(2020年9月3日)
類は友を呼ぶ。アベシンゾーの友は、同類のトランプやプーチンであるという。「友」もいろいろ。シンゾーもひどいが、トランプやプーチンは、これに輪を掛けたムチャクチャぶり。それぞれにムチャクチャではあるが一定の岩盤支持層を有していることが、同類の所以。
トランプは退任表明をした朋友シンゾーについて「素晴らしい人物。最大の敬意を表したい」とお世辞を言っているそうだ。お互いにそう言い合おうとの魂胆が見え見えで、醜悪きわまる。もっとも、トランプの真意はこういうことだ。
「シンゾーこそ、これまでどんな無理なことも私の言うとおりに従順に従ってくれた素晴らしい人物。とりわけ、友情の証しとして、日本国民への苛酷な負担をも顧みず、ほとんど独断で不必要な大量の武器を私の言い値で購入してくれたことに、心の底からの敬意を表したい」
トランプとシンゾー。ゴルフ仲間だという。多分どちらも、パットは下手くそなのだろう。トランプが、「ゴルフの大会で、3フィートのパットでも外すことはある」と言ったことが話題になっている。もちろん、「3フィートのパット外し」は、比喩である。この出来の悪い比喩が、もしかしたら大統領選の命取りになるかも知れない。
トランプは8月31日放送のFOXニュースのインタビューで、米中西部ウィスコンシン州の警官による黒人男性銃撃事件を話題にして、警官を取り巻く非難の重圧がますます厳しくなっていると強調した。その上で、このような重圧の中では「ゴルフの大会でもそうだが、3フィート(約90センチ)のパットでも外すことはある」と述べたのだ。白人警察官が丸腰の黒人男性の背後から至近距離で7発もの銃弾を打ち込んで瀕死の重傷を負わせた深刻な犯罪行為を、お気楽に趣味のゴルフに例えたというわけだ。
「3フィートのパットを外す」という比喩は、「7度の発砲」についてのもの。恐ろしく下手くそで分かりにくいだけでなく不愉快極まる比喩ではあるが、重圧の中ではどんなゴルファーも、「3フィートのパットを外すというミス」を起こすものだ。同様に、非難の世論という重圧の中では、白人警官が「黒人男性に対する背後からの7度の発砲というミス」を起こしても不思議ではないと言いたいのだ。だから、パットミスと同様に、発砲した白人警官を責めることは酷に過ぎる、大目に見てやれ。そういう、白人層に対するアピールなのだ。白人警官の黒人に対する発砲行為が抱えている深刻な問題を見ようとせず、パットミス程度の問題と擁護しようというのだ。当然のことながら、ワシントン・ポスト紙を始め有力メディアが、批判の声を上げている。
パットミスを使った下手な比喩で、白人警官を擁護しようとしたトランプ発言だったが、実はパットを外してミスを犯したのはトランプ自身ではないか。彼は、自らの「3フィートのパットミス」発言で、差別主義者であることをさらけ出したのだから。確かに、厳しい環境に焦ると本性をさらけ出す発言で、取り返しのつかないミスを犯しがちではある。トランプがそれを証明して見せた。
ところで、トランプの友人というシンゾー君。ゴルフ仲間のシンゾー君よ。「素晴らしい人物。最大の敬意を表したい」とまでお世辞を言われているシンゾー君。そして、シンゾー後継を争う諸君。君たちもそう思うか。トランプの言うように、「白人警官が黒人男性の背後から7回も銃撃することは、パットミス程度のことか」と。また、こんな発言をするトランプと、今後も友人関係を続けようというのか、と。
(2020年8月31日)
ナショナリズムとは、「内」と「外」とを分けるドグマ(教条)である。このドグマが教えるところは、単に「内」は味方で「外」は敵というにとどまらない。内は優れて外は劣る。内は正しく外は不正義という。ある種の人々にとっては、優越意識と排外主義のセットが心地よいのだ。しかし、さて問題は「内」と「外」とをどう分けるかである。国籍で? 人種で? 言語で? 信条で? 帰属意識で? 出自で? 体型で? 肌の色で? 目の色で? いずれもまことにバカげている。
この観点からは「内」の周縁に位置する人々に関心をもたざるを得ない。外国人力士、外国人労働者、在日コリアン、アイヌ、沖縄の人々。急速にふえつつある混血の人々。私だって、誇り高くまつろわぬ蝦夷の末裔だ。この人たちは、内なのか外なのか。タマネギの皮を剥き続けて、いったいどんな芯が残るというのだ。一見芯に見える天皇だって、百済からの帰化人の血を引いている。
大坂なおみというテニス選手、その風貌も言語習慣も「日本人離れ」の個性の持ち主。ハイチ系アメリカ人の父と日本人の母を持ち、日本で生まれてアメリカで育った。日米の二重国籍だったが、22歳になる際に日本国籍を選択したという。これまで、そのときどきで「内」にいれられたり「外」に弾かれたりという印象が否めない。
この人の意見や発言が、また「日本人離れ」して、すこぶる明快なのだ。力強い拳をあしらった図柄のMLB黒シャツ姿と、下記のツィッターが、いまさわやかな話題を振りまいている。
https://twitter.com/naomiosaka/status/1298785716487548928
こんにちは。多くの皆さんもご存じのように、私は明日(8月27日)の準決勝に出場する予定でした。しかし、私はアスリートである前に、一人の黒人女性です。黒人女性として、私のテニスを見てもらうよりも、今は注目しなければいけない大切な問題があると感じています。
私がプレーしないことで劇的に何かが起きるとは考えていませんが、白人が多い競技で議論を始めることができれば、正しい道へのステップになると思います。相次いで起きている警官による黒人の虐殺を見ていて、正直、腹の底から怒りが湧いています。数日おきに(被害を受けた人の名前の)新しいハッシュタグをつけ(SNSに投稿し)続ける状況に苦しみ、疲れています。
そして、同じ会話を何度も何度も繰り返すことにとても疲れてもいます。いったい、いつになったら終わるのでしょうか?
