澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

安倍内閣の刑事司法私物化を狙う「検察庁法改正案」を撤回せよ

泥棒は夢を見る。「警察官の人事をオレが握ることができれば、安心して仕事ができるんだが…」。 反社の諸君も夢を見る。「検事の人事をオレが握ることができさえれば、心おきなく大きな仕事ができるだろうに…」。 そして、安倍晋三も夢を見る。「検察トップの人事を握ってしまおう。そうすれば、国政私物化だの嘘とごまかしだのという批判は恐くない。心おきなく、私と妻とオトモダチのために特化したお仕事に邁進できる。」 泥棒と反社の願望は夢のまた夢だが、晋三の夢はひょっとすると実現することになる。

政府は3月13日、検察官の定年を63歳から65歳に引き上げる検察庁法の改正案を閣議決定し国会に上程した。これは、単なる公務員の定年延長問題ではなく、検察官の定年を延長するだけの問題でもない。権力の分立に関わる原理的な問題を孕んでいるとともに、国政私物化の安倍政権の野望の表れでもある。泥棒に警察官の人事を与えるに等しい。こんな法案を通してはならない。

翌3月14日の朝日の社説「検察庁法改正 許されぬ無法の上塗り」が、問題点をよく整理して、しかも分かり易い。リベラルな立場からのもっともな怒りがにじみ出ている。その抜粋を引用する。

 法をまげたうえで、さらに法の本来の趣旨を踏みにじる行いを重ねるという話ではないか。納得できない。
 国家公務員の定年延長にあわせ、検察官の定年を63歳(検事総長のみ65歳)から65歳に段階的に引き上げる検察庁法改正案が、国会に提出された。
 見過ごせないのは、63歳以上は高検検事長や地検検事正といった要職に就けないとしつつ、政府が判断すれば特別にそのポストにとどまれる、とする規定を新たに盛り込んだことだ。
 安倍内閣は1月末に東京高検検事長の定年を延長する閣議決定をした。検事総長に昇格させるための政治介入ではないかと不信の目が向けられている。
 政府は従来、検察官の定年延長は認められないとの立場だったが、今般、解釈を変えることにしたと言い出し、決定を正当化した。立法時の説明や定着した解釈を内閣だけの判断で覆す行為は、法の支配の否定に他ならない。法案は、その暴挙を覆い隠し、さらに介入の余地を広げる内容ではないか。
 政治家が特定の人物を選び、特別な処遇を施すことができるようになれば、人事を通じて組織を容易に制御できる。その対象が、政界をふくむ権力犯罪に切り込む強い権限を持ち、司法にも大きな影響を与える検察となれば、他の行政官と同列に扱うことはできない。
 戦後、三権分立を定めた憲法の下で制定された検察庁法は、その問題意識に立ち、検察官の独立性・公平性の担保に腐心した。その一環として、戦前あった定年延長規定は削除され、歴代内閣は検察人事に努めて抑制的な姿勢をとってきた。
だが安倍政権は公然とその逆をゆく。延長の必要性について森雅子法相は、「他の公務員は可能なのに検察官ができないのはおかしい」という、検察の職務の特殊性や歴史を踏まえぬ答弁を繰り返すばかりだ。
 混迷の出発点である高検検事長人事の背景に、首相官邸の意向があるのは明らかだ。検察への信頼をこれ以上傷つけないために、定年延長の閣議決定をすみやかに取り消すとともに、検察庁法の改正作業も仕切り直すことを求める。

さらに、3月17日東京弁護士会が、以下の会長声明を出した。これも、問題の全体像を簡明に語っている。その素早い対応に敬意を表したい。

検察庁法に反する閣議決定及び国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対し、検察制度の独立性維持を求める会長声明

東京弁護士会 会長 篠塚 力

1 政府は本年1月31日、2月7日に63歳で定年を迎えることになっていた東京高検検事長の勤務を、国家公務員法の勤務延長規定を根拠に半年間延長するとの閣議決定をした(以下「本件閣議決定」という。)。
 しかし、検察官は一般の国家公務員とは異なり検察庁法によって定年が規定されている。特別法が一般法に優先するのは理の当然であることから、国家公務員法の規定する定年退職の規定(国家公務員法第81条の2)はもとより、勤務延長の規定(同法第81条の3)も検察官には適用されないと解される。これは内閣、人事院の一貫した法律解釈であって、時の政権が閣議決定によってこの解釈を変更することは検察庁法の規定に明白に違背する。

2 検察官が一般の国家公務員とは異なる法律によって規律されるのは、検察官は行政官ではあるものの、刑事事件の捜査・起訴等の権限が付与され司法の一翼を担って準司法的職務を担うことから、政治からの独立性と中立性の確保が特に強く要請されるためである。
 すなわち、検察官は「公益の代表者」(検察庁法第4条)であって、刑事事件の捜査・起訴等の検察権を行使する権限が付与されており、ときに他の行政機関に対してもその権限を行使する必要がある。そのために、検察官は独任制の機関とされ、身分保障が与えられている。にもかかわらず、内閣が恣意的な法律解釈によって検察の人事に干渉することを許しては、検察官の政権からの独立を侵し、その職責を果たせなくなるおそれがある。
 したがって本件閣議決定は、検察官及び検察組織の政権からの独立を侵し、憲法の基本原理である権力分立と権力の相互監視の理念に違背する。

3 このような違憲・違法というべき法律解釈の変更について、法務大臣が国会内外で厳しく批判されている中で、政府は3月13日、さらに国家公務員法等の一部を改正する法律案(内容として検察庁法の一部改正を含む。)を閣議決定し、これを国会に提出した。
 改正案は、すべての検察官の定年を現行の63歳から65歳に段階的に引き上げた上、63歳になった者は、検事総長を補佐する最高検次長検事や、高検検事長、各地検トップの検事正などの役職に原則として就任できなくなるが(役職定年制)、「内閣」が「職務遂行上の特別の事情を勘案し(中略)内閣が定める事由があると認めるとき」(検察庁法改正案第22条第5項)に当たると判断するなどすれば、特例措置として63歳以降もこれらのポストを続けられるようにするとの内容である。
 このような法律改正がなされれば、時の内閣の意向次第で、検察庁法の規定に基づいて上記の東京高検検事長の勤務延長のような人事が可能になってしまう。
 しかしこれは、政界を含む権力犯罪に切り込む強い権限を持ち司法にも大きな影響を与える検察官の独立性・公平性の担保という検察庁法の趣旨を根底から揺るがすことになり、極めて不当である。

4 以上の理由により、当会は政府に対し、本件閣議決定に抗議し、撤回を求めるとともに、国家公務員法等の一部を改正する法律案のうち検察官の定年ないし勤務延長に係る「特例措置」に係る部分を撤回し、憲法の権力分立原理を遵守して検察官の独立性が維持されるよう、強く求めるものである。

3月19日の毎日新聞(デジタル)解説記事も、意を尽くしたものとなっている。

国会に3月13日提出された検察官の定年を63歳から65歳に段階的に引き上げる検察庁法改正案への批判が強まっている。今年1月になって急きょ法解釈を変更して可能となった検察官の定年延長だけでなく、内閣が検察幹部の人事に介入できる余地を残すもう一つの「仕組み」も盛り込まれたためだ。内閣が必要と認めれば、例外的にその役職を続けさせることができる――この規定に野党は「検察人事に内閣が露骨に介入するものだ」と反発。東京弁護士会も反対する会長声明を出した。
 検察庁法改正案とともに国会提出された国家公務員法(国公法)改正案には、定年の段階的引き上げのほか、管理監督職の年齢の上限を定める「役職定年制」が導入される。検察庁法改正案でも同趣旨の制度が導入され、63歳になるのに合わせて検事総長を補佐する最高検次長検事、高検検事長、地検トップの検事正は役職から退き、「検事」に戻ることになる。ただ、これに伴い、内閣の判断で例外的に63歳以降も役職を続けさせるという規定も入った。
 「公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、次長検事、検事長が63歳に達した日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き勤務させることができる」
 この例外規定は現行法で検察官の定年を定めた「22条」に加えられた(検事正は別の条文)。さらに次の項で「前項の期限又はこの項の規定により延長した期限が到来した場合、前項の事由が引き続きあると認めるときは、内閣の定めるところにより、1年を超えない範囲で期限を延長することができる」とし、再延長、再々延長まで想定されている。
 …検察官は他の国家公務員と違い、刑事事件の捜査・起訴の権限を付与されている。「首相も逮捕できる」存在であり、政治からの独立性と中立性の確保が極めて重要だ。しかし、この例外規定を素直に読めば、検察幹部の立場からいえば、職を続けられるかどうかは内閣の判断に左右されると言い換えられる。これで内閣の検察幹部への影響力を排除できるのだろうか。

以上で、この問題の論点は尽くされていると思う。
検察官は、他の公務員とは異なり、本来的に行政からの独立を要求される職務なのだ。必要があれば、首相をも逮捕し、起訴し、論告求刑し、刑の執行も行うべき立場にある。だからこそ、その人事が首相の手に握られるようなことがあってはならない。しかし、だからこそ、国政私物化をこととする首相の立場からは、人事権を通じて幹部検察官を手の内に納めておきたいのだ。

このほど、森友問題で文書の改竄を命じられたことを苦にして自殺した近畿財務局職員の手記が公表された。これまで知られていなかった新事実が明るみに出た。明らかに必要な事件の再調査を安倍晋三は拒否した。その理由をなんと言ったか。

