澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

自民党改憲草案「緊急事態条項」の危険性宣伝が緊急課題だ。

私も、依頼あれば学習会の講師を務める。テーマは、スラップ・「日の丸君が代」・政教分離・消費者・医療・教育、そして改憲問題。最近改憲問題は、ほとんどが緊急事態条項についてのもの。今年になってから緊急事態条項をテーマの講師活動は6回となった。そのレジメを掲載しておきたい。参考になるところもあろうかと思う。

訴えの骨格は、次の諸点。
☆今、安倍政権は、解釈改憲を不満足として明文改憲をたくらんでいる。
☆その突破口が「緊急事態条項」とされている。
☆しかし、緊急事態条項は必要ない。
☆いや、緊急事態条項(=国家緊急権条項)はきわめて危険だ。
☆現行憲法に緊急事態条項がないのは欠陥ではない。
 憲法制定者は緊急事態条項を危険なものとして意識的に取り除いたのだ。
☆意識的に取り除いたのは、戦前の旧憲法下の教訓から。
☆それだけでなく、ナチスがワイマール憲法を崩壊させた歴史の教訓からだ。
☆緊急事態条項(=国家緊急権条項)は、
 整然たる憲法秩序をたった一枚でぶちこわすジョーカーなのだ。

レジメ《緊急事態条項は、かくも危険だ》
本報告(レジメ)の構成  同じことを3回繰り返す。骨格→肉付→化粧
 第1章 骨格編 ビラの見出しに、マイクでの呼びかけに。
 第2章 肉付編 確信をもって改憲派と切り結ぶために。
 第3章 資料編 資料を使いこなして説得力を

第1章 スローガン編
  いま、緊急事態条項が明文改憲の突破口にされようとしている。
  しかし、緊急事態条項は不要だ。「緊急事態条項が必要」はデマだ。
  緊急事態条項は不要と言うだけではない。危険この上ない。
  緊急事態条項の導入を「お試し改憲」などと軽視してはならない。
  自民党改憲草案9章(98条・99条)が安倍改憲の緊急事態条項。
   98条が緊急事態宣告の要件。99条が緊急事態宣告の効果。
  緊急事態条項は、立憲主義を突き崩す。人権・民主々義・平和を壊す。
  緊急事態とは、何よりも「戦時」のことである。⇒戦時の法制を想定している。
  「内乱等社会秩序の維持」の治安対策である。⇒大衆運動弾圧を想定している。
  緊急事態においては、内閣が国会を乗っ取る。政令が法律の役割を果たす。
    ⇒議会制民主主義が失われる。独裁への道を開く。
  緊急事態条項は、国家緊急権を明文化したもの。
  国家緊急権は、それ一枚で整然たる憲法秩序を切り崩すジョーカーだ。
  国家緊急権は、天皇主権の明治憲法には充実していた。
  その典型が天皇の戒厳大権であり、緊急勅令(⇒行政戒厳)であった。
  ナチスも、国家緊急権を最大限に活用した。
  ヒトラー内閣はワイマール憲法48条で共産党を弾圧して議会を制圧し、
   制圧した議会で、悪名高い授権法(全権委任法)を成立させた。
   授権法は、国会から立法権を剥奪し、独裁を完成させた。
  最も恐るべきは、緊急事態条項が憲法を停止し、
   緊急時の一時的「例外」状況が後戻りできなくなることだ。

第2章 肉付編
1 憲法状況・政権が目指すもの
 ☆解釈改憲(閣議決定による集団的自衛権行使容認から戦争法成立へ)だけでは、
  政権は満足し得ない。
  彼らにとって、戦争法は必ずしも軍事大国化に十分な立法ではない。
  ⇒現行憲法の制約が桎梏となっている。⇒明文改憲が必要だ。
 ☆第二次アベ政権の明文改憲路線は、概ね以下のとおり。
  96条改憲論⇒立ち消え(解釈改憲に専念)⇒復活・緊急事態条項から
  改憲手続(国民投票)法の整備⇒完了 各院に憲法審議会
  そして最近は9条2項にも言及するようになってきている。
2 なぜ、緊急事態条項が明文改憲の突破口とされているのか。
 ☆東日本大震災のインパクトを利用
  「憲法に緊急事態条項がないから適切な対応が出来なかった」
 ☆「緊急事態への定めないのは現行憲法の欠陥だ」
  仮に、衆院が構成がないときに「緊急事態」が生じたら、
☆政権側の緊急事態必要の宣伝は、「衆院解散時に緊急事態発生した場合の不備」  に尽きる。「解散権の制限」や「任期の延長」規程がないのは欠陥という論法。
  しかし、現行憲法54条2項但し書き(参議院の緊急集会)の手当で十分。
 ☆それでも「お試し改憲」(自・公・民・大維の賛意が期待できる)としての意味。
 ☆あわよくば、人権制約制限条項を入れたい。
3 政権のホンネ
 ☆国家緊急権(規程)は、支配層にとって喉から手の出るほど欲しいもの
  大江志乃夫著「戒厳令」(岩波新書)の前書に次の趣旨が。
 「緊急事態法制は1枚のジョーカーに似ている。他の52枚のカードが形づく  る整然たる秩序をこの一枚がぶちこわす」
 ☆自由とは権力からの自由と言うこと。人権尊重理念の敵が、強い権力である。
  人権を擁護するために、権力を規制してその強大化を抑制するのが立憲主義。
  立憲主義を崩壊せしめて強大な権力を作るための恰好の武器が国家緊急権。
 ☆戦時・自然災害・その他の際に、憲法の例外体系を形づくって
  立憲主義を崩壊させようというもの。
4 天皇制日本とナチスドイツの国家緊急権
 ☆明治憲法には、戒厳大権・非常大権・緊急勅令・緊急財政処分権限などの
  国家緊急権制度が手厚く明文化されていた。
 ☆最も民主的で進歩的なワイマール憲法に、大統領の緊急権限条項があった。
  ナチス政権以前に、この条項は250回も濫発されていた。
 ☆ナチス政権は、この緊急事態法を活用して共産党の81議席を奪い、
  授権法(全権委任法)を制定して国会を死滅させた。
 ☆その反省から、日本国憲法は、国家緊急権(条項)の一切を排除した。
  戦争放棄⇒戦時の憲法体系を想定する必要がない。
  徹底した人権保障システム⇒例外をおくことで壊さない
5 自民党改憲草案「第9章 緊急事態」の危険性
 ☆旧天皇制政府の戒厳・非常大権規程が欲しい⇔「戦後レジームからの脱却」
  ナチスの授権法があったらいいな⇔「ナチスの経験に学びたい」
しかも、緊急事態に出動して治安の維持にあたるのは「国防軍」である。
 ☆自民党改憲草案による「緊急事態」条項は
  濫用なくても、「戦争する国家」「強力な権力」「治安維持法体制」をもたらす。
  しかも、濫用の歯止めなく、その危険は立憲主義崩壊につながる。
 ☆草案では、内閣が国会を乗っ取り、政令が法律の代わりを務める。
  内閣が、人身の自由、表現の自由を制約する政令を発することができる。
  予算措置もできることになる。
6 まずは、徹底した「緊急事態条項必要ない」の訴えと
  次いで、「旧憲法時代やナチスドイツの経験から、きわめて危険」の主張を

第3章 資料編
☆日本国憲法54条2項
「衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。」

☆自民党改憲草案(2012年4月27日)「第9章 緊急事態」
 98条 緊急事態の宣言
 1項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる
 99条 緊急事態宣言の効果
 1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
 3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。

☆自民党「Q&A」(99条3項関連)
 現行の国民保護法において、こうした憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかったことを踏まえ、法律の定める場合には、国民に対して指示できることとするとともに、それに対する国民の遵守義務を定めたものです。

☆民主党「憲法提言」(民主党憲法調査会 2005 年10 月31 日)
違憲審査機能の強化及び憲法秩序維持機能の拡充
国家非常事態における首相(内閣総理大臣)の解散権の制限など、憲法秩序の下で政府の行動が制約されるよう、国家緊急権を憲法上明示しておくことも、重ねて議論を要する。
国家緊急権を憲法上に明示し、非常事態においても、国民主権や基本的人権の尊重などが侵されることなく、その憲法秩序が確保されるよう、その仕組みを明確にしておく。

☆公明党憲法調査会による論点整理(公明党憲法調査会、2004 年6 月16 日)
「ミサイル防衛、国際テロなどの緊急事態についての対処規定がないことから、あらたに盛り込むべしとの指摘がある。ただ、あえて必要はないとの意見もある。」

☆大日本帝国憲法の国家緊急権規程
 第14条(戒厳大権)
  1項 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
  2項 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
 第8条(緊急勅令)
  1項 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
 第31条(非常大権)
   本章(第2章 臣民権利義務)ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
 第70条(緊急財政処分) 
  1項 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得

☆戒厳令(明治15年太政官布告第36号)
第一条 戒厳令ハ戦時若クハ事変ニ際シ兵備ヲ以テ全国若クハ一地方ヲ警戒スルノ法トス
第二条 戒厳ハ臨戦地境ト合囲地境トノ二種ニ分ツ
第三条 戒厳ハ時機ニ応シ其要ス可キ地境ヲ区画シテ之ヲ布告ス
第十四条 戒厳地境内於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス
     但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
  第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
  第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
  第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ
     之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
  第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
  第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
  第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク
     人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
  第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト

