澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ナショナリズムに惑わされてはならない(東京「君が代」訴訟から)

(2020年6月19日)

国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制を違憲違法と主張する、東京「君が代」訴訟の憲法論を見直している。憲法論で、何とか勝ちたいと思うからだ。その見直し作業の中で、短かくまとまった紹介に値する文章をいくつか見つけた。以下はその内の一つ。

教育も、行政も、司法もナショナリズムに惑わされてはならない

ア 本件は、個人と国家との憲法価値の対抗をめぐる憲法訴訟である。

憲法訴訟においては、対抗する複数の憲法価値相互の衡量が行われる。本件において衡量の対象とするものは、端的に「個人」と「国家」の憲法価値である。個人とは自然人としての「人権主体」である。これは分かりやすい。一方国家の方は分かりにくい。「統合された国民の集合体」であり、これが「権力主体」となっている。つまりは、「基本的人権としての個人の尊厳」と、「国家の権力作用」ないしは「統合された国民全体」との各憲法価値の衡量である。

言うまでもなく個人の尊厳は、最も基底的な憲法価値である。他方、国家は与えられた権力を行使して憲法が想定する法的・政治的・社会的な秩序を形成して国民の福利に寄与すべき立場にある。両者ともに、憲法的価値を持つと言ってもよいが、両者の憲法価値としてのレベルは、明らかに異なる。個人の尊厳が究極の目的的価値であるのに対して、国家の権力作用はそれに奉仕すべき手段的価値でしかない。

従って立憲主義国家において、その両者の衡量の帰趨は自ずから明らかである。にもかかわらず、この正確な衡量を妨げ、あるいは狂わせるものがある。それがナショナリズムである。

イ 本件訴えは、「原告らに対して、国旗・国歌への敬意表明を強制しうるか」というシンプルな問に回答を求めている。

強制される敬意表明の対象としての国旗・国歌とは、ともに国家の象徴として、国家と等価の関係にあるものと意味づけられている旗と歌である。
原告らは、国家を象徴するものであるがゆえに、国旗・国歌への敬意表明の強制を受容しがたいとする。自らの精神の核をなす思想・良心・信仰との抵触を理由とするものである。

この局面は、国旗・国歌という国家象徴を介して、国家と個人が対峙している構図である。公権力が、原告らに対して、「個人の思想・良心・信仰の如何に拘わらず、国旗・国歌を介して国家への敬意を表明せよ」と命じている。この構図のもとで、「個人」ないしは「個人の思想・良心・信仰」と、「国家」が対抗関係を形成して、その憲法価値の優劣についての衡量が求められている。

衡量の一方の秤に載せるものは、国旗国歌への敬意表明の強制を受け容れがたいとする個人の思想・良心・信仰の自由という基本的人権としての憲法価値である。もう一つの秤に載せられるものは、国家そのものの憲法価値である。「国民の国家に対する敬意という価値」と言ってもよい。

一方に「国家」を、他方に「個人」をおいた衡量の帰趨は、法的判断のレベルでは、自ずから明らかである。近代立憲主義の大原則においては、個人が前国家的な存在であり、国家が後個人的存在であることは自明の理だからである。

ウ ところが、学校現場の現実はそうなっていない。行政もそのようには考えない。さらには、裁判所も、そのようにシンプルに考察することに躊躇を隠さない。国家と個人との憲法価値の正確な衡量を妨げる要因があるからである。それが強力なナショナリズムの作用にほかならない。

日本国憲法を制定した戦後民主主義は、戦前の排外的ナショナリズムを払拭したはずだった。ところが今、日本の社会には過剰なナショナリズム復興の過程にある。学校現場において、天皇制国家とまったく同じデザイン、まったく同じ歌詞・曲の「国旗・国歌(日の丸・君が代)」への敬意表明が強制されていることがその象徴的なできごとである。

ナショナリズムは政治学的ないしは社会心理学的な概念であるから、その正確な定義があるわけではない。しかし、ナショナリズムは、確実に少なからぬ国民の精神をとらえ、国家への統合に国民の情念を動員するエネルギーを有している。個人と国家との関係を醒めた理性で見つめる人に対して、愛国的な行動に同調を求める強力な圧力の源泉となっている。ナショナリズムは、国家を特別に重要で敬意を表すべき存在であるとし、信仰にも似た尊崇の対象と考える。その結果、国家を象徴する国旗・国歌についても、同様にこれを特別に重大で神聖なものと考えるのみならず、当然にすべての国民がこれに敬意を表明すべきものと考え、国旗国歌に敬意を表することを潔しとしない国民の態度を強く非難する。

エ ナショナリズムに基づく国旗国歌への敬意表明要求は、社会的同調圧力として存在するにとどまらず、多数決原理の下、容易に政治権力に転化する。こうして、政治権力がナショナリズムを鼓吹する悪循環が生じる。石原慎太郎知事の時代に、東京都教育委員会が発した悪名高い10・23通達は、その最悪の事例である。

愛国心とは普遍的な道徳で、国旗国歌の尊重は全ての人に望まれる態度であるという、信仰にも似た社会心理がこの世を覆っている。ナショナリズム鼓吹派は常に多数派で、ナショナリズムに同調しない人々は常に少数派とならざるを得ない。その結果、すべての国民が国旗国歌に敬意を表明すべきことは当然と考える人々が政治的多数派で、不起立不斉唱でこれに抵抗する人々は政治的に少数派となる。国旗国歌への敬意表明の強制は、民主主義の問題として放置をしておく限り、解決することはない。

