ボクのお父さんは、じえいたいのたいいんです。
いま、熊本で大じしんのひがいでこまっている人たちを助けるために、いっしょうけんめいはたらいています。いぜんには、大つなみの岩手にはけんされました。
お父さんは、ゆくえふめいの人をさがしたり、こわれた道をなおしたり、食べ物をくばったり、お風呂をわかしてはいってもらったり、みんなにとってもよろこんでもらえるおしごとをしています。
ボクはそんなお父さんが、とてもりっぱだと思います。
でも、友だちからきかれました。つなみもじしんもないときには、なにをしているのって。ボクにはよく分かりません。お父さんにきくと、くんれんをしているんだよ、といっていました。くんれんって、どんなことをするんだろう。
お父さんが、いつもいつも日本じゅうのこまっているひとを助けるおしごとをしていると、ボクもうれしいし友だちにもじまんできます。お父さん、いつも、こまっている人をさがして助けてあげてください。
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私の子供は、陸上自衛隊の隊員です。
今は、熊本に派遣されて、現地で被災者の救援活動に携わっています。東日本大震災の際には、岩手県の三陸に派遣されて、死者の捜索や瓦礫の撤去、道路の修復などの作業を担当しました。
子供は、津波や地震の救援活動をとてもやりがいのあることと考えて、生き生きと任務に当たっています。「被害者や地域の住民と直接に接して、自分が役に立っていることを実感できる」と言っています。
被災地への救援の任務については生きがいを感じる、という子供の言を裏返せば、それ以外の自衛隊員としての通常任務では、生きがいを感じてはいないのかも知れません。少なくとも、「自分が役に立っていることを実感できる」状態ではないようです。
私は、自分の父から先の戦争での辛い体験を聞かされて育った世代です。自衛隊の存在や活動にいろいろな意見があることも知っています。でも、子供が自衛隊員として被災地の救援活動をしているときには、自衛隊にも子供にも誇りを感じます。
できれば、自衛隊の中に、災害救助の専門部隊ができればよいと考えています。そうすれば、子供はきっと真っ先に配属を希望するでしょう。射撃や格技の訓練ではなく、災害救助の専門部隊としての訓練を重ね、国内だけでなく海外にも、人命救助や被災地の復興のための活躍の場を与えられたら、子供はどんなにか張り切ってはたらくことでしょう。
私の子供だけでなく、多くの自衛隊員がそう思っているのかも知れません。それならば、災害救助の専門チームをどんどん大きく増やしていって、自衛隊の名前も災害救助隊と変えてはどうでしょうか。被災地では、迷彩服ではなく、被害者からもっとよく目立つ服装に変えた方がよいと思います。そして、予算もオスプレイやヘリ空母や爆弾に使うのではなく、人命救助やインフラ復旧のための機材や資材の購入に切り替えてはどうでしょうか。
そうすればきっと、私の子供も生きがいを獲得できますし、多くの国民が自衛隊(名前を変えた災害救助隊)を大切に思うようになることでしょう。
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私の夫は、自衛隊員です。今は、熊本で災害援助に当たっています。東日本大震災の際には、三陸の大槌町に派遣されていました。普段は、肩身が狭いような気持になることもすくなくないのですが、テレビで、被災地の自衛隊の活躍を見ると、とても誇らしい気持になります。
夫も、派遣された被災地での災害救助活動には、身が入っている様子です。夫の本来の任務が救援の活動であればよいと思い続けています。
私には、自衛隊という存在が平和のための抑止力になっているのか、それとも近隣の国々への脅威となっているのか、判断はいたしかねます。ただ、一ついえることは、夫の自衛隊員としての奉職は専守防衛のためと信じてのことです。防衛の任務が、国内だけでなく、海外であり得るとは長く考えたこともありませんでした。
ところが、最近急に風向きが変わってきて、心配でなりません。昨年9月には戦争法とも言われる安保関連法が、大きな反対運動を押し切る形で成立しました。難しくてよく理解できない「存立危機事態」には、海外にも防衛出動ができるようになって、夫にも派兵の出動命令が出されるかも知れません。それだけでなく、海外での後方支援活動でも戦闘行為があり得るというのです。
自衛隊は軍隊ではない、国防軍でもない。だから、けっして海外で戦争することはないと考えていたのですが、話しが大きく食い違ってきています。
夫は、人のために黙々とはたらくことが大好きな好人物です。被災地で、被災者のためにはたらくことを厭うはずはありません。そんな夫が、海外で戦闘に巻き込まれるような危険な任務を与えられぬよう、祈るばかりです。
(2016年4月21日)
いよいよ、市民主体の選挙戦が幕を開けた。本日(4月12日)、京都3区と北海道5区の衆院補選の告示である。いずれも投開票は4月24日。これが、今年の政治決戦のプラスのスパイラルの発火点。ドミノ倒しの最初の一コマだ。アベ政権には、これがケチのつきはじめ。
平和や人権に関心をもつ国民にとって、第2次アベ政権は3年も続く悪夢だ。しかし、ようやく「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」となる終わりの始まりがやって来た。
京都3区は自民の不戦敗で、自民の議席減1は闘いの前から決まった。自公の議席の増には憲法が泣き、議席の減には憲法が微笑む。京都でも、少し憲法が微笑んだ。
しかし、天下分け目は北海道5区だ。この選挙区の勝敗は、単なる1議席の増減ではない。その後に続く、参院選と総選挙の野党共闘の成否がかかっているのだ。政党レベルでは、民・共・社・生の4党だが、実はその背後に広範な市民の後押しがある。野党共闘とは、野党支持者を単純に束ねただけのものではない。「野党は共闘」とコールを上げる無党派市民が支えているのだ。その典型としての「北海道5区モデル」が成功すれば、正のスパイラルが動き出す。ドミノ倒しが始まるのだ。
ブロガーは、今日からは大いにブログでツイッターで池田まき候補の応援をしよう。虚偽や誹謗はいけない。しかし、アベ政権や、自公与党への批判に何の遠慮も要らない。今、最大の問題は戦争法の廃止であり、明文改憲の阻止である。そのための池田候補を徹底して応援しよう。せっかく、そのような選挙運動が自由になったのだ。大いに活用しようではないか。
一昨日(4月10日)の日曜日、千歳市で開かれた池田陣営の街頭演説会が象徴的だ。3700人の聴衆に、6人の弁士が池田候補推薦の弁を語った。ジャーナリストの鳥越俊太郎、SEALDsの奥田愛基、「安保関連法に反対するママの会」の長尾詩子、「市民連合」の山口二郎、そして「戦争させない北海道をつくる市民の会」の前札幌市長・上田文雄弁護士だという。政治家がいない!のだ。
