澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

本郷三丁目をご通行のみなさま、ご近所のみなさま、「本郷湯島9条の会」です。

(2022年1月11日)
 2022年初めての街宣行動は冷雨の中でのこととなった。用意した、「9条改憲反対」署名用紙をひろげることができない。結局手作りのプラスターが主役となって、傘を差して歩く通行人の目を惹いた。

 ★人類の理想 戦争放棄の9条。
 ★敵基地攻撃能力、憲法違反。
 ★戦争できる国 9条改憲 ストップ。
 ★穏やかな声、優しそうな顔で平和憲法を壊してゆく岸田文雄首相。
 ★6兆円こえる軍事費、いつの間にか戦争する国に。

 通行人がプラスターを横目で見ていく。子どもたちが興味津々で文字を読む。中には、「写真を撮らせていただけますか」と立派なカメラを向ける女性も。そして、「ご苦労様、ガンバってくださいねー」という威勢のよい男性の掛け声。「9条守れ」「平和を守れ」の訴えには、それなりの手応えがある。

 マイクで語られたのは、「敵基地攻撃能力保有論」「緊急事態条項」の危険性。一見ハトに見える岸田文雄のタカの振る舞い。そして、あらためて「人類の理想9条を守ろう」という訴え。

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 あらためて訴えます。憲法9条は、再び戦争はしない、戦争をしない保障として軍備をもたない、と決めています。これは、日本の世界に向けた約束でもありますが、それだけのものではありません。

 憲法9条は人類の理想です。世界に先駆けて、日本は平和の理想を実定憲法に書き込んだのです。ですから、憲法9条は世界の宝でもあるのです。私たちは、この人類の理想、世界の宝を守り抜いて、やがては、世界に拡げなければならないと思います。

 「平和のためには武器を持たない」という9条の精神の対極に、「自国の平和を保つためには軍事力を持たねばならない」という考え方があります。その軍事力は大きければ大きいほど、強ければ強いほど、自国は平和で国民は安心していられる。周辺国に負けない軍事力があってこそ平和の維持が可能だというのです。

 この考え方ですと、隣り合う国は、際限なく相手国よりも強大な軍事力を持とうという競争を続けざるを得ません。平和のための軍事力拡大競争という矛盾に陥ってしまいます。現に、そのようにして日本は一度、戦争を引き起こし、国を滅ぼしました。9条はその手痛い経験から生まれたものです。

 「敵基地攻撃能力保有論」は、究極の挑発行為です。日本がそのような立場をとれば、日本の仮想敵国と想定された隣国は、日本からの攻撃に備えた防備を増強するでしょうし、反撃の能力を誇示することにもなるでしょう。そうすれば、日本の軍事力はさらに一層の強化をしなければならなくなります。相互不信ある限り、お互いに、馬鹿げたことを積み上げなくてはならなくなります。

 1月7日におこなわれた日米両政府の「外交・軍事担当閣僚による安全保障協議委員会」、いわゆる「2プラス2」では、日本政府が「敵基地攻撃能力保有論」の検討をアメリカ側に約束したと伝えられています。

 これは危険なことです。戦争の気運を促すことにもなりかねません。こんなことは即やめさせなければなりません。そのための世論の力を積み上げましょう。ご協力をお願いいたします。

「一人ひとりは微力だが無力ではない」のか、「無力ではないとしても、微力に過ぎない」のか。

(2022年1月10日)
 本日は「成人の日」だそうな。いつの間にか、どうして今日が「成人の日」になったのか。その所以はよく知らない。かつては、1月15日が成人の日だった。この日が小正月で、武家では元服の儀式が行われていた慣わしによるものと聞かされてきた。天皇制とは無関係な祝日だが、武家社会の男子だけの通過儀礼を起源としたわけだ。

 自分の成人のころを思い出す。私は学生だったが、アルバイトで自活していた。いつから成人したというような意識も自覚もなかった。強いて言えば、田舎の高校を卒業して学生として上京した18歳の春だったろう。成人式の案内というものを、区役所からもらった記憶があるが、バカバカしくってそんなことに費やす時間はないと無視した。若者を集めて、したり顔の年寄りの説教など聞きたくもなかった。

 人類最古の文字による記録は、シュメール文明の粘土板に書き付けられたものだというが、その最古の文章が「近頃の若いモンは…」「実に嘆かわしい」という内容であるという。また、パピルスに書かれたヒエログラフの最古の文書もまた、「近頃の若いモンは…」という嘆きだとか。本当のところは知らないが、年寄りの若者に対する説教の歴史には、人類の歴史とともに年季が入っているのだ。

 年寄りの説教好きとともに、年寄りが作った社会に対する若者の反抗心も年季が入ったもの…と思っていた。私は長く、「若者とは、常に社会への抵抗者である。齢をとるにつれて抵抗をあきらめ、既存の社会秩序に迎合して保守化し、やがて、次代の若者の抵抗の姿勢を嘆くのだ」と思ってきた。あるいは、「若者とは、常に理想を追い求める者、しかし、齢を重ねるにつれて現実に絡めとられ理想を失って妥協し、保守化し、やがて、次代の若者の理想を力なく嗤うことになるのだ」とも。

 このことが永遠の法則かと思っていたら、昨今はどうも様相を異にするようだ。若者ほど自民党の支持率が高いという。「そんなバカな…」と絶句するしかない。

 おそらくは、粘土板に書かれた楔形文字の文章は、「近頃の若い者は、私たちが苦労して作りあげたこの社会の秩序や道徳に反抗的である」「慎みなく新しい秩序を作ろうなどと攻撃的で実に嘆かわしい」というものであったろう。ところが、今やこの社会では、年寄りがこう言わざるを得ない。「近頃の若いモンは、私たちが苦労してぶち壊そうとしてもう一歩で成功しなかった旧社会の秩序に安住して抵抗も反抗もしようとしない」「理想をもって新しい秩序を作りだそうというエネルギーに欠けて実に嘆かわしい」

