澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

日本学術会議「任命拒否」問題を、街頭で訴える。

(2020年11月10日)
本日は、恒例の「本郷湯島九条の会」月例街頭宣伝活動。紺碧の空と陽ざしに恵まれ、本郷三丁目交差点・かねやす前に、マスク姿の12名が参加しました。手作りのプラスターを手に、ズラッと並ぶと壮観です。道行く人たちもつい見入ってしまうようです。

そのプラスターの名文句の数々。

秋田から東京くれば苦労人。
苦労人冷たい人もいるんだな。
たっぷりと歳費もらって叫ぶ自助。
気に食わん者は排除、ゴーマン・スガ政権。
都合悪い学問研究は排除。
スガ首相はアベ前首相を踏襲して、任命拒否を役人のせいにしてはいけない。
壊れたレコード、それは当たらない、棒読み、支離滅裂、答弁不能
公務員の選任は国民固有の権利だ、スガ首相の権利じゃない。
学術会議は軍事研究へのご意見番、任命拒否は許さない。

 アメリカ大統領選はバイデン大統領の誕生により、狂気のトランプ時代は4年で幕を閉じます。米中の緊迫した事態の中で、日本の進路が鋭く問われることになります。憲法9条をもつ日本は、しっかり自立し、国際法と道理に基づいて世界の緊張関係を平和裏に解決していく道筋を探っていかなければなりません。そのことを多くの弁士が訴えました。

そして、平和の問題にダイレクトに連動している日本学術会議問題です。日本学術会議6名の任命拒否問題に弁士の舌鋒は集中しました。先のアジア太平洋戦争の反省から日本学術会議が誕生しました。それは学問が政治に隷属してはならないという教訓からのことです。日本学術会議創立から71年、この間、一貫して日本学術会議法3条『日本学術会議は独立して職務を行う』、7条2項『会員は日本学術会議の推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する』。公選制から任命制に変更されても「任命は形式的で推薦をそのまま任命する」と国会で政府は答弁しつづけたこと…。

菅義偉首相が今回、6名の任命を拒否したことは、政府が勝手に法解釈を根幹から変更したことになります。これは、憲法41条『国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である』をないがしろにした、事実上の立法行為。違憲行為。菅義偉首相は、憲法23条の学問の自由もないがしろにして、国会を無視する独裁者に成り果てたかのようです。各弁士はこのことを厳しく訴えました。

本日は、初めて近く予想される衆院選の東京2区日本共産党予定候補がこの街頭宣伝に参加してマイクを握り、今こそ立憲野党の連合政権をつくる機会であることを訴えました。「本郷・湯島9条の会」は、何党の人でも憲法を守る立場の方なら歓迎いたします。また、何党の人でも、憲法を守る立場でない方にはご遠慮を願います。

コロナ禍はますます猛威を奮っています。
菅義偉政権のコロナ禍政策といえば、「go toトラベル」「go toイート」の類いばかり。有効な対策はありません。今わたしたち国民は、「自助・共助」でしのぐしかありません。

選挙も、そう遠くはないと思われます。是非とも、しっかりと憲法を擁護する新政府をわたしたち自身の手でつくろうではありませんか。

                 「本郷・湯島九条の会」石井彰(+澤藤)

田中優子法大総長が語る「見せしめによる萎縮効果」

(2020年11月9日)
菅義偉首相は法政空手部の出身だとか。空手部ではあっても、母校はまぎれもなく法政大学である。その法政の総長が田中優子。知名度抜群、歯切れのよい発言で知られるリベラル派の教養人。

菅首相とは反りの合うとも思えないが、そこは母校の総長である。創立以来初めての法政出身首相の誕生。黙っているわけにもいくまい。菅首相選任のその日に、大学は下記のメッセージを発表した。

お知らせ
本学卒業生 菅義偉さんの内閣総理大臣選出について

本学第一部法学部政治学科を1973年3月に卒業された菅義偉さんが、第99代内閣総理大臣に選出されました。
ご活躍を祈念いたします。

以上

2020年9月16日
法政大学」

虚飾のない、簡にして要を得た達意の文章というべきであろう。何よりも、「以上」の2字のニュアンスが絶妙である。阿諛追従の気配がカケラもなく、全文西暦表記もスガスガしい。

この9月のご祝儀メッセージは、10月にはガラリと変わった【総長メッセージ】となる。この10月メッセージに「菅義偉」の名は出て来ないが、まことに厳しく「本大学出身の内閣総理大臣」を叱責する内容となっている。そして、極めてオーソドックスに、学問の自由の立場から、日本学術会議会員任命拒否問題の重大性を語っている。

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日本学術会議会員任命拒否に関して

日本学術会議が新会員として推薦した105名の研究者のうち6名が、内閣総理大臣により任命されなかったことが明らかになりました。日本学術会議は10月2日に総会を開き、任命しなかった理由の開示と、6名を改めて任命するよう求める要望書を10月3日、内閣総理大臣に提出しました。

日本学術会議は、戦時下における科学者の戦争協力への反省から、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」(日本学術会議法前文)ことを使命として設立されました。内閣総理大臣の所轄でありながら、「独立して」(日本学術会議法第3条)職務を行う機関であり、その独立性、自律性を日本政府および歴代の首相も認めてきました。現在、日本学術会議の会員は、ノーベル物理学賞受賞者である現会長はじめ、各分野における国内でもっともすぐれた研究者であり、学術の発展において大きな役割を果たしています。内閣総理大臣が研究の「質」によって任命判断をするのは不可能です。

また、日本国憲法は、その研究内容にかかわりなく学問の自由を保障しています。学術研究は政府から自律していることによって多様な角度から真理を追究することが可能となり、その発展につながるからであり、それがひいては社会全体の利益につながるからです。したがってこの任命拒否は、憲法23条が保障する学問の自由に違反する行為であり、全国の大学および研究機関にとって、極めて大きな問題であるとともに、最終的には国民の利益をそこなうものです。しかも、学術会議法の改正時に、政府は「推薦制は形だけの推薦制であって、学会の方から推薦いただいたものは拒否しない」と国会で答弁しており、その時の説明を一方的に反故にするものです。さらに、この任命拒否については理由が示されておらず、行政に不可欠な説明責任を果たしておりません。

