澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

尾身茂発言に驚く。これでは、国民の信頼を得られない。

安倍晋三には、とうの昔に見切りを付けている。この人物を信頼してはならない。現下の国民的な災厄に適切に対応する適性も能力も誠実さもない。しかし、チームとして事に当たる、官僚諸君や医療人は信頼に足りるのではないか。その期待は捨てていない。頑張っていただきたいと願っている。

問題は専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)に対する信頼の可否である。当初は、その分野での日本の最高知が集められているのだと思いこんでいた。だから政治性とは無関係に、無能な官邸にも適切なアドバイスができるだろうと期待は高かった。が、どうもそうではないらしい。次第に馬脚が現れてきた。そして、昨日(5月4日)の「緊急事態延長宣言」首相記者会見に陪席した尾身茂の発言は、国民の前に、「これはダメだ」「到底信頼しえない」ことをさらけ出した。

率直に申しあげよう。こんなにも注目された場で、こんなにも能力を期待される人の、こんなにもわけのわからぬ記者会見発言は前代未聞のことではないか。私が浅はかだった。思い起こせば、政権にくっついた「専門家」の不甲斐なさは、3・11原発事故でよく分かっていたはずではないか。安倍政権にくっついている「専門家」には、国民からの厳しい批判が必要なのだ。

官邸のホームページから当該部分を抜粋してみる。以下の質問は要約で、回答は全文である。原文は下記URLを参照されたい。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0504kaiken.html

質問 ビデオニュースの神保(哲生)です。
PCR検査の話、総理は御自分もどこに目詰まりがあるのかをいろいろ聞いてみたというお話がありました。PCR検査は感染状況を知る上でも、自分が感染していることを知らないで人にうつしてしまうケースがあるという意味でも非常に重要だと思うので伺うのですが、内閣総理大臣がPCR検査が少ないので増やせと指示をしても、今の日本は実力的にPCR検査を増やすことができないと総理はおっしゃっているのでしょうか。それとも、まだ、これまでは本気で増やすことをしてこなかったということなのか。そして、なぜ民間を使うという選択肢が出てこないのか。詳しくお話しください。

(安倍総理)
 これはもちろん本気でやる気がなかったというわけでは全くありません。私は何回も、とにかく能力を上げていくと。実際、能力は上がってきているわけであります。国としてできることは、予算をつけて能力を上げるということでありまして、1万5000。しかし、1万5000、能力を上げたら、1万5000人分行くかといったら残念ながらそうなっていないのでありますが、多く見て、多くは東京に集中をしているわけであります。ですから、先ほど申し上げましたように、PCRセンターを20か所増やす中、東京に集中的に12か所増やしました。医師会にも御協力を頂く。言わばそういう体制をつくっても、なぜかと言えば、これはまず、それをPCRをやる方を迎えなければいけなかったわけでありますが、それをやる、言わば人的な目詰まりもあったわけでありまして、医師会の皆さんにも御協力を頂き、また、歯科医師会の皆さんにも御協力を頂くことになったわけでありまして、そういう意味において、全力を挙げていきたいと思っています。
 補足的にもまた尾身先生に御説明を頂きたいと思います。

 予てから、安倍は「PCR検査能力を上げていく」「1日2万件」と表明しながら、現実にはその半分にも到達せず、他人事のように「目詰まり」云々と言ってきた。質問の眼目は、この「目詰まり」にある。安倍晋三よ、本気でやる気があるのか、という問いかけなのだ。これに対する安倍答弁は、かろうじて最初の一文だけが理解可能であるが、それ以下は何を言っているのか分からない。忖度すれば、「これからは全力を挙げていきたい」というものだが、質問者の意図に的確に応えるなどという芸当は望むべくもない。この人、プロンプターやメモがなければ、この程度にしか語れないのだ。これが、わが国の行政府のトップの「能力」なのだ。

ここで尾身茂にバトンが渡される。以下、5パラグラフに分けて感想を述べる。

(尾身会長)

実は、もう民間の方は、先ほども申し上げましたように、3月6日から保険の適用が始まって、少しずつ増えております。今、いろいろ統計を我々は始めて、いわゆる感染研とか地方研でやられていることは分かっています。それと、民間の検査会社でやっているのも分かっていますが、実はこれはなかなか複雑でして、病院でやったものを、今、医師会なんかの御協力で保健所を通さないで行くというシステムができたのは皆さん御存じですけれども、入院されている患者さんは退院するまでに数回やることがありますよね。退院のために2回。そうすると、そのことが全部報告されてきてしまうと、分母、やっている件数が増えますよね。だから、我々、今、非常にジレンマで、今、大変難しいと思って、何とか解決しようと思っているのは、一つの報告、分母は感染研とか公的機関だけのものと、それから民間を入れると今度は増え過ぎてしまって、そこはオーバーになっているということが今、現実ですけれども、しかし、確かにトータルとしては、今日の専門家会議の方で見せましたけれども、検査件数が全く上がっています。

 こりゃまったくダメだ。発言の意味が分からん。とても科学者の言葉ではない。少なくも、新しいウィルス禍と闘おうという高度な知力を要するプロジェクトのチームリーダーの言とは思えない。この人の属するチーム内でのコミュニケーションが成立しているとは思えない。
「今、いろいろ統計を我々は始めて、…実はこれはなかなか複雑でして」という文理からは、「保健所を通す検査」に、「保健所を通さない検査」が加わったから、「実はなかなかPCR検査の統計が複雑でして」、「非常にジレンマで、今、大変難しいと思って、何とか解決しようと思っている」というように読める。この程度の統計処理を難しいというこの人の正直さは憎めないが、到底大事を託することはできない。
あるいは、「民間を入れると今度は増え過ぎてしまって、そこはオーバーになっているということが今、現実です」との意味は、こうであろうか。「これまでは、保健所を通した検査に限定することで、自分たちの対応できる範囲での陽性患者数に抑制してきたが、検査に民間が入ってくるとその意図が崩れてしまって、事態は大変難しい」 これも、バカげた話。PCR検査増加の必要についてまったく理解していないと言うことだ。
発言の趣旨が分からない。何が言いたいんだか理解し難い。問われているのは、これまでどうしてPCR検査に民間活用をしてこなかったのかということ。あなたは、民間の検査や報告を歓迎しているのか、「増え過ぎてしまって、そこはオーバー」だから邪魔で反対というのか。