なお、ツィッターの原文には、英文と並んで日本語訳がある。日本語訳があることの意味は重要だと思うが、残念ながらこの日本語訳は日本語としてこなれたものではない。上記は朝日の訳を転載させていただいた。
この人は、自分を「アスリートである前に一人の黒人女性(a black woman)である」と躊躇なく言い切っている。そこがまことにさわやかなのだが、日本ナショナリズムは、自らを「一人の黒人女性(a black woman)」と自己認識する彼女を「内」の人と受け入れるだろうか。
私は、テニスという競技にはほとんど何の興味も知識もなく、「ウエスタン・アンド・サザン・オープン」の準決勝棄権というものの重みを実感できない。が、プロの選手が国際試合をボイコットしようというのだ。ウィスコンシン州で起きた黒人銃撃問題に抗議の意を示し問題提起のためとする、彼女の準決勝棄権の決意のほどは伝わってくる。立派なものだ。
その後、大会主催者は大坂の問題提起を受けとめた。8月27日に予定されていた全試合を28日に順延すると発表した。また、全米テニス協会も日程の順延について「テニスは、アメリカで再び起きた人種差別と社会の不公平に対し、結束して反対する」という声明を出したという。これも立派なものだ。おそらくは、大坂の問題提起を受けとめねばならないという空気が全米に満ちているのだろう。
さらには、Twitterでは「#大坂なおみさんを支持します」というハッシュタグが作られ日本のトレンドに入ったという。紹介されているものでは、「アスリートの鏡だと思う」「自身の影響力を社会のために使っている素晴らしい例」など大坂選手への応援の言葉が大半を占めたという。もちろん、右翼諸君の批判や疑問も多数にのぼるものだったともいう。
この大坂なおみ、『スポーツと政治を混同してはいけない』『アスリートの政治的発言はいかがなものか』という定番の批判にたじろぐところがない。今年(2020年)6月5日には、「スポーツと政治を混同させるな」の声に反論して、次のように発信している。
「アスリートは政治的に関わるな、ただ楽しませればよいという意見が大嫌い。第一にこれは人間の権利に関わる問題だから。そしてなぜあなたの意見の方が私より良いの? もしIKEAで働いていたら、IKEAのソファーの話しかしちゃいけないの?」
そのとおりだ。誰もがいかなる政治的テーマにも関わってよい。アスリートはその技倆で観衆を楽しませていればよく、その分を越えるべきではないというのは、アスリート蔑視であり不当な差別である。ましてや、重大な人権問題については、すべての人が関心をもち、発言しなければならない。それは、民主主義社会に生きるすべての人々の責務と言ってよい。
「政治に関わるな」「政治的発言は控えろ」「分を弁えておとなしくしておけ」という、社会の圧力に唯々諾々としたがっていたのでは、いつまでも社会から不合理がなくならない。民主主義とは、すべての人の発言を保障する社会のありかたである。多くの人々の意見の交換によってのみ、社会はより良い方向に進歩するという信念が基底にあるのだ。
ところで、日本のナショナリストたちには、日本女性の典型についてのイメージがあろう。おそらくは、男に寄り添う「たおやめ」であり、ひっそりと健気な「大和撫子」でないか。大坂なおみは、およそ正反対。これを「内」と「外」のどちらに分類するか、聞いてみたいもの。
人は、それぞれ多様な個性を持っている。大坂なおみは、飽くまで大坂なおみなのだ。「内」と「外」との分類におさまりようがない。そのことは、実はナショナリズムというドグマの不条理を物語っている。
(2020年8月11日)
いよいよ、習近平政権が香港の民主派に牙を剥いた。一つは、メディアに対する弾圧であり、もう一つは民主的活動家の逮捕である。「香港国家安全維持法」が武器とされている。これは対岸の火事という事態ではない。国際世論による徹底した中国批判が必要だ。もしかしたら、既に遅すぎるかも知れない…。
中国は世界に、自らの野蛮を堂々と宣言したのだ。中国は、自国に対する批判の言論を許さない。政権に不都合な言論の自由を認めない。言論の自由を主張する不届きな言論機関は容赦なく弾圧する、と。
それだけではない。また中国は、民主的な選挙制度を求める運動を許さないとも宣言したのだ。人民の意思によって権力が形成されるという子供じみた思想を認めない。党と国家あってこその人民ではないか。党と国家に従順ならざる者の口は塞がねばならない、と。もちろん、中国人民には自由も民主主義も保障される。が、それは党と国家が認める枠内でのことだ、これをはみ出したら徹底して弾圧する、と威嚇したのだ。
97年の香港返還における「1国2制度」は50年の約束だった。その際の「2制度」とは、果たして《社会主義と資本主義》という経済体制の別を意味していただろうか。当時既に中国は《社会主義》といえる体制にはなかった。70年代の末には、改革開放政策に踏み切り、80年代の中ごろには鄧小平の「先富論」がまかりとおる世になっていた。「先富論」とは、中国版「トリクルダウン」理論のことではないか。
結局、「2制度」を認めるとは、《共産党の一党独裁》を香港には及ぼさず、《議会制民主主義》を尊重する、という約束であったはず。自国ではともかく、香港の人権や政治的自由や、民主主義・立憲主義を、少なくとも50年は尊重すると約束ししたのだ。中国よ、これを守ろうという道義をも投げ捨てたのか。
下記URLが、「香港国家安全維持法」の全条文である。中国国営新華社通信が7月2日に日本語で配信したもの。あらためてこれを読み直してみた。
https://mainichi.jp/articles/20200714/k00/00m/030/141000c
全6章・66か条からなる奇妙な法律である。本年(2020年)6月30日、「中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会で可決、成立したのを受け、香港政府は同日深夜、国安法を公布、施行した。」とされる。香港の市民から自由を奪う法律が、香港市民の関与なく制定される。それ自体が占領立法ないしは異国の支配だ。
この法の眼目は、第3章 犯罪行為及び処罰にある。ここに規定されているのは、次の4罪である。
第1節 国家分裂罪
第2節 国家政権転覆罪
第3節 テロ活動罪
第4節 外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪
香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏が10日夜、「国家安全維持法(国安法)違反の疑いで逮捕された」と報じられているが、被疑事実は明らかにされていない。
周氏は、逮捕後の11日未明のフェイスブックで「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加えた罪」に問われたと公表したという。しかし、当局側の発表はない。いったい、何をもって「外国勢力と結託し」て、どのように「国家の安全に危害を加えた」というのだろうか。
この罪の構成要件は以下のとおりである。甚だしく出来が悪い。いったい何が罪になるべきことなのかが分からない。むしろ、分からないのが付け目と言わんばかりではないか。
第29条 外国または域外の機構、組織、人員のために国家の安全に関わる国家の秘密または情報を盗み、探り、買収、不法に提供した場合、以下の行為のいずれか一つを外国または域外の機構、組織、人員に実施するよう求め、外国または域外の機構、組織、人員と共謀して実施し、もしくは外国または域外の機構、組織、人員の指図、コントロール、資金援助またはその他形式の支援を直接または間接的に受けて実施した場合は、いずれも犯罪に属する。
1、中華人民共和国に対して戦争を発動し、もしくは武力または武力による脅しを以て、中華人民共和国の主権、統一、領土保全に対し重大な危害をもたらした場合。
2、香港特別行政区政府または中央人民政府が法律、政策を制定、執行するのをひどく妨害し、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
3、香港特別行政区の選挙に対し操作、破壊を行い、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
4、香港特別行政区または中華人民共和国に対して制裁、封鎖またはその他の敵対行動を行った場合。
5、各種の不法な方式を通じ、香港特別行政区住民の中央人民政府または香港特別行政区政府に対する憎しみを引き起こし、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
こんなわけの分からぬ条文で、犯罪に該当していると判断されれば、法定刑は「3年以上10年以下の懲役」である。さらに、「犯罪行為が重大な場合は、無期懲役または10年以上の懲役に処する」とされる。しかも、同法第65条は、「この法律の解釈権は全国人民代表大会常務委員会に属する」と定める。さらには、「国家の安全を害する罪を犯したと判決を言い渡された場合は、候補者として香港特別行政区が行う立法会、区議会選挙に参加する資格、もしくは香港特別行政区のいずれかの公職または行政長官選挙委員会委員に就任する資格を直ちに失う」(第35条)とまで念を入れて定めているのだ。ムチャクチャとしかいいようがない。
