私は、未開時代の遺物である王制を支持しない。もちろん、その一つである日本の天皇制も。一日も早く、このような不合理極まる支配の小道具が地上から消滅することを願ってやまない。だから、王だの王妃だの王子だの,あるい天皇や皇后に、隣人にする以上の礼をせよと言われれば断固として拒否する。
しかし、だからといって、他国の王や王家をことさらに侮辱しようとは思わない。その国の国民感情を不必要に逆撫でする必要はないからだ。他国の王や王家をことさらに侮辱するのは、国民全体への挑戦的侮辱と捉えられてもやむを得ないだろう。
一国の外交官や軍人らが、他国の王宮に乱入して、寝所の皇后を襲い、その衣服を剥いで斬殺し、死体を焼却した。信じがたい「歴史上古今未曾有の凶悪事件」ともいうべき蛮行を、天皇制の日本がした。その被害国が末期の李氏朝鮮である。この事件は、日本では「閔妃暗殺事件」というが、今、韓国では「明成皇后弑害事件」と呼ばれている。「明成皇后」は、殺害された閔妃の諡(おくりな)である。
被害国を日本に置き換えれば、外国軍人やその指揮下のゴロツキどもが皇居に乱入して寝所の皇后を襲って殺害し、遺体を焼き捨てるという蛮行。天皇制を支持しない私も、こんなことをされたら腹を立てる。当たり前のことだ。
しかし私は、角田房子『閔妃暗殺』(1988 新潮社)を読むまで、長くこんな事件があったことを知らなかった。歴史の教科書に出て来ないのだ。景福宮のこの暗殺現場には、最近2度行った。有能な日本語ガイドから詳細な説明を受けたが、「韓国の教科書には記載されており、韓国の誰もが知っていること」だという。そうだろう。当時、「国母」と呼ばれていた英邁な皇后が、侵略国日本の手先に斬殺された歴史上の大事件。韓国民には印象深く、日本人の多くは知らない。この日韓の両国民の認識の落差は、意識の相違とならざるを得ない。
角田房子『閔妃暗殺』の宣伝文句は、以下のとおりである。
「時は19世紀末、権謀術数渦巻く李氏朝鮮王朝宮廷に、類いまれなる才智を以て君臨した美貌の王妃・閔妃がいた。この閔妃を、日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊、警察らを王宮に乱入させて公然と殺害する事件が起こった。本書は、国際関係史上、例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とすこの『根源的事件』の真相を掘り起こした問題作である。第一回新潮学芸賞受賞。」
その『閔妃暗殺』の中に次の一節がある。
「彼ら(犯人ら)の多くが、殺人は刑法上の重大犯罪であり、特に隣国の王妃暗殺は国際犯罪であることを知らなかったわけではない。しかしそれが、?国のため?であれば何をやっても許される、それをやるのが真の勇気だという錯覚の中で、殺人行為は「快挙」となり、?美挙?と化した。」
大方の日本人には「快挙・美挙」とされたが、客観的には「歴史上古今未曾有の凶悪事件」(外務省に事件を報告した京城領事内田定槌の表現)である。朝鮮の民衆には、この上なく残忍な屈辱的行為として、今も記憶され続けているのだ。
なお、今年(2019年)7月24日付「赤旗」に、朝鮮史研究者の金文子(奈良女子大学)による、この件についての長文の寄稿がある。その中に目を引くのは、次の2点である。なお、ネットでは、次のサイトで全文を読むことができる。
https://blog.goo.ne.jp/kin_chan0701/e/b0d50b1721580890141e5d8cb41004f7
朝鮮人同士の権力争い偽装
この事件の前年7月、日清戦争開戦直前にも、日本軍が景福宮を占領して国王を虜にしたことがあった。日本軍は王宮から撤退後も王宮前に駐屯を続け京城守備隊と称した。再び王宮に侵入して王后を殺害したのは、この京城守備隊だった。しかもこれを朝鮮人同士の権力争いに偽装するため、国王の実父大院君を無理やり引き込んだ。真夜中の殺害計画が夜明けまで遅れ、多数の西洋人が目撃したのは、大院君が抵抗したからである。
ひと月前に着任したばかりの駐韓公使・三浦梧楼(ごろう)は、外務大臣西園寺公望への電信で日本人の関与を認め、自分が「黙視」したと告白した。さらに《日本人は殺害等の乱暴は一つもしなかったという証明書を朝鮮政府から取っておいた。大院君にも、随行の朝鮮人に日本服を着せて日本人を装わせたと言わせる。この二点は外国人に対し「水掛論」に持ち込む考えである》と、偽装計画まで報告している。(『日本外交文書』)
本国の訓令に忠実にうごく
この事件は愚かな軍人三浦梧楼の暴走と見られてきたが、決してそんな単純な事件ではない。三浦は公使着任後、大本営の川上操六参謀次長と通信し、事件の3日前には朝鮮駐屯軍の指揮権を獲得していた。(「密大日記」)
三浦の部下、書記官の杉村溶は『在韓苦心録』を書き、自ら首謀者だったと認めた。そしてその目的は「宮中に於ける魯国(ロシア)党(其首領は無論王妃と認めたり)を抑制して日本党の勢力を恢復(かいふく)せんとするに在り」と明言した。杉村は事件の2カ月前、西園寺外相に王后の政権掌握を報告し、傍観すべきか、親日政権の成立に尽力すべきか、訓令を求めていた。西園寺の回答は、親日政権の成立に「内密に精々尽力せらるべし」であった(『日本外交文書』)。三浦も杉村も本国の訓令に忠実に動いたのである。
こんなことをやった日本と、こんなことをやられた韓国。やった方の国民はほとんど事件を忘れても、やられた方の国民は容易に忘れることができない。両国の関係は、このような微妙な事情の上にあることを肝に銘じるべきなのだ。
(2019年9月10日)
昨日(9月8日)の東京新聞社説の表題は、「桐生悠々と言論の覚悟」である。桐生悠々を論じつつ、言論人としての自らの覚悟を語って格調が高い。その覚悟に敬意を表したい。それにしても、である。いつの間にやら、言論に覚悟を必要とする時代が再来してごとくの不気味さが感じられる。
その全文は、下記URLで読むことができる。
https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019090802000112.html
桐生悠々は、1933年8月に信濃毎日新聞の論説主幹として「関東防空大演習を嗤ふ」を執筆し、これが軍部の逆鱗に触れて同社を追われる。しかし彼は、その後も名古屋に拠点を移し、個人誌「他山の石」に拠って軍部や政権を厳しく批判する言論活動を続けたという。東京新聞社説はその「他山の石」に、悠々はこう書いていると紹介している。
悠々は「他山の石」に「言いたいこと」と「言わねばならないこと」は区別すべきだとして「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」と書き残しています。
悠々にとって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だったのです。
