澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「善人なおもて人権をもつ いわんや悪人においてをや」

(2022年11月12日)
 安倍晋三が選挙演説中に銃撃されて亡くなったのが本年7月8日のできごと。あれから、参院選挙があり、安倍国葬が行われ、統一教会批判の世論が澎湃として起こり、岸田内閣の支持率が大きく低下した。臨時国会は、「統一教会問題国会」となって政権は防戦一方の体である。岸田が手にしたかに見えた、「黄金の3年間」は完全に潰えた。

 山上徹也の一発の銃弾が時代の状況を転換したと言えなくもない。が、実のところ、マグマは十分にたまっていたのだ。小さな一穴は、噴火を引き起こすきっかけに過ぎなかった。まさしく、蟻の一穴が堤防を崩して洪水をもたらした。

 政権はカルトとの癒着によって腐敗し悪臭を放ってはいた。が、薄皮一枚の「臭いものへの蓋」で人目に触れなかった。鋭敏な人を例外として、その悪臭の漏れには気付かなかった。

 安倍晋三の死は、当初政治的テロによるものと疑われたが、間もなくそうではないことが明らかとなった。統一教会と癒着し一体化していた政治家として、安倍晋三は「統一教会二世」の憎悪の標的とされたのだ。ようやく薄皮一枚の蓋が取れ、政権腐敗の実態が明らかにされた。そのことの報道は、世の人々を驚かせただけでなく、安倍晋三批判、自民党批判の高いボルテージとなった。にもかかわらず、敢えてした安倍国葬が岸田政権への批判となった。

 今なお、アベ政治の虚飾を剥ぎ取り、腐敗にまみれたその実態を明らかにする作業が進行中である。その徹底のために、なおメディアの奮闘に期待したい。が、もう一つ注目すべきは、山上徹也の刑事公判である。カルトが人を不幸にする典型例を語る彼の肉声のインパクトはこの上なく強い。公開の法廷での彼の言い分に耳を傾けたい。

 殺人事件である。その弁護方針は、徹底して動機を解明することを主軸とする。その動機は、統一教会がもたらした彼の生育歴における悲惨さと、彼に不幸をもたらした統一教会と安倍晋三の一体性の立証を柱とすることになるだろう。弁護団の活動に期待したい。

 また、被疑者段階では3名に制約された弁護人が、被疑者本人と十分な意思疎通に怠りないことと思う。しかるべき時期に、被疑者本人を代弁した社会に対しての発信があってしかるべきだと思う。そのことも、弁護人の任務の一端ではないか。

 その被疑者山上徹也は、今鑑定留置とされている。事情を知らない我々には、鑑定留置とすべき理由の存否について軽々に言及しがたい。その期間は7月25日から始まって、11月29日までと報じられている。彼が犯行直前まで発信してきたとされる1147件のツィート分析によれば、彼が精神的な疾患を有していることはほぼあり得ない。鑑定留置期間満了後、間もなくして彼は起訴となるだろう。

 その頃、また世の中が安倍の死を思い起こし、安倍の死の意味を考えさせられることになる。またあらためて、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三と三代続いたお騒がせ政治家家系と統一教会との関わりを突きつけられて、底の浅い日本の民主主義の成熟度を嘆くことにもなる。

 一時は、山上の行為が連鎖するのではないかと恐れたが、幸いに杞憂に過ぎなかったようだ。人権を語る者は、死刑囚の人権にも配慮しなければならない。安倍晋三についても同様である。「善人なおもて人権をもつ いわんや悪人においてをや」なのである。

 それだけではない。今の世に、政治的テロはけっして成功し得ない。テロの標的とされた人物を美化し、神格化さえすることになって、テロの目的に反する政治的な効果をもたらすからだ。山上の安倍晋三襲撃の動機が政治的イデオロギーにもとづくものであったとすれば、殉教者安倍晋三は死して大きな政治的影響力をもつ存在となったであろう。たまたまそうではなかったが、けっして暴力による政治活動を許してはならない。迂遠に見えても、政治は言論によって変えていくしかない。山上の銃撃に賛意を表してはならない。

内閣支持率続落ゆえの「統一教会被害救済新法」成立へ見通し

(2022年11月9日)
 内閣支持率は低ければ低いほど良い。なまじ高支持率の内閣は傲慢となって、その奇っ怪な本性を現す。少しでもマシな政策を実行させるためには、支持率を低くしておくに限る。

 世論調査における岸田内閣の支持率低下に歯止めがかからない。結構なことだ。何とか手を打たなくてはならないとの思いからであろう。岸田は昨日突然に、統一教会の被害者救済新法の成立に本腰を入れることを表明した。今国会での法案提出に最大限努力するという。内閣支持率低迷も、被害者救済新法成立見通しも結構なことではないか。

 具体的な岸田の言は、「政府として、今国会を視野にできる限り早く提出すべく最大限の努力を行う」というもの。これに先立つて、公明党の山口那津男代表と官邸で会談。新法の主な内容について合意したという。これで、統一教会被害者救済新法は、議員立法でなく政府案として国会提出される見通しとなった。

 自民党議員とりわけ安倍派と教団との癒着を背景に、及び腰に見える取り組みが世論の離反を招いたため、岸田が態度を変えて厳しく対処する姿勢を押し出した、と報じられている。

 昨日首相は記者団に対し、新法の内容として、
(1) 社会的に許容しがたい悪質な寄付の勧誘行為を禁止、
(2) 悪質な勧誘行為に基づく寄付の取消しや損害賠償請求を可能とする、
(3) 子や配偶者に生じた被害の救済を可能とする
―の3点を挙げた。

 異存はない。早期の法案化を期待したい。

 もっとも、この急進展歓迎の一色ではない。先月24日に、迅速で適切な対応を求める声明を出した宗教研究者有志の代表で、北海道大大学院の桜井義秀教授(宗教社会学)は、被害者救済を急ぐ必要性を指摘しながらも、「旧統一教会の統制目的で、他の宗教団体に影響が及んでは意味がない」「宗教団体の組織存続の要は寄付や献金、布施であり、さまざまな団体が納得する形にするべきだ」と発言している。このような貴重な意見も踏まえて、法案はバランスの取れたものになるだろう。

 なお、首相は「私自身、旧統一教会の被害者の方々と内々にお会いし、凄惨(せいさん)な経験を直接お伺いした」と教団被害者に既に直接面会したと明らかにし、「政治家として胸が引き裂かれる思いがした」と言及。「政府として被害者救済と再発防止のために、更にペースを速め、範囲を広げて新たな法制度の実現に取り組む決意をした」と語った。政府関係者によると、首相は被害者3人と面会し、約1時間半にわたり話を聞いたという。揶揄することなく、「首相の言や良し」というべきである。これも、低支持率の賜物。

前川喜平さんを次期NHK会長に!