☆1923年9月3日 関東戒厳令司令官通知
(同司令部は、9月2日緊急勅令による「行政戒厳」によって設置されたもの) 
一 警視総監及関係地方長官並ニ警察官ノ施行スベキ諸勤務。
 1 時勢ニ妨害アリト認ムル集会若ハ新聞紙雑誌広告ノ停止。
 2 兵器弾薬等其ノ他危険ニ亙ル諸物晶ノ検査押収。
 3 出入ノ船舶及諸物晶ノ検査押収。
 4 各要所ニ検問所ヲ設ケ
  通行人ノ時勢ニ妨害アリト認ムルモノノ出入禁止又ハ時機ニ依り水陸ノ通路停止。
 5 昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物、船舶中ニ立入検察。
 6 本命施行地域内ニ寄宿スル者ニ対シ時機ニ依リ地境外退去。
二 関係郵便局長及電信局長ハ時勢二妨害アリト認ムル郵便電信ヲ開緘ス。

☆ワイマール憲法 第48条2項
 ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。
 この目的のために、大統領は一時的に第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(信書・郵便・電信電話の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の権利)、第124条(結社の権利)、および第153条(所有権の保障)に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。

☆ナチスドイツの授権法(全権委任法)全5条
正式名称 「民族および国家の危難を除去するための法律」1933年3月23日成立
1.ドイツ国の法律は、ドイツ政府によっても制定されうる。
2.ドイツ政府によって制定された法律は、憲法に違反することができる。
3.ドイツ政府によって定められた法律は、首相によって作成され、官報を通じて公布される。特殊な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。
4.ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。政府はこうした条約の履行に必要な法律を発布する。
5.本法は公布の日を以て発効する。本法は1937年4月1日までの時限立法である。

☆日本国憲法制定時の、対GHQ「3月2日」案
 明治憲法下の緊急命令及び緊急財政措置に代わるものとして、76 条において、「衆議院ノ解散其ノ他ノ事由ニ因リ国会ヲ召集スルコト能ハザル場合ニ於テ公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ必要アルトキハ、内閣ハ事後ニ於テ国会ノ協賛ヲ得ルコトヲ条件トシ法律又ハ予算ニ代ルベキ閣令ヲ制定スルコトヲ得」と規定されていた。GHQ側は、国家緊急権に関する英米法的な理解を根拠に、「非常時の際には、内閣のエマージェンシー・パワー(emergency power)によって処理すべき」としてこれを否定したが、その後の協議の結果、日本側の提案に基づき、参議院の緊急集会の制度が採り入れられることになった。(衆議院憲法審査会「緊急事態」に関する資料)

☆制憲国会(第90帝国議会)における政府(担当大臣金森徳次郎)答弁
「緊急勅令及ビ財政上ノ緊急処分ハ、行政当局者ニ取リマシテハ実ニ調法ナモノデアリマス、併シナガラ調法ト云フ裏面ニ於キマシテハ、国民ノ意思ヲ或ル期間有力ニ無視シ得ル制度デアルト云フコトガ言ヘルノデアリマス、ダカラ便利ヲ尊ブカ或ハ民主政治ノ根本ノ原則ヲ尊重スルカ、斯ウ云フ分レ目ニナルノデアリマス、ソコデ若シ国家ノ仲展ノ上ニ実際上差支ヘガナイト云フ見極メガ付クナラバ、斯クノ如キ財政上ノ緊急措置或ハ緊急勅令トカ云フモノハ、ナイコトガ望マシイト思フノデアリマス」
「民主政治ヲ徹底サセテ国民ノ権利ヲ十分擁護致シマス為ニハ、左様ナ場合ノ政府一存ニ於テ行ヒマスル処置ハ、極力之ヲ防止シナケレバナラヌノデアリマス言葉ヲ非常ト云フコトニ藉リテ、其ノ大イナル途ヲ残シテ置キマスナラ、ドンナニ精緻ナル憲法ヲ定メマシテモ、口実ヲ其処ニ入レテ又破壊セラレル虞絶無トハ断言シ難イト思ヒマス、随テ此ノ憲法ハ左様ナ非常ナル特例ヲ以テ――謂ハバ行政権ノ自由判断ノ余地ヲ出来ルダケ少クスルヤウニ考ヘタ訳デアリマス、随テ特殊ノ必要ガ起リマスレバ、臨時議会ヲ召集シテ之ニ応ズル処置ヲスル、又衆議院ガ解散後デアツテ処置ノ出来ナイ時ハ、参議院ノ緊急集会ヲ促シテ暫定ノ処置ヲスル、…コトガ適当デアラウト思フ訳デアリマス」

☆法律による「緊急事態」への対処について(『改憲の何が問題なのか』(岩波、2013年)所収の水島朝穂「緊急事態条項」)水島さんのブログ「直言」から
 「日本の場合、憲法に緊急事態条項はないが、法律レヴェルには「緊急事態」という文言が随所に存在することである。例えば、「警察緊急事態」(警察法71条)、「災害緊急事態」(災害対策基本法105条)、「重大緊急事態」(安全保障会議設置法2条9号)である。これに「防衛事態」(自衛隊法76条)、「武力攻撃事態」(武力攻撃事態法2条)、「治安出動事態」(自衛隊法78、81条)が加わる。憲法9条の観点から合憲性に疑義のあるものもあるが、ここでは立ち入らない。」

☆東北弁連会長声明
災害対策を理由とする国家緊急権の創設に反対する会長声明
現在、与党自民党において、東日本大震災時の災害対応が十分にできなかったことなどを理由として、日本国憲法に「国家緊急権」の新設を含む改正を行うことが議論されている。
国家緊急権とは、戦争や内乱、大災害などの非常事態において、国民の基本的人権などの憲法秩序を一時停止して、権限を国に集中させる制度を言う。この制度ができると国は強大な権限を掌握することができるのに対し、国民は強い人権制約を強いられることになる。災害対応の名目の下に、国家緊急権が創設されることは、非常に危険なことと言わざるを得ない。
そもそも、日本国憲法の重要な原理として、権力分立と基本的人権の保障が定められたのは、国家に権力が集中することによって濫用されることを防ぎ、自由・財産・身体の安全など、国民にとって重要な権利を守るためである。大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という)時代には国民の人権が不当に侵害され、戦争につながった経験に鑑みて、日本国憲法はかかる原理を採用している。また、旧憲法には国家緊急権の規定があったが、それが濫用された反省を踏まえて、日本国憲法には国家緊急権の規定はあえて設けていない。
確かに、東日本大震災では行政による初動対応の遅れが指摘された事例が少なくない。しかし、その原因は行政による事前の防災計画策定、避難などの訓練、法制度への理解といった「備え」の不十分さにあるとされている。例えば、震災直後に被災者に食料などの物資が届かなかったこと、医療が十分に行き渡らなかったことなどは、既存の法制度で対応可能だったはずなのに、避難所の運営の仕組みや関係機関相互の連絡調整などについての事前の準備が不足していたことに原因があるのである。東京電力福島第一原子力発電所事故に適切な対処ができなかったのも、いわゆる「安全神話」の下、大規模な事故が発生することをそもそも想定してこなかったという事故対策の怠りによるものである。つまり、災害対策においては「準備していないことはできない」のが大原則であり、これは被災者自身が身にしみて感じているところである。
そもそも、日本の災害法制は既に法律で十分に整備されている。例えば、災害非常事態等の布告・宣言が行われた場合には、内閣の立法権を認め(災害対策基本法109条の2)、内閣総理大臣に権限を集中させるための規定(災害対策基本法108条の3、大規模地震対策特別措置法13条1項等)、非常事態の布告等がない場合でも、防衛大臣が部隊を派遣できる規定(自衛隊法83条)など、災害時の権限集中に関する法制度がある。また、都道府県知事の強制権(災害救助法7?10条等)、市町村長の強制権(災害対策基本法59、60、63?65条等)など私人の権利を一定範囲で制限する法制度も存在する。従って、国家緊急権は、災害対策を理由としてもその必要性を見出すことはできない。
他方で、国家緊急権はひとたび創設されてしまえば、大災害時(またはそれに匹敵する緊急時)だけに発動されるとは限らない。時の政府にとって絶対的な権力を掌握できることは極めて魅力的なことであり、非常事態という口実で濫用されやすいことは過去の歴史や他国の例を見ても明らかである。国民の基本的人権の保障がひとたび後退すると、それを回復させるのが容易でないこともまた歴史が示すとおりである。
よって、当連合会は、東日本大震災において甚大な被害を受けた被災地の弁護士会連合会として、災害対策を理由とする国家緊急権創設は、理由がないことを強く指摘し、さらに国家緊急権そのものが国民に対し回復しがたい重大な人権侵害の危険性が高いことから、国家緊急権創設の憲法改正に強く反対する。
2015年(平成27年)5月16日
東北弁護士会連合会 会長 宮本多可夫
                  以  上
(2016年3月28日)

緊急事態条項は、日本国憲法の3本の柱を壊してしまう

本郷にお住まいの皆さま、ご通行中の皆さま。地元の「九条の会」です。少しの時間お耳を貸してください。

ご承知のとおり、日本国憲法は3本の柱で組み立てられています。
 まずは、基本的人権の尊重。
 そして、民主主義。
 さらに、平和主義です。

この3本のうち、人権と民主々義とは、どんな憲法にも書いてあります。これが欠けていれば憲法とは言えないのですから。しかし、3本目の「平和」の柱をしっかりと立てて、堅固な家を建てている憲法は、実はごく少ないのです。

