(2020年12月28日)
私は元々、嫌中でも反中でもない。むしろ、学生時代から中国の文物に親しみ、偉大な中国革命をなし遂げた中国の人民と中国共産党には畏敬の念を持ち続けてきた。
その畏敬の念が天安門事件を機に崩壊を始め、いま香港の事態の報道を通じて雲散霧消の寸前である。中国の人権と民主主義のありかたには絶望するしかない。どうしてこうなってしまったのだろうか。残念でならない。
私のような思いをもつ者は日本中に少なくないはずである。いや、世界中に無数にいるはずだ。延安からの苦難の長征を経て1949年の革命に至ったあの、輝ける理想に満ち満ちた中国人民と共産党は、今どこへ行ったのか。中国当局は、このような国際世論を歯牙にも掛けないというのだろうか。
私の無念の気持ちを、さらに鞭打つ中国の人権状況の記事は、毎日続いている。昨日と本日の記事3件を引用しておこう。法廷の公開さえ行われない人権を無視した中国刑事訴訟の実態の記事、中国に司法の独立などないことを示す香港司法の記事、そして武漢における報道の自由抑圧の記事である。
経済がうまくまわっている外観あれば、このような野蛮の横行が放任されるということなのであろうか。事態は深刻である。いや、深刻な事態に、私がようやく気付いただけなのか。
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「香港活動家を秘密裁判 中国・深センで拘束4カ月」「あす初公判 家族抗議『人権無視』」(昨日(12月27日)付赤旗)
中国広東省深セン市で4カ月にわたり拘束され、16日に起訴された香港人活動家10人の初公判が28日に同市の裁判所で開かれることが25日にわかりました。活動家の家族が中国当局指定の弁護士から得た情報を香港メディアが報じました。
香港メディアによると、裁判は非公開の「秘密裁判」で開かれ、傍聴やインターネット中継もなし。判決文も公開されず、結果は弁護士から家族に知らされるだけだといいます。家族らは25日に声明を発表し、「基本的人権を無視し、中国が対外的に宣伝する『陽光の司法(公開された司法)』原則に反している」と中国当局を強く非難。その上で、
(1)裁判をネットで中継する
(2)家族の代表や家族が委託した弁護士、内外メディアや各国外交官らの傍聴のもと、公開の裁判を行う
(3)判決文を公開する
(4)判決後、家族が活動家に面会できるようにする
―ことなどを求めました。
香港人活動家らは8月下旬、計12人で香港から台湾へ密航する途中、海上で中国当局に拘束されました。この中には、8月に国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕され保釈中だった李宇軒氏も含まれています。10人のうち李氏ら8人は違法な国外渡航を企てた罪で、2人は違法な国外渡航を組織した罪で起訴されました。違法な国外渡航の罪の最高刑は禁錮1年で、違法な国外渡航を組織した罪は2?7年の禁錮刑だといいます。
16日に起訴されなかった2人の状況は判明しておらず、家族は情報を公開するよう中国当局に求めています。
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「中国共産党機関紙、黎智英氏の保釈決定非難−本土で裁判可能と警告」(Bloomberg2020年12月28日12時20分)
中国共産党機関紙の人民日報は週末の論説で、香港高等法院(高裁)がメディア企業のネクスト・デジタル(壱伝媒)創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏の保釈を23日に認めたことを激しく批判し、裁判を本土に移して行う法的根拠があると警告した。
人民日報は黎氏(73)を「悪名高い極めて危険」な人物だとし、同氏が保有する資産と外国勢力の「動機」を考えると、保釈金が没収されても問題なく、逃亡は難しくないと指摘した。黎氏は今月、外国勢力と結託したとして香港国家安全維持法(国安法)違反の罪で起訴されていた。
人民日報は、国安法55条を中国が発動する十分な根拠があると主張。55条は外国の関与などで複雑な事案となる場合、もしくは香港政府が事実上法執行できない深刻な状況が生じた場合に中国は「国家安全を脅かす犯罪に関する事案に管轄権を行使」できると定めている。
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「武漢の実態『虚偽情報伝えた』として起訴 裁判開始」(ANN ニュース(国際) 2020年12月28日 12:29)
新型コロナウイルスの感染が最初に拡大した中国・武漢の惨状を伝えたことで起訴された中国人ジャーナリストの裁判が開かれています。
元弁護士の張さんは市民ジャーナリストとして武漢の病院の実態や遺族への当局の圧力などをSNSで発信しました。5月に突然、滞在中のホテルで拘束されて「悪意を持って嘘の情報を伝えた」などの理由で起訴されました。最長5年の禁錮刑になる可能性があります。張さんは留置施設で「当局批判に対する仕打ちで裁判自体が違法だ」として抗議のための絶食、ハンガーストライキを続けていて、健康状態が悪化しているということです。
「武漢コロナ情報で懲役4年 SNS発信で市民記者有罪 上海」(共同)
新型コロナウイルス感染症に関する「虚偽」情報を中国・武漢からネット上に発信したとして、公共秩序騒乱の罪に問われた市民記者、張展氏(37)に対し、上海の裁判所は28日、懲役4年の判決を言い渡した。この日が初公判で、即日判決となった。新型コロナを巡る情報発信で有罪となったケースは初めてとみられる。
起訴状などによると、張氏は今年2月以降に武漢から医療現場の混乱ぶりを伝え、遺族が当局に抑圧されている問題も発信。6月に逮捕され、9月に起訴された。
(2020年12月4日)
かつては漠然と信じていた。歴史とは、野蛮から文明への進歩の過程である、と。野蛮を克服して文明が興り、曲折はあるにせよ文明が野蛮を感化し、野蛮は文明によって淘汰されていく。これが歴史の大道であり、野蛮と文明が接すれば、やがて野蛮は文明に教化され包摂されていくに違いない…。その信念が揺るぎそうな昨今の状況である。とりわけ香港の事態が目立って深刻である。
香港では、専政から民主制へと進歩すべき歴史が逆流している。法の支配は暴力による支配に置き換えられ、権力の恣意によって自由や人権が抑圧されている。野蛮が横行して、文明を逼塞させているのだ。
権力の恣意的な発動を抑制して人権を擁護する装置として、文明は権力分立という理念と制度を普遍的な原則として採用した。香港市民は、公教育で「三権分立」を近代以後の世界の常識と学んで育った。教科書にも当然の原理として書き込まれていた。ところが、香港行政庁の林鄭月娥長官は「香港に三権分立はない」と明言した。「中国本土と同様に、香港の三権はおしなべて中国共産党の支配下にある」との意であろう。教科書も書き換えられつつあるという。
突然に香港の市民から奪われた「三権分立原則」の中で、とりわけ重要なのが人権の砦としての司法権であり、その独立である。裁判官は本来、中国共産党の顔色を窺うことなく、法と良心に従った判決を言い渡さねばならないが、それは期待すべくもない事態。
林鄭月娥は、「11月の施政方針演説では、裁判官が就任時に政府への『忠誠』を宣誓しない場合の規定を盛り込んだ条例改正をすると述べた」(時事)という。法と良心に対する忠誠を求めるというのではない、政府への忠誠である。いうまでもなく、「政府」を通じての「中国共産党」への忠誠が強要されているのだ。
中国本土では、中国共産党が当然のごとく司法部門を「指導」し、「司法権の独立」を観念する余地はないとされる。これに対し香港基本法(香港での憲法に相当する)は「司法の独立」を明記している。中国政府側は香港に「司法改革」が必要だと主張しており、行政が司法を主導する仕組みを指示していると報道されている。明らかに、ここでは文明が野蛮に侵蝕され、席巻されているのだ。
