(2020年12月21日)
「『桜を見る会』を追及する法律家の会」の結成が本年2月。その「会」が、本日(12月21日)安倍晋三前首相に対する第2次告発状を東京地検特捜部に提出した。
「会」は、安倍晋三による国政私物化の象徴としての『桜を見る会』を刑事的に追及することを目的とし、その前夜祭の収支における意図的なゴマカシを東京地検に告発している。本年5月21日に《安倍晋三》と《その後援会代表である公設第1秘書》、《会計責任者》の3名を、政治資金規正法違反(政治資金収支報告書不記載)と、公職選挙法違反(有権者に対する寄付)の被疑事実を告発した。これが、第1次告発である。
同日の告発状提出者は622人に及んだが、さらにその後の追加賛同者を得て、現在の第1次告発状提出者の人数は980人に達している。
国政を私物化し、政治倫理を崩壊させた安倍晋三の罪は重い。しかし、政治資金規正法違反や公職選挙法の寄付などの構造は、政治家安倍本人ではなく、秘書や会計責任者の責任を主たるものとして組み立てられている。だから、政治家安倍晋三は、「自分は何も知らない」「問題があるとすれば、秘書の責任」「あるいは、会計責任者だろう」と言って、逃れようとする。
報道によれば、「秘書だけ立件して略式で済ませ」「安倍晋三は不起訴処分」というのが、特捜の方針だという。それを、防止するための急遽の第2次告発である。
私の見解では、「第2次告発」のポイントは、晋和会代表者・安倍晋三の責任を政治資金規正法25条2項で問うところにこそある。
★ 安倍晋三の「知らぬ存ぜぬ」「秘書が…」は法25条2項については通じない。
★ 《会計責任者の法25条1項の罪が成立》≒《代表者安倍の同2項の罪も成立》
★ 安倍の25条2項の罰金刑が確定すれば、公民権停止となり、議員失職となる。
★ だから検察は、安倍に対する捜査を徹底しなければならない。
※報道によれば、「桜・前夜祭」の会場となったホテル側からの領収証の宛先は、安倍晋三の政治資金管理団体である「晋和会」であったという。つまりは、「補填資金」の出所は「晋和会」だったことになる。しかし、晋和会の政治資金収支報告書に前夜祭の収支についての記載はない。
※とすれば、まず、晋和会の会計責任者(西山)の不記載罪(法25条1項)が問われねばならない。これを免責する理由は見あたらない。
*25条1項「(政治団体の会計責任者が)政治資金収支報告書の提出をしなかつた場合に最高刑禁錮5年」
※同時に、晋和会の代表者である安倍晋三の刑事責任も免れない。
*25条2項「前項の場合において、政治団体の代表者(安倍晋三)が当該政治団体(晋和会)の会計責任者の選任及び監督について相当の注意を怠つたときは、50万円以下の罰金に処する」
つまり、安倍晋三が収支の不記載について「知らぬ、存ぜぬ」「秘書の責任」を押し通して、25条1項の罪責を会計責任者だけに押し付け、最高刑禁錮5年の罪責を免れたとしても、「会計責任者の選任及び監督について相当の注意を怠つたとき」には処罰され、罰金を科せられることになる。
※問題は、「会計責任者の《選任》及び《監督》について政治家に要求される相当の注意」の水準である。会計責任者の不記載罪が成立した場合には、当然に過失の存在が推定されなければならない。資金管理団体を主宰する政治家が自らの政治資金の正確な収支報告書の作成に、常に注意し責任をもつべきは当然だからである。
被告発人安倍において、十分な措置をとったにもかかわらず会計責任者の不記載を虚偽記載を防止できなかったという特殊な事情のない限り、会計責任者の犯罪成立があれば直ちにその選任監督の刑事責任も生じるものと考えるべきである。
とりわけ、被告発人安倍晋三は、当時内閣総理大臣として行政府のトップにあって、行政全般の法令遵守に責任をもつべき立場にあった。自らが代表を務める資金管理団体の法令遵守についても厳格な態度を貫くべき責任を負わねばならない。
※25条2項の法定刑は、最高罰金50万円に過ぎないが、被告発人安倍晋三が起訴されて有罪となり罰金刑が確定した場合には、政治資金規正法第28条第1項によって、その裁判確定の日から原則5年間公民権(公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権)を失う。その結果、安倍晋三は公職選挙法99条の規定に基づき、衆議院議員としての地位を失う。
*政治資金規正法第28条第1項「第23条から第26条の5まで及び前条第2項の罪を犯し罰金の刑に処せられた者は、その裁判が確定した日から5年間公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権を有しない。」
*公職選挙法99条「当選人は、その選挙の期日後において被選挙権を有しなくなつたときは、当選を失う。」
※この結果は、法が当然に想定するところである。いかなる立場の政治家であろうとも、厳正な法の執行を甘受せざるを得ない。本件告発に、特別の政治的な配慮が絡んではならない。臆するところなく、検察は厳正な捜査を遂げるべきである。**************************************************************************
告 発 状 (第2次・抜粋)
被告発人
住所 山ロ県下関市上田中町…
氏名 安倍晋三
職業 衆議院議員・晋和会代表者
住所 山ロ県下関市東大和町…
氏名 配川博之
職業 安倍晋三後援会代表者・同前会計責任者
住所 山口県下関市東大和町…
氏名 阿立豊彦
職業 安倍音三後後会会計責任者
住所 千代田区永田町 衆議院第一議員会館1212号室 晋和会事務所
氏名 西山 猛
職業 晋和会会計責任者
告発の趣旨
1 被告発人安倍音三、被告発人配川博之、被告発人阿立豊彦及び被告発人西山猛の後記第1の1ないし5及び第2の1ないし5の所為は、刑法60条、政治資金規正法第25条1項2号、同法12条1項1号ホ及び同2号に該当する。
2 被告発人安倍音三の後記第3の所為は、政治資金規正法第25条2項、同条1項、同法12条1項1号ホ及び同2号に該当する。
3 被告発人安倍音三の後記第4の所為は、政治資金規E法第27条2項、同法25条1項、同法12条1項1号ホ及び同2号に該当する。
4 被告発人安倍晋三及び被告発人配川博之の後記第5の1および2の所為は、刑法60条、公職選挙法249条の5第1項及び同法199条の5第1項に該当する。
よって、上記の被告発人らにつき、厳重な処罰を求め、告発する。
告発の事実
第1 (略)
第2 (略)
第3 被告発人安倍は、晋和会の代表者であるが、政治資金規正法第12条1項により山口県選挙管理委員会を経由して総務大臣に提出すべき後援会の収支報告書につき、上記第2の3ないし5の所為について仮に故意がなかったとしても、晋和会の会計責任者である被告発人西山の選出及び監督につき相当の注意を怠った。
告発に至る経緯
1 2020(令和2)年5月21日、法律家621人が、2018(平成30)年4月20日同催された「安倍音三後援会桜を見る会前夜祭」に関して、被告発人安倍、被告発人阿立及び被告発人配川を政治資金咀正法第25条1項2号(収支報告書不記載)の罪で、また被告発人安倍及び被告発人配川を公職選挙法249条の5第1項(寄附)の罪で東京地検に告発し、大きく報道された。その後も、同じ内容の告発は続き、告発人は現在、980人に達している(第1次告発)。
2 しかるに東京地検特捜部は、いまだに上記告発人らに対し、捜査の進捗状況を明らかにしないばかりか、再三の問合せに対しても、告発を受理したかどうかすら、「捜査に関わることはお答えできない」などとして明らかにしない。極めて不当かつ不誠実な対応であり、強く抗議する。
3 同年11月23日、読売新聞が、「『桜を見る会』の前夜祭を巡り、安倍氏らに対して政治資金規正法違反容疑などでの告発状が出されていた問題で、東京地検特捜部が安倍氏の公設第1秘書らから任意で事情聴取していた」、「前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していた」と報道したのを皮切りに、報道機関各社が独自取材に基づき、捜査内容を報道し始めた。
これまでの報道によれば、収支報告書不記載の罪で時効にかからない2015(平成27)年4月から2019(平成31)年4月まで5回開催された前夜祭において、参加者らから徴収する1人5000円の参加費ではホテルへの支払額に足りず、差額分を被告発人安倍の政治資金団体晋和会がホテルに対し現金で支払っていたとのことであり、毎年の参加費及び補填額も明らかにされている。ホテルからは晋和会宛ての領収証が発行されていたが、被告発人安倍側はこれら領収証を廃棄していたということである。
