澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

皆さん、これが有名になった、釜山の「少女像」です。

日本領事館の正門側にあると思っている方が多いようですが、このとおり、領事館の裏側になります。この歩道に面した高い擁壁の上が領事館の裏庭です。いま、桜が満開ですね。あっ、桜の木の陰に隠れて領事館員がカメラで皆さんを見下ろして、写真を撮りましたね。そして直ぐに隠れました。皆さん、注目されているようですね。

この少女像の髪形は、当時の女性の短髪ですが、こんなに短くなっているのは、家族や社会から縁を切られたという悲しみを表現したものだそうです。また、靴がなく裸足で、しかも踵が浮いていますね。歩いて行く宛のない、不安定な気持と立場を象徴していると聞いています。となりには、椅子があります。力を貸してくれる方、寄り添っていただける方にお座りいたくための椅子です。どうぞ、あなたもこの椅子に座って写真を撮ってください。

ソウルに続いて、釜山のこの少女像が大変有名なりましたが、この像は全国にどんどん増えていますから、いくつあるのか誰も正確には分からないじゃないですか。国内だけで100近く。アメリカやヨーロッパなど、外国にもいくつかできていますよね。

2015年12月の日韓合意で、「韓国政府はこの少女像を撤去しなければならない」とされたようですが、それはもう絶対に無理なことですね。日本の安倍さんたちが韓国の政府に、「この像を撤去しなさい」と言えば言うほど、像の数は増えることになると思いますよ。

私思うんです。人間って、面白いもんですね。ああしろ、こうしろと、押しつけられれば、却って反発するじゃないですか。激しく燃え上がるじゃないですか。ロミオとジュリエットだって、両家に反対されたから、あんなに燃え上がったじゃないですか。

日本の安倍さんが、「国家と国家の約束を守りなさい」とか、「約束だから像を撤去しなさい」なんて言うのは、ますます韓国の人々を刺激するだけですね。何にも言わず、じっとしているのが、安倍さんにとっては、一番いい方法じゃないですか。どうして、そんなことが分からないですかね。

また安倍さんが何か言ったり、何かしたりすればですよ。その都度に「なぜ、こんな像が造られたのか」「こんな像を造らなければならない理由は何だったのか」と、韓国のみんなが、また改めて思い出すことになるじゃないですか。

あっ、韓国のポリスが2人出てきましたね。さっき上から皆さんの写真を撮っていた領事館員が通報して、ポリスが出てきたんですよ。皆さん、やっぱり注目されているんですね。
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4泊5日の韓国ピースツアーを昨夕で終えた。
韓国民衆のさまざまな運動を垣間見てきた。その熱気の一端に触れて、もらった熱い思いが冷めやらない。韓国の運動から、枯渇しかかっていたエネルギーの補充を受けた感がある。どこの運動にも、さまざまな歌と踊りがあった。ともに唱い踊ることで、自分を励まし連帯を確認するのだ。その歌と踊りが、底抜けに楽天的なことが、印象に残った。追々、当ブロクに韓国市民運動見聞録を掲載したいと思う。

上記は、釜山領事館の「少女像」についての、ガイドの解説の概要。軽妙で洒脱な日本語の語り口を堪能した。この「テーマのある旅」の充実度を決定する要素の半分は企画の出来具合で、あとの半分は現地ガイドの能力といってよい。韓国本土を担当したこの旅のガイドの通訳能力だけでなく、社会や政治の論評の確かさに脱帽した。

この旅行の企画は、ユーラスツアーズ
http://www.euras.co.jp/
http://www.euras.co.jp/tour/korea-peacetour2018/

もともとは、「旧ソ連・ロシアへの旅行、留学に特化したサービスで57年以上の実績」という旅行社で、「ロシア旅行を知り尽くした当社だけが出来る”わがままツアー”を実現します」と、ロシア旅行が専門だが、ヨーロッパも、中東も、中国も韓国もベトナムのツアーも企画している。

現地の運動体との連絡や交流の設定は難事だと思うがよくやってくれたと思う。そして得がたい現地ガイドも、この旅行社を通じて依頼できる。観光旅行ではない、テーマのある旅行を望む方にお薦め。

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旅を終えて、日常が戻ってきた。

本日(3月31日)は、都立学校教員らの「日の丸・君が代」強制問題についての、卒業式総決起集会。そこで、「憲法的価値の根源は個人の尊厳であって、国家ではない」「個人のために国家があるのであって、国家のために個人があるのではない」「にもかかわらず、国民個人に対して、国家の象徴である『国旗・国歌(日の丸・君が代)』に敬意表明を強制できるはずはない」と発言。

夕刻は、加藤良雄著「学校がキライな君へ」の出版記念会。

加藤さんは、東京「君が代」裁判・第4次訴訟の原告団代表。定時制高校勤務時代の生徒との交流を語り、その生徒との関わりが、生徒の卒業後も加藤さんが定年退職後も連綿と続くことに驚く。その本の帯に「先生の生徒で本当によかった」というある生徒からのメールの一節が記されている。この一言、教師の勲章と言ってよい。

「学校というものの存在価値の根源は生徒の学ぶ権利であって、経営主体ではない」「生徒のために学校があるのであって、学校のために生徒があるのではない」「だから、生徒に対して、学校の都合を押しつけてはならない」

私も、学校が好きではなかった。今にして思えば、その理由は束にされて扱われることに抵抗感があったからだ。

この著書に表れた教師・加藤良雄の、手のかかる生徒に対する向き合い方は、なかなかできることではない。束にしたクラスを相手にするのではなく、一人ひとりの生徒の人格に向きあう。その実践記録である。定時制とは、こうも個性にあふれた生徒を擁しているのだ。

「日の丸・君が代」強制に服することができないという教師には、このような真面目な教育実践をしている人が多いのだ。でもしかの教師には「日の丸・君が代」強制に服従しがたいという動機があり得ない。もちろん、訴訟にはこの書物を丸ごと書証として提出している。
(2018年3月31日)

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