澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

沖縄知事選序盤情勢 「デニー優勢なれども予断を許さず」

注目の沖縄知事選。その帰趨が、辺野古新基地建設の成否を大きく左右する。のみならず、政局や改憲問題にも大きな影響を及ぼさざるを得ない。

沖縄とは、安保体制と日本国憲法体制との矛盾の結節点である。安保体制派(政権与党)と、日本国憲法派(市民と野党の共闘)が、総力でせめぎ合う最前線。その地の民意の動向は常に注目の的となる。しかも、今回知事選の最大の争点は、アベ政権による辺野古新基地建設強行の是非である。

県民の意思が、辺野古新基地建設強行反対であることは論を待たない。沖縄経済が基地依存を脱して久しい。沖縄の基地は、県民の生活の安全にも経済にも、摘出すべき病巣以外のなにものでもない。

昨日(9月19日)の琉球新報が、世論調査の結果を「承認撤回『支持』7割 辺野古埋め立て」の記事を載せている。「70、60歳代で多く 自民支持層も一定数」の小見出しもある。

国が辺野古新基地を建設するためには、大浦湾の海面を埋立てなければならない。公有水面埋立法は、県知事の許可または承認がなければ海面の埋立はできないこととしている。仲井真元知事は民意を裏切って国にその承認を与えた。翁長知事は、「オール沖縄」勢力の与望を担って、前回2014知事選で仲井真陣営に圧勝して、まずは「承認を取り消した」。

紆余曲折はあつたが、法廷闘争で知事の「承認取消し」は認められないとして確定した。しかし、万策尽きたわけではない。翁長知事は、膵癌末期の症状を押して「承認撤回」の手続に着手し、同知事の死後の8月31日知事職代行者の副知事によって、正式に「承認撤回」の処分がなされた。

今回選挙において選出された新知事の最初の仕事は、「翁長前知事の意向に沿って、仲井真元知事がした辺野古新基地建設のための国の大浦湾海面埋立工事に対する承認の撤回を維持する」のか、あるいは「(翁長知事の)承認撤回を(新知事において)撤回する」のか、判断が迫られることになる。

今回知事選の争点が、「辺野古新基地建設強行の可否」を問うものとは、具体的には、(翁長前知事の)承認撤回を支持するか否かである。世論調査の結果は、県民の7割が「支持」派なのだ。「支持しない」派は2割にとどまる。民意の所在は明らかという所以である。

 琉球新報社が沖縄テレビ放送、JX通信社と合同で14日から3日間に実施した電話世論調査の結果、辺野古新基地建設に伴う埋め立て承認を沖縄県が撤回したことについて、「強く」と「どちらかといえば」を合わせて約7割が支持していることが分かった。支持しないと答えたのは約2割だった。県民の間に、米軍普天間飛行場の辺野古移設を阻止したい意思が強いことが改めて浮き彫りになった。8月31日に県が埋め立て承認を撤回してから、その判断についての県民の評価が示されるのは初めて。

 承認撤回に「強く支持する」が56・8%、「どちらかといえば支持する」が12・5%だった。一方で「全く支持しない」は12・1%、「どちらかといえば支持しない」は9・2%だった。「分からない」は9・4%あった。

同じ、琉球新報社世論調査については、9月17日に次のような結果が報道されている。
「調査で投票先を決める際に重視する政策」では、
 「基地問題」が     41・6% 
 と最も高い。ついで
 「経済、景気、雇用」が 26・7%、
? 「医療、福祉」が13・0%、
? 「教育、子育て」が7・5% と続いた。

知事選の最大の争点となる普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題については
「県外に移設させるべきだ」の割合が最も高く28・1%、
「国外に移設させるべきだ」が21・2%、
「無条件に閉鎖し撤去するべきだ」が19・7%と続いた。
これに対し「辺野古に移設させるべきだ」は17・1%、
「辺野古以外の県内に移設すべき」は4・3%だった。
分からないは9・7%。
約7割が辺野古移設に反対の意見だった。

以上の調査結果は、おそらく沖縄県民の率直な心情なのだろう。この意見分布なら、選挙結果は、翁長承継を標榜し、承認撤回を前面に掲げているデニーの勝利、それもダブルスコアでの圧勝以外にはない。しかし、有権者の現実の投票行動が必ずしもこのような調査のとおりにならないことは、名護市長選で「オール沖縄」の稲嶺候補が敗れたことに表れている。

この知事選は、本来はまぎれもなく「辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票」である。県民の多くは辺野古に新基地を作らせたくないと思っている。辺野古移設容認派は2割に満たない。にもかかわらず、「辺野古新基地建設反対」を明言し、翁長知事の埋立承認撤回の立場を承継することを公約に掲げるデニー圧勝の予測とはならない。強大な政権与党が対立陣営に肩入れしているからだ。与党側候補を勝たせるために、辺野古問題での投票行動をひっくり返すだけの経済的利益供与をチラつかせることができるのだ。

だから、自公は、徹底したステルス(争点隠し)戦術をとっている。名護でも成功した「対立よりは協調」「経済振興策をこそ」と訴えている。しかも、県民の一部には、「どうせ国には勝てない。司法も国の味方じゃないか。公正な判決など期待できない」「ならば少しでも、よい条件の獲得を」との気持がある。自公が県民世論を覆して、佐喜真を当選させる目はあるのだ。

だから、序盤情勢についての電話世論調査報道では、慎重な琉球新報としてはデニー優勢とは打てない。

琉球新報社は沖縄テレビ放送、JX通信社と3社合同で14?16日の3日間、県内全域の有権者を対象に実施し、選挙戦序盤の情勢を探った。調査結果に本紙の取材を加味すると、県政与党が支援する無所属新人で前衆院議員の玉城デニー氏(58)と、無所属新人で前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)=自民、公明、維新、希望推薦=が接戦を繰り広げている。一方、投票先を決めていない有権者も一定数おり、その投票動向によって情勢は流動的な要素がある。

どちらが優勢とは書かずに、「接戦」となっている。デニーを先に、佐喜真をあとに書くのは、調査の限りではわずかながらもデニー有利の読みなのだろう。それでも「接戦」である。

もう一つの世論調査が公表されている。リサーチコム社のもの。
「沖縄県知事選 投票意向は国政の与野支持層で二分も、序盤は玉城氏が先行」「内閣支持率は全国平均を大きく下回り、支持しないが6割強」とこちらの方が歯切れがよい。

つまりは、国政の与党支持層が佐喜真を応援し、国政野党支持層がデニーを支持している構図だという。告示直後は玉城デニー氏先行、佐喜真氏追い上げるか」とまとめられている。これは、9月15?17日の調査限りのもの。

電話調査の結果に選挙ドットコムが取材で得た情報を加味したところ、佐喜真氏は8月の調査時点から手堅く支持を広げているものの、玉城氏が幅広く浸透し、先行しています。ただ、調査時点から投票日の30日までは2週間ほどあることから、情勢が変わる可能性もあります。

また、沖縄タイムスの伝えるところによれば、期日前投票が前回と比較して倍増しているという。
「30日投開票の沖縄県知事選で、14日から始まった期日前投票者数が前回2014年知事選と比べ倍増している。16日までの3日間で、11市の総数は1万4628人で、前回同期比で約1・96倍に上っている。市の中で最多は那覇市の3327人で、前回の3・39倍に上っている。最も増加率が高いのは沖縄市の3・95倍で、既に2107人が投票を済ませた。」という。

名護市長選の期日前投票者が異様に多かった。期日前投票者数は異例の当日有権者の44.4%。これが、「オール沖縄」稲嶺候補の思わぬ敗北の一因と言われたことが気にかかる。民意を撹乱することなく、適切に反映する選挙であって欲しいと切に思う。
(2018年9月20 日・連続更新1999日)

憲法と落語(その4) ― 「名人長二」では、無茶苦茶な刑事司法が語られている。

三遊亭圓朝とは、言わずと知れた落語界の大名跡。大名人として「大圓朝」とさえ言われる。大看板、大真打ち、大師匠。どこまでも「大」の付く別格の噺家。その技倆は伝説にのみ残されているが、幕末から明治の人とて録音はない。だから、圓朝の話芸そのものについては、誰しもが語りかねる。

写真は残されており、鏑木清方、河鍋暁斎などの人物画もある。それらを見る限り、面白い噺をして人を笑わせようというタイプにはみえない。人情話や怪談を専らにし、また多くの長編を創作して自演した。その速記録が、日本文学史上の言文一致体の形成に大きな役割を果たしたとされている。

速記録を見れば、なるほど大したものと思わざるを得ない。しかし、大圓朝の作だからなんでも結構かと言えば、そんなことはない。中には変な噺もある。

「名人長二」は、大圓朝創作の「変な噺」である。登場人物も多彩で、仔細を極めた筋書きだが、無茶苦茶なストーリーというしかない。

長い噺である。名人譚の見せ場である「仏壇こわし」の抜き読みなどは寄席や独演会にかかることもあるそうだが、私は聞いたことがない。志ん生のCDでは、各30分余で5話にまとめられている。何度か聞き直したが、やっぱり無茶苦茶だ。

時代は文政期。長二は、若いながらも名人の名を確立した指物師である。その名人気質や気っぷの良さの語りは聞いていて気持ちがよい。この名人譚だけでまとめておけば無難でよかったのにとも思うのだが、圓朝はこれをお白州ものとした。長二が、親殺しに及んで裁きを受けるのである。この点は、モーパッサンの短編「親殺し」を翻案したものとされている。この判決と、無理な判決理由をひねり出す過程が無茶苦茶なのだ。

あらすじをごくかいつまんで要約してみよう。
長二は、たまたま湯河原に傷養生の湯治に出かけて、自分の出生の秘密を知ることになる。自分はこの地で生み落とされて捨て子にされた。背中の傷は藪に捨てられたとき竹が刺さったためと聞かされれる。養父母は、これを拾って大事に育てたが、何も言わぬまま他界した。