また、ホテル側はつねに前夜祭の明細書を作成し、後援会に渡していたということである。
被告発人安倍は、国会において、「会費はホテル側が設定した。安倍事務所の職員が会場入り口で会費を受け取り、その場でホテル側に現金を渡した」、「後援会に収入支出は一切なく、政治資金規正法への記載は必要ない」、「ホテルからの明細書も見積書もない」と再三答弁してきたが、こうした答弁が客観的に虚偽だったことが明白になった。
4 現在、報道によれば、検察は、公設第1秘書及び事務担当者の収支報告書不記載につき政治資金規正法違反により略式起訴をして罰金刑とし、被告発人安倍については「事情聴取」の上、年内に不起訴処分とする予定であるとされている。
しかし、本件は、7年8か月にわたり内閣総理大臣の地位にあった披告発人安倍の後後会や資金管理団体が犯し続けてきた犯罪であり、しかも国会で虚偽答弁を重ね続けたこと、国会での追及後である2020(令和2)年5月に提出した2019(令和1)年分の収支報告書にもあえて収支を不記載としたことなど、悪質かつ重大な犯罪であり、決して秘書だけの処罰、略式請求により犯罪の全容が国民に公同されない処理で済ませるべき事業ではない。
また、捜査の過程で、後援会だけでなく、被告発人安倍が代表者となっている政治資金団体晋和会から資金が拠出されたことが明白になったにもかかわらず、晋和会の収支不記載についての被疑事実がいっこうに報道されないこと、第一次告発で指摘した後援会員らに対する寄附行為についても捜査が及んでいる様子がうかがわれないことも、不可解であり、問題である。
5 私たちは、12月1日、東京地検特捜部に対し、徹底した捜査と真相解明を尽くし、略式起訴で終わらせず正式起訴をせよとの要請書を提出し、同月8田こは東京地検特技知に対し再度の要請書を提出するとともに、東京簡易裁判所裁判官に対し、仮に略式請求がなされても事案の重大陸に鑑み正式裁判をせよとの要請書を提出したが、東京地検特捜部はこれらの要請を受け止めることなく、年内に捜査の幕を引くことを公言している。
6 そこで、私たちは、安易な事件終結を許さないため、このたび改めて、2015(平成27)年4月から2019(平成31)年4月まで5回開催された前夜祭に関する2016(平成28)年5月から2020(令和2)年5月まで5回提出された、後援会及び晋和会の収支報告書の不記載による政治資金規正法違反の犯罪と、2018(平成30)年4月および2019(平成31)年4月の前夜祭における後援会員らに対する寄附による公職選挙法違反の犯罪について、被告発人安倍らを告発するものである。
告発対象を過去5年内ないし3年内の行為に限定したのは、公訴時効の関係であって、これら犯罪は2013(平成25)年4月の第1回目の前夜祭から7年7回にわたって行われてきたことを重く受け止めるべきである。
告発事実のポイント
(略)
4 被告発人安倍の悪質性
一少なくとも2019(令和1)年分の収支報告書不記載には「故意」がある
前述のとおり、被告発人安倍は、国会において、「会費はホテル側が設定した。安倍事務所の職員が会場入りロで会費を受け取り、その場でホテル側に現金を渡した」、「後後会に収入支出は一切なく、政治資金規正法への記載は必要ない」、「ホテルからの明細書も見積書もない」などと再三答弁してきたが、こうした答弁が客観釣に虚偽だったことが明白になった。
被告発人安倍は、国会においても、また補填が明らかになった現在に至っても、「自分は知らなかった」、「秘書が自分に隠していた」として、秘書に責任を押し付け、自らに故意はなかったと供述して逃げ切ろうとしているようである。
しかしながら、そもそも「安倍事務所」の実質的代表者である被告発人安倍が、自らの政治団体の金の流れや収支報告書の内容について、「知らない」ことはあり得ない。
2013(平成25)年4月に初めて開催した前夜祭については、同年5月10日、晋和会が補填分82万9394円を株式会社パノラマ・ホテルズ・ワン(ANAインターコンチネンタルホテルの運用会社)宛てに支払い、2014(平成26)年5月に提出された晋和会の収支報告書には、上記支出を「会合費」として記載している。あえて契約主体である後援会ではなく晋和会が支出し、しかもわかりにくい「会合費」として記載したこと自体、補填を隠す意図が明白である。ところが、翌2015(平成27)年5月に提出した収支報告書以降ほ、支出を記載すること自体をやめている。これは、小渕優子衆議院議員の関連政治団体の収支報告書不記載が発覚し、同議員が閣僚辞任に追い込まれたことの影響ではないかと報道されている。こうした「安倍事務所」ぐるみの隠蔽工作について、被告発人安倍が全く知らなかったことがあり得るとは思われない。
少なくとも、「桜を見る会」や「前夜祭」が国会で厳しく追及された2019(令和1)年11月以降、被告発人安倍が、真実はどうなのかと改めて真剣に把握しないはずがない。被告発人安倍は、その上で、意図的に虚偽答弁を重ねて追及から逃げ切ろうとしてきたのであり、極めて悪質である。
確実に言えることは、2019(令和1)年分の収支報告書を作成提出した時期は、2020(令和2)年5月、つまり上記の国会での厳しい追及の後だったということである。新たに2019(令和1)年分の収支報告書を作成するにあたり、被告発人安倍は、収支の不記載が犯罪となることを明確に認識しており、2019(平成31)年4月の前夜祭での参加者から徴収した会費額やホテルの請求額を確認することは容易にできたにもかかわらず、あえて収支を記載しなかったのであって、このことは、被告発人安倍に明確な犯罪の「故意」があったことに他ならない。
5 告発事実第3(会計責任者の選任監督につき相当の注意を怠った)
この罪は、第一次告発の対象とはしなかったものであるが、政治資金規正法第25条2項は、政治団体の会計責任者が収支報告書に収支を記載しなかった(同条1項)場合、「政治団体の代表者が当該政治団体の会計責任者の選任及び監督について相当の注意を怠ったときは、50万円以下の罰金に処する」と定めている。
被告発人安倍は、晋和会の代表者である。
万一、被告発人安倍に晋和会の収支報告書の不記載につき故意が認められなかった場合でも、政治資金団体である晋和会の会計責任者である披告発人西山の「選任及び監督について相当の注意を怠った」と言えるであろう。
晋和会の事務所は衆議院第1議員会館の被告発人安倍の事務所1212号室にあり、報道によれば、ホテル側は上記事務所に集金に行き、その部屋にある金庫から被告発人西山が補填分を現金で出金し、ホテル側こ手渡して領収証を受領したということである。被告発人安倍の本拠地である議員事務所に常駐する秘書が、政治資金を後後会の宴会の補填費用として出金し、通常であれば口座に記録を残すところを、あえて現金払いにして隠蔽工作を行っていたのである。百歩譲って、安倍が収支報告書不記載について「知らなかった」としても、このようなことをする人物を会計担当者として選任し、なおかつ監督を怠ったことにつき、被告発人安倍は責任を免れることはできない。
ちなみに被告発人西山は、2020(令和2)年2月4日、首相官邸付近の路上で、くわえ煙草で放尿し、麹町警察署に連行され始末書処分を受けている。
(2020年12月20日)
冬晴れの日曜日。澄みきった空の色が格別。不忍池には薄氷が張っていた。枯れた蓮の隙間を縫って、オオバンの動きが速い。池の周りは、桜や銀杏の落葉が美しい。今日は、目に入るものものがみな美しい。その景色の中で、たった一つ美しからざるものがアパホテル。経営者の歴史修正主義の醜態が建物の美観を損ね、風景をも害している。これさえなければ、ここは散歩者の楽園である。
アパホテル たえてこの地になかりせば 上野の風情はのどけからまし
ネットニュースを配信している「リテラ」が、《経済界「極右&ヘイト」ミシュラン発表!》という記事を載せたことがある。極右度と、影響度を★で表している。今も、たいして変わらないだろう。
《極右度》星五つと四つは、以下の企業である。
●アパホテル(アパグループ)
極右度 ★★★★★
影響度 ★★★
●DHC
極右度 ★★★★★
影響度 ★★★
●高須クリニック
極右度 ★★★★★
影響度 ?