日本国憲法の3本目の「平和主義」の柱は、「陸海空軍その他の戦力は保持しない」「国の交戦権は認めない」という徹底した平和主義に貫かれています。誇るべき非凡な憲法と言わなければなりません。しかも、日本国憲法の平和主義は、9条に戦争放棄・戦力不保持が書いてあるからだけでなく、その理念が前文から本文の全条文に貫かれています。戦争をしないこと、国の外交・内政の選択肢として戦争も戦争の準備もあり得ないことを憲法全体が確認しています。その意味で、日本国憲法は文字どおり「平和憲法」なのです。

日本国憲法の3本の柱は、互いに支え合っています。けっしてバラバラに立っているのではありません。そして、この3本の相性がとてもよいのです。とりわけ強調すべきは、「平和」を欠いた「人権」と「民主主義」の2本だけでは、実はとても座りが悪いのです。この点が世界各国の憲法の悩みの種でもあるのです。

多くの憲法の条項には、立派な「人権」と「民主主義」の柱が立てられています。しかし、見かけは立派でも、この2本の柱は完全な物ではありません。実は大きな虫喰いがあるのです。「人権や民主主義は平時の限り」という限定の大穴が開いているのです。「戦争になれば、人権や民主主義などと生温いきれいごとを言ってはおられない」「そのときは、戦争に勝つために何でもありでなくてはならない」と人権や民主々義尊重の例外が留保されているのです。この例外は、「戦時」だけでなく、「戦争が起こりそうな場合」も、「内乱や大規模なデモが起こった場合」も、「自然災害があった場合も」と、広範に拡大されかねません。これが、「普通の国の憲法」の構造なのです。

日本国憲法は、堅固な平和主義の柱を立てています。ですから、一切戦争を想定していません。そのため、人権や民主主義の例外規定をもつ必要がなかったのです。戦時だけでなく、内乱や自然災害に関しても、意識的に憲法制定過程で人権擁護や民主主義遵守の例外をおきませんでした。戦前の例に鑑みて、例外規定の濫用を恐れたからです。

典型的には戦時を想定した人権や民主々義擁護の例外規定を「国家緊急権条項」と呼びます。日本国憲法にその条項がないばかりか。曲がりなりにもこれまで平和主義を貫いてきた日本では、憲法に国家緊急権条項を入れる必要はありませんでした。しかし、戦争をする国を作ろうとなると話は別です。「お上品に人権や民主々義を原則のとおりに守っていて、戦争ができるか」ということになります。

いま、安倍政権が改憲の突破口にしようとしているのは、このような意味での国家緊急権を憲法に書き込もうということなのです。それは、戦争法の制定と整合するたくらみなのです。とうてい、「お試し改憲」などという生やさしいことではありません。

改憲勢力は、頻りに「東日本大震災時に適切な対応が出来なかったその反省から、災害時に適切な対応が出来るように憲法改正が必要だ」と言っています。これは、何重にもウソで固められています。なにせ、「完全にコントロールされ、ブロックされています」とウソを平気で言う、アベ政治です。自信ありげな顔つきのときこそ、信じてはなりません。

2012年4月27日決定の自民党改憲草案が、アベ政権の改憲案でもあります。ここに、書いてある緊急事態の要件は、真っ先に戦争です。書きぶりは、「日本に対する外部からの武力攻撃」となっていますが、まさか日本からの侵略とは書けません。ついで、「内乱」。内乱だけでなく、「内乱等による社会秩序の混乱」という幅広く読める書き方。3番目が「地震等による大規模な自然災害」ですが、それだけではありません。「その他の法律で定める緊急事態」と続いています。
自然災害は「三の次」で、実は、「緊急事態」は際限もなく広がりそうなのです。

誰が緊急事態宣言を発するか。内閣ではなく、内閣総理大臣です。これは大きな違い。国会での承認は事前・事後のどちらでもよいことになっています。

そして、その効果です。緊急事態を宣言すれば、内閣は国会を通さずに、法律と同じ効力のある政令を制定することができるようになるのです。いわば、国会の乗っ取りです。そして、国民は「国その他公の機関の指示に従わなければならない」という地位におかれます。

1933年制定の悪名高いナチスの全権委任法となんとよく似ているではありませんか。全権委任法は「内閣が法律を作ることができる」としました。ともに、非常に危険と言わざるを得ません。ナチスの全権委任法も、緊急時の例外として時限立法とされましたが、敗戦までの12年間、「例外」が生き続けることになったのです。

日本国憲法を形づくる3本の柱のうち、平和の柱を崩そうというのがアベ政治の悲願。そのための大きな仕掛けが緊急事態条項です。しかも、この緊急事態条項は人権や民主主義に後戻りできない傷をもたらす危うさを秘めているのです。

アベ政権になって以来、教育基本法が変えられ、特定秘密保護法が成立し、戦争法が強行されました。そして、今度は明文改憲に手が付けられようとしています。その突破口と目論まれているのが、緊急事態条項です。さらに、9条2項を変えて、「戦力」ではない自衛隊を、堂々たる一人前の国防軍とする。これが、アベ政治の狙いと言わざるを得ません。

60年の安保や、昨年の戦争法反対の国民運動が大きくなれば、国家緊急事態として、国防軍が治安出動もできるようになる。恐るべき近未来ではありませんか。

ぜひ皆さま、日本国憲法に対する本格的な挑戦である緊急事態条項創設に反対の世論形成に力を貸していただくよう、よろしくお願いします。

そして、その闘いの一環として、平和を擁護するための「戦争法廃止2000万人署名」にご協力ください。
(2016年2月9日)

「機密解禁文書にみる日米同盟」(末浪靖司著)から見えてくる、日米安保体制と9条擁護のたたかいの構図

本日は、日民協憲法委員会の学習会。末浪靖司さんを講師に、「『機密解禁文書にみる日米同盟』から読み解く日米安保体制と私たちのたたかい」というテーマ。

末浪さんは精力的にアメリカの公開された機密公文書を渉猟して、日本側が隠している安保関係の密約文書を世に紹介していることで知られるジャーナリスト。『機密解禁文書にみる日米同盟』は、その成果をまとめた近著である。

最初に、アメリカの文書開示制度と国立公文書館についての解説があった。
1789年フランス人権宣言15条には、「社会は、その行政のすべての公の職員に報告を求める権利を有する」と明記されている。フランス革命に先立って、独立革命をなし遂げたアメリカ合衆国第2代大統領アダムズ(独立宣言起草に参加)は、「政府が何をしているかを知るのは国民の義務」とまで述べ、これが公文書公開制度のモットーとなって、1967年制定の「情報の自由法」FOIA(The Freedom of Information Act)に生きている。その充実ぶりは、日本の外務省の外交文書公開の扱いとは雲泥の差。この10年アメリカ公文書館その他に通って、大要下記のことを確認した。

※アメリカ政府の憲法9条改憲の内的衝動と米軍の駐留
☆アメリカ政府内で最も早い時期に改憲要求を明確化したのは、ジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官(国際法学者)である。
アメリカの核独占体制がソ連の核実験によって破られ中華人民共和国が成立するという状況下の1949年11月4日、機密文書「日本軍隊の復活に関する覚書」の中で、「日本再軍備の決定は、憲法の『戦争と軍隊の放棄』をどうするかという決定と無関係ではない」とし、同月10日には、国務長官宛の機密覚書で、「日本軍復活に関して国務省のとるべき態度」との表題をつけて「米の援助と日本の資金・労力は米軍の駐留と強力な警察部隊の維持にあてられるべき」と述べている。
ハワードは、国務長官をはじめ国務省、国防総省などに論文、報告書をばらまいて自分の考えを売り込んだ。彼は、9条改憲を望みながらも、改憲が実現する前に米軍駐留を合憲とする理屈を考えた。50年3月3日付の極秘報告「軍事制裁に対する日本の戦争放棄の影響」には、「外国軍隊は日本国憲法9条が禁止する戦力ではない」「外国軍事基地は憲法の範囲内の存在」という、その後の安保そして砂川判決の論理が明記されている。

☆日本の再軍備と改憲要求は米軍司令部から出てきている
1950年8月22日ブラッドレー統合参謀本部長から国防長官宛の機密覚書「主題:対日平和条約」には、「アメリカは非武装・中立の日本に生じる軍事的空白を容認し続ける立場にはない。それ(軍事的空白の解消)は、万一世界戦争が起きた際に、アメリカの戦略と世界戦争に良い結果をもたらすだろう」
また、同年12月28日付統合参謀本部への機密文書「アメリカの対日政策に関する共同戦略調査委員会報告」では、「米国の軍事的利益は日本の能力向上により得られる。そのために憲法変更は避けがたい」と9条改憲の意向が明確化されている。
さらに、51年3月14日統合参謀本部宛の海軍作戦部長の機密覚書には、「日本が合法的に軍隊を作れるようになる前に、憲法の改定が必要になる」とされている。

☆1951年8月8日 統合参謀本部から国防長官へ、極秘覚書、主題:対日平和条約に関する文書 「行政協定により、ダレス訪日団が準備した集団防衛に参加する」。12月18日統合参謀本部から国防長官宛の機密覚書には、「統合参謀本部は、戦時には、極東米軍司令官が日本のすべての軍を指揮する計画である」。52年2月6日文書には、「行政協定交渉で米側提案:軍事的能力を有する他のすべての日本国の組織は、米国政府が指名する最高司令官の統合的指揮の下に置かれる」とされている。
こうして、旧安保条約が成立した。