 本日の東京新聞社説が、「成人の日に考える 『関係ない』と言わぬ人」というタイトル。至学館大学(愛知県大府市)の越智久美子准教授による「主権者教育」への取り組みを紹介している。その中に次の一節がある。

 戦争を生き延びたある先輩の証言が、主権者教育に取り組むきっかけになりました。
 「軍需工場といえば空襲の標的です。そんなところにいることは、恐ろしくなかったですか」と越智さんが尋ねると、その人は言いました。
 「はじめはちっとも怖くなかった。何も知らなかったから。自分には関係ないと思ってた。家を焼かれ、家族を失い、ようやく震えが来ましたよ。その時にはもう手遅れでした」
 越智さんは考えます。
 「温暖化も原発事故もコロナ禍も、知らなかった、関係ないでは済まされない。今を生きる若い人には、過去に学び、今にかかわり、未来を創造する人になってほしい。それが主権者。そのための一票です。一票は微力かもしれません。でも決して無力ではありません」
 無関心といわれる若い人たちに、選挙の内側に入ってもらい、一票の力を感じてもらうのが、演習の狙いです。

 「一票は微力かもしれません。でも決して無力ではありません」「無関心といわれる若い人たちに一票の力を感じてもらいたい」がキーセンテンス。昔から言われてきた「一人ひとりは微力だが決して無力ではない。連帯し団結することによって社会を動かす力となる」という文脈の一部。ゼロをいくつ重ねても総和はゼロにしかならないが、「ゼロではない微力なら、票を増やし、仲間を増やせば確実に力となる」という理屈。

 そうとも言えるが、実は「一人ひとりは決して無力ではないにしても、まことに微力に過ぎない。だから、自分の投票行動で社会が変わるとも思えないし、連帯し団結することによって社会を動かす力になるとの実感をもてない」ことが問題なのだ。その発想の転換をどうすればよいのか。

 何よりも、意識的な家庭教育、学校教育の成果に待ちたいところだが、自分の体験で言えば、社会との関わりをもち、何らかの能動的な行動を経験するところが出発点だ。などと、私も、いまどきの若いモンに説教する側にまわったようだ。無駄なこととは知りつつも、である。 

岸田文雄の羊の仮面にだまされてはならない。その「敵基地攻撃能力」保有論の危険。

(2022年1月9日)
 岸田文雄が、あちらこちらで年頭所感を述べている。この人の物腰には、安倍晋三や菅義偉のようなトゲトゲしさがなく、乱暴も虚勢も感じられない。真面目にものを言っている雰囲気がある。だから、安倍や菅や麻生に辟易してきた国民には新鮮に映り、「あれよりはなんぼかマシではないか」「久しぶりに普通に会話のできる首相登場」という評価が定着しつつあるようだ。

 安倍や菅、麻生などの危険性は一見して分かり易い。とりわけ安倍の国政私物化の姿勢は酷かった。これに較べて岸田の危険は分かりにくい。しかし、どうやら岸田流の一見危険に見えないことの危険性を看過し得ないものとして見据えなければならないようだ。

 岸田は、今年にはいってからの発言で、改憲に極めて積極的である。憲法改正は「本年の大きなテーマだ」と言ってはばからない。そして何よりも岸田は、施政方針演説で敵基地攻撃能力について言及した初めての首相である。

 一昨日(1月7日)の「日米2プラス2」後の共同発表文書でも、日本側が「ミサイルの脅威に対抗する能力を含め、国家防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する」と決意表明。この表現について林芳正外相は同日の記者会見で、「いわゆる敵基地攻撃能力も含まれる」ことを明言している。岸田政権の敵基地攻撃能力へのこだわりは相当なものなのだ。

 この点について、昨日(1月8日)の赤旗が、《「敵基地攻撃能力」保有の問題点》という、松井芳郎氏(名古屋大学名誉教授・国際法)のインタビュー記事を掲載している。説得力のあるものと思う。

 かなりの長文だが、抑止論との関係について述べている最後の部分だけを引用する。

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― 自民党は、「抑止力向上」を「敵基地攻撃」能力の保有の理由としています。

 抑止論とは、自国が強固な軍事力を有すれば相手国は自国への攻撃を差し控えるだろうという発想に立つものです。しかし、歴史的経験によれば、こちらが強大な軍事力をもてば、相手国は自国への攻撃を控えるのではなく、より強固な軍事力の建設に向かい、その結果一層の軍拡競争と国際緊張の激化がもたらされたというのが現実です。ましてや、中国についていえば、核軍備を含む強大な軍事力をもっているわけで、日本がこれを「抑止」するに足る軍事力を有することはまったく非現実的です。

 抑止論の虚妄は一般的には、ほぼ結論が出ています。1978年の国連第1回軍縮特別総会では、抑止論に対置して、国連の集団安全保障強化と全面軍縮を進めることで平和を維持しようという考え方が示され、米国やソ連を含めて合意されました。ただ、現実の政策はなかなか変わってきませんでした。これをどういうふうに現実化するかということが重大な課題となっていると思います。

― 抑止論に代わる対処政策として、どのようなことが考えられますか。

 私は、平和的生存権と戦力の不保持を規定する日本国憲法に基づく平和外交の政策が、一見したところ理想主義にすぎると見えるにもかかわらず、かえって現実的ではないかと思います。

 日本はこれまで、日米安保体制を軸として、中国や北朝鮮という近隣諸国を仮想敵国として、それに備えるという政策をとってきました。これが逆に、相手国にとっては大変な脅威となって、相手国の軍事力増強の一つの口実になっています。

 しかし、日本が憲法に基づいて平和外交を展開すれば、地域の緊張緩和が進み、これら諸国の軍備増強の口実の一つを除去することができる。現状では、中国などを相手に、紛争案件をめぐる対話はほとんど行われていなのが実態です。

 さらに、日本がより広く世界的な規模で平和的生存権の実現を推進する外交政策を展開し、そのような国としての国際的評価が確立すれば、この事実は軍事力をはるかに凌駕する「抑止力」を発揮すると思われます。

