澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「戦争に行くな」「選挙に行こう」ー北海道5区補選はドミノ倒しの最初の一コマだ

いよいよ、市民主体の選挙戦が幕を開けた。本日(4月12日)、京都3区と北海道5区の衆院補選の告示である。いずれも投開票は4月24日。これが、今年の政治決戦のプラスのスパイラルの発火点。ドミノ倒しの最初の一コマだ。アベ政権には、これがケチのつきはじめ。

平和や人権に関心をもつ国民にとって、第2次アベ政権は3年も続く悪夢だ。しかし、ようやく「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」となる終わりの始まりがやって来た。

京都3区は自民の不戦敗で、自民の議席減1は闘いの前から決まった。自公の議席の増には憲法が泣き、議席の減には憲法が微笑む。京都でも、少し憲法が微笑んだ。

しかし、天下分け目は北海道5区だ。この選挙区の勝敗は、単なる1議席の増減ではない。その後に続く、参院選と総選挙の野党共闘の成否がかかっているのだ。政党レベルでは、民・共・社・生の4党だが、実はその背後に広範な市民の後押しがある。野党共闘とは、野党支持者を単純に束ねただけのものではない。「野党は共闘」とコールを上げる無党派市民が支えているのだ。その典型としての「北海道5区モデル」が成功すれば、正のスパイラルが動き出す。ドミノ倒しが始まるのだ。

ブロガーは、今日からは大いにブログでツイッターで池田まき候補の応援をしよう。虚偽や誹謗はいけない。しかし、アベ政権や、自公与党への批判に何の遠慮も要らない。今、最大の問題は戦争法の廃止であり、明文改憲の阻止である。そのための池田候補を徹底して応援しよう。せっかく、そのような選挙運動が自由になったのだ。大いに活用しようではないか。

一昨日(4月10日)の日曜日、千歳市で開かれた池田陣営の街頭演説会が象徴的だ。3700人の聴衆に、6人の弁士が池田候補推薦の弁を語った。ジャーナリストの鳥越俊太郎、SEALDsの奥田愛基、「安保関連法に反対するママの会」の長尾詩子、「市民連合」の山口二郎、そして「戦争させない北海道をつくる市民の会」の前札幌市長・上田文雄弁護士だという。政治家がいない!のだ。

集会の名称が、「千歳から、未来の日本を考える」。意気込みは、「北海道5区から、市民の力で平和な日本を切り開く」というもの。たいへんな盛り上がりだったと報じられている。

参加者の共通の思いは「平和」だ。平和な日本の未来を願う人びとにとって、アベ政権は危険きわまりない。その暴走にストップをかけないと、日本は本当に戦争をする国になってしまう。その危機感が、反アベ、反自公の共闘を成立させているのだ。

いま日本の平和のために最も必要なことは、選挙に行くことだ。選挙に行って、反アベの野党共闘候補に投票することだ。自公政権の候補者を落選させて、改憲を阻止することだ。「戦争に行くな」「投票に行こう」。このスローガンで、反アベの野党共闘を応援しよう。

ドミノ倒しを警戒するアベ政権は、北海道5区で負けたら衆参のダブル選挙は回避するだろうと言われてきた。ところが急に空気が変わっている。「北海道5区で負けたらどうせジリ貧。それなら早い総選挙の方が傷が浅く済む」という、与党内の声があると報じられている。つまりは、全国の衆院小選挙区での野党共闘が十分に進展せず、統一候補が決まらないうちの抜き打ち解散が与党に有利という読みなのだ。

しかし、ダブル選挙はそれこそ壮大な歴史的ドミノ倒し実現の場となる公算が高い。すべては、アベ政権を倒すに足りる野党共闘の成否にかかっており、野党共闘の成否は市民の後押しの声如何にかかっている。

がんばれ、池田まき候補。がんばれ、4野党。そして、がんばれ5区の無党派市民。全国の市民たちよ。
(2016年4月12日)

子曰く、必らず已むを得ずして、アベ政権を去らん。

私は、「論語」をたいしたものとは思わない。所詮は底の浅い処世術としか理解できないと公言して、顰蹙を買うことがしばしばである。しかし、警句として面白いとは思う。どうにでも自分流に解釈して便利に使えばよいのだ。多分、使い手によっては、切れ味が出てくるのだろう。アベ政治への批判についても使える。

よく知られている顔淵編の次の一節。

子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。

子貢、まつりごとを問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民これを信ず。
子貢曰く、必らず已むを得えずして去らば、この三者において何をか先にせん。
曰く、兵を去らん。
子貢曰く、必らず已むを得ずして去らば、この二者において何をか先にせん。
曰く、食を去らん。いにしえより皆死あり、民、信無くんば立たず。

私なりに訳せば、以下のとおり。
子貢が孔子に政治の要諦を尋ねた。
「経済を充実させ、軍備を怠らず、民意の支持を得ることだね」
「その三つとも全部はできないとすれば、まずどれを犠牲にしますか」
「そりゃ、軍備だね」
「残りの二つも両立は無理だとすれば、どちらを犠牲にすべきでしょうか」
「経済だよ。民生の疲弊はやむを得ないが、民衆の信頼がなければそもそも政治というものが成り立たないのだから」

孔子は、政治の要諦として、「食(経済)」・「兵(軍備)」・「民の信」の3者を挙げた。おそらくは、きわめて常識的な考え。しかし、面白いのは、重要性の順序が必ずしも、常識のとおりではないこと。政治の中心的課題を「民のため」の政治というにとどまらず、「民からの信頼」と考えている。もちろん民主主義ではない。しかし、読み方次第では、その思想的萌芽を感じさせる一文ではないか。

アベ政権は、平和主義を放擲して戦争法までつくり、近隣諸国の危険性を鼓吹して国民の不安を煽り、軍事予算を増額するというのだから「兵(軍備)」の充実にだけはご執心だ。

しかし、既に「食(経済)」を足らしむことにおいて失敗している。アベノミクスがアホノミクスであることについては、誰の目にも明らかになりつつある。経済を投機化したことによって、実体経済は停滞し、格差貧困は拡大し、株価の維持まで危うくなっている。

さらに、最大の問題は「民の信」である。アベ政権が、そして政権与党が、国民の信に耐え得るか。安倍自身もこの点は、気にしているようだ。過日不倫騒動で辞任した宮崎議員について問われた際に、「信なくば立たず」と口にしている。宮崎の辞任の弁にも「信なくば立たず」があった。宮崎がやめることで「信が立った」か。とんでもない事態である。閣僚の妄言はあとを絶たない。これは民主主義の問題であり、立憲主義の問題でもある。

要するに、「兵」だけが突出して、「食」も「信」も、アベ政権にはない。孔子の教えに逆行しているのだ。そこに、直接に民意を問う国政選挙が迫ってきている。アベ政権を総体としてとらえ、分析し、迫った参議院選挙の投票行動の意義を見定めなければならない。こんな事態で、明文改憲を許す議席をアベ政権に与えてはならない。

