澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「3・1独立運動」 100周年記念式典の文在寅演説紹介

本日、韓国は「三一節」。「3・1独立運動」を記念する日として祝日になっている。100年前の今日、1919年3月1日ソウルのパゴダ公園(現タプコル公園)で、独立宣言文が読み上げられ、「独立万歳」を叫ぶ大きなデモ隊がここから出発した。これを端緒に「独立万歳」の声が、全国にとどろいて日本の支配を揺るがせた。1910年の日韓併合から9年目の大事件であった。

日本の総督府は、苛酷な武力の行使をもってこれを弾圧した。この運動に参加し、官憲に殺害された人の数は、7500名余に及ぶとされている。

一週間前の金曜日(2月22日)、私たち韓国ピースツアーの一行は、タプコル公園を訪れた。おそらく3月1日には、ここでも記念式典が予定されているのだろう。公園はよく清掃されていた。1762文字でつづられた独立宣言全文を彫った大きな銘板が足場を組んで、拭われていた。独立宣言文の署名者は、33名の「朝鮮民族代表」とされているが、その筆頭が天道教(元・東学)のソン・ビョンヒ。その立像が建立されている。

そして、朝鮮全土に展開された「3・1独立運動」の模様を描いた銅板のレリーフが多数並んでいた。その中の1枚が、「韓国のジャンヌダルク」といわれる柳寛順(ユ・グァンスン)の姿を描いたもの。さながら、群衆を率いる「自由の女神」のごときポーズ。官憲に恐れず立ち向かう彼女が手にしているのは太極旗なのだろう。

柳寛順は17歳の学生で、デモを組織し指揮し、両親は日本憲兵の発砲で殺され、自身は逮捕される。デモでの受傷と拷問で獄死するが、死の直前まで「独立万歳」と叫び続けたという。このレリーフと彼女の写真が、学び舎の中学歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」212頁に掲載されている。

それから100年目の3月1日。光化門広場(東京なら、さしずめ皇居前広場に当たる)に、1万人余の参加者を得ての政府主催の記念式典が行われた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の格調高い演説は、最後に柳寛順(ユ・グァンスン)に触れた。その長文の演説(全文ではない)を引用しておきたい。3・1独立運動が今日に持つ意義をみごとに描いている。

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尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん。100年前のきょう、われわれはひとつでした。3月1日正午、学生たちは独立宣言書を配布しました。午後2時、民族代表たちは泰和館で独立宣言式を行い、タプコル公園では約5000人が一緒に独立宣言書を朗読しました。

たばこをやめて貯蓄し、かんざしと指輪を差し出し、さらには切った髪を売って国債報償運動に加わっていた労働者や農民、婦女子、軍人、車夫、妓生、と畜業者、作男、零細商人、学生、僧侶など平凡な人々が三・一独立運動の主役でした。

その日、われわれは王朝と植民地の百姓から、共和国の国民へと生まれ変わりました。独立と(植民地支配からの)解放を超え、民主共和国のための偉大な旅路を歩み始めました。

100年前のきょう、南も北もありませんでした。ソウルと平壌、鎮南浦と安州、宣川と義州、元山まで、同じ日に万歳の声がわき上がり、全国あちこちに野火のように広がっていきました。

3月1日から2カ月間、南北韓を分かたず全国220の市・郡のうち211の市・郡で万歳デモが起こりました。万歳の声は5月まで続きました。当時、朝鮮半島の人口の10%にもなる約202万人が万歳デモに参加しました。約7500人の朝鮮人が殺害され、約1万6000人が負傷しました。逮捕・拘禁された人は実に4万6000人ほどに達しました。

最大の惨劇は平安南道の孟山で起きました。3月10日、逮捕・拘禁された教師の釈放を要求しに行った住民54人を日帝は憲兵分遣所内で虐殺しました。

京畿道・華城の提岩里でも教会に住民を閉じ込めて火を放ち、幼い子どもも含めて29人を虐殺するという蛮行が起きました。

しかし、それとは対照的に朝鮮人の攻撃で死亡した日本の民間人はただの一人もいませんでした。

民族の一員として誰でもデモを組織し、参加しました。われわれはともに独立を熱望し、国民主権を夢見ていました。三・一独立運動の声を胸に収めた人々は、自分と同じ平凡な人々が独立運動の主体であり、国の主人だという事実に気付き始めました。そのことが、より多くの人の参加を呼び込み、毎日のように万歳を叫ぶ力になりました。