 それと、先ほど、そういう中でも実は日本の死亡率は、これは一番の我々の目標、全ての感染を知っているわけ、これはなかなか難しいですね。分かりませんが、死亡率という意味で、今のあれでも死亡のことはピックアップして、その死亡の数は、これはヨーロッパのほうに比べても10分の1以下ということですから、必ずしもPCR、私自身はPCRはもう少し、総理がこの前2万件と。そのぐらいまでは行ったほうがいい。それに今、努力をしています。ただ、それと同時に、私は専門家として、一応事実としては、PCRは日本は最も少ない国の一つですけれども、人口当たりの死亡率、それから絶対数もヨーロッパの国の10分の1以下であるということは、これは事実です。しかし、だからといって、今のPCR体制がこのままでいいというように申し上げているのでは。

これも、いったい何を言っているのか。何を言いたいのか分からない。分かるのは、PCR検査不足の言い訳をしようという魂胆だけ。聞かれているのは、PCR検査の実数が伸びない「目詰まり」の実態。安倍得意の論法ずらしと同様に、問題を死亡率にすり替える。類は友を呼ぶというが、なるほど尾身も安倍流なのだ。

 もう一つは実は、PCRというのは、もう皆さんも御承知のように、やるのはそう簡単ではなくて、今、我々が、先ほど治療薬の話が出ましたけれども、私自身は治療薬の研究に直接は関わっていませんが、この5月あるいは6月で臨床治験の結果が出る。

これも、すりかえ論法である。しかし、PCRという検査を話題としているのに、唐突に治療薬の話。いったい、質問とどんな関係があるのか。質問に答える場での、このトンチンカンさは、この人には対話の能力のないことを表している。この人が臨床医であればインフォームドコンセントはできない。この人が教官であれば、生徒は不幸だ。そして、もしかしたら、今日本国民を不幸にすることにもなるのだ。

 それともう一つ、今のPCR関係で非常に重要なのは迅速診断キットです。抗原。これが、まだ最終的な結果はありませんけれども、これは簡単です。唾液を取ってできますから、実は、これは日本がインフルエンザでずっとやってきた、あれなのです。それで、私はこのPCRはこれからも、PCRとこれは補完的な関係ですから、この迅速診断キットというのが私はかなり期待をしています。もちろん早計に簡単なことは言えませんけれども、今、私たちの入っているところでは、比較的、特にウイルスの排出の多い、これが一番感染をしやすいケースですよね。この人たちを探知するのは十分。もちろんPCRの方が感度はいいですよ。だけれども、感染の症状の始まる前、2日ぐらいが一番多いんですね。
 このレベルのウイルスだと引っかける可能性があるということで、私自身はPCRはもちろん、これから様々な困難がありますけれども、努力して、2万件のところまでとりあえず行く。と同時に、迅速診断キットができると、かなり今の状況は変わるということがあるので、この2つを見ながら、また死亡率を、死亡率はだんだん今、死亡者は上がっていますから、死亡者をこのまま他の国に比べて少ないという維持をするためには様々な努力が必要だと思います。

この記者会見発言は一般国民に向けのもので、医療従事者向けでもジャーナリスト向けでもない。拙劣な日本語解説で、一定の知識なくしては内容を推察しえない。 迅速診断キットとは、「新型コロナウイルス検出PCR検査キット」のことではない。過日、楽天が「検査キット(COVID-19 PCR Testing Kit)」を販売するとして話題になったが、結局は販売は中止となった。尾身発言が言及したのは、そのPCR検査キットではない。そして今注目度の高い血清抗体検出キットのことでもなく、「抗原簡易検査キット」のことである。
果たして、どれだけの人が尾身解説を理解できたであろうか。また、知識あって、この人の言うことを推察できた人には、この発言は無用の長物である。

そして最後の「死亡率を、死亡率はだんだん今、死亡者は上がっていますから、死亡者をこのまま他の国に比べて少ないという維持をするためには様々な努力が必要だと思います。」は、ダメ押しの意味不明。
「死亡者の絶対数も、感染者に対する死亡率も、他国に比べて低く押さえるには今後の努力が必要」と言いたかったのだろうか。そんなことなら、あまりにも当然のうえ具体性がなくしゃべる価値も聞く価値もない。

これが、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議・副座長」であり、「基本的対処方針等諮問委員会・会長」の発言である。安倍の持ち上げに乗じられて、恐れ入ってはならない。目を見開き、聞き耳を立てて、よく言い分を吟味しよう。いま、国民の厳しい批判こそが必要である。遠慮などしている余裕はない。
(2020年5月5日)

これが行政の行うPCR検査の実態。この貴重な情報を削除せよとは。

表現はまことに多種多様である。社会に有用な表現もあれば無用な表現もある。人畜無害の表現もあれば、特定の人や組織を傷つける表現もある。歴史における経験が教えるところによれば、社会に有用有益な表現は、多くの場合特定の人の耳に痛いものである。そのような表現が封殺されるようなことがあってはならない。あるいは、表現が躊躇されてもならない。

表現の自由とは、有用無用・有害無害を問わず、原則として表現一般に認められる建前ではある。しかし、有用有益な内容をもちながら、権力や社会的強者に嫌われる表現こそが、表現の自由保障の対象として最もふさわしい。これこそが、表現の自由の本領である。

ときに、公権力あるいは社会的な強者から、社会的に有用な表現の削除や撤回が求められる。私(澤藤)の場合は、DHC・吉田嘉明からの6000万円請求スラップ提訴であった。

実際には提訴にまで至ることなく、訴訟提起をチラつかせて恫喝し表現の自粛を求めることが、この社会で多く行われているのだろう。DHCが組織としてこういう動きをしていたことは、DHCスラップ訴訟の中で明らかとなっている。

このコロナ禍での行政の動きは不透明のままである。とりわけ、いっこうに増えないPCR検査の実態がどうなっているのかさっぱり分からない。実際に検査を受けた人の情報は貴重なものである。そのような貴重な情報が社会に多数提供され集積されるることが、合理性ある政策決定と、決定された政策への信頼確保に不可欠だからである。「お上」が密室で拵えた、検証不能の政策の合理性に信頼がおけないのは当然ではないか。

コロナについて、とりわけ検査の実態について、もっと情報の公開を、と考えていたところに、知人からこんなメールをいただいた。「独自のドキュメンタリーを創り続けている映画監督、早川由美子さんは、新型コロナへの感染不安を感じ、PCR検査を受けた。そして、そこに至るまでのプロセスと、検査会場での観察を、自身のブログで報告した。ところが、その記事について、一部削除の「要請」圧力を、世田谷区役所から受けている。貴重な体験ルポをシェアする。」 これはありがたい。