多数派の社会的同調圧力は多数決原理の介在によって、強制力をもつ公権力の命令に転化する。本件の10・23通達と、同通達にもとづく「起立・斉唱」の職務命令はそのようにして、原告らの人権を侵害している。

オ 本件訴訟は、そのような社会的背景の中で生じ、そのような背景の中で権利回復を求める訴訟である。
言うまでもなく、人権の擁護は、少数派の人権の擁護であることに実質的な意味がある。多数派が思想弾圧を受けることはない以上、思想良心の自由とは常に「権力(=多数派)が憎悪の対象とする少数派の思想の自由」である。

以上のとおり、本件において司法の役割が根底的に問われている。司法がナショナリズムという「権力(=多数派)の意思」に迎合し動揺して、少数者の人権侵害をいささかも容認してはならない。司法は、飽くまで人権の砦としての役割を果たさなくてはならず、無批判に多数決原理に追随してはならない。多数派の少数者に対する同調圧力の不当を看過して、これを容認するようなことがあってはならない。まさしく、司法の存在意義が問われているのだから。

香港市民の人権と民主主義擁護のために声を上げよう

昨日(5月22日)、遅延していた中国の全人代が開幕した。私の関心は2点につきる。一つは、国防費の増額だ。そしてもう一つは、香港版「国家安全法」の制定という方針。

議事が野党の存在なしに一方的に進行することになる。率直に言って、民主主義も人権も顧みない今の中国は恐ろしい。国内の批判が難しければ、国際的な批判の世論喚起が必要であろう。

トランプのアメリカにも渾身の批判が必要だが、アメリカには強力な対抗勢力がある。人種的、思想的少数者にも、不十分ながら政治行動の自由が保障されている。日本とて事情は同様だ。しかし、中国の強権的な政治体制は異質だ。問答無用の恐さに満ちている。

報じられているところでは、このコロナ禍の経済の疲弊の中でも、中国の今年度国防予算案は、1兆2680億元(約19兆1700億円)。前年実績比6・6%増だという。この規模は、もはや自衛のためのやむを得ざる措置とは受容しがたい。近隣諸国には脅威として受けとめられるであろう。平和的な国際環境維持のために自制を望むというしかない。

そして、問題は香港である。メディアが、「香港版・国家安全法」と呼ぶ立法を、中国本土で制定して、香港に適用しようとの方針だという。朝日は、「香港で保障される人権や自由が中国本土並みに制限される恐れがあり、「一国二制度」は重大な危機に直面している」と報じている。

中国にしてみれば、昨年の「逃亡犯条例」問題で燃え盛った、香港市民の民主主義的行動を座視し得ないということなのだろう。このままでは、台湾の独立運動も活発化するだろう。ウイグルやチベットにも、飛び火するかも知れない。ならば、ここは力で押さえつけるしかない、との判断。

時事は、法案を「国家分裂や政権転覆をたくらむ行為を禁じる内容で、習近平政権は言論やデモの自由などが保障される香港に対する直接的な統治をさらに強化し、反政府抗議活動を抑え込む狙いだ。」と報じている。しかも、「香港メディアは、全人代最終日の28日に採決され、8月にも施行される見込みだと報じている」という。

いま、香港では、コロナ禍対策を理由に、9人以上の集会が禁止されている。ドサクサ紛れの火事場泥棒は、「アベ政権ばかりでなく香港政府もだ」と過日のブログで書いたばかりだが、香港政府の対応は手ぬるいとして、習近平政権が直々に乗り出してきたのだ。
香港の民主派には、この上なく大きな衝撃だろう。反発は必至だが、「一国二制度の完全な終わり」という悲壮感も漂っているという。

これに対して、アベ政権の反応は聞こえてこない。アメリカでは、トランプも、国務省報道官も、強い牽制のメッセージを発している。中国がこうなると、トランプさえも、正義の味方を気取ることができるのだ。

アメリカ議会上院の動きは素早い。中国の新たな法整備を「香港の自治に対する介入」と批判し、関係者に制裁を科す法案を提出したという。

せめて、できることをしたい。香港の市民を支援する声を上げよう。中国の強権的な政治を批判する声を上げよう。小さな声でも無数に集まれば、けっして無力ではなくなる。
(2020年5月23日)

天皇(制)とは権力に利用されるための存在である。

本郷にお住まいのみなさま、ご通行中の皆さま。こちらは、「本郷湯島九条の会」です。毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、憲法改悪阻止と憲法理念の実現を訴えています。私は近所に住まいする弁護士ですが、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前の毎月の行動に参加して、人権・平和・民主主義の大切さを訴えています。

本日は、「建国記念の日」です。ご存じのとおり、戦前の紀元節の日、つまりは初代天皇・神武が即位したという日であります。近代天皇制国家は、伝説上の初代天皇即位の日をもって、日本という国の始まりと決めたのです。虚構に虚構を重ねてのことですが、見逃せないことは、強引に天皇即位を日本という国の誕生と重ね合わせたということです。

国家の統治に必要なものは何よりも権力です。権力は武力によって担保されます。イザというときには、国家は実力の発動をもって統治の妨害を排除できなければなりません。しかし、権力だけでは国家統治はできません。統治のための権威が必要なのです。できることなら、人民を自発的に国家に服従させたい。人民を自発的に国家に服従させるものが、権威です。権力は、利用できる権威を欲するものなのです。

