(2022年7月11日)
凡人に、一喜一憂するなと言うのは無理な話。今日は、「一憂」の日だ。朝から気が重い。
肺ガンを患って手術を受けたとき、柄にもなく「歌のようなもの」を詠んだことがある。その30首ほどの中に次の一首。自分がガンになったことで、神を怨んだもの。
神在りせば神を怨まん
なんぞかくも気まぐれなる かくも酷薄なる
今日は、この「歌のようなもの」の気分を苦く噛みしめている。ただし、この「神」を、「民」ないしは「民意」に置き換えて。
民主主義とは一筋縄ではゆかぬものだ。選挙は民意を政治に反映する手続というが、その民意が気まぐれでまことにはかなく頼むに足りない。なんの見識も持ち合わせなさそうな体育系やら芸能系やら右翼系やら、あるいは愉快犯風やらに票が集まる。セクハラオヤジも当選した。これが、重要対決法案での数の力となるのだ。もしかしたら、改憲策動の手駒にもなる。一方、大門実紀史が落選した。有田芳生も落ちた。なんたることだ。
憂鬱なのは、この選挙結果が改憲策動に結びつきかねないからだ。毎日新聞の夕刊トップに、「改憲4党 93議席」という大見出し。ますます気が重くなる。
かつては国会に「3分の1の壁」が厳然と聳えていて、保守派にとっての夢である改憲発議を阻んでいた。今その壁が総崩れ目前だ。自・公・維・国が、この壁を穿ち、あわよくば改憲の実現をと虎視眈々の風である。
とは言え、主戦場は国会の外にある。本当に、民意は改憲を望んでいるのだろうか。たよりげない民意だが、改憲勢力にとっても、けっして頼もしい味方ということではあるまい。しかも、自・公・維・国の改憲案が一致しているわけでもない。今回選挙で示された民意は必ずしも、改憲の民意と重なるものではない。
いつまでも落ち込んではいられない。明日は、気を取り直そう。
(2022年7月10日)
DHCスラップ訴訟・DHCスラップ「反撃」訴訟では、多くの皆様に、お世話になりました。2014年4月に始まったこの訴訟。まずは私が被告にされた訴訟が、東京地裁から最高裁まで3ラウンドで私が勝訴し、さらに攻守ところを変えた「反撃」訴訟が、これも東京地裁から最高裁まで3ラウンド。合計6ラウンドの闘いで、全て私の完勝となりました。
この訴訟は、昨年1月に全て終了しましたが、その顛末をようやく一冊の書にまとめて、7月中に発刊の運びとなりました。既に、日本評論社のホームページに、「これから出る本」として紹介されています。「スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」という副題。弁護団長・光前幸一さんの丁寧な解説が付されています。
8年前の5月のある日、突然に理不尽なスラップを仕掛けられた当初に思ったことは、ともかくこの訴訟を勝ちきらねばならない、ということだけ。しかし、多くの人たちからのご支援を得て余裕ができてくると、これは私一人の問題ではないと実感するようになって思いは変わりました。
単に仕掛けられたスラップを斥けて良しとするのでは足りない。スラップ反撃の成功の実例を作らねばならない。そして、スラップを仕掛けた側に、典型的な失敗体験をさせなければならない。DHCと吉田嘉明に、「スラップなんかやってたいへんなことになってしまった。スラップなんかやるんじゃなかった」と反省させなければならない。そしてそのことを世に伝えなければならない。そう思うようになったのです。
この本の中では、DHC・吉田嘉明に「スラップの成功体験をさせてはならない」と書いたのですが、本当のところは「スラップの失敗体験をさせなくてはならない」という決意でした。
まずは、自分の言論を萎縮してはならないという思いから、「澤藤統一郎の憲法日記」に、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを猛然と書き始め、これは既に第200彈を超えています。そして、反撃訴訟を提起して、これも勝ちきることができました。DHC製品の不買運動も呼びかけています。私の思いはほぼ達成できたとの満足感があります。
残るのは訴訟の顛末を世に報告するということ。この書の出版によって、ようやく重荷を下ろすことになりそうです。多くの人に支えられ、多くの人を頼っての勝利であって、私はこの間誰よりも幸せな被告であり原告であり続けました。これは私が恵まれた立場にあったからですが、それだけに、スラップへの対抗例を報告しなければならないと思い、読みやすい形でまとめることができたと思います。
この書を、スラップ批判の世論を形成するために広めていただき、さらには実践的なスラップ対応テキストとしてご活用いただけたらありがたいと思っています。
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「DHCスラップ訴訟 ー スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」
著者 澤藤統一郎
予価:税込 1,870円(本体価格 1,700円)
発刊年月 2022.07(中旬)
ISBN 978-4-535-52637-2
判型 四六判 256ページ
内容紹介
批判封じと威圧のためにDHCから名誉毀損で訴えられた弁護士が表現の自由のために闘い、完全勝訴するまでの経緯を克明に語る。
目次
はじめに
第一部 ある日私は被告になった
1 えっ? 私が被告?
