに、コロナ禍は爆発的に蔓延して時期を失してしまうことにもなりかねない。遅い国会召集は、召集拒絶に等しい。

大島衆院議長は「国民の負託に応えるために、速やかに要求書を内閣に送付するとともに、与党側にも受け止めを聞く」と応じている。駄々っ子同然のアベ政権だが、是非とも何とかしていただきたい。

ところで、那覇地裁は6月10日、「憲法53条違憲国家賠償請求事件」判決を言い渡し。憲法53条に基づく臨時国会召集は「憲法上明文をもって規定された法的義務」だと判示。召集時期について内閣に認められる「裁量の余地は極めて乏しい」とも指摘している。

当ブログの下記記事も参照されたい。
「憲法53条違憲国家賠償訴訟」那覇地裁判決に見る、安倍内閣の憲法無視の姿勢。
https://article9.jp/wordpress/?p=15092

この判決、朝日新聞の「国会召集『内閣に法的義務』 憲法53条めぐり初判決」という紹介記事以上でも以下でもない。

この訴訟の原告は、衆議院議員の赤嶺政賢・照屋寛徳、参議院議員の伊波洋一・糸数慶子(当時)の4名。国を被告としての国家賠償請求訴訟である。憲法53条後段に基づいて、臨時国会の召集を内閣に要求したのに、安倍内閣は憲法を無視して、この要求に応じなかった。明らかに違憲・違法な内閣の行為による損害(各1万円)について、国家賠償法1条1項に基づいて賠償を求めるという事件である。

判決は、次のとおりに、【争点を整理】した。

争点(1) 内閣による臨時会の召集の決定が憲法53条後段に違反するかの法的判断について,裁判所の司法審査権が及ぶか(本案前の争点)
争点(2) 本件召集要求に基づく内閣の召集決定が,本件召集要求をした個々の国会議員との関係において、国賠法1条1項の適用上,違法と評価されるか。
争点(3) 本件召集が実質的には本件招集要求に基づく臨時会の召集とはいえず,または,本件召集が合理的期間内に行われたものとはいえないとして,憲法53条後段に違反するものといえるか
争点(4) 原告らの損害の有無及びその額

以上の各争点を判決はどう判断したか。
争点(1)の判断においては、被告国の言い分を斥けて、裁判所の司法審査の権限は憲法53条後段違反の有無について及ぶと判断した。被告国は、「そもそもこの件に裁判所の出番はない」「三権分立の在り方から、本件を裁判所が裁くことはできない」と主張したのだが、裁判所の採用するところとはならなかった。
各紙が報道しているとおり、53条後段にもとづく内閣の臨時会招集義務は、「単なる政治的義務にとどまるものではなく、法的義務であると解され、(召集しなければ)違憲と評価される余地はあるといえる」と判決は言う。これは、今後に生かすべき本判決の積極面。

ところが判決は、争点(2)では被告国の言い分を容れた。憲法53条後段は、議員の臨時会召集要求があれば、内閣には招集決定の法的義務が課せられるものではあるが、その義務は召集要求をした個々の国会議員との関係における義務ではない。従って、その義務の不履行が国賠法1条1項の適用上,違法と評価されることにはならない、というのだ。その結果、争点(3)も(4)も、判断の必要がないとされてしまっている。これでよいのだろうか。

結局、この判決は、こう言ったことになる。
内閣の53条後段違反の有無は裁判所の違憲判断の対象とはなる。しかし、仮に内閣の招集遅滞が違憲と判断されたにせよ、それは議員個人の国家賠償の根拠とはならない。だから、憲法違反の有無の判断をするまでもなく、請求を棄却せざるを得ない。それゆえ、「安倍内閣の本件召集が実質的には本件招集要求に基づく臨時会の召集とはいえない」という原告の主張についても、また「本件召集が合理的期間内に行われたものとはいえない」ということも、判断の必要はない。

せっかく、53条後段に違反する内閣の行為(臨時国会招集の不履行)については、司法審査が及ぶとしながら、司法判断を拒否したのだ。理由は、国家賠償の要件としての違法性は認められないから、というものだった。では、いったいどのような訴訟類型を選択すれば、司法判断に到達することになるのか。それが問われることになっているが明確な答はないままである。