 憲法に平和的生存権と戦力の不保持を規定する日本は、国民の英知を集めて、この平和外交の具体的な在り方を組み上げていくことこそ必要だと思います。

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 私は、双手を挙げてこの見解を支持する。この武力の均衡による「抑止力」を否定した平和外交推進の立場こそが、日本国憲法の理念である。平和外交を基本に据えた安全保障政策を「非現実」「お花畑的思考」と揶揄する向きがあるが、軍事的均衡論に基づく安全保障政策こそ非現実的と言うべきであろう。軍事的均衡論の負のスパイラルの行き着くところは「お花畑」ではなく、戦場に墓標を並べた「墓場」なのだから。

沖縄のコロナ禍第6波は、安保法体系がもたらしたものである。

(2022年1月8日)
 我が国には日本国憲法を頂点とする法体系が構築されて「法の支配」が貫徹されている…はずである。しかし、現実には「安保法体系」というもう一つの法体系が我がもの顔に日本国憲法の法体系を侵蝕している。

 田中耕太郎長官時代の最高裁大法廷が、「統治行為論」という「法論理」で、「安保法体系」の「日本国憲法体系」からの独立性、ないしはアンタッチャブルな正確を容認してしまった。以来、「安保法体系」は、ひっそりと日陰に存在しているのではない。大手を振って堂々と自らを誇示しているのだ。

 「安保法体系」が突出するところ、日本国憲法が保障する平和主義だけでなく、人権尊重も影をひそめることになる。いつの間にか安保容認論に毒された世論の下においても、ときに安保法体系の反国民性が無視し得ないものとして映ることがある。いま、沖縄で猖獗を極めつつあるオミクロン株の蔓延はその典型である。

 沖縄県における感染状況が急激に悪化している。1月6日の新規感染者は981人、7日は1414人、そして本日(1月8日)が1759人と報告されている。メディアはようやく「地位協定という穴」「日本の主権侵害」として報道を始めたが、問題は以前からのものだ。

 「米軍基地が集中する沖縄県で新型コロナウイルスの感染が急拡大している。感染力の強い変異株「オミクロン株」が基地を経由して市中に広がった可能性が高く、5日の県内の新規感染者数は昨夏の緊急事態宣言中以来となる600人台となった。同じく基地がある山口県でも感染者が急増しており、日本の水際対策が米軍に適用できない日米地位協定の規定と米軍の甘い感染防止対策が、国内のオミクロン株流行を早めた形だ。

政府は新型コロナの封じ込め策として、海外からの入国者を制限するなどの水際対策を続けてきた。だが、海外から軍用機などで入ってくる米軍関係者は規制の対象外となる。協定は在日米軍と米軍関係者らの法的地位を定めた取り決めだが、米側に大きな権限が与えられ、日本の主権が事実上及ばないためだ。」(1月6日・毎日)

 NHKの集計によれば、昨日(7日)までの1週間における人口10万人当たり感染者数は、都道府県単位で沖縄県がダントツの239.23人、次いで岩国基地を要する山口県が46.91人となっている。

 この沖縄の感染者数に驚かざるを得ないが、琉球新報の本日(1月8日)の報道では、基地内の感染密度はこれよりはるか高い。「沖縄米軍のコロナ感染 世界最悪級に…10万人当たり1905人 本紙試算」との見出しで、「基地内の直近1週間の新規感染者数を人口10万人当たりに換算すると2千人に迫り、世界最悪レベルとなる」とされている。

 同紙は、「2021年12月26日までの1週間、新規感染者数が最も多い米国は人口10万人当たり358・2人。新規感染者数が米国に次いで多い英国は同901・3人となっている」とも報じており、最悪の基地内感染から、基地外に「滲み出している」ことがよく分かる。沖縄でも、岩国でも、オミクロン株のゲノム解析から、感染の拡がりが基地の中から外に出たことが「確認」されてもいるという。

 玉城知事は2日の会見で「県の危機意識が米軍に共有されていない。激しい怒りを覚える」と指摘。「日米両政府はこの問題を矮小化せず、日米地位協定の構造的な問題だという意識を持ってほしい」と強調した。ただ、政府の地位協定見直しの姿勢は消極的と伝えられている。

 地位協定は、1960年締結の「新安保条約」に基づいて、旧「行政協定」に替わるものとして締結された。その第9条1項と2項が以下のとおりである。(3?6項略)

1 この条の規定に従うことを条件として、合衆国は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族である者を日本国に入れることができる。
合衆国軍隊の構成員は、旅券及び査証に関する日本国の法令の適用から除外される。合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族は、外国人の登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される。ただし、日本国の領域における永久的な居所又は住所を要求する権利を取得するものとみなされない。

 この条文を根拠に、基地内の軍人軍属には、出入国審査・住民登録の義務がない。出入国の際の必須手続であるCIQ(税関 (Customs)、出入国管理 (Immigration)、検疫 (Quarantine))の全てが免除される。だから、日本国法に基づく強制ができない。

 米兵は、オミクロンとともに米国から日本国内の基地に直行し、あるいは空港でのチェックをスルーして、フリーパスで基地に入ることができる。そして、基地のゲートから街の酒場へも繰り出すことができる。そう。日本憲法の法体系を凌駕する、安保法体系が健在だからこそなのだ。

天皇(裕仁)が口にした松川事件の「真相」

(2022年1月7日)
 年末に、「拝謁記」が出版された。「拝謁」とは、臣下が王や君主に面会することである。もっとも、この出版は古代・中世の記録ではない。20世紀後半の、現行日本国憲法制定後における、大真面目な「凡庸な君主と聡明な臣下」の面談記録なのだ。臣下の側の筆の運びが、いかにも「拝謁」の文体となっている。この臣下は、この時代に、この「君主」に対して、こうまでへりくだらねばならなかったのだろうか。その内容の一部を下記で一読できるし、可視化した映像を視聴もできる。このような非対称の人間関係には、生理的嫌悪を禁じえない。

昭和天皇「拝謁記」―戦争への悔恨
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1&diary=1

昭和天皇は何を語ったのか?初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」?
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190817_2