その後、長二は亡き父母の菩提寺で、豪商亀甲屋幸兵衛とお柳の夫妻にめぐり遭う。長二は、贔屓にしてくれる幸兵衛とお柳を実父母ではないかと思うようになり、背中の傷を見せて問い質すが、夫婦は否定し続ける。そして、押上堤の場。長二は親子の名乗りをと迫り、これを拒否する幸兵衛が刃物をとりだし、もみ合いのなかで、長二は亀甲屋夫婦を殺害する。

長二は師匠の縁を切った上、奉行所に駆け込んで親殺しを自首する親殺しは大罪。南町奉行井和泉守の詮議が始まるが、長二は仔細を話すと親の恥が出るので話せない、このまま処刑して欲しいと言うばかり。さて、尊属殺をどう裁くか。

奉行の詮議の結果、29年前の「事件」が発覚する。実は、幸兵衛は長二の実父ではなく、長二の実父半右衛門殺しの犯人だったと判明。幸兵衛は、亀甲屋半右衛門の妻お柳と謀って半右衛門を殺し、亀甲屋を我が物としてお柳と夫婦におさまっていた。そして、そのとき生まれたばかりの長二を邪魔として捨てていた。

幸兵衛の殺害に関しては長二は親殺しではないばかりか、はからずも実父の仇を討ったことになる。ところが、問題として残ったのは、実母お柳殺しの罪状についてである。長二はまぎれもなく実母を殺したのだ。しかし、奉行と幕閣は、長二を何とか無罪にしたい。そこで、儒者・林大学頭の鑑定を依頼する。何とか無罪にする方策はないか、知恵をお借りしたいという趣旨である。

これに、大学はどう答えたか。青空文庫から引用する。
大學頭様は窃(ひそか)に喜んで、長二の罪科御裁断の儀に付き篤(とく)と勘考いたせし処、唐土(もろこし)においても其の類例は見当り申さざるも、道理において長二へは御褒美の御沙汰(ごさた)あって然るびょう存じ奉つると言上いたされましたから、家齊公には意外に思召され、其の理を御質問遊ばされますと、大學頭様は五経の内の礼記(らいき)と申す書物をお取寄せになりまして、第三巻目の檀弓(だんぐう)と申す篇の一節(ひとくだり)を御覧に入れて、御講釈を申上げられました。こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声(こわいろ)を使わんければならない所でございますが、四書(ししょ)の素読もいたした事のない無学文盲の私には、所詮お解りになるようには申上げられませんが、あるかたから御教示を受けましたから、長二の一件に入用(いりよう)の所だけを摘(つま)んで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、あざなを子思と申す方がございまして、そのお子を白、あざなは子上と申しました、子上を産んだ子思の奥様が離縁になって後死んだ時、子上のためには実母でありますが、忌服(きふく)を受けさせませんから、子思の門人が聖人の教えに背くと思って、「何故に忌服をお受けさせなさらないのでございます」と尋ねましたら、子思先生の申されるのに、「拙者の妻であれば白のためには母であるによって、無論忌服を受けねばならぬが、彼は既に離縁いたした女で、拙者の妻でないから、白のためにも母でない、それ故に忌服を受けさせんのである」と答えられました、礼記の記事は悪人だの人殺ひとごろしだのという事ではありませんが、道理は宜く合っております、ちょうど是この半右衞門が子思の所で、子上が長二に当ります、お柳は離縁にはなりませんが、女の道に背き、幸兵衞と姦通いたしたのみならず、奸夫と謀って夫半右衞門を殺した大悪人でありますから、姦通の廉(かど)ばかりでも妻たるの道を失った者で、半右衞門がこれを知ったなら、妻とは致して置かんに相違ありません、然れば既に半右衞門の妻では無く、離縁したも同じ事で、離縁した婦(おんな)は仮令(たとえ)無瑕(むきず)でも、長二のために母で無し、まして大悪無道、夫を殺して奸夫を引入れ、財産を押領(おうりょう)いたしたのみならず、実子をも亡(うしな)わんといたした無慈悲の女、天道いかでこれを罰せずに置きましょう、長二の孝心厚きに感じ、天が導いて実父の仇を打たしたものに違いないという理解に、家齊公も感服いたされまして、其の旨を御老中へ御沙汰に相成り、御老中から直たゞちに町奉行へ伝達されましたから、筒井和泉守様は雀躍(こおどり)するまでに喜ばれ、…関係の者一同をお呼出しになって白洲を立てられました。

「離縁した以上は私の妻ではないから、子のためにも母でない」「だから、離縁相当のことをしでかしたお柳を殺しても、長二は母殺しにはならない」というのがこの噺のキー・センテンス。これが儒教であり、家制度なのだ。明治の聴衆は、この噺を違和感なく受け入れたのだろうか。さらに、半右衛門はお柳を離縁したわけではない。志ん生は「あの世で離縁したに違いない」と辻褄を合わせている。

こうして、判決言い渡し。長二は無罪。どころか、「非業に相果てたる実父半右衞門の敵を討ったのであるぞ、孝心の段、上にも奇特に思召し、青差拾貫文御褒美下し置かるゝ有難く心得ませい、且つ半右衞門の跡目相続」も、という無茶苦茶。念のためだが、この「上」というのは、天皇のこではなく将軍家斉のこと。圓朝は名君と持ち上げている。当時、天皇も将軍もおんなじようなものだったのだろう。

尊属殺が否定されたところで、通常の殺人罪は成立するはずだと思ったら、これも敵討ちとして無罪。実母を殺しても、実母が家長殺しなら、むしろ仇を討ったとしてのご褒美頂戴だという。長二本人には、敵討ちの意図などさらさらなかったのに、である。

この判決の無茶苦茶さは、おそらく巧みな話芸が糊塗したのだろう。聴衆は、不幸な過去を持ちながらも、気っ風のよい善人長二に感情移入させられている。その長二が無罪なのだから、終わり良ければすべて良しとなる。

しかし、お白州とは、裁きとは、刑事司法とは、「お上」の思惑次第でどうにでもなるのでは困るのだ。世の中には、善人集団と悪人集団とがあるわけではない。司法の役割は悪人集団に属する者を摘発して裁くことではない。犯罪を犯した者を、罪状に応じて処罰することに尽きるのだ。善人長二を救って大団円という、「大圓朝」の変な噺に欺されてはならない。
(2018年9月19 日・連続更新1998日)

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 選挙だもの。脅すくらいのことはあるだろう。
 そんなことでへこたれてはいけない。それをいかに乗り越えるかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 政治だもの。ウソもごまかしもあるのは当然だろう。
 いちいち責任なんかとれっこない。いかにごまかし通すかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 一強だもの。批判されたってどこ吹く風よ。
 甘ったれちゃいけない。食うか食われるかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 権力者だもの。腹心の友に甘い汁を吸わせるくらいはあたりまえ。
 学部一つ作るくらいで騒ぐんじゃない。あんな人たちには負けられない。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 自民党だもの。それとなく賄賂をねだるくらいのことはあるだろう。
 ばれたって大丈夫さ。検察もメディアもわが手にあるのだから。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 資本主義だもの。貧富の格差は必要悪だ。
 格差がなくなったら大変だ。貧乏人を金で操れなくなる。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 国会取り巻くデモの波。ウチのじいさん呑み込んだ。
 へこたれてはいけない。どうやって弾圧するかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 軍隊だもの。ビンタもリンチもあるだろう。
 逃げてはいけない、逃がさない。殴れば殴るほど兵は強くなる。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 軍隊持たなきゃ国家じゃない。戦争できなゃ国家じゃない。
 改憲できなきゃ日本じゃない。取り戻そうぜ、大日本帝国。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 会社だもの上下の秩序が必要だ。パワハラもセクハラもやり放題だった。
 それでへこたれてはいけない。いずれは、自分もやる方になれるのだから。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 学校だもの。勅語の精神たたき込み、素直な良い子を作らなきゃ。
 「日の丸・君が代」否定するのは非国民。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 「テンノーヘイカの思し召し」その一言で、命までも投げ出した。
 あの時代がうらやましい。もう一度あの日本を取り戻そう。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 政治家にも教養があった。ミゾユウ・デンデンなんてなかった。
 今でよかった。これでも大臣務まるもの。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 隙を見せたら、強面記者から叩かれた。遠慮も会釈もあらばこそ。
 今は、一緒に寿司を食う。記者は仲良し、たいこもち。

(2018年9月18日・連続更新1997日)

「敬老」の日に、思いめぐらすあれこれ 

本日(9月17日・第3月曜日)は敬老の日。「国民の祝日に関する法律」(祝日法)では、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」趣旨とある。おや、そうなのですか。

そもそも「国民の祝日」とは何か。「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である」(同法1条)とのこと。

「敬老」とは、「自由」と「平和」と「美しい風習」と「よりよき社会」と「より豊かな生活」のどれに関わるのだろうか。「多年にわたり社会につくしてきた老人」だけが、「敬愛」と「長寿を祝う」対象となるのだろうか。「多年にわたり社会につくしてはこなかった老人」はどうなるのだろう。その線引きは?