私も編集委員の一人となっている「法と民主主義」は、4月号を、アベ政権の総体を問う特集とする。
特集の編集責任者は、清水雅彦さん(日本体育大学教授・憲法学)。以下のラインナップで、すべての執筆者のご承諾をえた。発売は、4月20日頃となる予定。是非、ご期待いただき、憲法の命運に関わる大切な選挙にご活用をお願いしたい。

もし孔子が世にあれば、必ずやこれを薦める内容になるはず。そしてこう呟くことになる。

子曰く、必らず已むを得えずして、アベ政権を去らん。

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2016年『法と民主主義』4月号(№507)
特集●アベ政権を問う〈仮題〉
■企画の趣旨
今号は、4月号ながら、憲法記念日近くに発行される予定です。この間の安倍政権による憲法破壊を批判的に検討し、憲法理念の実現に向けた理論提供を行う憲法特集号として位置づけております。ただし、憲法の個別テーマを扱った論文が各号に掲載されていることを受けて、今号では、これまであまり触れていないテーマをとりあげております。安倍政権の総体を問う特集になることを期待し、企画いたしました。
■特集企画の構成執筆予定者(敬称・略)
特集にあたって(特集リード) 清水雅彦(編集委員)
安倍政権下の憲法情勢森英樹(名古屋大学名誉教授・憲法学) 2015年国会で戦争法の制定を強行するなど、この間のconstitutional change を進めてきた安倍政権が、いよいよconstitutionのchangeの必要性を堂々と何度も主張するようになった。このような安倍政権下で進む憲法情勢について検討していただく。
アベ改憲論を問う──緊急事態条項論の検討 植松健一(立命館大学法学部教授・憲法学)
参院選で与党3分の2以上の議席確保を狙い、場合によっては衆参同日選挙もありうる中で、安倍政権が主張している緊急事態条項論や改憲論について、これまでの憲法学における国家緊急権論やドイツなど外国との比較から検討していただく。
アベの政治手法を問う──安倍政治の検討 西川伸一(明治大学政治経済学部教授・政治学)
従来の自民党政治には見られなかった強権的で異論を認めず、極右色の強い安倍政治の内容・特徴や、メディアへの圧力、極端な内閣法制局人事等への介入など、その独特の「お友だち」の活用と批判派の排除といった政治手法について検討していただく。
選挙を問う?衆参同日選挙、小選挙区制度などの検討 小松浩(立命館大学法学部教授・憲法学)
場合によってはありうる衆参同日選挙の問題点や、衆議院の小選挙区制度の問題点について、この間の定数是正違憲訴訟やご専門のイギリス(可能であれば、他国も)との比較に触れつつ、検討していただく。
若者の政治参加を問う? 18 歳選挙権と政治教育などの検討 安達三子男(全国民主主義教育研究会事務局長)
今後の18歳選挙権の実施と文部科学省による高校生の政治活動についての新通知などについて、『18歳からの選挙Q&A』(同時代社)の執筆者の立場から、文部科学省や教育委員会の問題点などについて検討していただく。
◆『一億総活躍社会』を問う?社会福祉・医療政策の検討 伊藤周平(鹿児島大学法科大学院教授・社会保障法)
安倍政権が打ち出した「一億総活躍社会」論によって、国民の生活と権利はどうなるのか、この間、急激に進む医療介護保険「改革」や「子育て支援新制度」などの社会保障、医療制度改革の動向とあわせて検討していただく。
◆市民は問う─その1 菱山南帆子
◆市民は問う─その2 武井由起子(弁護士)

「法と民主主義」の各号のご紹介やご注文は、下記のURLへ。
http://www.jdla.jp/index.html
(2016年2月28日)

あらたまの年のはじめに

未明、久しぶりに凄味のある金星を見た。やがて薄明。みごとな朝焼けに続く初日。風はなく雲も見えない静かな元日。個人的には何の心配事もない心穏やかな年の初め。啄木の歌を思い出す。

 何となく 今年はよいことあるごとし 元日の空晴れて風なし

もっとも、啄木はこの歌を不幸の中で詠んでいる。また、正月の天気がその年の吉兆を占うものとはならない。「悲しき玩具」所収のこの歌は、2011年の正月の詠であろうが、その年の1月18日には大逆事件の判決が言い渡されている。幸徳秋水以下死刑24名。1月24日には11名の死刑が執行され、翌25日には管野スガが処刑された。「今年はよいことあるごとし」と詠った直後の天皇制の暴虐の極み。啄木が受けた衝撃は大きかった。

本日の朝刊各紙には、今年7月の参院選が総選挙とのダブル選挙となるのでないかとの観測記事が報じられている。解散・総選挙のイニシャチブは政権が握っている。勝算ありと読めば打って出る。勝算読めなければ参院選に集中ということに。もし、安倍政権がダブル選挙に打って出て勝つようなことがあれば、一挙に明文改憲の動きが加速することになろう。とても、穏やかな正月などと言ってはおられない。

1933年3月ヒトラー政権が全権委任法(授権法)を成立させるまで、8か月間に3回の国会選挙を経ている。
 1932年7月31日 ナチ党得票率 37.3%
       11月6日 ナチ党得票率 33.1%
 1933年 3月5日 ナチ党得票率 43.9%

この3度の選挙と国会放火事件の謀略とで、33年3月23日に全権委任法が成立するや、この時点で、憲法改正手続きを経ることなくワイマール憲法は死亡宣告を受けたのだ。

こうしてナチ党の一党支配が確立したあと、1933年11月の「選挙」は、既に選挙ではなかった。有権者は「指導者リスト」と呼ばれたナチ党の単一候補者名簿に賛否を記すことしかできない。投票前の官製選挙キャンペーンでは、「ひとつの民族 ひとりの指導者 ひとつのヤー!(Ja!)」がスローガンとなった(石田勇治)。

選挙は、民意反映の機会ではあるが、民衆が政権に操られたままでは、ファシズムへの手段に転化しうるのだ。

そういえば最近、安倍晋三の顔つきがヒトラーに似てきたのではなかろうか。日本国憲法に、ワイマール憲法の二の舞をさせてはならない。
(2016年1月1日) 

宮城県民は、県議選共産党議席倍増で安倍ビリケン内閣を批判した。さあ、次は参院選だ。

昨日(10月25日)の宮城県議選で、「共産党 議席倍増」が大きな話題となっている。産経の見出しが、「共産が8議席に倍増し第2会派に 自民27議席 民主はわずか5議席」というもの。

共産党は、今回9人立候補して8人当選、前回議席の4を倍増させた。仙台市内の全5区で当選。最中心部の青葉区では、12600票を獲得して堂々のトップ当選だった。前回が同じ候補者で、9319票3位だったのだから、躍進と言ってよいだろう。