集会の名称が、「千歳から、未来の日本を考える」。意気込みは、「北海道5区から、市民の力で平和な日本を切り開く」というもの。たいへんな盛り上がりだったと報じられている。
参加者の共通の思いは「平和」だ。平和な日本の未来を願う人びとにとって、アベ政権は危険きわまりない。その暴走にストップをかけないと、日本は本当に戦争をする国になってしまう。その危機感が、反アベ、反自公の共闘を成立させているのだ。
いま日本の平和のために最も必要なことは、選挙に行くことだ。選挙に行って、反アベの野党共闘候補に投票することだ。自公政権の候補者を落選させて、改憲を阻止することだ。「戦争に行くな」「投票に行こう」。このスローガンで、反アベの野党共闘を応援しよう。
ドミノ倒しを警戒するアベ政権は、北海道5区で負けたら衆参のダブル選挙は回避するだろうと言われてきた。ところが急に空気が変わっている。「北海道5区で負けたらどうせジリ貧。それなら早い総選挙の方が傷が浅く済む」という、与党内の声があると報じられている。つまりは、全国の衆院小選挙区での野党共闘が十分に進展せず、統一候補が決まらないうちの抜き打ち解散が与党に有利という読みなのだ。
しかし、ダブル選挙はそれこそ壮大な歴史的ドミノ倒し実現の場となる公算が高い。すべては、アベ政権を倒すに足りる野党共闘の成否にかかっており、野党共闘の成否は市民の後押しの声如何にかかっている。
がんばれ、池田まき候補。がんばれ、4野党。そして、がんばれ5区の無党派市民。全国の市民たちよ。
(2016年4月12日)
本日、天気晴朗なれども、空気が重い。
2016年3月29日零時。戦争法が施行となった。その第一日目の今日、昨日とは違う日本である。これまでは、「専守防衛の立場からの個別的自衛権発動は例外としても」、戦争を政策の選択肢に入れてはならないとする日本であった。今日からは、政権による「存立危機事態」の判断さえあれば、世界中のどこででも戦争を行うことができることになったのだ。駆けつけ警護も、他国軍への武器運搬等の支援もできることになった。日本に敵対をしていない第三国への開戦は、当然のことながら、当該国からの反撃を覚悟の上でのことになる。その場合、日本国内のどこもが標的目標となる。
この戦争法は明らかに平和憲法に違反している。しかし、最高裁がこれを違憲と判断しうるだろうか。心もとないといわざるを得ない。よもや合憲と宣言することはありえないが、敢えて判断を避けることになる公算が高い。もっともらしい理由を付けながらも責任を放棄して判断を回避する、結局は逃げるのだ。
できることなら、違憲の法律を国民の意思の表明として廃止したい。国会は唯一の立法機関だが、「立法」とは、法律の制定だけでなく、改正も廃止も含むことになる。国民世論が選挙結果に結実して、「戦争法違憲派」が国会の過半数を制すれば、戦争法の廃止が可能となる。来たるべき参院選をそのような選挙にしなければならないと思う。
その戦争法施行第一日目に、文京区革新懇が中心となって企画した浜矩子講演会があった。演題が、「グローバル時代の救世主、それが日本国憲法」というもの。
冒頭に、日本国憲法前文の「諸国民との協和による成果を確保し」というフレーズを引用して、「これこそ、21世紀のグローバル時代を見通した」名言であって、今や「誰もが世界とつながり、だれもがひとりでは生きてゆけない時代となっている」ことが強調された。
安倍首相が唱える「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」のスローガンは、「大日本帝国」時代への復古にほかならない。当時の経済政策は強兵のための富国であり、植民地侵略の経済戦略としての大東亜共栄圏構想であって、グローバル時代のものではあり得ない。
昨年4月、安倍首相は笹川平和財団アメリカ支部での講演で「アベノミクスと私の外交政策は表裏一体」と語っている。経済政策の目的を外交安全保障と一体と位置づけることの危険は国際的に確認されていること。本来の経済政策の目的とは、経済の均衡が破綻したときの回復と、経済的弱者救済の二つに限定されなければならない。経済の均衡破綻とは、極端なデフレとハイパーインフレを典型とし、これによって傷つくのはまさしく弱者だ。アベノミクスは、弱者の救済ではなく、「富国強兵」を目的とするものなのだ。
今回、新3本の矢で、GDP2割増の600兆円にするというのも、国防費を増やすことが目的。TPPも防衛戦略が目的とされている。アメリカ議会での安倍演説では「その経済効果には、戦略的価値がある」と言っている。これは、TPPではなく、TYP(とっても、やばいパートナーシップ)と呼ぶべきだろう。
強調されたことは、「アベノミクスを政権維持のための民心収攬手段」と考えるのは大きな間違いで、「危険な富国強兵策そのもの」ととらえなければならない、ということ。
経済の講演を期待したものの、むしろ憲法の話しとなった。印象的だったのは、やや年齢層の高い聴衆の真剣さである。戦争法施行第一日目にふさわしい講演会となった。
(2016年3月29日)
第83回自由民主党々大会にあたり、党総裁としてごあいさつを申し上げます。
大変お忙しい中、こうしてたくさんのおカネをいただいているスポンサーのみなさまにお集まりいただきました。党を代表して厚く厚くお礼を申し上げます。
厳しい時も困難な時も、我が党をカネで支え続けていただいたみなさまのお力でわれわれは昨年60年の歴史を刻むことができました。そのことを決して忘れずに、スポンサーの信頼あっての我が党であることを胸に刻み、これからも国民には上から目線で説明が足りないなどと批判はされようとも、スポンサーの皆さまには謙虚にしっかりと寄り添って歩みを進めて参ります。
先ほど友党の代表から、温かいごあいさつをいただきました。本当にありがとうございます。風雪に耐えた、我が党と御党の連立政権の基盤の上に今後も着実に財界奉仕と憲法破壊の実績を積み重ねてまいりましょう。
そしてスポンサーを代表して今年も、経団連の榊原会長から力強いごあいさつをいただきました。本当にいつもありがとうございます。末永く、持ちつ持たれつ。ますますのご支援をお願いするとともに、前もってのお礼を申し上げたい(会場:笑)、こう思う次第です。
昨年は敗戦から70年の節目の年でありました。先の大戦では、帝国の行く末を案じ皇室の弥栄を念じつつ、300万余の日本人が尊い犠牲となりました。この尊い犠牲の上に、現在の私たちの平和と繁栄があります。近隣諸国の民衆の死については、私がとやかく申しあげる立場ではございません。我が党は、けっして自虐史観には立たないのです。私は靖國に合祀されている死者の無念をかみしめ、靖國の神々の言葉に耳を傾けて、再び日本人の命と幸せな暮らし、日本の領土と領空、そして美しい海を、敵の手から守り抜いていくという大きな責任を再確認しなければなりません。そのための平和安全法制であり、戦争準備法制なのです。