それはともかく、敬老の日は戦前はなかった。戦後の賜物である。
明治期には「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(明治6年太政官布告第344号、1873年10月14日施行、1878年6月5日・1879年7月5日改正)によって、大正期・昭和初期には「休日ニ関スル件」(大正元年勅令第19号、1912年9月3日施行、1913年7月16日・1927年3月3日改正)によって定められていた。(ウィキペディアからの引用。ウィキは便利だ)

よく知られているとおり、戦前の祝日と祭日とは、すべて天皇制と天皇神話に結びついたものだった。祝祭日だけではなく、一世一元・「日の丸・君が代」・ご真影・修身・国史・教育勅語・軍人勅諭・靖国神社…。なにもかにもが、天皇賛美のマインドコントロールの道具立てだった。あるいは、天皇教という空疎な信仰の教典・教具。オウムがやろうとしてできなかったことを天皇制国家は大規模に現実のものとしていたのだ。

明治以来150年の前半に構築された狂信のシステムはその半ばで崩壊した。が、根絶はされずしぶとくその根を生き残らせている。天皇も、元号も、「日の丸・君が代」も。そして祝日の一部もである。なによりも、国民一人ひとりの感性の底に、権威主義というかたちで。

本日・敬老の日は、その成り立ちが天皇制とは無縁のようで、その点は清々しい。とはいうものの、なんとなく、「敬老」には、取って付けたような不自然さがある。社会は、本音のところ高齢者を「敬」してなどいない。無理して口裏を合わせているというニュアンス。「敬老」の「敬」は「敬して遠ざく」の敬。

本日の産経社説が「敬老の日 地域で高齢者を見守ろう」と題するもの。その冒頭が、「お年寄りは、長く社会に尽くしてくれている。だから敬いたい。」という気持ちの悪い一文。

杉田水脈は、こう言った。
LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同を得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。」

杉田は、愚かにも本音を漏らしてお仲間からも批判を受けた。しかし、実のところ、この杉田の言こそが今権力を握っている勢力の本音なのだ。「国家・社会に役に立たない人間は、存在する価値がない」「資本が利潤を生むに寄与するところのない人物は無価値」というのだ。

すべての人は、人として生を受けたというそのことだけで、等しく尊厳をもっている。人種・民族・宗教の別なく、男女・年齢・障害の有無に関わりなく、平等に生きる権利をもっている。このことはけっしてだれにも自明なことではなく、常に意識し、自覚し直し、発言し続けなければならない。人類の長年の努力がようやく到達したこの公理としての理念。努力を積み重ねることなくして維持することもできないのだ。

老人は、LGBT以上に「生産性」をもたない。だから、当然に「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」の本音が感じられる。老人福祉を「枯れ木に水をやる」と表現した政治家もいた。

産経とはひと味違う社説を掲載しているのが東京新聞。本日付社説は「敬老の日に考える 物語をしてください」。これは秀逸だ。

「戦中戦後を生き抜いた人たちは、誰もが“鍵”を持っています。私たちの未来を開く鍵。だからおじいさん、おばあさん、今宵また物語をしてください。」という書き出し。

で、採話した物語の語り手が、在韓被爆者なのだ。17歳直前での広島爆心地近くでの被爆体験者。今は、「韓国のヒロシマ」と呼ばれている韓国南東部にある陜川(ハプチョン)の「陜川原爆被害者福祉会館」で暮らしている人。当時は、まぎれもない日本人だった。達者な広島弁で記者に「自分の物語り」を語ったという。

 「あたしは金日祚(キムイルチョ)。日本名は松本君代。君が代ね。学校の友達にはキミちゃんと呼ばれてました。昭和3年9月18日生まれ、数え年91歳。もう年寄りでね、耳が遠いけん…」

以下は、下記のURLで。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018091702000153.html
この記事には、産経のような「上から目線」がない。高齢者に対するシンパシーにあふれている。

この社説が言うとおりだ。私も、亡き父と母に、話しをしてもらえばよかったと思う。戦争のこと、戦地のこと、銃後のこと、戦前と戦後とが違うのかつながっているのか。生活苦のこと、学校のこと、故郷のこと、天皇のこと…。若者が高齢者に、「伝えておきたいことをゆっくり話して」といわせる余裕のある社会であって欲しいと思うが、そんな文化も今はなかろう。その余裕もない社会を作ってきたのが、私たち自身なのだと、後悔しきりである。

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いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を! 賛同署名のお願い。
https://article9.jp/wordpress/?p=11058

安倍政治に即刻の終止符を求める人々の熱い言葉の数々。
https://article9.jp/wordpress/?p=11073

ネット署名にご協力を。そして、是非とも拡散をお願いします。
9月10日に開始して、賛同者は本日(1 7日)6600筆余と足踏み状態です。

署名は、下記URLからお願いいたします。
https://bit.ly/2MpH0qW

(2018年9月17日・連続更新1996日)

東京都知事は、熊谷市の爪の垢を煎じて飲むべし。

毎日新聞・9月12日(水)夕刊の「特集ワイド」は、「関東大震災から95年 虐殺された朝鮮人の遺族来日」と題する文字通りワイドな記事。毎日は、いま日本のメディアがなすべき仕事をよくしていると思う。

中見出しに、「否定の動き、ヘイトスピーチ続く中… 伝える努力に希望」「『反省なき教育』が戦争になった」とある。井田純記者の署名記事だが、事件を見る視点に確かなものがある。

関東大震災から95年の今年、震災直後のデマで虐殺された朝鮮人の遺族、権在益(クォンジェイク)さん(62)と曺光煥(ソガンファン)さん(57)が韓国から来日した。事件ゆかりの地を訪ね、各地の追悼行事に参列しながら、市民と交流を重ねた。初めて日本を訪れた2人は、2代前の祖先が犠牲になった地を踏んで、何を感じたのか。

記事の一部を引用させていただく。全文は、(有料記事だが)下記を参照されたい。
https://mainichi.jp/articles/20180912/dde/012/040/006000c

権さんの母方の祖父は1923年、この寺(藤岡市・成道寺)の隣にあった藤岡警察署内で殺害された朝鮮人17人の1人。震災後、「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を入れている」などのデマは群馬県内にも伝わり、各地で自警団が結成された。藤岡警察署は保護を求めてきた朝鮮人をかくまっていたが、9月5日、群衆が「朝鮮人を引き渡せ」と署に乱入、翌日にかけて竹やりや日本刀などで惨殺したという。
 安全が保証されていたはずの署内で起きた「藤岡事件」は、「藤岡市史」「群馬県警史」などにも記録が残る。事件後、地域住民らは犠牲者追悼の思いを込めて成道寺に慰霊碑を建立した。碑の裏には「今後再びこのような惨事の発生を断ち」と願う文言とともに、17人の犠牲者、建立に関わった藤岡市長らの名前が刻まれている。

震災後の関東一円で無数に生じた、民衆による朝鮮人虐殺事件の一断片である。このケースでは、朝鮮人を保護しようとした警察を群衆(自警団)が敢えて排除したのだ。無防備で無抵抗な朝鮮人に対する虐殺が警察署の庁内で行われたのだ。日本人の所業として「国恥」というしかない同胞による蛮行の一端である。

しかし、救いの一つは、「市史」「県警史」などに記録が残されていることだ。記録に残しておかねばならないとする良心の人が複数いたということなのだ。安倍政権の記録隠蔽改ざんの忖度官僚よりも、ずっと立派な人たちではないか。そして、地域住民らの手で犠牲者追悼の思いを込めた慰霊碑が建立され、成道寺では20年以上も慰霊祭が継続されているという。

だれがどのように殺戮をしたかを思いめぐらすと断腸の思いだが、他方、だれがどんなかたちで碑の建立を思い立ち、その思いがどんな風に広まって、どんな風に費用負担についての協議が調い、ことが実行されたのだろうか。その経過に日本人の良心を見ることができる。

同様の追悼行事は各地で続いているという。たとえば…、
埼玉県熊谷市では、95年から追悼行事を市が主催。市長、市議会議長が悲惨な出来事が二度と繰り返されないようにと追悼の言葉を贈る。だが、在日コリアンに対するヘイトスピーチ(差別扇動表現)拡大の影響か、市に抗議電話やメールが寄せられることがあるという。市の担当者は「そういった方には、公的記録からも聞違いなくこの事件があったことがわかっている、と伝えています。犠牲者の冥福を祈り、再発を防止する趣旨の行事だとお話しします」と話す。

熊谷市。暑いだけでなく、人を思いやる心が熱い。いまだに国恥にまみれたままの東京都知事小池百合子は、この記事を読んだだろうか。この人には、熊谷市担当職員の爪の垢を煎じて飲ませたい。

横浜で震災後の朝鮮人虐殺の実態を調査している元教員が次のように語っている。この言葉は肝に銘じておこう。
「(デマと知っていたのに)デマだったと教えない教師、事件に対する反省のない教育が、次の時代の戦争を担う世代を準備したのです。」

この記事の最後は、こう締めくくられている。
先祖が殺された地を踏むことに抵抗があった、という曺さんは離日前にこう言った。「震災時の虐殺に関するフィールドワークや慰霊行事を続け、忘れずに伝えていこうとする日本のみなさんの努力に敬意を持っています。悪い日本人ばかりじゃない、ということを帰って伝えたい。韓国と日本が、力を合わせて記録と記憶を継承していきたいと願っています」

歴史的事実は消えない。民族差別を背景とした虐殺の「恥」は消えようもない。しかし、その事実を隠蔽し、あるものをないことにするのは、さらに恥ずべきことなのだ。痛みを伴う同胞の「恥」の事実を見据えるところからしか、未来は開けない。藤岡にも熊谷にも、良心の人がいたことに希望の光を見る思いである。

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いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を! 賛同署名のお願い。
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安倍政治に即刻の終止符を求める人々の熱い言葉の数々。
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9月10日に開始して、賛同者は本日(1 6日)6500筆を上回っています。

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(2018年9月16日・連続更新1995日)

岡口基一判事に対する懲戒申立はスラップだ。

岡口基一判事に対する「分限裁判」の行方に目が離せない。9月11日、最高裁で開かれた審問のあとの記者会見で、同判事は、「適正手続きが踏まれておらず、ありえないことが起きている」「今回の表現ごときで処分されたら、他の表現もできなくなる」「私からしたら防御しようがない漠然とした申立書と薄弱な証拠で戒告されるようなことがあれば、法治国家と言えない」などと述べたと報じられている。まことにもっともなこと。岡口基一判事を支持する立場を表明しておきたい。