正宗(白鳥)が言う「いかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した」悠々の命懸けの言論は戦争への流れの中では顧みられることはありませんでしたが、戦後再評価され、今では私たち言論、報道活動に携わる者にとって進むべき方向を指し示す、極北に輝く星のような存在です。
<蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜>
悠々のこの句作が世に出た35(昭和10)年は、31(昭和6)年の満州事変、32年の五・一五事件、33年の国際連盟脱退と続く、きなくさい時代の真っただ中です。翌36年には二・二六事件が起き、破滅的な戦争への道を突き進みます。
もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たちの新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければなりません。それは新聞にとって権利の行使ではなく、義務の履行です。
来る10日は悠々の没後78年の命日です。大先輩を偲ぶとともに、業績や遺訓を思い起こし、私たち新聞のなすべきことを考え続けたいと思います。
その言や大いに良し。権力や権威への無難な忖度か、弱い立場のものをあげつらって批判する論調溢れる中で、東京新聞はこう自らを戒めている。「私たちの新聞は嵐の中でも蟋蟀のように鳴き続けなければなりません」「それは新聞にとって権利の行使ではなく、義務の履行なのです」「大先輩を偲ぶとともに、業績や遺訓を思い起こし、私たち新聞のなすべきことを考え続けたいと思います」と。つまりは、「多くの場合犠牲を伴う」ことを覚悟した言論人の義務履行の決意を述べているのだ。
言うまでもなく、言論の自由とは、権力や強者や社会の多数派を批判する言論が抑制されることなく自由であることを意味する。権力や強者や社会の多数派に耳の痛い、内容の言論である。その表現が、権力や強者や社会の多数派から疎まれ憎まれる類の言論。「多くの場合犠牲を伴う」ことになる言論である。悠々の言葉を借りるなら、このような「言わねばならぬこと」「多くの場合犠牲を伴う」ことを、犠牲の心配なく、躊躇も萎縮もなく、言えることの保障が必要なのだ。嵐の夜に鳴き続ける蟋蟀は貴重な存在である。いかなる嵐が吹こうとも、いかに小さな蟋蟀であろうとも、その鳴き声を途絶えさせてはならない。
悠々には、正宗白鳥をして、「彼(悠々)はいかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した世に稀れな人のやうに、私には感銘された。」と言わしめた覚悟のほどがあった。嵐の夜に鳴き続けた蟋蟀として、その生涯を貫いた悠々の姿勢は尊敬に値する。
しかし、今大切なのは、一人の大悠々ではなく、無数のミニ悠々ではないだろうか。何としても嵐を防止しなければならない。一匹の蟋蟀では無理でも、無数の蟋蟀の大きな鳴き声は嵐を押し返すことができるのではないか。私も、悠々ほどの覚悟はないにせよ、ミニ悠々の一人になりたい。
また、どんなときにも萎縮することなく、セミもマツムシも蟋蟀も鳴き続けることのできる社会を作ることはできないだろうか。誰もが、自分なりの音色で鳴き続けることを当然とし、認め合う社会。それは、すだく虫の音色を止める嵐のない,居心地のよい社会なのだと思う。
(2019年9月9日)
8月29日から10日が経過した。
8月29日を意味ある日として記憶されている人がいるだろうか。この日は、私の誕生日である。夏の盛りを過ぎ、もうすぐ夏休みも終わろうというこのころ。私の誕生日に関心をもつ人は、昔も今も殆どない。
ところで、8月29日とは、韓国併合の日として記憶される日である。手許の「日本史総合年表(吉川弘文館)」には、1910年8月22日のこととして「韓国併合に関する日韓条約に調印(29日公布施行,同日併合に関する詔書)」とあり、8月29日欄には「韓国の国号を朝鮮とあらためる件、朝鮮総督府設置に関する件を各公布」とある。
この8月22日と29日の関係について、「アリの一言」というブログに読むべき書き込みがあることを教えられた。「『8・29』は忘れてならない歴史の日」というタイトル。執筆者は、「K・サトル」氏。1953年広島県生まれで、政党機関紙記者・論説委員、夕刊紙報道部長・編集委員、業界紙編集長などの経歴がある方だという。その記事の抜粋を引用させていただく。
引用元の記事のURLは以下のとおり。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/d4f122a66c81f3bf1de888561dc6d064
きょう8月29日は何の日か、と聞かれて答えられる日本人が何人いるでしょうか。
「1910年6月、寺内正毅(当時陸軍相、長州出身―引用者)を3代目『統監』(朝鮮統監府―同)に任命した日本は、『不穏』な動きを封じ朝鮮とういう国そのものを完全に消滅させるための『併合』計画に着手した。同年8月22日、憲兵、警察に戦闘準備をさせ王宮と政府の重要部署を包囲し、総理大臣李完用をして『韓日併合条約』に調印させた。日本と親日売国奴は朝鮮人民の反抗を恐れ、『条約』を1週間ものあいだ秘密に付し、新聞を停刊、愛国団体を解散させ、反日運動家を検挙するなどして、8月29日にいたって、その事実をやっと公表した」(金昌宣著『加害と被害の論理』朝鮮青年社1992年)
「8・29」は「日韓併合条約」が公表され、日本が朝鮮半島の植民地支配を“正式に”開始した日。韓国・朝鮮の人たちにとってはまさに「屈辱の日」なのです。
「『併合』という言葉がどういう理由でもちいられたのか、当時の…倉知鉄吉外務省政務局長は、後にこういっています。…『韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となる』という意味を明確にすると同時に、その『言葉の調子があまり過激にならないような文字を選ぼう』と思い、いろいろ苦心し…『併合』という文字を閣議決定の文書にもちいた…。『併合』とは『韓国が全然廃絶に帰して帝国領土の一部となる』ということだったのです」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)
「日韓併合条約」は第1条で、「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」とし、第2条で、「日本国皇帝陛下は前条にかかげたる譲与を受諾しかつ全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」としています。
韓国側が統治権を「譲与」し日本はそれを「承諾」するという姑息な形式の「条約」を、日本は軍隊・警察の武力の中で強行したのです。
この「譲与」「受諾」の主体が、「韓国皇帝」と「日本国皇帝」=天皇であったことに留意する必要があります。
この日(1910年8月29日)、天皇睦仁(明治天皇)は「韓国併合の詔書」を出しました。その中でこう述べています。「民衆ハ直接朕ガ綏撫(すいぶ=いたわること―引用者)ノ下ニ立チテ其ノ康福ヲ増進スヘシ…」。こうして「朝鮮人は天皇の赤子として位置づけられました」(宮田節子氏『日朝関係史を考える』青木書店1989年所収)。