(2022年11月5日)
 NHKの報道姿勢に関心をお持ちだろうか。NHK会長の人事についてはいかがだろうか。NHKこそは世論に最も大きな影響力を持つ我が国最大の報道機関である。その動向は日本の民主主義に大きな影響を与える。そのトップの人事は、重大な政治マターとならざるを得ない。

 政権は、NHKのあり方にも会長人事にも、重大な関心を持ち続けてきた。とりわけ、安倍晋三である。彼はNHKを独立したジャーナリズムと見ることはなく、自分の意のままとなる配下の一部門と考えてきた。その結果、NHKは「アベチャンネル」と揶揄される惨状を呈するに至っている。

 民主的感覚を持ち合わせぬ安倍晋三は、自分の右翼仲間で経営委員会を固め、その経営委員会は、5期連続してNHK会長を財界出身者としてきた。在野性のカケラもない人物たち。ジャーナリズムの何たるかを知ろうともしない人たち。もう、いい加減にしてもらいたい。こういう声が、市民による次期会長選任の運動となった。

 市民の立場で、公共放送のトップにふさわしい、本来あるべきNHK会長を選ぼうではないか、という運動が起こっている。NHKを真に国民の立場に立つ公共放送として政府のくびきから解き放つには、強靱な在野精神に充ちた強力なリーダーが必要なのだ。
 
 これまで、NHKの政権追随の姿勢を批判し、公平・中立・独立した番組編成を求める市民運動は全国に広範にあった。その人たちが、現前田会長の任期終了(来年1月)を目前に、「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」を立ち上げた。森下俊三経営委員会委員長らが次期会長候補推薦の動きをしているとの報に対抗してのことであろう。

 とは言うものの、具体的な候補者名はなかなか出てこなかった。具体的な固有名詞なしの「NHK会長推薦」は難しい。ところが、事情を知らない私にとっては突然に、前川喜平さんの名前が上がった。11月1日付で、「前川喜平氏をNHK会長に!」という署名運動が開始された。

 そして昨日(11月4日)、「会」と前川さんの記者会見が行われた。ユーチューブでその模様を見た私は、なるほど、前川さんこそが、次期NHK会長にピッタリだと思った。

 彼は言う。「私がNHKの会長に就任した暁には、憲法と放送法を遵守して、市民とともにあるNHK、そして不偏不党で、真実のみを重視するNHKのあり方を追求していきたい。そのためには番組の編集、報道にあたって、完全な自由が保障されないといけない」「政治的中立を上から求めたら権力への奉仕となる。不偏不党にも、公平にもならない。大切なことは現場の自由を重んじることだ。表現にかかわる分野では、報道も教育も文化も同じこと」「政府が右を向けと言っても右を向くことはない。左を向けと言っても同じ。けっして政府の言いなりにはならない

 NHKの視聴者は受信料は払うが、会長選任の権利はない。会長選任権は、内閣が任命する12人の経営委員がもつ。さはさりながら、前川喜平会長選任の国民の声は、政権もけっして無視はできまい。

 以下に、「会」の呼びかけを紹介しておきたい。

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市民とともに歩み、自立したNHK会長を選んでください!

     市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会

 公共放送NHKは視聴者の受信料で支えられています。しかしNHK会長は総理大臣が任命したNHK経営委員会が決めます。

 第一次安倍政権時の2008年1月に、密室の協議で福地茂雄氏(アサヒビール出身)が会長に選出されて以来、NHK会長には5期連続で安倍氏を支持する財界出身者が選ばれて来ました。そうした会長のもとでNHKは「アベ・チャンネル」と揶揄されるような、政権にすり寄り、時には市民をないがしろにする放送を、ニュースを中心に繰り返して来ました。

 私たちは、来年1月に任期満了を迎える前田晃伸会長(みずほ銀行出身)の後任を選ぶにあたって、NHK 経営委員会が過去の病弊を断ち切り、市民とともに歩み自立した公共放送のリーダーにふさわしい新会長を選ぶことを求めます。

 私たちは日本社会の民主主義と文化の向上のために、公共放送NHKが果たすべき役割は大変大きいものがあると考えています。そのためにNHK会長には、ジャーナリズムのありようや文化的な使命について高い見識を持ち、言論・報道機関であるNHKの自主・自立を貫き通す人物が選ばれる必要があります。そして、その選定にあたっては、透明性が確保されるべきです。

 ところが第一次安倍晋三政権時代の2008年1月に、菅義偉総務大臣が古森重隆氏(富士フィルム社長)を経営委員長に据え、古森氏が主導して福地茂雄氏(アサヒビール出身)をNHK会長に選んで以来、松本正之氏(JR東海出身)、籾井勝人氏(三井物産出身)、上田良一氏(三菱商事出身)、前田晃伸氏(みずほ銀行出身)と、5期(15年)の長きにわたって、安倍氏を支持する財界出身者が、経営委員長と政権幹部との密室の協議によって任命されて来ました。

 その間、「政府が右ということを左とは言えない」と発言した籾井会長に象徴されるように、NHKは政権にすり寄り、市民の活動を冷笑するような放送を繰り返して来ました。特に政権に都合のよい報道に偏った政治ニュースは、「アベ・チャンネル」と呼ばれるまでになりました。

 菅義偉政権になると前田会長を中心とするNHKの政権追従の姿勢はさらに顕著になり、市民の間にコロナ禍での東京五輪の開催に批判的な意見が強まる中で、NHKは世論を無視してまで、大会の強行を後押しし、盛り上げに邁進しました。そんな中、昨年12月にはBS1スペシャル「河?直美が見つめる東京五輪」という番組で、民主主義の根幹をなす市民の活動、その表現手段としてのデモを貶める内容の番組が放送されました。