2 裁判の準備はひと仕事
3 スラップ批判のブログを開始
4 第一回の法廷で
5 えっ? 六〇〇〇万円を支払えだと?
6 「DHCスラップ訴訟」審理の争点
7 関連スラップでみごとな負けっぷりのDHC
8 DHCスラップ訴訟での勝訴判決
9 消化試合となった控訴審
10 勝算なきDHCの上告受理申立て
【第1部解説】DHCスラップ訴訟の争点と獲得した判決の評価……光前幸一
第二部 そして私は原告になった
1 今度は「反撃」訴訟……なのだが
2 えっ? また私が被告に?
3 「反撃」訴訟が始まった
4 今度も早かった控訴審の審理
5 感動的な控訴審「秋吉判決」のスラップ違法論
【第2部解説】DHCスラップ「反撃」訴訟の争点と獲得判決の意義……光前幸一
第三部 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの
1 スラップの害悪
2 スラップと「政治とカネ」
3 スラップと消費者問題
4 DHCスラップ関連訴訟一〇件の顛末
5 積み残した課題
6 スラップをなくすために
【第3部解説】スラップ訴訟の現状と今後……光前幸一
あとがき
資料
DHCスラップ訴訟|日本評論社 (nippyo.co.jp)
(2022年7月9日)
いよいよ、明日(7月10日)が参院選の投票日。比例代表には、「日本共産党」に投票をお願いしたい。また、東京選挙区では山添拓候補を、ぜひよろしく。
弁護士の山添拓は、「憲法が希望」というキャッチを掲げる。そのとおり、「憲法こそ希望」である。このキャッチがよく似合う「山添拓が希望」だし、「日本共産党が希望」だ。ところが、これがなかなか選挙民の耳にはいらない。その原因の一つが、反共宣伝による反共アレルギーの蔓延である。
以下は、19世紀中葉の『共産党宣言』冒頭の一節である。
「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している、共産主義という妖怪が。およそ古いヨーロッパのすべての権力が、この妖怪を祓い清めるという神聖な目的のために、同盟を結んでいる。権力の座にある対抗派から共産主義だと罵られなかった政府反対派がどこにいるだろうか。」
21世紀の日本においても事情はまったく変わらない。権力の座にある対抗波を中心とする諸勢力が神聖同盟を結んで、日本共産党を妖怪とし、日本共産党を罵り貶めようと躍起になっている。神聖同盟に加わらないとする「良心派」の多くも、日本共産党との距離感については臆病とならざるを得ない。
その結果、多くの人の利益を代表する立場の日本共産党の勢力が伸び悩んでいる。庶民の投票が、自殺行為に等しい与党への投票となったり、反共中間政党に掠めとられたりしている。これは日本の民主主義に潜む、重大な病根と言わねばならない。なぜ、日本共産党は「妖怪」とされているのか。
100年ほど前に、天皇制政府は治安維持法を制定(1925年)した。その第1条1項は、「国体ヲ変革シ又は私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」に、10年以下の懲役または禁錮に処するというもの。周知のとおり、この法定刑は後に死刑を含むものとなる。
天皇制権力が恐れたものは、「国体の変革」と「私有財産制度の否認」であった。これは分かり易い。いうまでもなく「国体の変革」とは天皇制の廃絶であり、「私有財産制度の否認」とは社会主義の実現を意味する。体制の根幹を揺るがすこの二つのテーマにおける体制の敵は、当時できたての日本共産党にほかならず、治安維持法は共産党を標的とするものであった。
天皇制政府と大資本にとっては、日本共産党こそが恐るべき真の敵であった。それはそのとおりであったろう。ということは、民衆にとって共産党こそが真の味方であったはず。にもかかわらず、多くの民衆はそうは思わなかった。
天皇制政府と大資本の手先となった少なからぬ人が、共産党を「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」と敵視した。そして、それ以外の多くの人々が、共産党に近いと思われることを極端に恐れた。身内から「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」と罵られる者を出してはならないと警戒した。