問題とされたのがツイッターの投稿内容なのだから、当然に憲法上の表現の自由制約の可否に関わる重大問題である。さらに、裁判官に対する懲戒処分を行おうというのだから、厳格な手続上の正当性が問題とならざるを得ない。その2点を争点として、懲戒の可否が争われることになるだろう。

岡口は、ツイッターで裁判批判をし、勝訴した女性原告の心情を傷つけたとして、懲戒を申立てられた。懲戒申立書によると、問題とされたツイッターの内容は、下記のごとくである。

公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて「返してください」
え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・・
裁判の結果は・・・・

裁判は元の飼い主である原告から、裁判提起当時の飼い主である被告に対する、犬の引渡請求訴訟とのこと。争点は、原告の元飼い主が、「犬を捨ててその所有権を放棄した」と言えるかどうか、だったようだ。判決は、「原告はいったんはこの犬飼えないとして、公園に置き去りにし、被告が保護したときは雨中泥まみれで口輪をされていた状態」と認定はしたが、所有権放棄までは認めず、被告に対して元の飼い主への引渡を命じた。これを、岡口は「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・・」と表現した。

犬を飼った経験のある者なら、いったんは犬を捨てた原告の態度を「生命に対する冒涜」と非難するのは当然のこと。車の置き去りの所有権放棄問題と同一視してはならないと思うはず。岡口のこんな表現が懲戒事由になろうはずはない。法律論としても、口輪とリードを付けたまま雨中に放置された犬について死亡の予見可能性あれば所有権放棄の意思と効果を認定してよいと思われる。

しかし、大方の法律家は、もう少し別の視点からこの問題を見ている。法的な論争よりは、司法行政における裁判官統制の是非に関心がある。これは、司法行政による裁判官統制なのだ。その統制の成否こそがこの件の真の問題点である。

私はこの件を、東京高裁長官による岡口基一裁判官に対するスラップだとみる。あながち、的はずれではなかろう。

司法当局は、おとなしい、大勢順応型裁判官がお好みなのだ。出世のために上だけを見ている裁判官を「ヒラメ裁判官」という。司法当局は長年月をかけて「ヒラメ」の養殖に腐心しそれなりの成果を上げてきた。その裁判官統制の成果は、最高裁の思惑の枠をはずれる裁判が極端に少なくなっていることに表れている。裁判官が、自発的に人事権を握る司法当局の意向を忖度した判決を書いてくれるなら、四海波穏やかにすべては丸くおさまり、司法と行政や政権与党との軋轢もなくなろうというもの。

ところが、どこの世界にもやっかいな異端児が現れる。出世に関心なく、まったく上を見ようとしない、忖度とは無縁の裁判官。見方次第で、偏屈でもあり硬骨漢でもある。こういう輩の存在は、司法当局の裁判官統制が有効に機能していないことの証左に映る。当局にとっては、裁判官集団の神聖な秩序を破壊する不届き者であり、これにはお灸を据えなければならない。当該裁判官にたいするお灸は、その余の裁判官にも予防的によく効くのだ。これを「見せしめ効果」という。

ちょうどDHC・吉田嘉明が、自分を批判した発言者に直接の警告を与えようとしただけでなく、社会の他の者へも予防的に間接的な警告を発する思惑を持っていたごとくに、である。DHC・吉田嘉明が私を含む10人にスラップをかけたのは、社会に対する「見せしめ」としての効果を意図してのこと。これと酷似している。あるいは、行政や大企業が、経産省テント前ひろばや祝島の活動家を狙い撃ちで提訴した件と、基本構造が同じである。

DHC・吉田嘉明は、10件の提訴で、「自分を批判すると、このとおり高額損害賠償請求訴訟の被告にされて面倒なことになるぞ。提訴されたくなければ、余計な発言は避けておとなしくしておけ」と恫喝したのだ。この効果のねらいがスラップの本質。

民事訴訟の提訴ではないが、東京高裁長官は、岡口基一を最高裁に懲戒申立をすることで、全裁判官に「当局のおぼえに反すると、このとおり懲戒申立をされて面倒なことになるぞ。その事態を避けたければ、余計な発言は控えておとなしくしておけ」と恫喝したのだ。この見せしめ効果のねらいこそがスラップの本質なのだ。

私は、裁判官が萎縮せずに、市民的自由を行使することの重要性を強調したい。裁判官は、市民としての生活の中で市民感覚を涵養することになる。法廷と官舎を往復するだけで、市民生活から超越した生活では自らの市民感覚は育たず、市民の感覚も感性も感情も理解できなくなる。PTAも、市民運動も、NGOやNPOの活動も、ボランティア活動も、できることなら労働組合活動にだって参加するなどの社会経験が必要なのだ。デモや集会に参加するのもよかろう。それらとまったく無縁なひからびた生活は、市民感覚のない裁判官を作る。その裁判は、ひからびた公用文書の一片に過ぎないといわざるを得ない。

かつて、寺西和史裁判官に対する分限裁判が大きな問題となった。岡口事件とはひと味違う、社会性ある発言が問題とされた。裁判官を政治的に統制する意図が明確な事件だった。

判事補であった寺西は、1997年「信頼できない盗聴令状審査」と題する批判を朝日新聞の読者欄に投稿した。裁判所の令状審査が杜撰である実態を報告するとともに、裁判官の令状審査の適正を前提とした盗聴法(組織犯罪対策法)案に疑問を呈する内容。彼は、この投書で所属地裁所長から厳重注意処分(懲戒処分ではない軽微なもの)を受けている。一方、この時、田尾健二郎判事(法案の作成に関与していた)が寺西に反論し批判する投書をしているが、こちらは何ら注意も受けていない。裁判官の発言が問題なのではなく、発言の内容が当局の意に沿うものか否かだけが問題なのだ。

そして翌98年、寺西は盗聴法反対派主催の集会にパネリストとして出席を依頼されいったんは承諾する。ところが、これを知った当時の勤務先である仙台地裁所長から、裁判官に禁じられた「積極的に政治運動をすること」に該当するとして出席辞退を要請される。そこで寺西は、パネリストとしてではなく一般参加者として出席して、「集会でパネリストとして話すつもりだったが、所長に『処分する』と言われた。法案に反対することは禁止されていないと思う」と発言するに留まった。
 この、当該集会への出席によって、寺西は地裁所長から懲戒を申し立てられ、仙台高等裁判所の分限裁判で戒告処分を受ける。寺西は即時抗告し最高裁判所の判断を仰ぐが、最高裁でも戒告処分が妥当と判断された。

ただし、賛成10と反対5の票差。それぞれに渾身の反対意見を書いたのは、園部逸夫、尾崎行信、河合伸一、遠藤光男、元原利文の5最高裁裁判官。園部は裁判官出身で、その余の4名は弁護士出身である。岡口分限裁判の評決だけでなく、その票差も見守りたい。

寺西にしても岡口にしても、最高裁当局には、うるさくて目障りな裁判官なのだ。しかし、裁判官の独立とは、うるさくて目障りな裁判官だからといって排除してはならないということである。当局の統制に服さない裁判官こそ、実は裁判官の独立を体現した貴重な存在というべきなのだ。岡口基一判事が、その職にあり続けることを期待する。

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(2018年9月15日・連続更新1994日)

9歳女児の国歌斉唱拒否に脱帽 ― オーストラリア国歌の先住民差別に抗議

アメリカではなく、オーストラリア国歌の斉唱拒否が話題となっている。拒否者が9歳の女児だということと、これに保守派の政治家が大仰に噛みついたことで、大きなニュースになった。いろんなことを考えさせられるし、考えなければならない。

知らなかったが、オーストラリア国歌の題名は、『Advance Australia Fair (アドヴァンス・オーストラリア・フェア)』というのだそうだ。「進め 美しきオーストラリア」などと訳されるようだ。中国国歌の「前進!前進!前進!進!」を想起させる。一般に、国家は「Advance」や「前進!」が大好きなのだ。

ネットで、幾つかの訳詞を見ることができる。以下はその一つ。

オーストラリアの同胞たちよ
喜ぼうではないか 我々は若くて自由だ
苦労して手に入れた黄金の地と富
海に囲まれた我が国に与えられた
美しく豊富で貴重な自然の恵み
歴史の中でとこしえに歩まん
進め 美しきオーストラリアよ!
喜びのメロディにのせて歌おう
進め 美しきオーストラリアよ!

輝きを放つ南十字星の下で
我が国の名を世界中に知らしめるため
我々は誠実に努力を続けよう
海を渡りて来たりし者達のため
限りなく広がる平原を分かち合おう
勇気を持ちて団結しよう
進め 美しきオーストラリアよ!
喜びのメロディにのせて歌おう
進め 美しきオーストラリアよ!