歴史を正しくすることこそが、子孫が堂々とできる道です。親日残滓の清算も、外交も未来志向的に行われなければなりません。「親日残滓の清算」とは、親日は反省すべき、独立運動は礼遇を受けるべきという最も単純な価値を立て直すことです。この単純な真実が正義であり、正義がまっすぐあることが公正な国の始まりです。

日帝は独立軍を「匪賊」、独立運動家を「思想犯」と見なして弾圧しました。このときに「アカ」という言葉もできました。思想犯とアカは本当の共産主義者だけに使われたのではありません。民族主義者からアナーキストまで、全ての独立運動家にレッテルを張る言葉でした。左右の敵対、理念の烙印(らくいん)は日帝が民族を引き裂くために用いた手段でした。解放後も親日清算を阻む道具になりました。

良民虐殺、スパイでっち上げ、学生たちの民主化運動にも、国民を敵と追い込む烙印として使用されました。解放された祖国で日帝警察の出身者が独立運動家をアカとして追及し、拷問することもありました。多くの人々が「アカ」と規定されて犠牲になり、家族と遺族は社会的烙印の中で不幸な人生を送らねばなりませんでした。

今もわれわれの社会で政治的な闘争勢力をそしり、攻撃する道具としてアカという言葉が使われており、変形した「イデオロギー論」が猛威をふるっています。われわれが一日も早く清算すべき代表的な親日残滓です。

われわれの心に引かれた「38度線」は、われわれを引き裂いた理念の敵対をなくすとき、一緒に消えるでしょう。互いに対する嫌悪と憎悪を捨てるとき、われわれ内面の光復(植民地支配からの解放)は完成するでしょう。新たな100年はその時になって初めて本当に始まります。

尊敬する国民の皆さん、過去100年、われわれは公正で正義のある国、人類全ての平和と自由を夢見る国に向けて歩んできました。植民地と戦争、貧しさと独裁を乗り越え、奇跡のような経済成長を遂げました。

四・一九革命と釜馬民主抗争、五・一八民主化運動、六・一〇民主抗争、そしてろうそく革命を通じ、平凡な人々が各自の力と方法でわれわれ皆の民主共和国を築いてきました。三・一独立運動の精神が民主主義の危機のたびによみがえりました。

新たな100年は真の国民の国を完成させる100年です。過去の理念に引きずられることなく、新たな思いと気持ちで統合していく100年です。われわれは平和の朝鮮半島という勇気ある挑戦に乗り出しました。変化を恐れず、新たな道に踏み込みました。

2017年7月、ドイツ・ベルリンで「朝鮮半島平和構想」を発表した時、平和はとても遠くにあり、手に入れることができないように思えました。しかし私たちはチャンスが訪れた時に飛び出し、平和をつかみました。

平昌の寒さの中、ついに平和の春は訪れました。昨年、金正恩委員長と板門店で初めて会い、8000万の民族の心を一つに、朝鮮半島に平和の時代が開かれたことを世界の前で宣言しました。9月には綾羅島競技場で15万の平壌市民の前に立ちました。大韓民国の大統領として平壌市民に朝鮮半島の完全な非核化と平和、繁栄を約束しました。

朝鮮半島の空と地、海から銃声が消えました。非武装地帯で13柱の遺骨と共に、和解の心も発掘しました。南北の鉄道と道路、民族の血脈がつながっています。黄海5島の漁場が広がり、漁民たちの満船の夢が膨らみました。

虹のように思われた構想が、われわれの目の前で一つ一つ実現しつつあります。もうすぐ非武装地帯は国民のものになるでしょう。世界で最もよく保存された自然がわれわれへの祝福となります。

朝鮮半島の恒久的な平和は、多くの峠を越えることで確固たるものとなります。ベトナム・ハノイでの2回目朝米(米朝)首脳会談も、長時間の対話を交わし相互理解と信頼を高めただけでも意味ある進展でした。とりわけ両首脳の間で連絡事務所の設置まで議論がなされたことは、両国関係の正常化に向けた重要な成果でした。トランプ大統領が示した持続的な対話の意志と楽観的な展望を高く評価します。より高い合意へ進む過程だと考えます。

 ここで、われわれの役割が重要になってきました。わが政府は米国、北と緊密に意思疎通しながら協力し、両国間の対話の完全な妥結を必ず実現させてみせます。

 これからの新たな100年は、過去とは質的に異なる100年になるでしょう。「新朝鮮半島体制」へと大胆に転換し、統一を準備していきます。「新朝鮮半島体制」はわれわれが主導する100年の秩序です。国民と共に、南北が共に、新たな平和協力の秩序を生み出していくのです。