地元紙河北新報は次のように伝えている。
「自民は34人を公認。東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の処分場問題で揺れた加美選挙区は、5選を目指した現職が敗れた。9人を擁立した民主は青葉、宮城野、太白で現職が議席を確保。党分裂問題を抱える維新は気仙沼の現職1人にとどまり、仙台市内の2人は落選。公明は強固な組織戦で仙台市内の4議席を維持した。共産は仙台市内5選挙区全てで議席を獲得。石巻・牡鹿と塩釜の現職、大崎の新人も当選し、前回の4議席から8に躍進した。」

この選挙結果の原因は何か。毎日の報道が「共産、反安保票で躍進 反TPP、農協職員も歓迎」という見出し。これが常識的なところだろう。
「共産党が改選前の4議席から8議席と倍増させた25日の宮城県議選。自民党は前回選から1議席減の27議席と、単独過半数を割った。安全保障関連法成立や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)大筋合意後の初の都道府県議選で、共産党が幅広い批判票の受け皿となった。」「共産は…県内有数の稲作地を抱える大崎選挙区(定数4、大崎市)では、これまで自民候補を支援した旧鹿島台町長や元市議会議長らが新人の支持に回り、初議席を得た。」「大崎市の農協役員は『TPPは米どころの大崎から反対の声を上げなければいけないと思った』と歓迎。仙台市青葉区の無職男性(66)は『(共産党は)安保法反対で主張が一貫している』と話し、同党が提唱する野党連合にも期待する。」「自民候補に1票を投じた太白区の2児の母(32)は『投票率が低く、共産党が当選しやすくなっていると感じる。安保法が結果に影響したのでは』と話した。」

今、選挙で問われるべきテーマは数ある。まずは、何よりも戦争法に対する国民的な批判である。立憲主義・民主主義・平和主義の総体が問われている。これに次ぐ大きなテーマが原発。補償問題というだけでも再稼働問題というだけでもない。われわれの文明の危うさを象徴する大事件への対応が問題なのだ。さらに、産業や経済のあり方をめぐってのTPP交渉問題がある。安倍内閣の経済政策の行き詰まりと閣僚人事の身体検査問題もある。本来は、これらの諸問題が臨時国会で議論の対象となっていなければならない。ところが臨時国会は開かれない。国民には、やり場のない憤りが鬱積せざるを得ない。宮城県議選には、これが噴出したとみて間違いがない。マグマ溜まりの小爆発といったところ。

ところで、「民主、維新、共産、社民、生活の野党5党は21日、憲法規定に基づいて臨時国会召集を要求する手続きを衆参両院で行った。…『逃げていると言わざるを得ない。1カ月以内に召集しないなら、憲法無視の違憲内閣だ」。民主党の枝野幸男幹事長は21日、仙台市内で記者団にこう語り、政府・与党の姿勢を非難した。」
「憲法53条は、衆参いずれかの4分の1以上の議員から要求があれば、内閣は召集を決定しなければならないと規定しており、野党の要求はこの要件を満たしている。ただ、53条は召集の期限を定めておらず、事実上拘束力がない。昨年秋の臨時国会では、内閣改造で就任したばかりの小渕優子経済産業相、松島みどり法相(いずれも当時)が辞任に追い込まれており、同じ轍(てつ)は踏みたくないのが政権の本音だ。」(
時事通信)と報道されている。 

メデイアの言う、「53条は召集の期限を定めておらず、事実上拘束力がない。」との言い方には、誰しも納得しがたいだろう。憲法は、政権は憲法を遵守するとの当然の大前提でできている。期限の定めがあろうとなかろうと、誠実に憲法の定めには従わねばならない。もっとも、今回の安倍内閣のごとく、日本国憲法大嫌い(大日本帝国憲法大好き)で憲法無視のビリケン(非立憲)内閣が、憲法に従わないという態度を露わにした場合、憲法に従うよう強制が可能かはなかなかに難しい問題となる。

法は、その規範内容を実現する強制力を持つことによって、道徳や倫理あるいは政治的宣言等と区別される。しばしば、そのように説かれる。法の強制力として分かり易いのは、刑事法における刑罰権の執行や、民事法における強制執行など、公権力の実力作用による直接・間接の強制措置である。しかし、すべての法的規範に強制措置が伴っているわけではない。憲法に関しても、その規範を実現するためにいくつかの方策が予定されているが、そのすべてに実効性を担保する強制措置が用意されているわけではない。

憲法とは公権力を名宛て人として主権者が発した文書、その内容は公権力を規律する規範である。公権力の行使の規制に関し、その実効性確保に関する中心的な制度が、裁判所による違憲審査制である。憲法81条が、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定めるとおりである。

しかし、三権分立のバランスのとりかたの理解には微妙なものがあり、公権力のすべての違憲行為に訴訟が可能というわけではない。違憲を根拠に提訴可能なのは、公権力の違憲な行使によって国民の人権が侵害された場合に限るという制度運用が定着している。歯がゆいかも知れないが、裁判所にすべてをお任せというわけにはいかない。主権者たる国民が公権力を監視し、批判し、安倍政権のごとき憲法違反の政権には、国民自身が退場命令を出さねばならないのだ。

野党の要請に対して安倍内閣が臨時国会を召集しないことは、明白な憲法53条違反である。しかし、この違憲行為が国民の権利侵害をもたらすとはなかなかに難しく、従って訴訟でこの政府の違憲行為を是正することはきわめて困難というほかはない。

むしろ、このような憲法を守ろうとしない安倍政権への国民こぞっての批判の方が重要なのだ。私は、宮城県議選の結果は、安倍内閣の憲法軽視の姿勢に対する国民の側からの批判の意思表示とみるべきだと思う。なにせ、安倍政権への批判のバロメータは、何よりも共産党票と共産党議席の伸び如何にあるのだから。

宮城県民に続いて、安倍ビリケン(非立憲)内閣を、徹底して批判しよう。次は来年7月の参院選だ。安倍のビリケン度を、参院選の票と議席に反映させようではないか。

なお、戦争法案審議の最終盤、参院安保特別委員会での採決不存在の議事録改ざん問題に抗議し、経緯の検証と撤回を求める申し入れへの賛同署名は明日が締め切りです。改めて、下記のメール署名をお願いいたします。
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「公表された特別委員会議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。

ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
     http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2

賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
     https://bit.ly/1X82GIB

第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
       http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
       https://article9.jp/wordpress/?p=5768

(2015年10月26日・連続939回)

再度の宣言ー「奴らを通すな」「奴らを落とせ」

戦争法「成立」の痛みが身に沁みる。常々、「私の身体の組成は、タンパク質と日本国憲法」などと言ってきた。その憲法が乱暴に破壊されたのだ。身に沁みて痛くもなるわけだ。しかも、最終盤は雨が続いた。雨中のデモに、すっかり風邪を引き込み、今日は近所の診療所に駆け込んだ。安倍政権の暴走の被害は、我が身に直接およんでいる。