その事態の中で、一昨日(12月2日)注目されていた黄之鋒・周庭・林朗彦3氏に対する判決言い渡しがあり、その量刑はそれぞれ13月半・10月・7月の禁錮となった。いずれも執行猶予の付かない実刑である。罪状は、昨年(2019年)6月に警察本部を包囲したデモを「扇動・組織し、参加した」罪だという。
暴力的なデモではない。破壊的なデモでもない。政治的な要求を掲げた表現の自由行使に対する刑事罰。文字どおり野蛮な政治的弾圧にほかならない。文明が、野蛮に組み敷かれているのだ。
黄氏は判決後、支持者に向かい「つらいが耐え抜こう」と大声で呼びかけ、林氏も「後悔はしない」と叫んだという。これに、支持者らは「がんばれ、出てくるのを待っているぞ」と応えたと報じられている。
しかし、周氏については少し違う光景となった。同氏は下獄の経験はない。香港メディアによると、判決言い渡しの際に法廷で泣き崩れたという。私は、この報道に胸を打たれる。判決日の翌日(12月3日)に24歳の誕生日を迎えるという彼女は、判決前に自分の誕生日を自宅で過ごすことができるだろうかとの心配を隠さず、ネットに配信していた。
泣き崩れたところを見せた彼女は、決して絵に描いたような闘士ではない。自分を励ましつつ、良心に従って運動に参加してきた「普通の市民」の一人なのだ。歴史には、強靱な意思をもった多くの闘士が登場するが、その闘士像は後の世の伝説が作りあげた虚像なのではないか。むしろ、特別の人ではない、投獄は恐いと自分の弱さを隠さない普通の市民の活動こそが、多くの人の共感を呼び、運動につながる人々を励ますことになるのだと思う。
民主派支持の論調で知られる香港紙「蘋果(りんご)日報」の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏も2日に詐欺罪で身柄を拘束され、起訴された。そして裁判所は3日、黎氏の保釈申請を却下。黎氏は来年4月16日の次回公判まで勾留される見通し。香港では起訴後に保釈されることが多く、異例の長期身柄拘束と言える(毎日からの引用)という。
黎氏に対する起訴罪名が詐欺であることが一驚である。一見して、でっち上げ以外の何ものでもない内容。何でもありなのだ。しかも、詐欺事件にもかかわらず国安法事件を担当する裁判官(蘇恵徳)が保釈を不許可とした。今後、政府の意向に従わない裁判官の解任が心配されている。既に、民主派に無罪判決を出した裁判官が、中国系香港紙に紙面で批判されるケースも出ていると報じられている。あらためて、法の支配を貫徹する独立した司法の役割の重要性を痛感する。
中国の野蛮が、香港市民の文明を蹂躙している。人権の擁護は国際的に共通の課題である。中国の蛮行は、国際法違反である。世界人権宣言や国際人権規約、あるいはウィーン宣言など国際成文法にも反すると言わなければならない。
微力でも「中国の野蛮を許さない」「香港の民主派を支持する」という声を上げ続けたいと思う。
(2020年9月15日)
9月24日、東京弁護士会が臨時総会を開く。その第2号議案が、「死刑制度廃止に向け、まずは死刑執行停止を求める決議」(案)の件である。
その趣旨は、「死刑制度廃止は望ましい方向だが、議論はまだ十分に煮詰まっていない。性急に廃止の結論を出す前に、まずは弁護士会として死刑執行停止を求める決議」を成立させようというもの。
死刑制度の存否は、刑事政策・司法制度の重要テーマである。倫理・哲学・死生観・社会観・刑罰の本質論、そして被害感情や死刑冤罪の防止等々から、深刻な議論が尽きない。
死刑廃止論も存置論もそれぞれが十分な根拠をもっていることを認め合わねばならない。が、そのうえで、死刑制度を存続させてよいのかを常に問い直さねばならない。そして、死刑制度の存廃について結論を出さねばならない。とりわけ、人権擁護を使命とする弁護士・弁護士会は、議論をすること、態度表明することを避けて通ることができない。
私は、死刑廃止論を強く支持する。人権尊重を第一義とする国家が、犯罪者であれ国民の生命を奪う制度を合法的に持てるとは思えないからである。被害者の人権が重要であることは当然である。しかし、加害者の生命を奪うことが、被害者人権尊重の唯一の手段だとはどうしても思えない。とりわけ、相次いだ死刑確定4事件(免田・財田川・松山・島田事件)の再審無罪判決以来、死刑廃止論の妥当性は私の確信となった。
盛岡に居たころ、松山事件の死刑囚だった松山幸夫さんが我が家を訪ねてこられたことがある。再審無罪判決の直後、母親のヒデさんとご一緒だった。短い時間だったが、「この人が、死刑台から生還された方か」と感無量だった。その以前、ヒデさんが仙台の街角に、息子の無実と再審無罪を訴えて一人立っていたのを、何度か見かけている。どんなにか、息子の「死刑判決」が辛かったことだろうか。
このとき、我が家の一員だった、30キロを超すチャウチャウが斎藤幸夫さんを熱烈歓迎して、その顔をなめまわした。30年近くも拘禁されていた斎藤さんが、なんとも上手に犬と楽しそうに遊んだことに驚いた。およそ「死刑囚」という印象とは縁遠い人柄。人なつっこく明るい印象だった。
弁護士なら、みな死刑廃止論かと言えば、決してそうではない。強い存置論がある。私は、死刑存置論者の主張にも敬意を払ってきた。が、いずれは死刑存置論は勢いを失うだろうと確信もしてきた。今、世界を見わたせば、文明社会の趨勢は明らかに死刑制度は廃止に向かっている。
世界の趨勢に比して、日本における廃止論の成熟は遅々としている。日弁連が廃止論をリードしていることをありがたいと思う。その日弁連の姿勢については、下記URLを参照されたい。
死刑制度の問題(死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部)
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/criminal/deathpenalty.html
そのような最中、死刑存置論者のグループが、東弁の臨時総会に向けて「2号決議反対」のキャンペーンを始めた。私の事務所にも、「東京弁護士会が、死刑制度の廃止を『決議する』のはおかしいよね。」というビラが、郵送されている。ビラの内容は、後掲のとおりである。
死刑制度存置論を揶揄したり軽蔑する気持ちはさらさらない。しかし、このビラの内容が、全部とは言わないが、どうにも薄っぺらで浅薄なのだ。死刑制度存廃についてのこんな議論のしかたが、どうにも情けない。この郵送されたビラを見て、敢えて一言せざるを得ないという気持ちにさせられた。
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ビラで、まず引っかかったのは、次の一行。
「我々弁護士は、犯罪から国民・市民を守る存在であるというメッセージをもっと発すべきです。」
「犯罪から国民・市民を守る」のは、第1次的には公権力の行使者である警察・検察や司法当局の役割であって、決して「我々弁護士」の役割ではない。「我々弁護士」は、公権力行使に逸脱がないかを厳正にチェックすることで、「権力から国民・市民の人権を守る」ことを本務とする。このビラを作ったグループには、弁護士とは異質な権力的な臭みを感じざるを得ない。
また、次の一節。
「私は被害者支援やっているけど、死刑廃止決議されると、信頼関係を築くのが難しくなるから、業務に支障あるのよねぇ。若手弁護士に仕事広げろって言いながらなんで邪魔するようなことばかりするのかしら。」
このビラを作ったグループにとっては、死刑制度廃止は「業務に支障あるのよねぇ。だから反対」というのだ。この議論のしかたは、弁護士としてあまりに志が低くはないか。人権や社会正義の視点から、考え直していただけないだろうか。
このビラの随所に出て来る以下の議論のしかたも、明らかにミスリードというべきであろう。真正面の死刑制度存廃の議論からは逃げていると指摘せざるを得ない。
強制加入団体なのに、個々の会員の価値観は尊重されなくてもいいの?