かつて、中国刑法には罪刑法定主義がなく、むしろ「本法各則に明文の規定がない犯罪は、本法各則の最も類似する条文に照らして罪を確定し、刑を言い渡すことができる」という罪刑法定主義否定の条文が設けられていた。97年10月施行の改正現行刑法で初めて、「法律によって明文で犯罪行為と規定されていないものは、罪を確定し、刑罰を科すことはできない」とされた。「国家安全維持法」も5条に同様の規定を置いてはいるが、曖昧模糊たる構成要件で刑罰権を発動しようというのだ。
中国習政権の発想は、治安維持法で反政府運動を取り締まった旧天皇制政府とまったく同じであり、同罪である。
コントロールの効かない権力の暴走は恐ろしい。中国国内でのコントロールに期待できなければ、批判の国際世論を喚起するしかない。
(2020年7月21日)
弁護士の澤藤と申します。「日の丸・君が代」強制問題に関わるようになってから、20年余になります。
先程来、文科省の担当者から、セアート(ILO/ユネスコ合同勧告委員会)の報告書に関して、「我が国の実情や法制を十分斟酌しないままに記述されている」と繰り返されています。だからこの報告書はわが国が尊重するに値するものではないとのご意見のようですが、世界の良識は、その傲慢な態度を批判しているのだと知らねばなりません。
セアート勧告は、「国旗掲揚と国歌斉唱に参加したくない教員への配慮ができるように、愛国的な式典に関する規則について教員団体と対話する場を設定すること。」「不服従という無抵抗で混乱を招かない行為に対する懲罰を回避する目的で、懲戒処分のメカニズムについて教員組合と協議すること」を求めています。これを、「我が国の実情や法制を十分斟酌しない記述」と排斥してはなりません。
どこの国にも、それぞれの「実情」があり、それぞれの「法制」があります。それぞれの国の「実情」や「法制」に従っていればこと足れりで、国連が何を言おうと知らぬ顔というわけには行かないのです。「わが国にはわが国なりの人権の在り方がある。他国の批判は受けない」という国を、人権後進国といいます。今回の文科省の姿勢は、日本を人権後進国として印象づけるものというほかはありません。
実のところ、「我が国の実情」こそが問題なのです。教育の場に日の丸・君が代の強制が持ち込まれています。あまりに深く大日本帝国と結びつき、侵略戦争の歴史とも一体となったこの旗と歌。新しい憲法下の今の時代に、この歌を歌え、この旗に敬意を表せと言われても、それには従いかねます、というのが真っ当な主権者というものではありませんか。
また「我が国の法制」も問題なのです。立派な憲法をもちながら、これが活かされていない。むしろ憲法の下位にあるべき法令や、さらにその下位にあるはずの学習指導要領などに侵蝕されて、憲法は半分枯死してしまっている。法の下克上という現象です。最高裁は、毅然としてこれを正すことをしない。行政の暴走にブレーキを掛けるべきところを決して止めようとしない。暴走に任せてしまっている。
このような「我が国の実情や法制」こそが、国連という世界の良識から批判されていることを自覚しなければなりません。人権も、民主主義も、教育の権力からの独立も、文明社会の共通価値ではありませんか。「わが国には、わが国流の、人権や民主主義がある」という主張は、今や通じるものではないことを知らねばなりません。
時の首相がウルトラナショナリストだから、また文科大臣もその内閣の一人だから、という理由で身をすくめていてはなりません。人権も、教育の政権からの独立も、文明社会の共通の理念だとお考えになって、是非ともこのセアートの勧告を十分に活用していただくよう、お願いいたします。
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2020年7月9日
萩生田 光一 文部科学大臣殿
「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議
共同代表 金井 知明・寺中 誠・山本 紘太郎
「ILO/ユネスコ合同専門家委員会 第13回会期最終報告」に関する7・9質問書
本年2月、「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議は、貴職に対してILO・ユネスコ合同専門家委員会第13回会期最終報告に関して質問書を提出し、4月10日に回答を受領した。
回答を受けても猶不明な点や、回答によって新たに生じた疑問について、5月に再質問書を提出し、6月29日に回答を受領した。
2回にわたる回答に感謝するとともに、貴職の見解をより正確に理解するために、新たに質問をまとめた。以下について再度貴職の見解を伺う。
質問1
文科省は、CEART第13回会合報告書(勧告)の日本語訳を求める当方に対して、「和訳を作成する予定はない」と繰り返すのみで、なぜ日本語訳をしないのか理由を一切説明しない。当方は「質問1(6)及びその回答に対する再質問」で、文部科学省が第10回会期最終報告書を日本語訳(仮訳)したことを指摘しているが、貴省はそれを否定していない。
全日本教職員組合の申し立てに対して、2009年11月、ILO理事会法務基準委員会は「政府はCEART報告を、コメントをつけて各県教育委員会に伝達すること。政府および全ての教員団体の代表は前進や解決できていない困難についてCEARTに情報を提供し続けること。」と勧告し、2009年9月にCEARTは「上記の所見と勧告を日本政府、県教委、関係する教員団体に伝達し、政府と代表的な教員団体全てにたいし、これらの事項についての進展や継続する困難にかんする情報を共同専門家委員会に引き続き提供すること。」と勧告している。これはCEARTの一貫した基本姿勢である。
直ちに、CEART第13回最終報告書を日本語訳し、地方自治体へ送るよう求める。
質問2
(1) 文部科学省は<質問4(10)?(12)の回答に対する再質問に対する回答>で、「我が国の実情や法制を十分斟酌しないままに記述されていると考えております。」と回答した。パラグラフ103・105で日本の実情を斟酌しないままに記述されているのはどの部分か、日本の法制を十分斟酌しないまま記述されてるのはどの部分か。具体的に指摘されたい。
(2)(1)に記載した文科省回答で、文科省は、パラグラフ103・105の見解に同意しないことを言明した。同意しないという見解である、という理解で間違いないか。
(3)CEART第13回会合報告書(日本政府への勧告を含む)、及び、後にILOならびにユネスコで承認された最終報告書(日本政府への勧告を含む)が、法的拘束力を有するものではないことは周知の事実である。しかし、法的拘束力を有しないから尊重する必要性がないということではない、ことも周知の事実である。
2015年1月、市民団体の質問に対して、文部科学省自身が(勧告は)「法的拘束力を有するものではないが、政府として適切に対処していきたいというのが我が国政府の考え方である」と答弁している。勧告についての貴省の見解は、現在も同じだと考えて間違いないか。
(4)CEART第13回会合報告書の中に書かれているように、CEARTは「教員の地位に関する勧告」(1966年)に照らして、申し立てを判断している。「教員の地位に関する勧告」パラグラフ80、自由権規約第18条、世界人権宣言など、人権保障の国際基準に基づいて出されたパラグラフ103並びに105の見解が、文部科学省が拠り所とする2011年6月6日の最高裁判決と相違する場合、貴省は「我が国の実情や法制に適合した方法で取組を進めてまいりたい」(「質問4(10)?(12)の回答に対する再質問」への回答)として、CEART第13回会合報告書は日本には妥当しないものとして処理するのか。
(5)「我が国の実情や法制に適合した方法で取組を進めてまいりたいと考えており、自由権規約委員会により日本の第7回政府報告に関する事前質問票への回答についても、従来の見解を回答しているところです。」とする回答は、CEART第13回会合報告書パラグラフ103・105の見解を退け、日本には妥当しないものとして処理した、ということか。
(6)CEART第13回会合報告書パラグラフ93から110の中で、文部科学省が尊重し、受け入れられる箇所はどこか、示されたい。
質問3
(1)2011年6月6日の最高裁判決は、2011年5月30日から7月14日にかけて出された10件の判決群の中の1つである。これらの判決に関わった第1、2、3小法廷の裁判官のうち、7人から補足意見が、2人から反対意見が出された。
文部科学省が回答で取り上げている6月6日第1小法廷判決でも5人(金築、桜井、白木、宮川、横田)の裁判官のうち、金築裁判官から補足意見、宮川裁判官から反対意見が出され、後に、桜井裁判官(2012年「君が代」訴訟判決・予防訴訟判決)、横田裁判官(2012年予防訴訟判決)からも補足意見が出された。
これほどの数の反対意見、補足意見が出されたのは、多数意見を述べるだけでは根本的問題が解決し得ないと裁判官自身が感じていたからに他ならない。