対中戦争が始まって戦時統制色が強くなると、権力と社会の共産党攻撃はさらに強くなり、共産党は牢と地下での逼塞を余儀なくされた。公然たる共産党の活動が社会に注目されるのは敗戦後のことになる。
しかし、戦後も権力と資本は、徹底して共産党を敵視し続けた。1949年夏、天下を震撼させた下山・三鷹・松川事件が起こるや、政府は直ちに全て共産党による犯行との宣伝を徹底し、国民の共産党に対する反感を煽った。
戦後70余年を経て、今に至るも事情は基本的に変わらない。反共アレルギーとは、国民の深層心理の中に叩き込まれた、「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」というイメージは、権力からの弾圧と共同体からの排除を意味する暗さに起因する。アカが恐いのではなく、アカと思われることが恐いのだ。我が子の平穏な将来を望む親が、「就職に不利になるから、共産党には近づかないようにしなさい」と言う、あの非理性的なしかし根深い心根なのだ。この反共宣伝と反共アレルギーは、為政者と企業にとって、共産党こそが天敵なればこそである。実は、日本共産党が、大多数国民の最も確かな味方であればこその権力と資本の攻撃の結果なのだ。
その故に、いまだに一匹の妖怪が日本を徘徊している、日本共産党という妖怪が。およそ自公の与党から、維新・国民、有象無象の右翼諸政党とネトウヨ諸派がこの妖怪を祓い清めるという神聖な目的のために、同盟を結んでいる。この反共神聖同盟の核にある反共アレルギーを払拭することは、日本の民主主義のための重要な課題である。そのためにも、ぜひとも、日本共産党への一票をお願いしたい。
(2022年7月8日)
安倍晋三に対する銃撃と死亡の報に、この上ない衝撃を禁じえない。
暴力とはかくも易々と言論を蹂躙してしまう。民主主義とは、暴力の前にかくも脆弱な存在であるという現実を見せつけられての戦慄である。
何よりも警戒すべきは、模倣犯の出現であり、その連鎖である。
民主主義の基本は、言論対言論の対抗ルールである。これを生ぬるく面倒なものとして、短絡的に暴力に訴える風潮を許してはならない。政治信条の如何にかかわらず、言論に対する暴力の行使を厳しく排斥する大原則の重要性を再確認しなければならない。
私は、安倍晋三を唾棄すべき人物であり危険な存在として論難を続けてきた。当然のことながら、その姿勢を変えようとは思わない。しかし、私が非難の対象としたのは実は安倍晋三個人ではなく、安倍を中心とする反動的政治信条や、安倍を支持する政治勢力である。つきつめれば、国家主義や歴史修正主義や復古思想や、新自由主義や、著しく廉潔性を欠いた政治手法などとの論争であった。その論争は安倍晋三への暴力や死によって決着するものではない。
だから、安倍晋三個人に対する暴力は無意味なものであり、演説中の安倍晋三を銃撃するという野蛮をけっして許してはならない。同時に、安倍晋三の死をもって安倍の生前の所業を美化したり、安倍の負の遺産追求に手心があってもならない。日本中に轟いた「モリ・カケ・サクラ・クロ・カワイ」の悪名を忘れてはならない。
また、さらに警戒すべきは、参院選投票を直前にしてのこの事件の衝撃が、選挙結果に及ぼす影響である。本日の日本民主法律家協会の緊急声明のなかに、次の一節がある。
「本件の襲撃が、参議院選挙を間近に控えた中で現職の国会議員による街頭演説中になされたことは極めて問題であって、これは民主主義に対する重大な挑戦である。このような暴挙が市民や市民が選ぶ公職選挙候補者の言論活動を委縮させることがないように、私たちは最大の関心をもって注視し続けなければならない。」
関心は、「 このような暴挙が市民や市民が選ぶ公職選挙候補者の言論活動を委縮させてはならない」ということにある。本日の銃撃によって遮られたのは、直接には安倍晋三の演説であり、安倍晋三が応援していた自民党候補者の選挙活動である。これに萎縮や支障があってはならない。と同時に、その反対の野党陣営にも、この事件のもたらす衝撃や、死者に対する弔意の強制にもとづく選挙活動の萎縮があってはならない。