この問題は、死刑制度の当否が問われているのではないと思う。
一部の意向で、思想統一するような決議をするのが問題だわ?。
会員には思想信条の自由があり、何が正義かは、会員自身が決めるべきです。強制加入団体が、多数決でいずれが正しいと決めるべきではないと思います。
問われているものは、純粋に「死刑制度存廃の当否」(今回の決議案では、「死刑執行停止の当否」)である。言うまでもなく、死刑制度の存否は国民の人権と深く関わる重大な問題である。だから、弁護士会が人権に関わる課題として、死刑制度に関して会則に則って「建議及び答申」をすることは、会の責務と言ってよい。これを「思想統一するような決議」「何が正義かを多数決で決める」と問題をすり替えてはならない。「強制加入団体が」「一部の意向で」と、ことさらに作為を凝らすのも真っ当な議論のしかたではない。成立した決議は、決して会員個人の思想と直接の対峙や軋轢を生じる関係にはない。もちろん、死刑の廃止は自分の個人的な思想や信念との深刻な衝突を来すという人もいるであろう。しかし反対に、死刑の存続こそが自分の個人的な思想信条との堪えがたい葛藤を来しているという人もいるのだ。個人的な思想や信念は、この局面では問題とならない。「死刑制度存廃の当否」を議論し決議することを「問題だわ?」と非難される筋合いはない。
さらに、「死刑廃止運動を見るだけで傷つく遺族もいるそうです。私は、人を傷つける活動に参加したくないな…でも強制参加…」という主張。問題を客観視し全体像を眺める姿勢に欠けること甚だしい。
今、袴田巌さんとその姉の秀子さんのことをお考えいただきたい。あるいは、最高裁で8対7の1票差で死刑が確定した竹内景助さんのご遺族のことも。明らかに、「死刑存続運動を見るだけで傷つく」人もいるのだ。誰もが、人を傷つける活動に参加したくはない。しかし何もしないことも人を傷つけるのだ。死刑制度の存廃を論じることが避けて通れない以上は、単にひとつの局面だけに焦点を当てるのではなく、全体をよく見ての議論でなくてはならない。
下記も、不真面目で不見識な議論ではないか。
「東弁も決議したら、日弁連みたいに、1億円近くの会費を使うのかな?」「そんなに使ってんの!」
「弁護士会は、金がかかる人権問題に取り組むな」というメッセージである。人権擁護の使命を全うするために、ある程度の費用がかかることはやむを得ない、予算規模や決算については意見を述べて然るべきだが、こういう不真面目な議論の仕方はあらためなければならない。
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9/24臨時総会
やっぱり、東京弁護士会が、死刑制度の廃止を『決議する』のはおかしいよね。
未だに多くの凶悪犯罪があるのに、東弁の『総意』が死刑廃止って決めていいの?
強制加入団体なのに、個々の会員の価値観は尊重されなくてもいいの?
「日弁連の要請があるから」で、決議しちゃっていいの?
死刑検討協議会が「意思統一できない」って言ってるのに無視していいの?
この問題は、死刑制度の当否が問われているのではないと思う。
一部の意向で、思想統一するような決議をするのが問題だわ?。
死刑廃止運動を見るだけで傷つく遺族もいるそうです。
私は、人を傷つける活動に参加したくないな…でも強制参加…東弁は、いろいろな立場の会員のことを考える、そういう寛容な会であって欲しいです。
関弁連アンケートで、廃止派の弁護士が46%ってハガキで見たけど、回答率は6%だって。死刑廃止に熱心な人はアンケートに答えるから、6%×46%=2.76%!! 大半がサイレントマジョリティなんだね。
私は被害者支援やっているけど、死刑廃止決議されると、信頼関係を築くのが難しくなるから、業務に支障あるのよねぇ。若手弁護士に仕事広げろって言いながらなんで邪魔するようなことばかりするのかしら。
東弁も決議したら、日弁連みたいに、1億円近くの会費を使うのかな?
そんなに使ってんの!しかも、コロナなのに臨時総会って不要不急だし!
やるべきことはもっと別にあるんじゃないの?
会員には思想信条の自由があり、何が正義かは、会員自身が決めるべきです。強制加入団体が、多数決でいずれが正しいと決めるべきではないと思います。誤判・えん罪は、絶対にあってはなりませんが、そのためにはえん罪の防止を検討すべきです(スーパーデュープロセス等)。
個々の事件での死刑量刑の適否と、制度としての死刑を廃止するかどうかは別問題であり、誤判・えん罪の問題は死刑廃止の論拠となりません。
執行部は、「日弁達の要請で、京都コングレスが開かれる今年決議したい。長々と時間をかけていられない」と述べ、昨年12月半ばに突然、関連委員会と会派に意見照会しました。
東弁の死刑制度検討協議会(死刑存廃を検討するために設置され、刑事系委員会から委員が選出されて設置された)は、この議案について「撤回されるべき」「賛否両論あり、統一的な回答はできない」と回答しており、他の委員会等からも同様の回答や、慎重な検討を求める回答が多くありました。
執行部は「多<の反対意見や慎重意見があることは承知している」と言いながら「全会員アンケートはとらない」と述べています。昨年決議した札幌弁護士会は、執行部が問題提起した後1年内に2度にわたり全会員アンケートを実施しています。なお、昭和56年の東京三会弁護士ァンケートでは60.4%が死刑存置。廃止は39.6%でした。また、弁護士会がどう対処すべきかについて、63.9%が「存置論、廃止論の両説のあることをふまえたうえで継続的にこの問題に取り組むべきである」との回答でした。
東弁が死刑廃止を表明するにつぃて、会内の適正な手続が踏まれ、議論が尽くされ、会内意見が一致団結してまとまったとはぃえません。なお、千葉県弁護士会では、総会決議が否決されました(今年2月)。今年3月にほぼ桔抗した票数で可決した埼玉弁護士会も、一昨年には否決されています。
国民・市民の8割以上は、死刑制度を存置する意見です。令和元年11月の調査は80.8%が賛成で前回調査(平成26年11月)から微増しました(終身刑※を導入した場合も同様)。「国民の理解が得られないのではないか」との質問に、執行部は具体的な回答ができず、これまでも国民の理解を得るための活動をしていません。理解が得られない意見表明は、国民一市民の反感を招き、弁護士自治を危険にさらします。執行部は、弁護士自治のリスクについて「そうならないと信じたい」と述べるだけで、何ら危機感をもっていません。あえて弁護士自治を危険にさらすよりも、我々弁護士は、犯罪から国民・市民を守る存在であるというメッセージをもっと発すべきです。
弁護士会は、コロナウィルス感染症拡大に伴う諸問題、司法・訴訟制度の具体的な在り方や、法テラス扶助償還免除、法律事務独占に関する他士業際問題、東弁財政赤字削減、若手支援、谷間世代支援など、もっと他にやるべきことがあるはずです。
死刑廃止は国際的潮流と言われますが、死刑を廃止した国の中には、逮捕現場での犯人射殺が多数発生している国もあると言われています。日本がどのような刑事政策を採るかは、外国が決めるのではなく、国民が決めるべきです。
(2020年8月20日)
カジノの建設が、アベ政権経済政策の目玉のひとつとなっている。情けない経済政策ではないか。カジノとは賭博以外の何ものでもない。賭博とは、互いに相手の金をむしり合うゲームである。ゲームに加わるのは人の不幸をもって我が利益にしようというさもしい連中。賭博は金のやり取りをするだけで何の利益も生み出さない。よい齢をした大人が目の色を変えて金のやり取りにうつつを抜かす。これこそ「生産性に欠け」、怠惰と頽廃を生み出す。そのゲームに投じられる莫大な金額が人の目を眩まし、社会を歪める。そして結局は胴元が金を吸い上げるだけの装置なのだ。歪んだ政権の歪んだ政策と言うほかはない。