日米安全保障条約改定時、またPKO法制定時、昨年の平和安全法制制定時には、相も変わらず「日本は戦争に巻き込まれる」「徴兵制が始まる」などという無責任な批判が展開されました。しかし、皆さん、私はけっして「日本が戦争に巻き込まれる」事態にはならないことをお約束します。巻き込まれるは、受動的に、心ならずも戦争に参加するという意味ではありませせんか。私は、必要なときには主体的に、そして積極的に、果敢に勇躍して戦争を始めることを躊躇しません。それが、1億総国民の命と安全に責任を持つ指導者のありかたであると確信いたします。
政財界の皆さまのなかには、我が党の議論にお詳しい人ほど、「徴兵制が復活するのではないか」「そんなことになったら、身内の者にも赤紙が来る」とご心配あるやに伺っていますが、けっして、徴兵制の復活はあり得ません。私が保障します。
広く知られているとおり、我が党の経済政策は、国民に格差と貧困を甘受させるものです。幸いに、日本国民は「格差と貧困」の進展にさしたる違和感なく、我が党の支持率は落ちていません。制度としての徴兵制を敷くことなくとも、格差と貧困の底辺には、必ずや軍役で糊口を凌ごうという十分な兵役希望の予備軍が沈殿しているのです。兵役に従事するものは、この層から十分にリクルートが可能なのです。けっして、我が党のスポンサーの皆さま方の大切なご子息を戦場に送るような愚をおかすことはありません。党総裁のワタクシが、完全にブロックすることを明言申しあげます。
なお、率直に反省の気持を込めて申し上げます。これまで私たちの先輩方は、毅然として日本国憲法の平和主義を壊滅させることに不十分でした。憲法を壊そうとして国民の抵抗に遭って果たせず、十全の戦争体制を構築することにおいて不徹底の誹りは免れません。そのため、日本国憲法は70年間一字も手を付けることができないまま生き残り、これを支持する国民世論も健在です。ですから、残念ながらいまだに我が国は、主権国家として戦争の一つもできない状態が続いているのです。これでは近隣諸国から侮られてもやむを得ないではありませんか。平和安全法制という名の戦争法が制定されても然りなのであります。
それでも、先般北朝鮮が弾道ミサイルを発射した際、日米は従来よりも増して緊密にしっかりと連携して対応することができました。戦争準備もやむなしとする世論も多少は大きくなったような気がして心強い限りです。北の指導者には、よいタイミングで行動を起こしていただいたことに、御礼を言いたい気持なのであります。
日本を守るためにお互いが助け合うことができる日米の軍事同盟は、その絆を間違いなく強くしたんです。この平和安全法制を、民主党は共産党とともに廃止しようとしています。みなさまご承知のように、共産党が一番悪い。共産党が諸悪の根源なのです。ナンデモハンタイ、キョーサントー。
共産党は、平和を守るなどと言います。けっして戦争はしない。そのために、軍隊の存在は危険だ、などと平気で口にします。「憲法9条は非武装中立を求めている」「安保条約は軍事同盟だから、日本をアメリカの戦争に巻き込む危険がある」などと、彼らの主張はとんでもないことなのです。それだけではありません。格差も貧困もあってはならないなどと、これも本気になって危険なことを口走っています。こんな危険な政党と、民主党は野党共闘をしようというのです。
共産党の目標は自衛隊の解散です。直ちに解散という方針はもっていないようですが、自衛隊は存在する間は活用しつつも、いずれは災害援助隊などに再編成していく方針ではありませんか。量的にも質的にも軍事力を拡大強化しようという我が党の方針とは明らかに真逆な立場です。そして、共産党は日米安保条約を廃棄しようというのです。その上で、軍事同盟ではない、対等平等で平和な日米関係を構築しようなどと怪しからんことを言っています。
先に私は、国会で民主党議員に、「ニッキョーソ」「日教組はどうした」と野次を飛ばして、世の顰蹙を買いました。しかし、それくらいのことに怯む私ではありません。今度は民主党議員に「キョーサントー」「キミは共産党か」と、悪口を言ってやりたいと思っています。
ホントのことを言うと、野党共闘が成立したら、我が党に脅威であることは誰が見てもお分かりのこと。我が党は、スポンサーの皆さまとその息のかかった方々にはウケがよろしいのですが、広範な勤労者や農漁業者、経済的苦境にある地方、ママの会などの女性にはまことに評判が悪うございます。ですから、常に薄氷を踏むが思いで、どうしても野党共闘を切り崩さねばなりません。そのための切り札として、私自身が反共攻撃の先頭に立つことをお誓いいたします。
たとえば、こんなふうではいかがでしょうか。
(拳を振り上げて)「選挙のためだったら何でもする。誰とも組む。こんな無責任な勢力に私たちはみなさん、負けるわけにはいかないんです。」(拍手)
今年の戦いの構図は固まりつつあります。軍備を整えて戦争も躊躇することのない気概を内外に示すことで国家と国民を守ろうという「自・公連立政権」と、近隣諸国との友好関係を発展させて平和を守ろうなどと甘いことを言っている「民共の野党勢力」との戦いなのです。
昨年の9月時点では、我が党も内閣も、大きく支持率を下げてヒヤッとしましたが、何よりも賢い国民の忘却と無関心が我が党の強い味方。なんとか持ち直しそうではありませんか。
最後に強調しておきたいと思います。今年18歳、19歳の若いみなさんが、初めて1票を投じます。この若い皆さんたちご自身の未来のために、戦争も軍役も辞さない覚悟をさせることができるのは、私たち、自由民主党だけなのであります(大きな拍手)。ともにがんばろうではありませんか。
(2016年3月14日)
さて、今日はクイズである。
ある識者が、政治と運動の情勢について、次のとおりの発言をしているという。この発言をお読みになって、発言の主が誰だか当てていただきたい。
この問題の正解者はたいへんな知恵者だ。尊敬に値する。このクイズの出題者は、さらに高い知性の持ち主。もちろん私ではない。憲法学者の横田耕一である。
「強行採決をめぐって、これだけ広範な層からこれだけの批判が高まっているのに、何故、政府与党は馬の耳に念仏の態度で押し通そうとするのでしょうか。…むろんそこには種々の背景があります。しかし根本の由来はここ数年来の政府の相つぐ憲法じゅうりんのやり方を私達国民が結局のところ黙って見過ごして来たところにあると私は考えます。一たび既成事実をさえ作ってしまえば、一時は世論がわきたっても、やがては権力の無理押しが通って行くという事態がこれまでに重なってきたからこそ、ああいう議会政治の常識では考えられないやり方をして政府は平然としているのです。権力はもし欲すれば何事でも強行してそれに法の衣をかぶせることができるということになれば、それは民主主義の基本原則の破壊にほかなりません。私たち国民は今こそこうしたやり方にストップをかけなければ、人民主権も、したがって私たちの幸福追求の権利も、政府の万能の権力の前に否定される結果になるでしょう…。政府の権力濫用にたいして憲法や法律は本当に歯どめとして効いているのかいないのか、私たち主権者としての国民がそうした権力の歯どめとして憲法を生かす力をもっているのかいないのか、それがいままさに試されようとしております。これが現在の根本の問題点です。」
