澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

街頭からー「安倍晋三だけにではなく、小池百合子にも批判の目を向けよう。」

いふまいとおもへどけふのあつさかな
暴力的なまでに照りつける強い日ざしの中の、真昼の街宣活動となった。

本郷三丁目のご近所の皆様、本三交差点をご通行中の皆さま。毎月第2火曜日の昼休みに続けております、定例の「本郷湯島九条の会」からの訴えです。暑いさなかですが、しばらくお耳を拝借いたします。

7月2日東京都議選から10日ほどが経ちました。その前と後とで、政治的な風景は劇的に変わっています。自民党は、前回59議席から23議席に激減しました。その後の世論調査での内閣支持率は軒並み30%代前半の数値を示し、あの読売の調査でも「不支持52%」となっています。

一強といわれた安倍政権は、誰の目にも行き詰まりが明らかとなっています。安倍自身はトカゲの尻尾を切っての生き残りを考えているようですが、それは甘い。国民は、尻尾ではなく頭のすげ替えを要求していると指摘しなければなりません。

アベ一強にガタがきた原因は大きく二つあります。
その一つが、悪法強行の濫発。特定秘密保護法、集団的自衛権行使を容認した戦争法、福祉の切り捨てや労働法制改悪。そして極めつけが治安維持法の再来というべき共謀罪法。いずれも、数を恃んでのゴリ押し。強行採決。終わったあとに、「これから国民の皆様に丁寧に説明してまいります」という口先だけの反省のポーズ。

もう一つが、政治と行政の私物化。「アベのアベによるアベのための政治」、あるいは、「オトモダチのオトモダチによるオトモダチのための政治」に、国民はノーを突きつけたのです。

では、選挙結果はアベ体制の崩壊が始まったことで、すべてOKだったか。イイエ、そうではありません。自民党から離れた票は、都民ファーストの会が最大の受け皿となって都民ファーストの会が55議席も獲得するという大きな変化が生じました。しかし、いったい都民ファーストの会とはなんでしょうか。実はよく分りません。都民は、実態がよく分からぬままに、巻きおこった風のまにまに、都民ファーストの会に投票してしまったのではないでしょうか。

たとえば、地元文京区の選挙結果を見てみましょう。立候補者は3名でした。そのうちの2人の憲法に対する姿勢ははっきりしています。憲法擁護、憲法の理念の実現を掲げる候補がひとり。共産党の福手裕子さんです。もうひとりは、現行憲法を敵視し自主憲法制定を党是とする自民党から立候補した中屋文孝候補です。この2人の票は接近し、26,782対26,997の票差わずか215票。得票率では、27.91%と28.13%でした。福手裕子さんは共産党公認でしたが、事実上護憲勢力の代表だったと言えます。そして、敗れはしましたが新人でありながら前回トップの自民候補と互角のつばぜり合いを演じました。

トップ当選は、前回民主党から出馬して落選した都民ファーストの会の増子博樹候補でした。間違いなく公明党の票もここに入っています。都民ファーストの会は護憲政党でしようか。それとも改憲政党なのでしようか。実は歴とした改憲派勢力だといわねばなりません。

都民ファーストの会の役員は2人だけ。代表の野田数(かずさ)と小池百合子、この2人だけですべてを決めています。野田は、スキャンダラスな話題を振りまいていますが、大日本帝国憲法の復活を願う立場の極右。そして小池百合子が日本国憲法に敵意満々の右翼。極右と右翼の組み合わせが、都民ファーストの会にほかなりません。

野田は、もと東京維新に所属して、「我々臣民としては、国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄し」という驚くべき思想の持ち主です。そして、小池百合子は、かつて『VOICE』誌の座談会で「核武装の選択肢は十分ありうる」と次のように述べています。
「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません。」
核武装是非の論議ができるまともな国会にしていこうというのです。

アベ一強を政権の座から追放するだけが課題ではなく、小池百合子やその亜流の跋扈も許してはならないと思います。都民ファーストの会が安倍自民と組んで、自・公・都ファの大連携だって考えられるのではないでしょうか。是非、批判の目で国政も都政も、安倍も小池も見つめていこうではありませんか。
(2017年7月11日)

弁護士河西龍太郎の「障がい者」訴訟についての取り組み

本日(7月10日)、久しぶりに河西龍太郎に会った。
彼は大学入学以来の親しい友人。司法試験の勉強をともにし、司法修習も同期で同じクラスだった。弁護士登録後ほどなく、私は盛岡で、彼は佐賀でそれぞれ法律事務所を開いた。よく似た弁護士活動をしてきた。

その彼から、先日事務所閉鎖の通知をもらって驚いた。「今般、河西龍太郎法律事務所を、5月1日をもちまして閉じることにいたしました」とあった。体調を崩してのことなのだが、とてもさびしい。

本日、彼の上京は、「『建太さんはなぜ死んだか』出版記念シンポジウム」に出席のため。この書は、彼が弁護団長を務めた「安永建太君事件」の顛末を斎藤貴男さんがルポとしてまとめたもの。「警官たちの『正義』と障害者の命」と副題が付いているこの書は、山吹書店から7月5日に発売されている。下記のURLを開いてご覧いただきたい。
https://www.amazon.co.jp/dp/4865380639

安永建太君事件の概略は以下のとおりである。

2007年9月25日、安永健太さんは自転車に乗って障害者作業所から自宅に帰る途中で、不審者と間違われ、警察官から後ろ両手錠を掛けられ、5人もの警察官にうつぶせに取り押さえられて心臓突然死をしてしまいました。
健太さんには中等度の知的障害を伴う自閉症スペクトラム障害があり、コミュニケーションが難しいという特性がありました。健太さんは警察官と相対していた時も、「アーウー」としか言葉を発していなかったそうです。しかし、警察官は誰一人として健太さんに障害があることに気づきませんでした。
家族は健太さんが死んでしまった原因を知りたいと思い、刑事裁判で健太さんを取り押さえた警察官の刑事責任の追及をするとともに、民事裁判(国家賠償請求訴訟)として健太さんを死亡させたことの損害賠償を佐賀県に求めました。
しかし、刑事裁判では健太さんを取り押さえた警察官は無罪となり、民事裁判でも、佐賀県の責任は認められないまま、裁判は終わりました。(「考える会」のパンフレットより)

「あらためてこの事件の本質は何であるか」という問に、斎藤貴男さんはこう答えている。
「刑事と民事、2つの裁判でそれぞれ争点となった、警察の『暴力性』と『障害者に適切な対応を採らなかった』ことの両方。いずれもこの国にもともと根強い忌まわしい風土だが、折しも事件当時以降、新自由主義の猛威によって、ますますその傾向が強まってきていることも遠因と考えてよいのではないか。共謀罪も明日(7月11日)から施行される運びで、このまま放置しておけば、こうした悲劇は幾度でも繰り返される可能性が高い。」