権力が利用できる権威とは、呪術であったり、神話であったり、宗教であったり、学問や文化、道徳体系など、なんでも総動員されます。しかし、日本の場合、天皇、あるいは天皇制こそが、権力にとってこの上なく重宝な利用可能な権威であり続けました。

万世一系の皇統という血に対する信仰が、権威の根拠となりました。その血が高貴なものとされ、権威の根拠とされてきたのです。しかし、皆さん、この世に生きとし生けるものにして、万世一系ならざるものはありません。私もあなたも、オケラもミミズも、万世一系今につながって、ここに生きているのではありませんか。秦の打倒に決起した陳勝の名言「王侯将相いずくんぞ種あらんや」に拍手を送りたいと思います。

ところが、天皇の神聖性が人民統治のための権威として使えると構想した、維新期の西南諸藩連合は、幕府方と天皇の取り合いをしました。自ら、天皇を崇拝したのではなく、天皇を統治の道具として取り合ったのです。結局、天皇という「玉」を取った側が、天皇を権威の根源として徹底して利用し尽くしました。こうして、天皇制と国家とは一体化し、紀元節は天長節とならぶ祭日とされたのです。

明治維新から敗戦まで、この体制が続きました。そして、敗戦と日本国憲法の制定によって、天皇の権威を利用して国民を統治する政治の在り方は清算されました。天皇の権威による統治に代わって、国民主権原理に基づいて、国民自身が自らを統治する政治体制に移行したはずなのです。ところが、天皇制は廃絶されずに象徴天皇制として生き残りました。民主主義体制への移行は、このことによって不十分なものとなって今日に至っています。

私は、日本国憲法にとって何が最も根源的な問題なのか。ときどき考えざるを得ません。人権の主体としての個人と、権力を担う国家と、そのどちらが根源的な価値なのかという問題で、本来その解答は明らかなはずなのです。

個人と国家、人権と権力、「個人主義・自由主義」と「国家主義・全体主義」。あるいは、人権尊重か秩序維持か。そのどちらが優越するかは、憲法上自明のことだと思うのです。ところが、なかなか、日本国憲法の原則が貫徹する時代にはなっていないことを、無念に思わずにはおられません。象徴天皇制もそのような問題の一つです。

天皇とは歴史的に、権力にとって重宝な利用可能な権威として存在し続けてきました。その事情は今も変わりません。国政私物化を専らにする総理大臣が、利用可能と思えばこそ、「テンノーヘーカ・バンザイ」とやって見せているのです。

国民主権原理からも、すべての個人の平等という観点からも、天皇制が憲法のコアな部分と相容れないことは自明と言わなければなりません。私たちが今心がけるべきことは、主権者として天皇の行動も存在もできるだけ目立たない、小さいものにしていく努力だと思います。

明治政府は、天皇制と国家を重ね合わせました。それゆえに、個人の尊厳に対抗する国家を考えるときには、権力にとって重宝なものとして利用可能な権威である天皇の存在を、考えざるを得ません。

本日は、主権者として国を考えるとともに、天皇制についても大いに考え議論する日にいたしましょう。
(2020年2月11日)

香港・加油(香港の市民よ、がんばれ)!!

10年ほども前のある土曜日の午後のこと。NHKラジオからこんな言葉が、耳にはいってきた。

「今日の番組では、折り込み都々逸を募集しています。季節にちなんで、『クチナシ』を折り込んでください。」「さっそくこんな句が届きました。なるほど。これは面白い。」

 くちじゃ勝てない
 ちからも負ける
 なれてしたしむ
 しりのした

これを思い出したのは、香港の抗議デモで、「逃亡条例案」完全撤回のニュースを聞いたから。少数民族は別として、中国の人びとの大方は、習近平の尻の下に「慣れて親しんでいる」ように見えるのだ。おそらくは、改革開放以来の経済生活の向が評価されてのことなのだろう。目の眩むような経済格差の存在にもかかわらず、中国の人びとの経済的な不満感は少ないように見える。それゆえにか、多くの人々は、習近平の尻の下で、パンのみにて生きることに甘んじているごとくである。

ところが、香港の人びとは、中国共産党の尻の下に慣れて親しむことを敢然と拒否しているのだ。ここで求められているものは、パンではなく、自由であり、民主主義である。切実な自律の制度への要求でもある。今ごろ、「逃亡条例案」完全撤回だけでは不十分だ。まだ、4項目の要求が残っている。到底、尻の下に温々とはしていられない。

韓国のキャンドルデモは、最大時170万人の民衆を光化門広場に集めたという。もちろん、家族連れのデモ。到底広場に収まる人数ではなく、ソウルのメインストリートが民衆に埋めつくされた。その壮観は、次の選挙によって朴槿恵政権を打倒し、政権交代が代わるというシグナルでもあった。だから、不必要にデモが先鋭化する必要はなかった。ソウルのデモは選挙の前哨戦であった。

しかし、香港は韓国とも大きく事情を異にする。香港には、「次の選挙」がない。この抗議デモの圧倒的民意を政治に反映するルートが欠けているのだ。この大規模なデモは、普通選挙を勝ち取るにふさわしく、それなくして終熄しがたい。誰から普通選挙を勝ち取る? 言うまでもなく、大国となった中国政府から。今、750万人の香港の民衆が、13億の人口を抱える中国政府と対峙しているのだ。到底、中国の尻の下では、安閑と生きられない。

