澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

国際スタンダードでは、「日の丸・君が代」の強制はあってはならない。 ー ILO/ユネスコ勧告実現のための市民集会にご参加を。

(2022年7月17日)

「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議主催
再勧告実現! 7.24 集会案内

日本政府、君が代の強制で、国連機関に『また』叱られる!
?それでもまだ歌わせますか??

日時 2022 年 7 月 24 日(日曜日)
   13 時 40 分?16 時 40 分(開場 13 時 20 分)
会場 日比谷図書文化館 (B1F)
   日比谷コンベンションホール  東京都千代田区日比谷公園 1-4
    03-3502-3340
資料代 500 円
主催 「日の丸・君が代」LO/ユネスコ勧告実施市民会議

 いま学校は、上位下達の徹底、教科書への政治介入など、国家による教育支配が進み、格差、いじめ自死、教職員の過重労働など疲弊しきっています。 
 東京では、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ、ピアノ伴奏をせよ」との職務命令に従わなかったとして、484名の教職員が処分され、その強制は子どもにまで及んでいます。
 2019年春、ILOとユネスコは日本政府に、「日の丸・君が代」の強制を是正するよう勧告しました。画期的な初の国際勧告です。
 しかし、文科省も都教委も、勧告を無視し続けており、私たちはセアート(ILO・ユネスコ合同委員会)へ訴え続けてきました。
 その結果、昨秋、日本政府への再勧告が盛り込まれた第 14 回セアート最終報告書が採択されました。今後ILO総会で議題にされます。
 子どもの未来、明日の教育のために、勧告実現に向けて、ぜひご一緒に取り組みましょう。

プログラム

■基調講演
 勝野 正章(東京大学)
  「現代社会における教師の自由と権利?教員の地位勧告から見る世界と日本」
 阿部 浩己(明治学院大学)
  「再勧告の意義と教育の中の市民的自由」
■特別講演
 岡田 正則(早稲田大学)「学問と教育と政治」
■座談
  「勧告を得るってどんな価値があるの?実現の困難は克服できるの?」
 阿部 浩己、寺中誠(東京経済大学)、前田 朗(東京造形大学名誉教授) 
■教育現場の声

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 あなたも運動サポーターに? 運動への協力金を

 個人 1 口 500 円 / 団体 1 口 1,000 円  (何口でも結構です)
郵便振替口座 番号 00170?0?768037 
「安達洋子」又は「アダチヨウコ」(市民会議メンバーの口座です)

「教師の私が起立することは、大きな強制力を持って生徒を起立させ、その内心の自由を奪うことでした」 ー 東京「君が代」裁判の法廷で。

(2022年7月15日)
 昨日の東京地裁709号法廷。午後3時から、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の第5回口頭弁論。担当裁判所は民事第36部。原告側から、準備書面(8)と(9)と書証を提出して、原告2人と代理人1人の口頭意見陳述があった。

 709号法廷の傍聴席数は42。その全席を埋めた傍聴の支援者を背に、意見陳述は迫力に満ちていた。原稿を目で追って読むのと、本人を目の前にしてその肉声を聴くのとでは、訴える力に格段の差が生じる。肉声なればこそ、本人の気迫が伝わる。それだけではなく、その必死さ、真摯さ、悩みや葛藤の深刻さが伝わる。聞く者の胸に響く。裁判官3名は、よく耳を傾けてくれた印象だった。

 次回も次々回も、原告2人と代理人1人の意見陳述の予定。真面目な教員であればこそ、「日の丸・君が代」強制に応じがたく、悩みながらも勇気をもって不起立に及んだ原告の心情に、担当裁判官の人間としての共感が欲しいのだ。

 昨日の法廷での、原告のお一人の陳述の内容をご紹介する。家庭科の教員をしておられる方。「起立して国旗に正対し、国歌を斉唱せよ」という職務命令に従えなくなったのは、担任した在日の生徒との関わり方に悩んでの末のことだという。

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 原告の一人として意見を申し上げます。
 1993年に都立高校の教員になり、足立高校定時制に勤めました。定時制の生徒の多くは、中学校時代まで不登校だったり問題行動を起こしたりと、教師や社会に対してよい印象を持っていません。真剣に向き合わないと欺瞞や嘘はすぐ見抜かれてしまいます。一日一日が真剣勝負です。私は生徒と同じ目線で対話を繰り返すことで信頼関係ができること、信頼関係ができれば生徒も変化していくことを学びました。

 外国籍の生徒も多く、私のクラスにも在日韓国人の生徒がいました。彼女は周囲に対してすぐとんがって喧嘩してしまい、問題を起こす生徒でした。彼女とは民族のアイデンティティを大切にして対話することを試みました。「もうひとつ名前があるでしょ」と、2人きりで話す時は本名で呼び、それに慣れた頃、地元の在日コリアンの高校生の集まりに誘いました。その時、彼女の表情がやわらいで、別人のようにおとなしくなりました。これが本当の彼女でした。とんがっていたのは、バカにされないように精一杯虚勢をはっていたからでした。自身の民族性にふれるうち少しずつ変化がみられ、クラスの女子とうまくやろうと努力し始めました。

 また家庭訪問をくりかえすうちに、彼女の母親も自分のことを話してくれるようになりました。戸籍がなくて大人になってから自分で取り寄せたこと、民族学校が閉鎖されてなかなか教育を受けられなかったことなど戦中戦後の苦労話です。生徒たちが抱えている問題の背景には戦争があることを実感しました。侵略戦争のシンボルだった日の丸君が代は、特にアジアの人々には強制すべきでないと確信を持ちました。

 4年生の担任を受け持ったクラスには、60代のOさんがいました。当時の卒業式では、式場に君が代・日の丸はなく、校長との話し合いで屋上に日の丸を三脚で立てていました。卒業前のHRでどんな卒業式にしたいか、日の丸・君が代についてどう思うか、話した時です。普段寡黙なOさんが怒りをあらわにしました。「私は小学校の頃、ガキ大将だった。戦争中は休みの日にも天皇関係の行事で学校があって、サボると教師に殴られた。戦争が終わると墨塗りの教科書になり、教師達の言うことが180度変わった。教師なんて信用できない。教育なんてくそ喰らえ、と思って中学卒業と同時に働きに出たが、社会に出ると学歴の壁は厳しかった。人生のしめくくりとして高校に来ました。その卒業式に日の丸・君が代はやめて下さい。」Oさんが教育に対してそんな思いでいたとは驚きでした。時代によってコロコロ言うことが変わるなんて信用できない。Oさんの言う通りです。Oさんに信用される教師になりたいと思いました。自分が正しいと思ったことはどんな時代がきても、信念を持ってちゃんと伝えられる教師になりたいと思いました。

 2003年10.23通達が出された時、私は豊島高校定時制の4年生の担任でした。職場は大混乱。生徒にどう話そうか悩んでいたら、当時大々的にニュースに流れていたので、生徒の方から自分達の卒業式はどうなるんだと質問や不安の声が飛びかいました。そこで学年合同HRを行うことにしました。1回目のHRは、不登校や引きこもりだったおとなしく真面目な生徒だけが参加していました。「色々変わって、教員の私には不起立の自由はないけど、生徒のみんなには内心の自由があるよ。」と説明しました。しかしいくら説明しても、「たまき(教師である私を生徒は名前で呼びます)も一緒に座ってよ」と、声があがるだけでした。

 式場で立つように言われて立たないのは勇気の要ることです。私が起立せず座ればそれが彼女たちの防波堤になると思いました。翌週2回目のHRの時は、前の週欠席していたヤンキーやギャルの一団が加わりました。彼らは日の丸・君が代があると「式っぽい」とか「かっこいい」と大賛成。そのとたん、前回のHRであれほど「たまきも一緒に座って」と声をあげていた生徒達が一斉に口をつぐみました。彼らが怖くて自分の意見が言えないのです。気まずい抑圧された雰囲気のままHRは終了しました。口をつぐんでいた生徒の一人が寄ってきて「歌いたくない人は座ってもいいでしょ」と念押ししにきました。意見を言えなくても行動できる生徒がいると救われた気持ちでした。

 さて卒業式はどうしようか。HRで自分の意見も言えない弱い彼らを守るには私が座るしかないと思いました。生徒の内心の自由は守りたい。しかし初めて出された職務命令に従わなければどうなるのか想像もつきません。まだ私は若かったし、定年までの人生を考えるとどうなるかわからない恐ろしさは半端ではありません。