権力に憲法を守らせるものは、裁判所ばかりではない。まずは何よりも国民自身である。自分の都合のためであればいつまでも国会を開けておく。都合が悪くなれば国会を閉じ、国民が望んでも、憲法上の招集の義務を課せられても、招集手続をしようとはしない。

こんな、傲慢不遜な「憲法ないがしろ内閣」は、危険極まりない。国民的な批判を集中しなければならない。もう、政権担当能力のない内閣は総辞職せよ。

私も声をあげねばならない。

 アベ晋三よ、いいかげんにしろ。
 民の声を聞け。
 憲法に従へ。
 直ちに臨時国会を開会せよ。
 さもなくば、早々に退陣せよ。 

梅雨は明けたか、
アベ退陣はまだかいな。

アベが辞めるまで、
気が気でならぬ。

とにもかくにも
世論起こしてアベ倒せ。

コロナには「無為・無策・無能・無気力・無責任・無節操」の「六無宰・アベ晋三」

(2020年8月1日)
今日から8月。未明に雨がやみ、梅雨空の雲が切れて東京は夏の陽が射しはじめた。しかし、今年の夏はいつもの輝く夏ではない。コロナ禍の夏、コロナに占領された囚われの夏である。感染はしたくないから、そのための引きこもりの夏。

全国の新規感染者は、昨日(7月31日)に続いて本日(8月1日)も1500人を超えた。感染は確実に都市部から全国に拡大しつつあり、医療態勢は逼迫しつつある。

庶民は引きこもらざるを得ないが、為政者たる者まで巣ごもりしていてはならない。国会を閉じて巣ごもりを決めこみ、記者会見さえしようとしないアベ晋三のやる気のなさが尋常ではない。今こそ国難、リーダーの真価を国民に見せてしかるべき時なのだが、よくよく自信がないのだろう。役立たずの「こんな総理」をいただいている不幸が誰の目にも明らかではないか。

その昔、「六無斎」と号した人物がいた。「寛政の三奇人」の一人・林子平は、大著『海国兵談』の版木を自ら彫って自費出版したが、これが幕政に容喙するものとして発禁処分となった。版木は没収され、仙台に蟄居を命じられる。このとき、「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と自嘲しての「六無斎」。

これに倣って、アベ晋三には、「六無宰」の称号を奉ろう。「無為・無策・無能」に、「無気力・無責任・無節操」を加えての「六無宰」

もう一つ。「怠惰・怠慢・怠業」の「三怠総理」と言ってもよい。本当に、国民はこんな政権を選んだのか。こんな人物を政権トップに据えたのか。日本の民主主義の機能不全が哀しい。

ところが、である。アベ晋三のやる気のなさは、コロナ対策や、水害対策などに限ってのものなのだ。いま国会を開けば、コロナと水害で攻められる。だから、ダンマリなのだ。これまで、改憲やら悪法の強行には、えらく熱心だったのだ。

日民協は、8月8日(土)に、総会を開催する。その議案書は作成済みで、全国の会員に届けられているが、総会で採択する「アピール」の文案が未確定である。

大雑把には、「第59回日本民主法律家協会定時総会アピール」として、「コロナ禍の今こそ、安倍政権に終止符を打ち、平和で民主的で個人の尊厳が守られる市民・野党の新しい政権を!」と表題し、「これまでの安倍政権の反憲法的悪政を全て列記し、こうした政権に代わる政権が今こそ求められており、政権交代のために法律家も力を尽くそうというアピール」にすることまでは、決まっている。

その準備作業として事務局長がまとめてきた、「安倍政権悪行一覧」があらためて凄まじい。

憲政史上最長・戦後最悪の安倍政権(2012年12月?2020年8月(7年7か月))は何をやってきたか?

※権力の集中による人事権の独占(歴代自民党政権がやらなかった法で人事を掌握)
・日銀総裁、内閣法制局長官、NHK会長、最高裁裁判官
・内閣人事局
・検察官人事→20.6改正法廃案

※軍事大国化
・13.12特定秘密保護法
・14.7集団的自衛権容認の閣議決定、15.4日米ガイドライン改定、15.9安保法制成立
・15.11南スーダンPKO派遣
・17.5「安倍改憲」メッセージ(自衛隊明記)
・20.1自衛隊中東派兵