国会の外にある民意と、議会内の議席数が明らかにネジレた事態だった。常識を弁えた政権であれば、無理を通すことはしなかっただろう。これだけ反対があるのだから、法案を出し直すか、修正案を探るか、次期に回すか。妥協の道を考えるのが当たり前。

ところが、安倍政権の考え方は、「今にして、これだけ反対があるのだから、時間を経過すればもっと反対の声が大きくなる。今強行突破するしかない」というものだった。民意に基づく政治という姿勢の片鱗ももちあわせていない。「法案が成立したあとに、国民の皆さまには丁寧なご説明をする」という前代未聞のセリフに、あきれ果てた。この恨みを晴らすには、安倍政権与党の議席を少数に追い落とすしかない。

まずは、来年夏の参院選での違憲立法加担者落選運動だ。落選運動が選挙運動にあたり、事前運動としての取締対象となるのではないかというご心配はご無用だ。「憲法を蹂躙した議員を落選させよう」という運動は、今日からでもできる。名指しで、「憲法をだまし討ちにした鴻池祥肇を落とせ」「佐藤正久を落選させよう」「竹谷とし子(公明)を通してはならない」「浜田和幸(次世代)・松田公太(元気)に議席を与えるな」と公言していっこうに差し支えない。

もちろん、デモでシュプレヒコールをしてもよいし、街頭で拡声器で叫んでもよい。ビラを撒いてもよい。各団体の機関紙・誌に掲載してもよい。戸別訪問したってよいのだ。ネット運動も、大いにけっこう。たとえば、落選運動ターゲット議員の金銭スキャンダル一覧表をサイトに掲載するなどは、法の精神に適合した立派な政治浄化運動だ。

弁護士が、その実務法律家としての職能を生かす形で、落選運動に乗り出そうという話しが進んでいる。その中心にいるのが、政治資金オンブズマン運動を長く続けてきた大阪の阪口徳雄君。政治資金オンブズマンは、政治とカネにまつわる問題で、多くの政治家を刑事告発し、あるいは大きくマスコミに公表するなどの経験を積み重ねている。この経験を生かして市民運動体の落選運動に役立てようというのだ。

彼を中心に、「安保関連法賛成議員を落選させよう・弁護士の会」(仮称)を結成しようという呼びかけが始まっている。略称を「落とそう会」とでもいうことになるだろう。

とりあえずは来夏の参院選だ。参議院議員として、戦争法案に賛成した、自・公・次世代・元気・改革の議員の中で、来年7月に6年の任期が満了して、「選挙区」から立候補しようとしている者がターゲットだ。余裕があれば比例区議員にもターゲットを広げる。市民主体の落選運動を展開して、奴らを落とそう。そうして、立憲主義と民主主義を回復しよう。

表舞台での正規戦では、堂々たる言論の応酬が行われる。まったくそれとは別の、われらはゲリラだ。違憲議員を落とすことに専念する。ターゲットとした議員を叩いてホコリを出そうということだ。脛の傷を徹底して暴こうということなのだ。非立憲・反民主の議員を叩くことが、同時に政治とカネとのつながりを断って政界を浄化することにもなる。一石二鳥ではないか。

この弁護士の会の目標は以下のとおり
? 落選運動の法的正当性についての確信を有権者に提供し、支えること、
? 賛成議員に関する情報公開請求や告発等の法的手続で落選運動団体や市民の活動を支援すること、
? 有権者の落選運動において具体的な問題が生じたときに法的なアドバイスやサポートをすること、
? 会自身も、また会員も落選運動に参加すること

具体的な行動としては
?  各落選運動対象者の政治資金収支報告書や選挙運動費用収支報告書などの公開資料を読み込み、問題点を洗い出すこと。
?  もし違法事実や不透明な収支が判明すれば、徹底して糾明し可能なものは法的手続を検討すること。
?  各候補者についてのあらゆる情報を交換することにより、落選運動に寄与すること
などを考えている。

この運動は、公職選挙法や政治資金規正法の理念に則った、民主主義運動として意義のあるものである。日本の政治地図を塗り替え、政治にまつわる雰囲気を変える運動にもなるだろう。

多くの弁護士に参加を呼びかけるとともに、多くの市民運動との連携をもって、実効性ある運動を形づくっていきたい。
(2015年9月26日・連続909回)

欠陥議員を製造した安倍自民党は責任をとれ

商品には、消費者が期待する品質の保証が必要だ。品質の不良にも、商品の欠陥にも業者は消費者に責任を負わねばならない。
議員にも、選挙民が期待する品質の保証が必要だ。議員の資質不良にも欠陥にも、政党が責任を負わねばならない。

武藤貴也という、安倍自民党が粗製濫造した議員の欠陥が明らかとなった。安倍自民党はこれに責任を負わねばならない。邪魔な尻尾として切って捨てて、「それは仕方がない」というだけの安倍晋三の姿勢は無責任の極みだ。

商品に欠陥があって消費者被害が生じたときには、欠陥商品を製造・輸入・販売した事業者に無過失の賠償責任が生じる。消費者保護の思想から導かれる製造物責任(product liability)の観念である。何を欠陥とし、どの範囲の業者に、どの範囲の賠償をさせるか、具体的な立法政策には幅があるものの、資本主義的財産法の大原則とされた「過失なければ責任なし」を大転換するものである。

我が国でも、1995年に製造物責任法(PL法)が施行されて20年となった。消費者保護の思想が実定法化されて既に定着している。経済社会でのこの常識が、政治の世界でも通用しなければならない。自民党は、自らが公認して当選したこの議員の欠陥を洗い出し、謝罪した上、しかるべき責任のとりかたを考えなければならない。それが最低限の常識的な政党のありかたであろう。

武藤貴也という、このいかがわしい人物は、滋賀4区で当選し「安倍チルドレン」の一人として衆議院議員となった。当選すれば議会での貴重な一票をもつ。もちろん、戦争法案の強行採決に加わっている。安倍応援団の一人として、「マスコミ弾圧勉強会」参加者の一員でもあった。

未熟で実績のないこの人物が当選できたのは、偏に自民党公認であったからである。安倍自民党が製造した議員といってよい。あるいは、安倍自民党が保証マークをつけて売り出した議員だ。その欠陥が明らかになった途端に、離党届を受理して「ハイ、おしまい」。それはないよ。

武藤貴也が何者であるか、選挙民はよくは知らない。それでも投票したのは、自民党公認だったからだ。自民党の保証マークを信用したからだ。その安倍自民党印議員の欠陥が明らかになったのだから、自民党が責任をとらねばならないのは当然ではないか。