 卒業式当日、悩み抜いた結果、苦渋の末に起立しました。すると「たまきも座って」と言っていた生徒たちがうらめしそうにこっちを見ています。そして「座ってもいいでしょ」と念押ししにきた生徒だけが座りました。でも、彼は落ち着きなさそうに周囲をきょろきょろ見渡し、居たたまれなくなって曲の途中からゆっくりと腰をあげ、曲の最後には立ちました。この光景は忘れられません。わたしは、立ったことを激しく後悔しました。私を頼ってきた生徒の信頼を完全に裏切ってしまいました。私が立つということは、生徒の内心の自由を守れなかっただけではなく、生徒を立たせてしまい、大きな強制力を持って生徒の内心の自由を奪うことだったのです。「教師なんて信用できない。教育なんてくそ喰らえ」と言ったOさんを思い出しました。

 しかし私は生きていくために働かなくてはいけない。馘にならないで働き続けるには命令に従ってやり過ごすしかない。そう自分に言い聞かせて、その後は、君が代が流れる40秒間は心とからだを分裂させ、この辛いことをやり過ごす努力をしてきました。「私はここに立っているけど私の魂はここにはない」と、40秒の間、体育館の上空に魂を飛ばしていました。しかしいくら自分をごまかしても、息苦しさは増すばかりでした。

 2013年に担任を持つことになりました。10.23通達の出た年以来10年ぶりの担任です。入学者名簿を見ると、外国籍の生徒や障害を持つ生徒がいるなど様々です。今度は後悔したくない。また生徒と真摯に向き合いたい。今度こそ生徒に信用される教師になりたい。そう思うと、もう入学式でも卒業式でも立つことはできませんでした。

 生徒それぞれにいろいろな背景やルーツがあります。君が代を強制することは生徒の人権を侵害することです。起立斉唱の強制は、教師だけではなく、生徒たちも苦しめ、生徒の人権を抑圧しています。10.23通達と職務命令を続けることは、生徒の人権抑圧を許すことになります。どうか裁判所にはそのことに目を向けていただき、10.23通達を違法とする判断をお願いいたします。

東弁講堂「日の丸撤去事件」の顛末

(2022年6月1日)
 私の古巣である東京南部法律事務所から電話があった。「よい報せではありませんが…」という前置き。これは訃報だ、と覚悟した。案の定、坂井興一さんが亡くなったという報せだった。

 亡くなったのは5月21日だったが、ご家族の意向が「皆様へのお知らせは身内だけの葬儀を済ませたあとに」とのことだったという。コロナ禍の所為というよりは、いかにも坂井さんらしい。

 坂井さんとは半世紀以上の付き合い。6年間同僚として机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。新人弁護士として指導も受け、大きく感化も受けてきた。あるとき、真顔で「君には思想があるか。命を掛けても貫こうという思想が…」と言われて戸惑った覚えがある。「そんなものはない」とだけ答えたが、「思想よりも命の方がずっと大切ではないか」と言えばよかった。それだって立派な思想ではないか。

 私とは同郷と言ってもよい。岩手県南の陸前高田出身で県立盛岡一高から現役で東大法学部に進学。在学中に司法試験に合格している。おそらく、生涯を通じて試験に落ちた経験のない人。囲碁の達者でもあった。

 その経歴は、官僚か裁判官、あるいは企業法務をやってもよかろう人だったが、すんなりと労働弁護士としておさまり、その立場を生涯貫いた。そして、あの〈奇跡の一本松の〉【陸前高田市・ふるさと大使】を務めてもいた。

 坂井さんについて思い出深いのは、東弁講堂「日の丸」掲額撤去事件である。
 かつて、東弁旧庁舎の大講堂正面には、額に納まった大きな日の丸が掲げられて参集者を睥睨していた。古色蒼然というよりは、アナクロこれに過ぎたるはなしと評するにふさわしい。私は、東弁に登録して弁護士になったとき、その講堂で宣誓式に臨んだが、この大きな「日の丸」が目に入らなかった。目に入らぬはずはないが、大して目障りとは思わなかったのだ。

 その後私は、岩手県弁護士会に登録を移し、11年を経た1988年夏に東弁に再登録した。そのとき同じ東弁講堂で2度目の宣誓をした際に見上げた「日の丸」が、この上ない異物として目に突き刺さった。これは何とかしなくてはならない。そう考えたのは、岩手靖国違憲訴訟を担当しての意識変革があったからである。

 私は、東京弁護士会運営の議会に当たる「常議員会」の委員に立候補して、その最初の会議の席で「日の丸の掲額は、弁護士会の理念に関わる問題と捉えねばならない」「東弁はこの講堂の『日の丸』を外すべきだ」と訴えた。

 そもそも「日の丸」は、国家のシンボルであって在野を標榜する弁護士会にふさわしいものではない。「日の丸」は日本国憲法とは相容れない軍国主義や侵略戦争とあまりに深く結びついた歴史を背負っている。憲法の理念に忠実であるべき弁護士会が掲げるに値しない。「日の丸」という価値的な評価の分かれるシンボルをあたかも、全東弁会員の意向を代表するごとくに掲額してはならない。

 一弁講堂には、「日の丸」ではなく、「正義・自由」との額が掲げられている。それに比較して東弁は恥ずかしいと思わねばならない、とも言った記憶がある。

 もちろん、これに異論が出た。当時、家永訴訟の被告側代理人だった弁護士から、このままでよいという発言があった。「日の丸」は国民全体のシンボルと考えて少しもおかしくない。何よりも、先輩弁護士たちが長く大切にしてきたものをわざわざ降ろす必要はない、というようなものだった。

 幾ばくかの議論の応酬のあと、いったん執行部がこの議論を預かり、「日の丸」掲額の経緯や趣旨について調査をし、その報告に基づいて再検討ということになった。

 このときの東弁副会長で、この問題を担当したのが坂井さんだった。けっして私と示し合わせたわけではない。本当に偶然の成り行き。まずは、この額を外して、実況見分したところ、太平洋戦争直前の時期に、弁護士会から戦意高揚のためにどこかに奉納した幾品かのうちの一つで、額からは「武運長久」「皇国弥栄」などの添え書きもあったという。

 結局、どうしたか。「調査のために一度外した額ですが、とても重い。建物の劣化もあって壁面に再度取り付けることは危険で事実上不可能と判断せざるを得ません。もうすぐ新庁舎に移転することでもありますし、壁面の補修の予算は取れません」「やむを得ない事情として、ご了解ください」 

 これが、坂井さんらしい収め方だった。この期の理事会は、取り外した「日の丸額」を再取り付けはしないこととした。新庁舎に日の丸がふさわしいわけがない。右派も、「日の丸を掲げよ」などと提案できるはずもない。こうして、今東京弁護士会は「日の丸」とは無縁なのだが、これは坂井興一さんのお蔭でもある。

「悔しくて涙が出た」マリウポリでのロシア国歌 ー 国旗国歌(日の丸君が代)強制も同様なのだ。

(2022年5月13日)
 本日の毎日新聞朝刊・トップに「配給所 屈辱の露国歌」という大きな主見出し。これに「避難 命懸けのマリウポリ」という横見出しが付けられている。

 この記事は、マリウポリから西に200キロのサポロジェでの毎日記者による取材記事。取材対象は、マリウポリの住民だった母子。4月10日にロシア軍占領下のマリウポリから徒歩で脱出し、1か月近くの逃避行を続けてサポロジェで保護されたという。マリウポリへの砲撃と、露軍占領下の街の様子が生々しく語られている。その街の様子として次の一節がある。

 「露軍による占領後、ロシア側が開いた人道支援物資の配給所へ何度か足を運んだ。午前11時の開始を目がけ、腹をすかせた人々が早朝から列を作る。屈辱的だったのは、配給時にロシア国歌が流されることだった。『(露軍の攻撃で)家も日常生活も失った中で、悔しくて涙が出た』と唇をかみ締めた。」

 このマリウポリの女性にとってロシア国歌を聴かされることは、「悔しくて涙が出る」ほどの屈辱なのだ。その歌は、ロシアという国家の存在と、その国家による理不尽な支配を誇示するものなのだ。