本学は2018年5月16日、国会議員によって本学の研究者になされた、検証や根拠の提示のない非難、恫喝や圧力と受け取れる言動に対し、「データを集め、分析と検証を経て、積極的にその知見を表明し、世論の深化や社会の問題解決に寄与することは、研究者たるものの責任」であること、それに対し、「適切な反証なく圧力によって研究者のデータや言論をねじふせるようなことがあれば、断じてそれを許してはなりません」との声明を出しました。そして「互いの自由を認めあい、十全に貢献をなしうる闊達な言論・表現空間を、これからもつくり続けます」と、総長メッセージで約束いたしました。

その約束を守るために、この問題を見過ごすことはできません。

任命拒否された研究者は本学の教員ではありませんが、この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません。

このメッセージに留まらず、大学人、学術関係者はもとより、幅広い国内外のネットワークと連携し、今回の出来事の問題性を問い続けていきます。

2020年10月5日

法政大学総長 田中優子

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《研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません。》は、本質を衝くものだと思う。

なお、2018年5月16日声明の《国会議員によって本学の研究者になされた、検証や根拠の提示のない非難、恫喝や圧力と受け取れる言動》とは、杉田水脈衆院議員による山口二郎教授に対する科研費問題での言われなき非難、橋本岳議員による上西充子教授に対する事実誤認の誹謗の2件を指す。「圧力によって研究者のデータや言論をねじふせるようなことがあれば、断じてそれを許してはなりません」という田中総長の学問の自由擁護に対する姿勢は付け焼き刃ではないのだ。

田中優子は、毎日新聞に「江戸から見ると」というコラムを連載している。11月4日付夕刊の最近のものが、「見せしめと萎縮」という表題。不粋ではあるが、このタイトルを補えば、「菅政権は、学術会議の推薦会員5名を任命拒否するという『見せしめ』によって、全国の研究者を『萎縮』せしめ、学問の自由をないがしろにしようとしている」ということなのだ。

抜粋して、ご紹介したい。

 江戸時代の処刑の一部は「見せしめ」刑であった。縛り上げて衆目にさらす、市中引き回しをする、斬首の後その首をさらしておく、などである。見せしめの効果はもちろん萎縮である。

 このごろ、江戸時代の見せしめと萎縮が人ごとだとは思えなくなってきた。政治家や官僚だけでなく、大学関係者、研究者、執筆者たちが萎縮し始めている。萎縮の典型は「政権を批判したら、報復として不利な立場に置かれるかもしれない」という、報復政権への恐怖感に由来する推測だ。

 それとともに起こっているのが「ご飯論法」として知られるようになった「すり替え」である。政権の論法が人々に伝染してしまったかのように、さまざまなすり替えを耳にするようになった。こういう状況は、戦後日本で初めてではないだろうか。(法政大総長)

疾風に勁草を知る、という。この疾風の時代に、田中優子総長には、頼もしい勁草であり続けていただきたい。

高須克弥さん、みっともない「スラップ訴訟」はお止しなさい。

(2020年11月8日)
医学・医師・医療・医薬の「医」の本字は、「醫」である。説文解字によれば形声文字で、音符の「殹」は「エイというまじないの擬声語」(大漢語林)、これに薬草を作る酒ないし酒器の「酉」を添えてできた文字であるという。

「醫」の文字の成り立ちからも、医学や医師は、呪術(マジナイ)から経験科学として発展したことが読み取れよう。どの字書にも、「醫」の字義の一つとして「かんなぎ」(巫女)が上げられていることも、その事情を表している。

今の世の医師が呪術師や巫女であってはならず、すべからく冷静な論理的思考のできる自然科学者でなくてはならない。ところが、いまだに呪術師然として恥じない医師がおり、そのことに無批判な世論もある。ここでいう呪術とは、反科学を意味する。あるいは反科学的な姿勢や態度をいう。

高須克弥という人物がいる。医師とのことだが、呪術師ないし予言者気取り。こう報じられている。

高須克弥院長 米大統領選でトランプ氏優位の報道に「全てが僕の予言通りにすすんでいる」(2020年10月31日 19時10分 東スポWeb)

 高須クリニック院長の高須克弥氏(75)が(10月)31日、ツイッターを更新。米大統領選挙で共和党のドナルド・トランプ大統領(74)の優位が報じられたことを受けて、自身の見解を語った。

 高須院長は「全てが僕の予言通りにすすんでいる。当たりすぎて怖い。トランプ勝利。大阪都構想勝利。愛知県知事リコール勝利」と驚きの様子。続けて「もうすぐ僕は死んじゃうのかな…これは別に怖くはないけどね」とした。

この人は、10月31日前のどこかの時点で、「三つの予言」をしたのだ。
(1) 11月1日大阪都構想(正確には「大阪市廃止」)住民投票で、賛成派が勝利する。
(2) 11月3日アメリカ合衆国大統領選挙でトランプが勝利する。
(3) 11月4日提出期限の「愛知県大村知事リコール」署名運動が成功する。

その予言のことごとくがハズレたことが、本日までに明らかになった。予知能力などまったくないことが明らかになった、と念を押すほどのこともない。当たり前のことだ。

予言はずれの責任を取ってもらおうというのではない。自らが発起人になっておこなった「大村愛知県知事リコール」運動について、批判を許さないという姿勢を問題にしたいのだ。

この人物、歴史修正主義に親和性が高く、天皇に対する思い入れが過剰である。その反面、日本国憲法の諸価値には関心のないごとくなのだ。

彼自身のこんなツィッターがある。(2019年12月8日付)

12月8日は奇しくも太平洋大戦の開戦日である。
。故郷は焦土て化し、防空壕て生まれた僕は、いま生きておれるぬは昭和天皇陛下の御聖断のおかげだと思います。(ママ)

世に蔓延している、「開戦は臣下の責任。敗戦の決断は朕の手柄」という珍妙な論理の信奉者なのだ。なるほど、それゆえの大村知事リコール運動なのか。

もちろん、個人として天皇を崇拝することも賛美することも、思想・良心の自由であり、その表現の自由も日本国憲法によって保障されている。しかし、自分の思いを他に強制することはできない。

高須が発起人となった大村愛知県知事リコール運動は、同県で2019年に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」を巡る対応に問題があったとして、実行委員会会長を務めた大村知事の解職を求めたもの。天皇に対する「不敬」表現への公金支出を問題にしている構図なのだ。