多くの人が、昨年9月の戦争法の強行採決を思い浮かべたはず。この発言の時期は、まさしく今であろう。樋口陽一さんの発言ではないか、あるいは中野晃一さんかと思った人が多かったのではないか。残念、みんなハズレだ。
正解は丸山眞男なのだという。60年安保闘争のさなか、「民主主義をまもる音楽家の集いへのアピール」として書かれた一文だそうだ。多分正解者はいないだろう。
私も、まさかこの一文が、半世紀前の60年安保の際の運動体への語りかけとは思わなかった。いまとなんとよく似た状況での、よく似た問題提起ではないか。
本日郵送された「月刊 靖国・天皇問題情報センター通信」(通算510号)の巻頭言「偏見録」として横田が書いた論文である。題して「既視感(デジャビュー)」。
横田は、上記丸山の論説を引いて、「60安保闘争は『狭義の安保闘争』ではなかった。」という。むしろ、「強行採決を境に、『安保に賛成の者も、反対の者も』含めた、『国会解散・岸を倒せ!』をスローガンとする『民主主義を守れ!』で、運動は飛躍的に拡大した」という。このことは、「『安保法制』強行採決に9条改正論者も含めて『立憲主義を守れ!』で反対している状況に似ていはしないか。」という。これが、表題を「既視感」としている所以だ。
さらに問題は、この先にある。
「60年安保の盛り上がった運動も、6月19日の『自然承認』によってほとんど終息し、学生たちが行なった『帰郷運動』は厚い土着の人びとの壁に跳ね返された」そして、「12月の衆院選挙では296議席を獲得して自民党が大勝した」と指摘する。さて、いまはどうだろうか。
横田の現状の見方は次のようなものだ。
「各地で運動は継続されているものの、残念ながら一時期の熱気は冷めつつあり、諸調査機関が示す安倍内閣の支持率は、世論調査のはらむ欠陥を認めても、低下しないばかりか増加傾向すら示しており、自民党の支持率は他党を圧倒している。選挙では、「立憲主義・安保法制」のみが争点にならないことも加味すれば、今夏の参院選挙(衆参同日選挙?)で、与党に打撃を与えることはかなり困難であり、60年末の衆院選挙の敗北が目にちらつく。」
シビアな現状認識である。60年には高揚した運動は「厚い土着の人びとの壁」に跳ね返された。いま、同じことが繰り返されはしないか。そのような無力感や敗北感に陥って「60年」の二の舞に陥ってはならない、と警告されている。しかし、たどうすればよいのか、簡単に答が見つかる問題ではない。
60年の丸山の言葉を振り返ってみよう。
「ここ数年来の政府の相つぐ憲法じゅうりんのやり方を私達国民が結局のところ黙って見過ごして来た」「私たち主権者としての国民がそうした権力の歯どめとして憲法を生かす力をもっているのかいないのか、それがいままさに試されようとしている」。これが、当時の運動の前に立ちはだかった壁だ。「主権者としての力量(不足)の壁」である。そして、今、当時と同様の立ち向かうべき壁があり、乗り越えなければならない壁となっている。
横田はいう。「この壁を崩さない限り個々の運動は実を結ばないように思われる」。この壁とは、かつて帰郷運動の学生たちをはね返した「厚い土着の人びとの壁」と等質のもの。
おそらくは、運動が後押ししての野党共闘の成立こそが、「この壁を突き崩す」唯一の切り札である。それなくしては、再び厚い土着の壁に阻まれてしまうことになる。まさしく、「既視感(デジャビュー)」である。
(2016年3月13日)
高等学校生徒諸君
プラカードを高く掲げて街頭に躍り出た諸君よ
AGAINST WAR LAW
GO VOTE
諸君こそは
颯爽たる未来圏から吹いて来る
透明で清潔な風そのものだ
諸君はこの時代に強ひられ率いられて
奴隷のやうに忍従することを拒絶した
自らの手で
自由と平等と平和な未来を築こうと
声を上げた
AGAINST WAR LAW
GO VOTE
今日までの歴史を論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
社会の不合理と不平等とは
意識的に温存されてきた
これを打ち砕こうとする心ある人々の
力や行動はいまだに足りない。
むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ
AGAINST WAR LAW
GO VOTE
諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
時機を失してはならない
もう少し様子を見てから
経験を積んでから
そんなことを言ってゐるひまがあるか
さあ、われわれは一つになって
AGAINST WAR LAW
GO VOTE
新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て
衝動のやうにさへ行われる
すべての労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
芸術の域にまで高めよ
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
AGAINST WAR LAW
GO VOTE
潮や風、歴史や科学、知と友愛と……
あらゆる価値あるものを用ひ尽くして
諸君は新たな世界を形成するのに努めねばならぬ
戦争法廃止の声を上げつつある若者よ
君たちの目の前に、
君たちの受け継ごうとしているこの世の現実がある。
富を持つ者が支配者となり、
権力を持つ者が富を持つ者に奉仕するこの社会。
不本意ながら、これが現世代の君たちへの遺産だ。
富を持つ者はさらに収奪をくわだて
権力を握る者は、持たざる者の抵抗を押さえつける。
富める者、力ある者に、正義も理想もない。
巨きなる理想もて、卑小なる現実を拒否せよ
ああ諸君こそはいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じつつあるのだ
AGAINST WAR LAW
GO VOTE
(2016年2月22日)
水島朝穂さんのメルマガ「直言」は、胸のすくような鋭い切れ味に貴重な情報が満載。教えられることが多い。
http://www.asaho.com/jpn/index.html
その最近号は、明日(2016年1月11日)付の「メディア腐食の構造―首相と飯食う人々」というタイトル。ジャーナリストたる者が、「首相と飯食う」ことを恥ずべきことと思わず、むしろ、ステイタスと思っている節さえあるのだ。この人たちに、アベとともに喰った飯の「毒」が確実にまわっているという指摘である。その指摘が実に具体的であるところが切れ味であり、胸のすく所以である。
かなりの長文なので、私なりに抜粋して要点をご紹介する。ぜひ下記の原文もお読みいただきたい。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0111.html