なお、5項目要求は必ずしも統一した文言ではないようだが、たとえば、次のとおり。
1. 徹底撤回逃犯條例
  (逃亡犯条例改正案の完全撤回)
2. 撤回612暴動定性
  (市民活動を「暴動」とする6月12日見解の撤回)
3. 必不追究反送中抗爭者
  (デモ参加者の逮捕、起訴の中止)
4. 成立獨立委員會,徹査警方濫權濫暴及元朗暴力事件
  (警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施)
5. 要求特首林鄭月娥下台全面落實雙真普選
  (林鄭月娥長官の辞任と民主的選挙の実現)

下記のように、簡潔に6字でまとめたスローガンもある。正確には読めないが、事情を理解した上で漢字を読めば、なんとなく分かりそうな気がする。

香港人的五大訴求
1.撤回送中悪法
2.撤消暴動定性
3.制止秋后算帳
4.徹査警方暴力
5.落実双真普選

大雑把に言えば、悪法を撤回し、デモ弾圧の被害者を解放し、弾圧の責任を認め、長官を辞めさせて、本当の民主的な選挙制度を作ろう」という要求なのだ。今や、主たるスローガンとなった「真普選(本物の民主的な選挙制度)」を作ろうというのが、雨傘運動以来の一貫した要求。あまりにも当然の要求ではないか。

翻って日本の民主主義の実情を顧みる。香港と違って民主主義の形はある。しかし、韓国のごとくこれを生かしきってはいない。むしろ、安倍政権の尻の下に、ぬくぬくとしていると指摘されてもやむえないこの体たらく。

香港の市民に成り代わっての心意気を詠む。

 くちじゃ負けない
 ちえなら勝てる
 なにせごめんだ
 しりのした

 くるしい日々だが
 ちは沸き返る
 ないて笑って
 しんじる明日

(2019年9月6日)

「ヒポクラテスの誓い」と、「養生訓」と。

日課となった早朝の散歩では、東大の医学図書館の前をほぼ毎日通る。ここに、「ヒポクラテスの木」と呼ばれるスズカケの木(プラタナス)がある。今、小さなスズが成りはじめたところ。

むかし、ギリシャのコス島に西洋医学の祖と言われるヒポクラテスがいた。彼は、スズカケノキ(プラタナス)の老大木の木陰で弟子達に医学を教えたという。のどかな時代のことだ。ヒポクラテスは、紀元前460頃?377頃の人とされる。

東大にある「ヒポクラテスの木」は、ギリシャから寄贈されたかの老大木の種子から発芽したという由緒正しい若木を育てたものだとか。万世一系の「ヒポクラテスの木」ということらしい。

ヒポクラテスの医学や医学思想は、医学史の専門家以外には興味を惹くものではなさそうだ。彼が有名なのは、医師の倫理としての「ヒポクラテスの誓い」による。

下記は、日本医師会のホームページからの「ヒポクラテスの誓い(訳:小川鼎三)」である。

医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う。私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。
1. この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。
2. その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
3. 私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。
4. 頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない
5. 純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。
6. 結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。
7. いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。
8. 医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
9. この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。

一見して、大いに体系性に欠ける9項目羅列の誓いである。この人の思考能力は、医師として大丈夫だったろうか。

第7項の、すべての患者を平等視する思想は素晴らしいものだ。例示として、「女と男、自由人と奴隷の違いなく」が挙げられている。王侯貴族であろうとも庶民であろうとも、貧富の差、人種や民族、宗教の別なく、患者には平等に接するべしとする教えであり誓約。

「ヒポクラテスの誓い」は、この第7項の1項目だけでよかったのに、と思う。あるいは、第3項・4項・8項あたりの、医師としての患者に対する責務についての誓約だけであれば、彼は後世もっと尊敬されたであろうに。

1項と2項は、ギルドの掟。これが先頭にあるから、印象が悪くなる。日本国憲法が第1章を「天皇」としている如くに、である。

「ヒポクラテスの誓い」ほど有名ではないが、我が国の医師の倫理を記したものには、貝原益軒の養生訓がある。次の一節を引用しておきたい。

(冒頭の「醫」は、医師のこと。益軒は、医師を「君子醫」と、「小人醫」とに分類して、医師となるからには「君子醫」たれとする。そして、「醫は仁術なり」と、儒教的立場から医の倫理を説く。)

醫とならば、君子醫となるべし。小人醫となるべからず。
君子醫は人の為にす。人を救ふに志専一なるなり。小人醫はわが為にす。我身の利養のみ志し、人を救ふに、志専ならず。
醫は仁術なり。人を救ふを以て志とすべし。是、人の為にする君子醫なり。人を救ふに志しなくして、只、身の利養を以て志とするは、是、わが為にする小人醫なり。

醫は病者を救はんための術なれば、病家の貴賎貧富の隔てなく、心を盡して病をなおすべし。病家より招きあらば、貴賎をわかたず、はやく行くべし。遅々すべからず。人の命は至っておもし。病人をおろそかにすべからず。是、醫となれる職分をつとむるなり。小人醫は醫術流行すれば、我身にほこりたかぶりて、貧賎なる病家をあなどる。是、醫の本意を失へり。

その一部を分かり易く現代語訳してみよう。

医業とは、患者を救うための職責なのだから、患者を貴賎貧富で区別することなく、心を盡して診療に努力しなさい。患者の要請があれば、患者の身分に関わりなく、速やかに治療に着手しなければなりません。ぐずぐずしてはいけません。人の命は、とても重く貴重なものなのですから、けっして患者をおろそかにせぬように。