また、本日シンポジウムの資料として配付されたパンフレットには、次のように記載されている。
「安永健太さん死亡事件の本質は、『元気だった健太さんが、なぜ死ななければならなかったのか』、これに尽きると思います。言い換えれば、『もし健太さんに障害がなかったとしたら』、『もし警察官に障害についての知識があったとしたら』ということです。
健太さんに障害がなければ、死亡事件に発展したとは考えられません。知的障害や言語障害のあった健太さんは、警察官に取り押さえられたときに、唾を吐きかけたり手足をバタつかせるしかなかったのです。それが精一杯の意思表示だったのでしょう。警察官は、これを『抵抗』とみなし、『保護』の対象として容赦なく圧力を加えました。5人の警察官による渾身の圧力は、1人の若者を死に至らせるに十分でした。ついさっきまで元気に自転車をこいでいた健太さんは、十数分後には変わり果てた姿になってしまったのです。
悔やまれるのは、警察官に『障害』についての知識がなかったことです。5人の警察官の誰かが、普段から障害のある人と接していたり、障害の特徴についての理解があれば、結果は異なっていたにちがいありません。こうみていくと、安永健太さん死亡事件は、『障害ゆえの悲劇』であり、『無知がもたらした致死事件』と言ってさしつかえありません。
加えて残念だったのは、裁判の過程でこれらの点にまともに向き合ってもらえなかったことです。最大のテーマであった『健太さんが、なぜ死ななければならなかったのか』は明らかにされず仕舞いでした。結果として警察官の不当性は暴かれませんでした。
このままでは、好転の兆しにある『障害のある人もまちに出よう』の気運に冷や水を浴びせられたのも同然です。それだけではなく、障害のある人の命の基準値が引き下げられてしまいます。私たちは、今般の最高裁による不本意な決定を、安永健太さん死亡事件の本質である『健太さんが、なぜ死ななければならなかったのか』を社会みんなで考える新たなスタート台としたいと思います。二度と同じ悲劇がくり返されないために。

この事件で、警察官は特別公務員暴行陵虐罪で告訴されたが不起訴になった。これに納得し得ない遺族らが佐賀地裁に付審判請求を求め、これを支持する署名運動が取り組まれた。この点について、河西(弁護団長)が次のように述べている。

怒りの付審判請求署名
担当の検察官はようやく加害警察官を起訴するつもりになったようであるが、最高検は頭ごしに不起訴決定をした。佐賀の「考える会」はさっそく全国署名に取り組み、全国からの11万人の付審判請求署名を佐賀地裁に提出した。当時佐賀市の人口は10万人位であったろう。イ左賀地裁はびっくりして付審判請求を認めた。
本件は民事事件でも刑事事件でも警察官の違法性を認めなかったが、これは最高裁も知的障害者の権利救済には無力であるという赤恥を全国に洒したこととなる。今後は知的障害者の権利救済の運動を強化することが一番の課題となるだろう。

なお、付審判は検察官の起訴独占主義の例外として制度の紹介はどの本にも載ってはいるが、現実にはめったに認められない。1949年以降、延べ約1万8000人の警察官や刑務官など、公務員に対する付審判請求があったが、付審判が認められたのは23人であり、1人が係争中である他は有罪9人、無罪12人、免訴1人となっている(ウイキペディア)という。

河西龍太郎、じん肺闘争の先鞭をつけたことで名高いが、それだけではない。障がい者問題を含む人権課題でよく闘ってきたわけだ。

今日、彼から自分がデザインした「憲法擁護ハンカチ」をもらった。同じデザインの「憲法擁護たおる」もあるそうだ。それに、次の説明が付いている。これをご紹介しておきたい。
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「憲法擁護ハンカチ(たおる)」について
1 私は昭和17年生れですので、小学校入学当時に新憲法が施行されて2年目くらいの頃だったと思います。私の担任は若くて美しいY先生だったのですが、入学して間もなく「日本人は第二次世界大戦を深く反省し、二度と戦争をしないという決意のもとに軍隊を持たないという世界で唯一の平和憲法を制定しました」という話しをしてくれました。
2 私が弁護士になった頃は、自衛隊は自衛のための戦力であるので、合法だという考えに変わってしまいましたが、平和憲法がある限り、自衛隊が海外派遣されることはないだろうと考えていました。
3 しかし、今では一国の首相が、鉦や太鼓をたたいて改憲を叫びまわり、国民の半数近くも平和憲法の改正に賛成しているようです。平和憲法はまさに風前の灯の状況にあるといってよいでしょう。
4 私は日本の歴史を調べてみました。日本人というのは、ほとんど権力と闘ったことのない民族のようです。権力の横暴に立ち向かう力が弱い民族のようです。しかし、平和を愛する優しい心を持った民族であると思います。
5 そして、その優しい力を、今こそ護憲のために使わなければならない時期にあると私は考えます。
6 このハンカチ(たおる)は、みんな私がデザインしたものです。多くの方に使ってもらいたいと考えて、わざと「護憲」という文字は使っていません。しかし、デザインがユニークですので、気持ちは伝わると思っています。
7 このハンカチ(たおる)を多くの方に使っていただいて、利益が出れば護憲運勣に寄付したいと考えています。ご協力よろしくお願いいたします。
2017年5月 弁護士 河西龍太郎
(2017年7月10日)

「おそれいるのはやめようぜ」

そもそも人間チョボチョボだ
背伸びしたって知れたもの
みんなちがってみんなよい
威張るヤツほどエラかない
おそれいるのはやめようぜ

大統領はおバカさん
環境破壊もわしゃ知らぬ
人種差別もハイけっこう
票になるならなんでもさ
身内大事でカネ儲け
こんなお人に
おそれいるのはやめようぜ。

総理大臣ひどいヤツ
頭のレベルはデンデンで
戦後レジーム否定して
戦前体制取り戻す
邪魔な憲法目の仇
政治の私物化 恥知らず
批判されれば切れまくる
こんな程度が総理なの
おそれいるのはやめようぜ。

防衛大臣エラかない
化粧と衣装に念を入れ
公務や本務はそっちのけ
ときどき涙を目に浮かべ
「緊張感もってやっていく」
その内任期は過ぎていく
こんな程度が大臣だ
おそれいるのはやめようぜ。

東大出身エラかない
4年かかっておぼえたは
「このハゲ――――――!」「コノヤロー」「豊田真由子様」「バカ!」
さすがに豊富な語彙の数々と
「死ねば? 生きてる価値ないだろ。おまえとか」
人を見下す酷薄さ。
東大出たという人に
おそれいるのはやめようぜ。