 特定のデザインの旗が国旗となり、特定の歌詞とメロディーの曲が国歌となる。国旗国歌は、特定の国家のシンボルとなって、国家の存在に代わる意味づけを持つ。

 チャイコフスキーの序曲『1812年』では、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律をもって侵略軍の激しい咆哮とし、やがてこれを撃退して祖国に平和が戻ったことを高らかな唱ってロシア帝国国歌が奏でられる。

 また、映画「カサブランカ」には、独仏の「歌合わせ」の有名な場面がある。酒場でドイツ兵たちが「ラインの守り」を高唱していると、レジスタンスのリーダーが客たちと歌う「ラ・マルセイエーズ」に圧倒されて、かき消されてしまう。

 旗も歌(あるいは曲)も、ときにその意味するところは大きい。マリウポリの街のロシア国歌は、この街の主人がロシアであることを我がもの顔に語っているのだ。

 同様に、卒業式での「国旗・国歌」への、起立・斉唱は国家への忠誠の象徴的行為である。「日の丸」への叩頭・「君が代」の高唱は、「日の丸・君が代」と一体となった神権天皇制や軍国主義の歴史受容の象徴的行為にほかならない。

 少なくとも、そのような理解は、思想・良心の自由として保障されなければならない。ロシア国歌を聴かざるを得ないことが、「悔しくて涙が出る」ほどの精神的苦痛であるなら、国旗・国歌(日の丸・君が代)を受容しがたい人に、起立・斉唱を強制することも同様の苦痛を伴う行為なのだ。精神的自由の根幹に関わる問題として、そのような強制は許されない。

 あらためて、象徴(シンボル)というものに対峙する精神のあり方について、理解を得たいと思う。聖なる画像を踏まざるを得ない信仰者の心の痛みを。他国の国旗国歌であろうと、自国の国旗国歌(日の丸君が代)であろうと、その思想や良心において受容しがたいものを強制される精神の苦痛を。

 「愛国心涵養のために国旗国歌(日の丸君が代)の掲揚斉唱が必要」などという暴言は、個人を尊重する憲法原則の最も忌むべき謬論である。

「日の丸」を大切にし、「日の丸」を焼いた人。

(2022年5月7日)
 5月15日沖縄「返還」50周年を目前に、あらためて沖縄が注目されている。沖縄の歴史と歴史を引き摺っての現状に関して。何人かの著名人がその思いや見解を発信しているが、知花昌一さんもそのうちの一人。彼は、戦後1948年の生まれで、沖縄中部読谷の出身。読谷は、米軍の沖縄本島の上陸地である。

 1945年4月1日、米軍は、北谷、読谷に上陸した。この頃、現地のチビチリガマで「集団自決」が発生している。この米軍の上陸地点から、首里城の軍司令部までの戦闘地域を「中部戦線」と呼ぶ。日米が死力を尽くして戦った沖縄戦の主戦場である。

 米軍は上陸地点である北谷・読谷から首里城までの10キロの進軍に、ほぼ50日を要している。沖縄守備軍は この間の兵力10万を投入して、7万4千人(主戦力のほぼ7割)を失っている。1日あたり千人以上の死者を出していたことになる。太平洋戦争での唯一の本土地上戦であり、もっとも激しい戦いともいわれる。

 その読谷で生まれ育った彼も、高校生だった64年、沖縄にやってきた東京五輪の聖火ランナーを日の丸を振って迎えた。その日の丸は今も大切にとってあるという。「平和憲法があって、基本的人権がある。沖縄にないものが日本には全部あると思った」(以下、朝日)

 その彼が、87年、読谷村の国体会場での日の丸を引き下ろして燃やした。なにが、そうさせたのか。

 生まれ育った集落のはずれにある「チビチリガマ」が83年、本格的に調査された。スーパーを経営し、顔が広かった知花さんも参加。住民たちは少しずつ重い口を開き、沖縄戦で住民約140人が避難し、うち83人が「集団自決」した事実が初めてわかった。

 近所の遠縁の女性は6歳の長男を亡くしていた。いつも酔っ払っているオジイは、家族5人を手にかけた苦しみを紛らわすために酒を飲んでいた。「たくさんの人が、語れない過去を抱えて生きてきたことを知ったのです」

 72年に復帰が実現しても、米軍基地はなくならなかった。有事の核兵器の持ち込みを認めるなど、日米間の「密約」も次々と判明する。79年には、昭和天皇が終戦直後、沖縄の長期占領を望むとのメッセージを米国に伝えていたことも明らかになった。日本側の狙いについてはいくつかの解釈があるが、「沖縄は戦後も天皇に切り捨てられた」と映った。

 沖縄で国体が開かれた87年、知花さんは、掲げられた日の丸を引き降ろし、燃やした。「差別され、差別から逃れようと『天皇の国家』を信じ過ぎてしまったのが沖縄。その後悔と痛みを抱えて生きる人たちに対して、また天皇を象徴する旗が押しつけられたから、降ろすしかなかった」

 周知のとおり、刑法には「国旗損壊罪」などはない。それに代わるものとして、建造物侵入・器物損壊・威力業務妨害の3罪での起訴がなされ、有罪となった。量刑は、懲役1年・執行猶予3年。

 合衆国連邦最高裁の判例では、思想上の信念から国旗を焼却する行為は、「象徴的表現行為」の法理に基づいて、無罪となり得る。当然、弁護側はそのような弁論もしたが、判決(控訴審判決。最高裁への上告はなかった)は、「事案を異にする」として逃げた。けっして、「象徴的表現行為の法理」を否定してはいない。

 今、知花さんはこう言う。
 「沖縄戦24万人の犠牲の上に残された教訓はたった二つです。
  一つは、軍隊は住民を守らなかった。守らない。
  二つは、教育の恐ろしさ、大切さです。

 今、ロシアのウクライナ侵攻を機に、「国民の安全のためにもっと強い軍隊を」と望む声が一部にある。もう一度、沖縄戦を思い起こしたい。

 なお、私的なことだが、私と知花さんとは袖擦り合っている。
 1997年4月、地位協定に基づく《米軍用地特措法》という悪法の、その《再改悪》法が、国会通過の運びとなった。要するに住民の意思にかかわらず、軍用地の拡張を可能とする立法。これに沖縄が猛反対し、反戦地主会がその闘いの先頭に立った。知花さんを含む反戦地主21名が国会の本会議を傍聴して、悪法成立の瞬間に、一斉に抗議の声をあげた。これが議員運営委員会には不快と映り、21名全員警察署送りというたいへんな事態になった。

 自由法曹団からの連絡で、20名を超す弁護士が国会に駆けつけた(あるいは麹町署だったかも知れない)が、釈放ないまま身柄は分散留置ということになった。その留置先の一つに本富士署があり、そこに留置される被疑者については、私が弁護を引き受けることとした。私の事務所から、徒歩5分もかからない。たまたま、その本富士署に留置されたのが知花さんだった。

 もう一人の弁護士と、深夜、大声で、接見させろ、釈放しろと要求を重ね、弁護人選人届をとった。4月17日午後の逮捕で、翌18日朝検察官と交渉し、19日朝になって勾留請求ないまま釈放が決まった。釈放指揮のあった正午頃、私は知花さんの身柄を引き取って、タクシーに乗せ、江戸東京博物館ホールでの集会に送り届けた。

 幸い不起訴で事件は終了した。当時、私は多忙を極めていた。知花さんとの会話は、本郷から両国までのタクシーの中だけでのこと。あれから、知花さんと会う機会はない。私が「日の丸・君が代」強制問題と取り組むようになったのは、それからしばらくしてのことである。

東京「君が代」裁判5次訴訟。原告と代理人の意見陳述に改めて感動。

(2022年4月28日)
 石原慎太郎教育行政時代の悪名高き「10・23通達」から18年余。都立学校での「日の丸・君が代」強制の嵐はおさまることなく、猛威をふるい続けている。

 本日、第5次処分取り訴訟の第4回口頭弁論が、東京地裁709号法廷で開かれた。原告側が2通の準備書面を提出し、原告2人、代理人1人が、口頭で意見陳述をした。裁判官諸氏はよく耳を傾けてくれたと印象をもった。

 本日の法廷での、意見陳述、私も代理人席で聞いて感動した。弁護士として、自分が受任した人の発言に感動し、自分が受任している事件の意義を再確認するのは、至福のひとときである。