 一方、前田会長が「スリムで強靭な新しいNHK」を目指すとして進める改革は、公共放送の価値や役割を軽視し、もっぱら経済合理性に重点を置いた人事制度改革・営業改革・関連事業改革に終始しています。前田会長が進める改革の内実は、一般の営利企業ですでに実践されてきたコンサルティング会社による改革案を、そのまま持ち込んだものに過ぎません。こうした強引な改革によって、NHKの現場は疲弊・荒廃し、放送番組の質の低下となり、視聴者の期待を裏切る事態が生まれています。

 10月11日には前田会長は、菅氏ら総務大臣経験者を中心とした自民党議員からの圧力に屈し、取りまとめていた経営計画案を急遽修正してNHK経営委員会に提出したことが新聞報道によって明らかになりました。政権主導で選ばれたNHK会長では、政治家の圧力に抗えない事実が白日の下にさらされました。

 このままでは日本社会にとってかけがえのない公共放送が崩壊しかねません。私たちは、公共放送の健全性を取り戻し、この社会の民主主義を育てるために、ジャーナリズムに深い見識を備え、NHKの自主・自立を貫き通すためのリーダーが、次期会長に選ばれることを強く望みます。

下記のURLから署名ができます。

https://www.change.org/p/%E5%89%8D%E5%B7%9D%E5%96%9C%E5%B9%B3%E3%81%95%E3%82%93%E3%82%92%E6%AC%A1%E6%9C%9Fnhk%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%81%AB

キャンペーン ・ 市民とともに歩み自立したNHK会長を選んでくだ
さい! ・ Change.org

保守心情の感動と涙を誘った菅の弔辞は代筆だった。

(2022年10月14日)
 またまた、安倍国葬ネタが続く。今度は、安っぽい保守派心情に感動を呼んだ「涙の菅弔辞」の化けの皮である。

 香川県の地方紙「四国新聞」に、スシローこと田崎史郎執筆の、コラム「岸田、菅の『話す力』追悼の辞の明暗」が掲載された。10月9日付のこと。このコラムの表題が意味深である。実は、「安倍国葬の追悼の辞をめぐって、岸田文雄、菅義偉両名の『話す力』の格差が話題となっている。その明暗の真相を語ろう」というものなのだ。

 スシローは、「安倍国葬参列者の拍手と感動の涙を誘った友人代表の弔辞」が菅本人のものではなくスピーチライターの筆になるものだったとスッパ抜いている。これまで菅は、いかにも自分で弔辞を書いたかのように振る舞ってきた。スシロー、こんな重要秘密を暴露して、今後の商売に差し支えはないのだろうか。他人事ながら、やや心配せざるをえない。

 コラムの要点は以下のとおりである。
 菅の弔辞には感動の讃辞が送られた一方、岸田の追悼の辞に対する評価は「役人が書いたような文章の棒読み」などさんざんだった。
 「評価はまるで真逆。ところが、である。岸田の追悼の辞も菅のそれも、実はスピーチライターは同一人物だった。」
 「菅は、山縣有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌を引用した。…この歌はライターの原案段階から入っていた。」

 では、「スピーチ原案のライターが同じなのに、評価がなぜ分かれたのか。私は、どれだけ『念』を入れたのかの違いだと思う」

 これ以外に、読むべきところはない。菅の「感動の弔辞」は本人が書いたのではなく、プロ(あるいは官僚)のスピーチライターに代筆を依頼したものだという。残念ながら、そのライターの名前は特定されておらず、電通との関係があるともないとも言ってはいないが、あの「拍手」「感動」「涙」を誘ったのは菅本人の言葉ではなく、他人の文章なのだ。

 「山県の(伊藤を悼む)歌はライターの原案段階から入っていた」ということだから、驚く。プロのライターが、軍国主義の巨魁の歌を引用する無神経さにである。しかも、伊藤は朝鮮植民地化を象徴する人物である。安倍が葛西の葬儀に引用したばかりであることを知らないはずもなかろう。菅は、次からライター替えた方が無難だろう。

 さらに驚くべきは、「岸田と菅の弔辞はどちらも同じスピーチライターが書いたもの」だという事実。どうしてこうなったのか、この辺の裏話は知りたいところ。そして、田崎は、同じライターで評判が真逆に分かれた理由を「どれだけ『念』を入れたのかの違い」だという。田崎の文章は分かりにくい。「念」とは何か、だれの『念」の入れ方がどう違ったのか、さっぱり分からない。

 同じライターの二つの弔辞に対する念の入れ方が違っているというよりは、菅と岸田で、ライターへの依頼の仕方における念の入れ方に差があったという意味であろうか。それにしても、どう違ったのだろうか。

 政治家の形式的な式辞だの弔辞などは官僚が書いた紋切り型の文章を読めば良い。しかし、時には、まるで自分が書いたような上手な文章が求められる。菅にとっては、友人代表の弔辞。そのように起案しなければならないが、自分にそんな能力はない。そこで、代筆のスピーチライターの出番となる。

 ライターは飽くまで黒衣である。聞き手には、あたかも菅本人が書いた文章と思ってもらわねば、拍手も感動も涙も湧いて来ない。そして、いつまでも黒衣は黒衣に徹しなければならず、秘密を破ることは許されない。

 ある日、あれは菅本人の文章ではない。あたかも菅自身が書いたものの如く、念には念を入れて周到につくられたゴーストライターの作文である、と秘密が漏らされたときに、魔法は解ける。拍手も感動も涙も全て、嘘によっていざなわれたこととなって白けるのだ。

 だから疑問に思う。なぜ、政権中枢に取り入ることで、喋るネタを仕入れていたスシローこと田崎が、菅の弔辞の化けの皮を剥がすようなことをしたのだろうか。もう、菅には、次の目はないというシグナルなのだろうか。

あれあれ、「海賊」が「国賊」に謝っちゃだめでしょう。

(2022年10月13日)
 国葬ネタが続く。自民党の、村上誠一郎議員に対する処分のこと。
 村上は、安倍国葬に欠席すると表明した際に、安倍に対する評価としてこう言った。

 「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊して、旧統一教会に選挙まで手伝わせた。私から言わせれば国賊だ」