朝鮮半島の「平和経済」時代を開いてまいります。
金剛山観光と開城工業団地の再開案も米国と協議します。南北は昨年、軍事的な敵対行為の終息を宣言し、「軍事共同委員会」の運営に合意しました。非核化が進展すれば、南北間で「経済共同委員会」を構成し、南北双方が恩恵を享受する経済的な成果を生み出すことができるでしょう。

南北関係の発展が朝米関係の正常化と朝日(日朝)関係の正常化につながり、北東アジアの新たな平和安保秩序も拡張されます。三・一独立運動の精神と国民統合を礎に、「新朝鮮半島体制」を築いていきます。どうか全国民が力を合わせてください。

朝鮮半島の平和は南と北を超え、北東アジアと東南アジア、ユーラシアを包括する新たな経済成長の原動力となるでしょう。100年前、植民地になったか植民地転落の危機に直面したアジアの民族と国々は、三・一独立運動を積極的に支持してくれました。

 当時、北京大学の教授として新文化運動を導いた陳独秀は「朝鮮の独立運動は偉大で悲壮であると同時に明瞭で、民意をもってしながらも武力を用いなかったことで世界の革命史に新紀元を開いた」と語りました。

 朝鮮半島の縦断鉄道が完成すれば、昨年の光復節(日本による植民地支配からの解放記念日)に提案した「東アジア鉄道共同体」の実現が早まるでしょう。それはエネルギー共同体と経済共同体に発展し、米国を含め多国間平和安保体制を固めることになります。

 朝鮮半島平和のために日本との協力も強化します。「己未(三・一)独立宣言書」は三・一独立運動が排他的感情ではなく全人類の共存共生のためのものであり、東洋平和と世界平和に向かう道であることを明確に宣言しました。

 過去は変えられませんが、未来は変えることができます。

 歴史を鑑として韓国と日本が固く手を握る時、平和の時代がわれわれに近付くでしょう。力を合わせて被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心が通じ合う真の友人になるでしょう。

尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん、過去の100年、われわれが共に大韓民国を耕してきたように、新しい100年、われわれは共に豊かに暮らさなければなりません。

 世界は今、両極化と経済不平等、差別と排除、国家間の格差と気候変動という地球レベルの問題解決のために新たな道を模索しています。われわれは変化を恐れず、むしろ能動的に利用する国民です。
 われわれは最も平和で文化的な方法で世界民主主義の歴史に美しい花を咲かせます。

 われわれの新たな100年は平和が包容の力につながり、包容が共に豊かに暮らす国を作り出す100年になるでしょう。包容国家としての変化をわれわれが先導することができ、われわれが成し遂げた包容国家が世界包容国家のモデルになり得ると信じています。

 三・一独立運動は今もわれわれを未来に向かって進ませてくれています。われわれが今日(三・一運動の象徴である独立運動家)柳寛順(ユ・グァンスン)烈士の功績を見直し、独立有功者の勲格を高めて新たに褒賞するのも、三・一独立運動が現在進行形だからです。

柳寛順烈士は(忠清南道・天安の)アウネ市場で万歳デモを主導しました。
(ソウルの)西大門刑務所に閉じ込められても死を恐れず、三・一独立運動1周年万歳運動を行いました。しかし、何より大きな功績は「柳寛順」という名前だけで三・一独立運動を忘れられないようにしたことです。

 過去100年の歴史はわれわれが向かい合う現実がどれだけ困難でも、希望を諦めなければ変化と革新を成し遂げることができると証明しました。今後の100年は、国民の成長がすなわち国家の成長になるでしょう。

 国内では理念の対立を越えて統合を成し遂げ、国外では平和と繁栄を成し遂げる時、独立は真に完成されるでしょう。

 ありがとうございました。

(2019年3月1日)

バーネット判決から75年。それでも、フロリダではいまだに「忠誠の誓い」の強制。

友人から、下記の記事を教えられた。CNNの日本語版サイトに注目すべき記事。
CNN.co.jpメルマガ? 2019.02.19 Tue posted at 12:27 JST
https://www.cnn.co.jp/usa/35132945.html
「忠誠の誓い」拒否した中学生を拘束、人権団体から批判 米

(CNN) 米フロリダ州の中学校で11歳の黒人男子生徒が日課の「忠誠の誓い」を拒否した後、校内の規律を乱したなどとして拘束されたことに対し、人権団体などから批判の声が上がっている。

地元の学校区や警察によると、少年は今月4日、教室内で忠誠の誓いを拒否。担当の代理教員によれば、この時「国旗は人種差別的」「国歌は黒人を侮辱している」と主張した。代理教員は少年とのやり取りの後、学校の事務室に連絡した。校内に常駐する警官も駆け付けた。