水島さんは、「10年でメディアの批判力はここまで落ちたのか。劣化度は特にNHKに著しい」と嘆く。アベ政権は、「政府が右と言うときに、左とはいえない」という会長人事や、経営委員会に百田・長谷川のような右翼を送り込むだけでなく、論説委員や記者への接触によって籠絡していることを具体的に語っている。
批判力の劣化を嘆かざるを得ないNHK政治部記者3人の名が出て来る。まずは、ご存じ岩田明子(解説委員・政治部)。
この人は、安倍首相の「想い」を懇切丁寧に読み解いて、「安倍総理大臣は、日本が再び戦争をする国になったといった誤解があるが、そんなことは断じてありえないなどと強調しました。安倍総理大臣は行使を容認する場合でも限定的なものにとどめる意向で、こうした姿勢をにじませ、国民の不安や疑念を払拭すると同時に、日本の平和と安全を守るための法整備の必要性、重要性を伝えたかったのだと思います」と言っている。客観報道ではなく、「忖度報道記者」なのだ。
ついで、田中泰臣(記者・政治部)。
「その『解説』はひどかった。例えば、採決を強行した安倍首相を次のように『弁護』していた。
『安倍総理大臣とすれば、安全保障環境が厳しさを増しているなか日米同盟をより強固なものにすることは不可欠であり、そのために必要な法案なので、いずれ分かってもらえるはずだという思いがあるものとみられる。また集団的自衛権の行使容認は、安倍総理大臣が、第1次安倍内閣の時から取り組んできた課題でもあり、みずからの手で成し遂げたいという信念もあるのだと思う。』」これも典型的な忖度記者。
そして3人目が、島田敏男(NHK解説副委員長)。この人の名は、まずはアベの「寿司友」の一人として出て来る。もっぱら、西新橋「しまだ鮨」での会食なのだそうだ。
「メディア関係者との会食も、歴代政権ではかつてなかった規模と頻度になっている。このことを正面から明らかにしたのは、昨年の『週刊ポスト』5月815日号である。それによると、安倍首相は2013年1月7日から15年4月6日まで、計50回、高級飲食店で会食している。記事の根拠は、新聞の「首相動静」欄である。首相と会食するメンバーは、田崎史郎(時事通信解説委員)、島田敏男(NHK解説副委員長)、岩田明子(同解説委員)、曽我豪(朝日新聞編集委員)、山田孝男(毎日新聞特別編集委員)、小田尚(読賣新聞論説主幹)、石川一郎(日本経済新聞常務)、粕谷賢之(日本テレビメディア戦略局長)、阿比留瑠比(産経新聞編集委員)、末延吉正(元テレビ朝日政治部長)などである。
首相とメディア幹部がかくも頻繁に会食するという「腐食の構造」は、それまでの政権には見られなかったことである。「毒素」は、メディアのなかにじわじわと浸透していった。」
島田敏男への「毒素」のまわり具合については、水島さん自身の体験が語られている。
「NHKの『日曜討論』に呼ばれたのは、安保法案が衆議院で採決される4日前という重要局面だった。『賛成反対 激突 安保法案 専門家が討論』。控室での打ち合わせの際、司会の解説委員(島田敏男・澤藤註)は、『一つお願いがあります。維新の党の修正案には触れないでください』と唐突に言った。参加した6人の顔ぶれからして、私に向けられた注文であることは明らかだった。自由な討論のはずなのに、発言内容に規制を加えられたと感じた。実際の討論でも、私が発言しようとすると執拗に介入して、憲法違反という論点の扱いを小さく見せようとした節がある。結局、『法案が成立したら自衛隊は国際社会で具体的にどう活動していくか』という方向で議論は終わった。採決を目前にして、『違憲の安保法案』というイメージを回避しようとしたのではないか。それを確信したのは、帰り際、送りのハイヤーに乗り込んだ私に対して、その解説委員がドア越しに、『維新の修正案は円滑審議にとてもいいのですよ』と言ってにっこり微笑んだからである。車内でその言葉の意味に気づくのにしばらく時間がかかった。」
こうして、水島さんは「『日曜討論』は私の『島』だという顔をしている島田解説副委員長」について、「これ以上、『日曜討論』の司会を彼に続けさせてはならない。」ときっぱり言っている。はっきりものを言うことのリスクを承知の上での発言である。
さらに、水島さんは、浅野健一著『安倍政権言論弾圧の犯罪』(社会評論社、2015年)を高く評価して、その一読を勧める書評の中で、こう書いている。
「本書は著者(浅野)の最新刊。『戦後史上最悪の政権』が繰り出す巧妙かつ露骨なメディア対策の数々を鋭く抉りながら、他方、メディア側の忖度と迎合の実態にも厳しい批判を速射する。特に、一部週刊誌が暴露した安倍首相とメディア関係者のおぞましい癒着の実態を、本書はさらに突っ込んで剔抉する。」
「本書によれば、安倍首相は第2次内閣発足後、親しいメディア関係者と30数回も会食している」「時事通信解説委員(田崎)が最も多く首相と会食しているが、彼はTBSの番組で、『政治家に胡蝶蘭を贈るのは迷惑。30ももらって置くところがない。もらってくれと 言われ、もらった。家で長くもった』と言い放ったという。こんなジャーナリストは米国では永久追放になる、と著者は厳しく批判する。政権とメディアの関係を正すためにも、本書の一読をおすすめしたい。」
「米国では永久追放になる」という「こんなジャーナリスト」には、NHKの3記者も含まれることになるのだろう。
ジャーナリズムは、社会の木鐸っていうじゃないか。権力を叩いて警世の音を響かせるのが役目だろう。政権の監視と批判が真骨頂さ。権力と癒着しちゃあおしまいよ。安倍晋三なんぞと親しく飯喰って、それでズバリと物が言えるのかい。自分じゃどう思っているか知らないが、世間はそんな記者も、そんな記者を抱えているメディアも、決して信頼できないね。
民俗学では共同飲食は祭祀に起源をもって世俗的なものに進化したというようだ。「一宿一飯」「同じ釜の飯」という観念は世俗社会に共有されている。酒食を共にすることは、その参加者の共同意識や連帯感を確認する社会心理的な意味を持つ行為である。親しく同じ飯を喰い、酒を酌み交わしては、批判の矛先が鈍るのは当然ではないか。ジャーナリストが、権力を担う者と「親しく同じ席の飯を喰う」関係になってはいけない。
産経のように、ジャーナリズムの理念を放擲し政権の広報紙として生き抜く道を定めた「企業」の従業員が、喜々として首相と飯を喰うのなら、話は別だ。しかし、仮にもジャーナリズムの一角に位置を占めたいとするメディア人の、「腐食の構造」への組み込まれは到底いただけない。とりわけ「公正」であるべきNHKのアベ政権との癒着振りは批判されなけばならない。
アベ政権だけにではなく、アベと癒着したメディアに対しても、冷静な批判の眼を持ち続けよう。
(2016年1月10日)