※安保改定秘密交渉で改憲問題はいかに議論されたか
1958年8月1日 マッカーサー?(ダグラスマッカーサーの甥。)大使から国防長官へ、秘密公電は「適切な措置をとることが、安保条約を改定し、日本の軍隊を海外に送り出すことを可能にする憲法改定の時間をわれわれに与えてくれるだろう」としている。
8月26日 マッカーサーから国務長官への極秘公電には、「岸は自分が考えていることを大統領に知ってもらいたいと言って、友人としての最初のフランクな会話をしめくくった。——私は個人的には、岸が好む線で日本との安保関係を調整することが、われわれ自身の利益になると考える。」とある。
その岸は、同年10月15日に、NBC放送のインタビューで「日本が自由世界の防衛に十分な役割を果たすために、憲法から戦争放棄条項を除去すべき時がきた」と述べている。

☆58年10月4日帝国ホテルで藤山愛一郎とマッカーサーの秘密交渉が開始され、安保改定の原案が固まった。藤山は東京商工会議所会頭で、海軍省の顧問であり、東条内閣の終末を決めた岸とは親友の間柄。

折り合わなかったのは、藤山が安保条約第3,5,8条を「憲法の枠内」「憲法の制約の範囲内で」と提案。アメリカ側は「憲法の規定に従うことを条件として」という対案。結局アメリカ案で決着するが、この間の文書が興味深い。たとえば、59年6月18日マッカーサーからディロン国務長官への機密公電「われわれが提案した(「憲法の規定に従うことを条件として」などの)文言を[日本側が]受け入れることが難しいのは、憲法に自衛力に関するいかなる規定もないことからきている。反対に、憲法第9条では、陸海空軍を、その他の戦力とともに、日本が維持することを絶対的に禁止している。日本国憲法は、固有の自衛権を、したがって自衛隊の必要性を否定していないと解釈されている一方で、そうした能力が「憲法の規定に従うことを条件として」維持され発展させられるということは、法的に不可能である。なぜなら、憲法にはそうした規定がないからである。」

☆マッカーサー大使の情勢観
ダグラス・マッカーサー?(駐日大使)は、沖縄をはじめ、九十九里浜、内灘、妙義山、砂川、北富士、横田、立川、新潟、小牧、伊丹、木更津などの基地反対闘争、原水爆禁止と核持ち込み阻止を求める日本国民の運動に手を焼いたジョン・フォスター・ダレスにより日本に送り込まれた。マッカーサーが57年2月に東京に着任した時、日本はジラード事件や米兵犯罪で米軍に対する怒りが渦巻いていた。
危機感をもったマッカーサーは、4月10日岸信介と長時間にわたり密談し、「このままでは、米軍は日本から追い出される」と長文の秘密公電で日本の情勢を報告している。

報告はもっと多岐にわたるが、上記のことからだけでも、以下の事情がよく分かる。
1947年に施行となった日本国憲法は、その直後の冷戦開始以来、日米両政府から疎まれ改憲が目論まれる事態となっている。そのイニシャチブは常にアメリカ側にあり、改憲論を裏でリードし続けたのがアメリカ政府の意向であった。旧安保条約、改定安保条約が基本的にそのようなものであり、そしてガイドライン、新ガイドライン、さらには新新ガイドラインも同様である。

憲法を侵蝕する安保条約、ないしは安保体制の実質的内容は、アメリカの意向と日本の国民の闘いとの力関係で形づくられてきた。これが、末浪報告の核心だと思う。アメリカの意向とは、アメリカの軍事的世界戦略が日本に要求するところだが、実は軍産複合体の際限の無い戦争政策である。そして、これに対峙するのが、核を拒否し米軍基地のない平和を願う日本国民の戦後の平和運動である。

アメリカにおもねりつつ、9条改憲をねらっていた岸政権を倒した60年安保闘争が、あの時期の改憲を阻止した。そしていま、また安倍政権が、9条改憲をねらっており、その背後にはこれまでのようにアメリカがある。

末浪報告で、戦後の歴史の骨格が見えてきたように思える。詳細は、「機密解禁文書にみる日米同盟?アメリカ国立公文書館からの報告」(末浪靖司・高文研)を参照されたい。
(2016年2月5日)

季刊『フラタニティ』創刊号に「私はいかにして弁護士となったか」

季刊『Fraternity フラタニティ』が創刊され、明日(2月1日)が発行日となる。
フラタニティとは友愛のこと。フランス革命のスローガンとして知られている「自由・平等・友愛」の内、「自由・平等」は普遍的原理として世界に定着したものの、友愛が不当に軽視されている。日本国憲法の理念として友愛を根付かせることによって、憲法をよりよく活かそう、というコンセプト(だと思う)。雑誌のモットーが副題として「友愛を基軸に活憲を!」となっている。私も賛同して、編集委員のひとりとなった。編集長が村岡到、編集委員に西川伸一、吉田万三などの名がある。

資本主義社会の「競争」に対峙する原理としての「協同」の奥あるいは基礎に「友愛」がある。私は個人的にそう理解している。「友愛」を理念とする市民が、「競争」を行動原理とする企業をコントロールすることが、夢想ではなく可能ではないか。その基本は民主主義による企業統制だが、それ以外にも現実にいくつかの手法が成功しているように思う。

創刊号が刷り上がっているが、なかなかの出来だと思う。読ませるこの内容で、一冊600円は割安感がある。

ぜひ、下記のURLを開いていただいて、出来れば定期購読していただけたらありがたい。
  http://logos-ui.org/fraternity.html

創刊号の特集が「自衛隊とどう向き合うか」で、次の3本の記事がメインとなっている。
 村岡 到 「非武装」と「自衛隊活用」を深考する 
 松竹伸幸 護憲派の軍事戦略をめぐって
 泥 憲和 安保法制批判側が国民の支持を得られない理由
そのほかに、
 編集長インタビュー 孫崎 享 東アジア共同体が活路
 TPPを何としても止めよう!  山田正彦
 沖縄は今
 脱原発へ
 高野 孟 ジャーナリストの眼? 
 地域から活憲を? ねりま9条の会
 ロシアの政治経済思潮 ? 
 友愛を受け継ぐ人たち? 友愛労働歴史館
 わが街の記念館? 賢治とモリスの館
等々

創刊号の裏表紙に、編集長の「季刊『フラタニティ』創刊アピール」が掲載されている。「季刊『フラタニティ』は、「友愛を基軸に活憲を!」をモットーに刊行されます。」ではじまる創刊の辞は、かなりの長文で意気込みに溢れたもの。最後が「ともに〈活憲〉の時代を切り開いていきましょう」に収斂する。しかし、何よりもこの雑誌の性格をよく物語っているのは、欄外に小さな活字で書かれた編集長自身の次の文章である。
「〈付〉上記のアピールは小さな編集委員会でもいろいろ異論があります。一つの方向として、深く考える素材として発せられたものです。」

こういう、まとまりのなさを率直に明示しているところがこの雑誌の魅力である。多様な書き手のそれぞれの個性が、まとめられたり整理されたりすることなく、素のまま表れているのだ。

私も連載を引き受けた。「私がかかわった裁判闘争」というタイトル。5頁というスペースをもらっている。執筆を引き受けて、自分のこれまでの弁護士生活を振り返るよい機会だと思っている。編集長からの注文があって、その第1回で「岩手沿岸の『浜の一揆』訴訟」を取り上げた。自分で読み直してみて、結構面白いと思う。

その連載第1回の冒頭に、「私はいかにして弁護士となったか。」を書いた。
フラタニティ創刊号の予告編として、その一部を抜粋して引用しておきたい。抜粋でなく全文に興味が湧けば、ぜひ雑誌の購読をお願いしたい、という魂胆。

 実は、私こそが法が求める弁護士であると自負している。密かに自負していれば穏当なのだが、執拗に広言してやまない。
 「資格を持っているだけの弁護士」と「法が想定する弁護士」とは一致しない。「基本的人権の擁護と社会正義の実現」は、在野・反権力に徹し、かつ資本の支配に抗することによって初めて可能となる。それだけではない。この社会においては、権力は社会の多数派によって担われる。だから、社会の多数派が形づくる常識が、権力のイデオロギーとなる。毅然として権力と対峙するには、社会の常識に絡めとられてはならない。私は、意識的にこの社会の常識を排する。「和の精神」も、愛国心や国旗・国歌も大嫌い。民族の歴史・伝統・文化には馴染めない。その中核をなす國體思想には生理的嫌悪を禁じ得ない。
 そのような私だからこそ、最も弁護士らしい弁護士なのだ。現行法制度は人権擁護のために「弁護士という国家権力から独立した法技術者の職能集団」をつくった。その法の趣旨にもっとも適合的な弁護士像が、在野に徹し、資本に抗い、天皇制批判に躊躇しない私だと思っているのだ。

 啄木の「一握の砂」に、「わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く」という一首がある。啄木が詠んだから「歌」になっているが、散文にすれば唯物論の基本に過ぎない。「この社会において人が抱く思想は、すべて金なきに因する」か、あるいは「金あるに因する」かのどちらか。私が抱いた思想も、基本的に「金なきに因する」ものだった。
 「苦学生」とは今は死語になっているのだろうか。私はまさしく古典的な苦学生だった。高校卒業後はいっさいの仕送りなしの生活。奨学金とアルバイトだけでの自活だった。
 今はなき東大駒場寮に居住していた当時、寮生の自治運営だった寮食堂は格安だったが、その安い食費の捻出ができない寮生も多かった。そのような寮生に、「残食」という制度があった。夜8時頃だったろうか。ダンピングの「残食」にありつこうという寮生が列をなすのだ。経済的下層の学生が、「残食」グループを形成する。ところが、下には下がある。私ほか数名は、その列を尻目に、自由に掬える汁類をごっそりと漁るのだ。こちらは一汁だけだがタダの夕食。これを咎められた覚えがない。誰もが暖かく見守ってくれていたはずはないが、大目には見てくれていた。