「検察が捜査を行い、結果が出ている。財務省でも、麻生大臣のもとで、事実関係を徹底的に調査し、明らかにしたところだ」と言ったのだ。「検察が告発を受けて捜査して不起訴とした」のだからもう問題はない。これが、安倍晋三の錦の御旗となっている。忖度検察は、汚い内閣にとっての頼もしい味方なのである。

こんな法案が議会の数の力でゴリ押しされて通るようでは、刑事司法の権威は失墜する。警察官人事を握らせる泥棒の夢を叶えるに等しく、世も末だ。なんとしても、撤回してもらいたい。
(2020年3月20日)

「緊急事態」の名を借りた権力の集中と人権蹂躙的統制に断固反対する ― 宗教者緊急声明紹介

新型コロナウイルス対策のためとする特措法改正には、各界からの反対が強い。宗教界も例外ではない。

「信教の自由」を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明(3月13日付)を紹介する。

呼びかけは、日本キリスト教協議会総幹事 金性済氏。緊急事態宣言の市民生活に及ぼす本質的な危険性と共に、宗教者として「信教の自由」が脅かされる危機感をもって、NCC東アジアの和解と平和委員会や「平和をつくりだす宗教者ネット」が中心となって、宗旨をこえて宗教者がこの法改定に反対する緊急声明に至ったものという。

まことに行き届いた、もっともな内容であって、このような各界からの意見表明の積み重ねが、政権の危険な意図を挫折させることになるだろう。

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「信教の自由」を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明

私たちは、日本国憲法第9条を守りつつ、あらゆる戦争を許さない平和をつくりだすことを願い求め、共に祈り合う宗教者であります。
今、世界を揺るがす事態となった新型コロナ・ウイルス問題をめぐり、安倍晋三首相は、去る3月5日、“緊急事態宣言”発令を念頭に入れた「新型インフルエンザ等対策特別措置法」改定の準備について言明し、10日の閣議で国会上程が決定され、3月13日の国会で制定させようとしています。国会審議においては、すでに1月28日より、新型コロナ問題に関連して、緊急事態条項をもつ憲法の改定が一部国会議員たちによって言及されてきました。
かねてより自民党・与党によって提唱されてきた憲法改定案の一項目である「緊急事態宣言」は、重大な問題をはらんでいることが指摘されてきました。総理大臣を中心とする内閣が国家の緊急事態を宣言することにより、行政府が立法権をも独占してしまうならば、それは憲法秩序を停止してしまい、重大な人権侵害と立憲民主主義の秩序を破壊してしまう恐れがあることを、戦時下の日本やナチス・ドイツの歴史的経験から私たちは知っているのです。
この度の新型コロナ・ウイルスの感染拡大事態について、安倍政権が既存の法制度のもとに、迅速かつ周到な対応を怠ってしまったことを省みず、いきなり「緊急事態宣言」の手段を選択しようとする企ては、新型コロナ・ウイルス問題を奇貨としながら、憲法改定の意図まで含み持つ本末転倒的な対応というほかありません。
私たちがとりわけ憂慮することは、もしも「緊急事態宣言」が総理大臣によって発動されれば、都道府県知事に市民社会生活の広範囲にわたる行動を規制する権限が与えられ、自粛要請によって市民の外出が制限され(移動の自由を保障する憲法22条違反)、社会・教育施設などの使用が制限されることが考えられます。それはまた、宗教者が状況を慎重に見極めつつも、自主的に判断し、宗教活動を営むことさえ制約されることにつながり、「信教の自由」を侵害するものとなりえます。
安倍政権は、1月末の段階において感染症法や検疫法の下でなしうる対応が後手に回り、さらにクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)乗船者に対する対処や下船後の対応についても、適切な政策を打ち出せず、結果的に感染拡大を引き起こす失策を繰り返してきました。
このような失敗を省みず、安倍首相は3月2日、参議院予算委員会にて「新型インフルエンザ等対策特別措置法と同等の措置を講ずることが可能となる立法措置を早急に進める」と発言しました。感染問題をめぐり、安倍首相は2月27日に、専門家会議での協議や関係省庁との慎重な検討も踏まえることなく、科学的根拠もないまま、全国一斉休校「要請」措置を突然出すことにより、社会に大きな混乱をもたらしました。このような安倍政権がさらに緊急事態を宣言することに、私たちは大きな脅威と危険を覚えずにおれません。
さらに、去る3月1日の「3.1独立運動」記念式典の演説において、韓国の文在寅大統領は、日本政府に「共に危機を克服しよう」と呼び掛けたにもかかわらず、その4日後、中国と韓国からの入国を、何の外交的協議や専門家協議もなく一方的に制限する措置を発表しました。安倍政権によるこのような非情・非礼なる措置は、悪化した日韓関係の改善に向けた配慮など一顧だにしない傲慢で排外的な対応というほかありません。
私たち宗教者は、日本も世界のどの国もが協力し合い、一日も早く新型コロナ・ウイルスの感染による災いを、互いの友愛と英知と希望をもって克服していく日を迎えることを心から祈願するものであります。
そして、この人類的危機に際して、むしろ立憲民主主義の秩序を揺るがし、「緊急事態」の名を借りた権力の集中と、人権蹂躙的統制へ道を開くことに対して断固反対するものであります。

(2020年3月17日)

アベ政治はコロナより猛し

コロナ禍・アベ禍のさなかにも季節はめぐる。昨日(3月14日)、東京に開花宣言である。「暖冬で観測史上最速、満開は23日見込み」と報じられている。
「銭湯で上野の花の噂かな」をキーワードに検索したところ、幾つかの私の過去のブログが出てきた。まずはその抜粋。

本日の東京の天気は上々。桜も咲いた。
  銭湯で上野の花の噂かな
  佃育ちの白魚さえも花に浮かれて隅田川
花がほころべば、自ずと顔もほころぶ。春はよろしい。
https://article9.jp/wordpress/?p=2358(2014年3月29日)

 花の名所は数あるが、花見の名所は上野を措いてない。ここが花見の本場、花見のメッカだ。花見とは、花を見に行くことではない。ようやく訪れた春の、浮き浮きしたこの気分の共有を確認する集いなのだ。
 花は植物で、花見は社会現象である。花は美しく、花見は猥雑である。人がいなくても花は花だが、大勢の人がいなくては花見は成立しない。老も若きも、男も女も、赤子も犬も、猫も杓子も参加しての花見だ。歩くあり、しゃがむあり、座り込むあり、寝込むもあり。杖をつく人も、車椅子の人も。人、人、人。寄せては返す人の波だ。
 絶え間なく歩く人と、シートに座を占めた人々。それぞれが、しゃべり、写真を撮り、弁当を開き、酒を飲んでいる。歌もあり、踊りもある。屋台の前のごった返し、席取りのいざこざ、満員のトイレの列への割り込みを非難する声も、カタクリの蕾を踏んじゃダメだという注意も、皆なくてはならない花見文化の構成要素。
 年に1度のこの雑踏の雰囲気が、我々の民族的アイデンティテイ。とはいえ、この上野の人混みの中に飛び交ういくつもの外国語。そしていろんな肌の色の人々。ああ、花見文化の浸透力の強さよ。
  銭湯で 上野の花の 噂かな (子規)
https://article9.jp/wordpress/?p=10136(2018年 3月 26日)

これまでの上野の春は、上述のとおりだ。ところが、今年の上野はたいへんな様変わりなのだ。やはり子規の句に、「寐て聞けば上野は花のさわぎ哉」とある。上野の花は子規の時代さながらに例年のとおりなのだが、花のさわぎがない。いや、そもそも人混みがない。飛び交ういくつもの外国語も、いろんな肌の色の人々もない。

つい先日まで、上野公園の雑踏はインバウンドの人びとで溢れ、ときたまに聞こえる日本語は実に懐かしい響きだった。啄木ありせば、昨年までなら「やまと言葉なつかし 上野の森の人ごみに そを耳にせり」と詠んだところだが、今年聞こえるのは日本語ばかり。その人びとも、濃厚接触するほどの人混みを作らない。しかも公園は、宴会はだめ、酒はだめ、座り込むもだめという。

子規が句を詠んだ時分、根岸の銭湯での噂話はこんなものだったろうか。

お山の花は、もう五分咲きかい。気もそぞろだね。
ご隠居。はやいとこ出かけないと、散ってしまいますぜ。
上野戦争の時にはおどろいたが、穏やかに花見のできるご時世はありがたい。
これだけは文明開化とは無縁でね、昔どおりでなくっちゃ。
薩摩や長州の連中がいばっているのがシャクな世の中だが、あのとき焼けた桜も立派になったものだ。
ご隠居は、花の下で一句ひねろうてんでしょ。こちとらは、仲間と酒盛りの楽しみ。
ああ、明日花の下でお目にかかろうじゃないか。

最近は、ずいぶんと様変わり。

えっ。3月14日に開花宣言だって?
それがご隠居、地球温暖化のせいでね。どんどん開花がはやくなっているんですよ。
震災や戦災の時には、上野の山は焼け出された人びとの逃げ場になってな。穏やかに花見のできる平和はありがたいね。
ところが、今年は穏やかじゃない。グローバリゼーションがあだとなって、あっという間のコロナの流行り。花見はしたいが、コロナが恐い。
コロナより恐いのがアベ政治じゃ。苛政は虎よりも猛しというではないか。火事場泥棒みたいに、特措法の改正までやりおって。国民の不幸で生き延びているのが、アベ政権。シャクな世の中よ。
結局、ご隠居は花の下での句会もできない。こちらは、仲間との酒盛りの楽しみもだめ。