12月13日である。世界に「南京アトロシティ」(大虐殺)として知られた恥ずべき事件が勃発した日。笠原十九司「南京事件」(岩波新書)と、石川達三「生きている兵隊」(中公文庫)、そして家永三郎「太平洋戦争」に改めて目を通してみる。累々たる、殺戮・略奪・破壊・強姦の叙述。これが私の父の時代に、日本人が実際にしでかしたことなのだ。陰鬱な冬の雨の日に、まったくやりきれない気分。しかし、歴史に目を背け、過去に盲目であってはならないと自分に言い聞かせる。
同時に思う。今日は、中国の民衆も78年前のこの日の事件を、怒りと怨嗟の入りまじった沈痛な気持で想い起こしていることだろう。昨年からは、今日が「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」となった。足を踏まれた側の心情の理解なくして、友好は生まれない。不再戦の固い誓いもなしえない。
笠原十九司の次の指摘が重要だと思う。
「中国では、南京事件は新聞報道だけでなく口コミを通じてやがて中国人全体に知られた。中国国民政府軍事委員会は写真集『日寇暴行実録』を発行(38年7月)して、南京における日本軍の残虐行為をビジュアルに告発した。とくに日本軍の中国女性にたいする凌辱行為は、中国国民の対日敵愾心をわきたたせ、大多数の民衆を抗日の側にまわらせ、対日抵抗戦力を形成する源泉となった。当時の日本人が軽視ないし蔑視していた中国民衆の民族意識と抗戦意志は、さらに発揚され、高められていくことになった。南京攻略戦の結果、日本軍がひきおこした暴虐事件は、中国を屈伏させるどころか、逆に抗日勢力を強化・結束させる役割をはたしたのである。
松井岩根や武藤章(いずれも、東京裁判で絞首刑)は、「中国一撃論」の立場をとった。
「支那は統一不可能な分裂的弱国であって、日本が強い態度を示せばただちに屈従する。この際、支那を屈服させて北支五省を日本の勢力下に入れ、満州と相まって対ソ戦略態勢を強化する…願ってもない好機の到来」「首都南京さえ攻略すれば支那はまいる」というもの。
現地の高級軍人の功名心が戦線不拡大方針だった大本営の意向を無視した。11月19日上海派遣軍は独断で上海から南京へ300キロ余の進軍を開始し、さらに上海にとどまるよう命令を受けていた中支那方面軍もこれに続く。首都への一撃で、日中戦争は終わる、との甘い見通しに基づいてのことである。日本のメディアも、南京が日中戦争のゴールであるかの如く喧伝し、国民もその煽動に乗った。そして12月1日、大本営も方針を転換して南京攻略を是認した。
南京は陥落した。国内は提灯行列で沸き返った。しかし、そのとき、国民政府の首都は既に長江を遡った武漢に移っていた。その後首都はさらに奥地の重慶に移ることになる。何よりも、南京攻略の一撃で、中国の戦意を挫くことはできなかった。
「一撃論」は空論に終わった。大失敗の空振りに終わった、というにとどまらない。取り返しようのない誤りを犯したのだ。内地の日本人が知らぬうちに南京大虐殺が起こり、そのニュースが世界に日本軍の残虐性・野蛮性を深く印象づけていた。やがて日本は世界からその報復を受けることになる。
「一撃論」は、「抑止論」と連続した思考である。「抑止論」が「強大な軍事力を持つことで敵国の攻撃意欲を失わしめて自国の安全を保持する」と発想するのと同様に、「一撃論」は「強大な軍事力行使によって敵国の戦闘持続の意欲を失わしめて早期に戦争を終結させる」という理屈なのだ。軍事力の積極的有効性を説く立論として同根のものではないか。どちらも、自国の強大な軍事力が、相手国を制圧することによって自国の安全が保持されるという考え方。だがどちらも、相手国の敵愾心を煽りたて、却って自国の安全を害することになる危険な側面を忘れてはいないだろうか。
南京攻略の「一撃論」は、強大な軍事力の集中行使で中国の戦意を挫くことができると考えたが、現実の結果は正反対のものとなった。
「それ(南京大虐殺)はまさに、日本の歴史にとって一大汚点であるとともに、中国民衆の心のなかに、永久に消すことのできぬ怒りと恨みを残していることを、日本人はけっして忘れてはならない。」「この南京大虐殺、特に中国女性に対する陵辱行為は、中国民衆の対日敵愾心をわきたたせ、中国の対日抵抗戦力の源泉ともなった。」(藤原彰)
との指摘のとおりである。
平和を維持するための教訓として、一撃論・抑止論の思想を克服しなければならないと思う。
なお、この事件の報道についての内外格差に慄然とせざるを得ない。
「南京アトロシティ」は、当時現地にいた欧米のジャーナリストや民間外国人から発信されて世界を震撼させた。しかし、情報管理下にあったわが国の国民がこれを知ったのは、戦後東京裁判においてのことである。」
「当時の日本社会はきびしい報道管制と言論統制下におかれ、日本の大新聞社があれほどの従軍記者団を送って報道合戦を繰りひろげ、しかも新聞記者の中には虐殺現場を目撃した者がいたにもかかわらず、南京事件の事実を報道することはしなかった。また、南京攻略戦に参加した兵士の手紙や日記類もきびしく検閲され、帰還した兵土にたいしても厳格な箝口令がしかれ、一般国民に残虐事件を知らせないようにされていた。さらに南京事件を報道した海外の新聞や雑誌は、内務省警保局が発禁処分にして、日本国民の眼にはいっさい触れることがないようにしていた。」
「南京事件は連合国側に広く知られた事実となり、日本ファシズムの本質である侵略性・残虐性・野蛮性を露呈したものと見なされた。東京裁判で、日中戦争における日本軍の残虐行為の中で南京事件だけが重大視して裁かれたのは、連合国側の政府と国民が、リアルタイムで事件を知っており、その非人道的な内容に衝撃を受けていたからであった。」(以上、笠原)
まことに、戦争は秘密を必要とするのだ。また、秘密は汚い戦争をも可能とする。今日はいつにもまして、戦争法と特定秘密保護法とが、また再びの凶事招来の元凶になるのではないかと、暗澹たる気持にならざるを得ない。冬の冷雨の所為だけではない。
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DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。
その第1回口頭弁論期日は、
クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。
また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
午後3時から
東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月13日・連続第987回)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、こちらは「本郷・湯島9条の会」です。東京母親大会連絡会の方もご一緒に、昼休み時間に平和を守るための訴えをさせていただいています。少しの時間、耳をお貸しください。