 この凡庸な君主たる人、私の子どもの頃の記憶では、「あっ、そー」としかしゃべることのできなかった御仁。 「あっ、そー」 だけでなくしゃべることができるんだ。とはいうものの、どうしてこんなにふんぞり返っていられるのだろう。記録されたとおりの調子でしかしゃべることができないのだろうか。滑稽でもあり、哀れでもある。

 「凡庸な君主」とは天皇(裕仁)、「聡明な臣下」とは初代宮内庁長官 田島道治。正確な書名は、「拝謁記 1 昭和24年2月~25年9月 (昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録 第一巻 ? 2021/12)である。この「拝謁記」は、2019年8月、NHKによるスクープという形で世に出た資料。この度の岩波からの出版によって新たな話題となっている。

 「特徴的なことは、録音を起こしたような会話の記述」「昭和天皇の生々しい肉声が記された超一級の資料」「好悪の感情を隠さない天皇の人間的側面が明らかになっている」とされ、さらに「昭和天皇が戦争への後悔を繰り返し語り、深い悔恨と反省の気持ちを表明したいと強く希望していた」(が、叶わなかった)ことが、田島の筆によってメモされている。

 2000万もの被侵略国の人々を殺し、310万もの日本人の死にも責任を負わねばならないこの天皇(裕仁)が、「戦争への後悔を繰り返し語り、深い悔恨と反省の気持ちを表明したい」と言っても…今さら…なあ。人の責任には、どうにか取り返しのつくものと、どうにも取り返しのつかぬものがある。あんたの責任は、どうしたところで取り返しのつくものではない。そうだろう。

 ところで、興味深いのは、この「拝謁記」に「松川事件」に関する記述がみえること。天皇(裕仁)の方から、田島に「松川事件」の「真相」について語りかけているのだ。1953(昭和28)年11月11日の田島の記録の全文が以下のとおり。(カタカナ書きの部分はひらがなに直す)

(昭和天皇の発言) 「一寸(ちょっと)法務大臣にきいたが松川事件はアメリカがやつて共産党の所為(せい)にしたとかいふ事だが」「これら過失はあるが汚物を何とかしたといふので司令官が社会党に謝罪にいつてる」

(田島のメモ) 「田島初耳にて柳条溝事件(原文ママ)の如き心地し容易ならぬ事と思ふ」

 松川事件は、連合国軍総司令部の統治下だった1949年夏、下山事件、三鷹事件に続いて起こった。戦後最大の冤罪事件であり、権力によるデッチ上げ事件である。最終的に無罪を勝ち取った法廷闘争の金字塔たる事件。

 福島市松川町の旧国鉄東北線で線路のレールが何者かによって外され、通過した列車が脱線・転覆し、乗務員3人が死亡した。国鉄と東芝の労働組合幹部など20人が逮捕・起訴された。ときの政権によって共産党の犯罪と喧伝され、多くの共産党員が被告人とされた。1950年12月6日一審福島地裁判決では20人の被告人全員が有罪判決を受けている。内5名が死刑であった。

 1953年(昭和28年)12月22日の二審仙台高裁判決では、3人が無罪となっているものの17人が有罪(うち死刑4人)であった。天皇(裕仁)の松川事件への言及は、この二審判決直前の時期に当たる。

 この17人の有罪は、国民的な裁判批判の大運動展開の後に、事件から14年後に全員の無罪が確定した。が、事件の真犯人は今に至るも未解明である。当時鉄道を管理統制していた占領軍ならこの事件を起こせる、占領軍以外には起こせない、と言われていた。天皇(裕仁)は、それ以上の具体的な情報を持っていたのだろう。「法務大臣にきいたが松川事件はアメリカがやって共産党の所為にした」は、いま天皇(裕仁)生きていれば、内容を問い質したいところである。

 なお、当時の法務大臣は、指揮権発動で失脚したことで名高い犬養健(1952年?1953年)であり、その前任は反共活動で名高い木村篤太郎である。裕仁に情報を入れたのは、このどちらかであろう。

 しかし、残念ながら、「拝謁記」のこの日の記述はノートの最後のページに書かれ、いつもの詳細さに欠けている。田島自身が、「此日の記事は紙面を考へ要約なり」として筆を置いている。NHKが解読を依頼した現代史専門家らは、次のようにコメントしている。

 「汚物の意味は不明だが、法務大臣が天皇に報告するからには、根拠不明のうわさ話などではなく、アメリカから日本の捜査当局にもたらされた話だろう。これはこれまで根拠なく語られてきた謀略説を裏付ける初めての史料ではないか」「衝撃的な話だが、この記述だけでは評価しようがない。真偽が定かでない記述は慎重に扱うべきだ」

 きっといつか、解明される日が来るだろう。「松川事件の真犯人」と、「共産党のせいにした」権力の策動が。

岸田文雄よ、泉健太よ。そして、マスコミ各社よ。あなた方そろって、天皇教の信者なのか。

(2022年1月6日)
 憲法20条は、厳格な政教分離を定める。高く堅固な分離の壁で隔てられる「政」と「教」とは、「政治権力=国家」と「宗教」である。この宗教とは、宗派を問わない宗教一般ではあるが、日本国憲法制定の過程に鑑みれば、明らかに「国家神道=天皇教」がその中核にある。

 その「国家神道=天皇教」は、敗戦を機に制度の上では姿を消したが、信教の自由の保障を得て、国家とは切り離された私的な存在としては生き残っている。しかし、《国家と天皇と神道》との結びつきを《日本古来の伝統》と考える、右翼・守旧派は「国家神道=天皇教」を公的な存在として復活させたいのだ。

 「国家神道=天皇教」を代表する二大施設が、伊勢神宮と靖国神社である。軍国神社靖国への公式参拝には戦争被害国を中心に批判の目が厳しい。ところが天皇教の本宗である伊勢神宮には、比較的批判の声が小さい。いつの間にか、首相がここで年頭の記者会見をすることが定着してきた。それを許したメディアも、世論も反省しなければならない。それだけではない。野党の党首までが、年頭の伊勢詣でとは、情けないにもほどがある。