補足意見には「このような職務命令によって、実は一定の歴史観等を有する者の思想を抑圧することを狙っているというのであるならば、公権力が特定の思想を禁止するものであって、憲法19条に直接反するものとして許されない」(須藤正彦裁判官)、「この問題の最終解決としては、国旗及び国歌が、強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要である」(千葉勝美裁判官)、「教育の現場でこのような職務命令違反行為と懲戒処分がいたずらに繰り返されることは決して望ましいことではない。教育行政の責任者として、現場の教育担当者として、それぞれがこの問題に真摯に向かい合い、何が子供たちの教育にとって、また子供たちの将来にとって必要かつ適切なことかという視点に立ち、現実に即した解決策を追求していく柔軟かつ建設的な対応が期待されるところである。」(桜井龍子裁判官)などと書かれている。
これらはセアート第13回会合報告書の内容と通底する。
危惧や異口同音に指摘された解決のため対話の重要性が記されている一連の最高裁判決は、補足意見や反対意見も含めて判決文全体が尊重されるべきであると考えるが、文部科学省の見解を問う。
(2)2011年の最高裁判決は、国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり、「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、起立斉唱を求められることは、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判示している。起立斉唱命令は思想良心の自由への「間接的制約」となる面があるという最高裁の判示についての文部科学省の見解を問う。
(3)文部科学省が回答した「国旗国歌に係る懲戒処分等の状況」によれば、2001年度・2002年度の東京都の懲戒処分件数はゼロだった。2003年10月23日に東京都教育長が発出した「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」以後、2003年度は179人、2004年度は114人(他に訓告1人)と急増した。貴省は急増の原因を何だと考えるか。
質問4
2003年10月23日、東京都は「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」を発出するとともに、別紙「入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を示した。実施指針は「3 会場設営について 入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。(1)卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。(以下略)」と定め、都内公立養護学校(現特別支援学校)では、それまでは一般的だった舞台を使用しないフロア形式の卒業式が一律禁止されることになった。
松葉杖や車椅子を使用する生徒も自力で演台の前に進み、卒業証書を受け取ることができるフロア形式は、障がいを持つ児童生徒、障がい児教育の専門家である教職員、子どもの成長を見守り励ましてきた保護者など、当事者・関係者のニーズに応えて考え出された卒業式の形だった。児童生徒や学校の実情を考慮することなく、一律に禁止するのは、障害者差別禁止法が行政機関に義務づけている合理的配慮を欠いた措置である。文部科学省は、都内公立の特別支援学校全校の卒業式で、フロア形式を禁じられ、壇上を使用させられている事実を把握しているか。合理的配慮を欠くこの事実に対する貴省の見解を問う。
質問5
文部科学省は、地方公務員法55条を理由に教員団体との対話を拒むが、地方公務員法55条3項は、管理運営は交渉の対象としないというもので、交渉に限定したものであり、教育行政を円滑に進めていくための相互理解をはかる対話までも拒否しているものではない。
そもそも、CEARTが推奨する対話は「教員の地位に関する勧告」の適用促進を目的とする、説得的で相互理解促進型の対話である。地方公務員法上の交渉を指しているものではない。CEART第13回会合報告書の中に記載される懲戒処分に関する話し合いを、積極的に誠実に行うよう求める。
(2020年7月13日)
私は信仰をもたない。信ずべき宗教に関心はない。しかし、信仰の自由には大きな関心をもっている。権力による宗教弾圧にも、社会的同調圧力による宗教差別にも敏感でありたいと思う。信仰が人格の中核をなすということを理解しているつもりだし、少なくも理解しようと努めている。信仰の自由は、個人の尊厳を保障するものとして、徹底されなければならない。
思想の自由も表現の自由も、その内容優れたものを選別して認められるものではなく、あらゆる思想・表現に自由が認められなければならない。これを制約するには、極めて厳格な要件を必要とする。信仰も同じことだ。
優れた信仰も劣った信仰もありえない。多様な信仰の自由が認められなければならない。文明社会では、権力が信仰を選別してはならない。
709事件で弾圧された「人権弁護士」の中には、宗教団体・法輪功関連の弁護活動に携わっていた人が多いようだ。なぜ、法輪功は中国当局から疎まれているのだろうか。これがよく分からない。
戦前の天皇制政府の野蛮な宗教弾圧も、必ずしも天皇の権威を貶める教義を掲げる宗教だけを対象にしたわけではない。宗教の規模が大きくなりすぎ、その教祖が天皇と並ぶ精神世界の権威となることを好ましくないとしたことが弾圧の理由ではなかったか。中国の法輪功弾圧も似たような理由に思われる。
弾圧する側とされる側があるとき、まずは弾圧される側の主張に耳を傾けなければならない。これが鉄則である。法輪功側の言い分を十分に聞いてみたいとは思うが、その機会を得ない。やむなく、弾圧する側である中国大使館のホームページを覗いてみる。《邪教「法輪功」の危害》《「法輪功」とは何か》という記事がある。少し、その論述にこだわってみたい。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm
「法輪功」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。その教祖は現在アメリカにいる李洪志という人物です。「法輪功」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様ですが、教義や教祖への絶対服従と絶対崇拝を要求し、信者にマインドコントロールを施すのです。
この記述自体がたいへんに胡散臭い。権力がこんな大雑把なアナロジーで宗教弾圧を正当化してはならない。この「論理」のパターンはどうにでも使える。たとえば、次のように。何の論証にもなっていない。
「中国共産党」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。どちらも強固なイデオロギーと排他性と組織規律を特徴としています。「中国共産党」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様に、組織トップやイデオロギーへの絶対服従と絶対崇拝を要求し、その信奉者にマインドコントロールを施すのです。
「法輪功」を、《一口でいえば、中国の「オウム真理教」》と言ってのける乱暴さもさることながら、オウム真理教に似ているから邪教との決め付けはあまりに粗雑。オウムが指弾されたのは、そのメンバーが多くの人を殺傷したからである。殺傷行為は、刑法に触れるものとして処罰の対象となった。しかし、その信仰が断罪されたわけではない。
「法輪功」の教祖である李洪志はまず「善良」を看板にして、「心を修練し、体を鍛える」、長期にわたって「法輪功」を修練すれば、「薬なしで病気を癒し、健康になる」などと口説いて入門させます。続いて彼の書いた「経書」を読ませ、さらに、「地球は爆発する」など「世界の終末説」をばら撒き、教祖のみが世界を救い、「人を済度して天国に行かせる」と唱え、信者たちを恐怖のどん底に陥れて狂乱させます。その結果、信者は教祖に絶対服従するようになり、善悪の判断能力を失い、己を害し、他人を害するなど、極端な行動に走ってしまいます。
古今東西を通じて、終末思想も衆生済度も教祖への絶対的帰依も、宗教教説の定番である。これをもって「法輪功」の邪教の証しというのは、いささか牽強付会の体。
また、世の善悪判断と基準を異にする宗教も巷に満ちている。人を殺せ、盗め、と極端な教説は要警戒だが、「人を済度して天国に行かせる」と称えるから邪教とは説得力に乏しい。このくらいのことしか言えないのでは、中国政府側に「三分の理」もなさそうだ。「己を害し他人を害する」行為があれば、必要な限りで対応するのが文明国の在り方。過剰に取り締まることを宗教弾圧という。
中国政府のこれまでの統計によりますと、「法輪功」の狂信者の中に、自殺或いは投薬や治療を拒否して死亡した者はすでに1600人を超え、精神に障害をきたした者は650余人に達したのです。また、殺人を犯した者は11人で、障害者となった者は144人にのぼります。
中国政府は、自殺・精神障害・殺人に関して、これまでどのような統計を取ってきたのだろうか。仏教徒やキリスト教徒と比較して、この数値は有意な差があるのだろうか。あるいは、中国共産党員というカテゴリーでの自殺・精神障害・殺人件数と比較して、どうなのだろうか。