もとより、安倍晋三の死によって、安倍晋三や自民党が推進してきた数々の悪政や失政を清算させるようなことがあってはならない。安倍晋三に対する儀礼上の弔辞のノリで、あたかも彼が優れた業績を残した清廉で偉大な政治家であったなどという虚像を作りあげてはならない。これまで彼の悪行を追求してきた野党勢力の政治活動にも選挙活動にも、いささかの怯みも緩みもあってはならない。暴力から民主主義を擁護することの最大の意味はこの点にあることを特に強調しておきたい。
(2022年7月7日)
参院選もいよいよ大詰め、最終盤である。メディアの当落予想での一喜一憂はもはや無意味。残る選挙運動日は本日が終わると残り2日のみ。
所用あって午前8時ころ外出したら、本郷三丁目交差点に日本共産党サポーターの若者たちがズラリ。プラスターを並べ、肉声での懸命の政策宣伝。いや、頼もしい。このところ、日を追ってよい雰囲気が盛り上がっているように見える…のだが。
用先の某駅で電車を降りたら、駅前で自民党の宣伝隊にぶつかった。「決断と実行」という幟が数本。そして、屈強な男たちが数名でビラを配っている。そのうちの一人が、ビラを渡そうと寄ってきて「お願いします」という。「自民党、消費税下げるって決断したのかね?」と声を上げると、「えー、自民党は消費税下げるって言ってないですよね」となんとも他人事のような頼りげない返事。「じゃ、年金の増額を実行してくれるのかね?」と聞くと、「それも言っていないですね」。「それじゃ、自民党に票を入れたところで、何の足しにもならないじゃないか」。この運動員氏の人柄はよさそう。なんとなく「それもそうですね」とうなずく風。
もう一人の運動員に声をかけてみた。「自民党は、本気になって憲法9条変えようというの?」。意外な答えだった。「さあ、どうでしょうかね」。明らかに、「オレは知らん」「オレにとってはどうでもよいこと」というニュアンス。時間があれば、「あんた、いったい幾らの時給で働いているの」と話を続けたいところだったが、「よくもまあ、それでどうして自民党を応援できるんだ」という捨てゼリフをもって話はここまで。
共産党は着実に加点しているという実感。一方、自民党は日を追って確実にオウンゴールと思しき発言が目立っている。この党のいい加減さは、末端運動員だけでない。政権中枢に位置する者も相当にひどい。
まずは「野党の人から来る話は何一つ聞かない」という山際大志郎経済再生担当相発言。7月3日、青森県八戸市で自民党候補の応援をした際に、「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない。生活を本当に良くしようと思うなら、自民党、与党の政治家を議員にしなくてはいけない」という発言。
おや、岸田内閣の金看板が剥げ落ちた。聞く耳もつことがキャッチフレーズだったはず。「聞く耳」とは、弱い立場にある者の小さき声を聞く姿勢を印象づけた言葉である。強い者のあるいは多数者の大きな声は、誰の耳にもイヤでも聞こえる。その大きな声を聞く耳は誰もがもつものであり、大きな声を聞く耳は、自慢にならない。
山際大志郎という閣僚は、選挙に勝った多数派の大きな声だけを聞く耳をもっており、それ以外の弱い人少数の人の声には聞く耳もたないことを、「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない」と表現したのだ。岸田内閣の化けの皮を剥がして見せたこの閣僚の発言の意義は大きい。
そして、麻生太郎の二つの発言。一つは、7月1日の三重県桑名市内での講演で「『政治に関心がないのはけしからん』とえらそうに言う人もいる。しかし政治に関心を持たなくても生きていけるというのは良い国だ」と発言したという。
これ、麻生太郎の民主主義に対する無知をよく表している。為政者さえしっかりしていれば、民の生活は安泰というのだ。有能で慈悲深い為政者にお任せしていれば、民の生活は安寧なよい社会ができる、というわけ。聖帝堯の時代の理想の政治のあり方が「鼓腹撃壌」と表現された。臣民を慈しむ天皇の御代の政治も同じ発想である。民主主義の思想とは根底から異なるのだ。
国民は、「政治に関心を持たなくても生きていける」かも知れない。しかし、それは「良い国」ではない。独裁へ歩みつつある国か、既に独裁国家となった国でしかない。