私は、議員の品質のレベルを、「選良」というにふさわしいものと考えているわけではない。自民党議員に、市民の意見に耳を傾け、これを政策化して実現する誠実さと能力など求めていない。そんな品質を望むことは、木に縁って魚を求むるの類であろう。武藤のお粗末さは、常識的通常人には遙かに遠い恐るべきレベルなのだ。

武藤なる人物をいかがわしいと言い、議員としての資質に明らかな欠陥というのは、週刊文春が報じる彼の友人Aへの「LINE(ライン)」の記録による。

「来月新規公開株の取引の話しがあり、最低でも2倍になると言われています。内々で俺(武藤)に取引を持ちかけているのだけど元手がありません」「株の枠を抑(ママ)えてもらっていることは本当なので」「この件はクローズだからね。正直証券会社からも、『うちが国会議員のために枠を抑えてるのが一般に知れたら大変だ』と言っています。その辺呉々も注意してください」というもの。

8月19日発売の週刊文春によれば、武藤は昨年「国会議員枠で買える」と未公開株購入を知人らに勧め、その結果23人が計4104万円を武藤の政策秘書名義口座に振り込んだ。しかし、株は実際には購入されず、出資金の一部は戻っていないという。また、Aは、「新宿の喫茶店で武藤本人から直接説明を受けた」と述べている。

武藤は、その後弁明はしているものの、週刊文春の記事を否定していない。ラインの記録もAへの説明の内容も事実上その正確性を認めている。武藤とAとのトラブルについては、武藤側の言い分があるようだが、23人に4104万円を振り込ませて一部を流用し今なお700万円を未返還であることは争いないと見てよいようだ。

ラインに残る武藤の「勧誘文言」は、詐欺罪の構成要件に該当する欺罔行為となる公算が高い。未公開株詐欺と同様の手口なのだ。議員自身が「国会議員枠」の存在を強調している点は明らかに欺罔であり、ばれないように秘密を守れといっている点などは、タチが悪く常習性すら感じさせる。

自民党は、武藤の離党届を受理してはならない。党公認の議員としての適格性を検証し吟味しなければならない。事実関係を洗い出し、とりわけ詐欺の故意の有無を徹底して検証の上、除名を含む厳正な処分をしなければならない。そして、当該選挙区の選挙民を含む主権者国民に経過を報告するとともに、責任の所在を明らかにして謝罪しなければならない。さらには、粗製濫造の安倍チルドレンの中に、他にも欠陥議員がないかを十分に点検しなければならない。

以上が常識的なところだが、私はこれでは済まないと思う。自民党は、自分が当選させた欠陥候補者の選挙をやり直す責任があると思う。商品に欠陥ある場合、消費者は完全な他の商品の引渡を求める権利がある。いわゆる代物請求権である。

滋賀4区の有権者は、いや国民は詐欺犯もどきの欠陥議員をつかまされっぱなしで、衆議院議員としての居直りを許していることになる。いまや滋賀4区の恥となった欠陥議員についての代物請求権の行使が認められなければならない。こんな人物と知っていればよもや有権者が投票したはずはない。この議席はだまし取られたものなのだ。自民党が選挙民の代物請求に誠実に向き合う方法は、武藤を説得して議員辞職をさせることだ。それができれば、選挙民は欠陥議員に代えた新たな議員を選任する機会をもつことになる。再びの欠陥議員選任のリスクは…、まあ少なかろう。
(2015年8月20日)

「自共対決」の文京区議会議員選挙公報を読む

明日(4月26日)は、統一地方選後半戦の投票日。安倍自民党の暴走へ歯止めをかけるチャンスである。
憲法9条をないがしろにし、集団的自衛権行使容認だけでなく、戦争法制を整備して、切れ目なく、つまりはいつでもどこでも戦争ができる国を作ろうという安倍自民の目論見が公然化しつつあるこの時期の選挙。その自民党と、下駄の雪の公明党への批判を期待したいのだ。そのような視線で、地元文京区議会議員の選挙公報を眺めている。

定員34に立候補者が46名。14人が落選する選挙。政党別の候補者数は以下のとおりだ。
 自民  10
 共産   7
 公明   5
 民主   4
 維新   2
 社民   1
 次世代  1
 ネット   1
 生活   0
 諸派   1
 無所属 14

地域に根差した政党としての活動がなければ、立候補者数の確保はできない。民主の4、社民の1、生活の0は寂しい。また、維新2、次世代1は、おそらくは早晩消えていくことになるのだろう。

自民の10人は、公報での訴えを見る限り、政党としてのまとまりがあるとは到底思えない。もっとも、そこが強みなのかも知れない。安倍自民の公約や政権の動向とは無関係に集票して議席を獲得し、自民党議員団としての勢力を誇示して都政と国政の基盤を形成する。柔軟といえば柔軟、したたかといえばしたたかな、草の根からの民意掠めとり構造が透けて見えてくるではないか。

自民の誰一人として、安倍晋三の名も安倍政権中枢に位置する政治家の名も挙げていない。むしろ意識的に避けているのではないかという印象。地元商店街の振興は叫んでも「アベノミクス」は一言も出てこない。教育の充実は語られても、「教育再生」は出てこない。もちろん、戦後レジームも、靖国も、日の丸・君が代も、原発再稼働も、歴史修正主義も、集団的自衛権も一切触れられていない。安倍政権のメインスローガンとは無縁な候補者の当選が、安倍自民の暴走の護符となる。この奇妙さをどう理解すればよいのだろうか。

たとえば、自民党公認の男性45歳候補。公報のスペースには、ラグビー選手であることをアピールする大きなイラスト。意味がある表現はそれだけと言ってよい。殆ど意味のない「政策」が2行だけ並んでいる。そのうちの一つが「不動産業で培った知識とノウハウで暮らしやすい活気あふれる『まちづくり』『都市計画』を進めます!」というもの。もちろんこの人現職の不動産屋さん。生活者の視点からではなく、事業者の視点で「まちづくり」をしようというのだ。どういった区民がこの人に投票するのだろうか。

共産党の10人すべての候補者が、地元の問題とともに、「安倍暴走ストップ! 地方政治で審判を」「戦争立法・原発再稼働反対」と掲げている。もちろんバリエーションはあるが、政党としてのまとまりが目に見える。

公明党の5名は、およそ政権与党の一員であることを押し出すところがない。代わっての押し出しは、「現場第一主義」であり、「生活相談」であり、ひたすらドブ板に徹した姿勢。これも、中央政界とは一線を画したいという意識的なアピールとの印象。

維新の2人は、党の政策を一応掲げてはいる。が、それ以外は、かなりの個性派。その一人の次のような公約に目がとまった。
「武力で他国を守る集団的自衛権の行使を可能にする(事態法)改正反対」

念のため、党の政策を確認してみた。「自国への攻撃か他国への攻撃かを問わず、我が国の存立が脅かされている場合において、現行憲法下で可能な『自衛権』行使のあり方を具体化し、必要な法整備を実施」というもの。