11月4日、その署名簿が県下の各市町村選挙管理委員会にに提出された。朝日の報道では、「愛知県の大村秀章知事のリコールを目指す美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らが4日、集まった署名を各市区町村の選挙管理委員会に提出した。県選管によると各選管で計7万6462筆(午後8時現在)を受け取ったという。」「県選管によると、名古屋市千種区1万388筆(9月1日時点の有権者の約7・9%)、日進市2854筆(同3・9%)など。同日までが提出の締めきりだった市区町村すべてに署名は提出されたという。」

リコール失敗は明らかだ。愛知県下の行政も、県民の多くも、このコロナ禍のさなかにおける知事リコールに関心が向かなかったのは当然と言えよう。

それでも、高須はこの日午前、報道陣に「最低でも80万筆以上あると実感がある」と話したが、集計中として署名総数は明かさなかった。朝日は、「署名総数明かさず」と見出しを打っている。

そして、昨日(10月7日)、高須はリコール運動の終了を表明。署名は解職の賛否を問う住民投票実施に必要な法定数に届かなかった。これで、大山鳴動もせずに、一件落着かと思ったが、続編の幕が開けた。

「解職の賛否を問う住民投票には9月の県試算で法定数86万6500人超の署名が必要だが、4日提出した署名は計43万5231人分と約半分にとどまり、成立が困難な状況だった。」と報じられたのだ。さて、署名総数43万5231人は信じられるだろうか。署名数が法定数に達していれば、有効署名数を確認しなければならない。しかし、法定数に達していないことは明らかで、選挙管理委員会が無駄な確認作業をすることはない。

あいちトリエンナーレ展の芸術監督を務めた津田大助が、以下のように疑問を呈した。

 中止はいいんですが集めた43万5000人の署名、複数の選管から「同じ筆跡の署名が大量にある」という報告があったり「署名してないのに自分の名前入ってた」という報告も聞こえてきて事実なら健全な民主主義を阻害する大問題なのでメディアはぜひこの件の追加取材お願いします。

 この、津田のツィートにおかしなところはない。高須の名誉毀損の事実を断定する叙述はなく、高須を侮辱・揶揄する文言も一切ない。「事実なら健全な民主主義を阻害する大問題」であることに異論はあり得ない。「メディアはぜひこの件の追加取材お願いします。」も、極めて常識的な提案ないし意見でしかない。

ところが、これに対する高須の反応が異常である。ボルテージが異様に高いのだ。「痛いところを衝かれた」と思っているのだろうか。あるいは「天皇陛下に不敬を重ねるつもりか」との思いだろうか。

こんな報道がされている。

高須院長が怒り、津田氏に謝罪要求…署名「同じ筆跡」不正疑惑に「非常に不愉快」
2020/11/08 10:10デイリースポーツ

高須クリニックの高須克弥院長が8日、ツイッターに投稿。断念を表明した、大村秀章愛知県知事の解職請求運動を巡り、ジャーナリスト津田大介氏が「不正」を疑うツイートを行ったとして、「根拠のないケチをつけられて非常に不愉快である。謝罪を求める」と抗議した。

高須氏は「津田くんには僕が不正投票するような人間に見えるか。僕は断じて不正はしない」と反論。「津田くんは選挙管理委員会の誰もが知らないはずの情報を知ってるんだ」とも記し、「謝罪を求める」とした。

さらに、「デマ流して妨害しただけでなく、再挑戦の妨害を始めた津田くんとその一味。早く謝罪したまえ」「遅れたら次は法廷だ。癌で僕が弱っていると思ってなめるな」と投稿したという。

これは、常軌を逸している。恫喝と言うほかはない。「謝罪しなければ次は法廷だ」という脅しは最近流行だが、タチが悪くみっともない。これで、本当にスラップ訴訟を提起したら、提訴自体が不法行為となって逆に高須が損害賠償せざるを得ないこととなる公算が高い。

そもそも、高須は「公明正大」を原則にし署名は公開で集計を行うとしていたという。2020.10.28の「夕刊フジ」の取材にこう言っていたのだ。

 リコールの署名集めを担う受任者も8万人を突破したようです。2011年の名古屋市議会リコールでは、受任者1人あたり9.8人の署名を集めていることから、必要な署名約85万人分も現実味を帯びています。

 来月4日には選挙管理委員会へ署名を提出する必要があります。高須院長は「公明正大」を原則にしていることから、これまでの署名は公開で集計を行う予定だそうです。
 高須院長は「夕刊フジさん、ぜひ来てください。何もインチキしないで、今ある署名を集計しますから」と自信たっぷりでした。」

高須の側が、朝日・毎日・中日などの大手メディアにしっかり公開して署名数の集計を行っていれば、こんな疑惑は生じようがなかったのだ。グレタ・トゥーンベリに倣って、こう申し上げよう。

「裁判なんてばかげている。怒りをコントロールする自分の問題に取り組んでから、友人と映画でも見に行くべきだ。落ち着け。落ち着け!」 「その上で、冷静に不正疑惑を晴らす手段を考えたまえ」

不本意でも、潔く投票結果は受け入れなければならない。それが民主主義のイロハのイである。

(2020年11月7日)
権力とはかつては暴力そのものであり、統治とは暴力の作用であった。権力は暴力による支配をカムフラージュする統治の正当性の根拠を欲した。それはなんでもよかった。被統治者が納得してくれる、もっともらしいものでありさえすれば…。

野蛮な権力は、そのような統治の正当性の根拠を、天命や、神意や、道徳や、善政や、神話や血統や万世一系などに求めた。が、いまや、統治の正当性の根拠は、もっぱら人民多数の意思に求めざるを得ない。人民多数の意思に基づいて作られた権力だけが、正当性を持った統治の根拠として人民を自発的に服従させる権威をもっている。

その人民多数の意思を確認する手続が選挙である。民主主義を標榜する社会の政治家は、選挙に示された人民多数の意思を尊重しなければならない。この当然のことに、世界最強国の大統領には理解がないようだ。これは、恐るべき事態である。