今日は12月8日、私たちがけっして忘れてはならない日です。74年前の今日の午前7時、NHKは突然臨時ニュースを開始しました。このときが、NHKの代名詞ともなった初めての「大本営陸海軍部発表」。「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という、このニュースで国民は日本が米英と戦争に突入したことを知らされたのです。
日曜日の真珠湾に、日本は奇襲をかけました。向こうから見れば、宣戦布告のない卑怯千万なだまし討ち。その戦果は、戦艦2隻を轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破、そして2600人の死者でした。この報に日本は沸き返りました。戦争は確実に国民の支持を得たのです。
戦後東大総長になった南原繁は、開戦の報を聞いたときに、こんな愚かな「和歌」を詠んでいます。
人間の常識を超え学識を超えて おこれり日本世界と闘ふ
この人の学問とは、いったい何だったのでしょうか。政治学者である彼は、何を学んでいたのでしょうか。
1931年の「満州事変」から始まった日中戦争は当時膠着状態に陥っていました。中国を相手に勝てない戦争を続けていた日本は、新たな戦争を始めたのです。今でこそ、誰が考えても無謀な戦争。これを、南原だけでない多くの国民が熱狂的に支持しました。
戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にします。この日から灯火管制が始まりました。気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされました。治安維持法が共産党の活動を非合法とし、平和を求める声や侵略戦争を批判する言論を徹底して弾圧しました。大本営発表だけに情報が統制され、スパイ摘発のためとして、国民の相互監視体制が徹底されていきます。
ご通行中の皆さまに、赤いチラシと白いチラシを撒いています。赤いチラシは「赤紙」といわれた召集令状の写です。本物を写し取ったもの。世が世であれば、これがあなたの家に配達されることになるのです。イヤも応もなく、これが来れば戦地に送られることを拒めません。それが徴兵制というもの。
赤いチラシが74年前の社会を思い出すためのもので、白いチラシは現在の問題についてのものです。安倍内閣が憲法を曲げて、無理矢理通した「戦争法」についての解説で、中身は以下のとおりです。
戦争法(安保法制)とは何か
戦争法とは何でしょうか。日本が海外で戦争する=武力行使をするための法律です。地球上のどこでも米軍の戦争に参戦し、自衛隊が武力行使する仕掛けが何重にも施されています。1945年以来世界の紛争犠牲者は数千万人に上り、第二次世界大戦の死者に匹敵します。そのなかで自衛隊は1954年の創設以来、敵との交戦で一発の弾丸を撃つこともなく、一人の戦死者も出さず、一人の外国人も殺してきませんでした。これこそ憲法9条があったおかげです。
来年の3月に戦争法(安保法制)が施行(実施)されます
戦争法の実施で、真っ先に戦場に行くのは若い自衛隊員です。放置すれば、現在の子どもが大人になるころ、海外での戦闘態勢はすっかり整ってしまいます。ドイツは侵略戦争を禁じた憲法解釈を1990年に変え、2002年アフガニスタンに派兵して55人の戦死者を出し、多くの民間人を殺傷しました。そのドイツが今、対ISの後方支援という名で1,200人派兵することを決定しました。
そして、憲法9条を無視して戦争法(安保法制)を成立させ実行に移そうとしているのが今のわたしたちの国、日本なのです。
戦争法でテロはなくせません
ISは、2003年に始まったイラク侵略戦争と2011年からのシリア内戦で生まれ、勢力を拡大してきました。イラク戦争の当事者であるブレア元英国首相は「イラク戦争がISの台頭につながった」と認めています。このことを認めながら英国は、パリ同時多発テロを契機に今シリアの空爆を始めました。わが国においても、戦争法によってISに空爆をおこなう米軍などへの兵站支援が可能になりました。
日本が米国から空爆支援を要請されたら、「法律がない」と言って拒否することはもうできません。今こそわたしたちが戦争法(安保法制)に反対し平和な日本、そしてアジア・世界に 向かって日本国憲法第9条を旗印に平和な日本・世界を実現しようではありませんか
今日12月8日は、なぜ日本は戦争を始めたのか、なぜあの無謀な戦争を止められなかったのか。そのことを真剣に考え、語り合うべき日だと思います。日本人の戦没者数は310万人。そして、日本は2000万人を超える近隣諸国の人々を殺害したのです。戦争が終わって、国民はあまりに大きな惨禍をもたらしたこの戦争を深く反省し、再び戦争をするまいと決意しました。まさしく、今日はそのことを再確認すべき日ではありませんか。
戦争は教育から始まる、とはよく言われます。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の弾圧から始まる。戦争は排外主義から始まる。新しい戦争は、過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、特定秘密保護法による外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正者の跋扈は、新たな戦争への準備と重なります。さらに戦争法による集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのです。再びの戦争が起こりかねない時代の空気ではありませんか。
これ、すべてアベ政権のやって来たこと、やっていることです。先ほど、本郷・湯島九条の会の会長が初めて、ここでの演説をおこない、憲法と平和を守るために、アベ政治を許してはならないという訴えをされ、大きな拍手が起こりました。
地元9条の会は、今年一年間、毎月第2火曜日のこの場での宣伝活動を続けてきました。今年は今回で終了です。しかし、年が明けたらまた続けます。「戦争法廃止、立憲主義・民主主義を取り戻す」たたかいは、安倍政権を退陣させ、わが国が9条を復権させるまで、続けざるを得ません。そして来年こそは、しっかりと平和な日本を確立する大きな一歩を踏み出す年にしようではありませんか。ご静聴ありがとうございました。
(2014年12月8日・連続第982回)
月刊「靖国・天皇制問題 情報センター通信」の通算507号が届いた。
文字どおり、「靖国・天皇制問題」についてのミニコミ誌。得てしてタブー視されるこの種情報の発信源として貴重な存在である。しかも、内容なかなかに充実して、読ませる。
[巻頭言]は、毎号「偏見録」と題したシリーズの横田耕一(憲法学者)論稿。回を重ねて第52回目である。長い論文ではないが、いつもピリッと辛口。今回は「なんか変だよ『安保法制』反対運動」というタイトルで、特別に辛い。
論稿の趣旨は、「本来自衛隊の存在自体が違憲のはず。武力を行使しての個別的自衛権も解釈改憲ではないか。」「にもかかわらず、集団的自衛権行使容認だけを解釈改憲というのが、『なんだか変だよ』」というわけだ。表だってはリベラル派が言わないことをズバリという。天皇・靖國問題ではないが、タブーを作らない、という点ではこの通信の巻頭言にふさわしい。