※大企業・富裕層にだけに富を集中させた経済政策(アペノミクス)
「3つの矢」と称する、金融緩和、財政政策、成長戦略により景気浮揚させるとし、日銀が大量に株や国債を買い込み、投機による株高を作り出し、湯水のような公共投資を行った絡恥企業収益は過去最高水準になったが、ほとんどは株主への配当や内部留保になり、労働者の所得にも家計にも回らなかった非正規雇用が増え、年収200万円以下のワーキングプアは1000万人を超えている。こうした中、2014年4月に消費税を5%から8%に、2019年10月には10%に引き上げ、格差と貧困は拡大している。

※公文書の隠蔽・改ざん・樫造・偽装・記録不作成
一14.7内閣法制局集団的自衛権容認の検討過程の記録不作成
一16.南スーダンPKO日報「発見」
・18,4イラク派兵日報「発見」
・18.3森友文書の改ざん/18.5破棄されたはずの交渉記録900頁の国会提出
・1s.力闘t4q届/IS吸郵頑l咳びJ‘自‘gl5ノkュ包鮨はLI良良・ぴn=9或
・18.裁量労働制データ樫造
・19.1基幹統計である「毎月勤労統計調査」のデータ大規模偽造発覚(「実質賃金高水準」のウソ)
・19.12「桜を見る会」招待者名簿「廃棄」
・20.4コロナ専門家会議議事録不作成

※反憲法的立法の採決強行
・13.12特定秘密保護法
・15.9安保法制
・16.5盗聴法拡大・刑訴法改正
・17.6共謀罪
・18.5「働き方改革」(高プロ)

※改憲への執念
安倍政権での一貫しての最大注力テーマ
せめぎ合いの中で、改憲は阻止し得ている。

※外交
・拉致問題ーまったく成果なし
・北方領土問題ーまったく成果なし
・対韓外交ー昏迷の極み
・原発・新幹線売り込みーまったく成果なし
・原水爆禁止問題ーまったく進展せず
・米・イラン仲介問題ー失敗

※エネルギー政策
・脱原発に踏み切れず
・原発再稼働に執着
・3・11被害補償に冷淡

※コロナ対策
無為・無策・無能・無気力・無責任・無節操

※その他
・沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設強行
・ジェンダー問題の軽視
・国連の諸勧告軽視

※レガシー作り
・いまだ「東京オリパラ2020」に固執
長かっただけ。国力を低下させ、日本の国際的地位を低下させた政権と記憶されることになろう。

「総点検・安倍政権のコロナ『対策』」を特集する「法と民主主義」7月号購読のお願い

(2020年7月31日)
「法と民主主義」7月号(№550)の特集は「総点検・安倍政権のコロナ『対策』」である。僭越ながら、私が総論に当たる一文を書いている。だからというわけだけでもないが、だからということもあって、ご購読いただくよう、お願い申しあげます。

以下、特集のリードをご紹介する。

突然に世界を襲った新型コロナウィルス (COVID-19)の蔓延は、それぞれの国と社会に大きな衝撃を与えた。各国とも、否応なく突きつけられたこの現実に全力で対応せざるをえない。同時に、この災厄は、克服しなければならない国家や社会の諸問題を露呈している。それぞれの国や社会の対応能力が試されてもいる。

本誌は、本年5月号に「新型コロナウィルス問題を考える」を特集し、続く6月号の特集を「新型コロナウィルス問題があぶり出したもの」とした。そして、今号は「総点検・安倍政権のコロナ『対策』」である。

唐突に生じた新型コロナ禍がいったいいかなる現象で、社会的にいかなる意味をもち、どのような法的・政治的問題を孕んでいるのか。その関心に応えた特集が、「問題を考える」という表題となった。次いで、感染症蔓延の現実が進行する中で、平常時には必ずしも十分に見えなかったこの社会の諸矛盾がさらけ出された。見えてきたものは、何よりも医療と福祉の脆弱性であり、経済至上主義がもたらした格差・貧困の実態であった。また、コロナ禍による経済活動の自粛は、社会的弱者への苛酷な皺寄せとなった。その実情報告が、「あぶり出したもの」である。

そして、今号の特集は、「総点検・安倍政権のコロナ『対策』」。コロナ禍が生みだした直接の問題点ではなく、安倍政権によってなされた「対策」を検証しようというもの。言うまでもなく、「対策」には括弧を付けねばならない。嘘とごまかしをもっぱらとし、政治と行政を私物化してきた安倍政権である。コロナ禍がこの社会の矛盾点をあぶり出したように、コロナ禍対策が改めてこの政権の体質をあぶり出している。