来年こそはコロナもアベもない、穏やかな春を迎えたいものじゃのう。

(2020年3月15日)

「緊急事態宣言」とは、かくも危険なものである。

昨日(3月13日)、新型コロナウイルス感染症を適用対象に加える「新型インフルエンザ特措法」の改正法が成立した。3月11日の審議開始からわずか3日間での成立である。内容は、新型コロナを法の適用対象に加えるだけで、ほかの規定は変えなかった。

衆参両院の決議はいずれも全会一致ではなかった。賛成は、自民・公明・維新と、立憲民主・国民民主・社民の共同会派。共産・れいわ・碧水会・沖縄の風が反対。その他の野党の中からも数人の反対・棄権・欠席があったことがせめてもの救い。

どさくさ紛れの火事場泥棒的法改正だが、新型コロナ感染症への適用に関しては、政令で対象期間を来年(2011年)1月31日までと定めた。それまで、緊急事態宣言の発動を阻止しなければならない。

言うまでもないことだが、近代憲法とは、個人の人権を権力の侵害から擁護するために、主権者が与えた権力規制の命令体系である。憲法の命ずるところに従って、権力の行使は人権侵害のないように制約される。ところが、国家緊急の事態においては、その例外がまかり通らねばならないとする考え方がある。その例外を憲法自体に書き込む例もあり、個別の法にそのような例外を設ける例もある。2012年成立の「新型インフルエンザ特措法」は、「緊急事態宣言」時には、そのような「立憲主義の例外」を安易に認める。危険な立法と言わざるを得ない。

大日本帝国憲法には、いわゆる「国家緊急権規程」が満載であった。第14条(戒厳大権)、第8条(緊急勅令)、第31条(非常大権)、第70条(緊急財政処分)などである。条文は以下のとおりである。

第14条(戒厳大権)
1項 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2項 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第8条(緊急勅令)
1項 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス

第31条(非常大権)
本章(第2章 臣民権利義務)ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

第70条(緊急財政処分)
1項 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得

戒厳が宣告されれば、こんなことになる。
戒厳令第十四条 戒厳地境内於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス
但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ
之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク
人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト

(口語訳)戒厳令が敷かれた地域内では、通常の立法・行政・司法は停止して、司令官が以下の専権をもつ。仮に、これによって誰かに損害が生じても、賠償はしない。
1 不都合な集会や、新聞雑誌広告の発行は停止する
2 軍が必要な諸物品を調査して、その輸出を禁止する
3 銃砲弾薬兵器火具などの危険物の所在を検査して取り上げる
4 郵便電報は開封し船舶や諸物品を検査し陸海の交通路を遮断する
5 やむを得ない場合は、人民の家屋や財産を破壊し焼却する
6 昼夜の別なく人民の住居・建物・船舶に立ち入って検査する
7 必要あれば住民を追い出すこと

関東大震災直後の1923年9月3日の関東戒厳令司令官通知万世一系なにごと以下のとおりである。
(同司令部は、9月2日緊急勅令による「行政戒厳」によって設置されたもの)
一 警視総監及関係地方長官並ニ警察官ノ施行スベキ諸勤務。
1 時勢ニ妨害アリト認ムル集会若ハ新聞紙雑誌広告ノ停止。
2 兵器弾薬等其ノ他危険ニ亙ル諸物晶ノ検査押収。
3 出入ノ船舶及諸物晶ノ検査押収。
4 各要所ニ検問所ヲ設ケ
通行人ノ時勢ニ妨害アリト認ムルモノノ出入禁止又ハ時機ニ依り水陸ノ通路停止。
5 昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物、船舶中ニ立入検察。
6 本命施行地域内ニ寄宿スル者ニ対シ時機ニ依リ地境外退去。
二 関係郵便局長及電信局長ハ時勢二妨害アリト認ムル郵便電信ヲ開緘ス。

また、ヒトラーが政権簒奪の手段としてまず用いたのが、以下のワイマール憲法第48条2項である。
「ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。
この目的のために、大統領は一時的に第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(信書・郵便・電信電話の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の権利)、第124条(結社の権利)、および第153条(所有権の保障)に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。

そして、悪名高いナチスドイツの「授権法」(全権委任法)は、わずか全5条だった。これが、ヒトラー独裁の法的根拠となった。
正式名称 「民族および国家の危難を除去するための法律」1933年3月23日成立
1.ドイツ国の法律は、ドイツ政府によっても制定されうる
2.ドイツ政府によって制定された法律は、憲法に違反することができる
3.ドイツ政府によって定められた法律は、首相によって作成され、官報を通じて公布される。特殊な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。
4.ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。政府はこうした条約の履行に必要な法律を発布する。
5.本法は公布の日を以て発効する。本法は1937年4月1日までの時限立法である。

日本国憲法には一切の緊急事態条項がない。その理由を制憲国会(第90帝国議会)における政府(担当大臣金森徳次郎)答弁は、こう語っている。

緊急勅令及ビ財政上ノ緊急処分ハ、行政当局者ニ取リマシテハ実ニ調法(重宝)ナモノデアリマス、併シナガラ調法ト云フ裏面ニ於キマシテハ、国民ノ意思ヲ或ル期間有力ニ無視シ得ル制度デアルト云フコトガ言ヘルノデアリマス、ダカラ便利ヲ尊ブカ或ハ民主政治ノ根本ノ原則ヲ尊重スルカ、斯ウ云フ分レ目ニナルノデアリマス、ソコデ若シ国家ノ伸展ノ上ニ実際上差支ヘガナイト云フ見極メガ付クナラバ、斯クノ如キ財政上ノ緊急措置或ハ緊急勅令トカ云フモノハ、ナイコトガ望マシイト思フノデアリマス

「民主政治ヲ徹底サセテ国民ノ権利ヲ十分擁護致シマス為ニハ、左様ナ場合ノ政府一存ニ於テ行ヒマスル処置ハ、極力之ヲ防止シナケレバナラヌノデアリマス言葉ヲ非常ト云フコトニ藉リテ、其ノ大イナル途ヲ残シテ置キマスナラ、ドンナニ精緻ナル憲法ヲ定メマシテモ、口実ヲ其処ニ入レテ又破壊セラレル虞絶無トハ断言シ難イト思ヒマス、随テ此ノ憲法ハ左様ナ非常ナル特例ヲ以テ――謂ハバ行政権ノ自由判断ノ余地ヲ出来ルダケ少クスルヤウニ考ヘタ訳デアリマス、随テ特殊ノ必要ガ起リマスレバ、臨時議会ヲ召集シテ之ニ応ズル処置ヲスル、又衆議院ガ解散後デアツテ処置ノ出来ナイ時ハ、参議院ノ緊急集会ヲ促シテ暫定ノ処置ヲスル、…コトガ適当デアラウト思フ訳デアリマス」

70年余以前の、この日本国憲法制定の初心を、今噛みしめる必要があるだろう。新型インフル特措法改定案に反対した山添拓議員(共産)の、昨日(3月13日)参院本会議での反対討論(要旨)を紹介しておく。

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 新型コロナウイルス感染症に、多くの人が不安を感じています。今求められているのは、感染拡大を防ぎ、検査体制と医療体制をいっそう充実させるとともに、くらしと経済を守る政治責任を果たすことです。ところが政府は、本法案を通すことを最優先にしています。
 特措法の最大の問題は、緊急事態宣言の下で行政に権力を集中させ、広範な権利制限が可能となることです。
 外出自粛の要請が可能とされます。学校や保育所、介護老人保健施設など、多くの人が利用する施設の利用の制限・停止を要請し、指示できるとされます。医療施設建設のために土地や建物を同意なく使用できるとされます。
こうした多岐にわたる措置は、憲法が保障する移動の自由、経済活動の自由、集会の自由や表現の自由などの基本的人権を制約し、くらしと経済に重大な影響を及ぼします。
 特措法は、自由と権利の制限は「必要最小限度」としていますが、その保証はありません。さまざまな措置により市民に生じる経済的な損失について、補償する仕組みもありません。
 幅広い人権制限が発動されれば、市民生活と経済活動に広範な萎縮効果が及びます。
 自由と権利の重大な制約を可能とするにもかかわらず、法律上の歯止めが曖昧です。
都道府県知事にこうした強力な権限をもたせるのが、首相による「緊急事態宣言」です。ところが、その発動要件は法律上不明確です
 「重篤」とは何か、「相当程度高い」とはどの程度か、「まん延」とは何か、これらを誰が、いかなる根拠で判断するのかの定めがありません。科学的根拠について、専門家の意見を踏まえる仕組みがありません。
 「宣言」の発動や解除に際し、国会の承認は求められていません。私権制限を一時的かつ一部とはいえ行政権に集中させるのに、国会の事前承認すら求めないのは重大です。
 さらに「宣言」下では、「指定公共機関」であるNHKに対し首相が「必要な指示をすることができる」とされ、その内容や範囲に限定はありません。これでは、政府にとって都合の悪い事実は報道させないことも可能となり、国民の知る権利を脅かしかねません。
 本法案は、衆議院で3時間、本院でも参考人質疑を含め4時間20分の質疑時間で委員会採決に至り、十分な審議すら行われていません。政府は本日の質疑でも、現状は緊急事態宣言を発する状況ではないとしています。急いで審議・採決を進める必要はありません。
 憲法改定に前のめりの安倍首相の下で、自民党議員が「緊急事態条項を改憲項目に」と発言しています。安倍政権に緊急事態宣言の発動を可能とすることは容認できません。