 以下は、政教分離にもっとも鋭敏な宗教者からの抗議声明である。

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党の代表者による伊勢神宮参拝と記者会見に抗議します

内閣総理大臣 岸田文雄様
立憲民主党代表 泉健太様
国民民主党代表 玉木雄一郎様
マスコミ関係各社 御中

 2022年1月4日、岸田首相は伊勢神宮を参拝し、記者会見を開きました。TBSやMBSなどによりますと、総理周辺は「伊勢参拝は公務としての行事であり、地元に帰るのとはわけが違う」と述べたことが報道されています。

 最高裁は1997年、公費で玉串料を払った愛媛県に対し、「県が特定の宗教団体を特別に支援している印象を一般の人に与える」と指摘し、政教分離違反にあたるとの判決を出しています。今回、首相が公務であると自覚しつつ伊勢神宮を参拝したことは、憲法20条3項の政教分離原則を蹂躙する許しがたい行為です。さらに、こうした政府の暴走をチェックすべき野党の代表までが、無批判に後を追う姿勢に強く抗議いたします。

 私たちはまた、記者会見において、そのことを指摘しなかったマスコミ各社に対しても、失望と憤りを禁じ得ません。

 かつて1933年、伊勢神宮参拝旅行への参加を拒否した一児童に対して、政界、教育界、宗教界、マスコミを巻き込んだ全国的な排撃運動(いわゆる美濃ミッション事件)が展開され、私たちの教会の先達である日本基督教会大垣教会の浅倉重雄牧師も「祖先・国忠志を祭る神社に低頭して敬意をはらうのはキリスト教信仰に何ら差し支えない。愛する美濃ミッションの方々が国体と神社を正しく認識し、問題を繰り返さぬよう祈る」との見解を美濃大正新聞に発表しました。官民がこぞって伊勢神宮参拝を国民行事として支持し、マスコミの煽動によってマイノリティーを排除しようとした歴史に加担した罪責を覚える時、私たちは今回の与野党の代表者による伊勢神宮参拝とマスコミによる記者会見を看過することができません。

 1965年の佐藤栄作首相以来、連綿と続いている総理大臣による伊勢神宮参拝によって、この国は少しはマシになったのでしょうか。かえって政治も経済も教育も医療も宗教も、すべからく低迷しているのではないでしょうか。いやしくも一国の首相や公党の代表たるあなたがたが、与野党ともに神頼みの政治を行おうとしている体たらくは、国内外の他民族に新たな恐怖を植え付けるとともに、唯々諾々と情報を垂れ流すマスコミ各社ともども、失笑を買うほかないでしょう。

 かつて全国民に神社参拝を強要した狂気は、アジア全体にすさまじい戦争の惨禍をもたらしましたが、あのような過ちを二度と繰り返さないためにも、公人による伊勢神宮参拝と記者会見は、これを最後にして欲しいと願います。

  2022年1月4日 日本キリスト教会大会靖国委員会委員長 小塩海平

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 この声明で取りあげられている美濃ミッション(大垣のキリスト教会)事件について、略述しておきたい。狂信的な天皇教信徒と化した民衆による、少数者の精神的自由圧殺の典型的な一事例である。

 1929年以後、美濃ミッション教会員の子弟が、その宗教的信念から神社参拝、招魂祭例への参加、さらには伊勢神宮参拝を拒否した。この事件は新聞で大々的に報道されて、大きな問題となった。日本基督教会も味方してはくれなかった。

 メディアや政治家に煽動された大垣市地元民は「美濃ミッション排撃の歌:守れ国体、葬れ邪教」を作って美濃ミッションを迫害したという。(ウィキペディアから引用)

 我が国体の尊厳を 害なう彼らミッションの
 排撃目ざす 我らこそ 使命に生きる国民ぞ

 血潮漲る憂国の 麋城(びじょう)の健児の力もて
 倒せミッション倭異奴(ワイド)輩 正々堂々最後まで

 いざ起て勇士時は今 我市四萬の健児らよ
 邪教の牙城を葬りて 正義の御旗輝かせ

(上記の「麋城(びじょう)」とは大垣城の異名、「倭異奴(ワイド)」は、この教会の宣教師ワイドナーのことである。)

 この排撃に遭遇して宣教師ワイドナーは健康を害して帰国の途次病没したという。また、複数の幹部が治安維持法違反で検挙されている。メディアと官憲と地域社会全体が、少数者を弾圧する典型例であった。もっとも、信徒については戦時中も信仰を守り妥協せず、官製の日本基督教団に加わることがなかったとされている。

 このような官民一体になっての宗教弾圧事件は全国に無数に起きた。このような事件の根源は天皇を神とする信仰の全国民への強制にあった。敗戦時に廃棄すべきであった天皇が生き残ったため、この天皇を再び神にしてはならないとする歯止めの装置が必要となった。信教の自由保障を掲げるだけでなく、日本国憲法は歯止めの装置としての政教分離規定を創設した。政治に関わる者すべてが、これを遵守しなければならない。

 年頭からの伊勢神宮参拝に違和感をもたないような、政党や政治家では、困るのだ。日本国憲法の理念を尊重していただきたい。
  

「法と民主主義・創立60周年記念号」ご紹介

(2022年1月5日)
 年末に、「法と民主主義」の特別号が発刊された。「創立60周年記念号」である。「創立50周年記念号」以来10年の法律家運動総括号となっている。
 以下に目次を掲載する。絢爛豪華にして殷賑隆盛の壮観とはちとオーバーではあるが、なかなかのものと自讃している。私も、象徴天皇制について寄稿している。手に取ってお読みいただけたら、ありがたい。

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創立60周年記念●激動の10年と新たな展望 ―― 日民協この10年