「日本の36年間にわたる朝鮮支配(1910?45年―引用者)の基本方針は、『同化政策』とよばれるものです。つまり朝鮮人を日本人化することに最終のねらいがあったわけです。その根拠になったものは…明治天皇が出した『韓国併合の詔書』です」(宮田氏、前掲書)
1945年8月15日まで続いた日本による朝鮮植民地支配の基本方針は、朝鮮を「廃絶」し、朝鮮人を日本人に「同化」させることであり、その根拠になったのが天皇睦仁の「詔書」だったわけです。
日本による朝鮮植民地支配は、文字通り天皇の名による、天皇の言葉に基づいた、天皇制国家の暴挙・蛮行でした。この事実を、今に生きる私たち日本人は肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。
なお、周知のとおり、1910年日韓併合条約の効力の有無が戦後日韓関係での懸案事項となり、1965年日韓基本条約第2条の文言は、「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」となった。明確に、日韓併合条約も『もはや無効』が確認されている。
しかし、その解釈は両国で異なる。韓国政府は「日韓併合条約は当初から無効であった」という立場であり、日本は65年条約締結によって無効になったとする。両国の歴史認識のズレは戦後も一貫してあり、現在なお大きいのだ。
(2019年9月8日)
昨今の不愉快極まりない、「嫌韓」の嵐。官邸・外務省が発生源で、メディアと右翼「言論人」がこれを煽っての悪乗り現象。さすがに、そろそろこのバカバカしい騒動に終止符を打とうという良識派の論調が見えはじめている。
本日(9月7日)の毎日新聞夕刊「週刊テレビ評」に、金平茂紀が「嫌韓ワイドショー 憎悪あおり『数字』得る愚行」という記事を書いている。表題のとおりの至極真っ当な内容。その一部を抜粋してご紹介したい。
「今はさあ、とにかく韓国をたたこう」。在京某テレビ局のワイドショーの制作デスクが定例会議の席で言い放ったそうだ。「数字(視聴率)取れるんだよね」。他国に対する偏見・差別や憎悪をあおって数字(視聴率)を上げる。公共の放送が決してやってはならない禁じ手だ。悪化している日韓関係に便乗する形で、日本のテレビは、程度の濃淡はあれ、公認の「嫌韓キャンペーン」を繰り広げているかのようだ。特にひどいのが情報系生番組だ。もちろん一部の報道ニュース番組も例外ではない。
なぜこんなことになってしまったのか。僕らテレビ人は頭を冷やして考えてみた方がいい。今回の日韓対立の直接の引き金は、去年10月の徴用工判決とされているが、徴用工問題とは一体どのような歴史的な事象なのか、ディレクターの君は知っているか。この徴用工問題では、中国との間では裁判で和解が成立し、和解金が支払われている事実を、放送作家のあなたは知っているか。歴史認識の隔たりが対立の根底にある。AD(アシスタントディレクター)のあなたは1910年の韓国併合を知っているか。実際、恐ろしいほどの知識の欠如、無知が、事実認識をゆがめているのではないか。
幾つかの感想を述べておきたい。まずは、時代の空気というもの、あるいはその変転の勢いの恐ろしさである。1年前の今頃、こんな凄まじい嫌韓の風が吹くことになろうとは思ってもいなかった。あっという間に空気は変わる。心しておきたい。ヘイトの言論を侮ってはならない。
二つ目は、この嫌韓の風を煽っている連中が、けっして本気の嫌韓派ではないことである。売れれば良し、数字がとれれば良し、儲けにつながればなんでもありなのが商業メディアの本質的一面なのだ。これが恐い。
さらに、メデイアは大衆の中の韓国に対する差別意識を的確に把握し、これに迎合した。このことを見逃してはならない。日本の民衆の深層にある隣国人に対する言われない差別観。侵略のために植えつけられた差別意識が今なお、根強くあるのだ。
もう一つ。「恐ろしいほどの知識の欠如、無知が、事実認識をゆがめているのではないか」。そうなのか。現場にいる人の言葉として重い。「恐ろしいほどの知識の欠如」をどうすれば埋めることができるのか。考え込まざるを得ない。
できることとして、今こそ、石川逸子の詩を紹介したい。以前にも当ブログに掲載したことのある詩を2編。2編とも、日本が韓国や韓国の民衆にした仕打ちについて、「知っていますか」と歴史を問う詩である。
ここに語られているのは、閔妃暗殺(日本なら皇后暗殺)であり、3・1独立運動弾圧であり、関東大震災後の在日朝鮮人虐殺であり、慰安婦問題であり、日清戦争直前の日本軍王宮占拠事件であり、徴用工問題、創氏改名、朝鮮人被爆…等々である。
韓国の人びとは公教育でこの歴史を学習して育っている。おそらくは、日本人の歴史認識との恐るべき格差があるのだ。われわれ日本人は、苦しくともこれに向き合わねばならない。「恥ずかしい国の 一主権者であることを恥じる」石川さんの気持ちを共有したい。そこが、出発点だ。
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風がきいた
知ってますか 風がきいた 夜の木々に
1895年10月8日
日本軍と壮士らが 隣国の王城に押し入り
王妃を むごたらしく殺害したことを
天皇が『やるときはやるな』首謀者をホメたことを
知ってますか 風がきいた 昼の月に
1919年3月1日
国旗をもって「独立万歳」 叫んだ朝鮮人少女が
右手 左手 次々 切り落とされ
なお万歳を連呼して 日本兵に殺されたことを
知っていますか 風がきいた ながれる川に
1923年9月2日
一人の朝鮮人女性が自警団に手足をしばられ
トラックで轢かれ 「まだ生きてるぞ」
もう一度轢き殺されたことを
知っていますか 風がきいた 野の花に
1944年末
与那国島に船で輸送されてきた
朝鮮人「慰安婦」たちが 米軍機に銃撃され
アイゴー 叫びながら 溺れ死んでいったのを
木々が 月が 川が 野の花が
きかれなかった 海 泥土 までが
一斉に答える
知ってます 知ってますよう
風が 日本列島を たゆたいながら吹いていった
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30日以内
2019年1月13日
元徴用工訴訟をめぐって
日本政府は 1965年の日韓請求権協定に基づく
協議再開要請への返答を
30日以内に出すよう 韓国政府に求めた
植民地下 日本男性を根こそぎ徴兵したことから
労働者不足となり
一家の働き手 若い朝鮮人たちを
力づくで 脅して 軍事工場へ 飛行場へ 鉱山へ
拉致してきた 大日本帝国
自らの意思で会社と契約した労働者なんかじゃない
いわば奴隷だったのだ
思い出す
1944年9月 徴用令書の公布を受け
「給料の半分は送金する 逃げれば家族を罰する」
と脅され はるばる郡庁に集まり
軍人の監視を受けながら
貨車で釜山へ 連絡船で下関 汽車で広島の工場へ
12畳の部屋に12人詰めこまれたという
在韓被爆者たちの訴えを