(2020年3月14日)

首相会見がシナリオに沿った「台本営発表」では知る権利に応えられない。

松尾貴史が、絶好調である。日曜日の朝は、毎日新聞の「松尾貴史のちょっと違和感」が楽しみ。3月8日は「首相会見打ち切り、自宅直帰のワケ 聞かれてなぜ、うろたえる?」というタイトル。分かり易く、面白くて、ためになる。

ついでながら、これに比較して、月曜日の西原理恵子「りえさん手帳」がまったくつまらない。貴重な紙面の無駄だ。最近は、月曜日のこの乱暴な絵には目を背ける。ヘイト派の片割れとなり果てては、表現者はお終いなのだ。こんなものの連載を続けている毎日新聞の見識を疑う。

さて、3月8日の松尾貴史コラム。毎日新聞を読んでいない人のために、一部を引用しておきたい。

 蓮舫氏は、安倍氏がコロナウイルス問題について「会見」と称して開いた「演説会」で、記者からの質問に対する答えも用意された原稿を読む形ですすめ、まだ質問があると手をあげる記者もいる中、とっとと終えて、忙しいのかと思いきや自宅に直帰した件でもただした。

 「ジャーナリストの江川紹子さんが、『まだ質問があります』と挙手しました。なぜ答えなかったんですか」という質問に、安倍総理が「あの、これはですね、あのー、あらかじめ、えー、ま、記者あー、クラブとですね、あの、おー。ま、広報室側で、えー、あの、ある程度の、え、打ち合わせをしていると、おー、いうふうに聞いているところでございますが、ま、時間の関係で、えー、時間の関係で、ですね、あのー、お、お、おー、うちらせ(打ち切らせて?)、えー、いただいた、とまあ、こういうことでございます」としどろもどろ。何をそんなにうろたえているのか。いつもは、ことに女性議員には居丈高になる安倍氏だが、支持率が下がっているせいなのか、意外と言葉だけは低姿勢の印象だ。
そこで蓮舫氏が「いや、36分間の会見終わって、そのあとすぐ帰宅しています。そんなに急いで帰りたかったんですか」と聞くと、安倍氏は「あの、えー、いつも、えー、この、おー、総理……会見、においてはですね、ある程度の、おーこの、えーやり取り、や、やり取りについて、え、あらかじめ質問を、頂いている、ところでございますが、えー、その中で、誰に、えーこの、お答えをさしていただくか、ということについては、ですね、司会を務める、えー、広報官の方で、責任もって、対応をしているところで、えー、あります」

 もう、わらうしかない。毎度のことながら、「急いで帰りたかったのか」という聞かれたことには一切答えなかった。
とうとう蓮舫氏に、「いや会見でね、総理はね、『さまざまなご意見、ご批判、総理大臣として、そうした声に真摯(しんし)に耳を傾けるのは当然だ』と。だったら、広報官を止めて、遮らないで、会見をもっと続けて、江川さんやみんなの声に応えると、何で自らそこでリーダーシップを発揮しなかったんですか」とピシャリとやられていた。
 どうだろう、日本国のトップとしてこの体たらくは。これはコント台本ではない。

沖縄タイムスが、この首相記者会見のやり方を「台本営発表」と表現した。なるほどうまいものだ。この首相記者会見をきっかけに、事前にやり取りが決められた総理大臣の会見の在り方を変えるための署名活動が始まっている。呼びかけたのは新聞労連の南彰委員長。署名はオンラインで集めるもので、当初の予定だった1万を遙かに超えて3万余となっている。。

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十分な時間を確保したオープンな「首相記者会見」を求めます!

発信者:日本マスコミ文化情報労組会議 宛先:内閣総理大臣 安倍晋三(内閣総理大臣)

新型コロナウイルスの感染拡大防止策として、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の全国一斉臨時休校を打ち出した安倍晋三首相が2月29日、記者会見をしました。
安倍首相は「国民の皆さんのご理解とご協力が欠かせません」と訴えましたが、質疑に入ってからも事前に用意した原稿を読み上げるばかり。「なぜ全国一律の対応が必要と判断したのか」「ひとり親や共働きの家庭はどうすればいいのか」などについて十分な説明はありませんでした。約35分間のうち約19分間を一方的な冒頭発言に費やし、まだ質問を求めている人がいるにもかかわらず、官邸側はわずか5問で一方的に「終了」を宣言。説明責任を果たさぬまま、安倍首相は私邸に帰宅しました。立ち去ろうとする安倍首相に対し、「まだ質問があります」「最初の質問にもちゃんと答えられていません」とフリージャーナリストの江川紹子さんが上げた声は、国民・市民の率直な声です。
しかも、2月29日の会見で述べた内容すら揺らいでいます。2日後の3月2日の国会答弁では、「直接、専門家の意見をうかがったものではない」と一斉休校要請が明確な科学的根拠に基づく判断ではないことが明らかになりました。

ウイルス対策は重要ですが、生活や経済が破綻したり、市民的自由が奪われたりするリスクも考慮しなければなりません。多大な影響、痛みが生じる政策決定の根拠や効果、デメリットを抑える具体的な対策について、国民・市民にわかりやすく説明し、納得を得る必要があります。早期に日本記者クラブを活用して、再質問も行える十分な質疑時間を確保し、雑誌やネットメディア、フリージャーナリストも含めた質問権を保障した首相記者会見を行うよう求めます。
政府と同時に、内閣記者会(官邸記者クラブ)に所属している報道機関にも要請します。
現在の首相記者会見は、内閣広報官が質疑を取り仕切り、不十分な答弁に対しても再質問ができない慣例になっています。安倍首相が3月2日の参院予算委員会で、「いつも総理会見においては、ある程度のやり取りについて、あらかじめ質問をいただいている。その中で、誰にお答えさせていただくかということは、司会を務める(内閣)広報官の方で責任を持って対応している」と事前質問通告や官邸側の仕切りを公然と認める状態になっています。このことは、「運営などが公的機関の一方的判断によって左右されてしまう危険性」を指摘し、「当局側出席者、時期、場所、時間、回数など会見の運営に主導的にかかわり、情報公開を働きかける記者クラブの存在理由を具体的な形で内外に示す必要がある」とした記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解(2002年作成、2006年一部改訂)にも抵触する状況です。
国民・市民の疑問を解消できない記者会見のあり方には、内閣記者会に所属する報道機関側にも国内外から批判が向けられています。日本記者クラブでのオープンで十分な時間を確保した記者会見が実現するよう、各報道機関が首相官邸に要請し、その立場を広く社会に表明するよう求めます。
また、2011年以降、日常的に首相が記者の質問に応じる機会がなくなりました。特に例年3月末に新年度予算が成立した後は、首相が国会で説明する機会も急減します。官邸の権限が増大する一方で、説明の場が失われたままという現状は、民主主義の健全な発展を阻害しています。日常的に首相へ質問する機会を復活するよう、政府と報道機関に求めます。
国民・市民の「知る権利」を実現するため、メディアの労働組合や1人1人のジャーナリスト、市民らが共に声をあげることによって、今の状況を変えていきたいと思い、署名活動を始めました。ぜひ、ご賛同よろしくお願いいたします。
2020年3月5日
【呼びかけ人】
●日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)
議 長 南   彰(新聞労連)
副議長 是村 高市(全印総連)
副議長 土屋 義嗣(民放労連)
副議長 酒井かをり(出版労連)
副議長 瀬尾 元保(映演共闘)
副議長 土屋  学(音楽ユニオン)
●国会パブリックビューイング
代 表 上西 充子

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こちらは、パロディである。「週刊金曜日」3月13日号、戯作者・松崎菊也のなんと達者な「緊急事態宣言」。これも、その一部の引用。全部をお読みいただくには、ぜひ同誌の定期購読を。

総理「非常事態宣言というのは、いわばですね、まさに非常事態を、宣言することにおいて、ですね。非常事態である、ということをご理解いただき、その上において、さらにですね、いわゆる、非常事態であるということを、いち早く、え〜、宣言すること、お〜、において、え〜、政府与党のみならずですね、ま、いわば、野党のみなさまのご理解をいただいた上において、え〜、国としても、ま、やってるんだということをですね、ご理解いただく、とともにですね、さらにですね、感染拡大の、防止という事態をですね、…先手先手のみならず、後手後手になってもいいように、みなさま方と、責任を分担する上において、私の独断で、え〜、実効性のある対策を、実効性のある無しにかかわらず、実行するべくですね。と同時に、専門家の知見、等も踏まえ、ですね。専門的な知見に惑わされることなく、非常事態を宣言する、と同時にですね。国民のみなさまお一人お一人に寄り添い、…なりふりかまわず、徹底的な防止策を推し進め、国民の生命と私の政権を守る延命策、をですね、政権としても、募集するというよりは、募りたい、という観点から、え〜、寒天から、トコロテン」

(2020年3月13日)