◆巻頭言・60年、最初の一歩と次の一歩 … 理事長・新倉 修
■巻頭論文・激動の10年の政治史と日本民主法律家協会の役割 … 渡辺 治

■激動の10年の政治史と法律家運動
◆企画にあたって … 編集委員会・前事務局長 米倉洋子
◆原発差止訴訟のこの10年 ── 弁護団の奮闘と判決の推移、そして今後の展望 … 北村 栄
◆公害・環境法における理論(研究者)と実務(弁護士)の協働
── 建設アスベスト訴訟・福島原発事故賠償訴訟を例に … 吉村良一
◆秘密保護法の内容・問題点とその後につながる運動 … 清水雅彦
◆監視社会と戦争する国づくり
── 特定秘密保護法/刑訴法・盗聴法改悪/共謀罪/
   デジタル監視法/土地規制法/内閣情報局 … 海渡雄一
◆戦争法反対・9条改憲阻止運動 ── 激動の10年 … 南 典男
◆機密費・財務省「森友学園」・「桜を見る会」追及とその闇を暴く運動 … 上脇博之
◆象徴天皇をめぐる議論状況この10年 … 澤藤統一郎
◆検察庁法改正反対運動の経緯と教訓 … 島田 広
◆「桜を見る会前夜祭」刑事告発の取組み … 小野寺義象
◆日本学術会議会員任命拒否問題と情報公開請求の取組み … 福田 護
◆原発事故から10 年
── 日民協の取組み、「原発と人権」の活動など … 海部幸造
◆改憲問題対策法律家6団体連絡会の活動 ── 憲法の危機に抗して … 大江京子
◆司法制度研究集会の10年を振り返る … 米倉洋子

■日民協創立の頃の息吹を伝え、60年を振り返る
◆日民協創立に至る迄 思い出すまま … 内藤 功
◆日民協創立の経緯とその「初心」 … 新井 章
◆『法民』とともに … 上条貞夫
◆鈴木安蔵先生の思い出 … 金子 勝
◆断想 野村平爾先生 … 大石 進

■これまでとこれからの日民協に寄せるおもい
―― 歴代理事長・事務局長・本部事務局員と現執行部員から
【理事長】
◆日民協活動の年月 … 久保田 穣
◆安倍改憲策動との闘いの3 年間 … 右崎正博
◆国際の平和と安全を実現する地球的な運動を … 新倉 修
【事務局長】
◆司法反動化に抗して ── 私の事務局長時代 … 鷲野忠雄
◆国際交流を実現した協会活動を振り返って ── 近況報告を兼ねて … 小野寺利孝
◆日本の司法の遅れを取り戻すために ── ドイツの司法の実態を学ぶ … 高見澤昭治
◆事務局長退任の日の「事務局長日記」 … 澤藤統一郎
◆事務局長雑感 ── 刺激をうけ、視野を拡げることのできた6年 … 海部幸造
◆原発、壊憲…未曾有の危機のなかで … 南 典男
◆事務局長時代を振り返って … 米倉洋子
◆「友情」「努力」「勝利」を体感できる日民協へ … 大山勇一
【本部事務局員】
◆京橋から四谷、そして新宿御苑へ … 林 敦子
【執行部員】
◆「手をとり合って」(クイーン) … 戒能通厚
◆インボイス中止のたたかい … 浦野広明
◆司法制度への恒常的問題提起を … 新屋達之
◆多様な「まなざし」 … 佐々木光明
◆土砂降りの日にすること … 永山茂樹
◆裁判官経験者としての活動参加と雑感 … 北澤貞男
◆日民協と法律関係労働組合 … 有村一巳
◆「危機の時代」の法律家の役割 … 飯島滋明
◆継続は力なり、でもそれだけでは不十分 … 辻田 航
◆メディアの変容とジャーナリズム … 丸山重威
◆次の60 年存続・発展のため … 奥津年弘

■日民協の未来を語る座談会
 出席者・辻田 航/大住広太/宮腰直子/飯島滋明/
 大江京子/米倉洋子/南 典男/新倉 修/大山勇一(司会)

■ともに歩んだ皆さんの連帯メッセージ
◆これからも司法の民主化をめざして … 中矢正晴
◆法務省の労働組合として … 西山義治
◆たたかいは続く ── 独立、平和、民主主義、基本的人権をまもるために … 山口真美
◆市民とともに9条をもう一度選び直したい … 小賀坂 徹
◆法律家に課された使命 ── 日本民主法律家協会創立60周年に寄せて … 阿部健太郎
◆働く者の権利擁護と団結の再生のために … 井上幸夫
◆若手会員とともに司法の民主化をめざして … 上野 格
◆共同の闘いで未来を変えよう! … 海渡雄一
◆日本民主法律家協会と日本国際法律家協会という二つの顔で人権活動にかかわって … 清末愛砂
◆「核兵器も戦争もない世界」を目指す取り組み … 森 一恵
◆憲法活かし、悪法阻止のたたかいに手を携えて … 岸田 郁
◆緊迫する情況の中での法律家の役割 … 山岸良太
◆国民審査運動の再生を … 瑞慶覧 淳
◆今こそ、憲法を実践するとき … 菱山南帆子
◆薩長連合のこと … 高田 健

◆とっておきの100枚 彼岸への伝言? … 佐藤むつみ
◆鳥生基金の創設にあたって 鳥生忠佑先生への感謝のことば … 大山勇一
◆改憲動向レポート〈№36(特別編)〉
 壊憲・改憲の危機にある日本と法律家の果たすべき役割 … 飯島滋明
●年表・この6年の日民協のあゆみ(2015.9?2021.11)
●資料・総もくじ(500+501号?562号)
●インフォメーション
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なお、今回は「563・564号」の合併号として、特別の2000円(送料別)。
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今年は、DHCスラップ訴訟の顛末を書物にして刊行したい ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第197弾

(2022年1月4日)
 暮に所用あって上野に一度、銀座に一度外出の機会があった。驚いたのは、そのときの人混み。どこもかしこもマスクをした人々の、密・密・密である。怖じ気づいて、正月三が日はこもりっきりであった。これから来るであろう第6波が恐ろしい。

 それでも、正月である。人並みに、今年の希望や抱負も語らねばならないところだが、さして元気が出ない。弁護士として受任した仕事を、丁寧に誠実にやり遂げること、という当たり前のこと以上にはさしたるものはない。