「集団的自衛権行使を可能とする法整備の推進」が党の政策で、この立候補者の公約は、「集団的自衛権の行使を可能にする法整備反対」である。まったく逆。おそらくは、この候補者には「集団的自衛権行使容認反対」が世論にウケが良く、集票に役立つものとの思惑がある。しかし、党の基本政策と真逆のことを掲げて、どうして党の公認候補者なのだろうか。

次世代の党からの立候補者は歯医者さん。元はみんなの党に所属していたようだ。禁煙運動に取り組んでいることをアピールしているので、個人的には好感が持てるのだが、もちろん私はこの政党が大嫌い。「次世代」らしいのは、「文京区を想い、国を想う」というフレーズと、「外国人地方参政権は反対。参政権を行使するためには国籍を取得すべき」という政策。レイシストに落選の憂き目あれ。

やはり、「自・共対決」の時代となりつつあるのだろう。自共以外の政党の存在感が薄い。もっとも、中央政界での一強を誇る自民党も、地域まで下りてくると案外たいした勢力ではない。けっして、イデオロギーや基本政策でまとまった自民党地域組織や集団があるわけではないことがよく分かる。地域では、安倍人気もなければ、安倍政策の魅力も語られてはいないのだ。

地域の自民党とは、意外に何の色も着いていない殆ど透明の存在なのだ。何の色もない候補者に有権者が投票し、当選した議員が区議団自民党を形づくると、かなりの色が着いてくる。これが都議会自民党となると殆ど真っ黒の「自民党色」となる。さらに中央政界では、安倍カラーの戦争色にまでになり、キナくさい臭いまでも撒き散らすことになる。草の根と安倍政権とをつなぐ、魔法の糸が紡がれているのだ。

しかし、安倍政権を支える基盤は存外に脆弱なのだ。安倍政権とは、「実は張り子の虎だった」といわれる時代が早晩訪れるのではないだろうか。そんなことを考えさせられる選挙前日である。
(2015年4月25日)

「維新の八悪」?維新に投票してはならないこれだけの理由

このようにお考えの方は案外多いのではないだろうか。
「自民は嫌いだ。カネに汚い。大企業と大金持ちの味方だ。アメリカベッタリで、戦争の臭いがする。とりわけ安倍はアブナイ」「公明党は安倍自民の下駄の雪。結局は、アブナイ路線の補完勢力ではないか。だから、到底公明党には投票する気になれない」「自公を避けて、一時は民主に期待したのだ。ところが大きく裏切られてしまった。今さら、民主党でもあるまい」「とすれば、第三極にやらせてみるしか選択肢がないんじゃない?」

「第三極といっても、みんなの党がみっともなくつぶれて、その片割れが維新に合流している。結局維新の党しか投票先はないことになる」「維新を信用しているわけじゃない。しかし、未知の魅力にかけてみるという選択肢はあると思う」「維新の選挙演説を聴いていると、大阪では『身を切る改革』というのをやっているようだ。それを全国で、あるいは国政でやってもらったらいいんじゃないの?」

トンデモナイ。維新こそは、安倍自民の外からの補完勢力。改憲を、前から引っ張り、後から押している。しかも、徹底した新自由主義の弱い者イジメに徹したアブナイ集団。こんなところへ大事な一票を投じてはならない。
大阪維新が、世論の風向きを眺めながら、鉛筆を舐め舐め「維新八策」などを書いたり消したりしていた当時は、政策の上では中身のない空っぽ政党に過ぎなかった。それが今は、安倍路線との結びつきを深め、新自由主義と軍事大国化を目ざす勢力として明確になってきている。しかも、この政党はコンプライアンス意識にきわめて乏しい。社会に喝采を得られると思えば、敵を作って徹底していじめようとする。常套とする手口がきわめて危険な政党なのだ。

維新に投票してはならない理由を8項目にまとめてみた。もっと本質的な維新の反民主主義的性格を掘り下げてみたいところだが、とりあえずは分かり易いところでの指摘である。これを「維新八悪」と言おう。あるいは「八難」でもよい。「色の白いは七難隠す。隠すに隠せぬ維新の八難」である。

(1) 維新は、安倍改憲路線の親密なパートナーである。
維新と安倍政権とは、改憲策動に関して秋波を送りあう親密な間柄となっている。橋下徹が、「憲法改正について出来ることは何でもする。ぜひ実現してほしい」と語って首相に全面的に擦り寄り、安倍が大阪都構想に協力する姿勢を示す関係となっている。これまでは、「あやしい仲」だったのが、いまや人目をはばからない「公然たる仲」となり、安倍壊憲政権の補完勢力として、公明とならぶ重要な存在なのだ。
今通常国会でも、安倍政権の「応援団」の性格を鮮明にしている。衆院予算委員会で、松浪健太幹事長代行が「憲法改正で、国の形が国民の手で変わっていくんだと示していきたい」「総理は憲法改正を早くやるべきだとは思わないのか」と改憲をけしかけた質問までしている。維新は、改憲発議の尖兵の役割を負うことになるだろう。
また、維新の議員が「大事なことは、この予算委員会、国会に集まっているわれわれが力をあわせてアベノミクスを成功させることだ」とまで言っている。第三極どころか、自民の別働隊、しかも閣外で右寄りの別働隊と知らねばならない。

(2) 維新は、甚だしく遵法精神に欠ける。
選挙の都度、維新の違反は目に余る。特に2012年12月総選挙では、公職選挙法違反の「買収」容疑で逮捕された8人中6人が「日本維新の会」陣営だった。そのなかに、大阪7区の上西小百合陣営の運動員、愛媛4区の桜内文城陣営の運動員、大阪9区に出馬し初当選した足立康史陣営の運動員3人が含まれている。
維新の違法は、思想調査アンケート問題、刺青調査拒否に対する懲戒処分、組合事務所使用不許可事件等々枚挙に暇がない。こんな体質の政党は他にはない。
週刊新潮の最新号(4月16日号)に維新に集う人々のスキャンダル一覧が掲載されている。標題が、「橋下チルドレン不祥事一覧」というもの。衆院議員から市会議員まで16件の議員不祥事と、10件の公募区長・校長・教育長の不祥事。こんな政党を信用できようはずがない。

(3) 維新は言ってることとやってることが大きく異なる。
政党が「身を切る改革」をいうときの第一歩は、政党助成金の廃止でなければならない。維新は、けっしてそのことは口にしない。税金から政治資金を貰っておいての「身を切る改革」は筋が通らない。そればかりか、橋下徹大阪市長は自分の後援会幹部の息子を特別秘書として採用し、大坂市の税金で給与を払っている。この特別秘書は実は仕事らしい仕事をしていない。市長が、自らの後援会幹部の息子を税金で養っているという疑惑を解明すべく、大阪市民が監査請求をし、現在住民訴訟が大阪地裁に係属している。やがて、判決の形でその全貌が明らかになるだろう。