 そんな学生だった私には、自分が企業への就職活動をするなどとイメージできなかった。公務員になることも考えられなかった。「資本の走狗にも、権力の尖兵にもならない」などと言えば格好は良いのだが、務まりそうはないというのがホンネのところ。芸術や文筆の才能あれば、その道で生きていきたいところだが、所詮は夢のまた夢。アルバイトで明け暮れた大学生活4年間が過ぎるころに、弁護士になろうと腹を決めた。
 志望の動機の最大のものは消去法である。他人に使われての勤めは自分には無理だ、と思い込んでいた。その自分にも、弁護士という自由業なら務まるのではないか。憧れたのは、飽くまで自由な生き方。誰にも束縛されず、他人におもねることなく生きる自由である。
 1969年3月に6年間在学した大学を中退し、4月に最高裁管轄下の司法研修所に入所して司法修習生、つまりは法曹の卵になった。当時の司法研修所は牧歌的で、少なからず学生生活の延長の雰囲気があった。私は、正規のカリキュラムよりは、課外の自主活動で有益な研修をした。その過程で、世の中の紛争はさまざまであり、弁護士も誰の利益を代弁するか、実にさまざまであることを知った。
 こうして、いくつかの「別の道」の選択もあったのだが、結局「金なきに因するわが抱く思想」に忠実であろうと心に決めて弁護士実務に就くことになった。権力の側、資本の側には就かない。強い側、多数派には与しない。こう心に決めての職業人生の出発だったが、しばらくして気が付いた。権力も資本も、私に事件の依頼などして来ない。だから、格別改めての決意など不要で初心を忘れずにいられる。こうして45年が過ぎ、いつの間にか、過去を語る齢になった。

 これまで私が携わってきた分野は比較的広い。それだけ、専門性は低いとも言える。労働・労災職業病・消費者・医療過誤・薬害・差別・政教分離・選挙運動の自由・教育・平和訴訟・「日の丸君が代」強制反対等々。なんとなく、「思想・良心の自由」のフィールドがライフワークとなっている感がある。その中から、今後いくつかの事件を拾って報告の連載をしてみたい。第一回は、私の故郷岩手で、始まったばかりの「浜の一揆」訴訟である。
(2016年1月31日)

気をつけようーあなたのお賽銭が改憲運動の資金になる

この正月、あなたは初詣に出かけただろうか。そして、神社にお賽銭を上げてはいないか。本来賽銭とは「祈願成就の際にお礼の意をもって神に奉る金銭のうち少額のもの」(「神道の基礎知識と基礎問題」小野祖教)なのだそうだ。つまりは、神と参拝者との間の「祈願契約」関係においては、神の側に祈願成就の先履行義務があり、賽銭奉納はあと払いという考え方。しかし、今日の善男善女はそうは考えていない。祈願成就には、先払いでお賽銭の奉納が必要というのが常識的感覚だろう。

だからあなたは神社に詣でて、家内安全・無病息災・就活成功・リストラ回避・国際平和・野党協力・アベ政権打倒・改憲阻止等々を祈願して、願いごとの成就を待たずにその場で、先払いのお賽銭を神に捧げたのだと思う。ところが、あなたは神に捧げたつもりでも、神に金銭を受領する能力はない。もちろん、その金銭を使う能力もない。では、あなたの捧げたお賽銭は、誰がどのように使うことになるのか。外からは見えないが、そのうちの幾分かは確実に憲法改正運動の資金にまわったと推察される。アベ・ビリケン(非立憲)政治の存続につながる運動の支援に使われるのだ。決して、改憲阻止のための資金にはまわらないことを心得ねばならない。

神社新報の年頭論説を同紙のホームページで読むことができる。
  http://www.jinja.co.jp/news/news_008544.html

これをお読みいただけば、多くの人の神社や神社本庁、そして神職神官に対するイメージが大きく変容することと思う。もしかしたら、神や神道そのものに対しても見方が変わるかも知れない。神社とは、宗教団体であるよりは政治団体なのだ。少なくとも、偏頗なイデオロギー集団である。こんなところに、初詣だの七五三だの、お参りはよしたがよい。お賽銭など決してくれてやってはならないと思う。

神社新報は、もともとが神社本庁の機関紙として発足したもの。そのホームページでは、「本紙が、神社本庁の機関紙でありながら、別の組織として存在することの意義について、…全国の神社関係者は改めて本庁設立当時に立ち返り、思ひを致すべきであらう。」という。「日本の神社人神道人たるの自覚」を訴えるその意義は、部外者にはよく分からないが、神社新報が神社本庁の機関紙ないし広報紙であることだけはよく分かる。

その神社新報年頭論説(2016年1月11日付)には、神社本庁の「国際情勢認識」と「国内政治状況認識」そして、「政治方針」が述べられている。原文に小見出しはないが、私が小見出しを付けて抜粋してみる。

「国際情勢認識ー世界は物騒で不安定だ」
 広く世界に目を向ければ、これまでの既存の国際秩序を覆し、新たな勢力配分を要求して世界の平和と安定を脅かす国や出来事が後を絶たない。このやうな物騒で不安定な国際状況の下では、いづれの国も身構へざるを得なくなる。
 ロシアは一昨年、ウクライナのクリミアを強引に併合した。EU諸国とは人と経済の面で制裁戦が続いてをり、日本もこれに関はってゐる。また共産党支配の中国の勢力拡大は、アジア共通の脅威だ。有無を言はさず南沙諸島を自国のものとして軍事拠点化し、その勢ひは東シナ海にも及び、わが国の海上輸送路を脅かしつつある。
 中東では、過激派組織ISがイラクとシリアにまたがる地域を支配し、仏露英米などと戦争状態が継続。世界各地で無差別テロを引き起こし、日本もその標的とされてゐる。
そのシリアでは百万人を超える難民が発生してをり、受け入れが大きな問題となってゐる。かうした世界の変動と不安定化は、軍事超大国の米国が「世界の警察官」としての役割否定を宣言したことから始まってゐるのである。

「国内政治状況認識ーまともな安倍内閣、非常識な民主党・共産党」
 国際社会では、力の強弱のバランスが崩れたとき、平和も崩れるといふのが常識だ。昨年、安倍内閣が一連の平和安全法制を構築し、日米安保の協力深化によってわが国の生存と安全をより確かなものにしようとしたのも、かういった国際情勢を見据ゑてのことだ。「戦争法」反対などと叫び、いまだに憲法違反を口実に廃棄を目指すなどと主張してゐる民主党や共産党は、もっとまともな国際常識に基づき変動する世界の厳しい現実を直視すべきではないか。

「政治方針ー悲願の憲法改正実現のために安倍自民党の大躍進を」
 今夏の参院選がこれからのわが国の進路を決定づける極めて大事なものとなる。それは我々の目指す憲法改正の条項や内容が、どの程度まで実現可能となるのかにも繋がってくるからである。憲法改正の早期実現のためには、何としても安倍首相の自民党に大躍進を果たしてもらひ、他の改憲指向政党とあはせて三分の二の議席に少しでも近づける努力をしてもらはねばならない。
 また次の参院選からは、改憲に際しての国民投票と同様に、十八歳からの若い人たちが投票に参加する。この若者たちに政治に関心を向けさせ、憲法改正の必要性と大事さを分かり易く説いて導く工夫も重要だ。我々は昨年十一月の武道館での一万人大会の成功で弾みをつけた憲法改正の国民運動を引き続き強化拡大し、所期の目標達成に全力を注がねばならない。

これはまともな宗教団体の年頭の辞ではない。極右政党か右翼団体、あるいはアベ自民党下部組織の言ではないか。私は、国家神道とは、天皇制と神道との人為的結合システムだと理解してきた。明治政府によって、神道が利用されたという図式を考えていたのだ。だから、天皇制との関係を遮断すれば、神道は純粋な宗教に戻るのではないかと考えてきた。

だが、どうやらそれは間違っているようだ。神社本庁に参集する8万と言われる全国の神社と神職たちは、根っからの国粋主義者の如くである。アベ政治とまことにウマが合うようなのだ。やや大人げない気もするが、こんな神社への参拝はやめよう、縁起物を買ったり、賽銭を上げるなど金輪際すべきではない。憲法を大切に思う立場からは。
(2016年1月13日)

憲法問題に関する年頭の辞「アベ政治 対 立憲主義・民主主義・平和主義」

年末には「本郷・湯島9条の会」紙へ原稿を届けたが、年始に「文京9条の会」の機関紙「坂のまちだより」から「年頭の辞」の執筆依頼をいただいた。
「2016年の年頭にあたって、思われることなどありましたら、なんでも結構です。内容はお任せしますので宜しくお願いいたします。」とのこと。近々、根津憲法学習会でも今年の憲法情勢に関して報告しなければならない。さて、「憲法」とりわけ「9条」に関して、年頭に何を語り、何を書くべきだろうか。