もちろん賭博は刑法上の犯罪である。アベ政権は、実質的に社会に犯罪を煽り犯罪の蔓延によって経済を振興しようとしたが、カジノの建設が実現する以前に身内から収賄犯罪者を出した。秋元司である。彼は、アベ政権の「国土交通副大臣兼内閣府副大臣兼復興副大臣」だった。カジノ建設担当副大臣と言ってよい。その彼が、中国企業「500ドットコム」側から、賄賂を受け取っていたとして逮捕され起訴された。公訴事実は、衆院議員会館で300万円の現金を受け取ったほか、シンポジウムでの講演料や旅費など計約760万円相当を賄賂として受け取ったということ。
収賄の金額は760万円程度だが、これが全部かどうかは疑わしい。彼は、昨年(2019年)12月25日早朝、毎日記者の携帯電話に電話をかけ「はした金はもらわねえよ。あり得ねえよ。ほんとばかたれ」「1億、2億なら別だが俺は正面から堂々ともらうんだから」「地検ははしゃぎすぎだ。こんなことで身柄拘束しやがって。徹底して戦ってくるわ」と宣って、その日のうちに逮捕となった。760万円程度のはした金にご不満だったようなのだ。
その彼が起訴となり、2月12日に保釈となった。保釈保証金は3000万円と報道されている。相当な金額と言ってよい。証拠隠滅行為を疑われれば、保釈は取消され、保釈保証金は没取(業界では、ボットリと読む)される。通常、3000万円は惜しい。よもやそんなことはあるまい、と思う。ゴーンの件もそうだったが、この世界には「よもやそんなこと」が結構頻繁に起こるのだ。
本日(8月20日)、保釈されていた秋元が再逮捕されたとの報道である。被疑罪名は、組織犯罪処罰法違反(証人等買収)。当然に保釈は取り消され、3000万円は没取となるだろう。これは、落ち目のアベ政権に小さくない衝撃となる。あらためて国民は、アベ政権というものの薄汚さを再確認しなければならないからだ。
組織犯罪処罰法7条の2の「証人等買収」罪は、結構面倒な規定だが、「自己又は他人の刑事事件に関し、証言をしないこと、若しくは虚偽の証言をする…ことの報酬として、金銭その他の利益を供与し、又はその申込み若しくは約束をした者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。」というもの。
秋元逮捕の被疑事実は、「自分の刑事事件で、贈賄側に虚偽の証言をすることの報酬として計3千万円を渡そうとした」ものと報道されている。また、贈賄側にうその証言をするよう働きかけたとして同容疑で逮捕された淡路明人が「秋元議員から証人買収を依頼され、指示を受けた」との趣旨の供述をしているという。
多くの人名が出てきて分かりにくいが整理してみよう。
(1) 主事件は贈収賄である。主役は収賄側の秋元司。脇役が、贈賄側・中国企業「500ドットコム」の紺野昌彦と仲里勝憲の二人。なお、贈賄側2被告の公判は、収賄側とは分離して8月26日に第1回が予定されている。
(2) 派生事件が証人買収で、買収を持ちかけた側が、秋元司、淡路明人、佐藤文彦、宮武和寛の4人である。いずれも逮捕されたが、実行行為は佐藤が紺野に、宮武が仲里に働き掛けたという。紺野・中里は供与された現金を受け取っておらず逮捕されていない。
秋元は、衆院解散当日の2017年9月28日、議員会館の事務所で、IR参入を目指していた中国企業「500ドットコム」元顧問の紺野と中里の2人から現金300万円を受け取ったとされる。秋元は授受を否定し、贈賄側の両被告は公判でも起訴内容を認める方針とみられている。そこで、「9月28日は秋元議員に会っていなかった」と証言の依頼をしたということなのだ。買収資金は、最初は1000万円、次いで用意した現金2000万円を見せての話となり、最終的に3000万円の約束が持ちかけられたという。
立憲民主の安住国対委員長がこう述べている。
秋元議員に対しては、「司法手続きをゆがめるようなことをやったとなると、国会議員としては絶対にあってはならないことなので、即刻、議員辞職に値する。本人がみずから辞めないのであれば、議員辞職勧告決議案を出そうと思っている」
また、「自民党は秋元氏の処分をしないまま離党を認め、安倍総理大臣は、内閣府の副大臣に任命した経緯があり、総裁と総理としての2つの責任がある」。まったく、そのとおりである。
さらに、こんな問題も派生している。証人買収を持ちかけた側の中心に位置するのが、淡路明人である。秋元議員の支援者で会社役員とされるが、マルチ企業「48(よつば)ホールディングス」の元社長。同社は2017年10月に消費者庁から特定商取引法違反で取引停止命令を受けている。以前から、赤旗の報じるところだが、安倍晋三首相や妻の昭恵と接点があり、首相と近いことをマルチの宣伝に使っていた。「安倍さんや菅さんとツーショットを撮れるような立派な人がクローバーをやっている」とのイメージは、強力な“荒稼ぎ”の武器とされた。同社は16年9月17年6月までの10カ月間で192億円以上を“荒稼ぎ”しているという。
この機会に思い起こそう。安倍政権というものの実態を。その数々の腐敗と汚れた歴史を。
(2020年8月5日)
関東学院大学に、宮本弘典さんという刑事法の教授がいる。
この方が、紀要「関東学院法学」(第28巻第2号)に、「ニホン刑事司法の古層・再論 1:思想司法の系譜」という論文を掲載されている。貴重なものである。
B5で40ページ余の分量だが、これに126項目、20頁余の引用資料が充実している。ありがたいことに、その全文がネットで読める。関東学院に感謝しつつ、司法問題に関心のある方には、閲覧をお勧めしたい。
https://kguopac.kanto-gakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=NI30003367&elmid=Body&fname=007.pdf
研究者の論文を読むのは骨が折れて億劫だと仰る方は、せめて下記の私の拙い要約に目を通していただきたい。
宮本論文の主題は、「ニホン刑事司法の古層には、今なお、過去の《思想司法=モラル司法》が脈々と永らえている」という表題のとおりのもの。言うまでもなく過去の《思想司法》とは、「万世一系の國體護持」という「思想」(ないしは信仰)の擁護を主柱とする刑事司法である。天子様に弓を引く極悪な非国民をしょっぴいて処罰する糾問型司法制度を言う。のみならず、《思想司法》は《モラル司法》でもあったというのが、政治学者ではなく刑事法学者である論者の重要な指摘。《モラル司法》とは、皇国臣民としての道徳を規範とした刑事司法といってよいだろう。転向し反省して、皇国臣民としての規範を受容する恭順者に対しては、畏れ多くも皇恩が寛大なる処遇を賜るであろうという文字どおり、天皇の天皇による天皇のための刑事司法なのだ。そのかつての刑事司法の抜きがたい伝統は、今なお古層として現在も生き続けているというのだ。
この点、論文の最後の一文が要旨を適切にまとめて、分かり易い。
行為に対する法的裁きにとどまらず,被告人の人格そのものに対する道徳的裁きとなれば,日本国憲法による防御権の保障は画餅に帰し,捜査と公判と行刑の全過程が反省と謝罪の追及の場となろう。思想司法/モラル司法を牽引した検察官司法の貫徹はたしかに「凡庸な悪」「陳腐な悪」ともいうべき悲劇であった。しかし,「凡庸な悪」「陳腐な悪」は時代と状況を超えて再現する。現に本稿で概観したとおり,思想司法/モラル司法のモードとエートスは,「古層」をなして日本国憲法の下でもなお2度目の笑劇として存(ながら)えている。それは裁判官や検察官のみの罪ではない。我われ自身の罪でもあろう。
また、「プロローグ:思想司法/モラル司法の記憶」の中に次の一節がある。
権威主義国家における(戦前の)このような刑事裁判は,被告人から法的権利と道徳的資格の双方を剥奪して「非国民」を生産する場であった。そのような裁判において自白とは,「反省と悔悟」による被告人の「道義の回復」の必須の条件であり,天皇の赤子たるニッポン臣民の――お上の恩情・恩寵としての――道徳的資格の回復に欠くべからざる条件であった。…権威主義国家の自白裁判は,治安維持法の思想犯/政治犯裁判に明らかなとおり心情刑法の色彩を濃くしてすべての被告人を政治犯化し,反省と悔悟あるいは転向を迫りつつ,被告人を法的のみならず道徳的にも断罪する荘厳の――しかし内容空疎な――裁きとして機能した。現在も続く反省・謝罪追及型のモラル司法の原風景である。
