澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

府立高の教員に踏み絵を迫る大阪府教育委員会。迫られた教員は…。

(2021年12月17日)
 人が人であり、自分が自分であるためには、全ての個人に思想・良心の自由が保障されなければならない。国民の思想・良心の自由に対する天敵は、言うまでもなく権力の主体としての国家である。その国家の手先になっているのが、東京ではかつては石原慎太郎であり、いま小池百合子である。いずれも、国家主義の尖兵として、「日の丸・君が代」の強制に躍起になっている。

 大阪でも事情は変わらない。かつては橋下徹、そして今は吉村洋文が知事として、公立校の学校行事で「日の丸・君が代」への敬意表明を強制し、これに従わない教員を容赦なく処分している。

 私には、橋下と吉村が、権力に抗して人権の擁護を使命とする弁護士であることが信じられない。権力とは、それを持つ者に人権の蹂躙を唆す魔力を持つものなのだろうか。それとも、橋下や吉村は人権というものを深く学んだことがないのか、あるいは生来の秩序大好き国家大事の人格なのだろうか。

 思想・良心の自由が外部に表出されるときは、他の全ての人権と同様に無制限ではあり得ない。しかし、無制限ではないことをもって、軽々に人権侵害の理由としてはならない。国連の専門機関であるセアートの日本政府に対する、「日の丸・君が代」強制の抑制を求める勧告の中にある下記の一文が、グローバルスタンダードである。
 「不服従という、無抵抗で混乱を招かない行為に対する懲罰を回避すべきこと」
 式への混乱を招かない、静かな不服従。これに制裁を加える理由はない。国連からこのような勧告を受けることは、日本が人権後進国として扱われていることとして、肝に銘じなければならない。国旗・国歌・日の丸・君が代への評価や好悪は多様である。この旗と歌とを通じて、人は国家や歴史と向き合う。だからこの旗と歌とに対する向き合い方は、個人の思想・良心、即ち国家観・歴史観・宗教観・教育観によってさまざまであって、その価値観を権力が適否を選別し強制してはならない。本来、この旗や歌は、公立学校の式典に持ち出すべきものではないが、少なくともこの旗や歌に対する敬意表明が強制されるようなことがあってはならない。これは、基本的人権のキホンのキであり、憲法史や憲法解釈学を学んだ者の常識に属する。

 しかし、日本に思想・良心の自由の保障はあるのだろうか。大阪高裁が、12月9日に言い渡した「君が代判決」が話題となっている。大阪府教委は、「実質において、起立して『君が代』を斉唱しなかったことを理由に、府立高教員の退職後の再任用を拒否」した。事実上の解雇に等しい。同判決は、この府教委の行為は違法だとして、再任用されていれば得たはずの1年分の賃金相当金額についての損害賠償請求を認めた。

 判決書を一読して興味深かったのは下記の点である。

 「府教委は,職務命令に違反して卒業式又は入学式等の国歌斉唱時に起立斉唱せず懲戒処分を受けた教職員に対する研修終了後に,「今後,卒入学式等における国歌斉唱時の起立斉唱の命令を含む上司の職務命令に従う」旨が記載された意向確認省に署名押印して提出するよう求め,これを提出しなかった再任用希望者に対しては同趣旨の意向確認を行い,その結果を再任用選考時の資料としていた。」

 こう書くと分かりにくいが、要するに、府教委は「今後は国歌斉唱時の起立斉唱の命令に従え。その旨の誓約書を提出しないと再任用はしないぞ」というタチの悪い恫喝を繰り返していたのだ。これに対して、裁判を起こした教員はどうしたか。

 「控訴人(不起立で処分された府立高の教員)は,平成26年の戒告処分について,平成28年1月に約30分の研修を受けた後,上記記載のある意向確認書に署名押印して提出するよう求められたが,後日,「地方公務員法に定める上司の職務命令に従います。ただし,今回の研修では十分な説明が得られなかったため,憲法その他の上位法規に触れると判断した場合はこれを留保します。」などと記載した意向確認書を自ら作成し,署名押印の上,提出した。」

 府教委は、この教員に「『意向確認書』に署名捺印して提出せよ」と求めた。その意向確認書には、「今後は国歌斉唱時の起立斉唱の命令に従います」と明記してある。言わば、踏み絵を迫られたのだ。これに対するこの教員の対応が見事だった。「上司の職務命令に従います。ただし,憲法その他の上位法規に触れると判断した場合はこれを留保します」として提出したのだ。憲法論からは、この教員の行動を非難することはできない。何しろ、憲法に忠実でありたいというのだから。

 それでも、当然の如く教員は再任用を拒否され、裁判に訴えた。一審敗訴の後の逆転判決を喜びたいが、行政の理不尽と一審判決の理不尽にも納得しがたい。同種事件は東京にもあり、一審での勝訴判決もあるが、上級審では敗訴している。

 あらためて願う。憲法の活きる社会であって欲しい。権力の人権侵害を速やかに救済する司法であって欲しい。そして、この判決を勝ち取った府立高の元教員の信念とその信念を貫いた生き方に心からの敬意を表したい。このような人がいてこそ、歴史は前進するのだ。

Comments are closed.

澤藤統一郎の憲法日記 © 2021. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.