この中で、特に人を驚かせたのは、今年の1月23日、つまり中華民族が21世紀になって初めて迎える春節(旧正月)を前にして一家団欒で過ごす大晦日に、7人の「法輪功」の狂信者が北京の天安門広場で焼身自殺を図る事件を起こしたのです。その中の2人は未遂に終りましたが、4人がひどい焼けどを負って顔形がまったく分からなくなり、1人がその場で焼死しました。火傷を負った4人の中に、なんと、12歳になったばかりの少女もいました。彼女は「法輪功」に夢中になった母親に焼身自殺の現場に連れて来られたのでした。理性と母性愛をここまで失うとはと、人々を驚かせました。
この事件の真相は分からない。分からないのは、中国に信頼に足りるジャーナリズムが育っていないこと、中国当局の調査が信頼されていないことによる。この件は、新華社によると、法輪功の会員が中国政府による法輪功弾圧に抗議する態度を表明する意味で自らの体に火をつけたものだという。しかし、法輪功の側は、けっして自殺を称揚することはなく、この事件は法輪功を貶めるための捏造であると反論しているという。真相は分からないが、「この事件こそが法輪功の邪教の証明」といわんばかりの中国政府の主張には、首を傾げざるを得ない。もしかしたら、この痛ましい事件こそが、中国が宗教弾圧国家であることの揺るぎなき証明なのかも知れないのだから。
事実が物語っているように、「法輪功」は日本国民に嫌われる「オウム真理教」と同様に、人権を踏みにじり、社会に危害を与える紛れもないカルト教団そのものです。中国政府は信教の自由を尊重します。しかし、他の国と同様に、カルト教団に対しては決して座視することは出来ません。国民の強い要望に答え、法に基づいてカルト教団である「法輪功」を取り締まり、厳しく打撃を与えることは、国民の生活と生命安全を守り、正常な社会秩序を維持するためなのです。
「事実が物語っている」というには、すこぶる根拠薄弱だが、《「法輪功」を取り締まり厳しく打撃を与える》という断固たる国家意思は極めて明瞭である。中国政府は、法輪功に対する宗教団弾圧の実行を広言しているに等しい。しかも、その弾圧を正当化する根拠についての当局の一方的な説明がこの程度でしかないのだ。
思い出すことがある。15年くらいも以前のことだったろうか。日弁連で中国の弁護士会からの訪問団との懇談の機会があり、出席したことがある。流暢な中国側の通訳を介して和やかに消費者問題などを話し合っていたが、日本側の誰かが法輪功を話題にした。
その途端に通訳の表情が一変した。しばらく、ひそひそと中国側内部のやり取りがあって、「その問題は、本日の話題として不適当ですから触れないでください」ということだった。当然、座は白けた。「なんだ、弁護士も話題にすらできないのか」という雰囲気。私は黙っていられない思いで、「人権擁護の立場から法輪功の側で弁護士としての活動を行っている人もいると思いますが、政府から問題にされてはいませんか」と聞いた覚えがある。が、かわされて無視された。
その頃既に、東京の街を歩くと法輪功関係者と思しき人々のビラ配りを見かけるようになっていた。中国政府が、信じがたいほどの人権侵害をしていると訴えるもの。にわかに信じがたい内容だが、昨今の中国政府の言い分とやり口とのギャップを見ていると、法輪功あながち大袈裟に吹聴しているばかりでもなさそうだという気持ちに傾いてくる。
(2020年7月11日)
《中華人民共和国駐日本国大使館》のホームページの内容が興味深い。いろんなことを教えてくれる。考えさせられる。国家とは何なのか、権力とは、そのホンネとは。そして、個人の尊厳とは。民主主義の無力や「人権」という言葉の多義性に思いをいたさずにはおられない。是非に、というほどのことではないが、閲覧をお勧めしたい。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/
本日(7月11日)現在、同ホームページのトップに「中国関連の人権問題に関するさまざまな謬論と事実・真相」と表題する記事がある。7月8日にアップされたもの。
そのリードが以下のとおり。
最近、米欧の一部の人々が香港、新型コロナウイルス肺炎、新疆などにかかわる問題で、いわれもなく中国の人権状況を非難し、多くの謬論をばらまいており、それは中国に対する無知と偏見に満ち満ちている。
そこで、われわれは事実によって物を言い、真相によって道理を説くため、「中国関連の人権問題に関するさまざまな謬論と事実・真相」を編集・執筆した。
中国大使館が「事実によって物を言い、真相によって道理を説」かねばならない「謬論」は、〈その1〉から〈その31〉に及ぶ。中国に対するこれだけの批判があるとは知らなかった。中国政府も、ずいぶんと外部からの批判を気にしていることがよく分かる。
そのうちの香港に関する10の「謬論」と、それに対置された「事実・真相」を引用する。念のためであるが、私的な編集の手は一切加えていない。恣意的なカットもしていない。これが全文であって、中国当局の主張なのだ。
果たして、中国当局が「事実によって物を言い、真相によって道理を説く」ことに成功しているだろうか。いささかなりとも人権を大切に思う人にとって説得力のある論説になっているだろうか。
ここで赤裸々に語られているのは、みごとなまでの「国家の論理」である。しかも傲慢で批判に耳を傾けようという姿勢はまったく見えない。反面教師の「論理」として繰り返し読み直すに値するものである。ただ恐れるのは、このような「論理」で、中国国民の多くが納得してしまっているのではないかと言うこと。
他人事ではない。安倍政権の嘘とゴマカシ、小池都政無内容な美辞麗句にも、けっして納得してはならない。
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謬論その1 国家安全立法は香港住民の人権と基本的自由を破壊し、「市民的および政治的権利に関する国際規約」に違反する。
事実・真相
◆「中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法」は、香港特別行政区の国家安全維持においては人権を尊重、保障し、香港特別行政区住民が香港特別行政区基本法および「市民的および政治的権利に関する国際規約」「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」の香港に適用される関係規定に基づいて有する、言論・報道・出版の自由、結社・集会・行進・示威の自由を含む権利と自由を法によって保護しなければならないと明確に規定している。
◆香港関連の国家安全立法は国家分裂罪、国家政権転覆罪、テロ活動罪、外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪という4種類の犯罪だけを対象にしており、処罰するのは国家の安全を著しく害する容疑のある極少数の犯罪分子で、規律・法規を順守する大多数の香港市民は保護され、大多数の香港住民の安全および法によって有するさまざまな権利と自由は保障されている。
◆世界の100余りの国の憲法は、基本的権利と自由の行使では国の安全を害してはならないと定めている。「市民的および政治的権利に関する国際規約」は、信仰の自由、言論の自由、平和的集会の自由および公開の裁判を受けるといった権利はすべて、国の安全、公の秩序などの理由に基づいて必要な制限を受け得ると定めている。「欧州人権条約」にも類似の規定がある。
謬論その2 香港関連の国家安全立法は定義のあいまいな犯罪行為が列挙され、中国の国家安全機関によって民衆抑圧のために乱用されるおそれがある。
事実・真相
◆香港関連の国家安全立法は国の安全を著しく害する4種類の犯罪行為だけを対象にしており、ともすれば数十にも上る、米英などの国の安全に関わる罪名よりはるかに少ない。この法律は国家安全の法執行を明確に規制し、すべての法執行行為は厳格に法律の定めるところにより、法定の職責に合致し、法定の手続きを順守しなければならず、いかなる個人と組織の合法的権益をも侵害してはならないとしている。さらに、駐香港国家安全公署は厳格に法によって職責を履行し、法によって監督を受けなければならず、その要員は必ず全国的法律を順守するほか、香港特別行政区の法律を順守しなければならないと定めている。
◆米国、英国、カナダ、オーストラリアなどはいずれも国家安全保障のための厳密な法体系をつくっており、国の安全を害する犯罪行為の取り締まりではまったく容赦しない。
謬論その3 国家安全立法は香港にある外国企業が「ビジネスと人権に関する指導原則」の定めによって人権尊重の責任を履行するのを難しくする。
事実・真相
◆香港関連の国家安全立法は国家分裂罪、国家政権転覆罪、テロ活動罪、外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪という4種類の犯罪だけを対象にしている。これらの犯罪行為は明らかに、法を守る企業または住民の行為や関わりうる活動ではない。法を守る多国籍企業はみな香港が安定と秩序を取り戻すことを望んでいる。法律が実施されれば、香港にある企業が人権尊重の責任を履行するのに役立つだろう。