さて歴史を鑑とするときニホン刑事司法の「真実」と「正義」を語りうるだろうか。否であろう。ニホン刑事司法の古層をなし,ニホン刑事司法の底流を通貫するモードとエートスは,検察官司法による思想司法/モラル司法のそれだからである。現に,敗戦後の日本国憲法下の刑事司法の担い手のなかにも,思想司法の系譜に属する人びとがいる。本稿は,先行研究によりつつ若干の固有名詞によってそれを確認し,ニホン刑事司法の改革に不可欠な歴史的省察の一端を照射しようとするものである。
こうして、《敗戦後の日本国憲法下の刑事司法の担い手となった,思想司法の系譜に属する人びと》を洗い出そうというのが、この論文の狙いである。ターゲットにされたのは、著名な、研究者・実務家の6名。戦前の天皇の刑事司法と戦後の人権擁護の刑事司法を架橋して、戦後刑事司法に古層としての戦前司法を埋め込んだ「戦犯6人衆」の罪状である。その6名とは、小野清一郎・団藤重光・池田克・斎藤悠輔・石田和外・岡原昌男である。
この6名の罪状が次のとおりに目次建てして論じられている。
プロローグ:思想司法/モラル司法の記憶
1.戦時刑事法のイデオローグ・小野清一郎
2.戦後刑事法学の泰斗・団藤重光
3.思想司法の中核の復権・池田克
4.硬骨/恍惚の戦時派裁判官・斎藤悠輔
5.ミリタントな保守によるリベラル排斥・石田和外
6.思想検事の末裔・岡原昌男
エピローグ:司法の廃墟
私の主たる関心は、「ミリタントな保守」とされた石田和外にある。「ミリタント」の意は「居丈高で好戦的な」ということであろうが、退官後の石田の言動を見ると、「軍国主義者」の意でもあろうかと思われる。この石田のことは後日述べたい。
恐るべきは、宮本論文のトップに出てくる、小野清一郎である。盛岡では、郷土の偉人の一人に数えられている。近江商人の出である小野組の一族の人で、浄土真宗の信仰に厚いことでも知られる。親鸞と天皇信仰とどう関係するのかは余人には窺い知れないが、彼はこんなことを書いている、と宮本論文が紹介している。
「我が日本の國軆は肇國以來の歴史を離れたものではないと同時に,其の精華は日本道義の顕現以外に之を求めることは出來ない。この國軆の精華たる億兆一心の道義は「教育ノ淵源」たると同時に亦法の淵源でもある。何故なら,日本においては法と道義とは一如であり,法とは道義の政治的實現に外ならないからである。…我が國軆は神ながらの絶對なる道に基礎づけられてゐる。萬世一系の天皇の御統治は唯一にして絶對のものであり,天壌無窮の意義を有するものである。其處には限りなき嚴しさを感ぜしむるものがある。其は正に人間以上の嚴しさである。まことに限りなき御稜威である。しかし御稜威といふものは單なる「權力」といふ如きものではない。また單なる「權威」といふ如きものでもないと思ふ。權威でもあり,又權力でもあるが,しかしそれよりも深く一切をはぐくむ生成力であり,光明である。御仁慈である。限りなき御稜威も,光華明彩なる皇祖天照大神の和魂に基く生成の力である。…されば天皇と臣民との關係も單なる權力服從の關係といふ如きものではない。「詔を承けては必ず謹め」といふ,絶對なるものへの随順であり,歸一である。しかも其は上下の和諧であり,億兆の一心を實現する所以である。日本の法は斯の如きいはば宗?的道義的な基本原理において把握され,形成され,實践されなければならないのである」(小野清一郎『日本法理の自覚的展開』(有斐閣・1942年)92‐94 頁)
宮本は、この小野の言を、「要するに天皇主権国家を「道義」の顕現=権化とする信仰告白であり,そのような「国体」の実現が法の基本原理だというのである。ゆえに法の性質も目的も「道義」の外に求めることはできない」と研究者らしく評する。
私の感想はひとこと、「バカジャナカロカ」というほかはない。この人も、戦前の一時期、検事だったこともあるという。知性や理性が、醜悪な信仰と迷妄なる野蛮に裁かれていたのだ。
小野の没年は1986年。その晩年、法務省の特別顧問となり刑法「改正」問題で影響力ある人とされていた。宮本論文に依れば、今なお刑事司法の古層に永らえているという《思想司法=モラル司法》の実質とは、こんな小野思想だというのだ。
蛇足だが、一言。小野は、秀才伝説の人である。得てして、秀才とは、「醜悪な信仰と迷妄なる野蛮」に親和性が高い。昔だけのことではない。おそらくは今もなお。
(2020年7月26日)
昨日(7月25日)の朝日が、「検察刷新会議 開く以上 本気の議論を」という社説を掲載した。なかなかのトーンの高さである。
正確な名称は、「法務・検察行政刷新会議」というようだ。森雅子法相の私的諮問機関という位置づけ。この人が自分の失態を繕うために急拵えしたという以上の印象はなく、期待度も注目度も低い。この会議設置の趣旨について、法相は、こう説明している。
「法務・検察行政刷新会議(仮称)」は,今回の黒川氏の問題を受けて,私が設けることとした会議です。今回の黒川氏の行動を受けて,国民の皆様から,法務・検察に対して,様々な御指摘・御批判をいただいているところでございます。
国民の皆様からの信頼を回復し,法務・検察が,適正にその役割を果たしていくことができるよう,この会議を,これからの法務・検察行政に関して,しっかりと議論をできる場としていきたいと思っています。…国民の皆様の幅広い御意見をいただいて,検察・法務行政への国民の信頼回復という目的を達成できる形にしてまいりたいと思っています。
不祥事があると、「有識者」を集めて何を反省すべきかを確認してもらうという、今流行りの他人任せ禊ぎの儀式。そんな役割の第1回会議が7月16日に開かれた。「やっぱりね」というほかはない低調な会議の進展で、相変わらずの話題性の低さ。
この会議の経過が、法務省のホームページに掲載されているが、そこで何が行われたのか、実はさっぱり分からない。
http://www.moj.go.jp/hisho/seisakuhyouka/hisho04_00002.html
当日の議事次第は、以下のとおりだが、「1 法務大臣挨拶」以外は非公開だったという。これでは、何をしたのやら、これから何をすることになるのやら、さっぱり分からない。
1 法務大臣挨拶
2 委員等の自己紹介
3 議事の公表等の在り方について
4 検察の在り方検討会議提言及びその後の検察改革の状況等についての説明
5 その他
朝日社説は、「話題性乏しいから無視」ではなく、「本来何をなすべきか」を厳しく問うものとなっている。その書き出しから、言葉がまことに厳しい。
「看板に偽りあり――。先日、初会合が開かれた『法務・検察行政刷新会議』のことだ。
『刷新』を掲げながら、元東京高検検事長の異例の定年延長や、廃案に追いこまれた検察庁法改正案をめぐる諸問題は、会議のテーマにならない見通しだという。到底納得できない。」
続く文章は、さらに厳しい。
「もともと支離滅裂・国会軽視の答弁を重ね、大臣の任に堪えないことが明らかになった森雅子法相が、唐突に設置を表明した会議だ。期待するのが筋違いといえばそれまでだが、せっかく各界の有識者が集まったのなら、議論を公開し、本気で刷新に取り組んでもらいたい。」
厳しいが、まったくそのとおりというしかない。
「森氏は初会合で、(1)検察官の倫理 (2)法務行政の透明化 (3)刑事手続きについて国際的な理解が得られるようにする方策――を検討課題に挙げた。その底意はともかく、三つはいずれも今日的で重要なテーマだ。」
社説は、この3点をそれぞれに点検する。
「(1)まず検察官の倫理である。
まさか賭けマージャンの当否を論じるわけではあるまい。何より問われるべきは、一人ひとりが「公益の代表者」の自覚をもって、捜査・公判・刑の執行に臨んでいるか否かだ。
検察官の責務は単に有罪を勝ち取ることではない。だが実際の裁判、とりわけ再審請求審では、制度の不備をいいことに、自分たちに不利な証拠を隠すことがしばしばだ。職業倫理に照らして正すべき点はないか。実例を踏まえ、この機会に外部の目でしっかり検証してほしい。