 けだし、簡にして要を得た名言である。この名言が「1年間の役職停止処分」の理由となった。「党員たる品位をけがす行為」だというのだ。しかし、解せない。安倍政権下で、財政も金融も外交もぼろぼろになったではないか。安倍が、政治を私物化して健全な官僚機構を壊したことも間違いない。統一教会に選挙まで手伝わせたことも、いま明らかになりつつある。以上は、争いようのない事実ではないか。これをして村上は、安倍を「国賊だ」と評した。私は「国賊」という言葉はキライだが、村上が安倍を指して「国賊だ」と言ったことには、筋の通った十分な理由がある。真実を語ることを押さえてはならない。

 いったいどういうことなのだ。「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した国賊」が国葬に祭りあげられ、これを正当に批判した議員に処分である。そりゃオカシイ。石流れ木の葉が沈んではならない。アベが流れ、村上が沈むのは、あべコベではないか。

 党紀委員会の委員長は、安倍一派と気脈を通じる衛藤晟一。委員会終了後、記者団に「『国賊』との発言は極めて非礼な発言で許しがたいものだという意見で一致した」と説明している。「財政、金融、外交をぼろぼろにした」「官僚機構まで壊した」ではなく、「国賊」という表現が、保守派の逆鱗に触れて、「極めて非礼」だというのだ。安倍はといえば、不規則発言で品位を問われた人物。「国賊」が極めて非礼なら、「キョーサントー」「ニッキョーソ」はどうなのだろう。

 この処分、国民にはどう映るだろうか。「自民党って、意外に狭量」「党内の言論の自由というのはこの程度のものか」「多くの意見があっての国民政党ではないのか」「自民党の面々、ホントは安倍に対する冒涜を許したくはないんだ」「国民の6割強が国葬に反対だ。村上が6割強の側で、党紀委員会は3割の側なのに」「自民党がもっと強くなると、言論の自由が危うくなる」…。

 だが一方、村上に失望という向きも多いのではないか。「村上は党紀委員会に、『国賊』発言を撤回して謝罪する―という趣旨の文書を事前に提出していた」。事後には、「発言を撤回し、深くおわび申し上げます。15日の山口県民葬が終わりましたら、速やかにご遺族におわびにお伺いしたい、とも述べた」という。おやおや。

 村上は、海賊(村上水軍)の末裔という出自を誇る人物である。海賊には、山賊・盗賊・蛮族・野盗とは違った反権力・自由のニュアンスがある。18世紀初チャールズ・ジョンソン著の『海賊史』には、海賊のユートピア「リバタリア」が描かれている。ここでは、奴隷制や専制主義などが否定され、自由や平等、民主主義などの価値観が重視されていた。当時、多くの若者が自由と平等を求めて、海賊になったともいう。

 誇り高い海賊の末裔が、国賊なんぞに負けてはならない。処分はやられてもいたしかたないが、謝罪は海賊らしくない。さらに、安倍政治の評価に関する名言の撤回は、いかにももったいない。

 村上の名は、「安倍1強」が強まる中で、保守陣営からの政権批判者として著名であった。
 特定秘密保護法にも、「森友・加計学園問題」でも、安倍批判を重ねて、保守の良心を示してきた。とりわけ、14年の集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更や翌15年の安全保障関連法には、反対を明言した。安倍退陣を求めた村上の謝罪は、いささか残念ではある。今後、「転向」などせずに筋を通してもらいたいものと思う。

安倍国葬出席の最高裁長官、不見識ではないか。

(2022年10月12日)
 安倍国葬という奇妙奇天烈な代物については、多方面にわたって問題山積である。今後長期にわたっての徹底的な検討で解明しなければならない。

 私も、問題と思った一点を書き留めておきたい。戸倉三郎最高裁長官が当然のごとく「葬儀」に参列して追悼の辞を述べたことへの違和感である。これを違憲・違法とまでは言いがたいが、どう考えても不見識である。戸倉長官は、内閣からの参列要請を拒否すべきではなかったか。

 もし、長官が司法の独立の観点から安倍国葬参列を拒否し、その理由を記者会見で明示でもしていれば、司法に対する世人の見方を変えることができたであろう。「司法の実態は行政権の一部でしかない」との社会に蔓延している固定観念を覆し、行政権からの、また政権与党からの、司法権の独立をアピールする絶好の機会であったが、無念なるかな、その機を逸した。

 現実には、戸倉長官は、内閣から期待された役割を期待されたとおりに無難にこなした。内閣からも、政権与党からも無難な「番犬」との信頼を篤くしたところであるが、結局は何の問題提起もせず、国民には何の益するところももたらさなかった。

 メディアの一部には、「国葬であるからには、三権の長の列席があって当然」という感覚がある。その感覚の前提として、「最高裁長官とは結局のところ行政官ではないか」「内閣に指名された長官ではないか。内閣の要請を受けて当然」という牢固たる認識がある。

 しかし、日本国憲法の構造上、司法権の真骨頂は、内閣からの独立にある。確かに、最高裁長官は、内閣が指名し天皇が任命する。天皇の任命が形式的なものに過ぎないことは当然として、内閣が指名するから内閣に劣位する存在ではない。毅然として内閣の違憲・違法を糺すべき立場にある。

 今回の安倍国葬は、憲法にも法律にも根拠をもたない。仮に、最高裁が内閣法制局が首相に進言したという法的根拠の屁理屈を是認するとすれば、不見識も甚だしい。国権の最高機関とされる国会の関与もない。このような閣議決定限りの国葬に、内閣の要請で出席することを不見識という。

 「内閣の要請に応えて国葬の形を調えることに協力しても差し支えないのでは」との反論もあるかも知れない。しかし、最高裁は司法権の頂点に立ち、最高裁長官は大法廷の裁判長を務める。裁判体の長でもあるのだ。この国葬の違憲・違法をあらそう訴訟は既に数多く提起されており、これからも提起が予想される。それらの訴訟は最終的に最高裁の判断を仰ぐことになるのだ。

 最高裁長官の公正中立に対する信頼は、行政権と対峙して怯むところがないという全ての裁判官の姿勢から生まれる。最高裁長官が、内閣からの要請で、総理大臣を長く務めたというだけの保守政治家の葬儀に列席することは、憲法の想定するところではなく、国民の期待するところでもない。