●出光興産
極右度 ★★★★★
影響度 ★★
●JR東海
極右度 ★★★★
影響度 ★★★★★
●フジ住宅
極右度 ★★★★
影響度 ★★
●アリさんマークの引越社
極右度 ★★★★
影響度 ★
やはり、目立つのは、「アパホテル」「DHC」「高須クリニック」の御三家だろう。「アパホテル」と「DHC」の極右ぶりについては、当ブログで随分書いてきたから繰り返さない。高須クリニック(高須克弥)については、十分には書いて来なかった。あらためて、リテラから引用させていただく。
●高須クリニック
ネトウヨを自認する院長の暴走がとまらない! ホロコーストの否定まで
高須クリニックは「企業」という感じでもないが、院長の高須克弥氏の問題発言の連発ぶりを見ていると、やはりリストアップしておく必要があるだろう。
熱烈な安倍政権の支持者である高須院長は、一昨年の安保法制の際もツイッターで〈平和ボケの若者を悲しく思います!〉と反対デモやSEALDsを攻撃し、韓国や中国に対しても「竹島くらい日本が制圧しちゃえばいいんだよ」「韓国の海軍なんてたいしたことないでしょ。自衛隊が本気を出せば制圧できる」「尖閣の上空を侵犯している中国の無人機だったら、警告をした上で撃ち落としてもいいじゃないの?」(「NEWSポストセブン」)と、タカ派丸出し。挙句の果てに、ナチスの賛美まで飛び出した。
〈ヒトラーは無私の人。ドイツ国民が選んで指示してた。ドイツそのもの。都合の悪いことは全部ヒトラーとナチスのせいにして逃げたドイツ国民はズルい!〉(原文ママ)
〈ドイツのキール大学で僕にナチスの偉大さを教えて下さった黒木名誉教授にお会いした。励まして下さった!嬉しい なう〉
〈ナチスはがんばる女性の支援に積極的でした。スポーツも振興してました。僕は変わってません〉
〈ナチスが消滅してもナチスの科学は不滅〉
〈南京もアウシュビッツも捏造だと思う〉
さて、今回のDHCの差別発言について、本日(12月20日)のリテラ記事が、厳しく断罪している。その矛先は、日本マスコミに向けられている。
「DHC吉田会長の韓国差別コメント問題をなぜテレビは取り上げないのか? 広告料くれればレイシストまでもちあげる日本マスコミ」
https://lite-ra.com/2020/12/post-5734.html
概要、以下のとおりである。
まともな民主主義社会であれば、吉田会長やDHCという企業は社会的生命を絶たれてもおかしくない。ところが、吉田会長もDHCもこの件について、なんの謝罪も撤回もしていない。コンビニやドラッグストアではいまもDHCの商品が堂々と売られている。いったいなぜこんなことが許されているのか。
大きいのはメディアの責任だ。今回の吉田会長の差別発言はネットで大きな騒ぎになり、〈#差別企業DHCの商品は買いません〉などの抗議ハッシュタグがトレンド入りしている。また、BBCが「日本の化粧品会社トップの“レイシスト”コメントに批判」と報じるなど、海外メディアの批判報道が相次いでいる。
ところが、日本のマスコミはほとんど厳しい追及をしていない。共同通信や東京新聞、朝日新聞、毎日新聞など一部のリベラルなメディアはこの問題を批判的に伝えたが、読売、産経、日経などはスルーだった。さらに、テレビにいたってはどの局もまったく吉田会長の差別問題を取り上げなかった。芸能人の不倫程度であれだけ大騒ぎするワイドショーもこの問題には1秒たりとも触れず、逆にいまも、テレビでは同社のCMが流れている。
コラムニストの小田嶋隆氏は16日、ツイッターでマスコミや日本社会がDHCのヘイトを容認している裏に「金」の問題があると喝破していた。小田嶋氏の指摘するとおり、こんなひどい差別をしても、マスコミがなんの追及もしないのは、DHCが大きなスポンサーで自分たちにお金を落としてくれる存在だからだ。
そのとおり。まったく同感である。
(2020年12月19日)
本日(12月19日)の「毎日新聞」朝刊トップの見出しが、「安倍前首相を不起訴処分へ 本人聴取踏まえ、年内にも最終判断 東京地検特捜部」というもの。えっ? 安倍不起訴? おいおい、それはないだろう。ここまで捜査をした振りを見せておいて、これが精一杯です、と言うのかね。
同記事のリードは、こう述べている。
「安倍晋三前首相(66)の後援会が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、東京地検特捜部は、政治資金規正法違反などの容疑で告発状が出ていた安倍氏について、年内にも不起訴処分とする方向で上級庁と最終調整に入った模様だ。安倍氏本人の聴取結果を踏まえ、刑事責任の有無について最終判断する。開催費の費用補塡に関わった公設第1秘書らについては、同法違反(不記載)で略式起訴する方針とみられる。」
今年(2020年)の5月21日を第1陣として、全国の弁護士およそ1000人が共同して東京地検特捜部に提出した告発状の被疑者は、安倍晋三(衆議院議員・当時内閣総理大臣)、配川博之(安倍晋三公設第1秘書・後援会代表者)、阿立豊彦(安倍晋三後援会会計責任者)の3名。もちろん、安倍晋三がメインターゲットで他は添え物である。安倍がメインディッシュなら、他の二人は前菜程度。安倍がトカゲのアタマなら、他の二人は尻尾に過ぎない。前菜だけでメインディッシュはございません? 尻尾だけつかまえましたからご安心を? それで治まるはずはなかろう。
告発対象の被疑事実は二つ。政治資金規正法違反(政治資金収支報告書への不記載)と、公職選挙法違反(有権者に対する寄付)である。前者の法定刑は禁固5年以下、後者は罰金50万円以下。公選法違反は不問に付し、政治資金規正法違反は秘書だけ立件して、政治家本人には目こぼしだという。そんな検察の姿勢でよいのか。国民の信頼を得られるのか。
毎日の記事もこうは言っているのだ。
「関係者によると、公設第1秘書が代表を務める「安倍晋三後援会」は、前夜祭を2013年から東京都内のホテルで開催。安倍氏側がホテル側へ支払った開催費用は15?19年の5年間で約2300万円だったが、1人5000円だった会費の総額は約1400万円で、差額が生じていた。
安倍氏は国会答弁で「後援会としての収入、支出は一切なく、政治資金収支報告書への記載の必要はない」と説明していたが、捜査の結果、実際には、安倍氏側が差額分を補塡していたことが判明したという。
告発状の提出を受けた特捜部は今秋ごろから本格的に捜査を始め、安倍事務所関係者ら100人前後から聴取を重ねてきた。会費収入と、補塡分を含めた支出を、収支報告書に記載する必要があるとみている。」
つまり、捜査では、少なくも政治資金規正法法上の不記載罪の成立は明らかになった。安倍晋三は国会で虚偽答弁を続けていたことになる。
問題は、次の記載だ。
「特捜部は安倍氏本人の関与も捜査しているが、安倍氏本人が費用の補塡や収支報告書への不記載を指示していた明確な証拠は得られていないといい、刑事責任を問うのは難しいと判断している模様だ。」
これは、全てを秘書のせいにして、自らの責任を逃れようという、政治家の常套手段を黙過し容認するものと言わざるを得ない。
5年にわたる「前夜祭」である。少なくとも900万円の金のやりくりである。しかも、内閣総理大臣主催の「桜を見る会」の前夜祭である。この重要なイベントの収支を受益者が知らなかったはずはない。知らなかったで、済ませてはならない。
国民注視の「総理大臣の政治資金収支報告」である。ここで、おざなりの追及で「安倍本人が《費用の補塡や収支報告書への不記載》を指示していた《明確な証拠》が得られていない」として不起訴となれば、多くの政治家が「右へ倣え」して、秘書や会計責任者に責任を押し付け、責任逃れを図ることになろう。自らの無能を盾にして「政治資金収支報告書の違法を知らなかった」で済むはずがない。
捜査はおわっていない。問題は未解決である。毎日の記事も、
「補塡分の資金は、安倍氏側の政治団体から出されていたとみられ、特捜部は特定を進めている。」
と報じている。これは重要である。
これまでの報道だと、この問題の資金の出所は、安倍晋三の政治資金管理団体である「晋和会」からだという。会場のホテル側からの領収証の宛先が、「晋和会」宛てになっていたというのだ。
とすれば、晋和会の会計責任者の不記載罪が問われねばならないし、晋和会の代表者である安倍晋三の刑事責任も免れない。