総点検は、対策の分野別に、[経済][財政][税制][労働][外国人][福祉][ジェンダー][政策手法]などを取りあげる。通底しているものは、一強体制のもと、国民からの信頼を失った政権の末期症状である。この期に及んでなお、相も変わらぬ新自由主義的本質と、オトモダチ偏重の体質である。

破綻寸前の政権による、コロナ対策不手際の実態を明らかにしつつ、憲法の理念から根底的に批判することが本号特集の趣旨である。

問題意識を示す[総論]は、「安倍政権のコロナ対策を素描する」との標題で、編集部の澤藤が執筆した。本来、国はこのような危急の事態に経済的弱者を救済するためにこそ存在する。そのあるべき姿と大きく乖離した安倍政権の在り方を批判するもの。また、この政権の否定的な諸特質がコロナ対策において顕著に露呈し、政権の末期症状を呈していることに言及されている。

[経済]の部門は、浜矩子氏インタビュー。コロナ対策で露わとなったアベノミクスの本質を語り、そもそも経済とは人の幸せのためにあると力説。「Go To トラベル」キャンペーンなどに典型的に見られる景気振興策の実態と問題点。監視社会論やベーシックインカムなどにも触れて切れ味がよい。提唱される「人間の経済学」に耳を傾けたい。
[財政]は熊澤道夫氏に解説願った。コロナ対策の財政出動は、時期に遅れ、生存権保障、事業継続の必要額に届かず、金融では内部留保豊かな大企業ほど有利。そして、一〇兆円の予備費計上が憲法上の財政民主主義を侵しているという。
[税制]は、全ての対策費用の財源に関わる論点。菅隆徳氏の論稿は、「コロナ税」や消費税増税を許さず、財源は大企業、大資産家に応分の負担をもとめ、法人税に所得税並みの超過累進課税を提言している。
[労働問題]は、実務家諸氏には避けて通れない。棗一郎氏の論稿は、コロナショック下の労働者の雇用と労働条件の維持に、安倍政権の政策は適切に対応しているかに焦点を当てて、網羅的に論点が提示されている。新しい事態に生じた労働問題と政権の対応も論じられている。
[福祉]政策は、今がその真価を問われるとき。藤田孝典氏は「コロナ対策とあるべき福祉」では、生存のための権利を保障するための三一の緊急提案が掲載されている。その中には、ジェンダーや外国人政策が詳細である。
[ジェンダー]の問題を明珍美紀氏が指摘している。自粛要請の中でDV被害が深刻化している。にもかかわらず、暴力に対する処罰は生ぬるく、窮地に陥る人々への支援は不十分。それが、「女性活躍を掲げる」この国の実態だという。
[政策手法]は栗原猛氏。まず、安倍政治の通弊を8項目にまとめる。それが、コロナ対策にどう現れているかを論じる。「財政民主主義と説明責任」「『中抜き』『孫抜き』と利権構造」 「経産省、電通、パソナをめぐる ブラックホール」「トップダウン手法と側近政治」と肯かざるをえない。

栗原氏論稿の末尾が、「今一番大事なことは国民一人一人が、不真面目でいい加減な政治に怒りを発することではないか。」と結ばれている。これが、特集の結論でもあろう。
(「法と民主主義」編集委員会)

ホームページは下記のとおり。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

お申し込みは、下記のURLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html

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「法と民主主義」7月号

特集●総点検・安倍政権のコロナ「対策」

◆特集にあたって … 「法と民主主義」編集委員会
◆安倍政権の新型コロナ対策素描 … 澤藤統一郎
◆インタビュー●コロナ対策で露呈、覆い隠せないタチの悪さ
世のため、人のためを考えないアホノミクス
あらためて「人間の経済学」を … 浜 矩子
◆新型コロナウイルス感染症の財政政策 … 熊澤通夫
◆コロナ禍で問われる税収の空洞化 … 菅 隆徳
◆新型コロナショック下における労働問題に安倍政権の政策は対応できているか
── 労働者の雇用・労働条件は守られているか? … 棗 一郎
◆コロナ禍と外国人労働者を巡る課題と現状 … 板倉由実
◆コロナ対策とあるべき福祉 … 藤田孝典
◆加害者の処罰と支援体制の充実を──国際社会に後れを取る日本 … 明珍美紀
◆グローバル主義の限界と利益誘導政治 … 栗原 猛