東京都知事はエラかない
所詮は政界渡り鳥
今の止まり木一休み
いつになったら飛び立つか
次にはどこに止まるやら
この人本籍右の人
本性隠した厚化粧
いつかは剥がれる化けの皮
票を取ったと言うだけの そんなお人に
おそれいるのはやめようぜ。

テンノウヘイカもエラかない
かつては神とされていた
テンノーヘイカの命令で
臣民たちは戦場に
今は神様廃業で霊長類のヒト科ヒト
特殊なゲノムがあるじゃなし
オケラだってミミズだって
みんなみんなが万世一系
テンノウヘイカだからって
ありがたがるのはやめようよ
おそれいるのもやめようぜ

社長も上司もエラかない
社長と社員は対等だ
パワハラ・セクハラ許されぬ
心細けりゃ組合だ
しっかり団交やればよい
会長・社長・CEO
会社潰すのこんな人
社長や上司だからって
おそれいるのはやめようぜ

そもそもおれたちエラかない
こんな政権できたのも
こんな総理が威張るのも
こんな大臣居座りも
こんな議員を選んだも
職場の組合弱いのも
郵便ポストが赤いのも
みんなおれたちやったこと

おそれいるのをやめたあと
おそれいらずに声を上げ
おそれいらない第一歩
(2017年7月9日)

安倍改憲策動に抗する日本民主法律家協会第56回定時総会

本日、日本民主法律家協会の第56回定時総会。毎年総会議案書を読むたびに、日本国憲法が常に危機の事態にあることを痛感させられる。

考えてみれば、途中にやや途切れはあったにせよ、1955年以来の長期保守政権である。日本国憲法を敵視し、改憲を党是にするという保守政党が政権を握り続けてきたのだ。とりわけ今は、保守というよりは右翼というべき安倍政権。こんなものが権力を握っているのだから、「改憲」の危機でもあり、憲法理念がないがしろにされる政治がまかり通っている「壊憲」の危機でもあるのだ。

それと同時に、毎年総会議案書を読むたびに感じるのは、国民の政権への抵抗による改憲阻止運動の粘り強さである。それは同時に、憲法理念の徹底を求めて闘う種々の国民運動の逞しさでもある。

おぞましい安倍政権である。発足以来、教育基本法を改悪し、特定秘密保護法を制定し、戦争法を強行し、共謀罪も通した。しかし、その都度大きな抵抗を受け、各法律も使いにくいものとなっている。そして、安倍政権の危険な本性が多くの国民に知られるようになってきている。安倍と安倍を擁立する右翼勢力の憲法敵視攻撃の激しさにもかかわらず、抵抗勢力はよくこれに耐え凌いできた。

結局のところは、緊張感張り詰めたせめぎあいが続いている。こうして、今年が憲法施行70周年の年。この70年、権力に抗して改憲を阻止し続けることで、この日本国憲法を自分自身のものとして、日々獲得してきたのだ。

この一年の共謀罪反対運動と改憲阻止に向けた運動での総括は、日本民主法律家協会の果たした役割を自信をもって報告するものだった。そして、改憲を阻止するためには野党と市民の共闘を緊密にそして大きなものとする以外になく、各野党の紐帯のために法律家が積極的役割を担おうと、確認された。

本日の総会人事で森英樹理事長が退任した。一抹の淋しさを感じる。そして、新理事長に右崎正博さんが就任。「暴走する安倍政権の壊憲策動とどう闘うか」と題する記念講演をされた。自ずと、安倍のいう「9条3項『加憲』案」に、話題は集中した。

 

後法は前法に優先する。2項がそのまま手つかずであったとしても、これと矛盾する3項が付け加えられると、2項の「戦力不保持」「交戦権否認」が空文化することになる。その右崎記念講演詳細レジメの「結び」の部分だけをご紹介する。

この秋が焦点となるであろう、暴走する安倍政権の改憲策動とどう闘うか。9条3項「加憲」案の日本国憲法との不整合性を徹底して理論的に明らかにするとともに、広く国民にその危険性を伝え、改憲の発議を阻止する道助を組織していく必要がある。
すでに特定秘密保護法、安保法制と政府与党による強行採決に対して、国民的な共同が組まれ、2016年7月の参議院選挙ではじめて野党の選挙協力により大きな成果を上げた経験がある。共謀罪の与党・維新による強行採決に対しても、同じ国民的な共同が組まれた。これが安倍改憲策動への大きな障害となり得る。
6月8日野党4党の党首が国会内で会談し、「安倍政権の下での憲法9条の改悪に反対すること」など、当面する政治課題での対応とともに、次の総選挙における4野党の協力について合意したと伝えられた。公権力を私物化する安倍政治を総括するとともに、この秋に向けて、安倍改憲阻止のために国民的な共同を作ることが求められている。