思い出す
「ヤミ船でやっと帰国してみたら
送金はなく 赤ん坊が餓死していました」
「朝鮮総督府になにもかも供出して
屋根のない家に家族がいました」
「爆風で怪我し 体調ずっと悪く 今も息苦しくてたまりません」
口々に訴えたひとたちを
思い出す
「小学校時代
日本語をしゃべらないと殴られた
戦争末期には食器まで銃にすると取り上げられた」
と言ったひとを
「豊臣秀吉の朝鮮侵略を讃える授業が辛かった」
と言ったひとを
むりやり連れてこられたのに
自力で帰るしかなかったから
ヤミ船で遭難し 海の藻屑となったひとたちもいた
劣悪な食事に抵抗して捕らわれ
広島刑務所で獄死したひともいた
待てど待てど 戻らない夫を待ち
老いてもなお戸口に立ち尽くす妻もいた
それらひとりひとりの憤懣に 恨に
思いをいたすこともなく
30日以内と 居丈高に迫ることができるのか
「協定は国と国との約束
個人請求権はなくなりません」
これまでの国会での政府公式見解を
あっさりと 闇に葬り
期限を切って回答をせまる ごう慢に 無礼に 気づかないのか
思い出す
かつて日清戦争前夜
1894年7月20日
朝鮮政府に
受け入れるはずもない4項目の要求を突きつけ
同月22日までの回答を迫った
日本政府を
―京城・釜山間の軍用電話架設
―日本軍のための兵営建設
―牙山駐留の清軍を撤退させる
―朝鮮独立に抵触する清との諸条約の破棄
翌23日深夜
回答がえられないのを口実に
他国の王宮の門を オノやノコギリで打ち破り
王宮を力づくで占領し
国王夫妻・王子を幽閉し 財宝も奪った
日本軍
朝鮮人なら思い出すであろう
腹が煮えかえる歴史を
再び繰りかえすつもりでもいるのか
相手あっての交渉の日時を
30日以内など
一方的に要求するとは!
韓国人留学生が言っていた
「日本の書店には
反韓反中の本があふれていますが
韓国には反日の本など並んでいませんよ」
恥ずかしい国の
一主権者であることを恥じながら
小さな新聞記事を切り抜く
―2019・1・16
日本政府のあまりの無礼な態度に呆れ、拙い詩を作りました。
ご笑読くださいませ。 石川逸子
(2019年9月7日)
10年ほども前のある土曜日の午後のこと。NHKラジオからこんな言葉が、耳にはいってきた。
「今日の番組では、折り込み都々逸を募集しています。季節にちなんで、『クチナシ』を折り込んでください。」「さっそくこんな句が届きました。なるほど。これは面白い。」
くちじゃ勝てない
ちからも負ける
なれてしたしむ
しりのした
これを思い出したのは、香港の抗議デモで、「逃亡条例案」完全撤回のニュースを聞いたから。少数民族は別として、中国の人びとの大方は、習近平の尻の下に「慣れて親しんでいる」ように見えるのだ。おそらくは、改革開放以来の経済生活の向が評価されてのことなのだろう。目の眩むような経済格差の存在にもかかわらず、中国の人びとの経済的な不満感は少ないように見える。それゆえにか、多くの人々は、習近平の尻の下で、パンのみにて生きることに甘んじているごとくである。
ところが、香港の人びとは、中国共産党の尻の下に慣れて親しむことを敢然と拒否しているのだ。ここで求められているものは、パンではなく、自由であり、民主主義である。切実な自律の制度への要求でもある。今ごろ、「逃亡条例案」完全撤回だけでは不十分だ。まだ、4項目の要求が残っている。到底、尻の下に温々とはしていられない。
韓国のキャンドルデモは、最大時170万人の民衆を光化門広場に集めたという。もちろん、家族連れのデモ。到底広場に収まる人数ではなく、ソウルのメインストリートが民衆に埋めつくされた。その壮観は、次の選挙によって朴槿恵政権を打倒し、政権交代が代わるというシグナルでもあった。だから、不必要にデモが先鋭化する必要はなかった。ソウルのデモは選挙の前哨戦であった。
しかし、香港は韓国とも大きく事情を異にする。香港には、「次の選挙」がない。この抗議デモの圧倒的民意を政治に反映するルートが欠けているのだ。この大規模なデモは、普通選挙を勝ち取るにふさわしく、それなくして終熄しがたい。誰から普通選挙を勝ち取る? 言うまでもなく、大国となった中国政府から。今、750万人の香港の民衆が、13億の人口を抱える中国政府と対峙しているのだ。到底、中国の尻の下では、安閑と生きられない。
なお、5項目要求は必ずしも統一した文言ではないようだが、たとえば、次のとおり。
1. 徹底撤回逃犯條例
(逃亡犯条例改正案の完全撤回)
2. 撤回612暴動定性
(市民活動を「暴動」とする6月12日見解の撤回)
3. 必不追究反送中抗爭者
(デモ参加者の逮捕、起訴の中止)
4. 成立獨立委員會,徹査警方濫權濫暴及元朗暴力事件
(警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施)
5. 要求特首林鄭月娥下台全面落實雙真普選
(林鄭月娥長官の辞任と民主的選挙の実現)
下記のように、簡潔に6字でまとめたスローガンもある。正確には読めないが、事情を理解した上で漢字を読めば、なんとなく分かりそうな気がする。
香港人的五大訴求
1.撤回送中悪法
2.撤消暴動定性
3.制止秋后算帳
4.徹査警方暴力
5.落実双真普選
大雑把に言えば、「悪法を撤回し、デモ弾圧の被害者を解放し、弾圧の責任を認め、長官を辞めさせて、本当の民主的な選挙制度を作ろう」という要求なのだ。今や、主たるスローガンとなった「真普選(本物の民主的な選挙制度)」を作ろうというのが、雨傘運動以来の一貫した要求。あまりにも当然の要求ではないか。
翻って日本の民主主義の実情を顧みる。香港と違って民主主義の形はある。しかし、韓国のごとくこれを生かしきってはいない。むしろ、安倍政権の尻の下に、ぬくぬくとしていると指摘されてもやむえないこの体たらく。
香港の市民に成り代わっての心意気を詠む。
くちじゃ負けない
ちえなら勝てる
なにせごめんだ
しりのした
くるしい日々だが
ちは沸き返る
ないて笑って
しんじる明日
(2019年9月6日)
1 本年8月1日に開幕した国内最大規模の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展の一つである「表現の不自由展・その後」が,テロ予告や脅迫,公権力の介入により,わずか3日で中止に追い込まれた。
そして,中止から1ヵ月が経過した現在も展示再開の目途は立っていない。「表現の不自由展・その後」は,「慰安婦」問題,天皇と戦争,植民地支配,憲法9条,政権批判など,2015年の「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え,同年以降,新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を,当時いかにして「排除」されたのか,実際に展示不許可になった理由とともに展示する企画であり,愛知県美術館で本年10月14日まで開催される予定であった。ところが,日本軍「慰安婦」を題材にした少女像や昭和天皇の写真を使った作品などの展示が公表されると,テロ予告や脅迫を含むファックスや電話が祭典実行委員会や愛知県庁などに殺到したため,本年8月3日に企画を中止せざるをえなくなったのである。