(2)の法務行政の透明化は、まさにこの半年間の法務・検察の混乱の根底にある問題だ。
元検事長の定年延長は、従来の政府見解を変更したうえで閣議決定したと森氏は説明する。しかし検討の経過をたどれる文書はなく、重大な変更を口頭で決裁したというから驚く。
森氏は、検察庁法改正案の作成経緯を明らかにする文書を作成すると国会で約束しながら、約5カ月経った今も履行していない。なぜこのような不透明で国民を愚弄した法務行政がまかり通るのか、本質に切り込む議論が求められる。
(3)カルロス・ゴーン被告の逃亡を機に、容疑者・被告の長期に及ぶ身体拘束をはじめ、日本の刑事司法は異様との認識が広がった。(3)の「国際的理解」はこれを受けたものだろう。
たしかに批判の中には誤解に基づくものもある。だが人質司法という言葉が定着するなど、国際人権基準から見たとき、是正すべき点は少なくない。
説明の仕方をあれこれ工夫するのではなく、おかしな制度や運用を実際に見直すことが理解への早道だ。どこを、どう変えるべきか。そこを話し合わなくては刷新会議の名に値しない。」
朝日の社説に大筋合意しながらも、やや物足りなさを禁じえない。
法相の言うとおり、「刷新会議」は,黒川問題を受けてのもの。国民の批判は、黒川が「官邸の守護神」と言われる関係にあったことに集中していた。そのような、時の政権にベッタリの法務・検察の実態を抉り出し、癒着の原因を探り、適切な再発防止策を講じることなくして、国民からの信頼回復はあり得ない。
衆目の一致するところ、糾弾されるべき最大の責任者は内閣総理大臣であり、次いでその意を酌んだ法務大臣である。その各々の責任を明確にしたうえで、刷新会議は、検察倫理に背いて「政権の守護神」と言われた人物と現政権との緊密な関係を「透明化」しなければならない。そこに焦点を当てずしてお茶を濁すようでは、朝日の社説が言うとおり、「看板に偽りあり―」ではないか。
(2020年7月24日)
注目の、民医連柳原病院・乳腺外科医師「冤罪」事件。一審判決は予想のとおりに無罪だったが、控訴審で意外の逆転有罪となった。しかも、執行猶予のない実刑。愕然とせざるを得ない。
7月13日、東京高裁第10刑事部(朝山芳史裁判長・代読細田啓介裁判長)は、一審無罪判決を破棄して、懲役2年の実刑判決を言い渡した。冤罪の可能性が高い。
事件は、2016年5月、全身麻酔下に乳腺腫瘍摘出手術を受けた女性患者が、執刀した外科医師から「術直後に左胸を砥めるなどのわいせつ行為をされた」と訴えたもの。医師は、同年8月に「準強制わいせつ罪」で逮捕されて105日間勾留されているが、一貫して無実を主張している。
一審での主要な争点は、
?患者証言の信用性 (麻酔覚醒時のせん妄の有無や程度に関連する)
?科捜研のDNA鑑定及びアミラーゼ鑑定の証拠としての信用性及び証明力
19年2月20日の一審判決は、各争点について、有罪とするには合理的疑いを入れる余地が残る、として無罪判決を言い渡した。これが、文明社会のゴールデンルール。
二審では、「術後のせん妄の有無」を争点として審理。高裁判決は、せん妄の専門家ではない検察側証人の見解を採用し、一審段階からのオーソドックスな専門家の知見を排斥した。ゴールデンルールが崩壊した。
DNA鑑定及びアミラーゼ鑑定については、データや抽出液廃棄が行なわれて再現性・科学的信頼性に欠けることが問題となったが、一審と二審で判断が分かれた。科捜研鑑定の採用について、記者会見での高野隆主任弁護人は、こう厳しく批判している。
「非常識かつ非科学的な判決。科捜研の技官が『ちゃんとやった』と言いさえすれば、何の裏付けがなくても裁判所は信用する。…こんなに非科学的な裁判が行われ、冤罪が生まれていることに衝撃を受けている」
判決後、外科医師は改めて「私はやっていません」と発言。「公正であるべき裁判官が公正な判断をしないことに怒りを覚えている。一度壊れた生活を、やっとここまで立て直してきたのに、再びこれが壊される。この生活を守るためにたたかっていく」と訴えた。
この件に関する、医師の立場からの二つの見解をご紹介したい。
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2020年7月17日
東京高裁 第10刑事部の乳腺外科医裁判逆転有罪判決に対する声明
一般社団法人 東京都保険医協会 代表理事 須田昭夫
(文責)同協会 勤務医委員会担当理事 佐藤一樹
東京高等裁判所第10刑事部(朝山芳史裁判長 本年5月2日定年退官)は、本年7月13日、いわゆる乳腺外科医裁判控訴審(平成31年(う)第624号 準強制わいせつ被告事件)において、東京地方裁判所刑事第3部の無罪判決を破棄し被告人に懲役2年の実刑を言い渡した。
原審では、乳腺腫瘍摘出術後の女性患者の診察時に、執刀医が健側の胸をなめ回し、二度目の診察時に自慰行為をしたという事件があったとするには、合理的な疑いを挟む余地があると判示していた。
本控訴審判決における、1非科学的誤謬、2反医学的判断、3非当事者対等主義による人権侵害、4「疑わしきは被告人の利益に」の原則否定などは、医師団体としても一般市民としても絶対に許容できない。当協会はこの冤罪判決に強く抗議する。以下上記4項目についての当協会の見解を述べる。
1.非科学的誤謬:
科捜研の鑑定は、採取資料を証拠物として保存せず廃棄し、呈色反応結果を撮影せず、検査結果を消しゴムと鉛筆で数回にわたって修正するなどしており、科学的検証が行えないものである。再現性のないものには、科学的信用性もない。しかし、裁判所は、そのような科捜研のアミラーゼ活性検出試験結果やリアルタイムPCRによるDNA型検出検査結果と検証実験結果を基に、舐めた場合の唾液量と飛沫の唾液量の比較定量評価を行っている。これでは、非科学的誤謬があると言わざるをえない。
さらに、裁判所は、これらのアミラーゼ鑑定とDNA鑑定に関する、検察側証人である元科捜研職員の原審証言を弾劾した、DNA鑑定の専門家医師の証言を根拠なく排斥している。
2.反医学的判断:
有罪の根拠とされた原告の証言の真実性の評価を左右するせん妄について、学術的に世界共通認識であるせん妄の診断基準を根拠にした延べ3人のせん妄の専門医(精神科医2人、麻酔科医1人)の証言を排斥し、反医学的判断をしている。具体的には、プロポフォールなどによるせん妄状態での性的幻覚出現の可能性が高い点、LINEメッセージ送信は、せん妄状態であっても「手続記憶による行動」で可能である点などを根拠なく否定していることがある。これに対し、裁判官が依拠する医師証人はせん妄の専門家ではない司法精神医学の専門家であり、本訴訟の証人としてふさわしくない、いわば「検察お抱え医師」である。
3.非当事者対等主義による人権侵害:
一審で証言した看護師証言を完全に排斥し、カルテの記載事実を実臨床に即さない恣意的解釈で評価している。例えば、「不安言動は見られていた」と記載があるのに「せん妄である旨の記載はない」ことを理由にせん妄症状ではないと判断している。看護師が実臨床において、医師のように診断して診断名をカルテに記載しないからといって、症状が存在しなかったことの証明にはなるはずがない。
なお、客観的な立場にある病室患者の証言について何も判示していない。
4.「疑わしきは被告人の利益に」の原則否定:
証拠調べを尽くして事実の存否が明確にならないときは被告人の不利益に扱ってはならないという刑事訴訟法の原則を無視している。「原判決は、合理性の観点から疑問を入れる余地がある」「DNAは、被告人の口腔内細胞を含む唾液に由来する可能性が高い」などと疑問を残したり絶対的真実性が存在しないのに、明確な根拠もなく被告人の不利益になる判断を行っている。
また、せん妄に幻覚が生じるのは、原審証拠で30%程度、控訴審証拠で20から50%あることを認めながら、性的幻覚体験の出現を完全に否定している。
なお、原審では被告人が自慰行為をしたという患者の証言の信用性を徹底的に否定しているが、控訴審判決では判決結果に不都合となる事柄について何の判示もされていない。