 「日の丸・君が代」の強制に服することができないと決意した人々とは、教育という営為を真剣に考え、子どものことを真面目に考える、優れた教師なのだ。自分に忠実でなければならないとする高潔な人々なのだ。その真面目さ、高潔さへの共感が感動となる。そしてその感動は、東京都教育委員会や背後で指図している東京都知事の理不尽への怒りとなる。

 本日の代理人意見陳述の原稿をご紹介したい。とても分かりやすい。誰にも、説得力があると思う。ぜひ、ご一読いただきたい。

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原告ら代理人国旗国歌法立法趣旨に関する意見陳述要旨

 原告ら訴訟代理人白井劍です。このほど提出した準備書面(6) では、国旗国歌法の立法趣旨からして起立斉唱の義務づけは許されないことを述べました。その要約に6分ほどのお時間を頂戴いたします。

 国旗国歌法の法案作成過程では、国旗国歌の尊重義務が条項から慎重に除外されました。2009年8月18日付朝日新聞には、法案作成に携わった人たちのインタビューが載っています。
 当時の官房副長官はこう述べています。「尊重義務などを書けば,罰則がなくても『義務を守らないのは,けしからん』などと言い出す人がいるかもしれない。そうした余地はないほうがいい』」。
 当時の内閣法制局長官はこう言っています。「君が代を歌わないことをとやかく言われたり,国旗に敬礼しなければいけなかったりする社会は窮屈だ。歌いたくなければ歌わずに済む社会が私はいい」。
 内閣官房長官であった野中広務氏は、法制化から4年経って10・23通達が発出されたのちに、教職員に対する懲戒処分について日弁連のインタビューに答えて、「立つ,立たん,歌う,歌わんで処分までやっていくというのは,制定に尽力した私の気持ちとしては不本意で,そのような争いを残念に思っております」と語っています。
 国旗国歌を尊重することを義務づけすべきでないとして、国旗国歌の尊重義務が法案作成過程で慎重に除かれたのです。

 しかし、それでも国会審議が進むにつれ国論を二分する国民的大議論が沸き起こりました。これを反映して国会でも白熱した議論になりました。政府は、「強制しない」、「教育現場での取り扱いに変更をもたらさない」と、くり返し一貫して答弁しました。
 内閣総理大臣「学校における国旗と国歌の指導は・・義務づけを行うことは考えておらず,現行の運用に変更が生ずることにはならない」。
 内閣官房長官「学校現場におきます内心の自由というものが言われましたように,・・式典等においてこれを,起立する自由もあれば,また起立しない自由もあろうと思うわけでございますし,斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思うわけでございまして,この法制化はそれを画一的にしようというわけではございません」 
 文部大臣「教育の現場というものは信頼関係でございますので,・・処分であるとかそういうものはもう本当に最終段階,万やむを得ないときというふうに考えております」。
 政府委員「単に起立をしなかった,あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって,何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われ・・るということはあってはならないこと」。

 そうして、ようやく成立にこぎつけたのが経過です。法制化直後の文部省通知も、「学校におけるこれまでの国旗及び国歌に関する指導の取扱いを変えるものではありません」と確認しています。
 教育公務員に対しても義務づけはしない。教育現場での取扱いを変えない。この国の立法府におけるその確認が、東京都においては一片の行政通達で簡単に反故にされてしまいました。それから18年余りが経ちます。

 10・23通達の異常さの本質は,「多元的価値を認めない」ことにあります。日の丸に向かって起立して君が代を歌うことだけが正しい。この価値観を生徒たちに教える。それが10・23通達の狙いだと都教委自身が述べています。将来,生徒が社会に出て,「国歌斉唱をする場に臨んだとき,一人だけ,起立もしない,歌うこともしない,そして,周囲から批判を受ける,そのような結果にならないよう指導する」と都教委の答弁書に述べられています。
 「周囲から批判を受ける結果にならないよう指導する」と都教委は言います。都教委のいう「指導」が効果を上げれば,尊重義務規定などなくても,国旗に向かって起立し国歌を斉唱しない人は、間違ったことをして「周囲から批判されるべき」人である、ということにされてしまいます。「指導」の効果を上げるため、教職員に起立斉唱を命じ懲戒処分を科して、「指導」を徹底しているのです。「指導」を受けた生徒が卒業して次々と社会に出ていく。時が経過すれば、「指導」の効果は、生徒を介して広く一般社会におよびます。それは、国旗国歌法に国旗国歌の尊重義務規定を入れたのと実質的に同じです。

 法案作成過程で慎重に尊重義務規定が除外されました。国会審議でも侃々諤々の議論を経て義務づけしないとくり返し確認されて成立にいたりました。その法律の立法趣旨を下位規範である通達が打ち破るという倒錯が起きています。起立斉唱の義務づけは、国旗国歌法の立法趣旨からも許されないことといわねばなりません。

                            以上

「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える。

(2022年3月31日・本日毎日連続更新満9年)
 年度末の3月末日。例年、都立校関係者の『卒業式総括・総決起集会』が開催される。東京都教育委員会の《卒入学式における国旗・国歌(日の丸・君が代)強制》に抗議しての集会である。本年は、『卒業式総括・再任用打ち切り抗議 総決起集会』となった。

 私も出席して、都立校の校内で起こっている様々な出来事の報告を聞いた。共感し、励まされ、元気の出る話が多かった。誇張ではなく、立派な教育者が悩み嘆かざるを得ない事態に追い込まれ、それでもよく頑張っているのが現状である。私も要旨次のような報告をした。 

 悪名高い「10・23通達」の発出から18年余。今の高校生が生まれる前のことだと聞いて、改めて感慨深いものがあります。あれから毎春の卒入学式が、東京都の公立校における教職員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の場となり、これに現場で、社会で、訴訟で闘ってきました。私たちは、この間何を求めて闘い、何を獲得して、未だ何を得ていないのか。

 この旗と歌とを、国旗・国歌と見れば、国家と個人が向き合う構図です。憲法は、個人の尊厳をこそ根源的な憲法価値としており、国家が個人に愛国心を強制したり、国家に対する敬意表明を強制することなどできるはずはなかろう。

 また、この旗と歌とを「日の丸・君が代」と見れば、この旗が果たした歴史と向き合わざるを得ません。「日の丸・君が代」こそ、戦前の天皇制国家とあまりにも深く結びついた、旗と歌。天皇制国家が宿命的にもっていた、国家神道=天皇教による臣民へのマインドコントロールの歴史を想起せざるを得ません。そして、軍国主義・侵略主義・民族差別の旗と歌。これを忌避する人に強制するなどもってのほか。

 そして、問題は教育の場で起きています。国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制は。国家主義イデオロギーの強制にほかなりません。戦後民主主義は、戦前の天皇制国家による国家主義イデオロギー刷り込みの教育を根底的に反省するところから、出発しました。教育は、公権力から独立しなければならない。権力は教育内容を支配し介入してはならない。この大原則を再確認しましょう。

 法廷闘争では、懲戒権の逸脱・濫用論の適用に関して一定の成果を収めています。懲戒処分対象行為が内心の思想良心の表明という動機から行われたこと、行為態様が消極的で式の進行の妨害となっていないことなどが重視されて、「実質的な不利益を伴わない戒告」を超える過重な処分は違法として取り消させています。この点は、憲法論において間接的にもせよ思想良心の制約の存在を認めさせるところまで押し込んだことが、憲法論の土俵では勝てなかったものの懲戒権の濫用の場面で効果を発揮したものと考えています。

 私たちの闘いの成果は、十分なものとは言えませんが、闘ったからこそ、石原慎太郎教育行政が意図した民主的な教員をあぶり出し放逐しようという、邪悪な企てを阻止し得たのだと思います。

 今、処分取消第5次訴訟。これまで積み残しの課題もあり、新たな課題もあります。この意義のある壮大な民主主義の闘いを、ともに継続していきたいと思います。

 そのあと、大阪高裁の「再任用拒否国家賠償訴訟」逆転勝訴判決の内容紹介をした。またまた、東京でも、再任用打ち切りが問題となっている。

 以下に、本日の集会が確認した抗議声明を掲載する。この声明、気迫に溢れた立派なものではないか。《「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える》という指摘は、今の情勢を見るとき重いものがある。