ここには、近代的な人権思想が読み取れる。患者の権利の思想、医師の応召義務にも言及されている。貝原益軒、大したものではないか。

世を見わたせば、確かに「君子醫」がおり、「小人醫」がある。翻って、弁護士にも、「君子たる弁護士」と「小人たる弁護士」があろうか。鈴掛の木を見て思う。「君子たる弁護士」になるのは難しくとも、けっして「小人たる弁護士」にはなるまい。願わくは真っ当な弁護士であり続けたい。
(2019年8月27日)

憲法と落語(その6) ― 「一眼国」が問いかける人権と差別

久しぶりに落語の話題、「一眼国」を取りあげたい。8代目正蔵(彦六)の持ちネタで、その語り口によく似合った噺。お白州物の範疇に入るのだろうが、考え方の虚を衝いて人権と差別を考えさせられる。

 昔は両国広小路が随一の賑わいで、回向院の周りには見世物小屋が並んでいた。てこへんな小屋も多く、「世にもめずらしい目が三つで、歯が二つの怪物」として客を呼び込み、下駄の片方を見せたり、大きな板に血糊を付けて「六尺の大イタチ(鼬)。あぶないよ」と言って見たり。赤子を食べる鬼娘なんていういかがわしいものまであった。

 両国で見世物小屋を持っている香具師が諸国を巡っている六部を家に上げて、旅の途中で見聞きした珍しい物や話を聞き出そうとする。その話をもとに本物を探し出し、見世物小屋に出して大儲けをしようという魂胆。六部は、いったんは思い当たることはないと言うが、別れ際に、一度だけ恐ろしい目にあったことを思い出したと、こんな話をする。

 巡礼の途中、江戸から北へ140から150里の大きな野原の真ん中の榎の所で一つ目の女の子に出くわして、ゾーッとしたという話。この話を聞いて喜んだ香具師は紙に書きとめ、お世辞たらたらで六部を送り出す。

 香具師は早速支度をして北へ、一つ目を探しに旅立った。夜を日に継いで、大きな原にたどり着く。見ると原の真ん中に一本の大きな榎。足を早め近づくと、話に聞いたとおりの「おじさ?ん おじ?さん」という子どもの声。

 「いいものあげるから、おいで おいで」と言って、そばへ寄ってきた子どもを抱え込む。びっくりした子どもが「キャ?」と叫ぶと、法螺や早鐘の音とともに、大勢が追って来る。

 子どもも欲しいが命が大事、子どもを放りだし一目散に逃げ出したが馴れない道でつまづき、捕まってしまう。代官の前へ引き出され、周りを見ると、みんな一つ目。

 代官の吟味が始まる。「これこれ、そのほうの生国はいずこだ。なに江戸だ。子どもをかどわかしの罪は重いぞ。面を上げい。面を上げい!」
 「あっ! 御同役、ごろうじろ。こいつ不思議だ。目が二つある」
 「調べはあとまわし。早速、見世物へ出せ」

我々は、二眼の国で暮らしている。一つ目も、三つ目もスタンダードから外れた異界の存在だが、一眼国では二つ目の人間が見世物になるのだ。

目の数の違いは、皮膚の色の違いに置き代えられる。白人の国では黒い人が珍しく、黒人の国では白い人が珍奇なのだ。キリスト教圏では仏教徒は化外の人で、日本の近世ではキリシタンは恐るべき罪人だった。古代ギリシャ人は、異民族をバルバロイと呼んで見下した。これは、「言葉の分からぬ野蛮人」なる意味だという。言葉が分からぬのはお互いさまなのに。

人と人とは、みんな違う。グループとグループも違う。違うことを認め合えば共存できるが、不必要に恐れたり、侮蔑したりすると軋轢が生じる。その状態が差別である。差別は容易に敵視に転化して、暴力行為にも発展する。

一つ目だって、二つ目だって、どちらでも不都合なことはない。他の人と違うことが、不幸の一つ目。そして、他の人と違うことがいたわられるのではなく、見世物の扱いを受けるということが不幸の二つ目。

この噺、最後をこう落としたい。
 「あっ! 御同役、ごろうじろ。こいつは不思議だ。
  貴公 目が二つあるな。いったい二つの目をどう使い分けておる?」
 「へい、一つは目の前のものを見、もう一つは忖度のために上ばかりを見続けております」
 「なに? 忖度とな。そちらが忖度専用の目であるか。これは珍しい。我が国にはなきもの。やはり調べはあとまわし。早速、見世物へ出せ」
(2019年8月25日)

この悲劇 繰り返しはせぬ ― 朝鮮人犠牲者追悼式典にご参加を

関東大震災96年 朝鮮人犠牲者追悼式典
日時 2019年9月1日(日) 午前11時?
都立横網町公園(東京都墨田区横網2丁目3番25号)
 交通 JR総武線「両国駅」西口 徒歩7分 
    都営地下鉄・大江戸線「両国駅」A1出口 徒歩2分

 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災による大混乱・不安の中で「暴動が引き起こされている」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が襲ってくる」などといった流言飛語が飛び交い、軍・警察・自警団など人の手によって多くの朝鮮人・中国人そして日本の社会運動家が虐殺されました。
 しかし、政府は今もなおこの事実を明らかにせず、加害責任を自覚さえしていません。アジアの平和と安定に寄与することを願い、震災における犠牲者の追悼とこのような歴史を繰り返さない決意をこめて追悼式典を開きます。