政治資金規正法は、25条1項において「(政治団体の会計責任者が)政治資金収支報告書の提出をしなかつた場合に最高刑禁錮5年」とするとともに、同条2項は「前項の場合において、政治団体の代表者(安倍晋三)が当該政治団体(晋和会)の会計責任者の選任及び監督について相当の注意を怠つたときは、50万円以下の罰金に処する」と定める。
つまり、安倍晋三が「知らぬ、存ぜぬ」を押し通して、会計責任者とともに25条1項の罪責を負うことからは免れたとしても、「会計責任者の選任及び監督について相当の注意を怠つたとき」には、処罰されることになる。
この政治資金規正法第25条第2項の政治団体の責任者の罪は、過失犯(重過失を要せず、軽過失で犯罪が成立する)であるところ、会計責任者の不記載罪が成立した場合には、当然に過失の存在が推定されなければならない。資金管理団体を主宰する政治家が自らの政治資金の正確な収支報告書の作成に、常に注意し責任をもつべきは当然だからである。
被告発人安倍において、特別な措置をとったにもかかわらず会計責任者の虚偽記載を防止できなかったという特殊な事情のない限り、会計責任者の犯罪成立があれば直ちにその選任監督の刑事責任も生じるものと考えるべきである。
とりわけ、被告発人安倍晋三は、内閣総理大臣として行政府のトップにあって、行政全般の法令遵守に責任をもつべき立場にあった。自らが代表を務める資金管理団体の法令遵守についても厳格な態度を貫くべき責任を負わねばならない。
なお、被告発人安倍晋三が起訴されて有罪となり罰金刑が確定した場合には、政治資金規正法第28条第1項によって、その裁判確定の日から5年間公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権を失う。その結果、安倍晋三は公職選挙法99条の規定に基づき、衆議院議員としての地位を失う。
この結果は、法が当然に想定するところである。いかなる立場の政治家であろうとも、厳正な法の執行を甘受せざるを得ない。本件告発に、特別の政治的な配慮が絡んではならない。臆するところなく、検察は厳正な捜査を遂げるべきである。
(2020年12月18日)
宮地義亮という熱血漢がいた。早稲田を出て都庁に入り、その後司法試験に合格して23期の司法修習生となった。私と、同期・同クラス、実務修習地(東京)と班まで同じだった。それだけでなく、「青年法律家協会」や、同期で作った「任官拒否を許さぬ会」の活動をともにした。私よりは7才年長だが、気の合った間柄だった。その宮地義亮が、青年法律家協会の機関紙に掲載した、「あの日から2年 ー 阪口君の罷免から 再採用まで」のドキュメントをお読みいただきたい。
1971年4月5日、23期修習修了式当日の夕刻、阪口徳雄君は修習生罷免となり、2年後の1973年1月31日最高裁は彼の再採用を決定した。いったい何があったのか、どのようにして資格回復が実現したのか。最高裁の体質とはいかなるものか。「準当事者」としての立場で、当時弁護士になっていた宮地が綴っている。阪口君の修習生としての資格回復の1週間後に書かれたもので、当時の同期の心情をよく表している貴重な記録である。
23期の司法修習生集団は、権力機構としての最高裁当局、なかんずく司法官僚の頭目・石田和外とたたかった。その最前線に立った阪口徳雄君は、報復措置としての苛酷な罷免処分を受けた。阪口君の資格回復は、最高裁批判で盛り上がった国民運動の成果であったが、2年の期間を要した。
なお、ここで描かれている青法協裁判官任官拒否事件は、いま生々しい学術会議の任命拒否によく似ている。いずれも、不公正極まる採用人事を通じてトップの権力を誇示し、組織全体を萎縮せしめる手口なのだ。
この文章を書いた宮地義亮は、その後享年40で早逝している。悔やまれてならない。
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「青年法律家」1973年2月15日号
◇ドキュメント◇あの日から2年ー阪口君の罷免から再採用までー
23期 宮地義亮(73・2・8記)
◇来なかった電報◇
2年前の(1971年)3月30日は23期の裁判官志望者たちにとって長い一日だった。
この日のうちに裁判官採用の決定を知らせる電報が届くことになっていた。
しかし夜がふけ、やがて朝が白みはじめてもついに待ち望んだ電報が届けられなかった人たちがいた。青年法律家協会の会員6人と「任官拒否を許さぬ会」の会員1名とである。
いずれも裁判官としてのすぐれた資質、豊かな憲法感覚、青年らしい正義感、信念にもとずいて行動する勇気をもちあわせていた。それ故にこそ、最高裁は彼らに対してその扉を開こうはしなかったのである。
◇冷たい最高裁の扉◇
こうした不採用決定は青法協への加入や任官拒否反対運動への参加という不当な理由によるものと疑がえる十分な状況にあった。その理由をただすため不採用者とともに、採用になった数十名の人たちが、場合によってはその採用決定を取り消されるかも知れない不利益をもかえりみず、不採用の「理由」をただすため最高裁に出むいたが2度も相手にされず追い返されてしまった。
◇残された唯一の機会◇
急をきいて帰省先より修習生が続々と上京してきた。いたるところで熱っぽいクラス討論が行なわれ、「終了式が最高裁および研修所に任官拒否の理由を公的にただす唯一の残された機会だ」ということで一致していった。
かくして彼らはクラス委員長の阪口君にその使命を託したのである。
◇運命の4月5日◇
式場にあてられた研修所の大講堂の雰囲気は例年と全く異なっていた。式次第も掲示されず、式場としての飾りつけもなく最高裁長官などの来賓の招待も取りやめになっていた。研修所側の判断は修習生の怒りを正当に(?)評価して式中止に傾いていた。だがこのことに気づいた者はいなかった。
◇誰一人制止する者なくあらしの拍手のなかで=500人の目撃者◇
守田所長が式辞をのべようと登壇したときだった。阪口君が式場のほぼ中央の自席から挙手し起立した。
同時にあらしのような拍手が式場を埋めた。
所長が手を耳にあてて聞えないというしぐさをしたので、誰かが「前にでろ」というと拍手は一段とました。彼は1瞬ためらったが拍手の波に押しだされるように前にすすみで所長に向って2度3度と礼をした。また誰かが「きこえないからマイクで話せ!」とさけんだ。
不思議なことに式場には前方に50名からの教官と事務局員10数名が席を占めていたが誰一人として彼の前進を阻む者もその行動を制止しょうとする者もいなかった。加えて、所長はにこやかな微笑(えみ)さえうかべて彼に対応した。こうした許容の状況のなかで彼は一礼して静かにマイクをとり、くるりと向きをかえて所長に背を向けた形で、「今日の喜ぶべき日に悲しむべき7人の不採用…その理由につき10分間釈明のため発言する機会を与えてあげてほしい。……」
所長はすでに演壇をおりて自席にもどっていた。
1分15秒が経過した。
突然中島事務局長が「終了式を終了しまーす」と落着いた口調で宣言した。
教官たちも一斎に席を立って退場しょうと出口に向かっだ。
誰かが「ワナにかかった!」と叫んだ。あまりにも唐突な終了宣言という卑怯なやり方に憤激した数名の修習生が事務局長につめより、これを制止しようとするクラス委員たち、取材の記者、カメラマン、退席しようとする教官などの間に混乱が起った。こうして500人の目撃者の前で、研修所は自らの手で式を混乱に陥入れたのである。
◇強権の発動◇
その日のうちに、緊急の最高裁裁判官会議が開かれ阪口君の罷免処分が決定された。
夜8時半大講堂で待機していた修習生の前で気丈にも彼は涙一つこぼさず罷免の辞令を一気に読み上げた。「罷免!」ということばが大講堂の静寂を破ってすみずみにゆき渡ったとき、彼のそばにいた一人の修習生が「阪口!」と悲痛な叫び声をあげて、阪口君をしっかりと抱きしめた。それは任官拒否を許さないたたかいを1年有余にわたって共にしてきた友をいとおしむ抱擁であった。
◇国民の良識は最高裁を許さなかった◇
最高裁に対する国民の批判はきびしかった。処分の苛酷さはもとよりのこと、教官会議の「罷免に値しない」という多数意見を無視し、一言の弁明の機会も与えることなく、何が何んでも彼に制裁を加えようと自ら終了式の終了を宣言しておきながら、当日の夜の0時までは修習生の身分ありとする狡猾な論法をあやつり、しかも間違った事実認定をもとに…。