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「君が代」処分を理由とした再任用不合格に抗議する声明

 1月19日、東京都教育委員会(都教委)により、1名の都立高校教員が校長を通じて再任用の不合格を告げられた。
 当該教員が定年を迎えるに当たり再任用を申し込んだ2019年以来3回にわたって、毎年繰り返されてきた「懲戒処分歴がある職員に刻する事前告知」の内容を強行したものである。これは以下のように幾重にも許しがたい暴挙であり、私たちは断固として抗議するとともに再任用不合格の撤回を要求する。

 まず、「事前告知」において問題として挙げられている処分は、2016年の卒業式における不起立に対する戒告処分であるが、当該処分については現在その撤回を求めて裁判を行っている係争中の案件であるにもかかわらず任用を打ち切ることは、裁判の結果如何によっては都教委が回復不能の過ちを犯すことにもなりかねない。
 また、すでに戒告処分によって不利益を被っている者に対して任用をも奪うことは、二重処罰と言っても過言ではなく、これが容認されるならば行政処分の中で最も軽いとされる戒告処分が免職にも相当することになる。
 さらに、「事前告知」では卒業式での不起立に対する戒告処分が理由として言及されていたにもかかわらず、今回の不合格通知に際しては理由すら明らかにされなかった。校長からの問い合わせに対しても、「判定基準を満たさなかった」とのみ回答した。しかも、再三にわたる私たちの要請や質問に対して、都教委は「合否に当たり、選考内容に関することにはお答えできません。」との回答に終始しており、任用を奪うという労働者にとっての最大の権利侵害に対して理由すら明らかにしない姿勢は、任命権考としての責任をかなぐり捨てたという他はない。
 何よりも、卒業式での不起立は一人の人間として教員としての良心の発露であり、過去の植民地支配や侵略戦争、それに伴うアジア各国の人々と日本国民の犠牲と人権侵害の歴史を繰り返さないため、憲法と教育基本法の精神に基づいてなされた行為であると同時に、憲法が規定する思想良心の自由によって守られるべきものである。

 「10・23通途」発出以来今日までの18年半の間に、通達に基づく職務命令によってすでに484名もの教職員が処分されてきたこの大量処分は東京の異常な教育行政を象徴するものであり、命令と処分によって教育現場を意のままに操ろうとする不当な処分発令と再任用の不合格に満身の怒りを込めて抗議し、その撤回を求める。
 あまつさえ都教委は再三にわたる被処分者の会、原告団の要請を拒んで紛争解決のための話し合いの席に着こうともせず、この問題を教育関係考自らの力で解決を図るべく話し合いを求めた最高裁判決の趣旨を無視して「職務命令」を出すよう各校長を指導し、結果として全ての都立学校の卒業式・入学式に際して各校長が「職務命令」を出し続けている。それどころか、二次?四次訴訟の判決によって減給処分を取り消された現職の教職員に対し、改めて戒告処分を発令する(再処分)という暴挙を繰り返し、再任用の打ち切りまで強行するに至っては、司法の裁きにも挑戦し、都民に対して信用失墜行為を繰り返していると言わざるを得ない。

 東京の学校現場は、「10・23通途」はもとより、2006年4月の職員会議の挙手採決禁止「通知」、主幹・主任教諭などの職の設置と業績評価制度によって、閉塞状況に陥っている。「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える。
 私たちは、東京の学校に自由で民主的な教育を甦らせ、生徒が主人公の学校を取り戻すため、全国の仲間と連帯して「日の丸・君が代」強制に反対し、不当処分撤回一再任用打切りの撤回を求めて闘い抜く決意である。この国を「戦争をする国」にさせず、『教え子を再び戦場に送らない』ために!

 2022年3月31日
 四者卒業式・入学式対策本部
 (被処分者の会、再雇用2次訴訟を語りつぐ会、予防訴訟をひきつぐ会、解雇裁判をひきつぐ会)

耳を傾けていただきたい。法廷での魂の叫びにー。

(2022年2月8日)
 昨日の午前11時東京地裁631号法廷で、東京「君が代」裁判・第5次訴訟・第3回ロ頭弁論期日が開かれた。

 原告は、この日3通の準備書面を提出した。「10・23通達」に関連の最高裁判決における合違憲判断の枠組みが原告の主張を正確にとらえていないこと(準備書面(3))、教育の本質と戦後教育改革の理念とを踏まえた旭川学テ最高裁大法廷判決を論じて(準備書面(4))、その理念に逆行している東京都の教育現場の実態、とりわけ特別支援学校において分かり易く可視化されている「日の丸・君が代」強制の反教育的性格(準備書面(5))を裁判官に訴えた。

 この日の法廷では、原告2名と代理人弁護士1名が口頭で意見を陳述した。原告はその心情を吐露し、弁護士は合計200ページ余の3通の準備書面の要約を語った。当然のことながら、弁護士陳述は感動的なものたり得ないが、原告の意見陳述はこのうえなく感動的なものであった。3名の裁判官とも、いずれも真摯な態度でよく耳を傾けてくれた。

 強制されてなお、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明をしがたいという教員の姿勢は、けっしてわがままでも、独りよがりでもない。教員としての職責のあり方を突き詰めて考え、自分自身の教員としての生き方を裏切ることができないという重い決意で、不起立に至っている。そのことの重さが裁判官にも伝わったのではないかと思う。

 情報や論理については「書面を読めば分かる」ものでもあろうが、肉声でなくては伝わらないものもある。人の精神の奥底にある懊悩や、それを克服しての決意の重さは、文字では伝わりにくい。原告お二人の陳述は、聞く人の胸に訴え、人の心を動かす真摯さに溢れたものであった。法廷にいる皆が、人の精神の崇高さに触れたと思ったのではないだろうか。以下は、その抜粋の要約である。

(1) 原告Y教員 意見陳述要旨

 私は十代後半から二十代にかけて、「死」という絶対的な無に帰す人生に意味も、目的も見いだせずただ恐怖ばかりが募り苦しみました。その恐怖の中で、命は有限という点で平等なのだと気づきました。それまで、人間はみな平等と言われても、能力も、資産も、容貌も生まれつき大きな差があり、全く不平等だと思っていましたが、「無限・永遠」を対比させれば、寿命の長短は意味を失い、死ぬべき命を今生きているという共通点があるばかりです。そして、私は一人ではない、同じ運命の他者が与えられている。他者と共に生きる時、人生の意味や価値を見いだすことができる、と考えるようになりました。このような思いに至るにはキリスト教との出会いがあり、信仰を与えられたことが大きな転機となりました。大学2年の時に洗礼を受け、教師という職業も信仰によって選びました。「神と人とに仕える」生き方ができる仕事だと思ったからです。

 教員になって二年目、初めて担任したクラスの生徒が夏休み中に自死してしまいました。遺書はありませんでした。わかったのはただひとつ、私の目には彼の悩みや苦しみが何一つ見えていなかったという事実だけです。担任の仕事とは「今」「気づかなければならない一人」に気づけるかどうかなのだ、と激しい後悔の中で肝に銘じました。「ひとりの命、ひとりの存在をできる限り大切にする。あとで後悔しても遅いのだから」これが私の教師としての良心です。

 「君が代」の「君」は象徴天皇制における天皇を指す、と政府は説明しました。「君が代」はこの「君」という特別な存在を認める歌です。神の前に特別な一人、はあり得ない。すべての人は、「神から与えられた限りある一つの命」を今生きている。この絶対的な平等ゆえに互いの命を尊重しあうことが可能になると私は考えます。
 クリスチャンは神から与えられている他者に区別を設けず隣り人として尊び、愛せよと教えられています。私は天皇賛歌であった「君が代」を国歌として歌うことはできません。特別な一人のために、国民がたった一つの自分の命を捧げて、たった一つの相手の命を奪うべく戦ったのは、ごく近い過去の出来事です。命に軽重はあり得ないのに、そこに特別な存在を設けるとき、ひとりひとりの命の絶対的なかけがえのなさが、見失われていきます。同時に、「他者と共に生きる」ための接点をも失ってしまうのです。クリスチャンとして教師として、「目の前の一人の生徒がすべて」と念じてかかわろうとしてきた私の良心に照らして、「君が代」は相容れないのです。

 私は教師として自分の無力さを痛感しています。ひとりの生徒を理解し、関係を築くために必要な、優しさも、想像力も、共感する力も、忍耐力も、なにもかも足りない私に、あるのは信仰だけなのです。その私に、職務命令は、上司という人の命令に従うのか、信仰を持ち続け神に従うのか、と迫るのです。