謬論その4 香港の警察は武力を過度に使用しているのに処罰を受けない(化学剤を使って抗議者に当たる、女性抗議者に対する警察局でのセクハラや性的暴行、医療関係者へのいやがらせなど)。
事実・真相
◆「条例改正の風波」中、香港の警察隊は連続数カ月間に数百回の暴力事件を前にしながら、ずっと法律と警察の内部手引に従って法を執行した。過激なデモ隊は、石、鉄棒の使用からパチンコ玉の打ち込み、傘の先に刃物を結びつけた雨傘さらには危険化学品へと絶えず装備をエスカレートさせたが、警察隊はずっと最大限の冷静さ、理知と自制を保ち、つねに進んで武力を使用しないようにした。一部の者が暴力で突っ込んだり、違法な暴力行為をとり、現場の人々の身体の安全を脅かしたりした時だけ、相応の武力を使って阻止した。これは完全に国際的規範にかなっている。たとえ警官の生命を著しく脅かす危険な武器や暴力による違法行為を前にしても、警察隊はなお自制の姿勢を示し、文明的に法を執行し、プロ精神に徹していた。香港で、警察隊の法執行で死亡したデモ参加者は1人もおらず、逆に2020年5月末までに、590人を超える警備要員が法執行中に負傷している。
◆香港の警察隊の自制的専門的法執行と鮮やかな対照を成しているのは、米国で警察が暴力的法執行で死者を出し、発砲して射殺する行為が珍しくなく、2019年だけで1004回に達していることだ。2020年6月中旬までに、米国各地のフロイド事件で誘発された抗議デモ活動中に少なくとも13人が死亡し、数百人が負傷し、1・35万人超が逮捕されている。そのうち37歳のフリー作家兼記者リンダ・ティラドさんはミネアポリスの抗議活動を報じた際、警察のゴム弾で目を打たれて片方の目を失明した。
謬論その5 中国政府は香港の抗議活動と民主化の宣伝を弾圧している。
事実・真相
◆香港の復帰後の事実は、香港住民が法によって有する言論、報道、出版、結社、集会、行進、デモの自由が十分に保障されていることをすでに証明した。
◆2019年6月の「条例改正風波」の発生以来、一部の過激なデモ隊が故意に暴力事件を造り出し、その行動は平和なデモや意見の自由な表明のという限界を完全に超えて、極端な暴力違法活動に変化している。これらの暴力行為はあからさまに法律に触れ、市民の安全を著しく脅かし、国家の主権と尊厳に公然と挑戦しており、事実ははっきりし、証拠は揺るがず、悪質なものである。
◆文明化法治化した社会で、要求の平和的理性的表明は基本的要求で、ごく当たり前なことだが、権利の行使は必ず法治の枠組み内で行わなければならず、いかなる主張も違法な方法で表明することはできず、まして暴力に訴えることはできない。法治は香港の核心的価値で、香港の長期安定・繁栄を保障する基礎である。法がある以上必ずそれにより、違法は必ず追及するというのは法治の精神の具体的現れである。暴力と暴徒にゼロトレランスで臨んではじめて、香港の法律と秩序を守り、法治を示すことができる。そして暴力と暴徒を支持し放任するのは、民主主義、自由と法治を公然と踏みにじることである。
謬論その6 香港関連の国家安全立法は中国の「中英共同声明」における約束と義務に違反している。
事実・真相
◆中国政府の香港統治の法的根拠は中国憲法と香港基本法であり、「中英共同声明」とは関係がない。1997年の香港の中国復帰に伴って、「中英共同声明」で定められた、英国と関係のある条項はすべて履行が終わっており、英国は復帰後の香港に主権、統治権、監督権をもたない。
◆「中英共同声明」の香港に対する基本方針・政策は中国の政策表明であり、全人代が制定した基本法にすでに十分体現されている。中国の政策表明は英国に対する約束ではなく、しかもこれらの政策はすべて変わっておらず、中国は引き続き堅持するだろう。
謬論その7 国家安全立法は中国の中央政府が一方的に香港に押しつけるものだ。
事実・真相
◆国の安全立法はそもそも一国の主権と中央の権限に属することだ。中国の中央政府は国の安全を守る最大の、最終的責任を負っている。全人代は中国の最高権力機関である。全人代が中国憲法と香港基本法の規定に基づき、国家レベルで香港特別行政区における国家安全維持の法制度と執行メカニズムを導入・整備することは、香港の国家安全の法的な抜け穴をふさぎ、国の安全を確実に守るのに必要な措置で、「一国二制度」の長期的安定を確保するための抜本策でもある。
◆基本法第23条は香港特別行政区に国の安全を守る独自の立法権限を与えているが、復帰から23年近くたっても、反中央・香港かく乱勢力と外部の敵対勢力が必死に阻害、妨害したことにより、この立法はなお終わっていない。香港特区の国家安全維持が厳しい局面を迎えている状況下、中央政府にはすみやかに抜け穴を埋め、欠陥を補う権限もあれば責任もある。
◆マカオ特別行政区では2009年初めに国の安全を守る現地立法を終え、「国家安全維持法」を制定するとともに、関連の法執行作業と国の安全を守る付帯立法の検討作業を整然と進めている。2018年、マカオ特区政府はマカオで国の安全を守る実務の統括・調整機関――マカオ特別行政区国家安全維持委員会を設立するとともに、国の安全を守る法制度、組織体制および執行メカニズムの整備を続けている。
◆英国が香港の植民地支配を行っていた頃、英国の「反逆法」が香港に適用され、専門の執行機関もあった。中国中央政府の香港関連国家安全立法に横やりを入れるのは、完全なダブルスタンダードである。
謬論その8 中国は国家安全立法について香港の民衆と意味のある話し合いをしておらず、この立法には世論面の基礎がない。
事実・真相
◆香港国家安全維持法の制定では、香港同胞を含むすべての中国人民の共同の意思が十分体現されている。立法起草過程で、中央と関係部門はさまざまな方法とルートを通じて、特区行政長官と主要高官、立法会主席、香港の法律界、香港基本法委員会委員および全人代代表、政協委員など各界の意見と提案を聞いた。法律案のテキストが出来上がると、関係方面は香港特区政府から出された意見・提案を真剣に検討し、香港特区の実情を十分考慮し、採用できるものはできる限り採用する精神にのっとって、法律案のテキストを繰り返し修正してより完全にし、科学的立法、民主的立法、法による立法を確実にした。
◆中央の関係部門は香港で12回の座談会を開催し、香港政界、法律、商工、金融、教育、科学技術、文化、宗教、青年、労働各界および社会団体、地域団体の120名の代表が参加して率直に意見を述べた。短期間に、香港中聯弁〈中央人民政府駐香港特別行政区連絡弁公室〉は36人の香港地区全人代代表と190人の香港地区政協全国委員の200点余りの意見書を受けとった。香港各界はまた、電子メール、手紙または中国人代網ログインなどの方法で意見を反映することができた。
◆全人代の関係「決定」が公表されると、香港各界の代表はいち早く支持の態度を表明した。300万近い香港人が「撑国安立法」〈国家安全立法支持〉の署名活動に応じ、128万を超える香港人が「米国など外部勢力の介入反対」のネット署名に参加した。
謬論その9 国家安全立法は「一国二制度」の終焉(しゅうえん)を意味しており、香港の高度の自治権を奪った。
事実・真相
◆全人代の「決定」は冒頭に主旨を示し、国が「一国二制度」、「港人治港」〈香港住民による香港管理〉、高度の自治の方針を揺るぎなくしかも全面的かつ正確に貫くことを説明し、その第1条で再度この方針をはっきり説明している。香港関連の国家安全立法の目的は香港の国家安全における致命的な抜け穴をふさぎ、「一国」の基礎を固め、香港が「一国」という基本を堅持すると同時に「二制度」の利点をよりよく生かすことを最大限保証することにある。
◆香港国家安全維持法の実施後も、香港住民が法によって有する諸権利と自由は影響を受けず、特区の独立した立法権と終審権は影響を受けない。「一国二制度」の方針は変わらず、香港特別行政区で資本主義制度がとられることは変わらず、高度の自治は変わらず、法律制度は変わらない。
謬論その10 国家安全立法は香港の繁栄・安定を危うくする。
事実・真相
◆まったく反対に、香港関連の国家安全立法は香港の繁栄・安定の維持により一層資する。2019年6月の「条例改正風波」の発生以来、「香港独立」、「黒い暴力」活動は香港の法治と経済・民生を大きく傷つけ、また香港のビジネス環境と国際的イメージを著しくこわした。香港関連の国家安全立法はまさにこの局面を転換するためのもので、香港の良好なビジネス環境を維持し、香港の金融、貿易、海運センターとしての地位を固め高め、外部からの投資家の自信を強めるうえで利益はあっても弊害はない。香港関連の国家安全立法の「決定」が可決されると、香港上海、チャータード、スワイヤー、ジャーディンなど香港の外資グループは、香港の長期安定に資する、すべての発展の基礎と前提であるとして、続々と支持を表明した。
◆世界を見渡すと、ニューヨークにせよロンドンによせ(ママ)、国家安全保障法実施のためにビジネス環境が壊された国際金融センターは一つもない。香港米国商業会議所の最近の調査によると、7割を超える対象企業が香港から撤退することはないと明確に表明し、6割超の調査対象者が香港を離れることはないとしている。チャンスと利益に盾突く企業はない。
◆マカオ特別行政区は2009年基本法第23条に従って国家安全維持法を可決した。2009年から19年までに、マカオのGDPは153%伸び、観光客数は81%伸び、全体の失業率は10年間の最低に下がっている。