日本国憲法とりわけ9条にとって、2015年は重大な試練の年となった。安倍政権と自公両党による解釈改憲の動きの進展は、前代未聞の95日の会期延長の末、違憲の戦争法を成立せしめた。その強引な立法手続によって、憲法9条は大きく傷ついた。残念でならない。しかしその反面、この違憲立法に反対する国民運動が大きな盛り上がりを見せた。そして、「アベ政治を許さない」「野党は共闘」の声が、議事堂を揺るがせた。「立憲主義の危機」「立憲主義の回復」が広く自覚的な国民の共通認識となり、共通のスローガンとなった。これは憲法と平和への光明である。

2016年は、憲法への試練と光明の両側面がさらに厳しくせめぎ合うことになりそうだ。安倍政権は、けっして解釈改憲では満足しない。違憲立法の成功に味をしめ、さらなる軍事大国化と戦後レジームからの脱却を目指した明文改憲が目論まれることになるだろう。国会に改憲派の議席多数のいまこそ明文改憲のまたとないチャンスだと虎視眈々なのだ。

安部晋三は官邸での年頭の記者会見で、「憲法改正については、これまで同様、参議院選挙でしっかりと訴えていくことになります。同時に、そうした訴えを通じて国民的な議論を深めていきたいと考えています」と明言している。そのために、衆参両院の憲法審査会がフル稼働することになるだろうし、そこでの喫緊の焦点は緊急事態条項の新設ということになりそうだ。

他方、立憲主義を取り戻そうとする自覚した国民の側の運動も大きくなりそうだ。「戦争法の廃止を求める2000万人署名」の活動を軸に、多くの市民運動の大同団結が昨年に引き続いて発展している。その運動が背中を押す形で、戦争法廃止・立憲主義の回復・明文改憲阻止のための野党の共闘は、少しずつ形ができようとしている。安全保障をめぐっては、沖縄県民がオール沖縄の団結で安倍政権と激しく対峙している。全国からの支援が沖縄に集中し、全国が沖縄に学ぼうとしている。

昨年に引き続く試練と光明、そのボルテージの高いせめぎ合いが今年7月の参院選で激突する。3分の1の壁をめぐっての攻防である。その結果が今後の憲法状況を占うことになる。アベ政権の改憲野望を挫くか。改憲路線を勢いづかせるか。3月施行となる戦争法の具体的な運用や、自衛隊海外派遣の規模や態様にも大きな影響をもたらすことになる。そして、その前哨戦が1月17日告示24日投開票の宜野湾市長選挙。そして4月の衆院北海道5区補欠選挙。

2015年選挙のない年に、国民は政治を動かす主人公は自分自身なのだということを学んだ。そして、16年には選挙で直接に国政を動かすことができる。仮に7月参院選が総選挙とのダブル選挙となれば、まさしく直接にこの国の方向を決めることになる。

せめぎ合う主要なテーマは、昨年に続いて立憲主義・民主主義・平和主義である。明文改憲でその総体が問われることになる。その明文改憲の突破口が緊急事態条項。来たるべき参院選はまことに重大な位置を占めることになる。7月参院選の闘いは既に始まっている。遠慮せず、臆せず、言論の発信を続けよう。違憲の戦争法を強行したアベの手口を思い起こすだけでなく、口にしよう。黙っていては人を説得出来ない、状況を変えることもできない。憲法擁護を言葉に発しよう。平和の尊さを、民主主義の大切さを語ろう、そして文章に綴ろう。ハガキでも、封書でも、メールでも、ツイッターでも。言論の自由を最大限有効に活用して、ビリケン(非立憲)アベ政権による改憲の野望を打ち砕こう。

こんな骨子を与えられた字数にまとめることにしよう。
(2016年1月9日)

公布70周年?日本国憲法の試練は続く

戦後70周年の旧年(2015年)に続いて、憲法公布70周年の新しい年(2016年)の始動である。本日、首相の年頭記者会見があり、通常国会が召集され、アベノミクスの成否を占う東証の大発会もあった。解釈改憲の旧年から明文改憲の新年となりかねない、危うさを感じる。

首相年頭記者会の全文が官邸のホームページに掲載されている。
質疑前の首相のコメントは、我田引水の他愛のないもの。「昨年は、平和安全法制が成立し、私たちの子や孫の世代に平和な日本を引き渡していく基盤を築くことができました。」などという牽強付会のトーンの一色。

質疑応答なければそれだけのこと。幹事社からの質問が2問あった。そのうち1問が選挙情勢と改憲に関わる質問。その問と回答を掲載する。

(記者)
幹事社の西日本新聞です。今年は夏に最大の政治決戦となる参議院選があります。現在は自民党が115議席、公明党の20議席を加えて過半数に達しているような状況です。これを夏の参議院選では自民党単独で過半数を目指すのか、それとも、自民・公明におおさか維新の会などを含めたいわゆる改憲勢力で3分の2を目指すのか、勝敗ラインについてはどのように考えていらっしゃいますか。
それと、改めて参議院選の争点についてはどのように考えていらっしゃいますか。
また、更に衆院解散による同日選の可能性についてもお聞かせください。

(安倍総理)
まず、自由民主党と公明党の連立政権、この連立政権は風雪に耐えた、強固な連立政権と言ってもいいと思います。この安定した政治基盤の上に、「一億総活躍」への「挑戦」を初め、内政・外交の課題に決して逃げることなく、真正面から「挑戦」し続けていきたいと考えています。
参議院選挙においては、全ての候補者の当選を目指していくことは当然のことであり、それが自由民主党総裁の責務であろうと思います。その上で、自公での連立政権の下、安定した政治を前に進めるため、参議院において自公で過半数を確保したいと考えています。その勝利を勝ち取るために全力を尽くしていく考えであります。
憲法改正については、これまで同様、参議院選挙でしっかりと訴えていくことになります。同時に、そうした訴えを通じて国民的な議論を深めていきたいと考えています。
なお、衆議院の解散については、何度も同じことを申し上げて恐縮でございますが、全く考えていないということであります。
参議院の選挙のテーマは様々でありますが、3年間の安倍政権の実績に対する評価、そして、今、私たちが進めようとしている「一億総活躍社会」について、国民の審判をいただきたいと思っております。

これにどう見出しを付けるか、各紙のセンスが問われる。
朝日は、平板に「参院選『自公で過半数確保』 安倍首相が年頭会見」>とした。読売も「参院選『自公で過半数確保』…年頭会見で首相」。両紙とも、「改憲」の文字が出て来ない。

さすが東京新聞は「年頭会見、参院選で改憲争点化 首相、自公過半数目指す」とし、毎日は「首相年頭会見 改憲 参院選で訴える『国民的議論を』」と打った。「改憲争点化」「改憲 参院選で訴える」をアピールポイントとしたのだ。

ちなみに、産経は「『未来へ挑戦する1年に』『参院選で憲法改正訴える』『同日選は考えていない』」というもの。右派の立場で、右派なりに改憲に敏感なのだ。

それにしても、幹事社の質問がこれで終わりなのがもの足りない。
「参院選でしっかりと訴えることになる改憲のテーマは、どんなものをお考えですか」「憲法9条改憲については参院選の争点としますか」「昨年9月安保関連法成立時に、総理は『国民の皆様の理解が更に得られるよう、政府としてこれからも丁寧に説明する努力を続けていきたいと考えております』と言われました。あの説明はどうなりましたか」「まず、この点についての丁寧な説明なければ、憲法に関する国民的な議論は深まらないのではありませんか」「今年の参院選で改憲賛成の議席が3分の2に達しなければ総理在任中の改憲はあきらめざるを得ないと思いますが、いったいどの勢力を改憲賛成派とお考えですか」などと、突っ込んでもらいたかった。

さて、第190回通常国会が本日開会した。会期は6月1日までの150日間。参院選の日程から、会期の延長はないと言われている。問題は山積だ。が、今日のところの私の関心は、もっぱら共産党議員団が初めて開会式に出席したこと。玉座の天皇を見上げ、他党の議員たちと同様に、おとなしく「(お)ことば」を聞いたという。

私は、「日の丸・君が代」強制を受け入れがたいとする教員たちの訴訟を担当している。自らの思想、教員としての良心に忠実であろうとして、不利益を覚悟して起立・斉唱を命じる職務命令に毅然と不服従を貫いている尊敬すべき教員たち。その教員たちにとって、これまでは共産党こそが最も頼りになる支援の政治勢力であった。スジを通す、原則に忠実、けっしてぶれない、その姿勢を貫く共産党であればこそ、躊躇することなく懲戒処分を受けた教員の側に立って都教委を批判してきた。教員たちからの厚い信頼を勝ち得てもきた。共産党の「スタンド・バイ・ミー」の姿勢は今後も変わらないのだろうか。一抹の不安なきにしもあらずである。党勢拡大や国民連合政府構想推進のためとする大所高所に立っての天皇制やナショナリズムへの妥協。残念と言わざるを得ない。

憲法公布70周年(11月3日)を迎える今年。情勢は険しくも複雑である。その中での明文改憲をめぐるせめぎ合いは一層熾烈になるものと覚悟しなければならない。
(2016年1月4日)

アベ政権の「緊急事態条項」は、ナチスの「全権委任法」にそっくりではないか

2015年は憲法に大きな傷を負わせた解釈改憲の年だった。明けて16年は、明文改憲が話題の年となりそうな雲行きである。毎日新聞元日号のトップ記事が、「改憲へ緊急事態条項 議員任期特例 安倍政権方針」。そして2面に、「透ける『お試し改憲』 緊急事態条項 他党支持得やすく」という解説記事。見出しだけで内容がよく分かる。改憲勢力にとっても、阻止勢力にとっても、せめぎ合いの正念場が近づきつつあるという緊迫感を持たざるを得ない事態なのだ。