4月13日衆議院法務委員会で最高裁の矢ロ人事局長は「制止をきかず約10分間混乱させ式を続行不能にした」と説明し、500人の目撃者に挑戦した(あとで訂正を余議なくされることになったが…)ーーその夜のうちに処分を決定してしまったのだから、国民がこの不当から違法なスピード判決にただあ然とし、非難を集中して、良識の健在を示したのは当然といえば当然であった。
◇北から南へかけめぐる◇
阪口君のもとには全国からおびただしい数の激励電報電話、手紙がよせられた。団地の主婦、工場で慟く労働者、学生、サラリーマンETC。
こうした国民の反響は阪ロ君への実情報告の要請になってあらわれた。彼はびっしり詰ったスケジュールをやりくりして、それらの1つ1つに誠実に応えていった。あるときは1000名をこえる聴衆を前に講演をしあるときは4、5人とお茶をのみながら夜半に及ぶことさえあった。
こうした北から南への列車をのりついでの報告の旅は各地で大きな共感をよんでいった。
裁判所のあり方がこれほど国民の間で語られ、現実の生活とのかかわり合いをひとりひとりが感じたことがかってあっただろうか。
好漢阪口も聴衆の拍手が鳴りやんで、ひとり津軽海峡をわたる青函連絡船のデッキにたたずみふと郷里の老いた母のことや、同期の仲間が弁護士として第一線で活躍していることをおもい一まつの淋しさがよぎることもあった。
こうしたさまざまな哀歓を伴ないながら、36都道県をかけめぐり約10万の人々にことの真相を伝えていった。
◇法曹界のなかでも◇
46年5月8日日弁連は臨時総会において、阪口君の処分につき「不当かつ苛酷なものであり断じて容認できない」旨の決議を圧倒的多数で可決した。
次いで47年2月「阪口徳雄君を守る法曹の会」が創立され、長老から若手まで約1000名の弁護士が参加し「法曹資格」実現への大きな足がかりができた。
同年4月10日には23期の弁護士の九0%をこえる352名の署名が全国からよせられ「阪ロ君の法曹資格を回復させよ」という趣旨の要望書を最高裁に提出した。
◇ゆらぐ赤レンガの巨塔◇
こうした法曹内外の阪口君に対する熱い共感や暖かな支援と最高裁に対する不信で最高裁の権威は大きくゆらぎはじめていた。
国民からの信頼を失ったとき最高裁の存在価値は急速に低下していかざるを得なない。とくに事実認定の重大な誤りはおおうべくもなく、最高裁の最大の弱点でありアキレス腱とさえなっていった。
◇選択◇
こうした状況のなかで彼を1日も早く弁護士にという声は、同期生をはじめ先輩弁護士、国民の間に急速に広がり高まっていった世論であった。
訴訟の提起、弁護士会への登録という回復方法についてはもとより真剣な検討が行なわれた。
しかし一日も早く法曹資格を実現するという目標にてらし、いずれも非現実的ななものであった。
こうしたなかで浮び上ってきたのが「再採用」の道だった。
最高裁が「懲戒」罷免した者を再採用した先例はないがこれをさせるという方法の選択であった。最高裁は厳しい国民的批判と、運動の広がりにつつまれ、失墜した権威と信頼を何とか回復しようと腐心する一方、このまま切り捨て御免にしてしまおうとの冷酷な姿勢との間を往き来しているような形跡がみられた。
そうした権力側の自己矛盾のなかに解決のカギが秘められていた。
彼は多くの同僚先輩の説得と最後には彼自身の選択において、一日も早く法曹資格を得、真に国民の立場に立つ法律家としての役割に積極的意義を認め、再採用の道をえらんだのである。
かくして昭和47年7月小池金市弁護士の事務所に入り法律実務の研さんを積むこととなった。来るべき日にそなえて……。
◇国民審査の結果、最高裁に大きな衝撃◇
国民の最高裁に対する批判は国民審査のなかに確実にあらわれ、最高裁に大きな危機感を与えた。
司法の反勧化を許さず、民主主義を守る国民運動のうねりは衆議院総選挙にも反映し、法務委員会での鋭い追及という不吉な予感が最高裁を支配しはじめていた。
◇再採用決定!◇
1月31日、最高裁裁判官会議は阪口君の再採用を決定した。阪口君の「上申書」とひきかえに。
それは礼儀作法についての反省にとどまり、その背景にある思想、信条、それにもとずく行動という、「聖域」に権力がふみことを許さなかった。
そして最高裁に「再採用」(罷免処分という自己決定の否定)という大きな譲歩を余儀なくさせ、法曹資格獲得への大きな1歩を切り開いた。かくて権力との和解という儀式のなかでわれわれは、彼らに形ばかりの名を与え大きな果実を手にすることができたのである。
(2020年12月17日)
DHCという問題だらけの企業。その創業者でありワンマン経営者でもあるのが吉田嘉明。2014年以来の、私との法廷闘争の相手方である。もちろん、法廷闘争は彼が私に仕掛けてきた不当なもの。それを私が受けて立ち、厳しく反撃して今最終盤を迎えている。
ところでこの人、根っからの差別主義者。何があってか、朝鮮・韓国に対する民族的差別感情に凝り固まっている。通常の社会人の感覚としては、差別主義者と言われることは恥ずべきことである。ところがこの人、差別表現を繰り返して懲りない。
差別的表現は違法である。とりわけ、在日差別には特別法ができている。通称ヘイトスピーチ解消法(正式には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(施行2016年6月3日)には、下記の前文が置かれている。
我が国においては、近年、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、適法に居住するその出身者又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動が行われ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進すべく、この法律を制定する。
私は法廷においても当ブログにおいても、吉田嘉明の唾棄すべき差別表現を指摘し指弾してきた。それもあってか、ここしばらくは彼のヘイト発言は鳴りを潜め、おとなしくしていたようである。が、またぞろ吉田嘉明の在日差別発言が話題になっている。そのことを、昨日(12月16日)ハフポスト日本版のネット記事で知った。
ハフポストの記事のタイトルは、《DHCに「差別だ」と批判あがる。競合他社を在日コリアンへの蔑称を使い批判》というもの。
「競合他社」とはサントリーのこと。「在日コリアンへの蔑称を使い批判」とは、「チョントリー」とという、不愉快極まる品のない差別表現のこと。社会常識を弁えないというに留まらない。およそ、よい齢をした大人の言うことではない。いや、《許されざる違法な差別発言》と言わねばならない。DHCはワンマン企業といえども株式会社ではないか。この会社には、トップのヘイト発言をチェックするコンプライアンスの機能は働いていないのか。
問題の一文は、「ヤケクソくじについて」と題する吉田嘉明自身のDHC製品宣伝文。DHCの公式オンラインショップとされているサイトに掲載されている。問題箇所を抜粋すれば、以下のとおりである。
(同業他社は)DHCでなら500円で売れるものを5000円近くで販売しているわけですから、売上金額の集計では、多くなるのは当たり前です。消費者の一部は、はっきり言ってバカですから、値段が高ければそれだけ中身もいいのではないかと思ってせっせと買っているようです。
サントリーのCMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人です。そのためネットではチョントリーと揶揄されているようです。DHCは起用タレントをはじめ、すべてが純粋な日本企業です。
ハフポストは、「文章の中での表現について、根拠は一切示されていない」「ハフポスト日本版では、DHCにメールで見解を聞いている」「DHCから返答があった場合は追記する。」とした上で、「DHCにネットで批判が寄せられている」ことを以下のように紹介している。
この文章が話題になると、Twitterでは抗議の声があがった。「#差別企業DHCの商品は買いません」というハッシュタグは、12月16日午前10時現在日本のトレンド2位に。「企業のトップとしてこういう発言を出すのはどうか」「有名企業が使っていて許されるのか」などといった投稿が寄せられている。
ハフポスト日本版がDHC広報部に電話したところ、「電話では取材を受けられないので、メールを送ってほしい」との返答があった。そのため、Twitter上での批判に対する受け止めや、この文章が差別に該当すると考えるかなどをメールで問い合わせている。返答があった場合、追記する。