早川さんは、こう述べている。

現在、私は世田谷に住んでいますが、世田谷区のPCR検査を受け、その記録をブログで公開したところ、世田谷区保健所から削除を求められています。あくまでも削除の「お願い」としつつも、要請に従わない場合は法的措置をとるとまで言われています。
ぜひ、以下のブログを読んでくださればと思います。

■世田谷区のPCR検査を受けました
https://www.petiteadventurefilms.com/setagaya_pcr/

■「PCR検査会場を区民に知らせるな!」世田谷区健康企画課からの電話(2020年4月27日)
https://www.petiteadventurefilms.com/20200427/

以上は世田谷区の例ですが、おそらく他の自治体も似たような状況かもしれません。
このメールやブログは転載歓迎です。問題意識を共有してくださればありがたいです。

このレポートは、一般人がPCR検査を受けようと望んでも、容易には検査を受けられない実態が、生々しく分かり易く詳細に語られている。これは貴重な情報である。早川さん夫妻は結果として、検査を受けることができた。その場所は、保健所ではない別の場所だった。そのことの詳細もブログに記載されている。

そして、4月27日世田谷区健康企画課の課長さんからのブログ削除要請に関する電話の内容が書き起こされている。区側は「どうしてものお願い」として、「ブログとツイッターを削除頂けないでしょうか」と言う。理由は、区として公開していないPCR検査の場所を、ブログなどで公開されては不都合ということ。PCR検査の場所を非公開とすることも、これを公開したら大きな不都合が生じることも、到底理解し難い。なによりも、市民の表現を削除せよという根拠が考えられない。

できるだけ文意を損なわず、当該部分を抜粋してみよう。

:削除をお願いするというのが、私たちの立場です。

  早:お願いを、今、していただいているというのは分かりました。

:で、お願いではないです。これ、このままお願いではなくて、ずっと(ツイッターやブログを)出し続けた場合というのは、わたくしのほうも、区の弁護士のほうとご相談させていただくということになりますけど?

:あ、そうですか。じゃあ、そのような手続きについても分かりました。

  区:「わかりました」っていうのは、どういうことですか?

:あの、「言い分について分かりました」っていうことです。

  区:削除の約束は…。削除の約束はしていただけますか?

:それは、今ここで約束することはできないです

  区:なぜですか?

:なぜですかって言われても、わたし今…

:ここにツイートが残っていれば…必ず関係者の方が、(検査会場に)行きますよ。それによって、検査を受けられない人がまた増えるんですよ。責任取れますか? 検査に殺到した場合に、検査の体制を覆すことによって、救われる命も救われなくなるんですよ。それに対してご自身が個人で責任を取れますかって申し上げているんです。

:私にそういう一個人のね、責任とかっていう風におっしゃる場合、例えば、電話が全くつながらないっていう間に、重症化して亡くなる方の責任も、区役所のほうは取れるんですか?

:それは当然認識しています

:「認識」っていっても、(責任は)取れるんですか?

:認識はしています

  早:でも全然つながらないです。

※4月30日追記

世田谷区は、「検査会場が知られてしまったら、検査を受けたい区民が殺到する」と主張していますが、本当にそうでしょうか? とあるメディアの記者の方によれば、他の自治体では、検査会場でメディアの取材対応などをしており、検査会場が事実上公となっているところもあるそうです。

果たして、それらの場所に人々が検査を求めて押し寄せているでしょうか? むしろ、感染のリスクが非常に高い場所ですから、うかつには近づきたくないと考える人の方が多いのではないでしょうか??

私がブログに掲載した、検査会場内部の写真をご覧になった方からは、「感染対策がほとんどされていないようで、検査を受けに行くことで二次感染してしまいそう」という意見を頂きました。世田谷区が、検査会場の場所や内部の写真を削除せよと私に求める背景には、「検査件数を増やしたくない」「感染防止策の緩さを指摘されたくない」という思惑もあるのかもしれません。

上記のブログをたいへん興味深く読んだ。そして驚いた。今どき、行政がこんなにも軽々しく、市民の表現を削除しようとするものだろうか。これではまるで、区がDHCや吉田嘉明なみではないか。しかも、世田谷と言えば、革新区長ではなかったか。行政が「どうしてものお願い」といえば、市民は当然に削除に応じるだろうという思い上がりが見え見えである。そして、一転して「お願いではないです。これ、……区の弁護士のほうとご相談させていただくということになりますけど?」となる。法的手続ともなれば、市民にとってはたいへん荷が重い話となる。要請ではなく、恫喝と言っても差し支えなかろう。

早川ブログに虚偽や不正確な記述があるからこれを是正せよというのではない。正確な記述の内容が不都合だというのだ。さて、健康企画課の課長さんは、既に「区の弁護士のほうとご相談」を終えていることだろう。その結果を知りたいものである。名誉毀損訴訟なら、どんな弁護士もさらさらと訴状だけは書ける。こんな簡単な訴訟はない。しかし、このケースは違う。早川ブログは、誰の名誉を毀損してもいない。そもそも、違法の要素は微塵もない。にもかかわらず、行政が憲法に保障された市民の表現の自由を奪おうというのだ。所詮は無理なはなしというほかはない。

市民の権利や自由は、常に試練に曝されている。早川さんが区からの削除の要請に応じれば、せっかくの憲法上の基本権も眠り込んでしまう。そうすれば、国民の知る権利も知らぬうちに眠り込まされるのだ。早川さんが、くじけることなく、区の要請を拒否し、ブログの掲載を継続しておられることに敬意を表したい。
(2020年5月4日)

「絶対おもろい! 新型コロナいろは川柳」

青年法律家協会議長の北村栄さん(名古屋)のご紹介。「絶対おもろい!新型コロナいろは川柳」。「(青法協)あいち支部の平松清志弁護士が、コロナに関しての「いろは川柳」を作り、あいちのMLに流してくれました。会員も多士済々ですね。本当に笑え、気分転換にうってつけ」という触れ込み。

平松清志です。
地元の9条の会(野田・荒子9条の会)の定例街宣も世情に鑑みて中止となったので、代わりにブログで宣伝しようと、暇に任せて いろは川柳を作ってみました。

 いつまでも続く「瀬戸際」「正念場」

 ロックダウン街が死んでるオレも死ぬ

 橋下は微熱だけでも検査受け

 ニッポンはもはや先進国じゃない

 防護服足りずに代用?雨合羽

 変だよね 検察人事と 安倍政権

 トランプと安倍が愚かさ競ってる

 ちょっと待て 不要不急の 悪法案

 理屈なし その場限りのやったふり

 布マスク400億の無駄遣い

 留守番の子どもを襲う侵入者

 ヲタクらはランサーズからの回し者?