トランプは5日夜のホワイトハウス記者会見で、「合法的な票を数えれば、私は楽勝だ。違法な票を数えれば、彼らは選挙を盗むことができる」と述べたという。

翻訳してみよう。「私の票は合法的な票、彼らの票は違法な票だ。だから、合法的な票だけを数えれば、私は楽勝となる」「しかし、違法な票を数えて彼らが勝ちそうだ。これは、彼らが私から選挙の成果を盗むということだ」

問題は、「私の票は合法的な票」「私に反対する票は違法な票」という、トランプ流の思い込みと断定である。候補者は、有権者の審判を仰ぐ立場にある。その投票を、敵と味方に分類して、相手方の票を根拠なく軽々に「違法」と言ってはならない。もし、本気で「違法」と言うのであれば、それこそ丁寧に具体的な根拠を示さなければならないが、それは一切ない。

米メディアは、このトランプの発言を、「民主主義への攻撃だ」と批判しているという。この捉え方は見識である。同様の見方は、共和党内にもあり、根拠も示さないままに主張するトランプに対し、共和党政治家の批判もあるという。

トランプ氏に近いクリスティー前ニュージャージー州知事はABCの番組で、「証拠を何も聞いていない。情報を与えずに、炎上させるだけだ」と述べ、ロムニー上院議員も「すべての票を集計するのは民主主義の核心だ」とツイートしたという。

さらに問題は、トランプに煽られた支持者の言動にある。トランプ敗北が確定したミシガン州デトロイトの不穏な状況が報じられている。

「デトロイトのコンベンションセンター周辺には6日朝から約400人超のトランプ氏支持者が集結。「この選挙は不正だ」などと声を上げた。銃を持ち、防弾ベストを着て集会を見守っていたフィル・ロビンソンさん(43)は、地元ミリシア組織の一つの創設者。「選挙結果は冗談みたいなものだ。全米で不正が横行している。選挙をやり直すべきだ」と語気を強め、武器の所持については「あくまで自分や参加者を守るため。攻撃してくるのはいつも極左からだ」と話した。」(毎日・夕刊)

ミシガン州は、トランプと対立するウィットマー知事(民主党)の拉致を計画したとして、民間軍事組織ミリシアのメンバーら13人が訴追される事件も起きたところ。Ballot(投票)の結果を尊重しなければ、Bullet(弾丸)がものを言う社会に逆戻りとなる。かつては暴力そのものであった権力への逆行ではないか。

アメリカを今の事態に貶めたトランプの罪は深い。

「権力は、憲法に定められた『学問の自由』という印籠の下にひれ伏さなくちゃいけない」のだ。

(2020年11月6日)
我が国の首相は、我が国の言語で会話する能力があるのだろうか。政治家に不可欠なコミュニケーションの能力をもっているのだろうか。予算委員会の質疑を聞いていると、まことに心もとない。質問の意味が理解できないのではないか。

官僚起案のとおりに発語する以外の答弁ができない。質問と答弁が噛み合っているのかいないのか、おそらくはまったくわかっていない。まことに「壊れたレコード」そのものなのだ。のみならず、民主主義や人権の理念を欠いてもいるようだ。

この人は、学術会議に対する政府の人事介入問題を理解しているのだろうか。ことの重大性が理解されているだろうか。質問する野党議員との間に議論が成立しない。本当に必要な議論は、学問の自由や、学術会議の自律性・独立性、権力が学問の自由に踏み込むことの危険についての議論にまで到達しようがないのだ。

憲法の「学問の自由」の趣旨、学術会議法の法意、歴史的な意味、今回の事件の萎縮効果、その影響の射程距離…。理念的な議論がこの人と成立するとは思えない。これが一国の行政府の長なのかと思うと、情けなくもあり、恐ろしくもある。

しかも、応援団がよくない。自民党の長老格に伊吹文明という人がいる。元衆院議長、この人がスガ首相応援のつもりで、「学問の自由は水戸黄門の印籠なのか」と言ったことが話題になっている。学術会議問題で、スガに代わっての「反論」ということのようである。

報道では、首相の学術会議会員任命拒否について「学問の自由と言えば、何かみんな水戸黄門さんの印籠の下にひれ伏さなくちゃいけないのか」と疑問を呈したという。

舌足らずな発言だが、この人、「学問の自由」尊重の姿勢のないことを広言して恥じない人なのだ。つまりは、憲法尊重の姿勢のないことを自ら吹聴しているということだ。

憲法上の一つの理念が、別の理念と衝突して、どちらを優越するものと考えるべきか悩まざるを得ない局面はあり得る。そんなとき、一方の理念だけの肩をもつことは難しく、「水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくちゃいけないのか」という疑問が出てくる場合も考えられる。

しかし、今回の事態はまったく事情が異なる。6人の研究者の任命拒否が、「学問の自由」「学術会議の自治」の侵害であることは明々白々である。それを正当化する論理は考え難い。「学問の自由」「学術会議の自治」と拮抗する憲法上の理念や価値がおよそ想定しがたいからなのだ。正当化の論理は、スガの口から説明すらできていない。

こういうときは、まさしく、憲法こそが「水戸黄門の印籠」なのだ。「権力は、憲法に定められた「学問の自由」という印籠の下にひれ伏さなくちゃいけない」のだ。それが立憲主義である。それが法の支配というものだと言ってもよい。

実は、水戸黄門は御三家の一つ水戸家の隠居。葵の家紋の印籠は、徳川幕府の権力と権威の象徴なのだ。だから、伊吹議員の比喩は、ややトンチンカンではある。しかし、近代社会では、「憲法こそが、越後屋と結託した悪代官を懲らしめる印籠である」点では、正鵠を射たものと言ってもよい。

この場合、「越後屋」とは大資本であり、とりわけ軍需産業である。そして、悪代官とは、政治権力であり、とりわけアベスガの憲法ないがしろ政権のことである。軍需産業もアベスガ政権も、平和憲法を尊重しなければならない。

また、伊吹議員は、「一方的に政治的な問題に声明を出すとか、学術会議の肩書を持って政治的な発言をすることは自粛しないといけない」とも語り、学術会議が2017年に軍事研究に反対する声明を出したことなどを批判した、とも報じられている。批判を恐れてスガが口にできないホンネを代わりに語っている。

この文脈での「政治的な発言」とは、政権に批判的な発言という意味である。政権を批判する組織は人事で萎縮させろ、予算で締め上げろ、と言語能力に乏しい首相の肚の中を解説しているのだ。