差別表現には、直ちに反撃が生じるのは、結構なことだ。「#差別企業DHCの商品は買いません」というハッシュタグを検索すると、2人の著名人の発言があった。
町山智浩氏 これは韓国人に対する差別ではない。コリアン系日本人に対する差別だ。芸能界、テレビ界はどうして声を上げないのか。どうしてDHCと戦わないのか。どうしておれみたいなミジンコがいつまでも孤独に地道に叫び続けなきゃならないのか。
小田嶋隆氏 DHCの問題はAPAホテルと高須クリニックの問題でもある。つまり「カネを持っていれば差別が容認される社会」のお話だ。DHCの問題は、単に「差別を拡散する企業が実在している」というだけの話ではない。そういう企業がテレビで番組を持ち、CMを打ち、有名タレントを起用し、コンビニに棚を確保し、新聞に広告を掲載することを許しているこの国の現状こそが問題だと思う。カネさえ払えば何をやってもいいのか、という。
また、こんなツィートもあった。「(吉田嘉明の)この文章を読んでもまだDHCの商品使う人がいたり、DHCの広告を受ける担当者がいたり、DHCの番組制作に関わってたりする人たちがいることが、本当に恐ろしい。他者への差別にそこまで無関心になれる社会が何よりも恐ろしい。心底恐ろしい。」
私は、日本に住む皆様に心からお願いしたい。ぜひとも、「#差別企業DHCの商品は買いません」を実行していただきたい。この日本の社会を、住みやすく差別のない真っ当なものにするために。
(2020年12月16日)
自民党内の夫婦別姓論議が熱い。もっとも、熱いのは一方的に右翼・守旧派の面々の発言だけのこと。そろそろ自民党も世論の良識に耳を傾けざるを得ないかと思わせる事態だったが、危機感を感じてか、頑迷固陋の守旧派が巻き返した様子。やれやれ、自民党の本質はしばらく変わることはなさそうである。
自民党の「女性活躍推進特別委員会」(委員長・森雅子)が、政府の第5次「男女共同参画基本計画」の改定案をめぐる議論を開始したのが12月1日。焦点となったのは選択的夫婦別姓採用の可否である。昨日(12月15日)の結論は、政府原案が大きく後退してしまったと報じられている。
朝日の見出しは、「夫婦別姓の表現、自民が変更 反対派の異論受け大幅後退」
毎日は、「夫婦別姓、自民保守派抵抗 『更なる検討』で決着 男女共同参画計画案」
時事は、「自民、選択的夫婦別姓削除し了承=男女参画計画」
法制審議会が選択的夫婦別姓の制度を提案して、「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申したのが、1996年2月のこと。以来、20余年も寝かされっぱなしの課題となっている。この法改正を阻んでいるのは、守旧派の家族観をめぐるイデオロギーにほかならない。
別姓推進派の見解については、法務省がホームページに次のようにまとめている。
現在の民法のもとでは,結婚に際して,男性又は女性のいずれか一方が,必ず氏を改めなければなりません。そして,現実には,男性の氏を選び,女性が氏を改める例が圧倒的多数です。ところが,女性の社会進出等に伴い,改氏による社会的な不便・不利益を指摘されてきたことなどを背景に,選択的夫婦別氏制度の導入を求める意見があります。
選択的夫婦別姓とは、全員に別姓を強制するわけではない。同姓を選びたい人は同姓でよい、別姓を選択したい人の意向を尊重しようという、個人の人格尊重の立場からはまことに当然の制度である。これに対して、どの夫婦も同姓でなくてはならないというのはお節介にもほどがある。現実に、不便・不利益が顕在化しているのだから、現行法を改正すべきが理の当然であろう。
ところが自民党内には、明治以来の「伝統的な家族観」を重視する議員が多いのだという。今回の自民党委員会でも、「別姓の容認は家族観を根底から覆す」という声高な発言があったようだ。
その結果、現行の第4次基本計画に入っている「選択的夫婦別氏制度の導入」の文言が削られ、「戸籍制度と一体となった夫婦同氏制度の歴史を踏まえ」という記述がこれに代わった。さらに、第5次案を策定するにあたっての原案には盛り込まれていた、「実家の姓が絶えることを心配して結婚に踏み切れず少子化の一因となっている」などの意見や、「国際社会において、夫婦の同氏を法律で義務付けている国は、日本以外に見当たらない」との記述は、反対派の指摘を受けて削除されたという。自民党って、こりゃダメだ。
私は、選択的夫婦別姓制度に対する反対理由として、「伝統的な家族観に反する」以上の説明を聞いたことがない。「伝統的な家族観」とは、儒教道徳における「修身斉家治国平天下」の「斉家」である。統治者は「家」になぞらえて統治機構を作った。「家」の秩序の崩壊は、国家秩序の崩壊でもあった。国家秩序維持の手段として、女性は「家」に閉じ込められた。自民党守旧派のイデオロギーは、その残滓以外のなにものでもない。
選択的夫婦別姓制度の実現を阻んでいるものは、自立し独立した対等な男女の婚姻観とは、まったく異質な「伝統的な家族観」であり、「戸籍制度と一体となった夫婦同氏制度の歴史」なのだ。
さらに、古賀攻(毎日新聞元論説委員長)が、本日(12月16日)の朝刊コラム「水説 出口のない原理主義」で、こう言っている。
どんな形でも夫婦別姓は、家族の解体へと導く個人の絶対視であり、ひいては家系の連続性や日本人の精神構造を崩す、と彼ら(注ー自民党右派)は訴える。この硬直的なロジックは、実は本丸での攻防につながっている。天皇制のあり方だ。
皇統は男系男子以外ない。旧皇族の皇籍復帰で守れ、という思考からすると、夫婦別姓は女系天皇をもたらすアリの一穴になる。
なるほど、「伝統的な家族観」とは「天皇制を支える家族観」ということであり、「夫婦別姓は伝統的な家族観に反する」とは「夫婦別姓が現行天皇制の解体を招くアリの一穴」だというのだ。これは興味深い。つまりは、現行の天皇制とは、同姓を強制する家族制度を通じて、個人の自立や両性の対等平等の確立、女性の社会進出の障害になっているということなのだ。
天皇制は罪が深い。夫婦別姓の実現を阻むだけではない。個人の自立や両性の平等、そして女性の社会進出の敵対物となっている。
(2020年12月15日)
人は時に、取り返しのつかない失言をする。「失言」とは、「その言葉の深刻な影響に考え及ばないままの不用意な発言」を意味する。不用意な一言が思わぬ結果を招き、大きく事態を変えてしまう。これまでの成果や苦労を水の泡に帰してしまう。そのことを恐れて、菅義偉はこれまで記者会見は敬遠し、国会での発言は原稿棒読みに徹してきた。みっともない、ふがいないとの批判を甘受しても、失言のダメージを避けることを選択したのだ。ところが、少しの気の緩みから、やっちまった。ああ、覆水は盆に返らない。
失言で思い出すのは、得意の絶頂だった小池百合子の「排除いたします」の一言。この傲岸な発言が繰り返しテレビで報じられ、小池百合子だけでなく希望の党も取り返しのつかないダメージを受けた。この時焼き付いた「小池百合子とは即ち排除の人」というイメージは、いまだに拭えない。
森喜朗の「日本の国は天皇を中心としている神の国であるということを、国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく」という、愚かな「失言」の影響も甚大であった。以後、彼が何をどう言っても、「天皇中心の神の国」がつきまとい、記録的な低支持率のまま首相の座を下りた。この時焼き付いた「森喜朗とは即ち天皇と神の国の人」というイメージは、いまだに拭えない。
そして、菅義偉である。どういう風の吹き回しか、記者会見嫌いな彼が動画配信サイト「ニコニコ生放送」の番組に出演した。記者を相手では意地の悪い質問に晒されるがニコ生なら気楽にしゃべれる、とでも思ったのであろうか。その気の緩みが、失態を招いた。
先週の金曜日(12月11日)の夕方、ニコ生の番組での「失言」は以下の3点である。
(1) 冒頭の「こんにちは、ガースーです」という、ふざけた自己紹介。
(2) 「GoToトラベル停止『まだ考えていない』」という、コロナ感染対策に消極姿勢。
(3) 「いつの間にかGoToが悪いことになってきたが、移動では感染はしないという提言も(分科会から)頂いている」という言い訳。
