岸田文雄よ、泉健太よ。そして、マスコミ各社よ。あなた方そろって、天皇教の信者なのか。
(2022年1月6日)
憲法20条は、厳格な政教分離を定める。高く堅固な分離の壁で隔てられる「政」と「教」とは、「政治権力=国家」と「宗教」である。この宗教とは、宗派を問わない宗教一般ではあるが、日本国憲法制定の過程に鑑みれば、明らかに「国家神道=天皇教」がその中核にある。
その「国家神道=天皇教」は、敗戦を機に制度の上では姿を消したが、信教の自由の保障を得て、国家とは切り離された私的な存在としては生き残っている。しかし、《国家と天皇と神道》との結びつきを《日本古来の伝統》と考える、右翼・守旧派は「国家神道=天皇教」を公的な存在として復活させたいのだ。
「国家神道=天皇教」を代表する二大施設が、伊勢神宮と靖国神社である。軍国神社靖国への公式参拝には戦争被害国を中心に批判の目が厳しい。ところが天皇教の本宗である伊勢神宮には、比較的批判の声が小さい。いつの間にか、首相がここで年頭の記者会見をすることが定着してきた。それを許したメディアも、世論も反省しなければならない。それだけではない。野党の党首までが、年頭の伊勢詣でとは、情けないにもほどがある。
以下は、政教分離にもっとも鋭敏な宗教者からの抗議声明である。
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党の代表者による伊勢神宮参拝と記者会見に抗議します
内閣総理大臣 岸田文雄様
立憲民主党代表 泉健太様
国民民主党代表 玉木雄一郎様
マスコミ関係各社 御中
2022年1月4日、岸田首相は伊勢神宮を参拝し、記者会見を開きました。TBSやMBSなどによりますと、総理周辺は「伊勢参拝は公務としての行事であり、地元に帰るのとはわけが違う」と述べたことが報道されています。
最高裁は1997年、公費で玉串料を払った愛媛県に対し、「県が特定の宗教団体を特別に支援している印象を一般の人に与える」と指摘し、政教分離違反にあたるとの判決を出しています。今回、首相が公務であると自覚しつつ伊勢神宮を参拝したことは、憲法20条3項の政教分離原則を蹂躙する許しがたい行為です。さらに、こうした政府の暴走をチェックすべき野党の代表までが、無批判に後を追う姿勢に強く抗議いたします。
私たちはまた、記者会見において、そのことを指摘しなかったマスコミ各社に対しても、失望と憤りを禁じ得ません。
かつて1933年、伊勢神宮参拝旅行への参加を拒否した一児童に対して、政界、教育界、宗教界、マスコミを巻き込んだ全国的な排撃運動(いわゆる美濃ミッション事件)が展開され、私たちの教会の先達である日本基督教会大垣教会の浅倉重雄牧師も「祖先・国忠志を祭る神社に低頭して敬意をはらうのはキリスト教信仰に何ら差し支えない。愛する美濃ミッションの方々が国体と神社を正しく認識し、問題を繰り返さぬよう祈る」との見解を美濃大正新聞に発表しました。官民がこぞって伊勢神宮参拝を国民行事として支持し、マスコミの煽動によってマイノリティーを排除しようとした歴史に加担した罪責を覚える時、私たちは今回の与野党の代表者による伊勢神宮参拝とマスコミによる記者会見を看過することができません。
1965年の佐藤栄作首相以来、連綿と続いている総理大臣による伊勢神宮参拝によって、この国は少しはマシになったのでしょうか。かえって政治も経済も教育も医療も宗教も、すべからく低迷しているのではないでしょうか。いやしくも一国の首相や公党の代表たるあなたがたが、与野党ともに神頼みの政治を行おうとしている体たらくは、国内外の他民族に新たな恐怖を植え付けるとともに、唯々諾々と情報を垂れ流すマスコミ各社ともども、失笑を買うほかないでしょう。
かつて全国民に神社参拝を強要した狂気は、アジア全体にすさまじい戦争の惨禍をもたらしましたが、あのような過ちを二度と繰り返さないためにも、公人による伊勢神宮参拝と記者会見は、これを最後にして欲しいと願います。
2022年1月4日 日本キリスト教会大会靖国委員会委員長 小塩海平
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この声明で取りあげられている美濃ミッション(大垣のキリスト教会)事件について、略述しておきたい。狂信的な天皇教信徒と化した民衆による、少数者の精神的自由圧殺の典型的な一事例である。
1929年以後、美濃ミッション教会員の子弟が、その宗教的信念から神社参拝、招魂祭例への参加、さらには伊勢神宮参拝を拒否した。この事件は新聞で大々的に報道されて、大きな問題となった。日本基督教会も味方してはくれなかった。
メディアや政治家に煽動された大垣市地元民は「美濃ミッション排撃の歌:守れ国体、葬れ邪教」を作って美濃ミッションを迫害したという。(ウィキペディアから引用)
我が国体の尊厳を 害なう彼らミッションの
排撃目ざす 我らこそ 使命に生きる国民ぞ血潮漲る憂国の 麋城(びじょう)の健児の力もて
倒せミッション倭異奴(ワイド)輩 正々堂々最後までいざ起て勇士時は今 我市四萬の健児らよ
邪教の牙城を葬りて 正義の御旗輝かせ
(上記の「麋城(びじょう)」とは大垣城の異名、「倭異奴(ワイド)」は、この教会の宣教師ワイドナーのことである。)
この排撃に遭遇して宣教師ワイドナーは健康を害して帰国の途次病没したという。また、複数の幹部が治安維持法違反で検挙されている。メディアと官憲と地域社会全体が、少数者を弾圧する典型例であった。もっとも、信徒については戦時中も信仰を守り妥協せず、官製の日本基督教団に加わることがなかったとされている。
このような官民一体になっての宗教弾圧事件は全国に無数に起きた。このような事件の根源は天皇を神とする信仰の全国民への強制にあった。敗戦時に廃棄すべきであった天皇が生き残ったため、この天皇を再び神にしてはならないとする歯止めの装置が必要となった。信教の自由保障を掲げるだけでなく、日本国憲法は歯止めの装置としての政教分離規定を創設した。政治に関わる者すべてが、これを遵守しなければならない。
年頭からの伊勢神宮参拝に違和感をもたないような、政党や政治家では、困るのだ。日本国憲法の理念を尊重していただきたい。