(4) 維新の政策は弱い者イジメの手法に貫かれている。
維新の常套手口は、イジメである。イジメの対象を探し、周囲にイジメに参加するよう煽動する。イジメに参加したものは、カタルシスを味わって維新の支持者となる。
イジメの対象は、権力者や財界ではない。庶民の妬みの相手が選ばれる。これまでのところ、教員であり、公務員であり、労働組合である。そのバッシングの成果として、経費を節約したとしたと誇っている。バッシングに参加した庶民は、カタルシスは得たかも知れないが、結局は自分の権利や賃金の水準をも、低下させているのだ。

(5) 維新の教育政策は強権的な国家主義である。
維新の教育政策は、民間校長の「君が代口元チェック」に象徴される。
驚くべき国家主義、強権主義、管理主義である。ファシズムに通じるハシズムが話題となったが、維新という集団の本質的な恐ろしさが、君が代斉唱の口元チェックに表れている。口元チェックの次は、心の中までの服従を求めることになるだろう。

(6) 維新は労働運動弾圧政党である。
維新の党の足立康史衆院議員は厚生労働委員会で質問に立ち、元私設秘書から未払いの残業代700万円を請求されたことを明かし『払うことはできない。私たち政治家の事務所は、残業代をきっちりと労働基準法に沿って払えるような態勢かと問題提起したい』と述べ、未払いを正当化した。彼は『私は24時間365日仕事をする。そういう中、秘書だけ法に沿って残業代を支払うことはできない』と持論を展開。元秘書からの請求に対しては『ふざけるなと思う』と強弁。
維新は、労働者に対してかくのごとく冷たい。労働者の権利主張に対しての「フザケルナ」という圧殺の姿勢が、維新の本質である。もちろん、労働組合弾圧もこの政党のお家芸である。

(7) 維新はカジノ大好き政党である。
新自由主義のしからしむるところ。維新は、カジノ大好き政党である。大阪で維新を勝たせれば大阪にカジノが生まれる公算が高い。賭博は社会に害毒を流すものとして犯罪である。物を作らず、価値を生まず、ギャンブル依存症の中毒症状と諸々の不幸のみを生じさせる。この選挙で維新を勝たせて、ギャンブル禍の社会にしてはならない。

(8) 維新にはまっとうな人材がいない
「国会サボり事件」で大阪維新の会を除名になった上西小百合衆議院議員、秘書への残業代不払い宣言の足立議員、パワハラ辞職の中原教育長、そして橋下徹市長が、公募で採用した11人の『民間人校長』。そのうち6人が保護者へのセクハラなど問題を起こし、市民から批判をあびることになっている。ラインで仲間はずれにされたとかで女子中学生を恫喝した山本景大阪府会議員。飲酒運転で接触事故を起こしながらそのまま逃走した西井勝元堺市議会議員などなど。著名な人材には事欠かない。やはり、類は友を呼ぶ結果というべきだろう。お粗末極まる人々。本当にこれが政党なのか、疑わざるを得ない。

あなたの大事な一票。ドブに捨てるならまだしも、将来はあなたに襲いかかりかねない危険な野獣を太らせる一票としてはならない。
(2015年4月10日)

平和を望む者は、自・公両党に投票してはならない

統一地方選挙前半戦の投票日(4月12日)が近づいている。各道府県や政令指定都市の個別地域課題が争点となっていることは当然だが、色濃く国政を問う選挙ともなっている。改憲(壊憲)色を強めた安倍政権に対する信任投票という性格を払拭できない。いま、自・公両政党へ投票することは、平和を危うくする方向に国を動かすことだ。あなたが平和を望むのであれば、自・公両党に投票してはならない。

我が国民は、今次の戦争での敗戦を痛苦の悔恨の念をもって省み、「再び戦争の惨禍を繰り返してはならない」「戦争の被害者にも加害者にもけっしてなるまい」と誓いを立てた。その誓いは、自らに対するものでもあり、また侵略戦争や植民地主義の被害者となった近隣諸国の民衆に対するものでもあった。

敗戦の反省の仕方には二通りある。一つは、戦争をしたことではなく負けたことだけを反省の対象とすること。そしてもう一つは、勝敗に関わりなく戦争したこと自体を反省することである。

前者の反省の仕方では、「次の戦争ではけっして負けてはならない」とする軍事大国路線の選択となり、後者の反省は平和主義をもたらす。我が国は、非武装の徹底した平和主義を国是とし、そのような国民の総意を憲法に書き込んだ。こうして戦後の70年間、国民は平和憲法を擁護して戦争をすることなく過ごしてきた。国民自らの不再戦の誓いと、平和憲法の恩恵である。

ところが、それが今危うい。安倍晋三という極右の政治家が首相となって以来、碌なことはない。今や、憲法の平和主義の保持が危ういと心配せざるを得ない。「できれば憲法の条文を変えたい」。「それができなくても、法律を変えてしまえば同じこと」。「法律を変えることができなくとも、行政が憲法の解釈を変えてしまえばこっちのものだ」というのが、安倍晋三一味のやり口なのだ。

憲法9条は、武力の行使を一切禁止している。私たちのこの国は、いかなる場合にも対外紛争を武力による威嚇あるいは武力の行使によって解決することはしない。そのような選択肢を自ら封じているのだ。その智恵と方針の遵守が我が国の平和を70年間保ってきたのだ。その大方針を転換して、「戦争という選択肢をもちたい」と安倍政権は明らかに言っているのだ。

憲法9条の平和主義は傷だらけだと言われる。そのとおりではあろう。しかし、傷は負っていてもけっして致命傷には至ってない。憲法9条はまだ生きている。まだまだ、有効に軍国主義者たちの前に立ちはだかっている。戦争のできるような国にしたい安倍一味にとって、9条はまだまだ手強い不倶戴天の敵であり、打倒の目標なのだ。

戦争という手段を選択肢としてもちうる国にするためには、明文の改憲をおこなって9条を変えることが正攻法である。しかし、これはあまりにハードルが高い。もっと手っ取り早い簡便な方法として、憲法はそのままに、憲法をないがしろにする法律を作ってしまえという乱暴な手法がある。いわゆる「立法改憲」である。

その最たるものが、集団的自衛権の行使を容認する安保法制に関する諸立法である。首相の私的諮問機関という「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告後の自公摺り合わせを経て、昨年7月1日「集団的自衛権行使容認の閣議決定」に至った。そして、今度はその立法化である。3月20日に与党協議が整い、必要な法案は統一地方選終了後に国会に提出の予定とされる。

キーワードは「切れ目のない安全保障」である。安倍政権は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備」を謳っている。これは、とりもなおさず、いつでも、どこでも、何が起こっても、武力の行使による対処を可能とするということにほかならない。