 ワクチンができなきゃ続くパンデミック

 閣僚もアベノマスクは着けてない

 4日間待ってコロリと逝くコロナ

 台湾と韓国 先に収束よ

 蓮舫や辻元disるデマ右翼

 葬式もまともに出せぬ感染者

 too late too littleだよ政府案

 ネトウヨのヘイトスピーチ許すまじ

 なんで今 オリンピックに固執する?

 ランドセル背負うことなく夏は来ぬ

 無理だよね 電車でソーシャルディスタンス

 ウソばかり大本営発表NHK

 ヰ(ウィ)ルスに感謝捧げる安倍昭恵

 能天気 アベは自宅で猫を抱き

 怖ろしや院内感染続々と

 クラスター追えど探せど患者増え

 雇い止め、首切り続くコロナ不況

ま まだ辞めぬ河井夫婦は雲隠れ

 憲法を知らぬ首相の暴走だ

 ファシズムの音が聞える緊急権

 国難はお前だ無能安倍政権

 依怙贔屓はびこる国は破滅する

 テレワークできぬ現場だ 俺たちは

 安倍辞めろ麻生も辞めろ菅辞めろ

 三密を避けられないよ保育所は

 記者会見 台本ありきの朗読会

 行き場なし DV被害者 増え続け

 目に見えぬ敵は見ぬふり「専門家」

 身に迫る医療崩壊 無策ゆえ

 しばらくはステイホームだ ひきこもり

 ヱ(ウェ)ブ会議 やりたいけれど どうやるの?

 PCRやらなきゃ増えぬ感染者

 モリカケも桜も辺野古も忘れない

 世界中物笑いだぜゴミマスク

 スシローも岩田明子も見たくない

 んだどもさ なじょして死んだ 志村けん

 

なるほど、本当によくできている。なるほど、絶対に面白い。

作者の平松清志弁護士(愛知県弁護士会所属、高畑アクセス法律事務所)のプロフィルは、下記のとおり。

名古屋南部法律事務所に23年間所属し、労働事件(東海銀行差別事件、日立 製作所差別事件)、刑事冤罪事件(山中事件、名張事件)、消費者事件(原野商法事件)等を担当。これまでに担当した法律相談は6000件以上に上る。弁護士会では、人権擁護委員会両性の平等部会長、法律相談センター運営委員長を歴任、東海労働弁護団幹事。

http://www.t-access.jp/index.html

(2020年5月2日)

この事態、アベや小池の言うことを聞いているだけは解決とならない。

アベ・小池の、国民・都民に対する休業要請や外出自粛要請。一応尊重はしつつも納得はしがたい。一つは、上から目線で、「感染が終息しないのは、言うことを聞かないおまえさんたちの自己責任」というイヤーな感じを拭えないからだ。

まず行政がやるべきことをやらねぱならない。そのための国家であり都政ではないか。医療崩壊を回避する防衛策こそが喫緊の最大課題である。医療従事者の安全を確保するために金も物資も惜しんではならない。

コロナに関する国民の不安を払拭するには、マスク2枚では足りない。「予想されるいかなる事態においても、重症患者への救命措置に遺漏はありませ」と、トップリーダーが言い切れる態勢を整えることではないか。

そして、国民に安心して休業も外出自粛もできる経済保障もしなければならない。行政がやるべきことをやらずに国民にのみ忍耐を求め、責任転嫁を図るごとき施策には、破綻が見えている。

もう一つ、納得しがたいのは、「5月6日までの、休業・接触機会8割減要請」策の実効性が見えてこないことである。出口戦略が見えてこない、と言ってもよい。要するに、曖昧模糊としたこの構図では積極的な協力のインセンティブに欠けるのだ。

いわゆる西浦モデルは机上の空論に近い。代入する変数次第でどうにでもグラフを描くことは可能で、結論は変わってくる。どうにでも描けるグラフで、一国の重要政策を左右されてはたまらない。アベや小池は、そんな危険な賭けに興じているわけだ。

それより納得しがたいのは、これまでのクラスター潰し戦略との整合性である。感染経路を追うことができない市中感染がこれだけ増えたのだ。PCR検査態勢なり、抗体検査態勢なりの抜本的拡充が必要だと思うのだが、その宣言はない。

そして、アベ・小池の言に従っていても、実は先が見えないのだ。「接触機会8割減」が厳格に実行されたとしても、コロナ禍が終了するわけではない。感染者の人口比割合が、緊急事態宣言が発せられる時点に戻るのがせいぜい、感染拡大の危険性は相変わらずなのだ。

「8割減」政策が、一時的に感染の規模を抑えこんでも、大半の人は未感染で抗体をもたない。その後の感染拡大が繰り返される可能性は極めて高い。この事態、実はアベや小池の言うことを聞いているだけは解決とならないのだ。そのように明確に自覚して、「感染症専門家」だけでなく、多方面の専門家を含む国民的規模の議論で本格的な対策を講じなければならない。

(2020年4月26日)

「法と民主主義」5月号は、コロナ問題特集

世はコロナ問題一色である。消費生活も、文化も、言論活動も、教育も、経済も、国内政治も、国際政治も。そして、当然のことながら、医療や福祉も、今や一つとしてコロナと関わらざるものはない。

どうしてこんなことになってしまったのか、防ぐことはできなかったのか。今の対策は適切なのか、という問題意識が必要なのは当然として、このどさくさに紛れて何かをなそうとする者への警戒が必要であり、格差社会にこの危機がもたらす弱者へのしわ寄せの実態を直視しなければならない。誰もが、自宅への引きこもりができるわけではないのだ。

日本民主法律家協会の機関誌「法と民主主義」5月号(5月下旬発刊)は、『新型コロナウイルス問題を考える』(仮題) を緊急特集する。現下の状況に変化のない限り、おそらく6月号もその続編となる公算が高い。