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日本民主法律家協会第56回定時総会アピール
   憲法の危機に立ち上がろう
安倍音三政権は、特に2012年の第2次政権以降、「戦後レジームからの脱却」を唱え、国民の強い反対の声を押し切って、特定秘密保護法の強行成立、国家安全保障会議の創設と国家安全保障戦略の決定、武器輸出三原則の廃止と防衛装備移転三原則の決定、武器の共同開発の推進、日米防衛協力ガイドラインの第3次改定、戦争法(安保関連法)の制定、刑事訴訟法・盗聴法(通信傍受法)改悪、そして今年6月15日の共謀罪法案の強行成立と、矢継ぎ早に憲法破壊の法制、施策を進めてきました。
こうした経緯を経て、安倍首相は今年5月3日以降、「憲法9条1項2項を残したまま3項を加え自衛隊を書き込む」と提案し、秋の臨時国会で自民党改憲案を国会に提出、来年6月を目標として通常国会で改憲の発議、国民投票を経て2020年新憲法施行という改憲スケジュールを打ち出しました。
310万を超す日本人と2000万に及ぶアジアの人たちの犠牲の上に生まれた日本国憲法は、戦後70年余、日本を戦争に巻き込ませず、1人の日本人も戦争で命を落とすことなく、また1人の外国人兵士をも殺すことなく、平和創造に寄与してきました。
しかし、安倍政権は、米国の庇護の下で、沖縄基地の恒久化と「日米軍事一体化」を進め、「世界で最も企業が活動しやすい国にする」という新自由主義を推進し、教育・文化など国民の意識をも改変しようとしてきました。そして、今回、遂にその「本丸」である9条をターゲットとして、改憲の具体化に乗り出したのです。
特に、安倍政権の政治手法は、日本国憲法の下で長年積み重ねられてきた、社会や政治の民主主義的ルールを全く無視し、小選挙区制と政党交付金制度による与党内部の締め付けの強化、内閣府に一元化された官庁の人事権の恣意的運用、重要な行政上の経過を示す公文書の破棄、隠蔽など、かってないほどの独裁性を強めてきた点て重大な問題を抱えています。とりわけ第193通常国会における政府・与党の政治行動は、森友学園問題や加計学園問題など首相による政治と行政の「私物化」に対する国民からの異論や質問に答えない「問答無用」の姿勢、最大の対決法案であった共謀罪法案について「中間報告」という異例の手法で委員会採決を省略し本会議で採決を強行するなど、あまりにも強引な議事運営に終始したものでした。このような安倍政権に憲法や民主主義を語る資格はありません。
さらに、「9条を残したまま憲法に自衛隊を書き込む」とする首相の改憲構想は、公明党の「加憲」論にすり寄り、「日本会議」の論文に明らかな通り護憲勢力を分断し、憲法9条2項の戦力不保持の原則を空文化させるものです。世界有数の軍隊に巨大化し、戦争法で米軍等と共に海外で戦うようになった自衛隊を、「その存在を憲法に書きこむだけなら問題はない」という論理は成り立ちません。しかし安倍政権は、この誤った宣伝を、囲い込んだ巨大マスコミを巧妙に使って、広めようとしています。
しかし、憲法9条を守り活かすことの意義は、ここ数年、諸悪法への反対運動や「九条の会」の運動などによって、広く国民の間に共有されてきています。この度の東京都議選の結果はその証左です。私たちは、さらに進んで「安倍改憲論」の狙いを見抜き、広げ、反対してこれを挫き、併せて憲法を擁護し発展させる運動を一層発展させていかなければなりません。
私たちは、憲法を守り活かす法律家として、国民の運動の先頭に立ち、闘いを広げることを、改めてここに宣言します。日本の平和と民主主義のために、ともに頑張りましょう。
2017年7月8日
日本民主法律家協会第56回定時総会
(2017年7月8日)

心しよう。小池百合子は日本国憲法に敵意をもった、危険な改憲論者である。

七夕である。盧溝橋事件から80周年でもある。風流にひたる時間も、歴史をかえりみる余裕もない。都議選勝ちすぎの、小池百合子と都民ファーストの会批判を続けねばならない。

小池百合子が思想的に右翼であり、改憲論者であって、核武装論者でもあることはよく知られている。だが、「よく知られている」だけでは、小池百合子や都民ファーストの会に迂闊な一票を投じた人々を説得できない。小池百合子が、憲法に敵意をもった、危険な改憲論者であることを、過去の資料で確認しておきたい。

まず、確実な資料として彼女の公式ウェブサイトに掲載したツイートがある。古いものは消されたが、奇特な方が保存して発信を続けている。

その中で、最も有名になったのが自民党広報本部長を務めていた当時、2011年8月26日における下記ツイート。

「本日、サンフランシスコ講和条約発効日である4月28日を主権回復記念日として祝日とする議員立法を総務会で承認し、衆議院に提出いたしました。祝日が多すぎるというなら、借り物の憲法記念日5月3日を祝日から外します。」

主権回復記念日の評価は措く。「借り物の憲法記念日5月3日」という一文に、彼女の「押しつけ憲法観」が見えている。そして、「憲法記念日5月3日を祝日から外します」という言わずもがなの挑戦的な物言いに、日本国憲法への尋常ならざる彼女の敵意を見ることができる。

その少し前には、2010年3月11日付の、こんなツイートもある。
「『朝鮮学校の無償化、首相「法案成立後に判断」』(朝日) それはないでしょ!! 絶対反対! 反日教育を進めている北教組の傘下にある北海道の高校も同類。」

当時の首相は、民主党の鳩山由紀夫。このものの言い方。小池百合子とは、ネトウヨ並みの存在なのだ。

さらにもう少し前には、こんなものもある。
中共の『日本解放工作要綱』にならえば、事業仕分けは日本弱体化の強力な手段。カタルシスを発散させながら、日本沈没を加速させる…。」
2009年11月26日、民主党政権の目玉政策だった事業仕分けに噛みついた発言。それにしても「中共」とは懐かしい言葉。「中共の日本解放工作要綱」の陰謀が民主党の事業仕分けとなって日本弱体化を進行させているという、これも小池の信条や心情がよく出た発言。

小池百合子は、衆院憲法調査会(現・憲法審査会の前身)の委員だった。
2000年11月30日「二十一世紀の日本のあるべき姿」と題する調査会審議に石原慎太郎(当時都知事)が参考人として出席し、現行憲法無効・自主憲法制定の持論を展開した。憲法論としても政治論としても、トンデモ説というほかはない。当時、「保守党」に所属していた小池は、この審議で石原トンデモ説に賛同しているのだ。議事録から抜粋してみる。

小池百合子「石原都知事、本日はありがとうございます。いろいろと御示唆いただきました。結論から申し上げれば、一たん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていく、…どの部分をてにをはを変えるというような議論では、本来もう間に合わないのではないかというふうに思っておりますので、基本的に賛同するところでございます。」
「きょうはいろいろと、憲法調査会でございますから憲法問題に関連してお話しいただいているわけですが、私は、むしろアメリカの戦略とすれば、日本にこの憲法を変えさせないのが最大の戦略になってくるんじゃないか。つまり、いろいろな点でがんじがらめにしておいて、そしてそのたびに出おくれるような形にして、最後は小切手外交をさせようというのが、これは一番アメリカにとっていい方法で、なおかつ思いやり予算というような形で置いて、ありがたくそこに海兵隊の人たちが住んでいるというような状況。ですから、アメリカの側から見れば、それが戦略なのかなと思ったりもするわけでございます。
「もう時間がございませんので、これで終わらせていただきますけれども、この現行憲法、これが戦後に果たした役割にいろいろな面で感謝もしつつ、ただ、二十一世紀を見詰める上で、今後の日本がどうあるべきかということを踏まえた、ある意味では帰納法的な憲法の創憲ということを目指すべきではないかという私の意見を申し上げまして、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。」

小池も基本的に現行憲法無効論に立って、憲法改正ではなく、新憲法を「創憲」すべきと論じているのだ。「ある意味では帰納法的な憲法の創憲ということを目指すべきではないか」とは、何を言っているのか自分でも分かってはいない発言だが、現行憲法尊重の姿勢に欠け、これを否定したという心情だけは伝わってくる