国民に忠ならんと欲すれば安倍派に孝ならず、安倍派に孝ならんと欲すれば国民に忠ならず。

(2022年10月11日)

「安倍国葬」は戦争への導火線

「本郷湯島九条の会」石井 彰

 定例の「本郷湯島九条の会」の昼街宣をおこないました。

 参集した8人は「国葬」反対、軍事費倍増するななどのプラスターを持ち街ゆく人々に訴えました。秋快晴のもとプラスターをゆっくり見入る人たちが多くいました。何人かの若い方々も弁士の訴えに聞き入っていました。弁士の訴えも溌剌としていて赤信号で待っている方々のじっと聴いている姿が印象的でした。
 弁士は、物価高の中での生活の苦しさを訴え、そのさなかに戦争準備をする岸田文雄政権を糾弾しました。
「安倍国葬」によって、安倍晋三元首相の統一協会との癒着の深さが暴露され、その安倍晋三元首相の政治を引き継ぐと公言して憚らない岸田文雄政権が国民から見放されつつあることを報道の世論調査での政権の凋落振りを披瀝しながら語りかけました。政権の安泰振りを誇示していた政権の崩壊の近いこと、それを促進することを訴えました。
 憲法9条は、他国を攻撃してはならないための条項で、戦争準備をしてはならないことを強調し、戦争準備は戦争を引き込む事になることを訴えました。
 9条の放擲を画策している岸田文雄政権は「国葬」を強行しました。戦前回帰を狙ったシナリオ通りの「国葬」が武道館でおこなわれたことを語り、大規模に自衛隊を動員し、「儀仗隊」、軍歌「国の鎮め」を陸自中央音楽隊が演奏し、空砲で弔意を表す「弔砲」を撃ちました。この風景は1943年におこなわれた連合艦隊司令長官山本五十六の「国葬」と重なります。「国葬」が戦争遂行の儀式であることの反省から戦後日本国憲法施行によって「国葬令」は失効し、ふたたび日の目を見ないようにしたのです。岸田文雄政権は「国葬」の法制化を狙っています。決して許してなりません。

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 [プラスター]★「国葬」でフタを許さない、安倍元首相と統一協会との癒着の徹底調査。★ダメダメ敵基地攻撃能力、戦争になる。★人類の理想・戦争放棄の9条。★消費税下げろ、給料上げろ。★軍事費2倍12兆円、アメリカの盾・アメリカの捨て石ごめんです。★9条の会、迷わず平和路線。

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 最後に、近所の弁護士から一言。
 昨日の新聞に最新の世論調査の結果が報じられています。共同通信の調査によれば、岸田内閣の支持率は35.0%です。前月比、5.2ポイントの下落。不支持率は48.3%。先日の毎日新聞の調査では内閣支持率29%でした。危険水域に達しています。いま、あらゆる調査結果において岸田内閣支持率は続落、止まるところがありません。

 岸田内閣は安倍・菅政権に飽き飽きしたという思いの、少なからぬ国民からの期待を得て、発足当時は高い支持率を誇っていました。だから、昨年の総選挙も、今年7月の参院選も、岸田与党の大きな勝利となりました。ところが、選挙後明らかになったのは、安倍晋三を中核とする自民党と統一教会との醜い癒着です。そして、強引な安倍国葬の強行。これで、あっという間に、支持率は落ちました。内閣だけでなく、自民党の支持率も落ちてきました。

 それでも内閣は、国葬が終われば支持率が回復するだろうという甘い見通しを持っていたのでしょう。ところがそうはなりません。共同通信の調査では、国葬に否定的な評価をする人が61.9%という数字が躍っています。国葬での持ち直しはなかった。そして、今後も内閣支持率が上がる要素はない。むしろ、これからの物価高そして軍事費の増大です。むしろ、もっと下がることになるだろうと予想されています。

 なぜこんなに岸田内閣の支持率は低迷しているのでしょうか。
 理由は二つあると思います。一つは長く続いた安倍政権の正体が、今露見しているいるからです。8年8ヶ月の長期政権が崩れて、その後に何が残されたか。明らかになったものは、アベノミクスの失敗を筆頭に、内政外交の失政と、それに加えての統一協会との醜い癒着の関係の露呈。

 国民は、「安倍政権の正体見たり」「自民党政治とはこんなものだったのか」と驚き、呆れてしまったのです。言わば、岸田政権は安倍晋三のとばっちりを受けて、支持率を減らしたのです。アベの因果が岸田に報いたという一面です。

 もう一つあります、アベのせいにはできない、岸田自身の自業自得の側面。それは、安倍派に毅然とした態度を取れないということです。麻生派にもです。だから、山際大志郎に毅然たる対応ができない。岸田は自分の意思で安倍・麻生のとばっちりを拭うことができないのです。

 今の岸田の立ち位置は、安倍派あるいは麻生派の意向に耳を傾けずしては成り立たない状況です。国民の声を聴こうと思えば安倍と麻生に逆らうことになる。安倍麻生の言うことを聞けば国民の声を聞くことができない。こういうジレンマの中で右往左往しているのが岸田政権なのです。いま、国民はこんな岸田を見限りつつあるのだと言わざるを得ません。

 参院選後の岸田政権は、国政選挙のない3年間を得たことになります。これを、「黄金の3年間」として、自由度の高い政治が可能だ。憲法改正も進展するだろう。などとささやかれていました。しかし、実のところ、もう泥沼の3年に足をすくわれ始めています。

 唐突な国葬の発案もおかしかったし、原発再稼働容認も、老朽化原発容認もおかしい。そして、軍事費倍増だという。安倍派、麻生派の声にだけ聞く力を発揮しないで、国民の声に耳を傾けていただきたい。でなくては、いつまでも支持率低迷が続くことになりますぞ。岸田さん。

日本会議の会合で、高市早苗はいったい何を語ったのか。

(2022年10月6日)
 昨日の毎日新聞朝刊のこんな見出しに目を惹かれた。「国葬反対投稿 8割が大陸から」「三重県議『根拠は高市早苗氏』」。右翼にとっても、アベ国葬問題は尾を引いている。「国民の過半数がアベ国葬反対」という事実は、どうしても受け容れがたいのだ。なんとか、「アベ様・バンザイ」としなければならない。