敗戦の惨禍というあまりに高価な代償をもって購った憲法9条の平和主義を、シームレスに捨て去ろうということなのだ。これまでは、日本は軍隊を持てないというお約束は、タテマエにもせよ大切にされてきた。自衛隊は軍隊ではなく、飽くまで専守防衛に徹した自衛のための実力組織であって、海外で武力行為をすることはまったく想定されてはおらず、専守防衛を超える装備や編成はもたないものとされてきた。これを安倍晋三は、挑戦的に「我が軍」と言ってのけた。驕慢も甚だしい。

集団的自衛権行使容認だけではない。教育の国家管理化、マスコミ統制のための特定秘密保護法の制定。靖国神社参拝、憲法改正草案と憲法改正国民投票法の整備…。

「戦後レジームを打破」して、「日本を取り戻そう」、というのが安倍政権の基本スローガンである。戦後レジームとは、現行の憲法秩序のことにまちがいない。安倍一味は日本国憲法が大嫌いなのだ。もちろん、平和主義も国民主権も人権の尊重も、である。そして、彼が取り戻そうというのは、一君万民・富国強兵の戦前の国内秩序であり、八紘一宇・五族共和・東洋平和の国際秩序としか考えようがない。

安倍自民党への投票は、平和を失う一票となりかねない。あなたが平和を望むのなら、国の内外に大きな不幸をもたらし、自らの首を絞める愚かな投票をしてはならない。

この安倍自民に「どこまでも付いていきます、下駄の雪」となっているのが公明党である。安倍自民の悪業の共犯者となってこれを支えている公明党に投票することも同様なのだ。

権力につるんで甘い汁を吸っている者はいざ知らず、庶民は、自・公両党に投票してはならない。自分の首を絞める愚をおかしてはならない。
(2015年4月9日)

安倍政権批判こそが統一地方選挙の課題だ

昨日(3月26日)の10道県知事選の告示で、2015年統一地方選の前半戦の幕が開いた。4月12日(日)の投票日には、同知事選だけでなく、5政令指定都市市長、41道府県議会議員、17政令指定都市議会議員の各選挙の投票がおこなわれる。

そして後半戦の投票日が4月26日(日)。この日は、政令指定以外の市区町村長とその議会議員選挙の投票。

統一地方選としては、この度が18回目となるようだ。その第1回は、戦後間もない1947年4月。文字どおり全国統一の地方選挙だった。新憲法制定に伴う国と地方の議会構成のためにおこなわれたもの。

戦前にも、不十分ながら地方自治の理念と制度はあった。1925年の男子普通選挙(衆議院議員選挙法改正)に伴う翌26年の地方制度改正によって、市町村会議員、道府県会議員の各選挙に普通選挙制が導入された。市長は市会による選挙により選任され、町村長選任時の府県知事の認可は廃止された。もっとも、知事は新憲法制定まで官選のままで、官選知事は内務官僚出世コースの上がりのポストとされた。

敗戦後、「占領政策」の一環として、1946年9月に府県制が改正され、従来の官選地方長官(府県知事・北海道庁長官・東京都長官)は、住民の直接投票によって選挙される公選制都道府県知事となった。

そして、1946年11月に公布された新憲法は、旧憲法にはなかった地方自治の章を設け、4か条の地方自治に関わる原則を規定した。地方自治体の首長と議会議員は、住民の直接選挙によることが憲法上の制度として確立した。

翌47年5月の日本国憲法施行を目前とした同年4月、新しくできた参議院を含む両議院の議員選挙と、これも新たな知事公選を含む地方の首長と議会議員の選挙が全国一斉におこなわれた。初めての女性の政治参加、戦前非合法だった日本共産党も公然と国民の前に姿を現した。おそらくは、世の中が変わったことを国民が最も強く意識した政治参加の時であったろう。

手許の年表(吉川弘文館「日本史総合年表」)によれば、
4月 5日 第1回統一地方選挙(知事・市区町村長選挙)
4月20日 第1回参議院議員選挙(全国区・地方区)
4月25日 第23回衆議院議員総選挙
4月30日 都道府県議会・市区町村議会議員選挙
とある。この4月には国民は4投票日に、7回の投票をしたことになる。当時の国民には、自らがこの国をつくっているという実感があったことだろう。

私事にわたるが、私の父もこのとき、盛岡市議選に立候補している。戦時中は関東軍の兵士として満州に駐屯し、終戦は弘前で迎えた。戦後盛岡市の職員として復帰し、33歳での市議選への挑戦だった。推薦母体は日本社会党。結果は「惜敗だった」と聞かされた。のちに懇意になった岩手県共産党幹部の柳館与吉さんが同じ選挙に立候補しての落選組。私の父のことをよく覚えてくれていた。戦争を終えて、新生日本をつくっていこうとする若人たちの熱気が渦巻いていた時期であったろう。

地方選には国政とは別の課題がある。とりわけ、今回地方選は、地域の疲弊した現状と、その再生の在り方が、多くの人の関心事として浮かび上がっている。資本の最大限利益追求を積極的に容認する新自由主義政策は、必然的に競争力の弱い部分を容赦なく切り捨てることになる。そのことが、「中央」に対して競争力の弱い「地方(地域)」の疲弊と衰退をもたらし、「地方消滅」論すら喧伝される事態となっている。アベノミクスの負の側面である。

いま現政権は「地方創生」の看板を掲げているが、その政策の内実は、国家戦略特区構想や、農協切り捨て、TPP参加、カジノ合法化などに象徴されるように、中央資本による地方侵蝕を促進するものといわざるを得ない。

「地方創生」とは、これまで「地方(地域)」を支えてきた農・林・牧畜・漁業や地場産業にまで競争至上主義を持ち込み、結局はいっそうの地方衰退をもたらすものではないか。そのために、「地方(地域)」経済が切迫した危機にあり、それゆえのコミュニティの崩壊が危惧されている。

地方(地域)の再生とは、本来は住民一人ひとりの生活の向上をもたらすものでなくてはならない。にもかかわらず、財界と政権は、地域住民を切り捨てたうえでの、これまでの地域コミュニティとはまったく別ものとしての地方「創生」をたくらんでいるごとくである。

米価切り下げ、農協攻撃、TPP、農地法改正、特区への中央資本流入等々。これまで伝統的に保守の地盤とされてきた地方は、安倍政権に離反せざるを得ないのではなかろうか。この4月の統一地方選の結果が注目される。

それだけにとどまらない。安倍政権は、国政選挙の端境期に憲法を蹂躙する危険な政治を強行している。今回の統一地方選は、安倍政権の暴走への歯止めの選挙としての役割を果たすだろう。地方の立場からのアベノミクス批判としても、あるいは沖縄問題を含む日本の平和を守るためにも、自公の与党勢力にノーを突きつけ、さらに自公の政策を右側から引っ張っている次世代の党や維新の党を、投票行動によって批判したいものと思う。
(2015年3月27日)

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