◆連続企画●憲法9条実現のために〈31〉
イージス・アショア導入断念と日米の防衛戦略 … 千坂 純
◆司法をめぐる動き〈58〉
・解釈すれども判断せず
──憲法53条訴訟・那覇地裁判決が投げかけたもの … 志田陽子
・5/6月の動き … 司法制度委員会

◆メディアウオッチ2020●《コロナ危機とメディア》
いま改めて問われるジャーナリズム
メディア利用で知事選勝利、 宣伝効果求めコロナ政策迷走 … 丸山重威
◆あなたとランチを〈番外編〉
美魔女は法民に乗って? … 林 敦子さんインタビュー×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈No.26〉
「憲法改正国民投票」を訴える安倍首相、橋下徹氏、吉村洋文氏 … 飯島滋明
◆時評●辺野古から考える「法の支配」の現在 … 岡田正則
◆ひろば●追悼 鬼追明夫先生
あの「記録映画・日独裁判官物語」は
今なお、司法のあり方を問うています … 高橋利明

「法務・検察行政刷新会議」は、官邸の守護神・黒川弘務の政権との癒着の実態を検証せよ

(2020年7月26日)
昨日(7月25日)の朝日が、「検察刷新会議 開く以上 本気の議論を」という社説を掲載した。なかなかのトーンの高さである。

正確な名称は、「法務・検察行政刷新会議」というようだ。森雅子法相の私的諮問機関という位置づけ。この人が自分の失態を繕うために急拵えしたという以上の印象はなく、期待度も注目度も低い。この会議設置の趣旨について、法相は、こう説明している。

 「法務・検察行政刷新会議(仮称)」は,今回の黒川氏の問題を受けて,私が設けることとした会議です。今回の黒川氏の行動を受けて,国民の皆様から,法務・検察に対して,様々な御指摘・御批判をいただいているところでございます。
 国民の皆様からの信頼を回復し,法務・検察が,適正にその役割を果たしていくことができるよう,この会議を,これからの法務・検察行政に関して,しっかりと議論をできる場としていきたいと思っています。…国民の皆様の幅広い御意見をいただいて,検察・法務行政への国民の信頼回復という目的を達成できる形にしてまいりたいと思っています。

 不祥事があると、「有識者」を集めて何を反省すべきかを確認してもらうという、今流行りの他人任せ禊ぎの儀式。そんな役割の第1回会議が7月16日に開かれた。「やっぱりね」というほかはない低調な会議の進展で、相変わらずの話題性の低さ。

この会議の経過が、法務省のホームページに掲載されているが、そこで何が行われたのか、実はさっぱり分からない。
http://www.moj.go.jp/hisho/seisakuhyouka/hisho04_00002.html

当日の議事次第は、以下のとおりだが、「1 法務大臣挨拶」以外は非公開だったという。これでは、何をしたのやら、これから何をすることになるのやら、さっぱり分からない。
1 法務大臣挨拶
2 委員等の自己紹介
3 議事の公表等の在り方について
4 検察の在り方検討会議提言及びその後の検察改革の状況等についての説明
5 その他

朝日社説は、「話題性乏しいから無視」ではなく、「本来何をなすべきか」を厳しく問うものとなっている。その書き出しから、言葉がまことに厳しい。

「看板に偽りあり――。先日、初会合が開かれた『法務・検察行政刷新会議』のことだ。
『刷新』を掲げながら、元東京高検検事長の異例の定年延長や、廃案に追いこまれた検察庁法改正案をめぐる諸問題は、会議のテーマにならない見通しだという。到底納得できない。」

続く文章は、さらに厳しい。

「もともと支離滅裂・国会軽視の答弁を重ね、大臣の任に堪えないことが明らかになった森雅子法相が、唐突に設置を表明した会議だ。期待するのが筋違いといえばそれまでだが、せっかく各界の有識者が集まったのなら、議論を公開し、本気で刷新に取り組んでもらいたい。」

厳しいが、まったくそのとおりというしかない。

「森氏は初会合で、(1)検察官の倫理 (2)法務行政の透明化 (3)刑事手続きについて国際的な理解が得られるようにする方策――を検討課題に挙げた。その底意はともかく、三つはいずれも今日的で重要なテーマだ。」