 強いて抱負らしいものを挙げれば、DHCスラップ訴訟の顛末を書物にして刊行したい。スラップというものの害悪と、この害悪をもたらした者の責任を明確にし、スラップを警戒する世論を高めるとともに、スラップ防止の方策までを考えたい。これは、私の責務である。

 そして、当ブログを書き続ける。来年の3月末で、このブログは連載開始以来満10年となる。2023年3月31日に「自分で祝する、10年間毎日連続更新達成」の表題で記事を掲載するまで多分書き続ける。これは執念である。

 DHC・吉田嘉明以外にも、このブログにはこれまで複数のクレームを経験している。当ブログに市井の庶民からの苦情はあり得ないが、私の批判が目障り耳障りという様々な人はいるのだ。そのためにこそ、このブロクを書き続ける意味はある。

 もっとも、毎回長文に過ぎるという批判を頂戴し続けてきた。今年こそは、短く読み易く、分かり易く、鋭い記事を書きたいもの。

 今年のブログのテーマは、何よりも国会内外における改憲策動と阻止運動の動きが中心とならざるを得ないが、その次には沖縄に注目したい。復帰50年である。そして知事選。辺野古新基地建設継続の可否も正念場となろう。既に、米軍基地からのコロナ感染が話題となっている。その県民の怒りの中での名護市長選が間近である。今年の沖縄には目が離せない。
 
 そして中国である。2月には北京冬季五輪が開催される。ナチス・ドイツ以来の大々的な国威発揚オリンピックとなることだろう。そして、IOCが商業主義の立場からこれに迎合する醜悪な事態となることが予想される。

 今秋には、「中国共産党第20回大会」が開催される。党結成100周年で20回目となる。党規約上5年に1度の党大会だが、文革期には13年も開催されなかったこともあるという。今回の党大会が注目されるのは、習近平独裁体制の確立という点である。

 「18年の憲法改正で、2期10年までとされていた国家主席の任期制限を撤廃。総書記に任期制限はないため、不文律の「68歳定年」さえ破れば、習氏は来年以降も最高指導者の地位を保つことができる。(時事)」というのが、メディアの解説。習はこの大会で、異例の総書記三選を果たすことになるだろうというのが、報じられているところ。この独裁、ブレーキの利かないものになりはしまいか。

 中国共産党政治理論誌「求是」が新年に、昨年11月の習近平演説の内容を明らかにした。習は、1989年の天安門事件について「深刻な政治的動乱に対する断固たる措置で党と国家の生死と存亡がかかる戦いに勝利した」と評価し、天安門事件を朝鮮戦争と同じ国家の危機だったとして事態を収拾できなければ「中華民族の偉大な復興の過程も絶たれていた」とまで述べたという。

 この演説は天安門上から、広場の群衆を見下ろす形で行われた。30年前に、民主化を求める多くの人々が犠牲になった場所である。そこで、習は民主主義を求める民衆への弾圧を「戦いに勝利」と言ったのだ。「戦い」の相手は丸腰だ。武器を持たない、市民と学生。これに銃を向け発砲したことを、「やむを得なかった」「忸怩たる思い」「胸が痛む」と言わずに、「戦いの偉大な成果」としてあらためて誇った。

 偉大な党の統制に服さない市民には同様に銃を向けるという宣言以外のなにものでもない。恐るべき大国の恐るべき指導者による、恐るべき姿勢。これが、当分続くことになるのだ。

1月7日「改憲NO!文京アクション 新春学習会」 講師は澤藤大河

(2022年1月3日)
 2022年の年開けは、少しも目出度くない。寒さが厳しいだけではない。思いがけなくも憲法をめぐる状況についての厳しさも痛感せざるを得ない。

 邪悪な改憲勢力の首魁(実は単なる無能)の安倍晋三をようやく政権の座から、引きずり下ろし、「これでしばらくは憲法の安泰期」と思っていたら、何としたことだ。ハトかに見えた岸田が、俄然タカの様相である。

 岸田は、総理大臣としての年頭所感でこう語った。「自由民主党結党以来の党是である、憲法改正も、本年の大きなテーマです。国会での論戦を深めるとともに、国民的な議論を喚起していきます」と。言わずもがなのことを、わざわざと。

 これが岸田の本心であるか否かを穿鑿するのは意味のないこと。自民党内の力学が、「改憲の好機到来」と認識して動き出しているのだ。「好機」をもたらしたのは、総選挙における反共野党勢力の跳梁である。とりわけ、維新の罪が深い。そして、《「安倍改憲」には反対だったが、「安倍抜き改憲」なら議論を始めてもよいのでは》というグループも、である。

 そのような情勢のさなかに、「コロナ禍と緊急条項」というテーマが浮上しつつある。12月31日の時事配信記事が「改憲勢力に勢い 緊急事態条項で進展目指す―立民苦慮、狭まる包囲網」という刺激的なもの。その中で、緊急事態条項に触れて、こう報じている。

 自民党は1月召集の通常国会で、国会議員任期の特例延長など緊急事態条項の創設を軸に改憲議論を進展させたい考えだ。新型コロナウイルス禍を踏まえて、世論の理解が得られやすいと判断しているためだ。

 10月の衆院選で、憲法改正に前向きな日本維新の会と国民民主党が議席を増やしたことも追い風とみている。「改憲ありきの議論」と一線を画す立憲民主党が対応に苦慮する場面が増えそうだ。

 緊急事態条項は、大地震などの大規模災害時に国会議員の任期を特例で延長することや、国会承認がなくても政府の政令を認める内容。公明党は「緊急事態で国会機能をいかに維持していくかという論点からの論議が必要だ」(北側一雄中央幹事会長)と、議員任期の延長に理解を示す。
 国民民主党幹部は「議員任期の延長特例は地方議会では既に認められている」と指摘。日本維新の会も前向きで、野党側からも一定の賛成が見通せる状況だ。

 以下は、この件に関する、私の地元文京での学習会のお知らせ。

改憲NO!文京アクション 
新春学習会

憲法第9条と緊急事態条項、
改悪するとどうなる?