しかし、スガも伊吹も大きく間違っている。権力にひれ伏す組織や人間ばかりでは、国家は間違うのだ。痛恨の経験から、我が国憲法と学術会議法は、わずか年間10億円の予算で、国家を再び誤らすことのないよう、自然科学・人文・社会科学の教えるところを聞こうというのだ。政権を批判するから怪しからんというのは、愚かこの上ない態度と知るべきである。

ウンザリさせられる「トランプ選挙」の中での、ちょっとホッとする話。

(2020年11月5日)
アメリカ大統領選が気になってならない。本日早朝に、朝日デジタルが未確定5州を残して、「バイデン264選挙人を獲得」「ペンシルベニア、ジョージア、ノースカロライナ、ネバダのどれか一つを獲得すれば過半数の270人に達する」「勝利に王手」と報道してから随分経つが、次の動きがない。最終的には、バイデン勝利となるのだろうが、トランプの「善戦」に背筋が寒い。

全米にトランプの嵐が吹き荒れている。非理性、非寛容の穏やかならざる嵐。アメリカだけでなく全世界にトランプ的な風が渦巻いている。その風の激しさは民主主義を薙ぎ倒さんばかり。ポスト・トゥルースという言葉を世界に流行らせたのがトランプだ。その反知性ぶり、あからさまにホンネを語って恥じない野蛮な姿勢に、全米の半数が喝采を送っているのだ。これは、驚くべき風景ではないか。

「トランプの嵐」は、トランプ一人では起こせない。これを熱狂的に支持する多くの人々があってこその激しい嵐。この社会には、人のたしなみを重んじる風潮があったはず。これをかなぐり捨てた、嘘とごまかし、相手陣営への罵倒、対立を煽る言動に人々が熱狂する図が恐怖を呼ぶ。

私が、物心ついて以来ごく最近まで、「進歩史観」が社会に浸透していたと思う。道は曲がりくねり、ジグザクも障碍もあれども、長い目で見れば社会は進歩する。民主主義や人権や平和、人の平等や友愛の関係は深まり堅固になっていくだろう、という人間信頼の社会観である。今、それが揺らいでいる。アメリカ、中国、ロシア、中東、そして日本。なんという指導者ばかり。そして、そんな指導者を支持する民衆のありかた。世は、むくつけきエゴの衝突の場でしかない。

思いたいのだ。共和党とは、決してトランプの私党ではなかろう。民主主義の理性に支えられた、矜持をもった共和党員もいるに違いない。言わば、「非トランプ流良心的共和党」が。

たまたま、ネットでそのような人の話を見つけた。COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)というメディアに、大要次のような話が掲載されている。トランプの言動にウンザリしていたところだが、これに、救われた思いである。誰よりも、トランプにこの話を聞かせたい。

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トランプ支持者がご近所のバイデン支持者をリスペクト ─ 「言論の自由」の尊さを息子に示した父

米ウィスコンシン州のワシントン郡、先月末、バイデン氏を支持するティム・プレースという男性の自宅の前に立てられていた看板が、何者かによって盗まれた。被害に遭ったプレースは、看板を再び立てられるようになるのだが、意外な人物の助けによってそれが実現した。

プレースに手を差し伸べたのは、ドナルド・トランプ氏を支持するジョシュ・シューマンという男性だった。シューマンは、選挙によって選ばれたワシントン郡の行政府の長だ。その彼が、言うならば敵対候補を支持する市民のために動いた理由は、民主主義国家で重んじられている言論の自由を守るため、そして政治という枠組みを超えた人間関係の尊さを子供たちに教えるためだった。

ある晩、12歳の息子からバイデン氏を支持している隣人宅の庭にあった看板が盗まれたことを聞いたシューマンは、16歳の長男も含め、共和党支持の一家に生まれた2人の息子たちにとっても良い学びの機会になると思い、行動を開始した。

彼は民主党の事務所を訪ね、バイデン氏、副大統領候補のカマラ・ハリス氏支持者用の看板をもらえるか聞いたという。民主党員かどうかを確認されたシューマンは、正直にトランプ支持者であることを明かした。当然ながら民主党関係者は目を丸くさせたが、事情を説明すると納得してもらえ、無事に看板の入手に成功。帰宅後、次男を車に乗せて看板盗難の被害に遭った隣人宅に向かい、ドアベルを鳴らした。

車中、シューマンは次男に言論の自由の大切さを説いた。たとえ支持する候補者が違っていても、恫喝、破壊行動、盗みなどで自分の主張を通すような真似はしてはならないと説明したという。

シューマンの突然の訪問に驚いたプレースだったが、彼の善意に感動した。そして、もしシューマン家が同じような被害に遭ったら、同様の形でサポートすると伝えた。(以下略)

初めて見た、亡父の軍歴。

(2020年11月4日)

明治政府はすべての国民を把握し管理するために「戸籍」を作った。国民の福祉のためではなく国民支配の道具として。その眼目は、「臣民の三大義務」とされた徴税と徴兵と義務教育実施を徹底するためにである。そして、徴兵された兵士については、各個人ごとに「兵籍簿」というものを作った。兵の移動や昇進を把握し、軍の編成のために不可欠なものとして。

「兵籍簿」には、旧陸海軍に軍人・軍属として徴兵された者についての、徴兵から召集解除(あるいは戦死)までの軍隊における記録が記載されている。現在、旧陸軍については本籍地の都道府県、海軍なら厚生労働省に問い合わせれば、その写の請求ができる。三親等以内の遺族が請求権者と定められている。

私の父は澤藤盛祐という。1914年1月1日に岩手縣和賀郡黒澤尻町に生まれ、この時代の人の避けがたい成り行きとして徴兵された。弘前聯隊に入営し、関東軍の兵士となって極寒のソ満国境、愛琿(アイグン)に駐屯している。幸い、一度の実戦の経験もなく帰還しているが、その遺族として「陸軍兵籍簿」というものの写を請求して、この度はじめて亡き父の軍歴を見た。

予想に反して、実に詳細な記述。なるほど、戦争をするということは、事務的にもたいへんなことなのだと実感する。手書きの文字が判読できないところも多少あるが、次のような軍歴が父の人生の一部である。天皇からどんなタバコをもらったのだろうか。いったいどんな味がしただろうか。もはや聞く術もないが、確かに、この国はかつて戦争をしたのだ。