もっとも、小池の改憲論は一貫していない。
2011年時点での右翼誌「ワック」における渡部昇一との対談では、こんな風である。
九条を前面に出すとこの国はすぐ思考停止に陥り、右だ左だと言い合うばかりで何も進まないという事態が何十年も続いてきました。塩野七生さんもおっしゃっているのですが、まずは誰が聞いても『いい』と言えるような憲法から改正して、『憲法は改正できるものだ』という意識を共有するところからはじめたほうが、結果的には早く憲法を改正できるのではないかと思うんです」(『渡部昇一、「女子会」に挑む!』ワック、2011年)

次いで2012年7月9日、自民党に移っていた小池渡り鳥は衆院予算委員会で、民主党野田佳彦首相(当時)にこうたたみかけている。
○小池委員 私は、社会保障と税の一体改革、……ある意味で、この法案そのものは自民党案の丸のみということを表現される方もおられます。私は、むしろ安全保障の案を丸のみしてほしい。ましてや、憲法改正草案もちゃんと準備いたしておりますので、いっそのこと丸のみするということも、我が国が有しているエネルギーそして時間ということを考えたら、いっそのこと早いんじゃないですか。どうですか、総理。

自民党の「日本国憲法改正草案」は、2012年4月27日に公表されている。もちろん、9条2項を削除して国防軍を創設するという右派の最大限要求案。これを「丸のみ」せよと言っているのだ。

また小池は、2015年2月19日の衆院予算委員会で、安倍晋三に対する質問の中で、こう言っている。
○小池委員 次に、憲法の方でございますが、これについてもまたこれから議論をしっかりと続けていかなければなりませんので、中身の部分はその方に任せまして、大体のロードマップをどういうふうに描いておられるのか、総理に伺わせていただきたいと思います。
 せんだって、船田憲法改正推進本部長との面会の中でも、来年夏の参院選後が常識だろうというふうにおっしゃったと伺っております。これからのタイムスケジュールと、それから、憲法というのは前文から百三条まであるわけでございますけれども、その中から抽出して何かのグルーピングをするのか。例えば、緊急事態に関して、八十三条、財政に関してといったような形を想定しておられるのか、総理の今のイメージをお聞かせいただきたいと思います。
○小池委員 私は以前から、八十三条、財政の条項からまずやってみたらどうかと。一度も憲法改正に国民は投票したことも。ようやく整ったわけですから。ですから、いきなり全部のメニューを最初からというよりも、ひとつそのような形で進める、九十六条よりも私は八十三条から始めるべきではないだろうか、このように思っております

憲法83条は「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」と定める。自民党改憲草案はこれに第2項として「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。」と加える。それだけのもの。小池は、「お試し改憲」「慣れさせ改憲」のテーマとして適当ではないかと提案しているわけだ。

小池百合子の本性は、およそ憲法理念とは敵対的なものというほかはない。彼女が「都民ファースト」と言い、「国民ファースト」と言っても無内容。憲法嫌いの積極的な真正改憲派であり民族差別主義者なのだ。しかし、彼女は政界渡り鳥。嗅覚鋭く、機を見風を読む能力には長けた老獪な政治家でもある。その行動原理は、自分の信念にもとづいてのものであるよりは、自分の権力拡大のために有利か不利かの判断に基づく。

彼女は改憲論者としては一貫しているが、具体的な憲法改憲手順については、明らかに変遷している。憲法改正を言い出すことが自分に有利と思えば積極的に安倍政権(ないしはその亜流)と手を組むだろう。状勢を読んで、憲法改正を言い出すことが自らに不利と思えば何食わぬ顔で、憲法に基づく行政を行うだろう。

多くの人々に小池百合子の本性を知らせる努力を怠ってはならない。眉に唾を付けて、しっかりと都政の行方に目を光らせなければならない。盧溝橋の過ちを繰り返さないためにも。
(2017年7月7日)

都民ファーストの会に吹く風を止めよう。そして…。

私は、常識的に、政治状況を保守対革新の図式で見ている。硬直したものの見方だとの批判もあろうが、無原則よりはよほどマシだろう。保守と革新を分けるメルクマールは、私の場合なによりも憲法理念への親和性である。人権・平和・民主主義こそが基本のキ。そして外交は反安保。経済政策は企業ではなくすべての個人の生活を平等に豊かにすること。個人の尊厳と平等の実現に徹しているか、歴史を曲解せず真率に向き合うか。

保守の極に自民党があり、革新の極に共産党がある。
保守も幅は広いが、安倍政権の反憲法的姿勢は最悪なもの。また、北極星のごとく不動の極に位置していた共産党が、最近ものわかりよくやや原則性を稀薄化させているのが不満だが、これに代わりうる政治勢力はない。

この両極間の各々の位置に、幾つかの中間政党が消長を繰り返してきた。かつては、革新極に近い位置に社会党という護憲の大政党があり、保守に近いところに民社党があった。ヌエのごとき公明党は、革新に近い位置に生まれて一貫して保守の側に移行を続けた。今や完全に自民党の補完勢力になり下がっている。

社会党が保守化して民主党になり、保守化に抵抗したグループが社民党として残った。その民主党が長期低落の自民党の受け皿となっていったんは政権の座に着いたが、人心が離れて政権を失った。いまや求心力を失って、保守側と革新側の両極からの引力が働いて、政党としてのまとまりを失いつつある。

さて、問題は都民ファーストの会なる地方政党の位置決めである。もちろん、その出自からして保守陣営に属するものであって、中間政党ではない。これまで、民心が自民党を見限って保守の危機が訪れたとき、自民離れ票の受け皿となったのが中間政党であった。自民から流れ落ちる票が革新まで行き着く前に、中間政党が掬い取るイメージ。都民ファーストの会は、同じ保守陣営として、もっと上流で自民批判票の受け皿となったと言えるだろう。

それでも、自民の大敗は、反憲法的姿勢極端な安倍自民に痛打を与えたという意味で、今回の都議選の意義はあつたものと思う。

都民ファーストの会には、綱領らしい綱領はなく、政策らしい政策もない。実績ある議員はいないし、政治理念での結集体でもない。要するに、時運に乗り風に乗りたいだけの時局便乗願望者の寄り集まりに過ぎない。誰が見ても、この政治集団に未来はない。先行き短命なことは明らかと言えよう。

いま、小池都政と都民ファーストの会の看板は、唯一「情報公開」である。外はない。今のところ、過去の都政のしがらみにとらわれない立場だから、遠慮なく情報公開の立場を貫くことができる。しかし、小池都政にもすぐに苔が生える。しがらみが巻き付いてくる。そのときにも、行政の透明性の確保、情報公開の徹底を貫けるだろうか。

そんな都民ファーストの会が今回都議選で200万票を獲得した。得票率にして36%である。恐るべき風と驚嘆せざるを得ない。いつものことながら、「民主主義とはなんだ?」「こんなものが民主主義か?」と考え込まざるを得ない。