この訳詞の印象として直接には、自国第一主義も、排外主義も、独善も、宗教色も、王も君主も出てこない。原詩のニュアンスは私にはよく分からないが、国歌の歌詞としては平凡で無難な内容に思える。しかし、この歌詞に問題ありとして、斉唱を拒否された。9歳の少女によって。「問題あり」との指摘を念頭にこの歌詞を読み直すと、なるほど、大いに問題はありそうだ。

CNNが国際ニュースとして配信した記事のヘッドラインは、「国歌斉唱の起立拒んだ9歳女児、政治家が集中非難 オーストラリア」というもの。リードは次のとおり。
「オーストラリア東部クィーンズランド州の公立学校に通う9歳の女子児童が、先住民に敬意を表して国歌斉唱時の起立を拒み、大物政治家らの集中非難を浴びている」

渦中の生徒、ハーパー・ニールセンさん(9)はCNN系列局ナインニュースの取材に対し、「オーストラリア先住民に対して礼を欠くとの考えから、国歌斉唱の際に起立しなかった」と説明したという。同国の国歌「アドバンス・オーストラリア・フェア」には、「オーストラリア国民よ、皆で喜ぼう、我々は若く、自由なのだから」という一節がある。この点を、ニールセンさんは、「我々は若い、という一節は、私たちより前に5万年もこの地にいた先住民のオーストラリア人(アボリジニ)を完全に無視している」と訴えている。また、「国歌のアドバンス(「前進」)は白人のこと」だとも。

過激な発言で知られる右派のポーリン・ハンソン上院議員は、12日にビデオ声明を発表し、学校が子どもたちを「洗脳している」と主張。ニールセンさんを学校から「追い出せ」とかみついた。クィーンズランド州の影の内閣の教育大臣でもある自由国民のジャロッド・ブリージー議員は、ニールセンさんを「悪がき」呼ばわりし、両親にも矛先を向けた。また、トニー・アボット元首相はシドニーのラジオ局2GBに対して11日、「国歌斉唱の際に起立するのはマナーの良さと礼儀の表れ」とコメントしたという。

こうした批判に対し、父のマーク・ニールセンさんは、娘の行動を「非常に勇敢」と評価。学校長と面談したが、まだ合意には至っていないと話している。

9月12日のAFP記事で事実関係を補う。ハーパー・ニールセンさん(9)は先週、国歌「進め、美しのオーストラリア(Advance Australia Fair)」斉唱の際に起立を拒否し処罰された、という。

この一件が12日に地元メディアで報じられた後、ハーパーさんは豪ABC放送に対し「最初にこの曲が書かれたとき、『進め、美しのオーストラリア』の意味は、オーストラリアの白人よ進めという意味でした」「それに『私たちは若い』という歌詞は、私たちよりも前からここにいたオーストラリアの先住民を完全に無視しています」と語った。

クイーンズランド州の教育局によると、学校長は別の抗議方法がないかを話し合うために、ハーパーさんおよび両親と面談したという。同局の報道官は「学校は児童の希望を尊重しており、ホールの外に出るか、国歌が流れている間は歌わずにいるといった別の方法を提案した」と述べた。

国歌に対するハーパーさんの態度は、米ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の選手たちが膝をついて行った抗議同様、オーストラリアで最も著名な保守派の人物らをいら立たせている。

豪ラグビー代表の元コーチで、ラジオの過激なディスクジョッキーに転身したアラン・ジョーンズ氏は、「規則」に異論があるならば、ハーパーさんの両親には学校をやめるよう言うべきだと発言。

また、こうした論争を呼ぶ問題に乗じて発言し、キャリアを築いてきた政治家のポーリーン・ハンソン氏(64)はハーパーさんを「ガキ」呼ばわりし、「ここに洗脳された子どもがいる。こういう子には尻に蹴りを入れてやろう」と語る動画をフェイスブックに投稿した。

ポーリーン・ハンソンなるお粗末な「政治家」に問いたい。
ハーパーさんを「洗脳された子ども」と決め付ける根拠を聞かせてもらいたい。どうして、国旗に敬礼する子どもには「洗脳された」と言わないのかも。あなたが、国旗国歌に敬意を表明しなければならないとする理由も教えてもらいたい。そして、あなたがニールセンさんを学校から「追い出せ」と叫ぶ権利の根拠についても。さらには、先住民差別を不当とする価値判断よりも、国歌に敬意を表明する愛国心の高揚が優越するという理由についも。

実は、あなたの方こそ、洗脳されて寛容さを失っているのではないか。愛国心とは本当に道徳上の徳目なのか。国家とは、こんなにも硬直に人の考え方を縛ってよいものなのか。すべての価値に絶対的な優劣の序列はなく、価値の多様性を認め合うことこそが民主主義社会の基本原則ではなかったか。

保守派のデスクジョッキーだというアラン・ジョーンズにも聞きたい。
「規則に異論があるならば、学校をやめろ」とは、聞き捨てならない。人と規則とどちらが大事なのか。どんな不当な規則にも異論を述べてはならないのか。どんな不当な規則も人を縛るのか。起立して国歌を斉唱せよという規則の合理性は、いったいどこにあるのか。人種差別する国家は敬意を表するに値する存在なのか。そもそもこの国歌がいう「We」とは、だれを指しだれを除外しているのか。だれであれ、真面目に考えての結論が「起立・斉唱の拒否」であれば、規則に異論を言うべきが当然でと思わないか。オーストラリアとは、それをも許さない非寛容な社会なのか。

私はハーパー・ニールセンさんに脱帽し、敬意を表する。先住民に対する差別の存在を国歌の歌詞に読みとった、その共感能力と鋭敏さとに。そしてなによりも、差別を許さないとする信念を貫き通すその毅然とした姿勢に。

形式的な愛国よりも、差別を許せないとすることが遙かに重要だとするあなたの価値判断を私は支持する。そして、あなたの姿勢に学びたいと思う。

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いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を! 賛同署名のお願い。
https://article9.jp/wordpress/?p=11058

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https://article9.jp/wordpress/?p=11073

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9月10日に開始して、賛同者は本日(14日)6000筆を上回っています。

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(2018年9月14日・連続更新1993日)

正念場の沖縄知事選、「魂」派と「腹」派の一騎打ちだ。

本日(9月13日)、沖縄知事選か告示された。9月30日が投票日で、即日開票となる。主要な争点は、辺野古新基地建設反対の姿勢を貫くか、それともこれを容認するのか。これは、政権の外交・内政の根幹に関わる問題。したがって、選挙の帰趨は、政権の存続にも憲法改正の可否にも大きく影響する。

翁長県政承継を標榜する新基地建設反対派からは玉城デニーが立候補し、政権の意向を酌んだ容認派からは佐喜真淳が立候補した。事実上、この二人の一騎打ち。デニーは県民を代表し、佐喜真は政権を代理している。沖縄と政権の角逐である。それはだれにも自明なことだが、佐喜真側は意識的にこの構図の明確化を避けている。

県民派は沖縄の「魂」を掲げ、政権派は「魂では喰えない。背に腹は代えられない」と、魂よりは「腹」を第一義として掲げる。

デニー側の支持勢力は、「市民と野党の共闘」。幅は広いがまとまりをどう作るかがに課題があるという。佐喜真側は政権と与党の丸抱え。これに、維新がくっついての「保守連合」。この両者の対立関係は、今後の国政における政治地図の基本構図だ。統一地方選、参院選、さらには次の総選挙の基本構図でもあり、そのまま改憲勢力と改憲阻止勢力の対決の構図でもある。

そのような状況下に始まったデニーと佐喜真の「論戦」は、今年2月4日の名護市長選を彷彿とさせる。
翌2月5日、私は当ブログに「名護高校の生徒諸君 ― 小泉進次郎のトークに欺されてはいけない」と題する記事を掲載した。まさかの稲嶺候補敗北という衝撃のなかでのつぶやきであり、ぼやきでもあった。
https://article9.jp/wordpress/?p=9879

私はその記事で、小泉進次郎の選挙演説を、〈詐欺まがい悪徳商法のトーク〉になぞらえて、若い高校生諸君に「欺されてはいけない」と警告を発したのだが、時既に遅しで愚痴にしかなっていない。

本日、沖縄知事選の告示日に当たって、同じことを繰り返さざるを得ない。今度は、名護だけではなく沖縄全県の若い有権者を念頭において語りかけねばならない。

稲嶺落選は、「名護ショック」であった。ショックは連鎖することが少なくない。一つの選挙結果で作られた空気が、次の選挙結果に伝染するのだ。勝者の側の勢いが次の選挙でも有利に働き、敗者の側の萎縮が次の選挙のデメリットになる。

沖縄での名護ショック、全国的には新潟ショックの影響が、最近の選挙に蔓延している。ウソとごまかしで塗り固められた安倍政権を支える与党勢力が、最近の選挙では優勢な現実を見据えなければならない。

名護市長選の敗因として、巷間言われていることはいくつかある。
オール沖縄の稲嶺陣営は基地反対を焦点に明確化し、渡具知陣営は争点をそらして経済活性化を訴えた。その作戦の巧拙が勝敗を分けた、というのだ。なるほど、政権が経済支援をエサに渡具知陣営への露骨な利益誘導を行ったということなのだ。基地反対の稲嶺陣営にはムチだけを、一方渡具知陣営にはアメを差し出したというわけだ。

また、辺野古基地建設反対運動の先が見えず、住民が疲れ果ててこれまでとは別の選択を強いられた結果だともいう。反対しても、国は強大で抗いがたい。裁判所だって、所詮は国家機関だ。政府の肩を持つに決まっている。それは既に明らかになっているではないか。いずれ基地はできてしまう。それなら、無用な抗争をするよりは、条件闘争に転じた方が得ではないか。望まぬ基地を押しつけられるのだ、その見返りをできるだけとるという方針のどこが悪い、というわけだ。

公明党がその存在感を示さんがために選挙運動に全力をあげた結果であったともいう。公明党が力をいれた選挙では、期日前投票の割合が高くなるといわれるが、その現象が如実に出た結果と受けとめられている。

さらに重要なことは、この選挙では初めての18歳・19歳の選挙権行使が、保守の側に有利に振れて「オール沖縄」派敗北の原因となった…のだとも。

この名護ショックの原因の構図は、沖縄知事選告示に当たって、既視感に充ち満ちている。

政権は沖縄に基地の負担を強いたうえに、こう言っているのだ。
「おとなしく基地の建設を認めろ。そうすれば悪いようにはしない。その見返りは真剣に考えてやろう」「しかし、言うことを聞かないのなら、徹底して経済的に締め上げるから覚悟しろ」
こう言われて、「我々にも五分の魂がある」という意気地派と、「魂では喰えない。背に腹は代えられない」という現実派が真っ二つになっている。前回知事選では「五分の魂」派の翁長陣営が圧勝したが、今回は「背に腹」派の勢いは侮りがたく、予断を許さない。