要約抜粋すれば以下のとおり。
「かつての憲法学者の圧倒的多数の9条解釈は、一切の戦力を持たないが故に自衛隊は違憲であり、したがって個別的自衛権の行使も違憲とするものであった。この立場からすれば、『72年見解』などは政府による典型的な『解釈改憲』であり、『立憲主義の否定』であった。
ところが、いまや、現在の反対運動のなかでは、共産党や各地の9条の会などに典型的に示されているように反対論の依拠する出発点は『72年内閣法制局見解』にあるようで、それからの逸脱が『立憲主義に反する』として問題視されている。したがって、そこでは自衛隊や日米安保条約は合憲であることが前提とされている。過去の『解釈改憲』は『立憲主義に反しない』ようである。
自衛隊・安保条約反対が影を潜める一方、国際協力のために自衛隊が出動することまで認める改憲構想がリべラルの側からも提起され、各地の反対運動で小林節教授が『護憲派』であるかのごとく重用されている現在の状態は、果たして私たちが積極的に評価し賛同・容認すべきものだろうか。私の最大の違和感の存するところである。」
このミニコミ誌ならではの情報を二つご紹介しておきたい。
まずは、「新編『平成』右派事情」(佐藤恵実)の「OH! 天皇陛下尊崇医師の会会長」の記事。
東京・六本木の形成外科・皮膚科の開業医が、向精神薬を不正に販売したとして,麻薬及び向精神薬取締法違反で逮捕された。厚生労働省の麻薬取締部は、この医師は中国の富裕層向けに違法販売を繰り返したと考えている模様、というそれだけのニュース。その医師は、「天皇陛下尊崇医師の会」会長なのだそうだ。
そんな団体があることも驚きだが、この医師と医院の〈関連団体一覧〉が掲載されている。「とくとご覧あれ」とされている。。
靖國神社を参拝する医師の会会長・社団法人神社本庁協賛医療機関・日本会議協賛医療機関・宮内庁病院連携医療機関・東京都医師政治連盟会員・自由民主党協賛医療機関・大日本愛国医師連合会長・日本国の領土「竹島」「北方領土」を奪還する愛国医師の会会長・一般財団法人日本遺族会協賛医療機関・毎上自衛隊協賛医療機関・天皇陛下尊崇医師の会会長・アジア太平洋地区米国海軍病院所属米国海兵隊軍医トレイニーOB・麻布警友会協賛医療機関・全日本同和会東京都連合会協賛医療機関・創価学会協賛医療機関・同和問題企業連絡会(同企連)協賛医療機関・警察友の会協賛医療機関・公益財団法人警察協会協賛クリニック・日米安会保障条約賛同医療機関・米国海軍病院連携クリニック・註日アメリカ合衆国大使館連携医療機関・日本の領土を守るため行動する議員連盟協賛クリニック・公益財団法人日本国防協会協賛医療機関・六本木愛国医師関東連合会長・六本木愛国医師ネットワーク事務局日本国体学会。
もう一つは、「今月の天皇報道」(中嶋啓明)。「Xデーも近いのに、何ゆえ天皇夫妻はフィリピンまで行くのか」という内容。
「明仁は、8月15日の全国戦没者追悼式で段取りを間違えた。参加者の『黙祷』を待たずに『お言葉』を読み上げたとされている。富山で行われた『全国豊かな海づくり大会』では、式典の舞台上で列席者を手招きしてスケジュールを確認し、式の進行が一時、ストップする場面があったという。いずれも高齢化が引き起こす一時的な軽度の認知障害なのだろうが、『デリケートな問題』だとして、在京の報道機関は報道を見送ったという。確かに東京でその記事を見ることはなく、地元地方紙の『北日本新聞』と『富山新聞』でほんわずか報じられただけだった。
Xデーも間近と思わせる中、それでもまだ、支配層にとっての明仁の利用価値は高い。明仁は美智子と共に来年早々、高齢で体調不安を抱えながらフィリピンを訪問することが発表された。最高のパフォーマンスの裏に秘められた『真の狙い』とは。
元朝日新聞記者で軍事ジャーナリストの田岡俊次が月刊誌『マスコミ市民』の15年10月号に『国会審議もなく進むフィリピンとの「同盟関係」の危険性』と題して書いている。ここで田岡は『政府が国会にもかけずにフィリピンとの同盟関係に入りつつあるという重大な異変がほとんど報じられない』と嘆くのだ。田岡の論考などによると、日比間の防衛協力は民主党の野田政権下で始まった。2011年9月、当時の首相野田佳彦がフィリピンのアキノ大統領との会談で『両国の海上保安機関、防衛当局の協力強化』を約束。それを引き継いだ現首相安倍音三は13年7月、マニラでのアキノ大統領との会談で小型航洋巡視船10隻をODAにより無償供与することを表明した。そして今年6月には東京での会談後、中国が南シナ海で進める人工島建設に『深刻な懸念を共有する』共同宣言を発表した。日本が供与する巡視船は、政府自身も『武器に当たる』ことを認めており、共同宣言には『安全保障に開する政策の調整』や『共同演習・訓練の拡充を通じ相互運用能力の向上』を図ることが表明されている。災害時の救援を口実に派遣される自衛隊の法的地位についての検討を開始することも盛り込まれ、田岡は、日比関係が限りなく同盟関係に近づきつつあると指摘する。
日本は、中国包囲網を築く上での重要なパートナーの一国として、フィリピンとの軍事的な関係の強化に勤しんでいるのだ。明仁、美智子の訪問計画の裏には、日比間のこうした関係を権威付けたいとの安倍政権の狙いがあることは明らかだ。」
最後に、もう一つ。「歌に刻まれた歴史の痕跡」(菅孝行)が、毎回面白い。
今回は、「ラマルセイエーズ」について、歌詞の殺伐と、集団を団結させる魔力に溢れた名曲とのアンバランスを論じたあと、こう言っている。
「君が代と違っていい曲に聴こえるのは、他所の国の国歌であるために気楽に歌えるからともいえるが、やはり音楽性の質の高さによるものだろう。革命が生んだ国歌は、革命がその質を失い堕落した後でも、困ったことに歌だけは美しい。アメリカ国歌もその例に洩れない。ラフマニノフがピアノ曲にしたという。ダミー・ヘンドリクスがウッドストックで演奏して評判になった。名曲といえば、旧ソ連の国歌も心に染みる名曲である。ただ、こうした曲の〈美しさ〉は、保守的な感性に受け入れやすいということと結びついていることを忘れてはならない。」
「ダサイ国歌『君が代』は大いに問題だが、同時に美しい国歌が『国民』を動員する『高級な』装置であることに警戒を怠るべきでない。『ラ・マルセイエーズ』はナショナリズムだけでなく、『高級で文明的な』有志連合国家の団結も組織した。高級で文明的なものほど野蛮だというのは、軍事力だけの話ではない。動員力のある音楽もまた同じである。そういえば『世界に冠たるドイツ』なんていう歌もあった。」
なるほど、君が代は、ダサイ国歌であるがゆえに、集団を鼓舞し団結させる魔力に乏しいという美点を持っているというわけだ。このような指摘も含めて、「靖国・天皇制問題 情報センター通信」の記事はまことに有益である。
(2015年12月7日・連続第980回)