飯島滋明・丸山重威両編集委員が中心となって、現在のところ依頼論稿は8本だが、その中には下記のような目玉となる記事がある。

コロナ感染症対策の在り方      上 昌広
コロナ対策の国際比較        稲 正樹
コロナ問題後の社会と立憲主義    広渡清吾

このどさくさに紛れてのアベ政権への警戒については、次の論稿が予定されている。

緊急事態条項の明文改憲の政治的意図 小沢隆一
コロナ対策の経緯と安倍政権の手法  丸山重威

以上の各論稿とは別に、「コロナ規制の中で考えること」を800字の寸評(コメント)として、各界の然るべき方に寄稿をお願いしている。

こちらの担当は私で、依頼の趣旨を以下のようにお伝えしている。

 日ごろのご活躍に敬意を表します。
 「法と民主主義」誌からのコメント寄稿のお願いを申しあげます。内容は、「新型コロナウィルス感染症蔓延とそれにともなって見えてきた様々な問題」について、それぞれのお立場からの寸評をいただきたいと存じます。問題意識は、次のとおりです。

 新型コロナウィルス感染症が猛威を振るっています。その勢いは世界の隅々にまで及び、しかも全ての人びとに脅威を与えて行動の萎縮を強要しています。その収束の兆しは見えないまま恐怖と倦怠が世に満ち、人類が立ちすくんでいる感さえあります。誰にも、真剣にこの問題を考えること、克服のために声を挙げることが求められています。

 また、この深刻な事態だからこそ見えてきた様々な問題があり、この事態にともなって副次的に生じた問題もあります。日本民主法律家協会が発行する「法と民主主義」は、2020年5月号(5月下旬発行)を「『新型コロナウイルス問題』を考える(仮)」緊急特集号とすることにし、その一章を割いて、多くの方に、「この問題を私はこう考える」という意見・論評集を掲載しようと企画しました。敢えて、お一人の原稿字数を800字(表題を除く)に抑えていただき、それぞれのお立場において最も関心ある角度から切り込んだ、凝縮したコメントをいただきたいと存じます。

 この感染症蔓延に関しては、人類史や文明史との関わりにおいて論じる必要があるとも思われますし、この事態をもたらした人と物との国際交流やそれを前提とした経済の在り方にも検証の必要がありそうです。また、当然のことながら、疫学や予防医学、臨床医学からの分析や提言も期待されるところですし、医療行政や医療システムの脆弱性が問われてもいます。医学教育にも考えねばならないところがあるとおもわれます。

 そして、この「緊急事態」に際して、実効ある感染予防と危険な権力の暴走の抑制という矛盾する二つの要請のバランスをどうとるべきか。これが、憲法や人権を大切に思う市民の最大の関心事であって、この政治的・法的な実践課題に喫緊の解答が求められています。

 さらに、各国政府が共通の問題に取り組み、それぞれの流儀でそれぞれの結果を出しつつあります。各国の流儀を比較する視点は、権力的強制と民主的統制との優劣ではないでしょうか。また、この緊急事態を機に、統制型の政治システムが平時にも常態化する危惧はないでしょうか。

 また、社会に「危機」が生ずれば弱者に被害が集中します。格差社会においては、その被害は深刻なものとなります。休校や休業に伴って、地域に企業に家庭に生じている具体的な問題をご指摘ください。

 もちろん、以上の捉え方では不十分で、別の角度からの言及が必要とのご意見も、ぜひ承りたいところです。
 以上、よろしくお願いいたします。

 これまでにご承諾をいただいた主な方は、以下の各氏。
池内了/島薗進/右崎正博/堀尾輝久/吉田博徳/矢吹晋/李京柱/井上英夫/鈴木利廣/角田由紀子/大森典子

なお、「法と民主主義」の購入申込みは、下記のURLから。よろしくお願いします。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

(2020年4月25日)

再び児玉龍彦氏の解説に耳を傾ける。

明けても暮れても、コロナ・コロナである。うっとうしくて気の晴れる間がない。信頼できる政府を持たない民の一人としての深刻な悲哀という実感。嘆きと不満の対象はアベ政権だけではない。小池百合子都政も同断である。

政治的リーダーたるもの、この非常の事態には専門知を集約して的確な対策を講じなければならない。その対策が、住民の生活に影響を及ぼす場合には、その対策の適切性、必要性を、懇切に説明して納得を得なければならない。それがまことに不十分だから、イライラが募る。

政府専門家会議の説明では、対策の基本はクラスター潰しであったはず。だから、「クラスターの発見と、これを結節点とする人的な接触経路を見定めることに全力を集中しなければならない」「むやみにPCR検査対象を拡大することに意味はない」と言っていたのだ。しかし、感染経路不明の感染者がこれだけ増加した今、クラスター潰しの基本戦略は失敗したことになるのではないか。

にもかかわらず、専門家会議は「基本戦略は失敗した」とも、「基本方針を転換する」とも言わない。相変わらずPCR検査対象を絞ったまま、「人的接触の機会を8割減らせ」「全ては、民の自粛努力にかかっている」「蔓延拡大は自粛努力の足りない民に責任がある」と言うのだ。政府も都も、これに倣っている。本当にこれでよいのだろうか。

小池百合子が最も胡散臭い。東京五輪の実施にこだわり続けてコロナ対応の時期を逸した失態を覆い隠すための強気の発言を重ねているようにしか見えない。しかも、東京都の金をふんだんに使ってのメディア露出は、図々しいにもほどがある。鉄面皮な選挙運動ではないか。コロナ以上に、イライラが募る。

あんな政府や、こんな都政を支えている専門家には批判が強い。外出禁止の予防効果に疑問を呈する専門家もいる。もっと有効な打つべき手があるというのだ。たとえば、児玉龍彦(東大先端科学技術研究センター名誉教授)さん。

「日経ビジネス」(4月17日)の記者(白井咲貴)が、児玉龍彦インタビューのリードをこうまとめている。
「クラスター追跡や外出自粛で、日本は感染拡大を防げるのか。東京大学の児玉龍彦名誉教授は『日本は非常に古い対策モデルから抜け出せていない』と言う。『大規模検査、隔離、GPS追跡』という東アジア型の対策の必要性を訴える児玉氏に、解説してもらった。」

以下、「日経ビジネス」が紹介する児玉さんの解説(抜粋)のさわりである。

外出自粛は一過性の患者減らしで、時間稼ぎにすぎません。また緩めると患者数が増えます。みんな自粛は2週間程度かなと勘違いしているようですが、最低でも3カ月はかかります。

(日本は、クラスター対策や外出自粛要請など)非常に古いモデルの感染対策から抜け出せていない。東アジアは遺伝子工学情報科学に立脚した新しいモデルで対応しています。

日本のように一人一人聞き取って紙に書いて、というのは非常に古い調査方法です。今、世界ではGPSによる追跡が当たり前です。誰がどこに行ったのかがつぶさに分かる。韓国やマレーシアなどもGPSを使っています。これらの国では感染者は出ていますが、すぐその人の行動範囲を特定して、周りで感染が出ていないか検査しています。