9年目の3月11日に、新型インフル特措法の改正に反対する。

昨日が3月10日、東京大空襲によって無辜の非戦闘員10万人が虐殺された日。戦争被害だからとして到底甘受しえない、あまりに巨大で悲惨な体験。それまで多くの国民にとって、戦争とは外地で行われるものであり、危険は出征した男たちが引き受けるはずのものであった。1945年のこの日は、戦争とはすべての国民に否応のない深刻極まる惨禍をもたらすものと思い知らされた日でもある。

戦争は天災ではなく人災である。起こした人がおり責任者がいる。その戦争責任の追及が求められる。中国に対しても米英に対しても、戦争を仕掛けたのは日本の側なのだから、虐殺された10万人の怨みは、戦争をたくらんだ日本の為政者・天皇制政府にも向けられなければならない。最高責任者天皇の責任を追及しなかったことが、歴史的禍根である。

そして、本日が3月11日。2011年の東日本大震災の記憶は生々しい。東北3県の2万余の人が津波でかけがえのない命を失った。天災の被害者には、哀悼の意を捧げるしかない。しかし3・11には、天災にとどまらず戦争と本質を同じくする人災がそれに続いた。福島第1原発の事故による放射線被害である。地震大国日本において原発を国策とし、しかも津波対策を怠った者の責任を不問に付してはならない。今、民事・刑事の訴訟を通じて、この大事故の責任追及が行われている。なお、当時の私の思いは、下記のブログに書き尽くしている。
https://article9.jp/wordpress/?p=4563

あの日から9年経った今、世はコロナウィルス禍に萎縮した事態にある。これも、一面は天災であり、またもう一面は人災でもある。安倍政権のコロナ対策は、納得しうる根拠に欠け、無為無策のうちに感染被害を拡大した。そして、無為無策を非難されるや、一転して根拠を示すことなく、根拠に欠けた過剰な対策をとるようになった。

その理由の一つは桜疑惑に代表される自らの不祥事の糊塗であるが、それにとどまらない。コロナ禍の蔓延を奇貨とした、改憲への国民の誘導を考えているのだ。

泥棒とは、不名誉な人物であり、あるいは行為である。火事場泥棒という言葉の語感は、単なる泥棒の比ではない。なんという忌まわしく、汚い、怪しからん、奴というイメージがある。安倍晋三がやろうとしているのは、その類である。

「火事場」とは、新型コロナウィルスの蔓延の事態をいう。国民が戦々恐々としているというだけではない。現実に多くの人の就業や営業に差し支えが生じて苦しんでいるときに、その事態を自己の野望の実現に利用しようというのだ。

「泥棒」とは、新型インフルエンザ特措法の改正をいう。盗まれようとしているのは、立憲主義にほかならない。憲法は、国民の人権を擁護するために為政者の権力行使を制約する体系として作られている。ところが、国家の緊急事態を口実に、為政者にフリーハンドを与えるという危険極まりない例外の設定が、「緊急事態」。この特措法はその危険を内包している。

安倍晋三は、「緊急事態宣言」をやってみたいのだ。その実績が、次には憲法改正につながるとのではないか魂胆あればこそ。しかし、緊急事態条項は、憲法レベルでも、法律レベルでも、危険極まりない。国政を私物化し、嘘とごまかし、公文書の隠匿改竄を日常とする安倍政権にこんな危険なオモチャを与えてはならない。
(2020年3月11日)

新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する緊急声明

お集まりの記者の皆様に、二つのことを申しあげます。
一つは、原理的な問題。いったい今、憲法原則に関わるどのような問題が起きようとしているのかということ。そしてもう一つは、ほかならぬ安倍内閣が手がけようとしているからこその危うさです。安倍内閣に、こんな危険なたくらみをさせてはならない。とんでもないことになってしまうということ。

言うまでもないことですが、近代憲法の最重要のテーマは、人権と権力の対抗関係の調整です。すべての個人に備わる人権こそが憲法上の最高価値です。権力の行使には、人権を侵害せぬよう抑制が求められます。権力は強大にならぬよう分立され、その行使には厳重な手続が課されます。主権者は、権力を生み、同時に権力を規制します。これが、近代立憲主義にほかなりません。

しかし、その例外を強調する考え方があります。「国家緊急権」といわれるものです。確かに権力には人権を侵害せぬよう配慮をすべき義務があることは認めざるを得ない。が、それは飽くまで平時の場合の原則であって、国家存亡の緊急時には例外が認められなくてはならない。国家存亡の緊急事態に、国民の人権への配慮などと悠長なことは言っておられない。平時の憲法秩序を一時停止し、権力に対する制約を解除してこれを強化し、人権に対する制約を許容しなければならない、というのです。

《国家がもつ権力》と《国民個人の人権》とが、対抗関係にあるのですから、権力を強化すれば人権が危うくなります。権力を与る者は、国民の人権を危うくする権力を誇示したいという衝動をもちます。国家の緊急事態には、権力は最大限化するとともに、人権の保障は最小限化されることになりますから、権力者にはたいへん魅力的な事態なのです。

今、目の前にあるのは、感染症の蔓延という災害を理由にした、「緊急事態」の発動です。その要件は限りなく曖昧で、その人権制約の効果には恐るべきものがあります。

「信頼は常に専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。」という民主主義の原点を、再確認しなければなりません。

そして、二つ目。安倍政権が特措法を改正して、新型コロナウィルスの蔓延を適用対象とし、緊急事態宣言を行おうとしていることです。

2012年4月の自民党憲法改正草案に、詳細な緊急事態条項の構想が、条文化されています。民主主義と人権にとって死活的な内容と言って過言ではない代物。おそらく、これが、安倍政権の本音だと思います。国権の最高機関である国会をないがしろにして内閣が制定する政令で法律に代えることができる、人権の制約は顧慮されません。これを、今やろうとしているのではないか。

安倍晋三とは、国政を私物化しようという人物。安倍内閣とは、嘘とごまかし、文書の破棄・改竄を厭わない政権。決して国民に対する説明責任を果たそうとはしません。このような人物、このような政権に、危険な刃物をもたせてはなりません。それは、国民を傷つけることになる。

真に有効な感染症対策をしょうとするなら、なによりも専門知を結集して現状を正確に認識して科学的な検証に耐える対策を建てるとともに、これを国民に十分に説明して、その納得を得ることです。場当たりな素人判断で事態を悪化させ、緊急事態宣言の条件を作ろうなど、もってのほかと言わねばなりません。

そのような視点から、この声明に目をお通しください。

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新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する緊急声明

新型コロナウイルスの感染拡大が深刻さを増すなか、安倍政権は現行の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下「特措法」と略記)の対象に新型コロナウイルス感染症を追加する法改正(ただし、2年間の時限措置とする)を9日からの週内にも成立させようと急いでいる。
しかしながら、特措法には緊急事態に関わる特別な仕組みが用意されており、そこでは、内閣総理大臣の緊急事態宣言のもとで行政権への権力の集中、市民の自由と人権の幅広い制限など、日本国憲法を支える立憲主義の根幹が脅かされかねない危惧がある。
そのような観点から、法律家、法律研究者たる私たちは今回の法改正案にはもちろん、現行特措法の枠内での新型コロナウイルス感染症を理由とする緊急事態宣言の発動にも、反対する。あわせて、喫緊に求められる必要な対策についても提起したい。

1 緊急事態下で脅かされる民主主義と人権
特措法では、緊急事態下での行政権の強化と市民の人権制限は、政府対策本部長である内閣総理大臣が「緊急事態宣言」を発する(特措法32条1項。以下、法律名は省略)ことによって可能となり、実施の期間は2年までとされるものの、1年の延長も認められている(同条2項、3項、4項)。
問題なのは、絶大な法的効果をもたらすにもかかわらず、要件が明確でないことである。条文では新型インフルエンザ等の「全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがあるもの」という抽象的であいまいな要件が示されるだけで、具体的なことは政令に委ねてしまっている。また、緊急事態宣言の発動や解除について、内閣総理大臣はそれを国会に報告するだけでよく(同条1項、5項)、国会の事前はおろか事後の承認も必要とされていない。これでは、国会による行政への民主的チェックは骨抜きになり、政府や内閣総理大臣の専断、独裁に道を開きかねず、民主主義と立憲主義は危うくなってしまう。
緊急事態宣言のもとで、行政権はどこまで強められ、市民の自由と人権はどこまで制限されることになるのか。特措法では、内閣総理大臣が緊急事態を宣言すると、都道府県知事に規制権限が与えられるが、その対象となる事項が広範に列挙されている。例えば、知事は、生活の維持に必要な場合を除きみだりに外出しないことや感染の防止に必要な協力を住民に要請することができる(45条1項)。また、知事は、必要があると認めるときは、学校、社会福祉施設、興行場など多数の者が利用する施設について、その使用を制限し、停止するよう、施設の管理者に要請し、指示することができる。また施設を使用した催物の開催を制限し、停止するよう催物の開催者に要請し、指示することができる(同条2項、3項)。
外出については、自粛の要請にとどまるとはいえ、憲法によって保障された移動の自由(憲法22条1項)を制限するものである。また、多数の者が利用する学校等の施設の使用の制限・停止や施設を使用する催物の開催の制限・停止という規制は、施設や催物が幅広く対象となり、しかも要請にとどまらず指示という形での規制も加え、強制の度合いがさらに強められており、憲法上とりわけ重要な人権として保障される集会の自由や表現の自由(憲法21条1項)が侵害されかねない。
また、特措法の下で、NHKは、他の公共的機関や公益的事業法人とならんで指定公共機関とされ(2条6号など。民放等の他の報道機関も政令で追加される危険がある)、新型インフルエンザ等対策に関し内閣総理大臣の総合調整に服すだけでなく(20条1項)、緊急事態宣言下では、総合調整に基づく措置が実施されない場合でも、内閣総理大臣の必要な指示を受けることとされている(33条1項)。これでは、報道機関に権力からの独立と報道の自由が確保されず、市民も必要で十分な情報を得られず、その知る権利も満たせないことになる。
さらに、知事は、臨時の医療施設開設のため、所有者等の同意を得て、必要な土地、建物等を使用することができるが、一定の場合には同意を得ないで強制的に使用することができる(49条1項、2項)。これも私権の重大な侵害であり、憲法が保障する財産権にも深く関わる措置である(憲法29条)。