今日、「本郷・湯島九条の会」事務局長から、以下の連絡が入った。
「都議選がおわりましたが、『都民ファーストの会』会長・野田数氏は改憲右翼・国民主権否定どころか、大日本帝国憲法復活論者であり、わたしたちは『臣民』と言って憚らない人物です。小池知事は日本会議に所属しており、わたしたちはファシストに都政を売り渡してしまったのです。
今後の対策を『本郷・湯島九条の会』として建てようと思います」というもの。

今なすべきことは次の2点であろう。
まずは、可及的早期に小池都政と「都民ファーストの会」の化けの皮を剥がす批判の努力をすること。そして、もう一つ。この風のやんだあと、熱に浮かされた人々の小池離れ票を、自民に戻してはならない。革新の側に票を移行させるよう努力すべきこと。言うは易く行うは難し、ではあるが。
(2017年7月6日)

小池都知事に問います。あなたは「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文奉呈を辞めるつもりではないでしようね。

両国駅にほど近い墨田区横網に、横網町公園がある。関東大震災(1922年)の頃は陸軍被服廠跡地として空き地であったが、震災に伴う火災でここに避難した3万8000人が焼け死んだ傷ましい大災害の現場として記憶されている。

今は、公益財団法人東京都慰霊協会が管理する東京都慰霊堂や復興記念館がある。震災・戦災の犠牲者追悼の場となっているのだ。

その公園の一角に、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」がある。
横網町公園を管理する公益財団法人東京都慰霊協会は、この碑を「関東大震災時の混乱のなかで、あやまった策動と流言ひ語により尊い命を奪われた多くの朝鮮人を追悼し、二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないことを願い、震災50周年を記念して昭和48年(1973)に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」により立てられた碑です。」と紹介している。

追悼碑には
次の碑文が刻されている。
「この歴史
永遠に忘れず
在日朝鮮人と固く
手を握り
日朝親善
アジア平和を
打ちたてん
藤森成吉」

また、追悼碑建立の経過が次のとおり、書かれている。
「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」

毎年9月1日に、この碑の前で関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典が行われる。日朝協会都連が事務局を務めてのもの。これに都知事からの追悼の辞の奉呈が慣例となっている。私も、昨年は参列した。今年も参加したいと思っている。

日本の植民地支配は歴史の汚点として率直に認め謝罪すべきが当然である。関東大震災時の軍民による朝鮮人に対する虐殺行為は、とりわけ恥ずべき歴史の1ページであるが、この事実を覆い隠そうとすることはさらに恥ずべき行為となる。まずは事実を知ることが繰り返さない第一歩。吉村昭『関東大震災』(文春文庫)と姜徳相著『関東大震災』(中公新書)の両書は日本人必読の書である。

右翼レイシストは、このときの自警団という名の日本人民衆が、無辜の朝鮮人(と中国人)に対して行った戦慄すべき残虐行為を認めたくない。その先頭に立っているのが、自民党の都議古賀俊昭。

本年(2017年)3月2日の東京都議会本会議において、古賀は、工藤美代子著「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」を論拠に、朝鮮人犠牲者の数がこんなに多いはずはないとして、次のように知事に質問した。

「小池知事は、昨年九月一日、同公園で行われた日朝協会が事務局を務める関東大震災犠牲者追悼式典に追悼の辞を寄せています。当組織の案内状には、六千余名、虐殺の文言があります。なお、この団体は、昨年は申請したようでありますけれども、過去、公園占用許可申請書を一度も提出することもなく公園を使用していたほか、都立公園条例で行為の制限条項により、改めて知事の許可を必要とする広告宣伝、物品販売を堂々と行っていました。
東京都を代表する知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、今後は追悼の辞の発信を再考すべきと考えますが、所見を伺います。」「歴史の事実と異なる数字を記述した碑を、東京都の公共施設に設置・展示すべきではなく、撤去を含む改善策を講ずるべきと考えますが、知事の所見を伺います。」

これに対する小池の知事答弁は、次のとおり、かなり危ういものである。
「都立横網町公園におけます関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑についてのご質問でございます。この追悼碑は、ご指摘のように、昭和四十八年、民間の団体が資金を募集し、作成したものを受け入れる形で、犠牲者の追悼を目的に設置したものと聞いております。
大震災の際に、大きな混乱の中で犠牲者が出たことは、大変不幸な出来事でございます。そして、追悼碑にある犠牲者数などについては、さまざまなご意見があることも承知はいたしております。
都政におけますこれまでの経緯なども踏まえて、適切に対応したいと考えます。
そして、この追悼文についてでありますけれども、これまで毎年、慣例的に送付してきたものであり、昨年も事務方において、例に従って送付したとの報告を受けております。
今後につきましては、私自身がよく目を通した上で、適切に判断をいたします。」

「私自身がよく目を通して適切に判断」に注目せざるを得ない。これまでの慣例により毎年送付し続けてきた追悼文である。この慣例は、鈴木俊一も、青島幸男も石原慎太郎も、猪瀬直樹も舛添要一も従ってきたもの。

小池は、本来こう言うべきだった。
「犠牲者数についての議論は本質的なものではありません。傷ましい朝鮮人の犠牲があったことは確かなのですから、これを歴史の闇に葬ってはならないとするのが小池都政の基本方針です」。あるいは「これまで永年にわたって都民を代表する立場で継続してきた朝鮮人犠牲者への追悼文です。今さらこれをやめることは、却って大きな逆のメッセージを発信することになります。軽々にやめるわけにはいかないことをご了承ください。」

こう言わない小池答弁には、これまでの慣例見直しのニュアンスを含むものというほかはない。右翼勢力にも秋波を送って追悼文不送付もあり得るとのメッセージ。

いまや、小池百合子の一挙手一投足が問われている。その本質を問い質すとともに、大いに警戒しなければならない。
(2017年7月5日)

アベ君、キミに本当の反省の仕方を教えよう。

アベ君。いつもは傲慢で高慢なキミだが、今回都議選の大敗はよほどショックのご様子。精神の衝撃が体調に響かなければよいが…。

永田町では、「敗因は『THIS』だが主犯は『A』」と誰もが無遠慮に語る雰囲気だとか。なるほどキミが言っていたとおり、「築城3年、落城1日」。驕れる者は久しからずして、春の夜の夢の如しだ。

ところで、キミは記者には今回の敗因を、「大変厳しい都民の審判が下された。自民党に対する厳しい叱咤と深刻に受け止め、深く反省しなければならない」と言ったそうだね。「叱咤」は感心できない。通例、「叱咤激励」と使う。さすがに、「激励」は控えたようだが、まるで都民の批判は一時的なもので、キミを励ますためのお灸の程度というニュアンス。そんなことだから、反省が足りない。反省したふりしかできない、と言われるんだ。

