「敬老」の日に、思いめぐらすあれこれ
本日(9月17日・第3月曜日)は敬老の日。「国民の祝日に関する法律」(祝日法)では、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」趣旨とある。おや、そうなのですか。
そもそも「国民の祝日」とは何か。「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である」(同法1条)とのこと。
「敬老」とは、「自由」と「平和」と「美しい風習」と「よりよき社会」と「より豊かな生活」のどれに関わるのだろうか。「多年にわたり社会につくしてきた老人」だけが、「敬愛」と「長寿を祝う」対象となるのだろうか。「多年にわたり社会につくしてはこなかった老人」はどうなるのだろう。その線引きは?
それはともかく、敬老の日は戦前はなかった。戦後の賜物である。
明治期には「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(明治6年太政官布告第344号、1873年10月14日施行、1878年6月5日・1879年7月5日改正)によって、大正期・昭和初期には「休日ニ関スル件」(大正元年勅令第19号、1912年9月3日施行、1913年7月16日・1927年3月3日改正)によって定められていた。(ウィキペディアからの引用。ウィキは便利だ)
よく知られているとおり、戦前の祝日と祭日とは、すべて天皇制と天皇神話に結びついたものだった。祝祭日だけではなく、一世一元・「日の丸・君が代」・ご真影・修身・国史・教育勅語・軍人勅諭・靖国神社…。なにもかにもが、天皇賛美のマインドコントロールの道具立てだった。あるいは、天皇教という空疎な信仰の教典・教具。オウムがやろうとしてできなかったことを天皇制国家は大規模に現実のものとしていたのだ。
明治以来150年の前半に構築された狂信のシステムはその半ばで崩壊した。が、根絶はされずしぶとくその根を生き残らせている。天皇も、元号も、「日の丸・君が代」も。そして祝日の一部もである。なによりも、国民一人ひとりの感性の底に、権威主義というかたちで。
本日・敬老の日は、その成り立ちが天皇制とは無縁のようで、その点は清々しい。とはいうものの、なんとなく、「敬老」には、取って付けたような不自然さがある。社会は、本音のところ高齢者を「敬」してなどいない。無理して口裏を合わせているというニュアンス。「敬老」の「敬」は「敬して遠ざく」の敬。
本日の産経社説が「敬老の日 地域で高齢者を見守ろう」と題するもの。その冒頭が、「お年寄りは、長く社会に尽くしてくれている。だから敬いたい。」という気持ちの悪い一文。
杉田水脈は、こう言った。
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同を得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。」
杉田は、愚かにも本音を漏らしてお仲間からも批判を受けた。しかし、実のところ、この杉田の言こそが今権力を握っている勢力の本音なのだ。「国家・社会に役に立たない人間は、存在する価値がない」「資本が利潤を生むに寄与するところのない人物は無価値」というのだ。
すべての人は、人として生を受けたというそのことだけで、等しく尊厳をもっている。人種・民族・宗教の別なく、男女・年齢・障害の有無に関わりなく、平等に生きる権利をもっている。このことはけっしてだれにも自明なことではなく、常に意識し、自覚し直し、発言し続けなければならない。人類の長年の努力がようやく到達したこの公理としての理念。努力を積み重ねることなくして維持することもできないのだ。
老人は、LGBT以上に「生産性」をもたない。だから、当然に「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」の本音が感じられる。老人福祉を「枯れ木に水をやる」と表現した政治家もいた。
産経とはひと味違う社説を掲載しているのが東京新聞。本日付社説は「敬老の日に考える 物語をしてください」。これは秀逸だ。
「戦中戦後を生き抜いた人たちは、誰もが“鍵”を持っています。私たちの未来を開く鍵。だからおじいさん、おばあさん、今宵また物語をしてください。」という書き出し。
で、採話した物語の語り手が、在韓被爆者なのだ。17歳直前での広島爆心地近くでの被爆体験者。今は、「韓国のヒロシマ」と呼ばれている韓国南東部にある陜川(ハプチョン)の「陜川原爆被害者福祉会館」で暮らしている人。当時は、まぎれもない日本人だった。達者な広島弁で記者に「自分の物語り」を語ったという。
「あたしは金日祚(キムイルチョ)。日本名は松本君代。君が代ね。学校の友達にはキミちゃんと呼ばれてました。昭和3年9月18日生まれ、数え年91歳。もう年寄りでね、耳が遠いけん…」
以下は、下記のURLで。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018091702000153.html
この記事には、産経のような「上から目線」がない。高齢者に対するシンパシーにあふれている。
この社説が言うとおりだ。私も、亡き父と母に、話しをしてもらえばよかったと思う。戦争のこと、戦地のこと、銃後のこと、戦前と戦後とが違うのかつながっているのか。生活苦のこと、学校のこと、故郷のこと、天皇のこと…。若者が高齢者に、「伝えておきたいことをゆっくり話して」といわせる余裕のある社会であって欲しいと思うが、そんな文化も今はなかろう。その余裕もない社会を作ってきたのが、私たち自身なのだと、後悔しきりである。
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https://article9.jp/wordpress/?p=11058
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https://article9.jp/wordpress/?p=11073
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9月10日に開始して、賛同者は本日(1 7日)6600筆余と足踏み状態です。
署名は、下記URLからお願いいたします。
https://bit.ly/2MpH0qW
(2018年9月17日・連続更新1996日)