公明党・創価学会は、前回知事選では自主投票だった。しかし、今回選挙では佐喜真陣営に本腰を入れた応援態勢。全国から5000人規模の活動家をこの選挙戦に送り込んでいるとされる。

若者の動向、はどうだろうか。
名護市長選における地元OTV(沖縄テレビ)の出口調査では、年代別の投票先は次のようだったという。若者世代の保守化は著しいというほかない。
10代 稲嶺37% 渡具知63%
20代 稲嶺38% 渡具知62%
30代 稲嶺39% 渡具知61%
40代 稲嶺41% 渡具知59%
50代 稲嶺38% 渡具知62%
60代 稲嶺65% 渡具知35%
70代 稲嶺68% 渡具知32%
80代 稲嶺67% 渡具知33%
90代 稲嶺86% 渡具知14%

RBC(琉球放送)の出口調査では、
10代 稲嶺33.3% 渡具知66.6%
20代 稲嶺44.0% 渡具知56.0%

人は若くしては理想に燃えて革新派であり、社会で長く生きるにしたがって世のしがらみと妥協して保守派に転じる。そう信じていた私は戸惑うばかりだ。10代で既に保守派が多数とは、人類にいったいどんな異変があってのことなのだろうか。

名護市長選挙で、ネットの動画に見た高校生は、おとなしくにこやかに、小泉進次郎のつまらぬ話しを聞いていた。これには、少なからぬ衝撃を受けた。「この美ら海を埋め立ててよいのか」「オスプレイで学校の騒音はどうなるのか」「ヘリが校庭に落ちてきたらどうする」などとヤジは飛ばない。本来は、こう問い質すべきなのだ。「どうして、選挙演説で基地のことをお話ししないの」「辺野古基地の建設は我慢しなければならないの」「基地ができたら、今普天間の学校や保育園で起こっていることが今度は名護で起こることにならないの」「オスプレイはどのくらいうるさいの」「どうして、渡具知さんが勝った場合だけ経済振興になるのですか。稲嶺さんでは応援しないと言うことですか」「あなたは私たちに、具体的に何をお約束されるのですか」「そのお約束は、稲嶺さんが市長ではできないのでしょうか」「稲嶺さんの政策のどこに間違いがあるということでしょうか」「結局あなたは、名護のためにはではなく、基地建設推進のために渡具知さんを応援しているのでではありませんか」

さて、今回知事選は、政権と向き合う沖縄にとっての正念場である。ということは、全国の「市民と野党の共闘」にとっての正念場でもある。来年の参院選や改憲問題にも影響する重大事態。不利なことも多々あるが、ウソとごまかしで行政を私物化している政権の評判はまことに芳しくない。我がこととして、この選挙を闘い抜きたい。

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(2018年9月13日・連続更新1992日)

安倍政治に即刻の終止符を求める人々の熱い言葉の数々

著名16氏の呼びかけによるキャンペーン、「いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を!」。

その詳細は下記URLで、9月10日付当ブログを参照してください。
https://article9.jp/wordpress/?p=11058

いま、ネット署名展開中なので、是非ご協力を。そして、拡散もお願いいたします。

署名は、下記URLからお願いいたします。

https://bit.ly/2MpH0qW

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9月10日から始めたネット署名、本日(12日)夕刻の時点で、賛同者4000名を超えて、5000名に迫っている。

このネット署名には、「賛同者からのコメント」欄がある。一覧性に乏しく読み易いような作りにはなっていないので読むのに少し骨が折れるが、読んでみると実に面白い。多くの人の、安倍はゴメンだ、もういい加減に辞めてくれ、という思いが伝わってくる。

寸鉄人を刺す短文あり、悲憤慷慨型あり、理論的な長文あり、危機感横溢型あり、安倍嫌悪感ぶちまけタイプもある。子どもや将来世代にウソとゴマカシの政権は有害と嘆くもの、とりあえずは安倍以外ならだれでもという意見などもある。到底、全部の紹介はできない。ごく一部を発言者氏名略で引用してみたい。ご一読して納得いただけるところ、多々あることと思う。実はこれが、世論の底流ではないだろうか。

美しい日本に、安倍晋三はいらない。

今日本で一番不要な物は安倍晋三です。一刻も早く辞めさせましょう。民主主義を守る為に

数々のごまかしと逃げが、当たり前でまるで要領が良い事とすり替える状況に、もう耐えられません。利己的な冷笑や差別を助長させる分断が、身近に広がっていくのを見るのももう嫌です。
?
安倍晋三の政策は自分のためだけだ。早急に変えなければ、不幸な人が増え続ける。

もう、右でも左でもいいや。でも嘘つきだけは許せない。子供の時に親から教わらなかったのかなあ。閻魔様に舌を抜かれるよって。

今が歴史の分かれ目かも。このまま安倍的な政治体制を止められなかったら、引き返せない気がします。

「9歳の孫が何で警察は悪いことをしているアベさんを捕まえないの?と聞きます。いとおしく思い抱きしめたくなりました。」って投稿に共鳴?

安倍首相は憲法違反を犯しても、自分の思い通りの独裁国を目指し、その為には反対する側の人々を苦しめ蔑ろにしている。国民の税金を私物化し、国民を助けずに友達や身内を優遇し海外にばら撒く巨額な税金! その巨額な税金で、地震や大水害や福島原発事故の被災者の方々を救う方に回す事もせず、国民を苦しめる総理大臣など要りません。

もうこんな政権にはウンザリ!

無駄なトークと詭弁。能力があるならまだしも、運と血筋だけのナルシストに総理大臣は無理です。

小学生の子供に「どうしてこの人(安倍さん)はまだやめないの?あんなに嘘ばかり言ってるのに」と訊かれ、納得させる説明ができなくて困っています。

?嘘つき首相が何ごともなかったように総裁選に出て、これからも政権私物化と平和憲法改悪を最大の動機として、公文書の廃棄・改ざんに動き回るのを、ぼくたちはだまって見過ごすわけにはどうしてもいかない。政権与党、役人たち、報道機関が、嘘つき首相の悪事にどうやって加担しているのかも、国民はしっかり見ているぞ。

責任逃れが出来るという前提を作らないでほしい。僕が子どもの時信じていた社会はこんなのではなかった。

私や妻が関わっていたら辞任、辞職は当然とまで言った総理がその関わりを隠すために書類の改竄削除、官僚には虚偽答弁。

今、民主主義の根底が覆されようとしている。もはや安倍政権に国政を担う資格はありません。早急の退陣を強く求めます。

また日本が、同じ大きな過ちをおかしていまうのではないかと、かなり危惧しています。税金も全く有効に使われていません。いい加減にして欲しい。

この6年弱、国民の健全な生活や権利、民主主義がどんどん破壊されていき、これ以上許せません。嘘や改竄はもうたくさん!日本は法治国家!安倍独裁政治にNO!

すでにこの国は容易に立ち直れないところまできています。これ以上安倍政権が続くことは、民主主義国家崩壊へのトドメを刺すことを意味すると言っても過言ではないのではないでしょうか。とっくの昔に安倍晋三は憲法99条に違反していると確信しています。そういう政権はただちにその座をおりるべきです。

自主独立と言いながらも、地位協定の見直しすらできない「従米マリオネット安倍政治」こそ、エセ右翼の反日である。巷の風評などを鵜呑みにせず、よくよく彼の行為等を見ればわかること。反安倍は、反日ではなく、この国を深く憂う、真の愛国者なのである、と俺等は考える。

これでどうにかなると思うほど平和ボケしてはいないけど、黙っている事で事態が好転することは絶対にない。打てる手は全て打つ。

?安倍さんは道徳教育を推進されている様ですが、ご自身は対象外の様ですね。ご自身へ道徳を適用して、退陣・辞職して下さい。

安倍政権のまやかしの下で、憲法の平和主義・法のもとの公平が壊されました。安倍晋三氏が公職にありながら、権力を弄び憲法に違反する行為を続けることは民主主義の意味さえ崩壊させると思い、賛同します。異議を唱え続けることが貴重です。

人間の本質とは「弱さ」である。人は強壮なときそれに気がつかない。弱者に優しい社会は誰にとっても有利な社会。しかるに安倍政権では全てが自己責任化され、強者のみが優遇される分断社会となっている。これ以上は社会システムが持たないところまで来ている。一日も早く、国民の手によって退陣させねばならない。

もちろん心のそこから大賛同です!! 応援支援するために何かできることがあればいつでも教えてください。

TPP交渉の内容を国民に明らかにせず今年の4月に国内の種子法を廃止、水道の民営化法案も可決目前です。国民の命を守るためにも真っ当な政治を望みます。

最低限の決め事を守らない人たちは政治の仕事をしてはならない。安倍政権退陣を要求します。

不都合な記録を焼却、廃棄するのはこの国の政府がずっとしてきたこと。テロリストがクーデターを起こして政権を転覆させた明治「維新」という歴史まで改ざんして明治を礼賛しようとする安倍一味に騙されるな。

自国の憲法を貶めるような人間は、トップにふさわしくない。国家のモラルの崩壊ぶりも目に余る。もう我慢の限界。

これ以上、日本を壊されたくない!

No more ABE

あと数年間、安部政権が続けば徹底的に日本の政治、経済、社会の仕組全体が破壊されてしまうでしょう。こんな日本では安心して子どもを育てられません…。

これこそ未曾有の国難です。

ウソつき総理とその仲間たちには辞めてもらい、事実を歴史に残すようにしていくべき。?誤魔化すばかりの不誠実な政治家には今すぐ退場してもらいます!