麻生のもう一つの発言。7月4日千葉・行徳駅前で「子供の時にいじめられた子はどんな子だったのか。弱っちい子がいじめられる。強いやつはいじめられない。国も同じ。戦争が起きなくなる抑止力。自民党がやってきた確固たる自信があります」と胸を張ってみせたという。
麻生のいう「弱っちい子」は、明らかに否定的に語られている。イジメを誘発した現場の常として語られる「いじめられた方にも問題がある」という論調。この世の虐げられた弱者を励ますのではなく、この世の歪んだ冷たい構造を変えようというのでもなく、弱き者の自己責任を論じることで、現状を追認する罪の深い語り口である。
また、「弱っちい国」は、軍事力を増強して強くならない限りは侵略を受けることになるという煽動の理屈。この「失言」は、実は自民党の「ホンネ」なのだ。
だんだんと化けの皮が剥がれてくる自民党。確かに情勢は動いている。あと2日でのさらなる変化を期待したい。
(2022年7月6日)
冷戦時代、北海道が仮想敵国ソ連と向き合う防衛の最前線とされ、自衛隊精強部隊の配備地とされた。今、仮想敵国中国と最前線で向き合うのは沖縄であり先島・西南諸島とされている。米軍基地はこの地に集中し、自衛隊基地も増強されつつある。その「防衛」政策の象徴としての辺野古新基地建設強行が注目されざるを得ない。
政府にとっての沖縄が防衛上の要地である以上、住民の政治的な支持を固めておきたい場所なのだが、基地負担の押し付けは県民の反発を必然とする。それだけでなく、歴史的な事情から沖縄は反戦平和の意識と運動の強い地域である。本土政府の沖縄に対する基地受け入れ容認の要請と、沖縄県民の反戦平和の要求との熾烈なせめぎあいの構造が続いて、今日に至っている。
沖縄県民は「オール沖縄」を結成した。「オール」は、自分たちこそが沖縄県民の総意を代表するものとの自負を表している。「オール沖縄」に結集しない勢力とは本土政府からの切り崩し・懐柔に屈した人々。妥協して条件闘争路線をやむなしとした人々というわけだ。
今回も、本土政府の沖縄に対する基地受け入れ容認の要請と、沖縄県民の反戦平和の要求とのせめぎあいという重大な参院選地方区。「オール沖縄」対「自・公」、革新対保守の一騎打ちという構図で大接戦が報じられている。当然に辺野古新基地建設の可否が大きな争点となっている。実は、選挙戦の形を借りて、政府と沖縄県民とが争っているのだ。
「オール沖縄」の候補が、伊波洋一(無所属・現)。元宜野湾市長・元沖縄県議会議員、立憲・共産・れいわ・社民そして地元の社大党がこぞって支持している。保守側が、古謝玄太(自民・新、公明推薦)元総務省課長補佐、元NTTデータ経営研究所マネージャー。
伊波候補は、「辺野古の新基地建設反対闘争が始まってから、もう25年以上。この闘いは私たちの誇りであります。絶対にこの辺野古の新基地を作らせてはならない」という立場。対する古謝はどうか。これまで、保守側は辺野古新基地建設を容認するとは言ってこなかった。民意が反対ということが誰にも分かっていたからだ。ところが、今回は挑発的に辺野古新基地建設「推進」の立場を明瞭にしている。政府の立場を沖縄県民に押し付けようという元官僚なのだ。
平和と戦争の問題は、沖縄にこそ、くっきりとした影を落とす。「沖縄を再び戦場にするな」ということこそが沖縄県民の平和の願い。「9条変えろ」「敵基地攻撃」「軍事費2倍」という、自公政権や維新が唱える大軍拡の道を進めば、相手国を刺激して軍拡を加速させ、「安全保障のパラドックス」をもたらすことになる。この悪循環の中で、うっかり集団的自衛権を行使して「敵基地攻撃」を始めたら、「その結果として起こる報復攻撃に、真っ先にさらされるのが沖縄」なのだ。もちろん、ことは沖縄に限定された問題ではない。
伊波洋一候補の、「相手候補は辺野古新基地推進、南西諸島のミサイル基地建設のため、国を挙げて県民相手に挑んでいる。この選挙で新基地ノーの民意をしっかり示そう」という訴えに、耳を傾けたい。
(2022年7月5日)
私は不思議でたまらない
自由も民主もだいきらい
それでも自由民主党
私は不思議でたまらない
財界御用の自民党
どうして庶民が票入れる。
私は不思議でたまらない
低賃金に物価高、年金引き下げ生活苦
それでも与党が勝つという。
私は不思議でたまらない
アベノミクスで失敗し
キシダノミクスで挽回と?