 主催 9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会
     (事務局 日朝協会東京都連合会)

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 9月1日に東京都内で営まれる関東大震災(1923年)の朝鮮人犠牲者の追悼式典をめぐり、実行委員会が8日、小池百合子東京都知事に宛てて、式典に追悼文を送るよう求める要請文を提出した。小池氏は2年続けて送付を見送っており、取材に対して「昨年と同じ」と話し、今年も送付しない考えを示した。(8月9日 朝日)
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今年も9月1日が近づいている。私が名付けた「国辱の日。1923年9月の関東大震災後に、日本人が無辜・無抵抗の朝鮮人・中国人を集団で虐殺した、その虐殺事件を国辱と呼んでいる。今なお、「そのような虐殺事件はなかった」「朝鮮人の暴動が先行した」という歴史修正主義者たちが、国辱の上塗りをしているのが情けない。

その国辱上塗りグループに加担しているのが小池百合子・東京都知事。今年も、9月1日の朝鮮人慰霊式典に知事は追悼文を送らないという。このポピュリスト政治家は、追悼文など送らなくても次の知事選には影響がない、そう高をくくっているのだ。

東京・横浜だけでなく、関東全域に無数に組織された「自警団」という「普通の日本人集団」が、無抵抗の人々を撲殺したり刺殺したのだ。この無理無体は、到底文明人のできることではない。その野蛮極まる集団虐殺行為を「国辱」と言わざるを得ないではないか。

先日、この件について詳しいジャーナリスト・加藤直樹氏の講演を聞いた。語り口が明快で分かり易く説得力に富む内容だった。その彼が、講演の最後に、なぜ当時の日本人が朝鮮人を殺せたかについて、「三つの論理」を述べた。これが印象に深い。

三つの論理とは、差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」だという。
「差別の論理」とは、当時の日本人が抱いていた朝鮮人に対する差別観である。日本人の根拠のない優越意識、謂われのない蔑視の感情が、容易に朝鮮人の人格の否定にまでつながる社会心理を醸成していた。

次いで、治安の論理」である。このとき、朝鮮現地での3・1独立運動の大きな盛り上がりから4年後のこと。日本人は、蔑視だけでなく、朝鮮人に対する「反抗者」としての恐怖の感情も併せ持っていたであろう。朝鮮人に対する、過剰な警戒心をもっていたであろう。

さらに、軍隊の論理」である。市井の人が殺人を犯すには、あまりに高いハードルを越えなければならない。しかし、軍隊の経験を経ている者は、人を殺すハードルを乗り越えている。自警団の中心にいたのは、実は在郷軍人会など元軍人であった。しかも、彼らは、シベリア出兵(1918?)、3・1独立運動弾圧(1919?)、間島出兵(1920)など、ゲリラ掃討の名目で住民虐殺を経験してきたのだという。

あらためて、次の言葉を噛みしめる。

 一人一人の兵士を見ると、みんな普通の人間であり、家庭では良きパパであり、良き夫であるのです。戦場の狂気が人間を野獣にかえてしまうのです。このような戦争を再び許してはなりません。(村瀬守保)

 いったん戦場の狂気に囚われた多くの人が、戦場から離れて日常生活に戻ったあとに、非常時の「狂気」によって再びの「野獣」に化したということなのだろう。

 「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」は、いずれも戦争を準備する「論理」として、平和のために克服しなければならない。とりわけ、日韓関係が軋んでいる今なればこそ。

心ある人びとに、9月1日の朝鮮人犠牲者追悼式典ご参加を呼びかけたい。
(2019年8月21日)

「竹内景助さんは無実だ!」 ― 三鷹事件再審支援を

本日(7月31日)午後2時、注目の三鷹事件再審請求に対する東京高裁の決定。まことに残念ながら棄却の結論となった。あらためて実感させられる。再審の壁は、高く厚い。

担当の後藤眞理子裁判長は、東京高裁に赴任する3日前に大阪高裁において、湖東記念病院人工呼吸器事件の再審開始決定を下した人。弁護団も支援団体も、大いに期待していただけに残念さは一入。地裁・高裁の再審開始決定を覆して、異例の自判によって、再審請求を棄却した最高裁の大崎事件特別抗告審決定(本年6月25日)の影響がないか、気にかかるところ。

今次の三鷹事件再審請求は2度目のもの。第1次請求は1956年2月に、生前の竹内景助さん本人が獄中から申し立てている。この請求は、東京高裁で10年放置されていたという。そして、竹内さんの病死(脳腫瘍)で、決定に至らないまま終了した。

故人となった竹内景助さんのご長男が、第2次再審請求を申し立てたのが2011年11月。死刑事件についての死後再審事件である。
刑訴法第435条が確定した有罪事件について再審請求の要件を定めている。そのうちの第6項が、「明らかな証拠をあらたに発見したとき」とされている。つまり、再審を開始すべき証拠の「新規性」と「明白性」とが求められる。これが、かならずしも容易でないのだ。今回もこの壁に阻まれた。

ところで、1949年夏に、下山・三鷹・松川の「三大謀略事件」が起こされている。いずれの事件も、世人の耳目を驚かし世間を震撼させたにとどまらない。戦後日本が歩み始めた民主化の道を阻害する歴史的事件となった。