 「安倍晋三元首相の国葬への是非を巡り、三重県の小林貴虎県議(48)=自民=が2日、ツイッターに「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだったという分析が出ているという」と投稿した。」(毎日)

 「隣の大陸」と言えば中国以外にない。世論調査にも顕著となった「アベ国葬反対」という国民の声は、中国の仕掛けによるものだというのだ。日本の世論を撹乱し、アベ国葬の権威を貶めようという中国の企みが功を奏しての「嘘の世論」だというのが、この自民党議員の言いたいことである。

 もっとも、これだけなら、地方版限りの小さなニュースでしかない。ところが、この自民党県議。うかつにも、いわでもがなのことを言ってこのニュースを全国版のものにした。

 「4日に小林氏が報道陣の取材に応じ、ツイートの根拠について「誰が話したかって話ですよね。高市早苗さんです」と述べた。」「小林氏によると、2日に名古屋市内で日本会議の会合が開かれ、高市早苗・経済安全保障担当相が安全保障問題について講演した。高市氏がその際「政府の調査結果」として話した内容を基にツイートしたという。」(毎日)
 
 高市は毎日新聞の取材に「日本政府が情報操作に関して調査した旨の発言は、私からはありません」とだけ回答したという。「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸から」との発言については、肯定も否定もしていない。

 小林は投稿内容の根拠について2日のツィッターでは、「今日の講演で伺った話。ソースは以前三重の政治大学院でもご講演いただいた事のある現職」とし、3日には「政府の調査のデータだと講演者から聞いた」と語ったが、講演者の名前を高市と明かしたのは、4日のツイッターでのこと。小林は、こう言っている。
 
 「さて皆さん非常に関心が高い様なのでお答えすることにしました。私が総理大臣になって頂きたいと強く願っている高市早苗先生が、政府の調査結果としてお伝えいただいた内容です」というのだ。

 昨日(5日)、小林が委員長を務める県議会・戦略企画雇用経済常任委員会が開かれ、出席した委員からツイートの説明や辞任が求められたという。そして、彼は、委員長辞任を表明した。

 そして本日(6日)、事態は一転する。小林は津市内で記者会見を行い、一連のツィッターの投稿内容は誤りだったとして、撤回を撤回を表明し謝罪した。ツィッターは削除済みであるという。

 ただ、釈然としないのだ。自分の発言の誤りを認めて謝罪の会見をするのなら、どの発言がどのように誤っていたのか、なぜ誤ったのか。どうしてこれまで誤りに気付かなかったのか、何をきっかけに誤りに気付いたのか。そのくらいのことは、明らかにしなければならない。

 ところが、6日の会見では「内容に誤りがあった。撤回したい」「(高市の)講演では自らメモを取っていたものの、同席した複数の参加者からの指摘で誤りに気づいた」「高市事務所にもおわびの連絡を入れた」というだけだったようだ。

 具体的に何が誤りだったかは、講演会が非公開だったとして説明を拒んだ。「圧力はない。本心からだ」とも述べ、自身の進退については「深く反省している。議員として努力を積み重ねたい」と、来春の県議選で有権者の審判を仰ぐとした。
 一方、当初の投稿に差別や偏見を助長するとの批判が出ていたことについては、「講演の中身に言及せざるを得ない」などとして、評価を避けた。なお、小林のツイッターは5日夜以降、非公開となっているという。

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 記者会見の一問一答を、朝日が詳報している。その一部を抜粋するが、これはたいへんに興味深い内容。

 ――誤りとは高市氏の発言ということではなく、調査の主体、政府が間違っていたということでいいか。

 詳細はそもそもクローズド(非公開)な会だということで具体的なお話はできないのだが、同じ講演を聞いていた複数の方々の記録と突き合わしたところ、異なっている部分があるということが分かったので、訂正する。

 ――政府の調査という言葉はなかったということか。

 その内容については発言を控えたい。

 ――政府の調査が誤りだったという認識には間違いないか。

 どこがということに関しては講演の内容になるので控えたい。

 ――政府がどうだったかということも、言えないということか。

 繰り返しになるが、何点か記録と異なっていることが分かったので、訂正をしたい。

 ――メモにそもそも誤りがあったということか。

 そういうことだ。

 ――高市氏が何を「調査」と言ったのか、言えないという話か。

 差し控えたいと思う。

 ――訂正をしたいということだが、何をどう誤ってどう訂正したいのか。

 繰り返しになるが、講演の内容に関わることなので、ここでの発言は差し控えたい。

 ――どこを訂正したのか、なぜ説明できない。

 そもそもクローズドな会だったからだ。

 ――訂正の内容が分からないと何のための説明か分からない。責任を持って答えているようにはとらえられない。

 申し訳ない。深く反省しているが、具体的な講演の内容に関しては差し控えたい。

 ――会見を開いたのだから、明かすべきだ。

 申し訳ない。すべてに対して撤回をしたい。

 ――撤回するのか。

 はい。

 ――訂正ではなく。

 撤回する。

 ――その理由はクローズドな会だったから言えないと。

 はい。

 ――小林県議自身が本当にそう考えているか、わからない。本当にそう思っているならば当然明かすべきだ。

 はい。

 ――撤回するのは2日に投稿した「国葬反対のSNSは8割が隣の大陸から」という投稿と、4日の「発言のソースは高市早苗さんです」という、この2点についてということか。