社説は、この3点をそれぞれに点検する。

(1)まず検察官の倫理である。
 まさか賭けマージャンの当否を論じるわけではあるまい。何より問われるべきは、一人ひとりが「公益の代表者」の自覚をもって、捜査・公判・刑の執行に臨んでいるか否かだ。
 検察官の責務は単に有罪を勝ち取ることではない。だが実際の裁判、とりわけ再審請求審では、制度の不備をいいことに、自分たちに不利な証拠を隠すことがしばしばだ。職業倫理に照らして正すべき点はないか。実例を踏まえ、この機会に外部の目でしっかり検証してほしい。

2)の法務行政の透明化は、まさにこの半年間の法務・検察の混乱の根底にある問題だ。
 元検事長の定年延長は、従来の政府見解を変更したうえで閣議決定したと森氏は説明する。しかし検討の経過をたどれる文書はなく、重大な変更を口頭で決裁したというから驚く。
 森氏は、検察庁法改正案の作成経緯を明らかにする文書を作成すると国会で約束しながら、約5カ月経った今も履行していない。なぜこのような不透明で国民を愚弄した法務行政がまかり通るのか、本質に切り込む議論が求められる。

(3)カルロス・ゴーン被告の逃亡を機に、容疑者・被告の長期に及ぶ身体拘束をはじめ、日本の刑事司法は異様との認識が広がった。(3)の「国際的理解」はこれを受けたものだろう。
 たしかに批判の中には誤解に基づくものもある。だが人質司法という言葉が定着するなど、国際人権基準から見たとき、是正すべき点は少なくない。
 説明の仕方をあれこれ工夫するのではなく、おかしな制度や運用を実際に見直すことが理解への早道だ。どこを、どう変えるべきか。そこを話し合わなくては刷新会議の名に値しない。」

 朝日の社説に大筋合意しながらも、やや物足りなさを禁じえない。
 法相の言うとおり、「刷新会議」は,黒川問題を受けてのもの。国民の批判は、黒川が「官邸の守護神」と言われる関係にあったことに集中していた。そのような、時の政権にベッタリの法務・検察の実態を抉り出し、癒着の原因を探り、適切な再発防止策を講じることなくして、国民からの信頼回復はあり得ない。

衆目の一致するところ、糾弾されるべき最大の責任者は内閣総理大臣であり、次いでその意を酌んだ法務大臣である。その各々の責任を明確にしたうえで、刷新会議は、検察倫理に背いて「政権の守護神」と言われた人物と現政権との緊密な関係を「透明化」しなければならない。そこに焦点を当てずしてお茶を濁すようでは、朝日の社説が言うとおり、「看板に偽りあり―」ではないか。

首相の巣ごもりは、政権の末期症状

(2020年7月23日)

あ?あ、残念。無念でならない。この無遠慮なコロナ禍さえなければ、今ごろは「東京オリパラ2020」で国中が湧いていたはずじゃないか。明日は開会式で日本中が祝賀ムード。野党だって、メディアだって、政権の悪口は言いにくい雰囲気だったはず。私も、主催国の首相として、歴史に晴れがましい足跡を残すことになったはず。

その晴れがましさ獲得のために、ブエノスアイレスでは、事情の分からないIOC委員に、「フクシマはアンダーコントロール」なんて大嘘ついて手にした東京オリンピック。だって、ほかに、私の功績なんてまったく何にもないんだもの。せめて東京オリンピックと思ったんだが、これがダメ。罰が当たったのかねえ。気が重い。

オリンピック前夜の晴れやかさに代わって、目の前にある現実は、急速なコロナ感染の再拡大。そして、国民世論の反対を敢えて押し切っての「Go Toトラベル」キャンペーン強行の不安。さらに、それ故の野党とメディアの遠慮のない政権批判。天国から地獄に突き落とされた思いだ。ああ、気が滅入る。確かに、政権末期の雰囲気だ。だから、記者会見なんかしたくない。巣ごもりで、不貞腐れているしかないんだ。

何をやってもうまくいかない。やることなすこと、みんな裏目だ。私が口を開けば、言葉のつぶてが飛んでくる。チグハグだ、朝令暮改だ、業界寄りだ、オトモダチ優遇、嘘とゴマカシ、公文書改ざん、政治の私物化、一強の驕り、政権の末期症状だって、批判されまくり。そう言われれば、みんなそのとおりだから、余計にヤになっちゃう。