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兵種 歩兵

本籍 岩手縣和賀郡黒澤尻町大字…

氏名 澤藤盛祐 大正参年壹月壹日生

出身別 幹部候補生(抹消)
    第二補充兵(抹消)
予備役  (抹消)

服役区分 現役  昭和十四年八月一日
     予備役 昭和十五年六月三十日
     第二補充兵役 昭和九年十二月一日

位階 勲等功級  (記載なし)

特業及特有ノ技能  小

官等級  昭和一四・五・三  歩兵二等兵
     昭和一四・八・一  歩兵一等兵
昭和一四・一〇・一 歩兵上等兵(乙幹)

昭和一五・二・一  歩兵伍長(乙幹)
     昭和一五・五・一  歩兵軍曹(乙幹)
昭和一五・六・三〇 歩兵軍曹
 同 一五・九・一五 軍曹(勅令第五百八十號ニ依リ)

賞典  昭和一七年一月二十七日

    天皇・皇后両陛下ヨリ特別ノ思召ヲ以テ御莨ヲ賜フ

履歴  高等小学校卒業(抹消)
    昭和五年三月九日黒澤尻中学校卒業。
    昭和五年三月九日同校ニ於テ配属将校ノ行フ教練検定ニ合格。
    昭和九年  一二月一日第二補充兵××(2字判読不能)ス。
    昭和十四年 五月三日臨時招集ノタメ
          歩兵第三十一聯隊留守隊ニ應召。
          同日第七中隊編入。
          八月一日幹部候補生ニ採用ス。
          八月八日第四中隊ニ編入。
          九月二十日歩兵乙種幹部候補生ヲ命ズ。
          十月一日歩兵上等兵ノ階級ニ進ム。
          十二月一日第七中隊ニ編入。
   昭和十五年 二月一日歩兵伍長ノ階級ニ進メラル。
         五月一日軍曹ノ階級ニ進メラル。
         六月三十日昭和一五年陸支密第五九五號
         ニ依リ満期除隊。
         同月同日任歩兵軍曹 
         六月一日臨時招集ノタメ歩兵第三一聯隊
         留守隊ニ応召入隊。
         同日第七中隊附。
         軍令乙第二十二號ニ依リ七月十日
         軍備改変編成下令。
         八月七日歩兵第五十二聯隊第九中隊附。
         同月二十七日編成完結

   昭和十六年 七月十七日臨時編成(甲)下令。
         同年七月二十九日歩兵第五十二聯隊第九中隊附。
         八月六日編成(甲)完結。
         八月十三日弘前出発。
         八月十六日大阪港出帆。
         八月十九日釜山港上陸。
         八月二十三日朝鮮国境通過。
         同日関東軍司令官の隷下ニ入ル。
         八月二十五日黒河省愛琿着。
         同日ヨリ同地警備。
         同年九月三十日給三等給。
         十二月八日ヨリ引続き同地国境警備。

   昭和十七年 三月五日軍令陸甲第十八号ニ依リ編成改正下令。
         六月七日編成(甲)完結。
         七月一日陸達第四十二号ニヨリ給二等給。
         十一月三日内地帰還ノタメ愛琿出発。
         同日愛琿縣境を通過。
         同日国境警備勤務を離ル。
         十一月六日鮮満国境通過。
         同月九日釜山港出帆。
         同日下関上陸同月十二日弘前着。
         同日第五十二聯隊補充隊第九中隊ニ臨時配属。
         昭和十五年陸支機密第二五四号及ビ
         八月二十一日弘動第一二四五号ニ依リ
         十一月十八日召集解除。

   昭和十九年 昭和十九年六月二十九日動員下令。
         七月十一日充員招集歩兵第百二十一聯隊ニ応召。
         同日歩兵第五十二聯隊連隊本部附。
         七月十五日動員完結。同日第一中隊附。
         八月十五日第十三国境守備隊補充要員引率官
         トシテ弘前出発。
         同月十八日下関港出帆。同日釜山上陸。
         同月二十日鮮満国境(安東)通過。
         同月二十三日愛琿縣境通過。
         同日愛琿県詰別拉着。同月二十五日詰別拉出発。
         同月二十六日愛琿縣境通過。
         同月二十八日鮮満国境(安東)通過。
         同月三十日釜山港出帆。同日下関港上陸。
         九月三日弘前着。
         十二月一日任陸軍曹長。
         十二月八日連隊本部附。

   昭和二十年 軍令陸甲第三十四號ニ據リ
         昭和二十年二月二十八日臨時動員(復員)下令。
         同年四月三日歩兵第四百六十聯隊に轉属。
         同月同日連隊本部附。五月十日動員完結。
         同月十三日移駐ノタメ弘前出發。
         同月十四日青森縣上北郡藤坂村着。
         六月一日給三等給。
         昭和二十年八月十八日
         軍令陸甲第一一六號ニ依リ九月十二日召集解除。

憲法公布記念日に、「学問の自由」条項を噛みしめる。

(2020年11月3日)
11月3日、憲法公布記念日。1946年11月3日に日本国憲法は公布され、6か月を経た翌47年5月3日が憲法施行の記念日となった。74年目の記念日に、思いがけなくも学問の自由を保障した憲法23条が注目されている。

私の手許に、「はじめて学ぶ日本国憲法」(2005年3月1日)がある。スガ政権によって、学術会議会員に推薦を受けながら任命を拒否された小澤隆一さん(慈恵医科大学教授)の著作。題名ほどには読み易い書物ではない。憲法条文の解説書ではなく、「憲法を学ぶことを、社会科学を学ぶことのなかに自覚的に位置づけようという」試みとしての体系書なのだ。なるほど、政権におもねる姿勢はいささかもない。忖度期待の輩には、耳が痛い内容。

その第2章「日本・日本人と憲法ー明治憲法を通じて考える」「5. 明治憲法体制の崩壊」という項がある。その一部を紹介させていただく。

(1)天皇制のファシズム化と天皇機関説事件
……1932年5月15日、犬養毅(1855-1932年)首相が海軍の青年将校らに暗殺され(5・15事件)、いわゆる政党内閣の時代が幕を閉じます。その前年には、満州事変が始まり、日本は急速に軍事体制を固めていきました。すなわち、対外的には侵略体制を強めると同時に、国内では、強権的な戦時動員体制が、思想や言論統制、弾圧もまじえながら構築されていきました。…