 双方ともに撤回する。

 ――どこが誤りだったか、クローズドだからという一点張りで説明されていない。十分伝わらないと思うが。

 会の性質がそもそもクローズドだったとしか言いようがない。

 ――内容が違ったというのは、誰から言われたのか。

 同じく同席した私の知人に確認した。

 ――そもそもクローズドな会合で出た内容をツイッターで発信するというのはどういう意図があったのか。

 具体的な意図を話してしまうと(会の)内容になるので差し控える。

 ――高市氏は政府の調査はないと否定した。意見が食い違っている状況をどう考えるか。

 講演の内容に言及せざるを得なくなるので、そこに関しては発言を差し控えたいと思う。

 ――高市氏の事務所から説明を求められたとか、何かやりとりはあったか。

 ありません。私から電話をかけた。高市氏の秘書と話し、謝罪をさせていただいた。

 ――小林県議自身が本心から撤回しているのか、それとも誰かからの圧力で撤回することになったのか。

 圧力ではない。本心だ。

 ――「8割が大陸」という内容については今も事実だと思っているのか。

 内容について私がどう考えるかということも、会の全体的な内容に触れざるをえないので、差し控えたい。

 ―― 信憑性(しんぴょうせい)が高いと感じたのはどうしてか。

 それも、誰が話したかということになるので控える。

 ――発言した人のことを考えて信憑性が高いと判断したのか。

 差し控える。

 ――自身の責任はどのように考えているのか。現職大臣の名前を出して投稿した以上、県議としての投稿なので責任を伴うと思うが。

 ことの重要性は認識しているので、党からの指示を待ちたいと思う。

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 以上の一問一答の結果から、常識的に何が推認できるだろうか。小林がメモに基づいたとして、自信をもって投稿したツィッターの内容がおおきく間違っていたとは考えにくい。記者の質問にもあるように、だれかからの圧力で、小林の「問題ツィッター」は削除を余儀なくされたと考えざるを得ない。その「だれか」の中に高市が含まれていることは当然というべきである。

 問題の会合は、日本会議の会合である。統一教会ばかりではない。日本会議も、自民党右派にベッタリとくっついているのだ。そして、その「日本会議+自民党」の会合は、かくもクローズドで秘密裡に行われている。だから、高市は安心していい加減なことを喋ったのだろう。

 その掟になじんでいない小林が、秘密裡の会合の内容を外部にばらした。高市は自らは、表に出ることなく小林に詰め腹を切らせたのだ。ああ自民党、ああ高市。

 岸田の方がまだマシだ。低支持率に喘ぎながら、がんばれ岸田。

「使い回し」「コピペ」「剽窃」 ー 菅義偉弔辞の評価一転

(2022年10月4日)
 安倍国葬が終わって、臨時国会が始まった。明日からは、3日間の各党代表質問が行われる。この頃には、内閣支持率も回復しているだろうという岸田首相の読みは大外れとなった。あらゆる世論調査に岸田批判が鮮明である。真偽定かならざる、「岸田狼狽」「岸田切れた」「側近離れた」の類いの記事が溢れている。

 昨日(10月3日)の岸田首相所信表明演説は、はなはだ評判がよくない。今は、何をやっても、何を言っても、岸田叩きの材料とされる。演説の内容もさることながら、覇気がない、投げやり、国民の声を聞く耳がない、などという評価は、ややお気の毒でもある。

 岸田経済政策の目玉と言うべき「新しい資本主義」の評判がすこぶる悪い。「アベノミクスとどこが違うのか」という叩かれ方である。岸田の苦しい立場がよく表われている。安倍に批判の立場をとれば党内主流に叩かれる。安倍に擦り寄れば、国民の支持を失う。右するも、左するも、叩かれるのだ。どうすりゃいいのさこのワタシ、という心境とお察する。

 安倍の怨霊に取り憑かれている岸田である。ここは乾坤一擲、この背後霊を切り捨てなければならない。まずは山際大志郎を切って、返す刀で安倍派を成敗である。それができなければ、ジリジリと怨霊の生け贄にならざるを得ない。

 ところで、私は保守政権に「良・可・不可」の成績をつける。保守政権である以上は「優」はやれない。しかし、「良」はある。宮沢喜一政権にも福田康夫政権にも「良」をやってよい。一方、中曽根康弘こそ「不可」の最たるものと思っていたら、下には下がある。安倍晋三という最低・最悪の「不可」政権が現れた。これに較べれば、岸田政権はずっとマシ。悪法成立のリーダーシップのないことだけで、「可」の評価をやってよい。「可」の政権を倒したとたんに、「不可」政権が成立したのでは面白くない。

 防衛費倍増やら原発再稼働発言は怪しからんと岸田を引きずりおろすことができたとして、さて次はどうなるだろう。今、菅義偉の復権がささやかれているが、この人、安倍とどこまでも一緒に駆けて駆けて駆けぬいてきた、安倍の分身である。安倍亜流、安倍コピーと言っても、安倍の使い回しと言ってもよい。実証済みの「不可」政権である。

 今、目くそ岸田を取るか、鼻くそ菅を取るかと聞かれたら、どう答えるか。「鼻くそはご勘弁。目くそで我慢をしておこう」とは言いたくないが、絶対に鼻くそだけは御免こうむると言わざるを得ない。「目くそも鼻くそも、まっぴらご免」と威勢よく言うためには、野党の自力の増大と、共闘の進展を展望するしかない。

 目くそ・岸田の葬儀委員長挨拶は不評甚だしく、鼻くそ・菅義偉の弔辞には拍手が湧いた。「感動した」などという、おべんちゃらが垂れ流されている。しかし、先のリテラの記事が菅の愚かさを暴き、昨日の日刊ゲンダイがこれに続いている。「菅前首相の“絶賛弔辞”コピペ疑惑で赤っ恥 『前提すっ飛ばしなら一種の剽窃』と識者バッサリ」という見出し。記事の中に、「まさかお悔やみまでコピペ…?」とも。なるほど、使い回しというよりは、コピペ弔辞の方が分かり易いのかも知れない。そして、『剽窃』とは辛辣極まる。

 日刊ゲンダイはこう言う。

 「安倍元首相の「国葬」強行から1週間。友人代表として参列した菅前首相の弔辞がいまだに話題を集めている。なぜか? 流用疑惑が浮上し、大炎上しているからだ。元ネタは、あろうことか故人が指南役の逝去にあたって寄せた追悼メッセージ。第2次安倍政権以降、広島・長崎の平和祈念式などであいさつの使い回しが常態化しているが、お悔やみまでコピペとは……。

 菅前首相の弔辞をめぐる疑惑を報じたのは、ニュースサイト「リテラ」。〈菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを〉(1日配信)と題した記事で、流用の可能性を指摘した。

  高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。

「ア然としています。菅前首相は遺影に向かって『歩みをともにした者として』と語りかけていましたよね。いわば盟友の安倍元首相が恩人を偲んで引用した句だと知らなかったのでしょうか? 前提をすっ飛ばして、あたかもオリジナルであるかのように振る舞っていたのだとしたら、一種の剽窃です」