キミは、「深く反省し、初心に立ち返って信頼回復に全力を挙げる」とも言ったそうだ。相変わらず、具体性に欠けた「反省」。キミが「国民には丁寧に説明してまいります」と言って実行したためしのないことは全国民に周知の事実。キミの反省ポーズは国民から信用されていない。なまなかなことでは、信頼を取り戻すことなどできっこないのだよ。

しかもだ。キミは、政権と自民党の反省のポーズとして、野党からの閉会中審査要求に応じると言わせておきながら、自分の出席は拒否したというではないか。そんなことだから、キミの信用は限りなくゼロとなる。このままでは、キミの政権は緩慢に死を待つしかない。

そこで、キミに起死回生の策を教えよう。キミの具体的な反省の仕方をだ。

まずは、憲法改正の提案を撤回することだ。かたちだけのものではなく、これからは心を入れ替えて、日本国憲法を尊重し、その理念を謙虚に学び実践することを誓うのだ。

もう一つ。辺野古新基地建設断念を閣議決定するのだ。大浦湾の埋立工事はストップして、警備は解散させる。すべて総理の権限でやらせる。

その上で、「THIS」を切ることだ。豊田と下村は閣僚ではないからキミが総理としてクビは切れない。だから、自民党を除名することにしよう。離党届けを受理してはならない。新生自民党に旧体質の政治家は不要だという宣言をすることに意味がある。もちろん萩生田と稲田は直ちに免職だ。しかし、この程度では、国民が納得するとは思えない。

そうしておいて、この4人には、議員辞職を勧告する。この4人のことだ。簡単に議員辞職勧告に応じることはないだろう。そのときに、キミが説得のために伝家の宝刀を抜く。まずは、「ボクも議員をやめる。一切の政治活動から手を引く。だからキミたちも一緒にやめてくれ」と泣き落とす。

これで落ちなければ、いつもの最後の手段だ。
「前川が、怪しげなところに出入りしていたことを暴露したのが誰だか、知らないはずはなかろう。キミたちそれぞれが、脛に傷のない身か、よくよく胸に手を当てて考えてごろうじろ」。これで十分だろう。

こうして、「THIS」+「主犯A」のすべてが政界から身を引く。そして、改憲と辺野古新基地建設はなくなる。それが、国民からの信頼を回復する起死回生の秘策だ。

えっ、それは起死回生策ではなく、自滅策ではないかって?
分かっていないね。キミはもう死に体なんだよ。万に一つでも、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの策をとるしか方法はない。自分だけ生き残ろうとしても無理なんだ。
潔さこそ、右翼の美学だろう。キミはキミにふさわしく、散る桜となるのだ。春の夜のはかない夢のごとくに。

キミ、まだ怪訝な顔をしているね。まだ、よくお分かりではないようだね。これで分からぬようでは、やっぱりダメなんだ。キミに本当の反省はできない。残念だけどね。
(2017年7月4日)

もしや都民ファーストの会は、国民主権を「傲慢な思想」ととらえてはいないか。

都民ファーストの会なる地方政党が、都議会で55議席を獲得して、第一党に躍り出た。アベ一強政治の禍々しさに嫌気をさした都民の気分を受けとめ、アベ離れ票の受け皿になることに成功したこの組織。実は正体不明のままである。本当に、自民の批判勢力なのか、アベ政治対抗勢力として期待しうるのか。その実態を明らかにしていかなければならない。出る杭は大いに打つべし。

都民ファーストの会のホームページを見ても、また、その綱領や政策を見ても、この集団が何を考え、何をなそうとしているのか、伝わってくるものはない。とすれば、この組織の中心に位置する人物像を探らなければならない。そのキーパースンは二人。小池百合子と野田数である。

小池百合子が、政界渡り鳥であり、日本会議につながる右翼思想の持ち主であり、核武装論者でもあることはこれまでも語られてきた。都知事としての議会答弁でも、日の丸・君が代強制容認論者であることを露わにしている。しかし、野田数のなんたるかについて語られていることは過小である。

野田は、都民ファーストの会の設立当初からの代表であり、今回都議選の選挙期間中だけは小池を代表として自らは幹事長となったが、選挙が終わってまた代表に復帰した。都民ファーストの会と、そして小池都政が、このスキャンダラスな人物の動向に影響されるであろうことは否定し得ない。

野田は、1期だけ都議を務めている。自民党公認で当選して、在任中に東京維新なる組織を作ってその代表となった。この東京維新が世間の注目を集めたことがある。日本国憲法無効論にもとづく、「大日本帝国憲法の復活確認を求める請願」に賛成票を投じたことである。

2012年、トンデモ請願が都議会に提出された。その表題は「『日本国憲法』(占領憲法)と『皇室典範』(占領典範)に関する請願」という。内容は、「現行日本国憲法が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が有効に現存することの決議を求める」という恐るべき請願である。

請願者は憲法無効論者である弁護士の南出喜久治ほか5034人。東京維新の野田と、これも札付きの右翼として名高い土屋敬之の二人が紹介者となったもの。

なお、南出喜久治は京都の弁護士。弁護士にもいろいろあることはご存じのとおり。あのお粗末稲田朋美だって弁護士なのだ。南出は、所属弁護士会から3度懲戒処分を受けた人。3回目は次のような懲戒事由だった。

「2006年3月に京都市内の女性から債務整理の依頼を受け、所有する工場を残すよう頼まれ着手金など300万円を預かったにもかかわらず、2007年7月に依頼を解除されるまで必要な対応をせず、預かり金などを返却しなかったとして、2013年1月28日、京都弁護士会から業務停止3か月の懲戒処分を受けている」(ウィキペディア)。こういう人物が提出した請願なのだ。

請願は、まず総務委員会の審議にかけられる。同年9月18日総務委員会速記録によれば、請願の要旨は、
(1)「憲法、典範、拉致、領土、教育、原発問題などの解決のために必要な国家再生の基軸は原状回復論でなければならないことを公務員全員が自覚すべきであるとする決議がなされること。」
(2)「占領憲法(日本国憲法)が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存するとする決議がなされること。」
(3)「占領典範(皇室典範)の無効を確認し、明治典範その他の宮務法体系を復活させ、皇室に自治と自律を回復すべきであるとする決議がなされること」
の3点だという。

(1)は意味不明。(2)(3)はネトウヨ論法。現行憲法は占領軍の押しつけ憲法だ⇒だから無効⇒だから今だに大日本帝国憲法が有効に存在しているのだ。という「論理」。公の場では恥ずかしくて口にできない代物。これが、紹介議員を得て都議会に出てきたのだ。