 1930年代から敗戦にいたる日本の政治体制を、「天皇制ファシズム」と呼ぶことがあります。…こうした「天皇制フアシズム」の特徴を象徴的に示す事件として、1935年の天皇機関説事件があります。この事件は、それ以前の時代に支配的な憲法学説であった美濃部達吉の天皇機関説が、議会での糾弾と「国体明徴決議」、在郷軍人会などが主体となった「国体明徴運動」、政府による「国体明徴声明」などを通じて排撃され、美濃部は、最終的に大学で機関説の講義ができず、著書を絶版にするところまで追い込まれます。
 1937年に文部省が編纂し、全国の学校に配布したパンフレツト「国体の本義」では、明治憲法によれば、「天皇は統治権の主体である」こと、その根本原則は「天皇の御親政である」こと、三権の分立は「統治権の分立ではなくして、親政輔翼機関の分立に過ぎ」ないことなどをうたっており、天皇機関説は、「西洋国家学説の無批判(な)踏襲」として完全に否定されました。

(2) 総動員体制と敗戦
 日本の戦争は、中国大陸への侵略から、アメリカ・イギリスなどとの東南アジア・太平洋を舞台としたものへと展開していきます。そうしたなかで、政治、経済、社会、文化のすべてを戦争に動員する「総力戦体制」がしかれ、憲法にもとづく統治は、いっそう破壊されていきます。1938年には、「国家総動員法」が制定され、国民の経済、生活が政府の一元的統制の下に置かれ、統制に関する権限は政府に白紙委任されます。1940年には、当時の議会内政党が解散し大政翼賛会に合流します。また翌年に、治安維持法が改正され(処罰対象の拡大、予防拘禁制度の新設など)、政治弾圧法規としての機能が強化されました。
 このようにして、日本が、1941年にアメリカやイギリスなどとの戦争を開始する頃には、明治憲法体制は、その立憲主義的要素はほとんど残さないような状態にまでなっていました。明治憲法の体制が最終的に崩壊するのは、敗戦を待つことになりますが、「政治を規律する法」という憲法本来の役割を、明治憲法は、すでに敗戦以前に失っていたといえるでしょう。

 戦前の天皇制政府による学問の自由弾圧が戦争準備と一体であったことを簡潔に解説したものである。天皇機関説事件に代表される歴史的体験が、戦後の制憲国会において憲法23条「学問の自由は、これを保障する」に結実した。この著作を上梓した当時、小澤さんご自身が美濃部と同じ立場に立つことになるとは夢にも思わなかったに違いない。その意味では、今、非常に危険な時代を迎えていることを、74年後の憲法公布記念日に噛みしめなければならない。

しかし、学者もいろいろだ。『御用』と冠を付けた「学者」も、一人前に発言の場が与えられている。NHK(デジタル)が「【学術会議】憲法専門の百地氏『首相の任命権 自由裁量ある』」と掲載している(10月29日 21時08分)。

「日本学術会議」の会員候補6人が任命されなかったことについて、憲法が専門の百地章国士舘大学特任教授は、「総理大臣の任命権は、ある程度の自由裁量はある」などと述べ、政府の対応に理解を示しました。

この中で、百地特任教授は、「私は結論的には任命拒否はあり得ると考えている。菅総理大臣はいろいろなバランスとか総合的に考えたと言っており、総理大臣の任命権は、学術会議の推薦に拘束されるものではなく、ある程度の自由裁量はある。法律の解釈は変わらない。運用で少し変化が出たと私は理解している」と述べ、政府の対応に理解を示しました。

その上で百地氏は、「学術会議そのものにも問題があるようだと考える人たちも増えている。本来のあり方に持っていこうということで、改革の動きが出てきているのは当然ではないか」と述べました。

また、百地氏は、「学問の自由を侵し、萎縮を招く」といった批判が野党などから出ていることについて、「私から言わせるとナンセンスだ。学術会議の会員になれなかったからと言って、学問の自由は侵害されないのではないか」と述べました。

以上の叙述に強烈な違和感を禁じえないが、とりわけ、「『学問の自由を侵し、萎縮を招く』といった批判が野党などから出ていることについて、『私から言わせるとナンセンス』」は、法を学んだ人の言ではない。少なくも、法の神髄を知らず、法を社会科学として把握する姿勢に欠け、法の歴史も法の機能も法常識の弁えもなく、ひたすらに権力へのへつらいに徹した人の言でしかない。

NHKは、いったいどんな思惑あって、こんなコメンテーターを取りあげたのだろうか。社会は、74年前に公布された憲法が想定しているようには動いていない。時代は危ういといわなければならない。

喜ばしや、2度までの維新の目論見の蹉跌。

(2020年11月2日)
昨日(11月1日)投開票の「大阪市廃止」住民投票。1万7000票余の僅差ではあったが否決された。欣快の至りというしかない。

それにしても、仕掛ける側が「絶対に勝てる」という確信があっての住民投票実施である。維新は、このタイミングなら絶対勝てるとの判断で賭に出た…はず。5年前の投票では1万票差の否決だった。今回は、公明党を賛成派に抱き込んでの再提案。必ず勝てると思い上がっていたに違いない。それでも負けたのだ。この衝撃と影響は前回にもまして大きい。

「大阪都構想」は、維新にとっては「1丁目1番地の看板政策」である。それに固執して2度までも負けたのだ。一説では100億円という府・市の予算を投じ、コロナ対策そっちのけでの住民投票対策。住民を敵味方に2分しての宣伝戦は、大山鳴動したのみでネズミ一匹出てこなかった。当然のことながら、維新のこの責任は大きい。

維新の打撃について、時事はこう報じている。

「大阪都構想」が1日、否決された。実現を目指した日本維新の会にとって打撃だ。看板政策が地元の理解を得られず、次期衆院選で狙う全国展開の推進力を失った形で、今後は国政で厳しい立場に立たされそうだ。松井一郎代表(大阪市長)は否決を受け、市長の任期満了後の政界引退を表明。将来的に党が維持されるかも見通せない。