総じて、本控訴審判決では、明確に判示できない判断根拠については何の論証もなく唐突に「論理則、経験則等に照らして」という文言が随所に見られ、飛躍した結論を導いている。これは、有罪を支えようとする恣意的判断を論理的には説明ができないために、誤魔化しているとしか考えられない。ある著名な法律家が、「東京高等裁判所は、東京地検公判部東京高裁出張所(というべきで)、東京地検公判部の後ろ盾である」と評した通りである。
現在、世界的COVID-19の感染拡大によって、一般国民であっても会話時の飛沫の動態や、PCR検査の評価方法や、各検査間の感度や特異度の相違などの医学的基礎知識が高まり、サイエンスリテラシーやメディカルリテラシーのレベルが上がっている。そのような背景において、「検証可能性の確保が科学的厳密さの上で重要であるとしても、これがないことが直ちに本件鑑定書の証明力を減じることにはならないというべきである。」と嘯く傲慢な姿勢は、医師や医療者だけでなく一般国民からも批判を浴びている。誰が読んでも、常識から大きく乖離した冤罪判決である。
裁判官は科学の専門家ではない。だからこそ、科学技術の専門家証人の意見に公正に耳を傾けねばならない。本控訴審判決で真の専門医の証言を排斥し、科学的証拠の認定よりも裁判官の経験則を優先したことは、医療界を愚弄し、日本の刑事司法への絶望感を増長するものである。
最高裁においては、誤った原判決を破棄のうえ被告人を無罪とするか、あるいは原審裁判所へ差し戻して、被告人とされている医師を冤罪から救済しなければならない。
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令和2年(2020年)7月16日(木) / 「日医君」だより / プレスリリース
乳腺外科医控訴審判決に関する日医の見解について
今村聡副会長は、7月13日に東京高等裁判所が、一審で無罪判決を受けた医師に対し、無罪を破棄し、懲役2年の実刑判決を言い渡した控訴審判決について日医の見解を発表した。
同副会長はまず、平成31年2月20日の一審の無罪判決についての記者会見時に、判決は妥当であり、検察は控訴を控えるべきと主張したことなど、本件に関する経緯を説明。
今回の控訴審判決については、
(1)報道等によれば、控訴審判決では、せん妄の診断基準について、学術的にコンセンサスが得られたDSM?5(米国精神医学会の精神疾患診断分類)に当てはめずに、独自の基準でせん妄や幻覚の可能性を否定した医師の見解を採用している、
(2)全身麻酔からの回復過程で生じるせん妄や幻覚は、患者にとってはリアルな実体験であり、現実と幻覚との区別がつかなくなることもある。このような場面は全国の医療機関で起こる可能性があり、もし、それが起こった場合には、医師や看護師が献身的にケアに当たっているのが実際であるにもかかわらず、そのことが理解されていない、
(3)科捜研のDNA鑑定等では、1.データを鉛筆で書き、消しゴムで消す、2.DNAの抽出液を廃棄する、3.検量線等の検査データを廃棄するなど、通常の検査では考えられない方法がとられるなど、一審の無罪判決の記者会見時でも述べた通り、再現性の乏しい杜撰な検査であるにもかかわらず、検査の信用性を肯定している―ことなどの問題点を挙げ、「もし、このような判決が確定すれば、全身麻酔下での手術を安心して実施するのが困難となり、医療機関の運営、勤務医の就労環境、患者の健康にも悪影響を及ぼすことになる」とした。
その上で同副会長は、「医師を代表する団体として、控訴審の有罪判決に強く抗議する」と述べるとともに、日医として今後も支援を続けていく考えを示した。
(2020年7月8日)
本日(7月8日)、東京地検は河井克行・案里の夫妻を、東京地裁に起訴した。起訴罪名は、公職選挙法違反(運動員買収)である。
この二人に関しての運動員買収の構成要件は、「当選を得、若しくは得しめ(る)目的をもつて、選挙運動者に対し金銭を供与した」(法221条1項1号)ことである。報道では、「2019年7月の参議院選挙に際し、被告人両名は、共謀の上、案里への選挙運動の報酬として5人に170万円を供与したほか、被告人河井克行は103人に対して合計2731万円を供与した」という。まことに大がかりな選挙違反事件。保守の選挙はどこでもこんなものか、あるいは安倍の庇護のもとの選挙だったから、特別にこうだったのか。
この犯罪の法定刑は、原則「3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金」であるが、案里は同条3項1号の「公職の候補者」に、克行は同項2号の「選挙運動を総括主宰した者」に当たり、「4年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金」となる。
これだけでなく、公職選挙法違反事件について有罪となり罰金以上の刑が確定すれば、原則5年の公民権(選挙権・被選挙権)停止となり、国会法の規定に従って議員としての資格が失われる。河井夫妻はともに失職することになる。
また検察官は、起訴と同時に「百日裁判」を申し立てた。「当選人の公民権(選挙権・被選挙権)に関わる刑事訴訟については、訴訟の判決は事件を受理した日から100日以内にこれをするように努めなければならない」とされる。案里については当選人本人として、克行については選挙運動を取り仕切る「総括主宰者」として連座制の適用者となり、いずれも有罪確定すれば案里の当選が失効することになり、両被告人について百日裁判の適用となる。
この両名への起訴が注目されるのは、河井克行が安倍の側近であり、菅の子飼いでもあるからだ。検察がその存在意義をかけて、官邸との確執を覚悟での立件の行方が注目される。既に、官邸の守護神と異名をとった黒川弘務はない。次期検事総長には、林真琴現東京高検検事長が確定という状況である。この立件が、安倍政権の力量低下を象徴するものであり、決定的な政権崩壊への序章ともなり得る。
いったい、この莫大な買収資金の出所はどこなのか。誰が、どのような意図で、河井夫妻にこの大金を送金したのか。この大規模な選挙犯罪の全体像と、河井夫妻の背後にいてこの構図を描き実行した「真の主犯」を洗い出してもらいたいところである。
自民党本部から送金された1億5000万円は、自民党財政からの支出なのだろうか。それとも、巷間言われているとおり官房機密費からの支出なのだろうか。安倍秘書団はどのような働きをしたのだろうか。起訴はされても、モヤモヤは晴れない。
検察官が公判において官邸の関与にまで切り込んで初めて、失墜していた検察の権威復活と、国民からの信頼の回復が成就することになる。そのことを期待したい。
(2020年6月28日)
河井克行・案里の運動員買収の実態がほぼ明確になりつつある。検察のリークだけではなく、メディアによる追及もめざましい。何より、世論の糾弾が厳しく、被買収者が否定しきれない空気を作っている。そのことが、「買収ドミノ」「告白ドミノ」といわれる現象を生んでいる。
だが、これまで明らかになりつつあるのは、河井夫妻から地元議員への金の流れだけである。これは、事案の半分でしかない。もっと重要なのは、安倍晋三ないしは自民党中枢から河井夫妻への、買収原資となった金の流れの解明である。いったい誰が、どのような意図をもって、いつ、どのようにこの金額を決め、送金したのか。
この点については、検察のリークも、メディア追及の成果も表れてはいない。世論の糾弾も厳しさも不十分で「告白ドミノ」も存在してはいないのだ。はたして検察は、この点に切り込んでいるのだろうか。メディアはどうだろうか。
トカゲの尻尾切りを、生物学では「自切」というそうだ。非常の時に、トカゲは自ら尻尾を切る。尻尾は容易に切れる構造になっており、切っても出血はせず、やがて再生する。外敵に襲われたとき、自切し尻尾は、しばらく動き回ることで外敵の注意を引きつけ、その隙に本体は逃げることができるのだ、という。これ、アベトカゲの常套手法。本体を守るために、尻尾を切り捨てるのだ。「責任は尻尾限り」と言わんばかりに、である。