毎日新聞の記事は、「安倍政権は、大規模災害を想定した『緊急事態条項』の追加を憲法改正の出発点にする方針を固めた。」「安倍晋三首相は今年夏の参院選の結果、参院で改憲勢力の議席が3分の2を超えることを前提に、2018年9月までの任期中に改憲の実現を目指す」と、断定調。おそらくそのとおりなのだろう。

政権が目指す改憲の内容は、「衆院選が災害と重なった場合、国会に議員の『空白』が生じるため、特例で任期延長を認める必要があると判断した」というもの。このテーマなら、「与野党を超えて合意を得やすいという期待もある」という。

ニュースソースは「政権幹部」。その政治家が、「首相の描く改憲構想を明らかにした」「首相は在任中に9条を改正できるとは考えていない」「首相は自身が繰り返し述べてきた『国民の理解』を得やすい分野から改憲に着手するとの見通しを示した」という。

また、自民党の保岡興治衆院憲法審査会長が「今後は緊急事態条項が改憲論議の中心になる」と報告したのに対し、首相は「与野党で議論を尽くしてほしい」と応じたこともあげ、「衆院憲法審査会では、衆参両院議員の任期延長や選挙の延期を例外的に認める条項の検討が進む見通しだ」ともいう。

もっとも、毎日のこの記事、ややミスリードの気味もないわけではない。実害あって問題なのは、「一時的な私権の制限」が盛り込まれることで、「政治空白の回避策」(緊急事態における国会議員の任期延長)だけであれば、緊急事態条項提案の合理性を当然の前提としているように読めることである。実は「お試し改憲」などと安閑とはしておられない事態なのではないか。この点、大いに警戒を要する。

毎日の報道は、「自民党の改憲推進派は『最初の改憲で失敗すれば、二度と改憲に着手できなくなる』と懸念しており、首相も国会の議論を見極めながら、改憲を提起するタイミングを慎重に計るとみられる」というもの。これは、誇張ではない常識的な情勢の見方だが、このような情勢判断を含む毎日の記事全体が、政権の観測記事であろうということ。産経や読売ではなく、毎日へのリークであることに意味がある。おそらく、政権はこのような記事への世間の反応を見ているのだろう。

毎日の記事では、緊急事態の内容を《「政治空白の回避策」(緊急事態における国会議員の任期延長》と《「一時的な私権の制限」》とに二分し、前者であれば人畜無害の「お試し改憲」、後者なら「実質的な人権制約改憲」としている。

「政治空白の回避策」とは、衆院が解散後総選挙を経ての国会召集までの間に緊急事態が生じた場合、空っぽの衆院が緊急事態に対応できないではないか、という問題提起への対応策。なに、たいしたことではない。半数ずつ改選の参院が空っぽになることはない。二院制の存在理由の一つはここにある。憲法54条2項但し書きの「内閣は、国に緊急の必要あるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」を活用すればよいだけのこと。こんなテーマで、ことさら憲法改正の必要があるわけはない。

憲法は、硬く安定しているところに値打ちがある。現行の規定のままでは耐えがたい不都合が生じており、どうしても条文を変更しなければ不都合を解消できない場合以外には、軽々に変更をすべきではない。東日本大震災においても、事態への対応に憲法が桎梏となった事実はなかった。仮にあの事故が衆院解散中のものであったとしても、事情は変わらない。「54条だけでは大規模災害時の国会対応が不十分になる」という立論は、ためにするものとしか考えられない。要するに、改憲の立法事実が存在しないのだ。

自民党改憲の狙いは、もっと実質的な人権制約にある。「自民党改憲草案」(2012年4月)は、現行憲法にはない「第9章 緊急事態」を設けようと具体的な提案をしている。

そのさわりは、以下のとおりである。

「第98条(緊急事態の宣言)1項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

第99条(緊急事態の宣言の効果)1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、…国その他公の機関の指示に従わなければならない。」

法は「要件」と「効果」で書かれている。緊急事態の要件は、戦争・内乱・政府批判の大行動・自然災害…だけではない。国会で議席の過半数を占めた与党が、「法律の定めるところ」としてどこまでも広げる可能性を残しているのだ。そして、緊急事態の効果。政府の思惑で国民の人権を制約できるのだ。政権にとって、こんなステキな魅力的な魔法のカードはない。

悪名高いヒトラー・ナチスの全権委任法(授権法)は、国会放火事件を口実とする「民族と国家防衛のための緊急大統領令」に続いて登場した、緊急事態に備えての時限立法であった。その第1条「ドイツ国の法律は、憲法に規定されている手続き以外に、ドイツ政府によっても制定されうる」と、アベ・自民党の「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」の近似性に驚かざるを得ない。

大江志乃夫さんはその著「戒厳令」(岩波新書)の前書きで、次の趣旨を述べている。
「緊急事態法制は1枚のジョーカーに似ている。他の48枚のカードが形づくっている整然たる秩序をこの一枚がぶちこわす」

日本国憲法が形づくる、人権と民主主義の整然たる秩序の体系。これを根底からひっくり返すジョーカーが緊急事態条項なのだ。こんな物騒な緊急事態条項改憲を、危険なアベ政権の手に委ねてはならない。後戻りできない、不可逆的な効果を持ちかねないのだから。

さて、明日から始まる通常国会に目を離せない。
(2016年1月3日)

自民党改憲草案「緊急事態」条項は、立憲主義崩壊へのレッドカードだ

梓澤和幸・岩上安身・私、3名の共著『前夜?日本国憲法と自民党改憲案を読み解く・増補改訂版』(現代書館)が刷り上がった。発行日は2015年12月20日となっているその書物のお披露目の集会が本日あって、サインセールなどという慣れないことに手を染めた。150冊に自分の名前を書くのはひと仕事だった。

黒い帯に「危険な緊急事態宣言条項の導入を画策する 自民党のトンデモ改憲案は許さない」の白文字。この帯を外して裏返すと、雨に濡れても丈夫だというつくりのミニプラカードになっている。
このプラカードに、
「自民党改憲案・緊急事態宣言条項は 許さない」
の大きな文字。

この書は、戦争法「成立」が立憲主義を大きく傷つけた事態を踏まえて、さらに来夏の参院選が明文改憲への道を開きかねない重要な政治戦であることを強調している。そしてその明文改憲の具体的なテーマとして「緊急事態」条項に着目している。これが攻防の焦点となり得るとして警鐘を鳴らしているのだ。

自民党改憲草案は、「第9章 緊急事態」を新設し、現行日本国憲法にはない、次の2か条をおいている。

☆改憲草案「第9章 緊急事態」
「98条 緊急事態の宣言
1項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる

99条 緊急事態宣言の効果
1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。」

自民党の改憲草案「Q&A」は、第99条3項をつぎのように解説している。
「現行の国民保護法において、こうした憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかったことを踏まえ、法律の定める場合には、国民に対して指示できることとするとともに、それに対する国民の遵守義務を定めたものです。」
自民党改憲草案は、「国家の権限強化」と「国民の遵守義務」が大好きなのだ。

東日本大震災の経験を経て、なんとなく、この「国家の権限強化」と「国民の遵守義務」の創設を許容する雰囲気がありはしないだろうか。

本日の「前夜・増補版」サインセールとなった集会は、主としてこの改憲草案「緊急事態」条項をめぐる議論として設定された。私も、冒頭次のようなレポートをした。

※国家緊急権(規程)は、支配層にとって喉から手の出るほど欲しいものなのだ。
 緊急事態条項は、国家緊急権といわれるものの一態様。戦時・自然災害・その他の非常時の際に、憲法の例外体系を形づくって立憲主義を停止しようというものである。
 言うまでもなく、集中した強い権力は人権尊重理念の敵対物である。人権を擁護するために、権力を規制してその強大化を抑制するのが立憲主義なのだから、国家緊急権は、立憲主義を崩壊せしめて強大な権力を作るための恰好の武器なのだ。もちろん、改憲草案の「緊急事態条項」もそのようなものである。

※明治憲法下では、戒厳大権・非常大権・緊急勅令・緊急財政処分権限の明文規定が手厚く保障されていた。支配者にとって、これでこそ「皇国の安全が保持される」というもの。

☆大日本帝国憲法の国家緊急権規程
第14条(戒厳大権)
 1項 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
 2項 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム  
第31条(非常大権)
  本章(第2章 臣民権利義務)ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第8条(緊急勅令)
 1項 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
第70条(緊急財政処分) 
 1項 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得

※ヒトラーのナチス政権は、全権委任法(授権法)を制定して、政府が立法権を乗っ取った。
☆ナチスドイツの全権委任法(授権法)とは、正式名称を「民族および国家の危難を除去するための法律」(1933年3月23日成立)という。その条文は、全5条。主要な内容は以下のとおり。
「ドイツ国の法律は、憲法に規定されている手続き以外に、ドイツ政府によっても制定されうる。」「ドイツ政府によって制定された法律は、国会および第二院の制度そのものにかかわるものでない限り、憲法に違反することができる。」「ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。」

この法は、1933年から1945年まで猛威を振るった。この13年間に、政府が国会を通さずに作った法律が985件、国会が憲法本来の手続で作った法律は僅か8件だったという。緊急事態法が、立法権を乗っ取ったのだ。この緊急事態法によって、議会制民主主義は死滅した。