また、政治状況に影響が大きい。維新とは、与党でも野党でもない「ゆ党」だと揶揄される立ち位置。その実態は政権の補完勢力である。いざというときに政権に自らの存在を高く売りこもうという意味での改憲別働隊でもある。こんな輩に勢いづかせてはならない。

ところで、「15年の住民投票に続く2度目の否決で、維新代表の松井一郎大阪市長は23年4月の市長任期満了での政界引退を表明した」と報じられている。意味不明というしかない。任期満了までの在職継続宣言が、どうしてケジメをつけることになるのか、責任を取ることになるのか理解しかねる。

自分に市長としての適格性のないことを自覚したからこそのケジメではないか。重要政策に市民の信頼を得られなかったことに関する責任を取ろうということでもある。速やかに職を辞するのがスジというものであろう。なにゆえ、あと2年半も、のうのうと市長として録を食むと言えるのだろうか。

10月26日に、「大阪市廃止なら年間218億円分の財政コスト増」との試算をメディアに提供した大阪市の財政局長は、事態をどう見ているだろうか。速やかに市長が引責辞任してくれれば今後の軋轢は防げるのだが、あと2年半もの市長在任となれば、その間戦々恐々と報復を恐れなければならない。

また、大阪維新の会の代表代行を務めるという、大阪府知事の吉村洋文である。敗北後の記者会見で、「進退についてだが、今回、1丁目1番地の都構想が否決された。重く受け止め、僕自身が都構想について再挑戦することはない」と述べたという。重くは受け止めたが、責任を取ることまでは考えていないというわけだ。この姿勢もいただけない。

ところで、前回5年前の敗北と同様、確実に維新の存在感に陰りが生じることになる。次の衆院選戦略にも影響を与えるとの観測記事が多い。松井と菅とが親しいことは知られており、「次期衆院選で自民、公明両党の議席が減った場合は「自公維政権を作ればいい」(自民関係者)との声もあるほど」(毎日)だという。ここでの松井のレームダック化は、首相の政権運営に影響を及ぼしそうだ。それ故に、昨日の住民投票の結果が「欣快の至り」なのだ。

なお、偶然なのか必然なのかはわからないが、昨日今日の大阪府と東京都とのコロナ感染者数の比較は以下のとおりである。人口比から見て、大阪の感染蔓延は相当なものだ。

11月 1日 大阪 123人  東京 116人
11月 2日 大阪  74人  東京  87人

大阪都構想などにかまけている余裕なんぞははなかったのだ。

ドイツ語クラスの学生が唱った「国歌」

(2020年11月1日)
私は時代の子である。戦後民主主義という時代の嫡子であったと思う。特定の誰かから思想的な影響を受けた覚えはなく、ごく自然に、自由や平等、反権力・反権威の姿勢を身につけた。そういう自分を意識したのは学生時代、昔々の駒場のキャンパスにおいてのことだった。

1963年に私は東京大学に入学した。1・2年生は、全員が駒場の教養学部キャンパスで授業を受ける。文科は?(法学部進学コース)類・?(経済学部)類・?(文学部・教育学部)類に分かれ、さらに第2外国語の科目でクラス編成をされた。

語学のクラスは、A(ドイツ語既習)、B(ドイツ語未習)、C(フランス語既修)、D(フランス語未修)、E(中国語)に分類されていた。当時、スペイン語もロシア語もなかった。当然のことながら、圧倒的にBとDのクラスか多人数で各類毎に複数のクラスが編成された。これに対して、A、C、Eは少数で、?・?・?類をまたぐ形で各1クラス編成となっていた。私は、中国語のEクラスに属して、たいへん居心地がよかった。

授業が始まって間もない頃、誰が企画したか、A、C、Eの少数派で合同の懇親会をもったことがある。A(ドイツ語)、C(フランス語)、E(中国語)、各語学を選んだそれぞれの学生の個性が見えて面白かったという記憶がある。

そのとき、各グループで何か演し物をという話になり、まずEクラスの私たちが、中国語で「中国国歌」を歌った。あの、勇壮な「立て、奴隷となるな人民」という歌い出しの「義勇軍進行曲」である。抗日戦争のさなかにできた抵抗の歌。

Eクラスは、伝統的に、各年次の連携が密だった。授業が始まる前に、キャンパス内の同窓会館で2年生の世話でオリエンテーション合宿があり、この歌の歌詞や曲はその合宿で覚えたものだった。当時、国交のない中国だったが、その国の国歌を歌うことに何の抵抗感もなかった。

続いて、C(フランス語)クラスが、フランス国歌「ラマルセイエーズ」をフランス語で歌った。これも、義勇軍の歌だ。この歌を口にすることに、何の抵抗もあろうはずもない。

最後に、A(ドイツ語)クラスが、多少の協議の時間があって「ボクたちも国歌を歌います」と、立ち上がった。ドイツといえば西ドイツのことだろうが、その国歌は知らない。いったいどんな曲かと聞き耳を立てたら…、彼らは厳かに「キミガァーヨォワ…」と唱い始めた。真面目くさっての君が代斉唱の一くさり。満場大爆笑で、これが当日のハイライト。一番ウケた演し物となった。

随分昔のことだが、なぜ、みんなあんなに笑ったろう。あんなにウケたろう。当時の学生にとって、君が代は、大学や学生生活に、あまりにも不釣り合いで、表に出てくるものではなかったのだ。そんなものが突然出てきた意外性が、洒落にもなり、ユーモアとも感じられたのだ。少しでも、君が代を神聖な歌とする雰囲気があれば、爆笑にはならなかっただろう。何の存在感もない、何の肯定的評価もありえない「君が代」であればこそ、真面目くさって唱ってみせることが、その落差ゆえに爆笑を誘った。

中国国歌、フランス国歌は、真面目に歌い聞く雰囲気。「君が代」は不真面目にしか唱いようがなかったということなのだ。それが、当たり前の時代だった。

さて、今、あの頃の気持ちで「起来! 不愿做奴隶的人?!」「前?! 前?! ?!」と唱う気持には到底なれない。あの頃の仲間が集まっても唱うことはないだろう。洒落にもならない。もちろん、「君が代」も同様である。

いま、国旗・国歌(日の丸・君が代)を強制される都立校の教員の訴訟を担当して、17年に及ぶ。唱いたくない歌を、むりやりに唱えと命令される不条理をあらためて噛みしめる。

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