国民各層に、以上の3点が、極めて不快な印象をもたらした。まず、(1)の「ガースー」発言。本人は、親しみやすさを狙ったユーモアのつもりなのだろうが、完全にすべっている。国民の重苦しい気分とのズレが甚だしい。空気を読めない人、国民の気持ちを分かろうとしない人、というイメージが植え付けられた。この印象は今後に大きく影響するだろう。
そして、(2)である。翌、12月12日毎日新聞朝刊の一面トップが、「新型コロナ 首相、GoTo停止考えず」と、大見出しを打った。既に分科会の尾身でさえ、「GoTo見直し」を政府に提言している。これを無視した形になった。考え方に柔軟さを欠いた頑固な首相、専門家の意見に聴く耳をもたない非科学的な政治家、経済一辺倒の危ない政策。そして、思考や判断の根拠に自信がなく、国民への訴えに説得力をもたない頼りないリーダー、というイメージの定着である。
そして、(3)「移動では感染はしない」という開き直りには、多くの国民がのけぞったのではないだろうか。東大の研究チームが約2万8000人を対象に調査したところ、1か月以内に嗅覚・味覚の異常を自覚した人は、GoToトラベルを利用した人、しなかった人で、統計的には約2倍の差が生じたと報じられている。また、英スコットランド自治政府のスタージョン首相が12月9日の会見で、ウィルスの遺伝子配列の解析を根拠に「新型コロナウイルスの感染拡大は旅行が原因だった」と発表している。これが我が国でも話題になっているが、菅という人は情報に疎い、あるいは情報を理解する能力に欠ける人ではないか、というおおきな不安を国民に与えた。
結局、このたび国民の印象に焼き付けられたのは、「菅義偉とは、即ち、国民の気持ちが分からず、頑固で、無能で、頼りない」というイメージ。おそらく、将来にわたってこれを拭うことはできないだろう。ということは、首相失格というほかはない。
(2020年12月14日)
ハネムーンとは、天にも昇る心地の人生の最幸福期。お互い、アバタもえくぼに見える時期。そんな仲に他人が口を差し挟むのは、この上ない野暮な振る舞い。それは分からんでもない。
新政権発足後の100日ほどを「ハネムーン期間」というのだそうだが、これはよく分からない。新政権が国民と蜜月の関係にあり、メディアが政権批判をするのは野暮、とでもいうのだろうか。この時期、メディアは新政権を批判せず、ご祝儀の提灯記事ばかりを書くのが通り相場と言うようだが、硬派のメディアには大いに迷惑であろう。
選挙で選ばれたわけでもない新総理である。これが、国民と蜜月の関係と言われても、白けるばかり。何よりも、この新政権は国民に愛情を示すところがない。紋切りのご祝儀記事で、メディアが作りあげたハネムーンではないのか。
「ハネムーン期間」などあろうはずはないとは思ったが、政権発足直後のアバタもえくぼの高い内閣支持率に驚いた。しかし、その「似非蜜月」の関係は、10月1日の学術会議新会員の任命拒否で、早くも破綻した。この事件、DV男が早くもその正体を表したという強烈な印象。
その後は、新総理の凡庸さ、熱意のなさ、判断の不確かさ、理念の欠如、周りの人物の不甲斐なさ等々が際立つばかり。中でも、この人、語彙が乏しい、自分の言葉で語ることができない。メモを棒読みするしか表現力がない。コロナ禍の危急のこの時期に、前総理に勝るとも劣らない無能ぶりが明らかになってきたのだ。
まず、ハネムーンが壊れた。毎日新聞の世論調査が事態をよく表している。
毎日が昨日(12月13日)発表した世論調査における内閣支持率は40%で、不支持率が49%である。不支持が支持を、9ポイントも上回っているのだ。国民は、新総理・新政権のアバタをアバタとしてしっかり見据えたのだ。
政権発足以来毎日は、9月17日、11月7日、12月12日と3回の世論調査を重ねた。その推移は、以下のとおり劇的ですらある。
支持率 64% ⇒ 57% ⇒ 40%(17ポイント減)
不支持率 27% ⇒ 36% ⇒ 49%(13ポイント増)
その差 (+37) (+21) (?9)
前回調査比17ポイントの支持率下落のみならず、国民の目の厳しさが新政権の政策に向けられていることに注目せざるを得ない。「《菅政権の新型コロナウイルス対策》について聞いたところ、「評価する」は14%で、前回の34%から20ポイント下がり、「評価しない」は62%(前回27%)に上昇した。新型コロナ対策の評価が低下したことが、支持率の大幅減につながったようだ。」というのが、毎日の分析である。多くの国民が、医療体制の逼迫に危機感を持っているのに、新政権は経済一辺倒の無策なのだ。
当事者同士が、アバタをアバタと見るようになったのだから、ハネムーン期間は終わったのだ。他人が口を挟むに遠慮する理由はなくなった。今や、メディアの批判は厳しい。
「にやにやして危機感ない」「発信力ない」「支持率急落、首相に党内から不満噴出」「支持率急落、菅首相「鉄壁ガースー」戦略の限界」「会見はメモ棒読み、紋切り型答弁で説明を回避」「菅政権の『逃げの政治』はどこまで続くか?短期政権の時代に入るかの岐路」「菅首相の「ガースー」発言に「ダサい」」「決断が遅すぎる」「支持率低下で追い込まれた首相 敗れた『勝負の3週間』」と、まったく遠慮がなくなった。
メディアの手の平を返したような報道姿勢に違和感がある。本人同士の相手を見る目が曇っていても、第三者として、アバタをアバタと正確に伝えることがメディアの役割ではないか。
菅義偉政権。まだ第1ラウンドである。だが、既に足がもつれ舌ももつれている。何をやってもうまくはいかない。さすがにダウンはしていないが、グロッキーにはなっている。ハネムーンが終わった途端に、もう先が見えてきたのだ。ここしばらく、解散などできようばずもなく、さりとてこの落ち目を挽回する術もない。どうしたらよいのだろうか。どうしたらよいのかって? そりゃ、「説明できることと、できないことってあるんじゃないでしょうか」。なるほど、そのとおりだよ。
(2020年12月13日)
本日、永尾俊彦さんから、その著書『ルポ「日の丸・君が代」強制』の献本を受けた。12年間にわたる法廷闘争と教育現場の取材をまとめた詳細なルポで、400ページに近い大著になっている。さすがに記者による読みやすい文章で、東京編だけでなく大阪編もあり、私も知らないことがたくさんある。何よりも、問題の全体像把握のための記録として貴重なものである。
あらためて、このルポに登場してくる多くの人々の真摯さに打たれざるを得ない。ぜひとも多くの人に、この著作をお読みいただきたいと思う。「籠池泰典元理事長インタビュー?「天皇国日本」というモノサシをつくる学校」なども、たいへん面白い。
http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-2022-1n.html
永尾俊彦[著]ルポ「日の丸・君が代」強制(緑風出版)
四六判上製/392頁/2700円
■内容構成
まえがき?「口パク」すればいいのだろうか
第一部 少国民たちの道徳
第一章 東の少国民「うんこするのも天皇のため」?山中恒さんインタビュー
第二章 西の少国民「上があるから下ができる」?黒田伊彦さんの語り
第三章 「君が代」の道徳 「生と性の賛歌」から天皇の讃美歌へ?川口和也さんの研究
第二部 東京篇
第一章 東京の「狂妄派」?教職員の牙を折りたい狂おしい欲望
第二章 東京の教師、子どもたちと「日の丸・君が代」強制
一 「君が代」は誇り高く歌いたい?近藤光男さん(体育)の場合
二 「お前のこと、用いるから」?岡田明さん(日本史/現代社会)の場合
三 音楽が息づく学校を?竹内修さん(音楽)の場合
四 「自分の可能性をあきらめないで」?大能清子さん(国語)の場合
五 子どもたちの「障がい」が消えた日?渡辺厚子さん(特別支援学校)の場合
六 「俺は先生の生徒でよかった」?加藤良雄さん(英語)の場合
七 表現を行動として生きる?田中聡史さん(特別支援学校/美術・図工など)の場合
第三章 「生徒の心を聞く仕事」であるために
第三部 大阪編
第一章 大阪の「狂妄派」?ビシッと「モノサシ一本」の快感
一 法的にも復活した「非国民」
二 「教育事件」としての森友問題
籠池泰典元理事長インタビュー?「天皇国日本」というモノサシをつくる学校
第二章 大阪の教師、子どもたちと「日の丸・君が代」強制
一 「歴史が歴史をたしかめる」?増田俊道さん(社会)の場合
二 「真の愛国者は自由を保障することで育つ」?梅原聡さん(理科)の場合
三 「先生に何ができるの」への答えを探して?井前弘幸さん(数学)の場合