参加無料
日時 2022年1月7日(金)18 :30?
場所 文京区民センター2A(文京区本郷4丁目15-14)
   最寄り駅:東京メトロ丸ノ内線後楽園駅

講師 澤藤 大河 弁護士(東大卒2016年弁護士登録)

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「憲法改悪を許さない全国署名」にご協力願います。
 岸田政権は、2021年10月の総選挙で、改憲発議に必要な3分の2の議席を手に入れました。中国や朝鮮を念頭に「敵基地攻撃能力の保有」を国会で表明し、そのため現在6兆円の防衛費2倍(GDP比2%)を主張しています。米国はじめ欧米諸国と軍事同盟を強化し「戦争する国」づくりを進め、アジアの緊張を高めています。改憲派は、参議院選挙をにらみながら9条に自衛隊を書き込むことと、緊急事態条項の創設を狙っています。
私たちは、自民党の改憲発議を許すことなく、憲法9条をはじめとし、今の日本国憲法で国民のいのちと暮らしを守る政治を求めていきます。

改憲NO!文京アクション事務局
文京区小石川2?21?8 (文京区労協新事務所)
電話 03-3815-1558 FAX 03-3813-6006

うなじ垂れ失意に深く沈む子にことばもなくて熱き茶いるる

(2022年1月2日)
 本日は、母のことを語りたい。そして、母方の祖父のことも。
 母・澤藤光子(旧姓赤羽、戸籍名ミツ子)は、1915年7月2日の生まれで1998年1月11日に没している。父にやや遅れて生まれ、父と結婚して4人の子を育て、父を看取って間もなく生を終えたことになる。

 生前歌作をしていたはずだが、散逸してのことか遺された歌は意外に少ない。その中に次の歌があることを知った。いつの作品か、誰のことを詠ったのかは定かでない。

  うなじ垂れ失意に深く沈む子にことばもなくて熱き茶いるる

 この「失意に沈む子」は、私かも知れない。私は、1962年3月に東大を受験して不合格となった。合格の自信はあり、自分に挫折あろうことなど考えてもいなかっただけに、確かに失意は深かった。このとき地球が自分を中心に回っているのではないことを知った。

 不合格の報を受けたときの記憶は定かでないが、母は私の「失意」を見ていたはず。この歌はいかにも母らしいと思う。今にして、母が4人の子に、ことあるごとに「ことばもなくて熱き茶いるる」を繰り返していただろうと思い当たる。

 またもしかしたら、この「失意に沈む子」は、次弟の明かも知れない。明は、1966年3月に京大を受験して不合格となっている。私よりも繊細な弟の方が、この歌の情景にふさわしいかも知れない。

 幸い、私も明も不合格の翌年には合格している。また、末弟の盛光は69年に京大に合格しているが、3人の子の合格を喜ぶ歌は残されていない。「深く失意に沈む子」に寄り添う歌が母にはふさわしいように思える。

 ところで、「大正生れの歌」には、女性版がある。

 ☆大正生れのわたし達 すべて戦争(いくさ)の青春で
  恋も自由もないままに 銃後の守りまかされた
  終戦迎えたその時は たのみの伴侶は帰らずに
  淋しかったわ ねぇあなた

 ☆大正生れのわたし達 再建日本の女房役
  姑に仕え子育てと ただがむしゃらに三十年
  泣きも笑いも出つくして やっと振り向きゃ白い髪
  それでもやらなきゃ ねぇあなた

 ☆大正生れのわたし達 可愛い孫のお守り役
  いまでは嫁も強くなり それでも引かれぬことがある
  休んじゃおれない ねぇあなた
  しっかりやりましょ ねぇあなた

 必ずしも母のイメージとは重ならないが、夫を戦争にとられ、戦後の混乱と貧しさの中での子育てに苦労したのは、この歌のとおりだ。私は幼いころ、母から「戦争は嫌だ」「あんな思いは二度としたくない」と繰り返し聞かされた。

 そして、父が軍隊生活を懐かしんで話すのによい顔をしなかった。子どもたちが、どうしてみんな戦争に反対しなかったの? と聞くと、「反対できるような世の中ではなかった」「しょうがなかったんだよ」と悲しそうに呟いていた。

父が遺した歌に、
 妻と子が日ごと詣でし氏神に無事の帰還を礼申しける
 農家より米もらうとて箪笥開け妻は晴着の幾枚を出す

などがある。母は、戦時中も戦後も苦労させられたわけだ。

 母光子の父、つまり私の母方の祖父は赤羽幹と言った。盛岡に根付いた人だったが、晩年、光子を訪ねて大阪府下の富田林に来て1週間ほどを過ごしたことがある。そのとき私は中学生だったが、初めて明治生まれの人と忌憚なく話し込むという経験をした。祖父と孫との会話である。一人前に扱われたこともあり、私にとっても楽しいものだった。祖父も楽しそうによく話を聞いてくれた。

 きっかけは忘れたが、天皇が話題となって雰囲気が変わった。私は、遠慮することなく、しゃべった。子どもの頃、私は口が達者だった。
 私は天皇(裕仁)のことを「あの猫背のオッサン」と呼んだ。「あのオッサンが日本のみんなを騙して戦争を始めた」「騙された日本人が、戦争に巻き込まれてたくさん死んだ」「原爆落とされて死んだ可哀想な人もいっぱいいる」「それなのに、あのオッサンは自分だけ生き延びたずるいヤツだ」「どうしてまた今、エラそうな顔をしていられるのか」としゃべった。

 すると、思いがけないことが起こった。黙って聞いていた祖父の目に涙が溜まっているのだ。そして、圧し殺すような声で「今の日本人が生きておられるのは天皇陛下のお蔭だ」「天皇陛下がいなければ、敗戦のとき日本人は皆殺しだった」と言った。私には、印象的な衝撃的な体験だった。それ以上言い募ることはせず黙った。

 母はその顛末を知っていたはずだが、何も言わなかった。その後1年を経ずして、祖父の訃報が母に届いた。私は、あのときの居心地の悪さを抱えたまま今日に至っている。  

澤藤統一郎の憲法日記 © 2022. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.