(2020年7月9日)
本日(7月9日)の毎日新聞朝刊8面右肩に、「教皇講話、香港に触れず」の見出しで大きな記事。「急きょ変更、中国にそんたく?」という小見出しがある。
日曜日恒例の教皇講話。事前に配布された予定原稿には、「香港における自由の重要性」に触れる部分があって注目されていた。しかし、直前にこの記述は撤回され、その朗読は省かれたという。この教皇講話の直前の内容変更が、中国への忖度によるものではないのかという、なんとも不愉快な話題なのだ。
このことは、複数のカトリック系メディアが伝えている。教皇は中国との関係改善に前向きで、「中国に配慮した」と失望する声が上がっている、という。
バチカン専門記者のマルコ・トザッティ氏のブログによると、5日の講話に向け、記者に事前配布された原稿では、教皇が香港問題への関心を表明し、「私は社会的な自由、特に宗教の自由が、さまざまな国際文書に記されているように、完全な形で表現されることを願っている」と述べるはずだった。
ところが、教皇が窓に姿を現す直前に、バチカン側から「香港の部分には言及しない」と記者団に通告があり、実際、教皇は読まなかった。具体的な理由の説明はなかったという。トザッティ氏は「中国が教皇に猿ぐつわをかませた」と表現し、政治的配慮があったとの見方を示した。他のカトリック系メディアも同様に報じている。
以上は5日(日曜日)の事実についての報道。毎日記事は、その背景事情を次のように解説している。
教皇はアジア布教の伝統を持つ「イエズス会」の出身で、中国への接近を図ってきた。バチカンと中国は1951年に断交状態となり、バチカンは台湾と外交関係を保持してきた。だが、2018年9月、長年の懸案だった司教の任命方式を巡って互いの関与を認める暫定合意に達し、歴史的な和解を果たした。
暫定合意は今年9月、2年間の期限を迎える。合意締結に関わったカトリックの高位聖職者は6月、イタリアメディアの取材に「期限後に、もう1、2年延長すべきだ」と述べ、双方が協議中であると明かした。こうした微妙な時期だけに、教皇に批判的な保守派の聖職者やメディア関係者を中心に、「教皇は中国の圧力に屈し、香港問題で沈黙している」との推測を呼んでいる。
教皇は、中国への接近を図っている。では、中国はどうか。
一方、中国の習近平指導部は「宗教の中国化」を掲げ、キリスト教やイスラム教、仏教などへの統制を強化している。バチカンとの和解後も、教会からの十字架の撤去や聖職者の拘束などが報告されている。中国の宗教政策を厳しく批判するカトリック香港教区の枢機卿、陳日君氏は「まさか中国共産党から本当に金でももらったのか」とブログでバチカンを痛烈に批判。国安法の施行について「香港が自由を失えば、教会も逃れることはできず、(宗教の)自由を失う」と危機感を示した。
この陳日君氏の反中国の立場からの苛烈な教皇批判に驚く。ヒエラルキーという言葉は、もともとがローマカトリック教会における聖職者群の序列や階層秩序をさすのだという。そのヒエラルキーで、教皇に次ぐ位置にある枢機卿(カージナル)が、「中国共産党から金でももらったのか」と教皇を批判する事態の深刻さと、覚悟のほどを知らねばならない。もっとも、香港教区には、もうひとりの枢機卿がいるという。その人は、徹底した反中国の立場ではなさそうだ。毎日はこう伝えている。
中国当局は国安法施行前の6月下旬、中国に近い立場にある香港の宗教指導者らを対象に説明会を開いて「宗教の自由」への配慮をアピールした。香港メディアによると、出席した香港教区のもう一人の枢機卿、湯漢氏は「(国安法の施行は)理解できる。宗教の自由に影響はないと信じている」と述べた。香港の宗教界が国安法という「踏み絵」を前に分断される実情がうかがえる。
陳氏も、湯氏も、中国共産党の横暴に晒されて、厳しい選択を迫られている。陳氏は、いささかの妥協も潔しとせず、たとえ弾圧を受けようとも信仰を枉げてはならない、とする立場。湯氏は、一定の妥協はやむを得ないとする宥和の立場。「国安法が施行されても宗教の自由に影響はないと『信じている』」というのは、中国当局への宥和のメッセージであろう。
毎日記事は、カソリックのみならず、香港の宗教界全体が「国安法という『踏み絵』を前に分断される実情がうかがえる」と記事を結ぶ。この比喩を借りるならば、『踏み絵』を拒絶する立場と、踏むこともやむなしとする立場とが対比されている。
もちろん、踏み絵を迫っているのは中国共産党である。その罪は深い。
(2020年7月2日)
有史以来の人類の歩みは、野蛮から文明への進化であった。もっと正確には、人類は、野蛮を排して文明を構築しようと努力を積み重ねてきた。もちろん、歴史が一直線に進化してきたわけではなく、これが法則という論証などできようもない。ときに、その逆流を見せつけられて暗澹たる思いを噛みしめることがある。30年前の天安門事件がそうだったし、香港で今進行している事態が同じ出来事である。
野蛮を象徴するものは何よりも暴力である。また、暴力にもとづく独裁であり専政でもある。文明を象徴するものは何よりも非暴力である。また、暴力に基づかない民主政であり、人権の思想である。
6月30日まで、香港は文明の圏内にあった。不完全ながらも、自由と民主主義と人権の享受が保障される世界であった。その深夜、突如として圏境を越えて野蛮が押し入って来た。一夜明けた7月1日の香港は、文明が圧殺されて野蛮に占領された別世界と化した。
何よりも重要な政治的言論の自由が失われ、民主主義と人権は逼塞した。代わって、剥き出しの権力が大手を振って闊歩する専政と弾圧国家の一部となったのだ。これは、資本主義と社会主義との対立などでは断じてない。まさしく、文明が野蛮に蹂躙された図なのだ。
民主主義の要諦は、人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)と定式化される。「人民による人民のための政治」(government by the people, for the people)の意は分かり易いが、「人民の政治」(government of the people)は、やや分かりにくい。分かりにくいが、これこそが民主主義の神髄だという。
「人民の政治」(government of the people)のof は、同格を表す前置詞。つまり、(government = the people)であって、治める者と治められる者とが同格で同一であること、「自同性」を意味するのだと説かれる。
7月1日以来、香港人民の治者は北京政府であり中国共産党となった。ここには、治者と被治者の自同性も、同格性も同一性もない。暴力に基づく抑圧者と非抑圧者の関係があるのみ。ここには、民主主義の片鱗もない。
文明は、長い年月をかけて人権思想を育んできた。人権を権力の恣意から擁護しようと、法の支配という原則を作り、権力分立というシステムを作り、司法の独立を守り、罪刑法定主義を世界のスタンダードとしてきた。
その香港の文明は、一夜にして潰えた。今や、野蛮が跳梁する様を見せつけられるのみ。
昨日(7月1日)の香港では、文明の側に属する1万の民衆が、野蛮の中国政府に抗議するデモに立ち上がった。参加者は恐怖心を振り払って、「国安法という悪法を恐れず、中国共産党の独裁に抵抗する」「天が共産党を滅ぼす」「今こそ革命の時だ」―、さまざまなプラカードを手にした市民が声を上げながら行進したと報じられている。その心意気には感動せざるを得ない。
しかし、機動隊は真新しい紫色の警告旗をデモ隊に見せつけた。「国家分裂や中央政権転覆に該当し、国安法違反罪で逮捕される可能性がある」。そして「香港独立」と記した旗を手にした男性がその場で逮捕された。逮捕者は300人余に及んだという。
デモ行進も「香港独立」のプラカードも、文明世界では表現の自由として保障される。しかし、野蛮の世界と化したこの地では許されないのだという見せしめ。文明と野蛮のはざまで、人は揺れ悩む。「怖いが、怒りを我慢できず、ここ(デモ)に来た」という学生の声は、事態の深刻さだけでなく、希望の芽も語っているのではないか。
この歴史の逆流を目の当たりにして、小さくても精一杯の批判の声を積み上げていこうと思う。
(2020年7月1日)
本日・7月1日は、香港がイギリスから中国に返還された日。アヘン戦争で中国から割譲された香港は、1997年の今日、今度は強引に中国に戻された。50年間(2047年まで)は、一国二制度で高度の自治を約束されてのことである。しかし、以来23年にして、この約束は蹂躙されている。高度の自治は潰え、中国のイメージは地に落ちている。
香港の「民間人権陣線(民陣)」という民主派団体が、2003年以降、毎年7月1日の返還記念日には大規模なデモを継続して主催してきた。昨年(2019年)のデモは、「逃亡犯条例」改正案に反対する100万とも55万人とも言われた規模となったが、今年は香港警察当局がデモを禁止している。北京の指示があってのことか、香港政府当局の忖度によるものか、どちらでも「差不多(チャープトウ)」だ。当局は新型コロナ対策を口実にしているが、信じる者はない。香港のコロナ感染者数は既に大幅に減っているという。