 私はこれまでも、都教委は個々人の思想、良心、信仰などの心の自由を「命令」で支配、強制してはならないと訴えてきました。しかしこれまでの判決では「10・23通達に基づく職務命令が信仰を持つ者にとって間接的な制約になるとしても、職務上の理由があるのだから、内心の自由の侵害には当たらない」とされてきました。クリスチャンにとってこの命令がある種の踏み絵だとしても、信仰を捨てて踏み絵を踏めとは言っていない、[心の中で何を信じてもけっこうだが、職務命令に従って踏み絵を踏んでください。『教育公務員として上司の命令に従わねばならない』という立派な言い訳が立つのだから、外形的な行為として踏み絵を踏んでもあなたの内面の信仰には何の問題もないはずだ」というのです。遠藤周作の小説『沈黙』でキリシタンに[形だけ踏めばよいのじや]と勧める役人と同じです。しかし信仰を持つ者は心と行動を切り離して言い訳をするとき、自ら信仰を捨てたと自覚するのです。だから踏み絵は切支丹弾圧に有効だったのです。

 この問題に関してお互いに祈り合うクリスチャン教員の会もあります。採用試験に合格し、赴任校も決まっていたのに、任用前の打ち合わせで国歌斉唱を命じられ、採用辞退したクリスチャン青年にも会いました。そして、この職務命令はまた、自分の考えで立たない、歌わないという生徒をも追い詰めるのです。少数者に踏み桧を強いる職務命令は教育現場をゆがめ、社会を変質させていきます。「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という警句を思わずにはいられません。この訴訟では、「内心の自由とは、信仰者が信仰に従って生きぬく自由である」ことを認めていただき、戒告再処分の取り消しをお願いいたします。

(2) 原告I教員意見陳述要旨

 私は、10・23通達後、国歌斉唱時に自分はどうするかということを何度も考えました。ここで通達とそれに基づく職務命令に従ったらずっと自分を責め続けることになる、一生後悔し続けることになる。そう思って、自分の信念に従うことを選択しました。

 「日の丸・君が代」を称えることは、侵略戦争による加害の過去と向き合わないことを意味し、ささやかでもこれに抵抗することが、日本をまた同じ過ちへと進ませない一肋となるだろうと思います。また、私は象徴としての旗や歌に敬意を払うことは一種の宗教的行為だと思うので抵抗があります。そもそも卒業式入学式で国旗・国歌への敬意を表明する必要はないはずだと思っています。

 私は国語の教員として、どんな作品を読んだり書いたりするときにも精神が解放されていることが大切だと思い、教員が権力者とならないように心がけてきました。抑圧は学習の妨げになると考えています。学校は違う意見、様々な考え方があってもお互いに尊重し、許容し合える場であってほしい。私が「君が代」強制の圧力に屈しないことが、生徒たちの生きる将来の社会が自由と権利の守られる社会になることにつながると思っています。

 私は2005年の卒業式・入学式における不起立でそれぞれ戒告処分、減給処分を受け、2013年7月に勝訴判決の確定で減給処分が取り消されました。ところが、同年12月、減給処分が取り消された件について、再度戒告処分されました。減給処分取り消しの喜びもつかの間、新たに戒告処分されたことは衝撃でした。処分取り消しが確定した、13年9月の最高裁判決文には「謙抑的な対応が教育現揚における状況の改善に資するものというべきである」という裁判長の補足意見が付けられていました。判決が出てわずか3ヶ月後に再び処分を行うことは「謙抑的な対応」の対極にあるものです。

 戒告というと軽い処分のように聞こえるかもしれませんが、経済的不利益も伴います。しかも、東京都の処分規定が変わったため、経済的不利益は取り消されたかつての減給処分より重くなっています。減給処分の取り消しによって減給された給料は戻りましたが、処分に伴う不利益がすべて解消されたわけではありません。担任を外されたり、異動で不利な扱いをされたりしたことなどはもとに戻せません。そこに更に、新たな処分によって不利益をこうむりました。再度の処分の時期がちょうど勤続25年の休暇取得の時期と重なり「懲戒処分を受けた日から2年を経過しない者」は取れないと、延期になり、前の処分から8年も後の再度の処分の理不尽さを感じました。

 10・23通達後、卒入学式で「君が代」斉唱を全員にやらせることが生徒の利益より優先していて、学校教育の中で優先すべき順位が狂っていると思うことが続きました。卒業式への出席が危ぶまれるくらい心身の具合が悪い生徒の側に、担任か養護教諭がついていたほうがいいのではないかという意見が、「指定された席からの移動は国歌斉唱が終わってからにしてください」と認められませんでした。また、処分発令後に受講を強制された服務事故再発防止研修の個別研修を「授業のない日にしてほしい」という要望は、「授業は変更の理由にならない」とされ、検討すらされませんでした。生徒の状況や課題よりも国歌斉唱時に起立できるかどうかのほうが優先されるようになってしまったのです。

 2017年3月の卒業式は私が卒業生担任として臨む最後の卒業式でした。夜間定時制高校の生徒は心身の健康や家庭のことなどで厳しい問題を抱えている生徒が多く、卒業までの4年間を通い続ける大変さは並大抵のことではありません。
 私はそんな生徒たちの卒業までの頑張りを称え、祝福したいと思いました。

 3学期に入ってからは、管理職から何度も「卒業式では起立してください」と言われました。悩みましたが、やはり起立することはできないと思い、そのことを卒業式間近の学年会で話しました。起立することはできないと思っていた気持ちに迷いが出てきたこともあり、何とか打開策はないものかと考え続けましたが、良い策があるわけがありません。結果的に卒業式当日は式に出ることができませんでした。生徒には申し訳なかったと思います。
 
 「君が代」を強制する理不尽をご理解いただき、処分取り消しの判決をお願いします。

東京都教育委員会の「日の丸・君が代」強制は、江戸時代にキリシタンを弾圧した幕府役人の手口そのものである。

(2022年1月31日)
 悪名高き都教委の「10・23通達」。これに基づいて、都内公立校の全校長が、全校の教職員に「卒業式・入学式においては、国旗に正対して起立し国歌を斉唱せよ」という職務命令を出すことを強要されている。しかし、どうしてもこの職務命令に従えないという一群の教職員が、18年にわたって、逐次の法廷闘争を継続している。

 「10・23通達」関連訴訟としては、「予防訴訟」が先行し、その後懲戒処分の取消を止める訴訟が相次いで、現在は昨年(2021年)3月31日提訴の「第5次処分取消訴訟」が東京地裁民事36部に係属している。原告は15名、取消を求める処分の件数は26件である。その次回期日が、2月7日(月)午前11時、東京地裁631号法廷で開かれる。

 各原告が起立斉唱には応じがたいとする理由は様々だが、自らの信仰がこれを許さないとする人々の存在は容易に想像できるのではないか。戦前にも、宗教者による宮城遙拝や靖国参拝や教育勅語に対する敬礼拒否などのの事件はいくつもあった。権力が信仰者の信念を曲げることは頗る困難なのだ。

 これまでの主要訴訟の中には、必ずクリスチャンがおり、今回も自分の信仰を明示して、それゆえに、起立斉唱の強制には応じられないという原告がいる。下記に、第5次処分取消訴訟の訴状における、当該請求原因の一部(要約抜粋)である。比較的分かり易いと思う。お読みいただけたら、ありがたい。

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 国旗国歌への敬意表明強制は原告らの信教の自由を侵害する
  (1) 原告の中には,自らの信仰ゆえに「日の丸・君が代」に対する敬意表明の強制に服しがたいとする複数の者がいる。
    当該信仰をもつ原告らに対して,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよと強制する10・23通達,同通達に基づく職務命令,そして当該原告に対する本件各処分は,いずれも当該原告の信教の自由を直接に侵害するものとして,憲法20条に違反する。
    また,その余の信仰をもたない原告らについても,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよと強制する10・23通達,同通達に基づく職務命令,そして当該原告らに対する本件各処分は,消極的な信教の自由(信仰をもたず,信仰を強制されず,一切の宗教的関わりからの自由)を侵害するものとして,同じく憲法20条に違反する。