マレーシアでは、個人に「パンデミック番号」という番号を振って、保険証などとはひも付けられないようにしています。だから、日本でいえば「マイナンバー」で管理してはいけないわけです。

(日本がこれからすべきことが)4つあります。1つ目は病院や介護施設でのPCR検査の徹底。2つ目はドライブスルー型の検査をすること。日本財団は「船の科学館」などで1万床のベッドを用意するようですが、陽性ならそこに入所してもらえばいい。このように、症状が軽い感染者をどんどんさばく施設が必要です。3つ目は、GPS追跡です。個人情報や倫理を守って実施することが必要です。4つ目は社会インフラを支える人が感染しないような配慮をすることです。ガス、水道、電気、輸送、食品など、社会生活のインフラを支える人を重点的に守る。そういう方たちはPCR検査もすぐできるようにするし、(過去に感染したことがあるかを調べる)抗体検査もすぐできるようにする。

抗体の中には2種類あって、IgMという感染初期に出てくる抗体と、免疫ができてくると出てくるIgGという抗体があります。IgMの数値が上がっている人はまだウイルス感染が続いている可能性が高いので隔離する。IgGの数値が上がってくれば感染した後に治っている、というのが分かり、社会復帰もできる。この両方を測れて、しかも大量に処理できる仕組みをつくることが我々の関心事です。PCR検査と抗体検査は一体でやらないとだめです

政府や都の言うこととは真っ向対立する立論であり提言である。多々、耳を傾けるところがあるではないか。
(2020年4月24日)

コロナがあぶり出したアベノムノウ

コロナ禍は不気味だ。今や他人事ではない。私の籠城の地・本郷から東に行けば永寿総合病院である。西に行けば講道館、全柔連の本部。南すれば田嶋幸三会長の日本サッカー協会、そして北には都立大塚病院、駒込病院。四方から、じわじわと、あるいはジリジリと寄せ手が包囲を狭めつつある。目に見えぬ妖怪が次第に忍び寄ってくるの感がある。

東京地裁・高裁は緊急事態宣言の期間、民事事件及び行政事件の期日は、緊急を要するもの以外は全て取り消しとなった。はたしてこれでよいのだろうかと思いつつも、今は屋内に立て籠もるしかない。必要な会合はオンラインで行われている。

それでも、私のように立て籠もりのできる立場は恵まれている。医療従事者や現場でインフラの整備にあたる人には頭が下がる。ゴミの回収をしている人には、感謝の言葉をかけざるを得ない。生産や物流も支える人がいる。その人たちのお蔭で、まだ社会はまわっている。これがいつまで持つのかという将来への不安を感じなからも、当面籠城に飢餓はない。

憎むべきコロナウィルスではあるが、たった一つ、その効用があるとすれば、『無能な政治的リーダーの選択は、選挙民の命取りになる』ことを多くの人びとが悟ったことではないか。アベの無能は昔からだが、ここに来て盛ったメッキが剥げ落ちた。これまでは無能なリーダーでも大過なかったが、こんなリーダーで、国民の命と健康は大丈夫なのか、財産は守れるのか。それが、切実に国民一人ひとりに関わる問題と意識されるようになっている。アベの無能を悟った人心がアベから急速に離れつつある。

アベの無能については、中野晃一上智大学教授が最新号のアエラで、他国のリーダーたちとコロナ対策を比較して採点をしている。各国の事情には差異があれども、同じコロナ対策である。トップリーダーの資質の比較が可能なのだ。当然のごとく、安倍は最下位。トランプにも劣る、ということだ。

中野教授による評価の対象は、アベ、トランプ、メルケル,ジョンソン、習近平、蔡英文の6人。どういうわけか文在寅の名が抜けているのが、寂しい。蔡英文とならぶ高得点が期待できるだろうに。評価の方法は、(A)決断力、(B)実行力、(C)情報発信力、(D)責任感、(E)市民の支持、という5項目をそれぞれ5点満点で相対評価し、総合は5項目の平均を取るというもの。客観性がどこまで担保されているか保証の限りではないが、有力な政治学者の見解として面白いし、大いに頷ける。

総合点の結論はこうだ。

メルケル   5.0点
蔡英文    4.2点
習近平    3.2点
ジョンソン  3.0点
トランプ   2.0点
アベ     1.4点

100点満点に換算すれば、以下のとおりである。

メルケル  100点(優)
蔡英文    84点(良)
習近平    64点(可)
ジョンソン  60点(可)
トランプ   40点(不可)
アベ     28点(超絶不可)

各人の各項目の評価は以下のとおり。

安倍晋三(日本国首相)総合…1.4点
(A)1点(B)1点(C)2点(D)1点(E)2点

ドナルド・トランプ(アメリカ大統領)総合…2.0点
(A)2点(B)2点(C)3点(D)1点(E)2点

アンゲラ・メルケル(ドイツ首相)総合…5.0点
(A)5点(B)5点(C)5点(D)5点(E)5点

ボリス・ジョンソン(イギリス首相)総合…3.0点
(A)3点(B)2点(C)4点(D)3点(E)3点

習近平(中国国家主席)総合…3.2点
(A)4点(B)5点(C)2点(D)3点(E)2点

蔡英文(台湾総統)総合…4.2点
(A)5点(B)4点(C)4点(D)4点(E)4点

コロナ禍でのアベの無能は、「うちで踊ろう・動画」と、「466億円アベノマスク支出」に象徴されているが、アベノマスクはどうやらアベの無能だけの問題ではなさそうだ。ミャンマー、麻生・昭恵というキーワードが出てきた。政治の私物化・嘘とごまかし・情報不開示というアベの流儀が、ここでも疑惑として問題となりつつある。今まで何度もいわれてきたが、これがアベの末期症状、アベの終わりの様相ではないか。今度こそ。
(2020年4月23日)

外出しなくてもできること ― NHK経営委員長・森下俊三氏の経営委員辞任を求める署名にご協力を

コロナウィルスは罪深い。人の命を奪うだけではなく、権力に代わって集会の自由を規制する。デモ行進も妨害する。検察庁法改正問題、森友文書改竄問題、河井夫妻選挙違反事件など、緊急の抗議行動が必要なのに、ままならぬのが実情だ。