6月28日から開かれていた中国全国人民代表大会(全人代)常務委員会はは、最終日の30日夕刻に、香港への統制を強化する「香港国家安全維持法案」を可決成立させ深夜に公布した。そして、本日7月1日からの施行だという。「国家安全維持法案」とは、香港の自由圧殺法案であり、民主主義封じ込めの法案であり、政治的活動に対する弾圧法案にほかならない。なんという性急で乱暴なやり口。なんという苛酷な圧制。
報道によれば、今回成立した国家安全維持法によって、香港に中国政府の出先機関「国家安全維持公署」が新設され、香港での治安維持を担う。香港政府がつくる「国家安全維持委員会」は中国政府の「監督と問責」を受け、中国政府の顧問を受け入れる。香港政府は中央政府の監督下に置かれ、国家分裂や政権転覆、外国勢力と結託して国家の安全に危害を加える行為を処罰対象とする。中国、香港への制裁を外国に要求することも処罰対象となる、という。
この中国の、つまりは中国共産党の度量のなさは、いったいどうしたことか。何を焦っているのだ。チベットやウィグルで何が行われているか。断片的な報道では事態がよく分からない。しかし、香港の事情を見ていると、もっと酷いことが各地で強権的に行われているのであろうと推量せざるを得ない。
もともとは、鄧小平が言い出した一国二制度ではないか。世界に約束された「高度な自治」のはずではないか。それが、いま強権的に蹂躙されようとしている。事態はきわめて深刻である。
今や中国は、恐るべき人権侵害大国である。国際世論の厳しい批判を、全て「内政干渉」と切り捨て、陰謀論さえ口にする。このなりふり構わぬ様は異様としか評しようがない。
香港の著名な民主派団体「香港衆志」は30日、解散を発表した。香港民主派の活動家に「逮捕情報」の恐怖が広がっているという。
その標的のひとりとみなされている周庭(英名 Agnes Chow Ting、アグネス・チョウ)のツィッターが痛ましい。
2020年6月28日
今日の香港での報道によると、香港版国家安全法は火曜日(30日)に可決される可能性が高い、そして「国家分裂罪」と「政権転覆罪」の最高刑罰は無期懲役という。日本の皆さん、自由を持っている皆さんがどれくらい幸せなのかをわかってほしい。本当にわかってほしい…😭
2020年6月30日
私、周庭は、本日をもって、政治団体デモシストから脱退致します。これは重く、しかし、もう避けることができない決定です。
絶望の中にあっても、いつもお互いのことを想い、私たちはもっと強く生きなければなりません。
生きてさえいれば、希望があります。周庭
「生きてさえいれば、希望があります。」という言葉の中に、切実さと絶望の深さが見える。「自由を持っている、幸せな日本の私たち」が代わって声を上げなければならないと思う。
(2020年6月21日)
わが国の戦前は野蛮な時代だった。野蛮極まる天皇制跋扈の時代であった。その象徴が治安維持法である。1925年制定の治安維持法第1条は、「国体ヲ変革シ、又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ、結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」を処罰の対象とした。
「国体ヲ変革」とは天皇制を否定すること、「私有財産制度ヲ否認」とは、社会主義・共産主義の思想と運動を言う。共産党こそが天皇制批判の急先鋒であって、共産党員が非国民・国賊とされて弾圧の主たる対象となった。その後、弾圧対象者の範囲が際限なく拡大したことはご存じのとおりである。
治安維持法適用の最初の大弾圧が、1928年3月15日の「3・15」事件であった。そして、翌年の「4・16事件」に続く。この大量の検挙者を、数多くの良心的弁護士が献身的に弁護した。ところが、天皇制警察と検察、そして司法は、共産党員被告人の弁護を担当した弁護士を、治安維持法違反として検挙し起訴し有罪とした。
有罪が確定した弁護士は、当然のごとく弁護士資格を剥奪された。弾圧される人々に寄り添って人権擁護の先頭に立つ任務を負う弁護士からその資格と業務を剥ぎ取ったのだ。天皇制とは、かくして国民の人権を剥奪した。天皇制とは、かくも野蛮な代物だった。
その野蛮が、今、中国でまかり通っているという。6月18日日本のメディアが「中国 人権派弁護士に懲役4年の実刑判決 政権転覆あおった罪」と報道している。代表的なNHK(Web版)よると、大要以下の通りである。
中国で、「国のトップは複数の候補者による選挙で選ぶべきだ」などとする提言を発表し、その後、拘束された人権派の弁護士について、中国の裁判所が政権の転覆をあおった罪で懲役4年の実刑判決を言い渡したことがわかりました。弁護士の家族は不当な判決だと訴えています。
判決が言い渡されたのは中国の人権派の弁護士、余文生氏です。余氏は、2018年1月中国の憲法の改正について国のトップの国家主席を複数の候補者による選挙で選ぶべきだなどとする提言をインターネット上で発表し、その後、当局に拘束されました。
余氏の妻の許艶さんによりますと、(6月)17日、検察当局から電話があり、裁判所が余氏に対して政権の転覆をあおった罪で懲役4年の実刑判決を言い渡したと伝えられたということです。
余氏は、2018年に拘束されてから家族が依頼する弁護士との面会が1度も許可されず、今回の裁判は非公開で行われたということで、許さんは、不当な判決だと訴えています。
NHKの取材に対して許さんは「秘密裏に裁判が行われ判決は受け入れられない。中国の人権派弁護士への抑圧は非常に残酷だ」と話していました。
中国では、習近平指導部のもと当局が共産党や政府への批判を押さえこむ動きを強めていて、ネット上の言論統制や人権派の弁護士などへの締めつけが続いています。
弁護士に対する弾圧も野蛮だが、その裁判が非公開で行われている。これは、いったいいつの時代の出来事なのだろうか。野蛮の極みというしかない。
この余文生弁護士に関しては、西日本新聞が2017年10月12日に、こんな報道をしている。
「拷問、監視で狭まる中国の自由 弁護士、後ろ手に手錠18時間 ネットで官公庁批判 拘束も」
「死ぬよりつらい思いをさせてやる」。警官が敵意むき出しの目ですごむ。北京の弁護士、余文生さん(49)は3年前に受けた中国当局の厳しい取り調べが脳裏に焼き付いている。
きっかけは2014年に香港で起きた民主化デモ「雨傘運動」。同年10月、デモに賛同し拘束された北京の人権活動家を支援するよう弁護士仲間に頼まれた。本人との面会を当局に拒否され、ネット上で抗議すると2日後に拘束された。取り調べを受けた北京市第1看守所(拘置所)では鉄の椅子に座らされ、後ろ手に手錠をかけられた。1日13?18時間、その姿勢を続けると「死んだ方がましなくらい痛い」。
拘束は99日間に上り、最後は身に覚えのない罪を認めるよう迫られた。あたかも自白したように、「私は過ちを犯した」などというせりふを暗唱させられ、その姿を動画撮影された。起訴はされずに釈放となったが、長期の取り調べで腹膜が傷つき、開腹手術を受けなければならなかった。
もともとビジネス分野専門の弁護士だった余さん。「逮捕状は一度も見せられなかった。中国の人権状況は問題があると思っていたが、ここまでとは…」。この体験を機に人権問題に取り組むようになった。今は中国国内の人権派弁護士でつくる団体に名前を連ねる。
◇ ◇
12年に発足した習近平指導部は「依法治国」(法による国家統治)を掲げる一方、人権派弁護士への締め付けを強めてきた。
15年7月9日には、中国全土の人権派弁護士ら約300人が一斉に拘束される「709事件」が発生。「5日間、一睡も許されずに気を失った弁護士仲間もいた」と余さんは明かす。自身も再度拘束された。
自由な言論活動を放置すれば、共産党の一党独裁を否定する「西側の価値観」が氾濫し、現体制を揺るがしかねない?。そんな危機感が当局の厳しい対応の背景に見え隠れする。
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「習指導部が言う法治とは、悪い法律で市民を抑え込むことだ」と余さんはため息を漏らす。
最後に、記事は「この記事は2017年10月12日付で、内容は当時のものです」と締めくくっているが、現在なお事態の改善はない。
また、日本人が中国国内で拘束されたり、日本に住む中国人が拘束される例が頻発している。典型的なのが、札幌市内に住むの袁克勤(えん・こくきん)北海道教育大学教授の件。中国に一時帰国帰国中の昨年(2019年)5月29日、長春市の路上で突然、何者かに連れ去られ行方不明となった。その後10か月近くも消息が分からないままだったが、本年3月26日、中国政府が袁教授を拘束していることを初めて認めた。例のごとく、スパイ容疑での拘束だという。
昨日(6月19日)共同通信が、「709事件」の中心人物として国家政権転覆罪に問われ服役した人権派弁護士、王全璋のインタビュー記事を配信した。「弁護士に拷問、自供強要 中国、弾圧の詳細初証言」というタイトル。痛ましくてならない。
総合すると、中国の人権状況は、戦前の天皇制時代並みというほかはない。どうしてこんなことになってしまったのか理解に苦しむ。こんな状態が続く限り、中国が世界の大国にふさわしい尊敬を受けることはありえない。習近平政権、そんなにも余裕がないのだろうか。