あれあれ、「海賊」が「国賊」に謝っちゃだめでしょう。
(2022年10月13日)
国葬ネタが続く。自民党の、村上誠一郎議員に対する処分のこと。
村上は、安倍国葬に欠席すると表明した際に、安倍に対する評価としてこう言った。
「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊して、旧統一教会に選挙まで手伝わせた。私から言わせれば国賊だ」
けだし、簡にして要を得た名言である。この名言が「1年間の役職停止処分」の理由となった。「党員たる品位をけがす行為」だというのだ。しかし、解せない。安倍政権下で、財政も金融も外交もぼろぼろになったではないか。安倍が、政治を私物化して健全な官僚機構を壊したことも間違いない。統一教会に選挙まで手伝わせたことも、いま明らかになりつつある。以上は、争いようのない事実ではないか。これをして村上は、安倍を「国賊だ」と評した。私は「国賊」という言葉はキライだが、村上が安倍を指して「国賊だ」と言ったことには、筋の通った十分な理由がある。真実を語ることを押さえてはならない。
いったいどういうことなのだ。「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した国賊」が国葬に祭りあげられ、これを正当に批判した議員に処分である。そりゃオカシイ。石流れ木の葉が沈んではならない。アベが流れ、村上が沈むのは、あべコベではないか。
党紀委員会の委員長は、安倍一派と気脈を通じる衛藤晟一。委員会終了後、記者団に「『国賊』との発言は極めて非礼な発言で許しがたいものだという意見で一致した」と説明している。「財政、金融、外交をぼろぼろにした」「官僚機構まで壊した」ではなく、「国賊」という表現が、保守派の逆鱗に触れて、「極めて非礼」だというのだ。安倍はといえば、不規則発言で品位を問われた人物。「国賊」が極めて非礼なら、「キョーサントー」「ニッキョーソ」はどうなのだろう。
この処分、国民にはどう映るだろうか。「自民党って、意外に狭量」「党内の言論の自由というのはこの程度のものか」「多くの意見があっての国民政党ではないのか」「自民党の面々、ホントは安倍に対する冒涜を許したくはないんだ」「国民の6割強が国葬に反対だ。村上が6割強の側で、党紀委員会は3割の側なのに」「自民党がもっと強くなると、言論の自由が危うくなる」…。
だが一方、村上に失望という向きも多いのではないか。「村上は党紀委員会に、『国賊』発言を撤回して謝罪する―という趣旨の文書を事前に提出していた」。事後には、「発言を撤回し、深くおわび申し上げます。15日の山口県民葬が終わりましたら、速やかにご遺族におわびにお伺いしたい、とも述べた」という。おやおや。
村上は、海賊(村上水軍)の末裔という出自を誇る人物である。海賊には、山賊・盗賊・蛮族・野盗とは違った反権力・自由のニュアンスがある。18世紀初チャールズ・ジョンソン著の『海賊史』には、海賊のユートピア「リバタリア」が描かれている。ここでは、奴隷制や専制主義などが否定され、自由や平等、民主主義などの価値観が重視されていた。当時、多くの若者が自由と平等を求めて、海賊になったともいう。
誇り高い海賊の末裔が、国賊なんぞに負けてはならない。処分はやられてもいたしかたないが、謝罪は海賊らしくない。さらに、安倍政治の評価に関する名言の撤回は、いかにももったいない。
村上の名は、「安倍1強」が強まる中で、保守陣営からの政権批判者として著名であった。
特定秘密保護法にも、「森友・加計学園問題」でも、安倍批判を重ねて、保守の良心を示してきた。とりわけ、14年の集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更や翌15年の安全保障関連法には、反対を明言した。安倍退陣を求めた村上の謝罪は、いささか残念ではある。今後、「転向」などせずに筋を通してもらいたいものと思う。