間近となった5月3日の憲法記念日大集会も、今年は行われない。「新型コロナウイルス感染症の拡大にともない、集会方式での開催は中止しますが、オンライン配信を5月3日13時より行います。ぜひご覧ください。」という主催者の急告。残念だが、「オンライン大集会」では迫力を欠く、明らかにアベの力が衰えつつあるこのときに、無念というしかない。

せめて、在宅でできることをしよう。外出しなくてもできることといえば、まずはメールや電話での発信である。そして、ネットでの署名運動。

民主主義と国民の知る権利を大切とお考えの皆さまに再々度のお願いです。NHK経営委員長森下俊三氏の辞任を求める署名運動は4月末まで。

未署名の方は、下記URLを開いて、ぜひともネット署名をお願いいたします。
http://bit.ly/2TM7pGj
あるいは、http://bit.ly/33gfSETから、署名用紙をダウンロードしていただき、郵送での署名をお願いいたします。

署名の集約状況は、本日(4月22日)現在で、累計5,615筆となりました。

この署名の内容については、4月17日の赤旗「おはようニュース問答」欄に、「NHK経営委員辞任署名が4000超えたね」という問答形式として紹介されている。分かり易いので、転載させていただく。

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晴男 NHK経営委員長の森下俊三氏の経営委員辞任を求める署名が、ネット含め4干人分以上集まったんだってね。
秋平 森下氏は、日本郵政グループの求めに応じて上田良一前会長への「厳重注意」を主導した人だね。

番組制作に干渉

晴男 そうだ。発端はNHKが「かんぽ生命保険」の不正販売を告発する番組を作ったからだけど、番組制作者をほめるどころか批判するとはお門違いもいいところだ。
秋平 放送法第3条では放送番組について「何人からも干渉され、又は規律されることがない」としている。32条ではNHK経営委員に対し「個別の放送番組の編集について、第3条の規定に抵触する行為をしてはならない」とある。
晴男 「厳重注意」の際、経営委員会では該当番組について「インターネットの情報は偏っているので、作り方に問題があるのではないか」などと語っていた。
秋平 その発言をしたのが森下氏とみられているね。国会で発言者を問われると、非公開を理由に答えないが、明確な否定もできていない。
晴男 NHK労組は中央委員長見解で「経営委員会の業務として執行した会議において個別番組についての言及があったならば、それは放送法違反の疑いがあるのではないか」と述べている。

資質が問われる

秋平 経営委員長どころか、経営委員としての資質が問われている。
晴男 同じように考える人は多いね。ネット署名に多くの意見が寄せられているけど「経営委員会がモノを申しただけで十分な圧力になる。…番組について話をする姿勢こそが、通常の圧力よりさらにたちが悪い」など本質をついているよ。
秋平 そもそも、放送が「自主自律」を求められるのは、戦中の「大本営発表」の痛苦の経験があるからだ。
晴男 軍部の意向に沿って戦果を誇張し、撤退を「転進」、全滅を「玉砕」と美化してみせた。
秋平 今のNHKの報道にも似たような部分を感じるよ。客観的事実ではなく官邸寄りの情報を流しているようだ。
 権力を監視するのがメディアの役割ならメディアを監視するのが市民の役割。署名はもっと広がってほしいね。

(2020年4月22日)

アベ政権は、アベノマスクの製造元を明示せよ

アベノマスク。構想発表時点から「歴史的愚策」「466億円の無駄遣い」と評判が悪かった。いま配布が始まって、あらためて悪評を重ねている。「やっぱり、アホノマスク」という声もある。

報道によると、厚生労働省が18日、国内全戸への発送に先立って配布された妊婦向けの布マスクの一部に汚れが付着するなどの不良品が見つかったと発表。学校や介護施設等への発送分にも虫や髪の毛が混入されているものが見つかり、17日時点で80市区町村から1901件の報告があったという。不良品の数は合わせておよそ6700枚であったという。

これだけの問題が生じているのに、「発注先や製造元のメーカーなどの製品情報を政府がひた隠しにしている」ことにも疑問の声が噴出している。メディアが、厚生労働省や電話相談窓口に問い合わせても、「公表していない」と口を閉ざし、立憲民主党の蓮舫議員からの問い合わせにも応じていないという。それはおかしい。おかしいという根拠の一つとして、「PL法」を挙げたい。

消費者保護分野での主要法の一つとして、「製造物責任法」がある。その通称が「PL法」。PLとは、「製造物責任(Product Liability)」をいう。

かつて、資本主義の興隆期には企業活動の自由が称揚され、法体系はそのようなものとして作られた。民法の過失責任主義は、企業が製造する製品によって消費者事故が生じ被害が発生しても、「(企業に)過失なければ責任なし」として多くを免責した。この過失責任主義を大転換して、消費者に生じた商品事故が製品の欠陥によるものと認められる限りは、企業は「製造物責任(Product Liability)」を負わねばならないとした「PL法」は画期的な立法とされた。

では、「過失」と「欠陥」はどう違うのか。本質的で実践的な問題だが、本日論じようというテーマではない。

申しあげたいのは、「製造物責任(Product Liability)」を負う主体が、「製造業者」(当該製造物を業として製造、加工又は輸入した者)だということ。製造業者は「その引き渡したものの欠陥に」責任をもたねばならない。(法第3条)

消費者運動に携わった我々は、「製造物責任法」を消費者保護立法と位置づけ、消費者に商品事故が生じた場合の救済法と捉えた。その責任追及の実践が、市場から欠陥商品を駆逐し消費者の安全に資することになると考えた。

事実上、「製造物責任法」とは、「商品安全に関する企業の責任法」である。典型的には、企業は消費者に選択されることを念頭に製品を製造し、これを商品として流通に置く。製造物が市民の手に渡るのは、市場において消費者が商品として購入することを通じてのことである。

ところが、製品としての不具合が報じられているアベノマスクは通常の商品流通とは異なる経路で全市民に届けられる。市民は、消費者としての市場での選択とは無関係にマスクを入手することになる。言わば、選択権のないまま押し付けられるのだ。しかし、そうではあっても、このマスクの製造業者に「製造物責任(Product Liability)」は免れない。法は、製造業者に「その引き渡したものの欠陥に」責任を課しているのであって、商品として流通におくことを要件としていないからである。

だから、アベノマスクの欠陥によって、「人の生命、身体又は財産を侵害」する事故が生じた場合には、このマスクの製造業者(メーカー)に、PL法上の製造物責任が生じることになり、無過失でも損害賠償義務を負うことになる。その責任主体のメーカー名を秘匿することは、国が,被害者の裁判を受ける権利を奪うに等しい。もっとも6700枚のマスクの「不良」が必ずしも「欠陥」ではない。しかし、その可能性は否定し得ないのだ。