だから、国会なんて開かないし、開けない。閉会中の委員会審査もあるけれど、出席しない。記者会見もしないんだ。とにかく、しゃべればボロが出るだけ。

私は、人の作った作文をいかにも自分の見解のように読み上げることなら少々得意だ。難しい漢字には、必ずルビを振ってもらっているから大丈夫。でも、それ以上のことは無理。とりわけ、事前通告のない質問は困る。トンチンカンなことを口にしたり、うっかり本音をしゃべったり、碌なことにならない。だから、巣ごもりが一番。もう、1か月以上も記者会見はしていない。

これまでは、「まさに」と「しっかり」「丁寧に」の3語で切り抜けてこられたから、まあ楽な仕事だった。「国民の皆様には、今後ですね、まさに、まさにですよ、この問題については、しっかりと、丁寧に、説明をさせていただきたい」なんて、ごまかしてきたけど、我ながら、もう限界だよね。

この頃は、新しく「専門家の皆様のご賛同をえて」でやってみたけど、ずいぶん早く鮮度が落ちて、使えなくなっちゃった。忖度専門家の化けの皮の剥がれるのが、こんなに早いとは思わなかったんだ。

ところで、今日のコロナ感染者数発表が、東京だけで366人だっていうじゃない。しかも、東京一極から拡散しすでに全国的に感染再爆発が広まりつつあるとも言われているようだ。どうして、コロナって奴は、遠慮がないんだろう。もう少し、政権に忖度したってよかろうに。忖度しない相手は恐い。悪評サクサクの「Go Toトラベル」始まった途端に、この感染拡大だ。非難囂々だろうな。このあとどうなるかが恐い。「私の責任です」と軽く言って済む問題ではなさそうだから、なお恐い。

私にコロナ対策の指揮能力はないし、やる気もない。正直、外へは出たくない。だって、だんだんコロナが身近に迫っている感じがあるし、外に出るには、あのアベノマスクを付けて出なければならないが、実は、あれ、本当にコロナを除ける効果があるのか自信がないんだ。だから、巣ごもり。

だけど、身内の会合は別。私を批判しないヨイショの安心メディアが相手ならどこへでも出て行く。「権力批判こそが、ジャーナリズムの神髄」なんて格好付けている不届き記者が紛れているところでの会見なんてヤなこった。櫻井よしことか、岩田朋子とか、田?史郎や月刊花田、あるいはDHCテレビジョンなど、志を同じくし気心の知れた記者だけなら会見も結構なんだけど。

通常国会が終わってホッとしているところに、記者会見は嫌なんだ。こっちが返答に困る質問をぶつけようというのは、人権問題じゃないのかね。「嫌な質問には答弁を拒否して体面を保つ首相の権利」は、法のどこかに書いていないのかな。書いてなければ、閣議決定で決められないだろうか。これまで、ずいぶんいろんなことを閣議決定で決めてきたからね。

最後の首相記者会見は6月18日だった。あのときに、まさに、まさにですよ、はっきり分かったね。政権に好意的な記者と、敵対的な記者とのくっきりした色分け。忖度派と攻撃派だ。私に忖度しないで、困らせてやろうという無頼な記者たちにサービスする必要なんてあり得ない。「時間がない」「次の日程が詰まっている」を口実に質問なんかさせたくない。少なくとも、重ねての質問で突っ込ませるようなことはさせない。そんなことをさせたら、聞いている国民に、私の無能がさらけ出されてたいへんなことになる。できるなら、会見そのものをやらないに越したことはない。だから、巣ごもり。

それにしても、コロナ感染再拡大の勢いは凄まじい。その中での「Go Toトラベル」強行は、私の所為じゃない。二階と菅の二人が、それぞれの理由で頑張っているんで、私が頑張っていると誤解されたくないんだ。でも、そうも言いにくいから、これも記者会見はやりたくない理由のひとつ。

ものごとがうまく行っているときの記者会見なら、私は好きなんだ。第一波の緊急事態宣言解除のときは、晴れがましく私の手柄みたいに記者会見をやった。まさしく、まさしくですね、あのように、私の支持拡大につながる記者会見ならやりますよ。でも、今は、まったくプラスの材料がない。結局、記者たちの攻撃の矢面に立つだけ。そんな政権の末期症状をさらけ出すような記者会見などできようはずもない。だから巣ごもり。あ?あ。

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