私は不思議でたまらない
二度と戦争せぬという
誓いの憲法変えよとは。
私は不思議でたまらない
武器も戦費も倍増し
戦争準備が「平和」とは。
私は不思議でたまらない
平和が大事という人が
自・公・維・国に票入れる。
私は不思議でたまらない
ヒロシマ・ナガサキ忘れたか
どうして今だに核の傘。
私は不思議でたまらない
コントロールもブロックも
ウソと知りつつ再稼働。
私は不思議でたまらない
左の耳はロバの耳
どうして庶民の声を聞く。
私は不思議でたまらない
野党の声は聞かないで
いったいどなたの声を聞く。
私は不思議でたまらない
歯の浮くようなウソばなし
欺されるのが好きな人。
私は不思議でたまらない
バクチは嫌だという人が
どうして維新を支持するの。
私は不思議でたまらない
コロナ禍・イソジン・雨ガッパ
それでも維新をたたかない。
私は不思議でたまらない
ヘンな候補者並べたて
不祥事政党ヘラヘラと。
私は不思議でたまらない
一番まともな政党を
「偏向してる」というなんて。
私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだと、いうことが。
私は不思議でたまらない、
笑っていられるときじゃない
バカにするなと怒らなきゃ。
このことだけはよく分かる
共産党への一票が
平和と暮らしを守ること。
(2022年7月4日)
今回の参院選挙では、不真面目で不愉快な立候補者が少なくない。「NHKをぶっ壊す」という無法な輩がその筆頭。私も、NHKをめぐる訴訟に携わっているが、提訴はNHKの番組制作の現場を励まし、NHKに真っ当なジャーナリズムであってほしいとの願いを込めてのもの。
いうまでもなく、NHKには評価すべき良質の番組が少なくない。良心的な記者も多い。友人から、《「香港がどんな風に死ぬか知るべき」失われた自由 地元記者は》という、ネット記事を教えられた。若槻真知・NHK香港支局長のレポート。香港に根付いていた民主主義が、それを支えていた報道の自由もろとも蹂躙された恐るべき事態の意味を、一人の現地記者(元「リンゴ日報」デスク)の取材から見つめたレポートである。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2022/07/01/23385.html
リードはこうなっている。
「たとえ香港という街が死んでしまうとしても、どんな風に死ぬのか市民は知るべきだ」「何より怖いのは沈黙に慣れていくこと」 言いたいことが言えなくなり、罪に問われるかもしれない。言論の自由が失われるというのはどういうことなのか。
究極の選択を迫られた記者たちの姿を追った。
このNHK記者は、香港を「死んだ」と表現した。かつて100万人のデモが街を覆い民主主義の熱気に溢れた香港は今や「死んだ」に等しい。病死でも自然死でもない。無惨にも殺されたのだ。いうまでもなく、殺したのは中国共産党である。
この記事を通じて、NHK記者自身のジャーナリストとしての覚悟が伝わってくる。NHKをぶっ壊してはいけない。報道機関としてのNHKを励まし、その独立を妨げようとする邪悪な権力の策動を糾弾しなくてはならない。民主主義を守るために。つくづくとそう思う。
このNHK記者の比喩を借りれば、戦前の日本も明らかに「死んだ」状態にあった。自由民権運動もあり、大正デモクラシーも経験し、政党政治もあったはずの日本が、どのようにして、いつ「死んだ」のだろうか。
戦前の日本の「死」は、日本共産党への弾圧に始まる。
1925年4月 治安維持法成立
1928年3月15日 第1次共産党弾圧
1929年4月16日 第2次共産党弾圧
1933年2月20日 小林多喜二虐殺
1933年9月 桐生悠々 信濃毎日を追われる
1935年 「天皇機関説」事件 衆議院「国体明徴声明」
1935年 大本教弾圧
1937年7月 日中戦争開戦
1939年7月 国家総動員令
1940年10月 「大政翼賛会」結成(全政党解党)
1940年11月 大日本産業報国会創立
1941年12月8日 太平洋戦争開戦
マルチン・二ーメラーが後に述懐したとおり、ドイツでも日本でも、「最初に共産主義者が弾圧され、自分が声をあげずにいる間に弾圧は広げられ、ついに教会にいたったときに立ち上がったが、時既に遅かった」
戦前の日本の民主主義を殺したのは、野蛮な天皇制であった。その最初の標的が共産党であったことを忘れてはならない。日本共産党の勢力の縮小は、日本国憲法の改悪に至る危険をはらんでいる。そして、改憲は野蛮な軍国主義の復活を招きかねない。ぜひとも、民主主義の確かな橋頭堡である、日本共産党へのご支援をお願いしたい。