?経済産業省のその後の対応といい、隠蔽体質を変える動きが見られない。政権ごと変える必要がある!

ウソやごまかしというよりは、彼がやっていることは国民の財産を毀損する犯罪なので、一日も早い逮捕・起訴をお願いします。

平気で息を吐くように嘘を言い続け、行政の私物化を平然と続けているアベ政権、安倍夫妻にはうんざりしています。日本の、世界の恥です。アベ政治の終止符を!

福島県の避難指示解除基準は20ミリシーベルト/年。放射線管理区域の設定基準の4倍近くまで子どもたちが被曝しても「アンダー・コントロール」とうそぶく安倍晋三は、恥を知れ!

証拠隠滅も偽証も犯罪です。それを国全体でやろうとしてる。犯人隠匿のために。

憲法をないがしろにする安倍さんが改憲案を国民に発議しようとしている今こそ「安倍政治」に終止符を。

私の人生に安倍政治は必要ありません!

安倍晋三とその一味の駆除により一日も早く国政の正常化を!

あったことを、なかったことにはできません。ないことを、あることにもできません。こどもや孫、日本の未来を担う人たちに歴史を正しく残すためには、安倍晋三とその仲間たちに居座らせてはいけないと思う。嘘と騙し。餌付けと恫喝。こんなもので政治が行われる。これが美しい国日本ですか? 世界中から冷たい目で見られているこんな状況を、そろそろ国民の力で改善していかなければ

安倍晋三のおかげで、民主主義は闘い取らねばならないもの、不断の努力で守らなければならないもの、育てていかねばならないもの、と学ぶことができた。そのために、このキャンペーンに強く賛同いたします。

いけないことは、いけないと、わたしは声をあげる。口ごもらずに。

とにかくお引き取りください!

安倍政権発足後、何一つとしていいことがありません。国民から搾り取るだけ搾り取って、災害が起きてもろくに対策をとらないこんな政権、即刻終わらせなければなりません。

正直な人達が、公正なルールの元に政治を行うことが今すぐ必要です。安倍晋三氏は議員を辞職するべきだと強く考えています。

こんな愚脳政権は一刻も早く退陣に追い込まないと日本の未来は無い

未来ある若者達のためにも、我々の世代が立ち上がらねば! 嘘とハッタリと開き直りが罷り通る安倍政権が続けば、人権も自尊心もプライドもない、生きる価値の無い世の中になってしまいます。そんな世の中を繋ぎたくない! 人権、自尊心、プライドを持って生きられる世の中を、未来ある若者達に継承したいです。

国民のためには百害あって一利なしであることがもはや確定している安倍晋三。総理どころか国会議員としての資質も能力もなく、国民のためには百害あって一利なしである安倍晋三とその親衛隊連中を、国民の手で政治の世界から追い払いましょう。

自民党総裁=総理大臣、それおかしいですよね? 国民には選ぶ権利があるはず! もう終わらせたい、安倍政治。だからキャンペーンに賛同します。

もうこれ以上の嘘と欺瞞には耐えられません?憲法違反の戦争法閣議決定以前の日本を取り戻したい。秘密保護法も共謀罪も戦争法もどれ一つとして国民側からの要求ではない。安倍政権下でごり押しされた全ての悪法をチャラにしたい。ふざけんな! 自民党!

公文書を廃棄し改竄する連中は、歴史上の事実を廃棄し改竄する。今すぐ止めましょう。

安倍政治は、醇風美俗の日本に適していない。百害あって一利なし。早く退陣してほしい。

三権分立を壊し、報道に圧力をかける政権は危険。

もう我慢の限界! 日本国民よ、目を開けてしっかり腐った政権を見よ!

あと三年、は耐えられない。

後世に誇れる日本を取り戻したいと思います。

安倍晋三首相一派を一掃! 現行自民党主流派を一掃!

安倍政権は、平成の汚点。

アベさん、あんたには「憲法遵守」の義務がある。あんたが好むと好まざるとにかかわらず、誓約して今の地位にいるはずや。せめて卑怯者にはならんように。(≧`・´≦)

「憲法を1文字でも変えること」以外になんの理念も理想もない狂人などに1秒たりとも首相でいてほしくない。

?安倍政権の記録への冒涜は、未来に対する犯罪行為です。それを止める責任が同時代の大人にあるのだと思います。その機会を作ってくださりありがとうございます。

嘘はいけないと、親に言われて育ちましたから。

こういう署名活動がたくさんの人の目にとまってほしいですね。今、どれだけこの国がおかしいか、たくさんの人に感じてほしいです。

FBに以下のように書きました:『自民党総裁選の20日という日付に特別の意味があるわけではないけれど…いや北海道震災をうけても延期されなかったということではきわめて特別の意味がある。このかん人々が目撃してきた政治の私物化が再び公然と繰り返されたわけだから。その上での三選は、いわばこの国が「狂気」の次元に完全に入り込んだこということを意味する。この「狂気」は祝祭的な、明るい、あるいは暴力的な、革命的であったりするタイプのそれではなく、暗く、陰鬱な、誰もが黙り込んで、一つのうそが百のうそを生み出していくのを見過ごしにした結果、言葉が完全崩壊し、正常なコミュニケーションがおこなわれなくなった…という類の(集団的)「狂気」であると思う。「官僚」の士気にも大きく悪影響を及ぼしつづけるのは明らかなのに、それが正されない。ならばそれを「正気」に戻さなければならない。「狂気」(の勝利)の真っただ中で、それをなしうるのは至難のわざのように思えるけど、他方で(集団ではなく)個々の人々は正気を保っているのではないか。ただ「うそ」がまかり通るのを、憤りつつか冷笑的にかは別にして、見守ったり見過ごしたりしているだけだ。この「抑圧」(分かりつつ否認したり無視しようとしたりすること)は、ある、もしかしたら簡単なきっかけで、噴出し、物事を逆転してゆく力になりうる。「王様は裸だ」と。たしかに、モリカケは「簡単なきっかけ」と思えた。「王様は裸だ」ということが明らかになった…にもかかわらず、安倍は三選にこぎつけた。しかし「モリカケ」問題はいわば(終わるまで永遠に)回帰してくる「抑圧」として残っている、だけでなく、政権の「積極的支持率」はきわめて低い(そしてモリカケはこのことに相当程度貢献してきた/している)。政権が見捨てられる要因は、たくさんある。「失敗は成功のもと」(2007年第一次安倍政権の惨めな崩壊→現在)というけど、逆も真なり。それまで「正気」の言葉をいいつづけ、残していくことは、だからとても大事。「そのとき」が来たとき、それら「正気」の言葉たちが、人々の武器になる。』

いま日本の民主主義は最大の危機に直面しています。この危機を回避できるのは、私たち日本国民の意識力と行動力の発揮しかありません。

総理だけでなく議員を辞めろでも良いのではないでしょうか。

愚人・狂人・嘘言人の総理には即座に総理の座より降りよ!おとなしく罪を認め縛につけ!と主権者たる国民の一員として命じます!

テレビの画面に総理大臣の顔が出ると、チャンネルを変えたくなる。自国の総理大臣を尊敬できない不幸を嘆きます。

どうかこの国と世界の未来が誇りに満ち。人間の尊厳が普通に守られる社会になりますように!そのためには人々が真実を知ることが重要です。真実を知る姿勢こそが公正な社会を実現する礎です。

「美しい日本」どころじゃない。感じ悪い・汚い・腐ってる・欠陥だらけ・壊れてる。5Kじゃないか。4Kより美しいはずなのに…

日本を破滅から救うためには、安倍政治に終止符を打つ以外にありません。
安倍政治をこの上3年も続けさせることは、日本をますますダメな国にすることに繋がります。

国民の生活を考えない政権など、さっさとお払い箱にしましょう。

安倍政治許さん

国民に詐欺を働く無法者は主権者の責任において排除せねばならない。

ヤメテ今すぐ。

早く辞めろ!

この賛同署名の宛先は「内閣総理大臣 安倍晋三」に送られるということなので、彼に呼びかけようと思います。:安倍さん。あなたが周囲に行ってきた露骨なアメとムチの使い分けによる政治支配の結果この国は、現在、直接的な他国との戦争を行っていないにも関わらず、敗戦後に等しい荒廃した国になってしまいました。国土と国民の心までボロボロにして、何を成し遂げようとされているのかといえば、再び日本を戦争可能な国にするための憲法改正だという。戦争出来るも何も、すでに現在、あなたのとってきた数々の悪政の結果、敗戦後の有り様だというのに。もう十分でしょう、あなたは日本の歴史に名前を深々と刻みました。「日本建国後、もっとも愚かな総理」として。今、潔くその座を辞したとしても、その汚名は挽回しませんが、一刻も早い政界引退と、過去の自分が起こした罪をつまびらかにした上で、健全を取り戻した上での司法によって裁かれ、刑に服することを強くお勧めします。

安倍さんはもういいです。

「今こそ」の言葉を2014年7月1日の安倍内閣による「集団的自衛権行使容認」閣議決定以来4年あまり叫び続けてきましたが未だに実現出来ないのが歯がゆくてなりません。自由と正義を信じる民が結集すれば必ず達成できる目標です。難しいことではありません。「今こそ」を合言葉に。

ウソ人間の取巻きがまたひどい。マスコミも追随。変わらない国民の無関心、事勿れ。

早く安倍を終わらせないと日本が終わってしまいます。安倍政治は史上最悪の災害です!