2 政府による対策の失敗と緊急事態法制頼りへの疑問
政府は、特措法改正の趣旨を、新型コロナウイルス感染症の「流行を早期に終息させるために、徹底した対策を講じていく必要がある」(改正法案の概要)と説明している。
しかし、求められる有効な対策という点から振りかえれば、中国の感染地域からの人の流れをより早く止め、ダイヤモンドプリンセス号での感染を最小限にとどめ、より広範なウイルス検査の早期実施と実施体制の早期確立が必要であった。にもかかわらず、国内外のメディアからも厳しく批判されてきたように、初期対応の遅れとともに、必要な実施がなされない一方で、専門家会議の議論を踏まえて決定されたはずの「基本方針」にもなかった大規模イベントの開催自粛要請、それにつづく全国の小中高校、特別支援学校に対する一律の休校要請、さらに中国と韓国からの入国制限などが、いずれも専門家の意見を聞かず、十分な準備も十分な根拠の説明もないまま唐突に発動されることによって、混乱に拍車をかけてきた。
本来必要な対策を取らないまま過ごしてきて、この段階に至って緊急事態法制の導入を言い出し、それに頼ることは感染の抑止、拡大防止と具体的にどうつながるのか、大いに疑問である。根拠も薄弱なまま、政府の強権化が進み、市民の自由や人権が制限され、民主主義や立憲主義の体制が脅かされることにならないか、との危惧がぬぐえない。現に、特措法改正を超えて、この際、今回の問題を奇貨として憲法に緊急事態条項を新設しようとする改憲の動きさえ自民党や一部野党のなかにみられることも看過しがたい。

3 特措法改正ではなく真に有効な対策をこそ
今回の特措法改正はあまりにも重大な問題が多く、一週間の内に審議して成立させるなどということは、拙速のそしりをまぬかれない。私たちは、政府に対し今回の法改正の撤回とともに、特措法そのものについても根本的な再検討を求めたい。加えて、次のことを急ぐべきである。すなわち症状が重症化するまでウイルス検査をさせないという誤った政策を転換し、現行感染症法によって十分対応できる検査の拡大、感染状況の正確な把握とその情報公開、感染者に対する迅速確実な治療体制の構築、マスクなどの必要物資の管理と普及である。感染リスクの高い満員通勤電車の解消、テレワークを可能にする国による休業補償、とりわけ中小企業への支援、経済的な打撃を受けている事業者に対するつなぎ融資や不安定雇用の下にある人々や高齢者、障がい者など生活への支援を必要とする人々への手厚いサポートが必要である。そのため緊急にして大胆な財政措置が喫緊である。
強権的な緊急事態宣言の実施は、真実を隠蔽し、政府への建設的な批判の障壁となること必至である。一層の闇を招き寄せてはならない。

2020年3月9日

梓澤和幸 (弁護士)
右崎正博 (獨協大学名誉教授)
宇都宮健児 (弁護士、元日弁連会長)
海渡雄一 (弁護士)
北村 栄 (弁護士)
阪口徳雄 (弁護士)
澤藤統一郎 (弁護士)
田島泰彦 (早稲田大学非常勤講師、元上智大学教授)
水島朝穂 (早稲田大学教授)
森 英樹 (名古屋大学名誉教授)  (*あいうえお順)

(2020年3月9日)

広島地検は、徹底して河井案里選挙の違法を追及せよ。政権への忖度などあってはならない。

自民党河井案里参議院議員の公設秘書ら3人が公職選挙法違反で逮捕されたね。検察もやるときはやるってことじゃない?

さあね。この先を見極めないとなんとも言えないんじゃないかな。

でも、河井案里の選挙運動は安倍首相肝いりだったと報道されているよ。自民党からは1億5000万円も資金がつぎ込まれ、安倍の秘書まで動員されたというじゃない。そこに踏み込んだのだから、広島地検も相当の覚悟のように見えるけど。

自民党現職として同じ選挙区に立候補して落選したのが岸田派の溝手顕正。こちらの陣営も河井案里の派手な選挙活動には驚いたそうだね。溝手には、党から1500万円しか届けられていない。なにせ10倍の資金だから、目立ち過ぎて検察も動かざるを得なかったのかも知れない。

夫の河井克行が選挙を取り仕切ったと言われているでしょ。この人は参院選当時の法務大臣。しかも、安倍・菅の身内の子分みたいな存在。検察も手を着けるのにためらいを感じたはず。そこに手を着けたということは、検察も意地を見せたんじゃないの。

安倍政権は不祥事満載じゃないか。モリ・カケ・サクラ、カジノ、管原・河井。それに入試疑惑もある。これだけあって、手を着けているのは、カジノ疑惑の小物と、この河井案里案件だけじゃないか。とても「検察よくやった」なんていう気にはなれない。

それでも、安倍首相にしてみれば、河井案里選挙違反に関しては、検察が自分の思うままにならないといういらだちがあるんじゃないの。

検察という機構は、時の総理大臣をも、強制捜査して起訴する権限がある。総理に忖度していては公正な職務を全うできない。

それはそうね。モリ・カケ・サクラ、カジノに入試疑惑と数えると、安倍晋三とその直近に、嫌疑がかかってくる事件だものね。

河井案里案件処理の関心のひとつは、逮捕された公設秘書を起訴して、公職選挙法上の「総括責任者」として有罪に持ち込めるか。それができれば、連座制の適用で河井案里の議席は剥奪となる。もう一つは、報道では選挙を取り仕切っていた河井克行を起訴できるかだ。これを有罪にできれば、この議員の衆議院での議席を剥奪できることになる。これは、安倍政権にインパクトが大きい。

黒川検事長の定年延長は、安倍自身が、身の灰色を自覚しての布石ということなのかしら。

そうとしか考えられないというほどの異常なやり口だから、このままだと検察の権威は地に落ちるね。まずは河井案里事件がどうなるかだけれど、これだけでは、とても検察よくやったとは言い難い。

案里の件は、「ウグイス嬢に規定を超える報酬を支払った疑い」とされているけど、自民党内には、「誰でもやっていることで大したことではない、法律の方が現実に合わない」という声もあるようだけど。

まったく嘆かわしい。選挙というものの基本が分かっていない。選挙運動というものは、本来が主権者である有権者国民が行うものであって、無償が大原則だ。車上運動員に、1日15000円の日当支払いを認める法律の方がおかしいんだ。

選挙運動のアルバイトという感覚がおかしいのね。案里の選挙では30000円の領収書は作れないから2枚に分けて、収支報告書には15000円分のものだけ記載していたそうね。これを「河井方式」と呼んでいたそうだけど、案里の選挙運動に関わった全員が違法であることを承知していたんだ。

あなただって、この間の地方選のときには選挙カーに乗ってウグイスやったじゃない。日当はもらわなかったの。

選挙運動に日当なんて文化が違うわね。アルバイトじゃなくて、自分の推薦する候補者の選挙運動をするんだから日当をもらうなんて考えもよらなかった。あのときは、カンパの要請があったから、こちらから支払ってきたわよ。

案里の選挙では、ウグイス嬢への違法日当支払いだけでなく、票のとりまとめの報酬として96万円の支払いがあったとも報道されている。ウグイス嬢への違法日当支払も、票のとりまとめの報酬支払いも、運動員買収となる。カネを支払った者には運動員買収罪、日当名目でも報酬としてでもカネを受けとった者には被買収罪が成立する。カネを配ることは、犯罪者を作ることでもあって罪が深い。表に出ることはすくないが、現実にあることだ。

1億5000万円の選挙資金がいったいどう使われたのか。検察は、その全容を解明して、説明して欲しいね。安倍政権への忖度なしで。

そうしてこそ、政権から独立した検察だ。そして、再度確認しておきたいのは、選挙運動とは無報酬ですべきことだということ。選挙運動の対価として報酬を得れば犯罪となる。このことを肝に銘じなければならない。不当な弾圧などと言って通じることではない。

(2020年3月8日)

法律家団体9団体による「東京高検検事長黒川弘務氏の違法な任期延長に抗議する法律家団体共同声明」

2020年3月5日

社会文化法律センター      共同代表理事  宮里 邦雄
自由法曹団               団長  吉田 健一
青年法律家協会弁護士学者合同部会    議長  北村  栄
日本国際法律家協会           会長  大熊 政一
日本反核法律家協会           会長  佐々木猛也
日本民主法律家協会          理事長  右崎 正博
明日の自由を守る若手弁護士の会共同代表 神保大地、黒澤いつき
秘密保護法対策弁護団  共同代表 海渡雄一、中谷雄二、南典男
共謀罪対策弁護団  共同代表 徳住堅治,海渡雄一,加藤健次,南典男,平岡秀夫,武井由起子