共産党の吉田信夫委員が、正鵠を射た弾劾の意見を述べている。
〇吉田委員 「日本国憲法と皇室典範に関する請願について、一言意見を表明いたします。
本請願は、そもそも現行憲法及び皇室典範は無効であるとの認識を前提とし、大日本帝国憲法、明治典範が現存するという極めて特異な考えによるもので、その考えを都議会も認めよというものです。
しかし、先ほどの説明にもあったとおり、質問主意書への中曽根内閣の政府答弁でも、日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続によって有効に成立したものであって、その間の経緯については、法理的に何ら問題ないとしており、無効論は成り立ちません。
憲法にうたわれた戦争放棄、主権在民などの諸原則は、決して一方的に押しつけられたものではなく、侵略戦争への深い反省に立った日本国民の願いを反映したものであり、世界の流れを反映したものです。
にもかかわらず、驚くべきは、請願者が、我々臣民としては、国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄してと、強調していることです。このような主権在民を否定し、時代を戦前に逆戻しさせるかの主張は、到底見過ごすことはできませんし、この請願に紹介議員となった二名の都議(野田と土屋)の良識も問われるものです。よって、本請願は不採択を求めるものです。

総務委員会では全会派の反対で不採択とすべき旨の議決がなされ、2012年10月4日の都議会本会議でも東京維新の会所属の3名と土屋の計4名が賛成に回ったものの、民主・自民・公明・共産・生活者ネット各党などの反対により不採択となった。
この点は、翌日(2012年10月5日)の赤旗が次のように報じている。

「大日本帝国憲法復活請願 『東京維新の会』が賛成」
「橋下徹大阪市長の『日本維新の会』と連携し、9月に結成した都議会新会派『東京維新の会』(民主・自民を離党した3人で構成)は4日の都議会第3回定例会最終本会議で、現行の日本国憲法を無効とし、戦前の『大日本帝国憲法』の復活を求める時代錯誤の請願に賛成しました。請願は日本共産党、民主党、自民党、公明党、生活者ネット・みらいなどの反対で不採択となりました。
請願は、天皇を元首として無制限に権力を与え、国民を『臣民』として、自由と権利を抑圧した大日本帝国憲法を美化。『我々臣民としては、国民主権という傲慢(ごうまん)な思想を直ちに放棄』して、日本国憲法を無効とし、大日本帝国憲法は現存するとの都議会決議を求めています。」

「また、東京維新の会は、都内在住外国人への生活保護支給の減額・廃止を求める陳情に賛成しましたが、反対多数で不採択となりました。」

この東京維新の代表が、野田数なのだ。「『我々臣民としては、国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄』すべきとして、憲法無効論に基づく大日本帝国憲法の復活確認を求める請願に賛成票を投じた」この人物が、いまは都民ファーストの会の代表である。これが、小池百合子のもっとも信頼する同志なのだ。

小池チルドレンと言われる皆様方よ。あなた方の政党の代表が、かような人物であることをご存じなのだろうか。
(2017年7月3日)

都議選・自民党の歴史的大敗はアベ政治の墓標だ。

都議選の開票が進んでいる。
自民党は、歴史的大敗である。負けたのはアベ様ご一統。「アベのアベによるアベのための政治」あるいは、「トモダチのトモダチによるトモダチのための政治」に、国民の批判が沸騰した。都民は国民を代表して、アベ自民に「ノー」を突きつけたのだ。

前回59人の立候補者全員を当選させた自民が、今回選挙では23議席。そのマイナス36議席。アベ政治の完敗であり惨敗であり総崩れであり、凋落というほかはない。

アベ政治は、株価に支えられた政治との思い込みがあった。財政を株式市場に投じて無理矢理株価を上げて景気の高揚を演出することで、虚構の支持率を保持している底上げ政権。いずれ株価の下落とともに、アベ政治も終わるであろうはかない運命。しかし、裏を返せば株価が下落ぬかぎりは、しぶとく命脈を保つ政権ということでもある。

それが、株価の下落より先に、アベ自民が大逆風に見舞われたのだ。自業自得とはいえ、この現実は予想をはるかに超えるものとなった。

これまでも、世論調査での安倍政権支持の理由は「ほかよりマシだから」。消極的支持でしかなかった。少しのきっかけで、驚くべき奔流が堤防を決壊させる。

これは、アベ自民にお灸というレベルではない。国民がアベ自民を見限ったというべきだろう。「謙虚に選挙結果を受けとめる」のなら、アベ退陣しかあり得ない。

選挙期間の最終日、初めて安倍晋三が秋葉原の街頭演説に顔を出して、盛大な「帰れコール」を浴びた。そして「アベやめろろ」コールも沸き起こった。これがこの選挙のハイライト。状況を象徴するできごと。

安倍の応援を受けたのが、千代田区(定員1)自民公認の中村あや候補。みごと大差で落選している。アベの応援は、足を引っ張るだけだったようだ。

その中村のツィッター。開票前と後。
「最終日午後は秋葉原にて安倍総裁はじめとした多くの国会議員の先生方から激励をうけ、最後の思いを述べさせていただきました。その後マイク納めし、夜は半蔵門駅で最後のご挨拶。選挙戦、悔いはございません!皆様明日は投票へ! 」

「先程の会見でお世話になった先生方に恨み節を言ったかのような変な切り取られ方をしましたが、反論します。”今の国政どう思うか”という質問の答えの中で”…党問わず公人なら国民の代表者としての意識をもたなければならない。…脇が甘い”と言っただけで敗因を押し付けたりしていません。」

「脇が甘い」とはよく言った。しかし、アベ様ご一統、脇が甘い程度ではなかったのだ。

それにしても、都民ファーストの会の票の出方には驚く。風は恐い。明日はどちらに吹くのやら。

共産党が、都ファに埋没せず、前回17議席を今回19議席に増やしたことは欣快の至り。

我が文京区(定数2)の開票結果は、以下のとおり。
当 増子博樹〈元〉 42,185票 43.96% 都フ
当 中屋文孝〈前〉 26,997票 28.13% 自民
次 福手裕子〈新〉 26,782票 27.91% 共産

共産候補は200票差での次点。28%の得票率での落選。無念というほかはない。

最大の関心事は、この選挙結果が改憲策動にどう影響するかという点。レームダック同然のアベの号令で、自公連立が改憲を急ぐなどということは常識的にあり得ない。また、沖縄の県民いじめに居丈高となることもできまい。

残念な面も多々あるものの、ひとまずは胸をなで下ろした開票結果。
(2017年7月2日)

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