※「日本国憲法」は、そのような歴史の教訓を踏まえて、国家緊急権(規程)の一切を駆逐した。
最も徹底した人権保障システムとしての日本国憲法は、人権保障のダブルスタンダードを認めず、例外の体系を作らなかった。また、戦争放棄条項は、戦時の憲法体系を想定する必要がなく、国家緊急権(規程)は無用の長物なのだ。

※自民党改憲草案「第9章 緊急事態」は、大日本帝国か、第三帝国への回帰現象にほかならない。
自民党改憲草案の98条・99条が、旧憲法の緊急勅令制度にも、ナチスの全権委任法にも、瓜二つであることに留意しなければならない。

安倍政権は、旧天皇制政府の戒厳・非常大権規程が欲しいのだ。これは、「戦後レジームからの脱却」の重要テーマの一つである。また、ナチスの全権委任法のような「便利なものがあったらいいな」と思っているのだ。これが、「ナチスの経験に学びたい」のホンネではないか。
しかも、緊急事態に出動して治安の維持にあたるのは改憲草案では、「自衛隊」ではない。堂々の「国防軍」なのである。

※緊急事態条項は、トランプの12×4の安定した秩序の外にあって、1枚で他の48枚の秩序を破壊するジョーカーにたとえられる(大江志乃夫「戒厳令」岩波新書)。このジョーカーの最悪の使用例がナチスの全権委任法だった。

結論として、自民党改憲草案による「緊急事態」条項は
濫用なくても、「戦争する国家」「強力な権力」「治安維持体制」をもたらす。
しかも、その濫用の歯止めは期待しがたく、その濫用の危険は立憲主義崩壊につながる具体的なおそれがあると言わねばならない。来夏の参院選、何としても改憲阻止の結果を出さねばならないと切に思う。
(2015年12月9日・連続第983回)

神職こそ、日本国憲法擁護に徹すべきではないか。

神社新報(週刊・毎月曜日発行)は、株式会社神社新報の発刊だが、まぎれもなく神社本庁の広報紙。「神社界唯一の全国的メディア」を称し公称発行部数5万部という。全国の神職の数は2万人余とのことだが、神職を読者とした業界紙でもある。

その「神社新報」11月23日号の第2面に、「一万人大会を終へ 一千万署名と参院選に集中を」という表題の論説が掲載されている。部外者には、「何をスローガンとした一万人大会」であるか、「何を求めての一千万署名」であるか、また、なにゆえの「参院選に集中」であるか分かりにくいが、読者にはそんなことは言うまでもなく分かりきっているというタイトルの付け方。これすべて、日本国憲法改正を目指してのことなのだ。「安倍政権任期のあと3年が憲法改正のチャンスだ」、「今のうちになんとか憲法改正の実現に漕ぎつけなければならない」という、彼らなりの必死さが伝わってくる。

以下その抜粋である。論説だけでなく、記事全体が歴史的仮名遣いで統一されている。
「『今こそ憲法改正を!一万人大会』が十一月十日、東京・九段の日本武道館で開催された。当日は衆参両院の国会議員や全国の地方議会議員なども含め一万一千人以上の改憲運動推進派の人々が参集し、憲法改正を求める国民の声を真摯に受け止めてすみやかに国会発議をおこなひ、国民投票を実施することを各党に要望する決議をおこなった。

 昨年十月一日に『美しい日本の憲法をつくる国民の会』が設立されて以来、日本会議や神道政治連盟が中心となって国民運動を推進してきたが、すでに賛同署名は四百四十五万人に達し、国会議員署名も超党派で四百二十二人を獲得するに至ってゐる。これは大きな運動の成果であるが、今後なほ一千万の賛同署名の達成と、国会議員署名及び地方議会決議の獲得を目指して邁進していかねばならない。」

改憲署名運動が445万筆に達しているとは知らなかった。もっとも、署名簿にどのような改憲案に賛成なのかは記載されてなく、かなりいい加減なものという印象は否めない。とはいうものの、今後の目標が「1000万人署名」「国会議員署名」そして「地方議会の決議獲得」と、具体的に提案されている。護憲の運動は、確実に彼らの「この目標」と衝突することになる。

彼らなりの情勢分析は下記のとおりで、なかなかに興味深い。
「自由民主党は立党六十年を迎へた。…国会の憲法審査会での早期の審議促進を誓ひ、立党以来、変はらぬ党是としてきた『現行憲法の自主的改正』を再確認し、安倍晋三総裁のもとで必ず憲法改正を実現することの決意表明をぜひともおこなってもらひたい。

 先の国会における憲法審査会では、こともあらうに自ら選んだ参考人の憲法学者に安保関連法案は憲法違反と言はせる大失態を演じた。緊張感の欠如と言はざるを得ない。一連の安保法制は何とか成立を見たが、これは憲法九条改正までの、現在の厳しい国際情勢下におけるいはば緊急避難的措置に過ぎない。一方、これに反対してきた市民団体などが、『総がかり実行委員会』をつくって『戦争法』の廃止を求め、憲法を守る二千万人署名の活動を開始してゐる。勢ひを増してきた共産党がこれを応援し、同党で半分の一千万人署名を集めると表明してゐるのである。来年夏の参議院議員選挙が、改憲の大きな勝負時となってくるであらう。」

「来年夏の参議院議員選挙が、改憲の大きな勝負時となってくる」のは、まことにそのとおりだ。この勝負、負けてはならない。この点について神社新報のボルテージは高い。

「現在、憲法改正の秋がやうやく到来した。すでに衆議院では改憲派の勢力が三分の二に達してをり、安倍総裁の任期も三年ある。あとは来年七月の参院選で改憲派の勝利を目指して全力を集中することだ。参議院で改憲派が三分の二の議席を確保できれば、いよいよ国民投票に持ちこめる。」

しかし、論説の最後はややしまりなく終わっている。
神社界の中には未だ、なぜ神職が憲法改正の署名活動までやらなければならないのか、といった疑問を抱く人もゐると聞く。しかし、もしも神職が宮守りだけを務め、国の大本を正す活動に従事しなかったら、この国は一体どうなるのか。心して考へてみなければなるまい。我々自身の熱意と活動努力によって憲法改正はぜひとも実現しなければならないのである。」

「なぜ神職が憲法改正の署名活動までやらなければならないのか」。神社界の中にさえ、疑問はあるようだ。部外者にはなおさら分かりかねる。

この論説では、「神職が国の大本を正す活動に従事しなかったら、この国は一体どうなるのか」「憲法改正はぜひとも実現しなければならない」という。さて、「国の大本」とはなんだろうか。

安倍晋三の言う、「日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」とよく似たものの言いまわし。漠然としていて、分かる人だけにしか分からない。

神道政治連盟のホームページに次のような組織の解説がある。
「世界に誇る日本の文化・伝統を後世に正しく伝えることを目的に、昭和44年に結成された団体です。戦後の日本は、経済発展によって物質的には豊かになりましたが、その反面、精神的な価値よりも金銭的な価値が優先される風潮や、思い遣りやいたわりの心を欠く個人主義的な傾向が強まり、今日では多くの問題を抱えるようになりました。神政連は、日本らしさ、日本人らしさが忘れられつつある今の時代に、戦後おろそかにされてきた精神的な価値の大切さを訴え、私たちが生まれたこの国に自信と誇りを取り戻すために、さまざまな国民運動に取り組んでいます。」

ここに述べられている「世界に誇る日本の文化・伝統」「精神的な価値」「日本らしさ」「日本人らしさ」とは何なのだろう。この人たちにとって、取り戻すべき「自信と誇り」とはなにを指すのだろうか。

それが、どうも次の5項目らしいのだ。
・世界に誇る皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指します。
・日本の歴史と国柄を踏まえた、誇りの持てる新憲法の制定を目指します。
・日本のために尊い命を捧げられた、靖国の英霊に対する国家儀礼の確立を目指します。
・日本の未来に希望の持てる、心豊かな子どもたちを育む教育の実現を目指します。
・世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立を目指します。

キーワードは、天皇・改憲・靖国・教育・道義の5項目。だが、さっぱり具体的なことは分からない。むしろ、神職たちは次のように言うべきではないだろうか。

・現行憲法は、天皇の公的地位を、政治権力や宗教性から徹底して切り離すことで、天皇制を維持し安定したものとしています。私たち神職は、この象徴天皇制を擁護いたします。
・戦場に散った兵士だけでなく、敵味方を問わぬすべての戦争犠牲者を等しく慰霊することが神職たる私たちの務め。戦没者の慰霊を通して平和な社会の建設を目指します。
・日本の未来に希望の持てる心豊かな子どもたちを育むために、立憲主義・民主主義・平和主義、そして人権尊重の理念に徹した教育の実現を目指します。
・武力に拠らず平和主義の道義に徹することで世界から尊敬される国際的地位を目指すとともに、世界の貧困や差別の解消に貢献できる国家の確立を目指します。
・平和という日本の歴史と国柄をよく踏まえるとともに、世界の文明諸国と価値観を同じくする国家としての誇りを堅持するため、現行憲法を断固として護り抜きます。

そう。神職こそ、命と平和と自然を愛する立場から、断固として日本国憲法を擁護する立場を採るべきなのだ。そういえば、僧侶も同じだ。真摯な宗教者には、なべて護憲の姿勢がよく似合うではないか。
(2015年11月26日・連続第970回)

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