この年の1月、日本国憲法施行後最初の第24回総選挙が行われ、共産党は4議席から35議席に大躍進していた。興隆していた労働運動は官公労働者を中心に産別会議に結集して、日本の進路に影響を及ぼしうる力量を備えつつあった。このときに、占領軍と保守勢力は既に前年から逆コースに転じ、労働運動や共産主義運動弾圧に乗り出していた。

この情勢下、日本経済再生のための荒療治としてドッジ・ラインに基づく緊縮財政策が強行される。49年6月1日には定員法が施行され、全公務員で28万、新たに発足した国鉄だけで9万5000人の大量人員整理の着手となった。
緊迫した労使対決の中で、まず下山事件(7月5日)が起き、次いで三鷹事件(7月15日)、そして松川事件(8月17日)と続く。これが、共産党が指導する労働運動の仕業と徹底して宣伝され、それもあって次回25回総選挙(52年10月)では共産党の議席はゼロとなった。

今の感覚からは、国労側10名、東芝労組側10名の共同謀議者20名を起訴した松川事件が、一連の謀略事件の要の大事件のように思えるが、私は学生時代に何度か聞かされた。「当時の空気を知る者にとって、謀略事件としての効果の中心にあったのはまぎれもなく三鷹事件だった」「首都の事件でもあり、下山事件直後の時期でもあって、世間の注目度が大きかった」「国労の活動家である共産党員10名の逮捕と起訴は、労働運動と左翼運動への大きな打撃となった」。

刑事事件としての三鷹事件とは、電車転覆致死罪(刑法126条3項・法定刑は死刑または無期)での被告事件。事件の被害者となった死亡者は6名である。逮捕者は11名で、竹内景助さんを除く10名が、共産党員だった。アリバイのあった一人を除いて10名が起訴され、1950年8月11日の1審東京地裁判決を迎える。

鈴木忠五裁判長の判決は、共産党員による謀議を「空中楼閣」として9人の党員被告を全員無罪としたが、竹内景助さんの単独犯行として、無期懲役を言い渡した。

そして、1951年3月30日控訴審判決で9人の無罪は確定したが、竹内景助さんの有罪は維持され、なんと死刑判決となった。竹内さんの上告は、1955年6月22日大法廷で棄却された。票差は8対7、一票差だった。

謀略3事件を仕掛けた人物や実行犯は多様に推理はされているが、今日まで確証を得られていない。下山事件の起訴はなく、松川は全員無罪が確定し、三鷹事件でも共産党に対する弾圧は確定判決としては潰えた。が、謀略を起こした側から見れば、その効果は十分だったろう。そして、竹内景助さんという冤罪被害者が置き去りにされた。

私は学生時代に、木造2階建ての国民救援会の旧本部で、黙々と再審請求への訴えの事務作業をしていた竹内景助さんの奥さんの姿に接したことがある。今は、その奥さんも故人となっている。それに代わって、支援者が声を上げている。ぜひ下記URLを開いて、「竹内景助さんは無実だ!― 三鷹事件再審を支援する会」の訴えに耳を傾けていただきたい。
http://www.maroon.dti.ne.jp/mitaka-saishin/index.html

(2019年7月31日)

やまゆり園事件をきっかけに、障がい者に肩身の狭い思いをさせることない社会を

相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」での、あの忌まわしい殺傷事件が2016年7月26日のこと。事件当初の驚愕はこの上ないものだったが、あれから3年が経過した今も、その衝撃は消えない。むしろ、さらに重く深く沈潜している。

その犯行の実行者が平然と被害者の人権を否定する動機を語って、犯した罪業を反省していないこと、正当化さえしていることが、悲しくもあり恐ろしくもある。

植松聖は、かつて「やまゆり園」の職員であった。障がい者に接しての生活を送るうちに、その障がい者の人格を積極的に抹殺しようと思い至ったのだ。刺殺という残忍な手段で。

彼が、犯行直前に衆議院議長宛に認めたメモに、「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」とある。

当時、これに目を通して誰もが想起したのが、石原慎太郎の発言だった。重度障害者が治療を受けている病院を視察した後、彼は、記者団にこう語っている。

「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。
 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……。
 しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな。
 人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。
 ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。」

植松と石原に共通するのは、役に立つ生命と役に立たない生命とを差別する思想である。

典型的には、ナチスドイツがそのような優生思想を国策化した。人が人として尊重されるのではなく、国家への寄与の能力かあるか否かで、人間の価値の有無をはかり人間を選別した。稼働能力も戦闘能力もない重度障がい者は、比喩ではなく、文字どおり抹殺された。T4作戦」として知られるこの政策で「安楽死」を余儀なくされた障がい者は20万人を超すとされる。

人権という思想は、脆いものだと思う。事件後の植松は接見を試みたジャーナリストにこう語っている。
「ナチスの大量虐殺についても、障害者を虐殺したことは正しかったが、ユダヤ人虐殺は誤っていた」「人間が幸せに生きる為に、心の無い者は必要ない」「『意思疎通がとれない者を安楽死させる』考えを本心で否定するのは『バカ』と『ブサイク』です」(創)

「意思疎通がとれない者を安楽死させる」考えを否定しない石原慎太郎は、その後13年も都知事の座にあって、数々の差別発言を続けた。「こんな人物」を都民は知事に選任し続けたのだ。

人権とは元来が思想の産物であって、検証された真理ではない。人類の叡智が創り出した約束事なのだ。この約束事を社会の成員が共有することで、自由で平等な社会を作ることに資するものと承認され、その尊重が社会の基本合意となり、社会的規範とも法的規範ともなった。