1 はじめに
2020年1日31日の閣議決定で、2月7日で63歳を迎え検察官を定年退官する予定であった東京高検検事長の黒川弘務氏の任期が半年間延長されることになった。認証官である検事長はもちろん、検察官が定年を超えて勤務を続けた前例はない。
この人事は、黒川氏を、8月14日に65歳で定年退官となる稲田伸夫検事総長の後任に充てる目的といわれている。黒川氏は、かねてから菅官房長官と懇意であり、政権の中枢に腐敗事件の捜査が及ばなくするための人事ではないかとの疑惑が指摘されてきた。
報道によれば、2016年夏、法務・検察の人事当局は次の次の検事総長候補として林真琴法務省刑事局長を法務事務次官に就ける方針だったが、官邸から黒川氏を法務事務次官にするよう強く求められ、押し切られた。官邸は1年後にも林氏を事務次官とする人事を潰し、黒川氏を留任させた、とも報じられており(雑誌「ファクタ」1月号)、今回の事態は、官邸による検察・法務人事への介入の総仕上げといえる。

2 当初の法務大臣の説明
検察庁法22条は、検事総長は65歳、他の検察官は63歳に達した時に退官すると定めている。
ところが森雅子法務大臣は1月31日午前の閣議後の会見で、黒川氏について「検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、引き続き勤務させることを決定した」と述べた。その法的な根拠は国家公務員法の81条の3であるとし、「その職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」場合に該当するとして、定年を延長したとの説明であった。
そして森法務大臣は、2月3日の衆議院予算委員会で、国民民主党渡辺周議員の質問に対し、「検察官は,一般職の国家公務員であり,国家公務員法の勤務延長に関する規定が適用され」るという解釈を示した。

3 検察官に国家公務員法の定年・定年延長制度の適用はない?閣議決定は違法
1947年に制定された国家公務員法にはもともと定年制度がなく、社会情勢の変化の中で、1981年になって初めて定年制(国家公務員法81条の2)及び定年延長制度(同法81条の3)が導入された。しかし、同じ1947年に制定された検察庁法は、検察官は63歳に達した時に定年退官することを当初から規定し(検察庁法22条)、旧裁判所構成法時代には存在した定年延長制度を規定しなかった。
国家公務員法の定年制度は、「他の法律に別段の定めのある場合を除き」適用できると定められている(国家公務員法81条の2)。この「別段の定め」の一つが検察庁法22条である。検察官の定年は検察庁法によるのであって、国家公務員法によるものではない。従って、国家公務員の定年延長制度は、そのまま検察官に適用される関係にはない(検察庁法32条の2参照)。
何よりも、国家公務員一般に定年制がまったくなかった時代に、検察官について定年制が設けられたという事実は、検察官の定年制は国家公務員の定年制とまったく別の趣旨・目的で設けられたことを意味する。検察官の定年制は、検察官が刑事訴訟法上強大な権限を持ち、司法の一翼を担う準司法的地位にあるという、その職務と責任の特殊性に鑑み、検察官の人事に権力が恣意的に介入することを防ぐ趣旨を含むと解される。従って、検察庁法が制定されてから34年後に定められた国家公務員一般の定年延長制度が、検察官に適用されることはあり得ない。
そして、1981年の国家公務員法改正時、政府も検察官について国家公務員法の定年延長の定めは適用されないとする解釈をとっていたことが、当時の政府答弁、政府文書によって明らかになっている。すなわち、2月10日の国会審議では、1981年に政府委員(人事院任用局長)が上記解釈の答弁をしていた事実を山尾志桜里議員が指摘し、2月24日には、この1981年の政府答弁の根拠となる文書(想定問答集)が1981年10月に総理府人事院(当時)によって作成されていたことが、野党共同会派の小西洋之議員の国立公文書館での調査により判明した。

4 安倍首相の「解釈変更」答弁後における法務大臣・人事院の支離滅裂な対応
2月10日、上記山尾議員の指摘を受けた森法務大臣は、1981年の人事院の解釈について、そのような解釈は把握していないと答弁した。しかし、2月12日、人事院の松尾恵美子給与局長は、1981年の人事院の解釈につき「現在まで同じ解釈を続けている」と答弁した。
ところが、翌13日の衆院本会議で安倍首相は、「検察官の勤務(定年)延長に国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と答弁した。
この安倍首相の答弁後、法務大臣や人事局長は、これと辻褄を合わせるため、以下のとおりの支離滅裂な対応を繰り返したのである。
まず、2月19日の衆院予算委員会で、人事院の松尾恵美子給与局長は、「現在」とは1月22日のことだった、「言い間違えた」と答弁した。2月20日には、森法務大臣は、法務省が法解釈変更の経緯を示した文書について、「部内で必要な決裁を取っている」と答弁したが、同日、上記文書に日付がないことが判明し、翌21日の予算委理事会で法務省と人事院は、日付を証拠づける文書はないことを明らかにした。ところが、法務省は同日深夜、文書に関し「口頭による決裁を経た」と突然発表し、森法務大臣の答弁との整合性を取った。同月25日に森法務大臣は記者会見で、「口頭でも正式な決裁だ」と表明し、同月27日の衆院本会議では法務大臣の虚偽答弁を理由に不信任決議案までが出される事態となった。
これら一連の政府の対応は、1月31日の黒川検事長の定年延長についての閣議決定が、法務省や人事院の正規の決裁も経ないまま長年の法解釈を無視し、官邸の独断で行われたものであったことを白日の下に晒しただけでなく、法務省・人事院が、安倍首相の答弁を取り繕うため支離滅裂な辻褄合わせに狂奔する姿を露呈したものであり、もはや法治主義の崩壊と言うべき事態である。
今からでも、人事院、法務省、内閣法制局、内閣官房の間で、いつどのようなタイムラインで、どのような協議がなされたか、あるいはなされていないのか、国会の場での検討が求められる。

5 検事総長の人格識見こそが検察への政治介入の防波堤である
検察庁は行政機関であり、国家公務員法の規定に基づいて、その最高の長である法務大臣は、検察官に対して指揮命令ができる。しかし、検察庁法14条は、法務大臣の検察官への一般的指揮権は認めているが、具体的事件については、検事総長のみを指揮することができると定めている。
検察の独立性を守るのは最終的には指揮権発動を受ける可能性のある検事総長の識見、人物、独立不羈の精神に帰着する。だからこそ、検察組織は検事総長に清廉で権力に阿(おもね)らない人材を配し、政治権力による検察権に対する不当な介入の防波堤を築こうとしてきた。そして、歴代自民党政権も、検事総長人事は聖域として、前任の検事総長の推薦をそのまま受け容れてきた。これに介入するようなことは厳に慎んできたのである。いま、安倍政権によって、その秩序が壊されようとしている。

6 政府与党、検察庁内からも噴出した異論
2月15日、中谷元・元防衛大臣は、国政報告会の公の発言の中で、「(黒川氏が)検事総長になるのではないかと言われております。私が心配するのは、三権分立、特に司法は正義とか中立とか公正とか、そういうもので成り立っているんですね。行政の長が私的に司法の権限のある人をですね、選んで本当に良いのかなと。一部の私的な感情とかえこひいきとかやってしまうと、本当に行政も動かなくなってしまう。権力の上に立つ者はしっかりと、その使い方を考えていかなくてはならない。」と安倍官邸の人事に苦言を呈した。
2月19日の検察長官会同において、静岡地検の神村昌通検事正は、検察庁法で定められた「指揮権発動」についての条文を読み上げたうえで、「今回の(定年延長)ことで政権と検察の関係に疑いの目が持たれている」「国民からの検察に対する信頼が損なわれる」「検察は不偏不党、公平でなければならない。これまでもそうであったはず」「この人事について、検察庁、国民に丁寧な説明をすべき」との趣旨の意見を述べたと伝えられる。現職検事正による覚悟の発言である。

7 閣議決定の撤回と黒川検事長の辞職を求める
このように、検察と司法の危機は白日の下にさらされ、検察と与党の内部からまで異論が続出する事態となっている。黒川氏が検事総長に任命されても、その職務を全うすることは困難である。この人事が正されなければ、検察行政は麻痺状態に陥ることは避けられない。これは、「常に公正誠実に,熱意を持って職務に取り組まなければならない。」、「権限の行使に際し,いかなる誘引や圧力にも左右されないよう,どのような時にも,厳正公平,不偏不党を旨とすべきである。」という「検察の理念」(2011年制定)を心に刻んで誠実に職務を遂行している検察庁職員に対する冒涜でもあると言わなければならない。
我々は、司法の一翼を担う弁護士及び学者の集団として、内閣に対して、違法な定年延長を認めた閣議決定の撤回を求める。また、黒川氏に対して、当初の定年のとおり退官すべきものであったとして直ちに辞職することを求める。
この問題は、日本の司法と民主主義の根本にかかわる重大事である。もし、内閣と黒川氏がこのような穏当な解決に応じないとすれば、我々は、心ある検察官、与野党の政治家、メディアなどとともに一大国民運動として、検察の独立を含む民主主義を復活させるまで闘いつづける決意を明らかにするものである。