  (2) 信教の自由は,憲法史において,常に基本権カタログの先頭に位置する典型的な基本権であった。近代憲法における精神的自由はなによりも信教の自由を意味し,特定の宗教と緊密に結びついていた王権や為政者に対して被治者の信教の自由を認めさせるために近代憲法が成立したとさえ語られる歴史がある。
    我が国においても,特異な宗教と緊密に結びついた神権天皇制下、20世紀の中葉(1945年8月ないしは、47年5月)まで、信教の自由はなかった。1889年制定の大日本帝国憲法28条は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背サル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とし,天皇制を支える国家神道に抵触することのないよう、全ての宗教は管理され統制された。
    よく知られているとおり、国家神道や国体思想に抵触する信仰は,「安寧秩序ヲ妨ケ」るものとして苛酷な宗教弾圧の対象となった。のみならず、天皇の神聖性に抵触するあらゆる思想活動が「国体ヲ変革」するものとして刑事罰の対象となった。また,すべての国民に対して,明らかな宗教行事である神社参拝や宮城遙拝が「臣民タルノ義務」の範疇の行為として強制された。
    日本国憲法は,旧憲法体制が国民の信教の自由を蹂躙した深刻な反省から,憲法20条1項前段に,「信教の自由は,何人に対してもこれを保障する」と厳格な信教の自由保障の規定をおき,その2項で「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」と明記した。
    なお,憲法はさらに、人権としての信教の自由を擁護するための制度的保障として政教分離の規定を置いている(20条1項後段,同条3項,89条)が,本件では政教分離原則を援用する必要がない。原告らの主張は、人権論のレベルに尽きるものである。
    各原告らに対する「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は,信仰をもつ原告らに対するものとしても,また信仰をもたない原告らについても,20条2項および同条1項前段とに違反する人権侵害となることを主張する。

  (3) 「日の丸・君が代」は,大日本帝国の慣習法上の国旗国歌であった。大日本帝国が国家神道という特殊な宗教教義に基づく宗教国家であった以上,「日の丸・君が代」は,いずれも国家の象徴であるだけでなく国家神道という宗教上のシンボルでもあった。「日の丸・君が代」は,天皇の祖先神と現人神としての現天皇の弥栄を祈念する宗教儀式に必須の存在としての宗教的性格を持つ旗であり歌とされた。
    日の丸は,太陽神を象形した宗教的デザインである。その象形が国家神道のシンボルとされたのは,天皇の祖先神(皇祖)であるアマテラスが太陽信仰に由来するところからとされる。また,君が代の歌詞は,神なる天皇の治世が代々継承して永久に続くように,という宗教的な祝讃歌である。
    20世紀中葉まで,そのような意味付けをされていた「日の丸・君が代」は,象徴天皇制を採る日本国憲法下において現在なお,その宗教的性格を払拭し得ていない。とりわけ,自らの信仰を持つ者にとっては,「日の丸・君が代」が公的に宗教と結びついていた時代の、公権力による信仰の自由への圧迫の記憶はいまだに生々しい。のみならず,現在なお天皇の代替わりには、神秘的な宗教行事としての大嘗祭が挙行される。天皇とその祖先を神と祀る宮中祭祀が連綿と継承され,これに追随する全国の神社神道が社会に根を下ろしている今日,「日の丸・君が代」をアマテラス信仰やアラヒトガミ信仰と切り離して考えることのできない現実的な社会基盤が健在であると認識せざるを得ない。

  (4) 信仰者である原告らにとっては,「日の丸」も「君が代」も,自らの信仰と厳しく背馳し抵触する宗教的シンボルとしての存在であって,信仰という精神の内面の深奥において,この両者を受容しがたく,ましてや強制に服することができない。
    このような信仰を有する者に,「日の丸・君が代」を強制することによる精神の葛藤や苦痛を与えてはならない。そのことこそが,日本国憲法が旧憲法時代の苦い反省のうえに国民に厳格な信仰の自由を保障した積極的な意義にほかならない。また,人類史が信教の自由獲得のための闘いとしての一面をもち,各国の近代憲法の基本権カタログの筆頭に信教の自由が掲げられ続けてきた普遍的意味でもある。
    なお,信仰者ではない原告らにとっても,宗教的性格を払拭し得ていない「日の丸・君が代」の受容を強制されることは,信仰を有する者とは違った形で,自己の消極的な信仰の自由(宗教行為の強制からの自由)の侵害にあたるものである。

  (5) 「日の丸・君が代」の宗教的性格の有無や宗教的な意味付けの内容についての判断は,特定の宗教的行為を強制される人権の被侵害者の認識を基準とすべきである。百歩譲っても,被強制者の認識を最大限尊重しなければならない。人権侵害者の側である公権力においてする意味付けは,ことの性質上まったく意味をなさない。また,一般的客観的な基準によるときには,少数者の権利としての人権保障の意味は失われることにならざるを得ない。
    とりわけ留意されるべきは,問題の次元が政教分離原則違反の有無ではなく,個人の基本的人権としての信教の自由そのものの侵害の有無であることである。公権力への禁止規定としての政教分離原則違反の有無の考察においては、宗教的色彩の存否は一般的客観的な判断になじむにせよ,基本的人権そのものである信教の自由侵害の有無を判断するに際しては,人権侵害の被害を被っている本人の認識を判断基準としなければならない。
    信仰をもつ原告らにとっても,また信仰をもたない原告らにとっても,既述のとおり現在なお,「日の丸」も「君が代」も,神なる天皇と天皇の祖先神を讃える宗教的象徴である。その宗教的象徴に対して敬意表明を強制させられることは,信仰をもつ原告らにとっては自己の信仰と直接に背馳し抵触する受け容れがたいものであり,信仰をもたない原告らにとっても信仰をもたない自由に対する侵害にあたるものである。

  (6) 公権力の行使によって,原告らに対して「日の丸・君が代」への敬意表明を強制することが憲法20条に保障された信教の自由の侵害に該当するか否かの判断の過程では,憲法19条についての判断の枠組みと同様,一応は,原告らに対する起立や斉唱という外部行為の強制が,原告らの宗教的精神性を侵害するものであるかという関係性が検討の対象となる。
  ア 信仰をもつ原告らについては,その判断の帰趨は自明というべきである。当該原告らにとっては,「他宗の神への礼拝の強制」にほかならず,「日の丸・君が代」に敬意を表明するよう強制されることは,自らが信仰する教義と深く結びついた自己の人格そのものを否定されることであり,精神の深奥にあるものへの受け容れがたい破壊的攻撃以外のなにものでもない。
  イ 16世紀、江戸時代初期に,当時の我が国の公権力が発明した信仰弾圧手法として「踏み絵」があった。この手法は,公権力がキリスト教の信仰者に対して聖像を踏むという身体的な外部行為を命じているだけで,直接に内心の信仰を否定したり攻撃しているわけではない,と言えなくもない。しかし,時の権力者は,信仰者の外部行為と内心の信仰そのものとが密接に結びついていることを知悉していた。だから,踏み絵という身体的行為の強制が信仰者にとって堪えがたい苦痛として信仰告白の強制になること,また,強制された結果心ならずも聖なる像を土足にかけた信仰者の屈辱感や自責の念に苛まれることの効果を冷酷に予測し期待することができたのである。
  ウ 事情は今日においてもまったく変わらない。都教委は,江戸時代のキリシタン弾圧の幕府役人とまったく同様に,「日の丸・君が代」への敬意表明の強制が,教員らの信仰や思想良心そのものを侵害し,堪えがたい精神的苦痛を与えることを知悉しているのである。
  エ また,信仰をもたない原告らについても,事情は本質において変わらない。信仰をもつ原告においては侵害されるものが自己の信仰であるのに対して,信仰をもたない原告らにおいて侵害されるものは,特定の信仰から自由な精神そのものである。踏み絵の強制は,信仰をもたない一般人に対しても宗教的精神性に対する被害を及ぼしうる。特定の信仰をもたない自由とは,いかなる宗教にも,いかなる態様においても,一切関わりなく精神生活を送ることの自由をいう。「日の丸・君が代」の宗教性が払拭されていない以上は,これに対する敬意表明を強制される原告らについても,宗教から完全に自由であるべきとする精神への侵害となるものである。