 「8年8カ月のアベ政治は嘘にまみれたハリボテだった。この国のレベル、儀礼にふさわしい弔辞だったかもしれません」

 この言葉を噛みしめたい。「8年8カ月のアベ政治は嘘にまみれたハリボテだった」というのは、まことにそのとおり。徹底してアベを持ち上げた菅弔辞は、嘘にまみれたアベ政治の葬送にふさわしいものだったという。目には目、嘘には嘘、ゴマカシにはゴマカシである。

 そして、鼻くそ・菅への大絶賛は一転する。「菅前首相は赤っ恥だ」とゲンダイ記事は締めくくっている。相対的に、目くその地位は上がった。しっかりせよ岸田。菅や安倍派や麻生派に負けるな。超低支持率でその地位を3年死守せよ。そうすれば、自ずから「可」の評価を得ることができよう。しかも、限りなく「良」に近い「可」だ。

不気味なり、安倍国葬。菅の弔辞と参列者の拍手。

(2022年10月2日)
 安倍国葬とは、いったい何だったのだろうか。国民の反対を押し切って強行された、この権力顕示のイベント。論者の立ち位置によって評価はまったく異なるものとなっている。冷静な目で幾重にも検証しなければならない。そのことは、この国葬を期として、「今より後の世はいかにかならむ」を考察することでもある。

 典型的な右派の見方として、9月30日[産経・主張]が、「安倍氏の国葬 真心込めて故人を送れた」という歯の浮くような、政権へのおべんちゃら。

 「安倍晋三元首相の国葬が執り行われた。日本の国として、功績のあった故人を、真心込めて送ることができて本当に良かった」と述べ、とりわけ、菅義偉の弔辞を持ち上げてこう言及している。

 「感動を呼んだのは、安倍氏を長く支えた菅義偉前首相による友人代表の弔辞だった。菅氏は、暗殺された伊藤博文を偲んだ山県有朋の歌を『私自身の思い』として、2度読み上げた。安倍氏の読みかけの本にペンで線を引いてあった歌だった。
『かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ』
 式場では、日本の葬儀としては異例の拍手がおこったが、中継をみていて共感した人は多かったのではないか。言葉の力が、故人を見事に送ったのである。」

 伊藤博文や山県有朋を持ち出して、自分たちに重ねることを恥ずべきこととは思わない感性に呆れる。無批判にこれに拍手する参列者にも、である。日本国憲法の諸理念に照らして、偏った人々があの空間に集まっていたのだ。これが、安倍国葬の実態。

 ところで、右翼・右派を感動させたという山県有朋の一首は、実は「使い回しだった!」というリテラの9月30日付記事が読ませる。リテラ、大したもの。これを紹介したい。
 https://lite-ra.com/2022/10/post-6232.html

 長いタイトルである。「菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた『山縣有朋の歌』は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを」。情報量の多い記事もかなりの長文。

 リテラは言う。「この弔辞、…ドラマチックな話ではまったくない」「薄っぺらなハリボテ的演出がされた駄文だった」。「『山縣有朋の歌』は安倍元首相自身がJR東海・葛西会長の追悼で引用したものだった」

 安倍は今年6月17日、Facebookにこう投稿しているという。

〈一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。〉

 あの葛西敬之である。「安倍の最大のブレーンと言われていた極右財界人」。 その葛西が亡くなったとき、安倍は葬儀で弔辞を述べ、さまざまなメディアで追悼の言葉を発した。そのとき、持ち出していたのが、今回、菅が紹介した山縣の歌だった。安倍にその歌が載っている評伝『山縣有朋』を薦めたのが、葛西だったからだ。2014年12月のことだったという。極右葛西が、明治の軍国主義の総元締め山縣有朋を信奉しているのは有名な話なのだそうだ。

 リテラは、「極右国家主義政治の師匠とも言える葛西氏から“日本の軍国主義路線の大元”山縣の評伝を教えてもらった安倍氏が、その師匠の追悼に本に載っている山縣の歌を使ったのである。」「安倍氏は6月24日発売の極右雑誌「WiLL」(ワック社)8月号に掲載された櫻井よしこ氏との対談でも、葛西氏が山縣有朋を敬愛していたこと、葛西氏から岡義武の『山縣有朋』を薦められたことなどを語った上で、『まさに、私たちが葛西さんに贈りたい歌です』として、この歌を紹介していた。」

 《ところが、菅前首相は今回、故人である安倍氏が他の人を偲ぶために使っていたその歌を、何の説明もないまま、今度は自分の心情の表現として借用してしまったのだ。これって、弔辞のマナーとしてありなのだろうか。》

 さらに、リテラは、「明治軍国主義の権化・山縣有朋を国葬の場で美談仕立てで持ち出すグロテスク」と中見出しを付けて、こう言っている。
 「これだけなら、“愛国者のハリボテ”だった無教養な安倍・菅コンビらしいオチというだけの話で済むかもしれない。しかし、今回の菅前首相の弔辞の本当の問題は、「使い回し」かどうか以前にある。それは国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことそのものだ。

 「山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、あの「天皇と国家のために命を捧げろ」と教える教育勅語をつくらせたことでも知られる。
 そして、安倍元首相の“明治軍国主義の祖”山縣への傾倒ぶりは相当で、首相在任中の2017年に防衛大の卒業式で…批判を浴びたスピーチも、山縣が発意した『軍人勅諭』を踏襲しているとも指摘されていた。
 また、菅前首相も自身に抵抗する官僚を監視し干し上げてきた弾圧体質も、自由民権運動を弾圧したり、反長州の人間を徹底的に排除するなどした山縣有朋と通じるものがある」
 「その後、山縣が指揮した大日本帝国がどんな道を辿ったと思っているのか。」

 深く同感する。伊藤が作り山県が運用の基礎を固めた大日本帝国憲法。その基本理念を否定し大転換して日本国憲法が制定された。しかし、大日本帝国憲法の残滓は、官邸にも、国会にも、そしてこの武道館のセレモニーにも色濃く生き残っているのだ。もしかしたら、生き延びているにとどまらず、大手を振って復活することになるのかも知れない。そんな不気味さを感じさせる、菅の弔辞であり、参列者の拍手ではないか。あらためて問われなければならない。「安倍国葬とは、いったい何だったのだろうか」と。

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