警官が少年に退室を求めると、少年はいったん拒否した。その後教室を出て事務室へ連れて行かれる間、さらに騒いで脅しをかけたという。警察によれば、少年は学校の業務を妨害し警官に抵抗したとして拘束され、鑑別所へ送られた。

少年の母親は地元のCNN系列局に対し、「息子がこんな目に遭ったのは初めて」「処分を受けるとしたら学校のほうだ」と怒りをあらわにした。母親によれば、少年は優秀な生徒を集めた選抜クラスに入っている。かつていじめの対象になったことがあるという。

少年が拘束されたとの報道を受け、憲法で保障された言論の自由の侵害だとする批判が巻き起こった。人権団体「米市民自由連合(ACLU)」のフロリダ支部は、「黒人の生徒に対する行き過ぎた取り締まりの一例だ」とツイートした。

学校区は18日、生徒の言論の自由を尊重するとの声明を発表。代理教員の行動は容認できないとの立場を示した。代理教員は学校からの退去を命じられ、学校区内での職場復帰を禁じられたという。

隔靴掻痒で、詳しいことが分からないのがもどかしい。
ACLUは、通常「アメリカ自由人権協会」と訳される。大規模組織であり、影響力も大きい。「代理教員は学校からの退去を命じられ、学校区内での職場復帰を禁じられたという。」は、いかにも拙い日本語。問題の教員が解雇されたというのか、停職処分となったというのか。その理由は。「学校区内での職場復帰を禁じられた」とはいったい何のこと。何よりも、肝心の11歳の少年がどうなったのか、書いていない。鑑別所に入れられっぱなしなのか釈放されたのか。続報は目につかない。

「忠誠の誓い」(Pledge of Allegiance)というものが、アメリカ合衆国にはある。その一訳例が以下のとおり。
「私はアメリカ合衆国の国旗と,それが表象する共和国に,すなわち神のもとに不可分一体で自由と正義がすべての人のためにある国に,忠誠を誓います」

1923年には、現行の文言に定式化されて、国旗に対する敬礼が公立学校で一般化した。世界各地からの移民で構成された多民族国家である。言語も宗教も歴史もそれぞれ異なる国民を統合するシンボルとして国旗を通しての国家への忠誠が必要とされたのだ。合衆国は、自由と正義を理念とする存在とされ、国旗はその理念のシンボルともされた。しかし、すべての国民に忠誠の誓いを強制することは、自由であるはずの国家理念に矛盾することになる。とりわけ、自らが信じる神以外の一切の対象物に忠誠を誓ってはならないとする信仰者には、深刻な問題が生じることになる。

こうして、公立学校での国旗への敬礼による「忠誠の誓い」拒否が、信仰の自由と国家の要求する秩序との衝突として、大問題となる。社会問題ともなり、教育問題ともなり、最も著名な連邦最高裁判決を引き出した憲法問題ともなった。

この問題での最初の連邦最高裁判決が、1940年のゴビティス事件判決である。国旗への敬礼を偶像崇拝と見なすエホバの証人の子弟であっても、公立学校の生徒は国旗に敬礼しての「忠誠の誓い」を拒否すれば制裁を免れない、というもの。個人の精神生活の自由よりも国家の秩序を優先させた野蛮な判決であった。この判決のあと、エホバの証人に対する集団暴行や脅迫事件が多発したという。野蛮な判決は、野蛮な社会の反映であったろう。

しかし、この判決は3年で劇的な判例変更となる。1943年(第2次大戦中である)のウェストバージニア州教育委員会対バーネット事件判決で、この強制を合衆国憲法修正第1条(精神的自由の保障規定)に照らして違憲であるとの判断を下し、その後70余年この判例に揺るぎはない。にもかかわらず、今頃なぜ、フロリダ州の中学校でこんな強制事件が起こるのだろうか。

それにしても、「国旗は人種差別的」「国歌は黒人を侮辱している」と堂々と主張した11歳に敬意を表したい。その感性と行動力は立派なものだ。何よりも大切なのは、一人ひとりの尊厳であり矜持なのだ。人種差別のない、誰をも侮辱することのない社会を作ることが大切なのだ。「旗」や「歌」が、人間よりも大切なはずはない。「国旗」や「国歌」に敬意を表明することが、もっと大事な何かを傷つけるとすれば強制される筋合いはない。「人種差別的」で「侮辱的な」旗や歌の強制を拒否する権利は誰にもあるのだ。
(2019年2月28日)

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