法的責任もさることながら、肌に密着する衛生用品を使用するに際して、どこの誰が作ったものであるかが不明確であってはならない。このマスクの配布を受けた者には、消費者と同様にマスクの仕様・性能と製造業者について「知る権利」がある。

消費者の選択において、製造業者が示す商品の性能や安全性に関する情報は不可欠なものである。少なくとも、どこの誰が作ったものであるかの明示はなくてはならない。アベノマスクの場合は、企業の製造物責任と行政の説明責任とが重畳していると考えなければならない。

ところが、である。アベ政権は、アベノマスクの製造元を明らかにしようとしないのだ。何らかの不都合あってのことであろう。しかも、この件に関しては「アベノマスク対アサヒノマスク」論争に発展して、アベは墓穴を掘っている。「アサヒノマスク」の方は何から何まで明らかにされており、その値段の根拠には誰もが納得せざるを得ない。これとの対比で、アベノマスク製造業者の非公表は、ますます不自然となっている。

このマスク論争の発端は、朝日嫌いの軽忽な右翼評論家の「朝日新聞が2枚で3300円のぼったくりマスクを販売中! 買っちゃダメだよ!」というツイートに、安倍晋三が乗ってしまったことであったという。情けなや、みっともなや。これが、日本国首相のレベルである。

天下の愚策として配布されたアベノマスク。その製品としての欠陥と製造元の秘匿は、実はアベ政権そのものの欠陥と秘密主義を象徴するものとなっている。
(2020年4月21日)

大事なのは、「トップの人が言ったことに従う」ことなのか。

重苦しい雰囲気である。「非常時」、「戦時色」、「臨戦態勢」などの言葉が現実味を帯びつつある。そして、この社会の重苦しさの原因として、政権への批判を封じる同調圧力が感じられる。コロナも恐いが、「一億一心」になりかねない人心も恐い。一歩間違うと、非国民非難になりかねない。

本日(4月18日)の毎日新聞・スポーツ面に、リーチ・マイケルの囲み記事。タイトルは、「外出自粛で“ワンチーム”に リーチ・マイケルが呼びかけ 『油断が危ない』」というもの。

ラグビー・ワールドカップで活躍したリーチ・マイケルが17日、ウェブでの記者会見で報道陣の取材に応じ、新型コロナウイルス感染拡大防止に向け、W杯日本代表のスローガンを引き合いに「ひとりひとりが責任を持ち『ワンチーム』として外出自粛などの行動ができれば拡大は防げる。油断が危ないので正しい行動を取って」と呼びかけたという。官製企画に、スポーツ界もメティアも踊らされている図である。

NHKもこう報じている。
「一人一人が責任持って行動を」リーチ マイケル選手 呼びかけ
「『大事なことは一人一人が責任を持って行動することだ。そうすればウイルスの感染拡大を防げるし、ワンチームになれる』とファンなどに呼びかけました。」

ところが、この動画を眺めて気が付いたのは、彼がこう言っていることだ。もちろん、日本語である。
「トップの人が言ったことに従う。それをやればワンチームになれる」

つまり、大事なことは一人一人が責任を持って判断することではない。「トップの人が言ったことに従って行動すること」だというのだ。ワンチームとは、チームの中に諸チームがないこと、一つのチームがスッキリとまとまり良いことなのだろう。トップに対する批判など、もってのほかなのだ。

念のためと思って、産経の電子版を見ると果たして、こうある。

新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けては、(リーチは)安倍晋三首相や東京都の小池百合子知事の名を挙げて「トップが言ったことに従う」必要性と、各自の責任ある行動を呼びかける。「慣れて油断するのが一番危ない。だから毎日毎日、正しい行動をとれたかを見直す。難しいが、できるだけ家に」。レビュー(振り返り)を通して成長を遂げ、W杯8強にたどり着いた代表チームの軌跡と重ね合わせる。

これが恐い。国難だから、非常時だから、「みんな一丸となってトップが言ったことに従うべきだ」というのだ。単純に短絡的に、チームを国家と同一視して、ワンチームを称揚することで、「全国民がトップの言ったことに従う」という美風を肯定し、そのための「ワンネーション」を目指そうというのだ。

結局のところ、国難だから、非常時だから、「安倍晋三や小池百合子など『トップが言ったことに従うべきだ』と、リーチは引っ張り出されて語らせられているのだ。今後、この動きに警戒し、批判を続けなければならない。

同様の問題意識で、快調にヒットを重ねるリテラが、4月15日に下記の痛快な記事を掲載している。
https://lite-ra.com/2020/04/post-5372.html

糸井重里、山下達郎、太田光…「責めるな」「いまは団結を」と安倍政権批判を封じ込める有名人がわかっていないこと

 安倍政権の酷すぎるコロナ対策、多くの人が怒りの声をあげているのは当然だろう。一方で、「いま批判するのはやめよう」「いまは誰かを責めている時期じゃない」と、政権批判や補償を求める声を封じ込めようとする動きが起き始めた。3.11のときも「国民が一つなって危機をのりこえるべきときで、責任を追及する時期じゃない」と、原発批判が封じ込められたが、まったく同じ状況になっている。

その代表が糸井重里だ。糸井は4月9日にこんなツイートをした。

〈わかったことがある。
新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。
ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ。〉
〈責めるな。じぶんのことをしろ。〉

これに批判が殺到した。映画評論家の町山智浩〈糸井重里さん、もうレトリックはいいですよ。言いたいことをはっきり、「庶民はお上に逆らうな」「政府に補償を求めるな」「マスク二枚で満足しろ」「お前らは犬だ」「奴隷だ」と言えばいいじゃないですか〉と糸井の本音を喝破。小島慶子〈はー。責めるな、自分のことをやれとどこかのお殿様が呟いたようだけど、コロナ危機なんて他人事なのでしょう…お城に篭っておくつろぎ遊ばせ。あなたに言われなくても、みんな自分のことも他人のことも懸命にやってますから〉と一刀両断にした。

さらに、秀逸だったのはライターの武田砂鉄の皮肉たっぷりのツイートだ。
〈わかったことがある。
「商売が成り立たない」「これからどうしたらいいかわからない」「だから補償を」という悲鳴を、こうやって「責め立てている」なんて変換されるのがつらいのだ。〉

そのとおりだ。大切なのは、「トップの人が言ったことに従う」ことではない。批判の精神を持続して発言し続けることなのだ。
(2020年4月18日)

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