参院選での比例代表では、「日本共産党」と党名をお書きください。日本の民主主義を殺させない保証のために。
(2022年7月3日)
参院選公示日の6月22日以来、当ブログを日本共産党への選挙応援シリーズとして今日が12回目。「あれっ? 澤藤さん。共産党には辛口じゃなかったの?」と訝る方に、ご説明をしておきたい。
私は、この政党が拠って立つ基本理念や政策の一貫性には敬意をもっている。しかし、当然ながら拳拳服膺する立場にはない。この政党にはいくつも注文があるし、不本意な対応の経験もある。しかし今、日本共産党が国会にかけがえのない存在であることに疑問の余地はない。とりわけ、憲法改悪を阻止するためには、この党以外に頼るべき政党はなく、どうしてもこの党を応援し大きくする以外に道はない。
ついこの間まで、「安倍晋三が総理でいられるうちが改憲派にとっての千載一遇のチャンス」であったはず。ようやく安倍は総理の座から降りたのだが、予想に反して岸田政権になっても改憲の危機は深まるばかり。昨年の総選挙で改憲阻止勢力の議席が減ったら、とたんに憲法審査会の運営が様変わりした。このままでは深みにはまりそうで本当に危ない。いま、国会に頼りになる共産党の議席を増やさないことには、改憲が実現してしまうのではないか。今度の参院選では、そのための努力を惜しんではならない。
そのような立場からの日本共産党の応援だが、なかでも比例代表の弁護士候補・「にひそうへい」には、ぜひとも当選していただきたい。そして、2期12年の経験と持ち前の情熱を生かして、国会での「平和の力」となり、改憲阻止勢力の主柱として活躍してもらいたい。
この人のキャッチフレーズはいくつもあるが、「熱血弁護士」が最もふさわしい。「憲法こそ希望」は、東京選挙区の山添拓候補と共有しているスローガン。そして、自ら口にする「断固憲法 本格派」が頼もしい。
この候補者の決意表明の一端をご紹介しておきたい。
「ロシアはウクライナ侵略やめよ!」
戦争に勝者はありません。戦争は政治の敗北に他なりません。
2度の世界大戦を経て人類が到達した、「どんな紛争も戦争にしない」という国連憲章に基づく平和の秩序を取り戻せるのか、逆に力づくで他国の領土や民族を支配しようとする歴史の逆流を許すのか。このことが、世界と日本に問われています。
同時に、危機に乗じて日本の政治に起こっている、大軍拡と憲法9条改悪の大合唱は重大事として看過できません。岸田内閣は歴代政権で初めて、相手国の中枢機能もせん滅する「敵基地攻撃能力」を持つと踏み出しました。米軍が動き出したら、日本が攻められてもいないのに、安保法制・戦争法のもとで、集団的自衛権で敵基地攻撃があり得るといいます。
専守防衛を捨て、戦争する国へ。憲法9条を変え、「核共有」など逆に戦火を呼び込み、くらしと自由を壊す危険な道を絶対に許してはなりません。
「力対力」「核には核」の政策は、アジアと世界をいっそう危険にする道です。
「国連は無力」「憲法9条は空想的」とあざ笑い、「戦争をする国」へ。そうした暴走のために憲法9条を変えようとする勢力に参議院の3分の2以上の議席を握らせるわけにはいきません。
いま、国会に「平和の力」が必要です。ベトナム戦争をはじめ、かつて軍事紛争の絶えなかった東南アジア・ASEAN10カ国のみなさんが国会においでになり、一晩懇談させていただいたことがあります。
それぞれ社会体制も言葉や文化、宗教も違い、利害や思惑もありますが、あれこれの価値観で対立を持ち込むのではなく、どんなもめごとも軍事衝突には発展させないと友好協力条約を結んで、年1000回もの国際会議で対話と協力を深めているから、みなさん仲がいいんですね。
このASEANが呼びかけ、中国もロシアも韓国もアメリカも日本も参加している、東アジアサミットを本格的な平和の仕組みに発展させましょう。朝鮮半島や台湾の問題も、尖閣や千島など領土の問題も、歴史の事実と国際法の道理に立って対話を重ね、友好協力条約をアジア全体に広げて、戦争の心配のないアジアをつくろうというのが日本共産党の提案です。
何としても、国連憲章に基づく平和秩序を回復・強化し、憲法九条が生きる戦争の心配のない世界とアジアヘ。唯一の被爆国として核兵器廃絶の先頭に立ち、どんな大国に対しても歴史の事実と国際法の道理に立って筋を通す自主・自立の外交へ。皆さんの先頭に立って働かせて下さい。
私は弁護士として、お一人の目の前の被害者の後ろには、同じように苦しむ1000人の人々がいると肝に銘じ、裁判でも、2期12年の国会でも、戦争や公害、大災害、性暴力や派遣切り、労働災害など、「被害ある限り絶対に諦めない」と力を合わせ、力を尽くしてまいりました。