人権尊重は社会の公理なのだから、何か別の根拠で人権尊重の必要性や合理性を説明することは困難である。人権は尊重されねばならず、人権尊重の浸透、人権尊重の常識化、人権尊重の教育が必要なのだ。

この公理に意を唱えさせてはならない。たとえば、「なぜ、人を殺してはいけないの?」「『私の命だけが大切で、他人の命は無価値』と、なぜ言ってはいけないの?」などと改まって発問させてはならない。それが社会の最も基本的な約束事だからだと言う以上には、論理での説得は困難でもある。

人権とは各個人に平等にある。生産性や寄与度の有無多寡に関わりなく、誰の人権も平等に尊重されなければならない。この公理を受け入れがたいとするのが、植松や石原でありヒトラーでもあった。

 「障がい者にも人格があるのかね」ではない。弱い立場の者においてこそ、平等に保障された人権の存在が貴重なのだ。その意味では、「障がい者にこそ人権がある」。障がい者に肩身の狭い思いをさせることない社会でありたい。やまゆり園事件が、そのきっかけになればと願う。
(2019年7月27日)

再び開け、黄色い雨傘。大きく、美しく。

東京で梅雨空を眺めながらのつぶやきではない。香港民主化運動の代名詞だった雨傘運動。当局の弾圧によって2014年以来、逼塞しているかに見えたが、再び始動の兆し。明日、6月9日には、大規模な市民のデモが計画されているという。

香港の民主化運動とは、中国に対するものである。いうまでもなく、中国の人権状況が深刻である。しかも、この人権後進国が、めざましく経済大国化しつつある。経済大国化は、必然的に軍事大国化と政治大国化を伴う。近隣諸国への負の影響を及ぼしつつある。とりわけ、「一国二制度」の香港の事態が深刻である。

いま、香港政府が逃亡犯条例(改正案)(報道によっては、「容疑者移送条例」とも)を議会に上程。これが、大きな政治課題となっている。

この法案は、外国で犯罪を犯した者を、当該国の要請あれば引き渡すという内容だが、「中国に批判的な活動家や、中国ビジネスでトラブルに巻き込まれた企業関係者などが引き渡しの対象になりかねない」(日経)、「冤罪で拘束され、中国本土で公平ではない裁判にかけられる」(毎日)との懸念が強まり反対運動は日増しに熱を帯びている。

毎日は、「中国政府は、香港人がおとなしく圧力に耐えると思っているのだろう。でもこの条例改正は越えてはならない一線を越えている。ここで香港人の意地を見せなければ、香港は中国に完全にのみ込まれる」という市民の声を伝えている。

9日の市民の大デモの前に、6日弁護士のデモがあった。
以下は、香港、容疑者移送条例に反対デモ 弁護士ら黒衣着用し」との表題の共同配信記事。
「香港の弁護士ら法曹関係者は6日、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする『逃亡犯条例』改正案に反対するデモを行った。黒い衣服を着用し、条例改正を進める香港政府への強い不満を表明、立法会(議会)で審議中の改正案の見直しを求めた。
 香港メディアによると、1997年の中国への返還以降、法曹関係者による「黒衣デモ」が行われたのは今回で5回目。主催者側によると、過去最多の2500?3千人が参加。弁護士らは香港中心部を政府本部庁舎前まで無言で行進した。
 主催した弁護士の一人は『改正案が可決されれば、香港の法治が取り返しのつかないほど破壊される』と訴えた。」

各紙とも、この件を報じている。朝日によると、「逃亡犯条例」(改正案)は、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にするもので、「改正案は香港政府が議会に提案した。司法界では人権侵害も指摘される中国本土への容疑者引き渡しを認めると、香港の司法制度への信頼が揺らぐとの懸念が強い」という。

また、朝日は、「参加者は香港で司法関係者を象徴する黒い服を着て約1時間かけて行進。香港政府本部前で約3分間、無言のまま立ち反対の意思を示した。民主派の重鎮の李柱銘弁護士は『香港政府は中国政府の言いなりになっており、香港は安全な場所でなくなる』と語った。」と報じている。

このデモ、主催者発表で3千人だった。香港の人口は740万人、日本の10分の1よりも遙かに小さい香港での弁護士3000人規模のデモなのだ。「主催者発表」にもせよ、はたして東京で3000人の弁護士デモが組めるだろうか。

香港の法曹制度は、英国の流れを汲む。弁護士は、バリスター(法廷弁護士)とソリシター(事務弁護士)に分業化されている。バリスターの人数は1300人、ソリシターの人数は5000人ほどだという。このうちの約半数が、デモに参加したということになる。たいへんな危機感の表れといわねばならない。

洋の東西を問わず、弁護士の任務とは人権の擁護である。弁護士が自らの職域防衛のためではなく、中国から香港に逃亡してきた政治犯の人権のために立ち上がっている図は立派なものではないか。

3000人の弁護士に続いて、「中国に批判的な香港の民主派は9日、30万人規模の大規模な抗議デモを計画している」とも報道されている。「中国政府言いなりの香港政府」と、「人権擁護のために立ち上がる香港市民」の対決の構図。当然のことながら、「中国政府は香港政府への支持を表明しており、対立が激しさを増している」。さもありなん。

一度はやむなく閉じざるを得なかった香港の雨傘。もう一度しっかりと開いてほしい。そして、今度は開き続けてほしいと思う。人権のために、民主主義のために。そして、国際的な友誼と条理のために。
(2019年6月8日)

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