  (7) 以上の原告らの主張に対する被告の反論として、「日の丸・君が代」の強制が各原告の信仰(積極・消極の両者を含む)に抵触することまでは否定せずに,「『日の丸・君が代』への敬意表明の強制が信仰に抵触するとしても,間接的なものに過ぎない」とする反論が考えられる。
    しかし,既述のとおり、信仰あるいは積極消極両面の宗教的精神性の侵害の有無は被害者の判断を尊重すべきが当然である。その場合,侵害は「ある」か「ない」かのどちらかでしかない。
    「間接的侵害」とは,意味不明な概念に過ぎず,「直接」と「間接」の意味も範疇の区分・境界も判然としない。このような曖昧な概念を弄して,憲法が至高の価値としている精神的自由に関する基本的人権制約を合理化する論拠としてはならない。信仰をもつ者にとって,侵害が「直接」であろうと「間接」であろうと,信仰を侵害されることによる心の痛みに軽重はない。

  (8) 憲法20条2項は,「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」と定める。条文の文言において最も広い禁止範囲は,「何人も,宗教上の行為…を強制されない」であり,強制を禁止される「宗教上の行為」の典型として「祝典,儀式又は行事への参加強制」が例示されていると解すべきである。
     原告らに対して,懲戒処分を伴う職務命令が発せられている以上は,公権力の行使としての強制があったことに疑問の余地がなく,検討を要する問題点は,当該原告らに強制された「日の丸に正対して起立し君が代を斉唱する行為が,憲法20条2項にいう宗教的行為にあたるか」であり,また「日の丸を掲揚し,君が代を斉唱するプログラムをもつ学校儀式が憲法20条2項にいう宗教的儀式または行事にあたるか」である。
    念のために再度言及しておくが,憲法20条2項は政教分離原則を定めた条項ではない。精神的自由権についての人権保障規定そのものであって,いわゆる制度的保障の規定ではない。制度的保障は公権力に対する行為規範であるから,政教分離原則に関して当該公権力の行為の宗教性の有無を判断するに際しては,一般的客観的な判断になじみやすい。しかし,本件のごとき憲法20条2項の判断においては個別具体的に信仰の自由侵害の有無が判断されなければならない。
    信仰をもつ原告らは,自己の信仰にしたがって「日の丸・君が代」を意味づけ,自己の信仰に背馳し抵触するものとして「日の丸・君が代」を受け容れがたいと主張しているのであって,それで20条2項の該当要件は充足されている。したがって,信仰をもつ原告に関する限りにおいて,被告が「日の丸・君が代」は一般的,客観的に宗教的意味合いがない,と反論することはまったく無意味である。問題は,「日の丸・君が代」が一般的客観的に宗教的意味合いを持つか否かではない。飽くまで,強制される信仰者にとって,自らの信仰ゆえに強制を受容しがたいと言えるか否かなのである。
    本件においては,信仰を持つ当該原告らにとって,「日の丸・君が代」の宗教性は否定できず,それゆえ「日の丸・君が代」の強制が信仰に背馳する行為の強制としての認識がある。したがって,当該強制は明らかに20条2項違反である。
    この理は,基本的に剣道実技受講拒否事件最高裁判決(1996(平成8)年3月8日最高裁第二小法廷判決民集50巻3号469頁)において最高裁がとるところと言ってよい。
    「エホバの証人」を信仰する神戸高専の生徒が受講を強制された剣道の授業受講は,一般的客観的には,宗教的な意味合いをもった行為とは言えない。しかし,当該の生徒の信仰に抵触する行為として,その強制の違法を最高裁は認めた。本件でも同様の関係があり,しかも「日の丸・君が代」への敬意表明という強制される行為は,剣道の授業受講とは比較にならない宗教性濃厚な行為というべきである。

府立高の教員に踏み絵を迫る大阪府教育委員会。迫られた教員は…。

(2021年12月17日)
 人が人であり、自分が自分であるためには、全ての個人に思想・良心の自由が保障されなければならない。国民の思想・良心の自由に対する天敵は、言うまでもなく権力の主体としての国家である。その国家の手先になっているのが、東京ではかつては石原慎太郎であり、いま小池百合子である。いずれも、国家主義の尖兵として、「日の丸・君が代」の強制に躍起になっている。

 大阪でも事情は変わらない。かつては橋下徹、そして今は吉村洋文が知事として、公立校の学校行事で「日の丸・君が代」への敬意表明を強制し、これに従わない教員を容赦なく処分している。

 私には、橋下と吉村が、権力に抗して人権の擁護を使命とする弁護士であることが信じられない。権力とは、それを持つ者に人権の蹂躙を唆す魔力を持つものなのだろうか。それとも、橋下や吉村は人権というものを深く学んだことがないのか、あるいは生来の秩序大好き国家大事の人格なのだろうか。

 思想・良心の自由が外部に表出されるときは、他の全ての人権と同様に無制限ではあり得ない。しかし、無制限ではないことをもって、軽々に人権侵害の理由としてはならない。国連の専門機関であるセアートの日本政府に対する、「日の丸・君が代」強制の抑制を求める勧告の中にある下記の一文が、グローバルスタンダードである。
 「不服従という、無抵抗で混乱を招かない行為に対する懲罰を回避すべきこと」
 式への混乱を招かない、静かな不服従。これに制裁を加える理由はない。国連からこのような勧告を受けることは、日本が人権後進国として扱われていることとして、肝に銘じなければならない。国旗・国歌・日の丸・君が代への評価や好悪は多様である。この旗と歌とを通じて、人は国家や歴史と向き合う。だからこの旗と歌とに対する向き合い方は、個人の思想・良心、即ち国家観・歴史観・宗教観・教育観によってさまざまであって、その価値観を権力が適否を選別し強制してはならない。本来、この旗や歌は、公立学校の式典に持ち出すべきものではないが、少なくともこの旗や歌に対する敬意表明が強制されるようなことがあってはならない。これは、基本的人権のキホンのキであり、憲法史や憲法解釈学を学んだ者の常識に属する。

 しかし、日本に思想・良心の自由の保障はあるのだろうか。大阪高裁が、12月9日に言い渡した「君が代判決」が話題となっている。大阪府教委は、「実質において、起立して『君が代』を斉唱しなかったことを理由に、府立高教員の退職後の再任用を拒否」した。事実上の解雇に等しい。同判決は、この府教委の行為は違法だとして、再任用されていれば得たはずの1年分の賃金相当金額についての損害賠償請求を認めた。

 判決書を一読して興味深かったのは下記の点である。

 「府教委は,職務命令に違反して卒業式又は入学式等の国歌斉唱時に起立斉唱せず懲戒処分を受けた教職員に対する研修終了後に,「今後,卒入学式等における国歌斉唱時の起立斉唱の命令を含む上司の職務命令に従う」旨が記載された意向確認省に署名押印して提出するよう求め,これを提出しなかった再任用希望者に対しては同趣旨の意向確認を行い,その結果を再任用選考時の資料としていた。」

 こう書くと分かりにくいが、要するに、府教委は「今後は国歌斉唱時の起立斉唱の命令に従え。その旨の誓約書を提出しないと再任用はしないぞ」というタチの悪い恫喝を繰り返していたのだ。これに対して、裁判を起こした教員はどうしたか。

 「控訴人(不起立で処分された府立高の教員)は,平成26年の戒告処分について,平成28年1月に約30分の研修を受けた後,上記記載のある意向確認書に署名押印して提出するよう求められたが,後日,「地方公務員法に定める上司の職務命令に従います。ただし,今回の研修では十分な説明が得られなかったため,憲法その他の上位法規に触れると判断した場合はこれを留保します。」などと記載した意向確認書を自ら作成し,署名押印の上,提出した。」

 府教委は、この教員に「『意向確認書』に署名捺印して提出せよ」と求めた。その意向確認書には、「今後は国歌斉唱時の起立斉唱の命令に従います」と明記してある。言わば、踏み絵を迫られたのだ。これに対するこの教員の対応が見事だった。「上司の職務命令に従います。ただし,憲法その他の上位法規に触れると判断した場合はこれを留保します」として提出したのだ。憲法論からは、この教員の行動を非難することはできない。何しろ、憲法に忠実でありたいというのだから。

 それでも、当然の如く教員は再任用を拒否され、裁判に訴えた。一審敗訴の後の逆転判決を喜びたいが、行政の理不尽と一審判決の理不尽にも納得しがたい。同種事件は東京にもあり、一審での勝訴判決もあるが、上級審では敗訴している。

 あらためて願う。憲法の活きる社会であって欲しい。権力の人権侵害を速やかに救済する司法であって欲しい。そして、この判決を勝ち取った府立高の元教員の信念とその信念を貫いた生き方に心からの敬意を表したい。このような人がいてこそ、歴史は前進するのだ。

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