2 多様な考えを持つ人々の存在を前提とする民主主義社会を維持・発展させるためには,各人が自由に自らの思想・意見を表明できることが必要であり,憲法21条で保障された表現の自由は,その手段を保障するものとして不可欠なものである。とりわけ政治的表現の自由を保障することは重要であり,どのような表現であっても,当該表現それ自体が犯罪となる場合等を除いて,原則として保障されなければならず,表現に対する批判は言論・表現行為でなされるべきである。今回のようにテロ予告や脅迫という犯罪行為を用いて,表現の自由を脅かしたことは許されないことである。
3 また,公権力を担うべき者が展示内容に介入する発言を行っていることも看過することはできない。河村たかし名古屋市長は本年8月2日,展示を視察した後,少女像の展示について「日本国民の心をふみにじるもの」「税金を使った場で展示すべきでない。」などと述べ大村知事に即時中止を求める公文書を送付した。また,菅義偉官房長官は同日の記者会見で,芸術祭が文化庁の助成事業となっていることに言及し,「補助金交付の決定にあたっては,事実関係を確認,精査して,適切に対応していきたい。」と発言した。その他にも「税金投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ,たんなる誹謗中傷的な作品展示はふさわしくない。慰安婦はデマ」(松井一郎大阪市長),展示内容は「明らかに反日プロパガンダ。」(吉村洋文大阪府知事),「表現の自由から逸脱しており,もし神奈川県で同じことがあったとしたら絶対に開催を認めない」(黒岩祐治神奈川県知事)などと展示内容を批判する首長の発言が相次いでいる。前記のとおり,表現の自由は民主主義社会に不可欠なものとして,憲法21条で保障されており,その裏返しとして,国や自治体は憲法上,表現の自由を保障する責務を負っている。また,憲法21条2項は,戦前の日本で政府が芸術・文化や学問・研究の内容を検閲し,多様な価値観を抑圧して民主主義を窒息させ,国民を戦争に動員したことへの反省に立って,公権力による検閲を絶対的に禁止している。河村市長らの上記発言は,表現の自由を保障する責務を負うべき立場にある者が,表現内容に介入して,気にくわない表現は禁止,抑制しようとするものであり,憲法尊重擁護義務(憲法99条)に反し,検閲を彷彿させるものである。大村愛知県知事が,河村市長の上記発言を「検閲ととられても仕方がない。憲法違反の疑いが濃厚だ」と批判したのも当然である。4 自由法曹団は,表現の自由に対する脅迫行為に抗議するとともに,公権力を担う者が表現内容に介入したことに抗議し,発言の撤回を求める。
そして,一日も早い展示の再開を望むものである。
2019年9月5日
自由法曹団団長 船 尾 徹
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以上が、あいトレの企画展「表現の不自由展・その後」中止問題に関する、本日付の自由法曹団声明である。問題点がよく整理されていると思う。
自由法曹団は、戦前からある老舗の弁護士団体で、「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」を目的としている。もちろん、私も、登録以来の自由法曹団団員弁護士である。
この声明が述べているとおり、大きな問題が二つある。
一つは、表現の自由に対する脅迫行為を許してはならないということである。この企画展に展示された16点の作品は、いずれもその展示に不自由を強いられた経歴を持つものばかりである。すべての人に心地よい創作というわけではない。これに対する批判はあろう。批判の見解をもつことも、批判の言論を表明することも自由である。しかし、制作者や展示に関わるものを脅迫して、展示を妨害することは許されない。
展示の妨害は、行為の態様次第で、脅迫罪にも強要罪にも、威力業務妨害罪にもなり得る。また、展示の妨害を煽ってはならないことはもちろん、企画展の威力による妨害を傍観しているのも感心した態度ではない。教室でのイジメ行為を見て見ぬふりの傍観者と同じく、消極的な違法行為加担者というべきなのだ。
二つ目は、権力を有する立場の者が、表現の自由抑圧に加担し介入してはならないということである。この点は、上記の声明に詳しい。ここに名の出た、河村たかし名古屋市長・菅義偉官房長官・松井一郎大阪市長・吉村洋文大阪府知事・黒岩祐治神奈川県知事らは、その不明・不名誉を恥じなければならない。
私は強調したい。表現の自由の保障を最も手厚く受けるべきは、時の権力から疎まれ憎まれる内容の表現である。あるいは時の多数派が嫌う内容の表現である。まさしく、「表現の不自由展・その後」に展示されたこの16点こそが、その典型である。権力に迎合し、社会の多数派に快い表現は、その表現の妨害に遭うことは考えがたく、ことさらに自由を保障する必要がない。そのような少数意見こそが貴重なのだ。行政が公金を用いて、貴重な少数意見の発表の場を作ることに何の問題もない。行政は、そのような環境整備に徹するべきで、「金は出しても、口は出さない」姿勢を貫かねばならない。
戦前の日本には、表現の自由はなかった。時の権力や社会の多数派が神聖なものとする、天皇や天皇制を批判する言論の自由がなかった。その反省から、日本国憲法21条が生まれた。しかし今なお、「戦前」は今につながっているということなのだろうか。
自由法曹団声明の結語のとおり、私も、強く「一日も早い展示の再開を望む」ものである。
(2019年9月5日)
出典は知らないが、「国民はそのレベルにふさわしい政治しか持てない」という。何ともシニカルな表現だが、安倍政権の長期化を許している現状を、有権者の一人として腹ただしくも情けなくも思う。
?「国民はそのレベルにふさわしいメディアしか持てない」というもじりもある。嫌韓本や、DHCテレビのヘイト番組横行など、まことに恥ずべき現状である。右翼メディアは、「嫌韓・ヘイトの需要があるから供給がなされる」と開き直るのだろうが、民衆がこれほどに政権とメディアに操られやすい存在であることが、空恐ろしい。
9月2日の各紙朝刊に掲載された「週刊ポスト」の宣伝文には驚いた。その特集が、「韓国なんて要らない!」「「嫌韓」ではなく「断韓」だ―厄介な隣人にサヨウナラ 」「『10人に1人は要治療』―怒りを抑制できない『韓国人という病理』」という徹底した嫌韓ヘイトぶり。今こう書けば、売れ行きが良くなるという判断での編集なのだ。購買者が「この程度のレベル」と舐められている。これが、弱小零細のキワモノ出版社ではなく、大手・小学館の出版物なのだ。出版ジャーナリズムは、競い合ってここまで堕ちたか。そう落胆せざるを得ない。
さすがに、これには心ある人びとから抗議が殺到した。2日夜、小学館は自社サイトに、『週刊ポスト』編集部名義の以下の「お詫び」を掲載している。