四 「事実さえ教えられれば」?松田幹雄さん(中学・理科)の場合
五 「背骨」は曲げられない?志水博子さん(国語)の場合
性的少数者と思想的少数者?南和行弁護士インタビュー
六 子どもたちを「無我の人」にするな?奥野泰孝さん(美術)の場合
「陽気な地獄破り」を?遠藤比呂通弁護士インタビュー
第三章 「自己を持つ」子どもたちを育てるために
あとがき?ニッポンの良心
引用文献
資料 国旗国歌に係る懲戒処分等の状況(文部科学省調査)
「日の丸・君が代」強制問題関連年表
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本日は、たまたま国旗・国歌(日の丸・君が代)強制問題での原稿を書いていた。その草稿の一部を掲載しておきたい。
第1次懲戒処分取消訴訟の控訴審判決は、2011年3月10日に言い渡され、東京高裁第2民事部(大橋寛明裁判長)は、戒告(166名)・減給(1名)の全員について、懲戒権の逸脱濫用を認めて違法とし全処分を取り消した。
戒告といえども懲戒権の濫用に当たるとした大橋寛明判事は、元最高裁上席調査官である。教員の不起立・不斉唱を、「やむにやまれぬ真摯な動機に基づくもの」とした「実質違憲判決」には、大きな励ましを受けた。
この大橋判決に対する上告審では、最高裁で弁論が開かれた。以下は、「教員の良心を鞭打ってはならない」とする、澤藤が担当した法廷弁論の一部である。
「本件各懲戒処分の特質は、各被上告人(教員)の思想・良心・信仰の発露としての行為を制裁対象としていることにある。各人の内面における思想・良心・信仰と、その発露たる不起立・不斉唱の行為とは真摯性を介して分かちがたく結びついており、公権力による起立・斉唱の強制も、その強制手段としての懲戒権の行使も各教員の思想・良心・信仰を非情に鞭打っている。司法が、このような良心への鞭打ちを容認し、結果としてこれに手を貸すようなことがあってはならない。」
「被上告人らは、内なる良心に従うことによって公権力の制裁を甘受するか、あるいは心ならずも保身のために良心を捨て去る痛みを甘受するか、その二律背反の苦汁の選択を迫られることとなった。思想・良心・信仰の自由の保障とは、こういうジレンマに人を陥れてはならないということではなかったか。人としての尊厳を掛けて、自ら信ずるところにしたがう真摯な選択は許容されなければならない。」
「教育者が教え子に対して自らの思想や良心を語ることなくして、教育という営みは成立し得ない。また、教育者が語る思想や良心を身をもって実践しない限り教育の成果は期待しがたい。『面従腹背』こそが教育者の最も忌むべき背徳である。本件において各教員が身をもって語った思想・良心は、教員としての矜持において譲ることのできない、「やむにやまれぬ」思想・良心の発露なのである。」
「不行跡や怠慢に基づく懲戒事例とは決定的に異なり、上告人(都教委)が非違行為と難じる行為について、被上告人らがこれを反省することはあり得ない。したがって、職務命令違反は当然に反復することになる。反復の都度、処分は累積して加重される。その過程は、心ならずも不当な要求に屈して教員としての良心を放棄し、思想においては「転向」、信仰においては「改宗」「棄教」に至らない限り終わることはない。」
「本件は、精神的自由権の根幹をなす思想・良心の自由侵害を許容するのか、これに歯止めをかけるのかを真正面から問う事案である。憲法の根幹に関わる判断において、最高裁の存在意義が問われてもいる。人間の尊厳を擁護すべきことも、教育という営みに公権力が謙抑的であるべきことも、多数決支配とは異なった事件の憲法価値として、人類の叡智が確認したところである。」
「これを顕現するものは、憲法の砦としての最高裁であり、最高裁裁判官諸氏である。歴史の審判に耐え得る貴裁判所の判決を求める。」
(2020年12月12日)
毎日新聞が、「菅語」を考えるというシリーズで12月6日に、「国語学者・金田一秀穂さんが読む首相の「姑息な言葉」 すり替えと浅薄、政策にも」という記事を掲載している。
https://mainichi.jp/articles/20201205/k00/00m/040/216000c
「総合的・俯瞰的」「多様性」「バランス」「既得権益」……。日本学術会議の任命拒否問題を巡っては、菅義偉首相が抽象的なフレーズを繰り返す場面が目立つ。具体性を著しく欠いた国のトップの説明は、日本語の専門家にはどう映っているのだろうか。国語学者の金田一秀穂さんは「本来的な意味での『姑息』」と指摘し、政権が打ち出す政策にも相通ずるものがあるとみる。
金田一秀穂という人の本来の語り口は、もの柔らかく優しい。しかし、「菅語」に対する批判は、たとえば次のようにまことに厳しい。
――菅さんは抽象的な言葉が多い印象です。どう見ていますか。
◆あまり考えた発言とは思えないですね。その場その場をしのげればいいと思っているんでしょう。(学術会議について)「女性が少ない」とか「私立大所属が少ない」「既得権益」とか、思いついたことをとりあえず言っている感じですね。これらは中身を伴わない、何の意味もない言葉です。「何も考えていないんだろうな、この人は」と思いますね。ポリシーがあって言っているわけではないことが分かってしまう。
つまりは姑息なんです。姑息は「ひきょう」という元々なかった意味で使われることが多いですが、本来の意味は「その場限り」。菅さんはその場限りの答弁を繰り返して当座をしのぎ、いずれ国民が飽きて聞く気がなくなるのを待っているんでしょう。
しかし、最後の設問に対する次の回答の一部にやや違和感がある。
――改めて、学術会議の任命拒否問題についてはどう考えていますか。
◆すぐに学問の自由を侵すことにはならないと思います。ただ、今回が最初の一歩で、これから同じようなことが続いていくかもしれない。「アカデミズムは政府が主導できる」なんて考えられたら、たまったものではない。その意味で、政府がアカデミズムに介入できてしまった今回の経験は非常に恐ろしい。将来的には国立大の教授人事とかにも関わってくるかもしれない。そうなったらもっと恐ろしいし、絶対にやめてほしい。
国家権力がアカデミズムや芸術といったものに触っちゃうと、貧しい国になります。豊かさというのは、いろいろな考えがあって初めて成り立つものです。それは歴史的にも明らかです。だから今回の任命拒否を認めてはなりません。
「『アカデミズムは政府が主導できる』なんて考えられたら、たまったものではない。その意味で、政府がアカデミズムに介入できてしまった今回の経験は非常に恐ろしい。」「だから今回の任命拒否を認めてはなりません。」は、まことにもってそのとおりである。しかし、「すぐに学問の自由を侵すことにはならないと思います。」には、賛成しかねる。今回の任命拒否は、直ちに「日本学術会議法に違反」し、かつ「学問の自由を侵す」ことにもなるのだ。
日本国憲法は、人の精神活動の自由を、内面の「思想・良心」の自由(19条)と、自由に形成された「思想・良心」を外部へ表出する「表現の自由」(21条)の両面において保障している。「学問の自由」(23条)の保障が、19条と21条に重なる「研究の自由・研究結果発表の自由・教授の自由」だけであれば、日本国憲法が旧体制の反省の中から、大日本帝国憲法を克服して制定された意義を没却することになると考えねばならない。
19条と21条とは別に、「学問の自由の保障」(23条)を定めた憲法の趣旨は、19条と21条ではカバーしきれない、「学問研究機関の権力からの独立性」「学問研究者の自律性」をこそ憲法の保障として重視すべきであろう。
伝統的な憲法学は、「学問の自由の保障」(23条)規定を、その制度的保障としての「大学の自治」に重点を置いて解説する。「自由」よりは「自治」「自律」が客観的法規範として重要なのだ。これまで、「大学の自治」として論じられてきたのは、伝統的に大学が主たる学問研究機関であったからであり、ポポロ事件など判例が大学を舞台とするものであったからでもある。しかし、日本学術会議は、まぎれもなく学問・学術の専門家集団であり研究機関でもある。設立の趣旨からも、憲法23条にもとづく「自治」「自律」が保障されるべきことは明らかと言わねばならない。
だから、政権が日本学術会議の人事に介入することが、直ちに学術会議の自治・自律を侵すものとして、「学問の自由」(憲法23条)を侵害することになる。菅政権は、自らの憲法違反を認識しなければならない。