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検察庁法に違反する定年延長をした閣議決定に抗議し、撤回を求める(京都弁護士会)会長声明

安倍内閣は、本年1月31日の閣議決定で、2月7日に迫った黒川弘務東京高等検察庁検事長の定年を半年間延長した。検察官の定年が延長されたのは、1947年に検察庁法が制定されて以降初めてのことである。
政府は、本年通常国会において、検察官には国家公務員法81条の2の定年の規定が適用されないが、同法81条の3による勤務延長の規定は適用されるとして、上記閣議決定は適法である旨答弁した。さらに、本年2月13日の衆議院本会議では、これまでの公権解釈では検察官は定年延長ができないとされてきたことを認めたうえで、法解釈を変更したと主張した。

しかしながら、かかる法解釈が認められる余地は無く、今回の定年延長の閣議決定は検察庁法に違反する。
第一に、検察庁法22条は、「検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。」と明記しており、定年による退職の特例を一切設けていない。この点については、1947年の帝国議会貴族院で検察庁法が審議された際、定年の延長制度についても議論になったが、政府が検察官には定年に例外を認める弾力的な制度とはしない旨の答弁を行ったうえで、現在の定年制度が定められ、実際も例外なく運用されてきた。

第二に、定年及び定年延長を導入する国家公務員法改正案が審議された1981年の衆議院内閣委員会でも、人事院事務総局任用局長(当時)が、検察官には国家公務員法の定年及び定年延長の規定は適用されない旨を答弁している。

第三に、本年通常国会における衆議院予算委員会の2月12日審議でも、人事院事務総局給与局長は、上記の答弁をそのまま援用したうえで、「(現在まで)同じ解釈を引き継いでいる」と答弁している。
以上の経過を見れば、特別法たる検察庁法で延長の例外のない定年制度を設け、後に一般法たる国家公務員法の改正で定年年齢や定年延長等の定年制度を設けた際に、検察官にはこれを適用せず、特別法たる検察庁法の定年制度のみを適用することとしたことは明らかである。

検察官は公益の代表者として厳正な刑事手続を執り行う立場にある。内閣が違法な定年延長によって検察の人事に干渉することを許せば、政権からの独立を侵し、その職責を果たすことができるのかについて重大な疑念が生じることとなる。

当会は、三権分立を定める日本国憲法のもとで、法治主義国家として、行政は国会が定めた法律に基づいて行われるべきものであることに照らし、法を蹂躙した今回の閣議決定に断固として抗議し、撤回を求めるものである。

2020年(令和2年)3月5日

京都弁護士会会長  三 野 岳 彦

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私は、日民協・自由法曹団・青法協・国法協・反核法協の会員であって、当然に9団体声明のとおりの意見である。また、京都弁護士会長声明は、弁護士であれば同様の見解をもつことが示されている。

なお、個人的には法曹の一員として、この人事を許しておくことで、「国民からの検察に対する信頼が損なわれる」ことを最も恐れる。世間は、「アベ様のご都合人事」「アベ様の検察」「アベ様の刑事司法」と受け取るだろう。アベの政治の私物化、アベの行政の私物化は、ついに検察・刑事司法の私物化にまで行き着いた、と思われる。検察・刑事司法に対する国民の信頼の喪失は、民主主義社会における死活的重大問題である。

黒川さんは、アベのポチとしての地位に恋々とすると見られることを潔しとしないであろう。民主主義の大義からも、自らのプライドを守るためにも、速やかに辞任するがよかろう。

(2020年3月6日)

加計学園の国籍入試差別を明るみに出した内部告発者を守れ

日本という社会は、アタマからもハラワタからも腐り始めている。この腐敗を見過ごしていると、社会は腐りきって崩壊してしまうことになる。いま、この腐敗を指摘し告発することで、社会崩壊を防止しなければならない。あらためて腐敗告発の重要性を確認するとともに、現場で告発の声を上げる人々の勇気に敬意を表したい。

本日発売の「週刊文春」(3月12日号)に、「韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に『不正入試』疑惑」という記事。そのデジタル版の前振りに、こうある。

「この入試結果はあまりにも酷い。夢を抱いて、受験勉強に励んできた学生さんに対する裏切り行為だと言わざるを得ません」
こう肩を震わせるのは加計学園の幹部職員・武田晶さん(仮名)だ。同学園は、2017年以来、岡山理科大学獣医学部の新設にあたり、加計孝太郎理事長(68)と安倍晋三首相(65)の長年のお友達関係による“忖度”が問題視されてきた。その獣医学部における不正入試疑惑を、職員が証拠文書とともに告発する。

舞台は、例の学校法人加計学園である。アベシンゾーのオトモダチとして、甘い汁を吸った加計孝太郎の事業体。その腐敗のトップの下に、廉潔の士がいたということなのだ。

昨年11月16日、愛媛県今治市の岡山理科大学獣医学部キャンパスで獣医学科の推薦入試が実施された。その韓国人受験生8名全員の面接試験が一律0点となり、不合格となったことが「週刊文春」の取材で分かったという。複数の職員が、証拠となる内部文書とともに事実を明かしている。

この「複数職員」諸氏の正義感にもとづく告発はまことに貴重である。告発者には、何の利益ももたらさず、リスクばかりが大きい行為。口を拭っていれば、表には出ないはずの不正を告発したのは、ひとえに正義感の賜物。社会には立派な人がまだいるのだ。

問題は、「A方式の推薦入試」で起こった。定員21に受験生は69名。そのうち8名が韓国籍だったという。この韓国人受験生8名全員が不合格となった。内部告発がなければ、8名すべての学力が低かったのだろうで済まされるところ。ところが、この8名が8名とも面接試験が0点とされていた。これは、内部告発で始めて明らかとなった事実。それだけで、まことに不自然。首を捻らざるをえない。

A方式の推薦入試は、「学科2科目」と「面接試験」「高校での成績を反映した評点平均値」の4項目で採点される。各項目50点、計200点満点の合計得点で合否が判定される。200点満点のうちの50点を占める「面接試験」での韓国人受験生全員の点数が0点。事実上、50点のハンディを課されての競争となっている。

「これまで面接試験で0点というのはほとんど見たことがありません。公平公正を重んじなくてはいけない入試で、国籍差別が行われている事実に怒りを覚えます」というのが、告発者の言である。

この面接結果について学内で獣医学部の教授陣は「日本語でのコミュニケーションが著しく困難だった」と説明している。だが、前出の武田さんは反論する。
「すべて日本語で記された科目試験で満点に近い優秀な成績を収めた学生もおり、韓国人受験者全員が、日本語に不自由だという説明は不可解極まりないです」

週刊文春が入手した内部文書によれば、「A方式推薦入試」の最低合格点は、200点満点の138点である。韓国籍受験生の得点は、以下のとおり。面接で、30点取っていれば合格というのが5名。40点なら7名となる。
    128点(10点不足)
    120点(18点不足)
    120点(18点不足)
    112点(26点不足)
    112点(26点不足)
     99点(39点不足)
     98点(40点不足)

(なお、韓国籍受験生1名については評価点数がない。科目点数も合計点数も0点ではなく、書き込みがない。それでも、面接試験だけは「0点」と明記されている)

確かに、数学と英語の試験得点が、46点と47点(合計93点)とこれ以上はない好成績の韓国籍受験者も、不合格となっている。

文春は、2月21日に加計学園に書面で事実確認を申し入れたが、1週間後に「担当者から連絡します」と言ったきり回答はなかったという。ますますおかしい。回答不能の事態とみられてもやむを得なかろう。

前川喜平・元文科事務次官は、この件について、〈加計学園の韓国人受験生差別が事実なら、私学助成は打ち切るべきだ。〉〈加計学園の獣医学部の韓国人留学生枠は、国家戦略特区法が定める「国際拠点」という条件を満たす口実だった。同じく国家戦略特区でできた成田の国際医療福祉大学医学部の留学生枠を真似たものだ。加計学園は、形だけの口実すら反古にしたわけだ。〉と発信している。

女性や浪人生を差別していた医学部入試が世論の指弾を受け、私学助成打切りとなったことは記憶に新しい。国籍を理由とする入試差別は、さらに問題が大きい。加計孝太郎なる総理のオトモダチ。よくよく、学ばない人なのだ。

本日(3月5日)の共同記事は、文科省が動いたことを報じている。「文科相、岡山理科大に確認要請 不正入試報道で」という配信記事。

「萩生田光一文部科学相は5日の参院予算委員会で、学校法人加計学園岡山理科大獣医学部(愛媛県今治市)入試で韓国人受験生が不当に扱われたとする週刊文春報道を受け、大学側に事実関係の確認と速やかな回答を求めたと明らかにした。回答について国会に報告する考えも示した。
 萩生田氏は『一般論として、入学者選抜は公正かつ妥当な方法で行うことが求められている。合理的理由なく出身地域、居住地域等の属性を理由に一律で取り扱いの差異を設けることは不適切だ』と述べた。」

おやおや、萩生田光一は落選時代に加計学園に拾われ、同学園が経営する千葉科学大学の客員教授となっていたことで知られる。いま、ケント・ギルバートや上念司が岡山理科大の客員教授になっている。実は、萩生田はそのお仲間なのだ。首相のオトモダチに厳正な対応などできるはずもなかろう。

それにしても、内部告発者に対する報復が心配となる。なんとしても、この人たちを守らねばならない。
(2020年3月5日)

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