週刊ポスト9月13日号掲載の特集『韓国なんて要らない!』は、混迷する日韓関係について様々な観点からシミュレーションしたものですが、多くのご意見、ご批判をいただきました。なかでも、『怒りを抑えられない「韓国人という病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ、誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました。お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります。〉
しまりに欠けた「お詫び」である。誰に対して、何をどう詫びているのかよく分からない。意識的に曖昧にしているようにも読める。「誤解」とは何のことだ。「広めかねず」とは「広めてはいない」ということなのか? 「配慮に欠け」とは、誰に対するどのような配慮が必要だったというのだろうか。
「ポスト」は、日本人の民族差別意識に一面迎合し、一面煽って、どぎつさ丸出しのヘイト記事で部数を稼ごうとしたのだ。そのさもしい根性をこそ率直に吐露して、まずは韓国と在日の人びとに謝罪しなければならなかった。そして、不快を感じた日本人の読者にも、である。
もちろん、この小学館のこの程度の「謝罪」を快しとしない連中もいる。たとえば、百田尚樹であり、門田隆将などである。これらは論外として、もう一つ、こういう論調もある。少しやり過ぎだが、全部を反省する必要はないとし、「週刊ポストは『断韓』記事を堂々と載せるべし」と言うのである。
「韓国なんて要らない」という週刊ポストの特集に、作家たちから怒りの声だという。深沢潮は「差別扇動を見過ごせない」として連載休止。柳美里は「人種差別と憎悪をあおるヘイトスピーチ」と批判して小学館と仕事しないと言う。内田樹は「今後、小学館の仕事はしない」と明言。
わしの見解を言うと、「怒りを抑えられない韓国人の病理」という記事は、ネトウヨっぽい、差別に繋がる記事だと思うが、「断韓」という政治的意見は「言論・表現の自由」の範囲内だろう。
この立論は、「ネトウヨっぽい、差別に繋がる記事」と、「政治的意見」とを区別せよ、というごとくである。前者は謝罪に値するが、後者は「言論・表現の自由の範囲内だろう」という。その区別の規準は明確に示されてはいないが、「ポスト」記事の一部を問題ないものとして、ポストの差別性を批判した良識ある人びとを激しく逆批判している。
ポスト批判の議論は、けっして法的な言論許容の限界を論じているのではない。問題は、「ポスト」の編集姿勢が、民族差別・ヘイトに当たるものとして批判に値するものか否かにある。当然のことだが、「言論・表現の自由」の範囲内にあって、違法とは言えない言論にも、ヘイトの批判は成立する。
しょせん韓国と断交なんかできやしない。そう言いたくなるほど、腹に据えかねてるという気持ちを表出するのも、「表現の自由」だろう。
これでは、議論が噛み合っていない。「表現の自由」の範囲は広い。問題は、当該の表現が「言論・表現の自由の範囲内」にあるか否かではなく、その表現に込められた差別性を批判するのか支持するのかなのだ。言い換えれば、9月2日宣伝に象徴される、「ポスト」の『ヘイト悪乗り』を許すか否かが問われている。
そして、重要なのは、結論もさることながら、その理由の説得力の有無である。「政治的な意見ないし論評だから、違法とは言えない」は、法廷での論争であって、平場の意見交換での論理ではない。
(2019年9月4日)
ILOとユネスコが合同委員会(セアート)での検討を経て、日本政府に対して「日の丸・君が代」強制の是正を求める勧告を出した。このことは、8月29日の当ブログで述べたとおりである。
ILOとユネスコが、「日の丸・君が代」強制問題に是正勧告
https://article9.jp/wordpress/?p=13082
本日(9月3日)参議院会館で、その勧告の取り扱いをめぐって、文科省の担当者と当該労組である「アイム」との交渉があり、私も参加した。
私が、文科省との交渉の席に出たのはこれが2度目。本日の文科省の対応は、到底誠実なものとは言いがたいが、とにもかくにも1時間半の意見交換の場を設定するだけの良識は持ち合わせているのだ。この点、都教委とは大違いである。都教委は、逃げ回っているばかり。教育委員はもとより、教育庁の幹部も交渉の場にはけっして出て来ない。自分のしていることに、およそ自信が持てないからとしか考えられない。
まず確認しておこう。ILOとユネスコの日本政府に対する勧告は、以下の6点である。「日の丸・君が代」強制を是正するよう求めるものとなっている。
(a)愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。
(b)消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。
(c)懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。
(d)現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。
(e)障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
(f)上記勧告に関する諸努力についてそのつどセアートに通知すること
この度のILO・ユネスコ勧告は、「日の丸・君が代」強制の入学式・卒業式を「愛国的な式典」と呼んでいる。最も注目すべき上記(a)は「国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員」の立場を慮るものであり、(b)では「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」よう手段を尽くせと言う。つまり、「入学式・卒業式での国歌斉唱時における強制はやめよ。平穏な不起立に対する懲戒処分は避けよ」と言っているのだ。これが、勧告の眼目である。
もう一つ、(d)は「現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。」というのも、影響が大きい。周知のとおり、都教委は被処分者に対して「嫌がらせの研修」を行う。研修センターにカンヅメにして、転向を迫るやり口。これを「懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。」と端的な勧告となっている。
これに対する文科省の総括的な対応は、以下のとおりである。
今般ILO事務局より送付されたセアート報告書については、法的拘束力を有するものではなく、また、必ずしも我が国の実情や法制を十分に斟酌しないままに記述されているところがある。文部科学省としては、…「教員の地位に関する勧告」の精神を尊重しつつ、我が国の実情や法制に適合した方法で取り組みを進めてまいりたい。
文科省が指摘する問題は3点ある。
(1) 報告書は飽くまで「勧告」であって、法的拘束力を有するものではない。
(2) 報告書は必ずしも我が国の実情を十分に斟酌したものではない。
