「核抑止論は虚構に過ぎない」 ー 広島平和式典挨拶から
(2020年8月6日)
1845年8月には、忘れることのできない諸事件が重なった。8月15日は、日本の歴史を分かつ日として、日本人にとって忘れてはならぬ日。これに対して、8月6日は世界の人類全体が戦慄の感情をもって記憶すべき日である。
あれから75年目の8月6日。本日も青い真夏の空の下、広島市の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。コロナ禍のさなかの式典として、規模は縮小された。その準備の過程で、平穏な式典の進行を求める主催者(広島市)と、式典の意義にこだわる市民団体との間に摩擦のあったことが報道されている。
敢えて単純化すればこんなことだろうか。市民団体側は、「平和式典は核廃絶につながるものでなければならない。にもかかわらず、式典主催者は、遺族の慰霊のみを目的とする式典にしようとしているのではないか。式典周辺での拡声器使用自粛要請はその表れにみえる」
これに対して市は、飽くまで「原爆死没者の慰霊」と「世界恒久平和の実現の祈念」の両者を式典の理念とするもので、決して「慰霊」だけを目的としているものではないという。
拡声器の音量については妥協が成立して、平穏に本日の平和式典は進行したようだが、核廃絶のための喫緊の課題は、2017年に国連で採択されたが未発効の「核兵器禁止条約」について締約国を増やすこと、まずは日本政府が「締約国」となるべきことである。そして、もう一つ。黒い雨訴訟の一審判決への控訴期限が迫っている。被爆者救済の切実な具体的問題が眼前にある。
松井一実市長は、平和宣言の中でこの点について次のとおり訴えた。訴える先は、目の前にいるアベ晋三である。
これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。
国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。
そのためにNPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。
また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。
これに対して、アベ晋三はどう応えたか。
75年前、1発の原子爆弾により廃虚と化しながらも、先人たちの努力で見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにし、平和の尊さに思いを致しています。
広島と長崎で起きた惨禍と、もたらされた人々の苦しみは、繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を前に進めることは、わが国の変わらぬ使命です。
本年は被爆75年という節目の年です。非核3原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促し、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードしていきます。
核拡散防止条約(NPT)が発効50周年を迎えました。結束した取り組みを各国に働きかけ、積極的に貢献します。
「核兵器のない世界」の実現へ確固たる歩みを支えるのは、核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取り組みです。わが国は被爆者と手を取り合い、被爆の実相への理解を促す努力を重ねていきます。
原爆症の認定について、迅速な審査を行い、高齢化が進む被爆者に寄り添いながら、総合的な援護施策を推進します。
全てを抽象論でごまかした、恐るべき無内容。完全なゼロ回答である。被爆者や遺族の面前で、「核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めていただきたい」「多くの人々の苦悩に寄り添い、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。」との訴えの拒絶である。このくらいのシンゾウの強さ、面の皮の厚さでないと、保守政権の維持はできないのだろう。いちいち国民の要望に耳を傾けていては、きりがないと言うことなのだ。
なお、この日注目されたのは、「核抑止論は虚構に過ぎない」という湯崎英彦・広島県知事の挨拶である。これも、アベ晋三の面前での発言として、重みがある。下記は、そのさわりである。
なぜ、我々広島・長崎の核兵器廃絶に対する思いはこうも長い間裏切られ続けるのでしょうか。それは、核による抑止力を信じ、依存している人々と国々があるからです。しかしながら、絶対破壊の恐怖が敵攻撃を抑止するという核抑止論は、あくまでも人々が共同で信じている「考え」であって、すなわち「虚構」に過ぎません。
一方で、核兵器の破壊力は、アインシュタインの理論どおりまさに宇宙の真理であり、ひとたび爆発すればそのエネルギーから逃れられる存在は何一つありません。したがって、そこから逃れるためには、決して爆発しないよう、つまり、物理的に廃絶するしかないのです。
幸いなことに、核抑止は人間の作った虚構であるが故に、皆が信じなくなれば意味がなくなります。つまり、人間の手で変えることができるのです。どのようなものでもそれが人々の「考え」である限り転換は可能であり、我々は安全保障の在り方も変えることができるはずです。いや、我々は、人類の長期的な存続を保障するため、「考え」を変えなければならないのです。
もちろん、凝り固まった核抑止という信心を変えることは簡単ではありません。新しい安全保障の考え方も構築が必要です。核抑止から人類が脱却するためには、世界の叡知を集め、すべての国々、すべての人々が行動しなければなりません。
皆さん、今こそ叡知を集めて行動しようではありませんか。後世の人々に、その無責任を非難される前に。
この知事発言は、子ども代表が朗読した「平和への誓い」と通底している。
血に染まった無残な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
「あのようなことは二度と起きてはならない」
広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
私たちは、互いに認め合う優しい心を持ち続けます。
私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。
被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々が諦めずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。
この二つのメッセージをつなげると、ほら、何とか希望が見えてくるではないだろうか。