今また、安倍晋三は河井という尻尾を切り捨てた。この切り捨てられてうごめく2本の尻尾にばかり注意をとられていると、その隙に本体が逃げおおせてしまうことになりかねない。腐ったアタマをこそ、押さえねばならない。
ところで、たまたま明るみに出た広島の地方保守政界の選挙事情。ドップリ、金が動き金で動く体質をさらけ出した。これは、ひとり広島だけのことなのだろうか、また自民党だけの問題だろうか。広島だけの特殊事情であり、アベ・溝手確執の特殊事情故のこととは思いたいところだが、おそらくはそうではあるまい。
インターネットテレビ局ABEMAに、『ABEMA Prime』という報道番組がある。そこに、かの勇名を馳せた元衆議院議員・豊田真由子が出演して、埼玉4区(朝霞市・志木市・和光市・新座市)でも、事情は大同小異であったと語っている。一昨日(6月26日)のことだ。
埼玉4区は、関東都市圏の一角、けっして保守的風土が強い土地柄というわけではない。ここでの選挙事情は、日本中似たようなものであるのかも知れない。
豊田真由子は、「とある先輩議員から、『ちゃんと地元でお金を配ってるの? 市長さん、県議さん、市議さんにお金を配らなくて、選挙で応援してもらえるわけがないじゃないの』と叱られ、びっくりしたことがある。選挙の時に限らず、この世界は桁が違うお金が動いているんだと、5年の間に感じた」と告白したという。さらにこう言っている。
「私はお金も無かったので、(自民)党からの1000万円と親族からの借金などでやったが、収支報告書を見た他の議員さんに『本当にこれでやってんの? どうやって勝ったの? 市議会議員選挙並みだね』と笑われるくらいだった。ど根性で地べたを這いつくばることで、だんだんとお助けをいただけるようになっていったが、必ずしもそうではない地域があるし、『お金をくれないんだったらあなたを応援しないよ』という方もいる。やっぱりそういう風習のようなものが日本の政治にはあるし、国会議員の選挙というのは、地元の市長さんや県議さん、市議さんに応援してもらわないと、非常に戦いにくい、厳しいということだ。議員さんに世襲の方や大きな企業グループのご子息が多いのも、そうではないとやっていけない世界だからだ」。
わが国の政治風土と、有権者の民度を語る貴重な証言である。そのような、票と議席の集積の頂点に、腐ったアタマが乗っかっている。切られた尻尾のうごめきに幻惑されることなく、この際本体のアタマを押さえなければならない。
(2020年6月26日)
昨日(6月25日)の中国新聞の報道が、「克行容疑者『安倍さんから』と30万円 広島・府中町議証言」というものだった。これは、強烈なインパクト。
この証言をしたのは、案里容疑者の後援会長を務めたベテラン府中町議・繁政秀子(78)。中国新聞の報道は、以下のとおり詳細でリアリティ十分である。なぜ、ここまで話す気持になったのか、その説明はない。
繁政町議は中国新聞の取材に、参院選公示前の昨年5月、克行容疑者から白い封筒に入った現金30万円を渡されたと認めた。現金を受け取った理由について、自民党支部の女性部長に就いており「安倍さんの名前を聞き、断れなかった。すごく嫌だったが、聞いたから受けた」と振り返った。
繁政町議によると、克行容疑者が現金を差し出したのは、案里容疑者が参院選前に広島市中区へ設けた事務所だった。克行容疑者から呼ばれ、2人きりになった時に白封筒を示された。
気持ちの悪さを感じてすぐに「いただかれません。選挙できんくなる」などと断ったが、「安倍さんから」と言われ、押し問答の末に受け取ったという。現金は今も使っていないとして「返したい。とても反省している」と話した。
繁政町議は同じ県内の女性議員として案里容疑者とつながりがあり、後援会長を引き受けたという。選挙戦では出陣式や個人演説会でマイクを握り「心を一つにして素晴らしい成績で当選させてほしい」などと支持を呼び掛けていた。
今のところ、克行らが買収先に、金を渡した相手は94名に及ぶという。その中で、ひとり繁政町議だけに『安倍さんから』と言ったというのでは不自然極まる。その他の議員や首長にも、現金を交付する際に、『安倍さんから』と申し添えたものと一応の推認が可能である。
実際、昨年7月参院選公示前には、首相の秘書団が案里議員の陣営に入り、企業や団体を回っていたと報じられている。そのような事情のもとでの『安倍さんから』には自然なリアリティがある。『安倍さんから』ではなく、「総理からです」「総裁からのお金です」、あるいは「これ、党本部から」だったかも知れない。なにも言わないのが、よほど不自然であろう。いずれ、安倍晋三と結びつけられた現金の授受に意味があったのだ。
2019参院選広島選挙区(定数2)の選挙結果は、以下のとおりである。
1位当選 無所属現 森本真治 (推薦:立民・国民・社民)
得票 329,729(32.3%)
2位当選 自民新 河井案里 (推薦:公明)
得票 295,871(29.0%)
3位落選 自民現 溝手顕正 (推薦:公明)
得票 270,183(26.5%)
2位と3位の自民票の合計は、566,054票(55,5%)であって、自民(+公明)の総得票数は2議席獲得には足りない。河井と溝手とは、票を食い合って、2位争いをしたことになる。その結果、5期目を目指した長老の溝手が新人の案里の後塵を拝して落選した。前回までは無風だった選挙区で、自民の陣営内での票の食い合いでは、豊富な実弾と『安倍さんから』の意味づけが効いたということだ。
『安倍さんから』のインパクトは、日本の民主主義へというだけのものではない。日本の国民や広島県民に対してだけのものでもない。安倍晋三と検察に対して、インパクトが大きいのだ。まずは、政治責任のレベルでの問題がある。実弾の原資が公認料1億5000万円だったことは、今さら覆うべくもない。溝手憎しで溝手を追い落とすために案里を擁立し、選挙資金を投入し、秘書団を派遣し、自らも応援演説に奔走した安倍晋三の責任は重大である。
それだけではない。安倍晋三の法的責任が追及されなければならない。「買収目的交付罪」(公選法221条1項5号)に当たる恐れがある。
公職選挙法は分かりにくい。弁護士の私も、隅々までよく分かっているわけはない。かつて公職選挙法違反被告事件の弁護をかなりの件数受任し、その都度それなりの勉強をして原理原則は心得ているつもりだが、細かいことまでは知らない。
この問題での野党ヒアリングで、郷原元検事が指摘して以来、「買収目的交付罪」が俄然話題となってきた。私は、今回初めてその罪名を知った。
公職選挙法221条は、おなじみの選挙買収の処罰規定である。最高刑は懲役3年。
その1項1号によって、克行の「(案里の)当選を得しめる目的をもつて選挙運動者(94名の地方議員等)に対し金銭を供与することが犯罪となる。これが、典型的な、運動員買収罪である。
さらに、同条同項第5号は、克行の運動員買収罪成立を前提に、「運動員(地方議員等)買収をさせる目的をもつて選挙運動者(克行)に対し金銭交付をした」者を処罰する。これが、「買収目的交付罪」なのだ。買収資金の提供者を処罰して、クリーンな選挙を実現しようという立法趣旨と理解される。
では、いったい誰がこの買収資金の提供者なのだろうか。克行自身が口にした、『安倍さんから』の一言が有力が手掛かりとして浮上した。買収資金提供者は、安倍晋三ではないのか。案里選挙には、自民党内での常識的公認料の10倍の資金が注ぎ込まれた。これは、最高幹部の裁断なくしてはできないこと。安倍か、二階か、あるいは菅か。その3人の他にはあるまい。
しかも、この常識外の多額な選挙資金の提供は、実弾込みの金額として認識されていたのではなかったか。安倍晋三は、この疑惑を晴らさなければならない。そして、ここまで捜査が進展した以上、検察も引き下がれない。政権からの独立に関する国民の信頼がかかっているのだ。「『安倍さんから』と30万円」のインパクトは、とてつもなく大きいのだ。