憲法こそ希望。ここからが頑張りどころです。いまこそ弁護士の私を。もう一度、国会に押し上げてください。
比例代表は「日本共産党」、あるいは候補者名の「にひそうへい」を。
(2022年7月2日)
昨日の午後2時半。猛暑のさなかの本郷三丁目交差点。「山添拓来たる」のお誘いを受けて、街頭演説会の聴衆の一人となった。この日の都心の最高気温は37度、アスファルトの照り返しが熱い。コロナ禍再燃で、マスクも暑苦しい。それでも、聴衆の多くは「かねやすビル」の日陰で直射日光を避けた。候補者は照りつける陽射しの中での熱弁、およそ30分。終わったあとは、多数の聴取に駆け寄ってグータッチ。笑顔を作って写真に収まる。これはたいへんだ。若くなければできない難行。
本日の赤旗を見て、山添候補の昨日の遊説日程に驚いた。「朝5時半 山添氏懸命に 東京・調布」という小見出し。「早朝5時半に、地元の調布駅前に立って、宮本徹衆院議員とともに通勤途上の人たちにアピールし対話をひろげたあと、渋谷、港、千代田、文京、台東、荒川、足立、葛飾の各区をまわりました」というのだ。いやこれは本当に並大抵の苦労ではない。弁護士業務をやっていた方がずっと楽で涼しく身体によい。
山添候補のキャッチフレーズは、「憲法こそ希望」である。本郷三丁目交差点にも、「憲法こそ希望」と紺色に染め抜いた何枚かの横断幕。「憲法こそ希望」は、清々しくてよい。山添さんにピッタリだ。
「憲法」とは、平和であり、自由であり、平等であり、福祉である。そして、何よりも個人の尊厳ということである。この理念を実現していってこそ、この社会に展望が開ける。それが「希望」なのだ。無理にでも憲法を変え、憲法の理念を押し潰そうという陣営との対決点を一言で表す「憲法こそ希望」。出色のキャッチではないか。
山添演説は、幾つかのテーマに及んだ。
「憲法が希望。この言葉を掲げてきました。憲法審査会でも論戦を重ねてきました。今政治に必要なのは改憲ではありません。暮らしに平和に、憲法を徹底的に生かすことです。」
「今、物価は高騰し給料は上がりません。自公政権のもと20年以上給料が上がらなかったことを、政権担当者はどう考えているのでしょうか。
最賃は時給1500円を目指し引き上げます。1日8時間、月21日働けば、手取り約20万円。これが最低基準になれば、正規も非正規も給料の底上げにつながります。」
「生活苦への即効薬は消費税の減税です。応能負担の原則に基づいて公平に所得を再分配するのが税制の基本。これに反する悪税が消費税ではありませんか。消費税引き下げが経済好循環の第一歩。今、多くの国で消費税減税が実施されています。」
「ところが、我が国では『財源はどうする』という声が上がって実現に至っていませんが、それはおかしい。政府自民党は厖大な軍事費増額を勝手に決めたようですが、財源など無視しているではありませんか。どうして、国民の福祉を増進するときにだけ、ことさらに『財源どうする』と言い出すのでしょうか」
「財源は十分です。アベノミクスで大もうけした大企業が内部留保をためています。これは本来賃金にまわるはずの原資。これ課税しても罰は当たりません。その財源で中小企業の賃上げを支援します。大企業が賃上げするならその分は課税しません。大企業も中小企業も給料が上がる政策です。給料を上げてこそ経済は好循環します。日本共産党を伸ばして実現しましょう。」
「この6年、世論と結んで政治を一歩一歩動かしてきました。「生涯で1億円にも及ぶ男女の賃金格差。ようやくその差別を見える化することまでは実現した。次は、この構造的な差別を無くすことが、ジェンダー平等のカギ」
「「#検察庁法改正案に抗議します」「#自粛と補償はセット」。みんなで声をあげ世論と国会論戦とを結びつければ、現在の国会の議席数での力関係を克服できます。今度は選挙で、国会の力関係そのものを変えましょう。」
「当落線上を激しく争っています。一人でも多くの人に党と私の姿を伝えて再選を勝ち取らせてください。憲法こそ希望。もう一度、私を国会で働かせてください。」
「当落線上で、6議席目を激しく争っています」が繰り返された。「『山添は大丈夫』という人は意外と多い。これを克服しなければ勝てない。隠れた『山添ファン』にも『山添は当落線上』ということを伝え、支持を伸ばしてもらうことが大切だ」との解説もあった。
あらためて思う。憲法という希望を失いたくはない。山添拓候補にこの希望を託したい。東京の有権者の皆様、ぜひご支持を。