(3) 報告書は必ずしも我が国の法制を十分に斟酌したものではない。
(1)は論外であろう。ILO・ユネスコの参加国である日本が、その勧告を「法的拘束力を有するものではない」として無視するとすれば大問題である。当然のことながら、勧告には誠実な対応が求められる。開き直って、無頼国家、破落戸官庁の汚名を着るようなことがあってはならない。
(2) の「十分に斟酌すべき我が国の実情」が何をいうのか、私にはよく分からない。私の理解では、国旗国歌に関する我が国特有の実情とは、旧憲法時代の国旗国歌を今なお使用し続けていることである。「日の丸・君が代」は、神権天皇制時代の国旗国歌であり、富国強兵を国是とする大日本帝国の国旗国歌として侵略戦争と植民地支配の象徴であった。憲法改正によって国家の基本原理が根本的に変更された今なお、同じ旗と歌を国旗国歌とすることにはおおきな無理があるのだ。日本の国旗国歌事情は、あたかも戦後のドイツがハーケンクロイツを国旗として使用し続けているに等しい。この国旗国歌に違和感をもつ国民こそが正常な感覚といわねばならない。
(3)は、本日の文科省担当者の説明によれば、「我が国の法制」とは、教育公務員の懲戒権は各教委にあって政府にはない、というものの如くである。文科省によると、「ILO・ユネスコは、そんなことも知らずに政府に勧告を出してきた」といわんばかりなのだ。しかも、「懲戒権の行使は、国内法(地公法)に則り適切に行われている」という認識なのである。これは、ILO・ユネスコからの勧告に誠実に対応しようという姿勢ではない。「無視するぞ」と言わんばかりではないか。
日本政府は、国旗国歌の強制、しかも懲戒処分までしてする「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は、世界標準からみて非常識なものであることを真摯に受け止めなければならない。ILO・ユネスコが言っていることの枝葉末節ではなく、基本理念を理解しなければならない。
教育の場から思想・良心の自由が失われれ、国家の統制のみが横行することとなれば、やがて民主主義は死滅することになろうからである。ちょうど、「日の丸・君が代」とご真影への敬意表明が当然とされた、あの暗黒の時代のごとくに。
(2019年9月3日)
世にブラック企業は数多あれども、スラップ企業の数は少ない。かつては武富士の悪名が高く、今はDHC・吉田嘉明がその汚名を欲しいままにしている。ブラックもスラップも企業の専売特許ではないが、自治体がブラック・スラップの汚名を着ることは実のところ珍しい。
DHCスラップ訴訟弁護団メーリングリストへの投稿で、沖縄県宮古島市が市民に対するスラップ訴訟を準備していることを知った。自治体が、DHC・吉田嘉明並みのスラップをやろうというのだ。まことに不名誉なこと、やめた方がよい。
宮古島市の下地敏彦市長は、自衛隊基地配備容認派として知られた人。生前の翁長知事が推す配備反対派を僅差で破って当選している。また、「オール沖縄」に対抗しての保守系市長連合「チーム沖縄」の会長を務めてもいる人。その人が、まるで吉田嘉明並みなのだ。
地元紙・宮古毎日新聞(8月29日付)が、「市が市民を提訴の動き/不法投棄ごみ撤去事業」との見出しで、以下のとおり報道している。予定の提訴は、6人の市民に対する名誉毀損損害賠償請求訴訟であり、請求金額は1100万円だという。首を傾げざるを得ない。
最高裁で市民有志の訴えが棄却された不法投棄ごみ訴訟について、今度は市が原告だった市民6人を名誉毀損で訴える準備をしていることが28日までに分かった。市は同訴訟に向けた議案を9月3日開会予定の市議会9月定例会に提案する見通し。
不法投棄ごみ裁判は、市が2014年度に行った不法投棄ごみ撤去事業で市に損害を与えたとして、市民らが同事業の予算額2251万円などを下地市長らに請求するよう市に求めた住民訴訟。
一審の那覇地裁は住民側の請求を棄却。福岡高裁那覇支部は「極めてずさんな事務処理」としたものの、各支出命令などが法令に違反するとはいえないとして訴えを退け、最高裁でも住民側の訴えを棄却した。
不法投棄ごみをめぐっては刑事訴訟もあり、当時の市の担当職員に有罪判決が言い渡されている。
市が提案を予定している議案書には「違法な契約を締結したとか、違法な支出命令を行うことを阻止すべき指揮監督義務を怠ったなどと、訴訟手続きや新聞報道において虚偽の事実を繰り返し主張し続け、公然と虚偽の事実を摘示して宮古島市の名誉を毀損したものである」などと理由を説明し、損害賠償として1100万円の支払いを求めている。
議案書にはまた「宮古島市は公法人であるが、公法人も社会的名誉を保有している」と訴えの提起の正当性を主張している。
不法投棄ごみ裁判に関わった原告市民の一人は「裁判では市が実施したごみ撤去の方法の在り方をただしただけで、市を陥れるとか、自分たちの利益のためにしたわけではない」と強調。その上で「不法投棄ごみ問題を、もう一度市民に知らせる良い機会になる。市民を名誉毀損として提訴することは、市民から見れば市が逆に市民の名誉を傷付けることになるのではないか」と話した。
要領良くまとまった分かり易い記事。この記事で、市民の批判を謙虚に受けとめるべき立場の市長が、逆上して市民を攻撃している構図が鮮明である。
スラップは、厳密な法律用語ではなく、言わば法社会学的な語彙であるから、厳密な定義はなしがたい。厳密な定義はなしがたいものの、その核心は民事訴訟提起による威嚇によって、批判の言動を封殺しようという意図にある。典型的には、強者が弱者に対する高額損害賠償によって、被告を萎縮せしめ、被告の原告に対する批判の言論や行動を抑圧しようというものである。
まさしく、DHC・吉田嘉明の私に対する提訴がそのような典型であり、宮古島市・下地敏彦市長が行おうという提訴が、その同類である。実際に提訴に至れば、スラップ自治体として、DHC・吉田嘉明並みの批判を受けることを甘受せざるを得ない。
住民訴訟とは、納税者である市民が、自らの納税による自治体財政が正常に機能しているかの監視役となり、疑義あるときは地方公共団体の財務の適正を確保し、住民全体の利益を保護することを目的として、訴訟の提起ができるという制度である。提訴者は、個人的利益実現のために提訴するのではなく、市民の利益のために提訴するのだ。
住民訴訟の提起が仮に敗訴になったとしても、提訴自体が、当該自治体の財務会計上の行為や財産管理についての透明性や適法性の確保に役に立つものとなる。自治体やその首長が、これを敵視するようなことがあってはならない。
関連して思い出すことがある。2012年5月に、日民協が韓国憲法裁判所訪問団を組織して、私が団長となった。そのときの見学の話。
2008年の反BSE運動盛り上がりの中で、民弁(民主社会のための弁護士会)が、憲法裁判所への10万人提訴(正確には、「憲法訴願審判」の申立)運動に取り組んだ。民弁の呼び掛けに応じて原告となった市民の数は10万3000人になったという。原告目録作成だけで、たいへんな作業である。