安倍さん以外なら石破さんでも共産党でもかまいません。無能、冷酷、恥知らず。

独裁者とそれに追従する愚か者、そして独裁者待望感をもつ何かが恵まれない一般人からそれらがもつ力を取り上げなければならないと思います。

もう本当にうんざりです。

自国の憲法を『みっともない』などと公言する者は、首相の任にそぐわない。

この数年、民主主義の入れ物の底がどんどん浅くなり、その浅い底さえ抜けてしまった状態のように思います。今こそ…。

先の大戦で大日本帝国は、我が国土を焼野原にし、国内外を問わず人々を悲惨な目に合せました。嘘がまかり通る社会の結末がどうなるかを示しています。私たちは未来のために、嘘まみれの政権を終わらせるべきです。

平和で安心して暮らせる生活を取り戻しましょう。

アベ政治はこれできつぱり打ち切だ! いらない!

虚偽と隠蔽に塗り固められた安倍政治はもうまっぴらです。
また日本国憲法の良さが解らない人に憲法を変えてほしくない。

安倍政権関係者の様な悪辣・卑怯・傲慢・強欲な人間が国家の中枢に存在するとは信じられない不幸です。弱者を踏みにじり、自分の欲得の為だけに生きている様な、国民にとって悪い事しか成さない政権をのさばらせ、退散させられないのは何故でしょう? 真っ当な国民の声を集め、日本を悪の手から取り戻したい、心からの願いです。自分の利益ばかりばかりで国民をないがしろにする人間を国政を任せるのは危険過ぎます!今すぐ辞任させ法で裁かれるべきです!国を食い潰される前に..。

これ以上安倍による国家破壊は許せない。 (`_´メ)

お金持ちのためだけの政治、ヘイトやごまかしの政治はもう こりごり。

とにかく安倍さんにだけは任せたくないです。自民党に自浄作用が働かないので、外から圧力を掛けないとしかたないです。アピールに賛同します。

「ウソとごまかし」と言うが正確には「ウソをごまかし」ているのがほとんどだろう。公文書を改竄し証拠を隠蔽して「ウソ」がなかったことにする。追求されれば、証拠を出せ、私は被害者、だから質問には答えない。答えないからこの問題は解決。そして、志新たに・・・と始まるのである。明らかに被害者は国民じゃないか! もう、とうに私の沸点は越えている。

「他に適当な人がいないから…」と思って躊躇してる場合じゃありません。先ずは他の人にやらせて「変えてみる」勇気が必要です。

公文書改竄は犯罪です。民主主義の根幹を揺るがせます。責任をとって辞職してください。

安倍政権、自民党政治は終わりにしよう! 日本の、本当の民主主義を取り戻そう!

晋三を一刻も早く退陣を! 戊辰戦争来の嘘と欺瞞の長州人政治を憎む! by 会津藩末裔。

偽政者は退場を願います。国民・国家は貴方の玩具じゃありません。悩み悲しむ人に寄り添い、支える政治を絶望致します。

もう嘘はたくさん? 真面目で正直な代表に変えましょう。

最後に、私のコメントは以下のとおり。
ウソとごまかしはいけません。ウソとごまかしを指摘されての開き直りはもっといけません。反省したフリだけでもう済んだことにする常套手段も許せません。安倍政治の継続は、憲法の危機であり議会制民主々義の危機でもあります。多くの人の声を集めて、一刻も早く安倍政治に終止符を打とうではありませんか。
(2018年9月12日・連続更新1991日)

「安倍9条改憲」を阻止するために

本郷にお住まいの皆さま、ここ三丁目交差点をご通行中の皆さま、私は本郷5丁目に在住する弁護士です。日本国憲法とその理念をこよなく大切なものと考え、安倍首相による憲法改悪の策動を阻止し、さらに憲法の理念を政治や社会に活かすことがとても大切との思いから、志を同じくする地域の方々と、「本郷湯島九条の会」というささやかな会を作って、憲法を大切しようという運動を続けております。

会は、毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、これまで5年近くも、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前で、護憲と憲法理念の実現を訴え続けて参りました。とりわけアベ政権の憲法をないがしろにする姿勢を厳しく糾弾してまいりました。今は、「安倍9条改憲」阻止が私たちの最大関心事です。

昨年・2017年の5月3日憲法記念日が「安倍9条改憲」策動の始まりでした。彼は、志を同じくする右翼団体の改憲促進集会と、これも志を同じくする読売新聞の紙面とで、2020年までに、憲法を改正したいと期限を切って具体的な改憲案を提案しました。

「安倍9条改憲」の内容は、憲法9条の1項と2項は今のままに手を付けることなく残して、新たな9条3項、あるいは9条の2を起こして、自衛隊を憲法上の存在として明記する、というものです。安倍首相は、「全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整えるということになるだけで、この改正で実際は何も変わらない」と繰り返しています。

もし、本当に何も変わらないのなら、憲法改正という面倒で巨費を要する手続などする必要はありません。「自衛隊員が誇りを持って任務を全うできる」か否かは、国民が判断することで首相がしゃしゃり出ることではありません。

実は、「安倍9条改憲」で、憲法の平和主義の内容は明らかに変わるのです。現行憲法9条の1項と2項は、戦争放棄・戦力不保持を明記しています。これをそのままにして、戦争法(安保法制)が成立しました。このことによって、法律のレベルでは、自衛隊は集団的自衛権行使の名目で、海外で戦争のできる実力部隊と位置づけられたのです。しかし、憲法はこれを許していない、今ならそう言えます。

安倍9条改憲を許せばどうなるでしょうか。戦争放棄・戦力不保持の1・2項と、新たに自衛隊を書き込んだ憲法の新条文とが矛盾することになります。その矛盾は、新たな条文に軍配を上げるかたちで収められる危険が高いのです。「後法は新法を破る」という法格言があります。集団的自衛権行使可能な自衛隊の明記が、9条1項・2項を死文化させかねないのです。

それが、安倍晋三とその取り巻きの狙いだと考えられます。彼に欺されてはならないと思うのです。私は、安倍晋三という人物を、嘘つきで卑怯で、信用してはならないと固く信じています。そのことは、モリ・カケ問題での国会審議で、国民の大多数が共有している思いではありませんか。

そもそも、憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めます。これは、立憲主義を明記した条文と理解されています。主権者としての国民が、権力を託した相手である公務員に対して、憲法を守れ、憲法に従えと命令しているのです。

権力者の筆頭の立場にある内閣総理大臣たる者、ひたすらに主権者の命令である憲法を誠実に尊重し擁護する義務を負うのであって、憲法が気に入らないから改正しようなどと言い出してはいけません。

内閣は国会に対して法律案の上程はできますが、もとより憲法改正原案の発議(上程)の権限はありません。憲法改正は本来主権者国民の権限に属するもの、その原案の国会への発議と審議は、最も国民に近い立場にある国会議員が行うべきもので、内閣も総理大臣も改憲手続きには関与しないのが法の構造です。

にもかかわらず、憲法尊重擁護義務を負うはずの安倍首相の改憲意欲表明が、相変わらず旺盛です。ことあるごとに「自衛隊を憲法上の存在として明記したい」と繰り返し発言しています。そして、憲法改正原案の国会上程時期を、「秋の臨時国会を目指して議論を進めてもらいたい」とまで踏み込んでもいます。

たとえば、9月3日、安倍晋三首相は、防衛省で開かれた自衛隊高級幹部会同で180人の自衛隊将官を前に、「全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整える。これは今を生きる政治家の責任だ。私は責任をしっかり果たしていく決意だ」と訓示しています。明らかに、憲法に自衛隊を明記するという改憲意欲を示した発言ではありませんか。

憲法尊重擁護義務を負う首相が、公的な場において公的資格で、厳正な政治的中立性を求められる自衛隊幹部に対して、憲法改正という政治性の高い「訓示」を述べる異様な風景といわねばなりません。

次いで、9月6日朝、安倍首相は、ネット右翼のテレビ番組『真相深入り!虎ノ門ニュース』に出演して、同様の発言をしています。この番組を作ったDHCテレビは、沖縄の基地建設反対運動への偏見をデマとヘイトで煽った「ニュース女子」を制作したことで有名になった真正右翼の会社。安倍政権を擁護し応援する立場で一貫しています。安倍首相としては、自分の岩盤支持層へのサービスとしての出演なのでしょう。安倍晋三とは何者であるか、とても分かり易い図柄ではありませんか。

さらに、安倍首相は昨日(9月10日)午前、自民党総裁選の共同記者会見で、憲法改正問題に触れて、憲法改正を今後3年のうちに果たしたいと訴えています。当初の20年改正憲法施行からは1年ずれましたが、まだ諦めてはいないのです。

彼は、「もう私は、今回しか総裁選挙に出られませんから。あとの3年で(憲法改正に)チャレンジをしたいと考えております」という言い方。その上で、「自民党総裁として一定の目標を掲げないといけない。秋の臨時国会を目指して議論を進めてほしい」と述べています。前のめりな姿勢。

これに対して石破茂候補が、「理解ないまま国民投票にかけちゃいけません。誠実な努力を着実にやっていく上で、初めてそれが俎上(そじょう)に上るもの」と、クギを刺しています。軍事オタクで、タカ派イメージの強い石破さんをハトに見せる安倍首相の前のめりの姿勢です。

皆様、もしかしたら安倍首相は、「本当にやりたい憲法改正は諦めて、ほんのちょっとだけ、ごくマイルドな改憲提案なのだから、楽々実現できるはず」と思い込んでいたのかも知れません。

しかし、ことは国の将来を左右する重大事です。こんな嘘つきで軽薄な人物に、軽々に国の運命を任せてはなりません。安倍政権を支えている右翼改憲勢力は、「今が千載一遇のチャンス」「アベのいるうち、両院に改憲派議席が3分の2あるうち」の改憲をたくらんでいるのです。

安倍首相がその座を去るか、両院どちらかの改憲阻止派の議席を3分の1以上にすれば、憲法と平和の危機を乗り越えることができます。みなさま、ご一緒にその声を大きくしようではありませんか。
(2018年9月11日・連続更新1990日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2018. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.