この申立の費用は一切無料。原告に金銭的負担はかからない。「どうして無料なのでしょうか」という、私の愚問に、憲法裁判所の広報担当の裁判官は、こう回答した。
「原告になって提訴される市民がいればこそ、憲法裁判所が機能することができます。原告になる市民は、社会の中に憲法違反の事態がないかの監視役として、たいへん貴重な存在なのです。たとえ、棄却となる事件にもせよ、提訴は大歓迎で、原告から手数料を取って、金銭負担を強いることは考えられません」
翻って、住民訴訟の原告もまったく同様ではないか。自治体の支出や財産管理に違法がないかを監視している自覚的な市民は貴重な存在なのだ。ところが、宮古島市と下地市長にとってはそうではない。自治体の支出や財産管理に違法がないかを監視している自覚的な市民は、うるさくて邪魔な存在なのだ。
だから、これを恫喝し萎縮させて、市の財政の監視などするなというのだ。ちょうど、DHC・吉田嘉明が、私の批判の言論を不愉快として「黙れ」と恫喝してスラップを掛けて来たのと同じ構造である。怪しからぬことこの上ない。
明日(9月3日)から始まるという市議会で、議会の良識が下地市長をたしなめて、スラップ提訴の断念に追い込んでいただきたい。でなければ、宮古の恥になる。
なお、いうまでもなく民事訴訟の提起には費用を必要とする。これが、市の財政からの負担となる。敗訴必至のこの訴訟、訴訟費用の支出が、市民による監査請求から住民訴訟の対象となる。だから、提訴はやめるのが賢明ですぞ。下地さん。
(2019年9月2日)
本日(9月1日)、は「防災の日」であるとともに、私が名付けた「国恥の日」。
東京都墨田区・横網町公園において、しめやかに「関東大震災96周年 朝鮮人犠牲者追悼式典」が挙行された。同公園内の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前に、心ある多くの人が参集して、理不尽な非業の死を余儀なくされた朝鮮人・中国人虐殺犠牲者の無念を思い、しめやかに追悼の意をあらわした。
恒例の行事ではあるが、我が国の世論が政権とメディアによって、いびつな「反韓・嫌韓」の方向に煽動されているこの時期、日韓関係の根底をなす歴史を想起するために格別の意味づけをもった式典となった。
「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、1973年に都議会全会派の賛同で設置されたものである。以来、追悼式典は毎年行われ、歴代知事が追悼文を送付してきた。あの右翼・石原慎太郎でさえも、である。しかし小池百合子現知事は、就任翌年の2017年追悼文送付を意識的に中止した。そのきっかけは、「朝鮮人虐殺はデマ」派の極右・古賀俊昭都議(日野)による、都議会での追悼文送付やめろという質疑だった。悪質極まりない、デマとヘイト本をネタにしてのものである。
知事の追悼文送付拒否の理由は、「毎年9月と3月に全ての犠牲者への哀悼を表明している」ということにあるが、なぜこれまで続けてきた追悼文送付を突然にやめたのかの理由になっていない。
震災による自然災害死と、おぞましい民族差別感情の赴く結果としての虐殺被害とを、「全ての犠牲者」として、ことさらに同一視し相対化してはならない。その意味も、教訓も、対策もまったく異なるのだ。
小池知事の追悼文送付拒否の理由には、これまで当然のこととして意識されてきた、「住民の自然災害死」と「在日朝鮮人・中国人の虐殺被害」との大きな落差をことさらに糊塗しようという意図が透けて見える。関東大震災時におけることの重大性は、官民一体となっての他民族虐殺にある。とりわけ、自警団という名の住民組織が殺人者集団となって、民族差別意識のもと、朝鮮人・中国人を故なく拘束し、拷問し、あるいは刺殺し、あるいは撲殺したのである。このおぞましい歴史的事実を、我々は負の記憶として忘れてはならない。
だから、1923年9月1日は「国恥の日」として記憶され続けなければならない。これを忘却の彼方に追いやろうというのが、おぞまいしい小池知事の姿勢なのだ。この知事の言動は、明らかに過去から現在にまでつながる我が国の対朝鮮、対中国の民族差別を糊塗し、虐殺・加害の歴史を風化させようと意図するものというほかはない。このような人物を首都の知事としていること自体が、過去の国恥ではなく、現在の国恥というべきではないか。東京都知事を変えたい。変えねばならない。常識的な歴史感覚を持つ人物に。あらためて強くそう思う。
本日の追悼式の次第は以下のとおりであった。
司 会???????? 日朝協会東京都連合会 墨田支部長 小島 晋
開式のことば 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員長
日朝協会東京都連合会会長 宮川泰彦
読 経???????? 浄土真宗本願寺派僧侶・東京宗教者平和の会事務局長
小 山 弘 泉
鎮 魂 の 舞 韓国無形文化財第92号太平舞保存会日本東京支部長
金順子韓国伝統芸術研究院代表 金 順子
各界追悼の辞
関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会
事務局長 田中 正敏
亀戸事件追悼会実行委員会副実行委員長 榎本喜久治
朝鮮総連東京都本部 副委員長 李 明宏
日本共産党東京都議団 畔上三和子
日本平和委員会 事務局長 千坂 純
追悼メッセージ
元衆議院議長 河野 洋平
カトリック東京大司教区大司教 菊地 功
法政大学総長 田中 優子
黙 祷
閉式のことば
日本中国友好協会東京都連合会理事長 中川太
献 花
本日、参列者に配布された実行委員会の式次第には、「日朝の友好とアジアの平和と安定のために」とのタイトルで、解説記事が記載されている。その一部を引用しておきたい。
あの時 何が起きたかー関東大震災に乗じた虐殺
「1923年9月1日の関東大震災では、その直後から『朝鮮人が井戸に毒を流した』、『朝鮮人が攻めてくる』などの流言が人々の恐怖心をあおりました。朝鮮人への差別や、三・一運動以後の民族運動の高揚に対する恐怖が流言発生の背景であったといわれています。政府は直ちに軍隊を出動させ朝鮮人を検束し、『不逞』な朝鮮人に対し『取締』や『方策』を講ずるように指令を出し、流言を広げました。軍隊や民衆などによって多くの朝鮮人や中国人等、社会主義者をはじめとした日本人が虐殺されました。」
真相究明と謝罪求め
「自警団など民間人による虐殺については型どおりの裁判が行なわれたのみで、軍隊など国家が関わった虐殺は不問に付されています。戦後に調査研究と追悼の運動が進められ、2003年には日弁連が真相究明と謝罪を国家に勧告しましたが無視されています。国家が調査と謝罪を行ない、虐殺事件への真の責任を取ることが、いま求められているのです。」
追悼碑建立の経過 ※1973年当時石版に刻んだもの
「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」
碑 文
この歴史
? 永遠に忘れず
在日朝鮮人と固く
手を握り
日朝親善
? アジア平和を
打ちたてん
藤森成吉
(2019年9月1日)