実教出版『高校日本史』とはどのような教科書か
高等学校の歴史教科書問題が再燃している。不当な教科書「検定」の問題ではなく、検定済み教科書「採択」が不公正という問題である。各地の「偏った」教育委員会によって現場での採用が排除されているのだ。教育委員会による「教科書再検定」あるいは、「二重検定」ではないか。
すっかり有名になった、実教出版の「高校日本史」。現場教員の評判はすこぶる良いようだ。「子どもと教科書全国ネット21ニュース」の8月号に、「実教出版『高校日本史』とはどのような教科書か」というタイトルで、この教科書の代表執筆者が寄稿している。37年間千葉の公立高校で日本史の教師をし、現在東京学芸大学特任教授という立ち場の加藤公明さん。その、生徒目線での教科書作りの姿勢が、何とも好ましい。しかも、それだけでなく、次のように芯の通った内容をもつものなのだ。
「民衆の視点で歴史を通観できる記述に心がけました。生徒が歴史を主体的に学べる教科書であるためには、その教科書がどんな観点から歴史を通観させようとしているかが重要です。教科書も歴史書である以上、一定の観点がなければ各章(時代)の記述に統一性がなく、どんなに記述が詳細でも、全体として一つの時代像や歴史観を結実させられません。そのような教科書では生徒は結局のところ歴史を学べないと思います。『高校日本史』は歴史学の最新最良の成果を活かし、民衆史的な観点を重視して、各時代の民衆の労働や生活、運動を、史料を紹介しながら記述しています。その他にも、地域の歴史や女性史を重視したり、世界特に東アジアの中で日本を捉え、時代を構造的に理解し、歴史に果たした一人ひとりの人間像がわかる記述を充実させました」
周知のとおり、この教科書の受難が続いている。国旗・国歌法をめぐる解説の脚注に、教育委員会にとって都合の悪い、その意に沿わない記述があるから採択しないというのだ。その「不都合な真実」とは以下のとおり。
「国旗・国歌法をめぐっては、日の丸・君が代がアジアに対する侵略戦争ではたした役割とともに、思想・良心の自由、とりわけ内心の自由をどう保障するかが議論となった。政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし一部の自治体で公務員への強制の動きがある。」
この教科書の既述は、すこぶる正確である。正確であることは、実は各教委も知り抜いている。正確な記述であればこそ、骨身に沁みて痛い。痛いからこそ、教科書として使われることを拒絶したのだ。加えて、民衆史的な観点、女性重視、東アジアの中で日本をとらえる視点‥、頭の固い人々にはいかにも嫌われそう。
東京都教委は、予てからこの教科書の採択を避けるよう校長に圧力をかけていたが、本年6月27日に「使用は適切でない」と校長宛に文書通知を発出。大阪府教委がこれに続いて、7月16日に「記述は一面的」とする見解を示している。さらに、神奈川県教育委員会が教科書選定に介入し、実教出版の日本史教科書を希望した県立高校に再考を促し、8月22日該当の全28校について他社の教科書に変更させた。こうして、東京と神奈川の公立高校では、実教日本史の採択は1校もなくなった。これは由々しき大問題である。
一方、強い反対運動の成果も現れている。本日の共同通信配信記事によれば、「大阪府教育委員会は30日、府公館で会議を開き、府立学校で2014年度に使用する教科書をめぐり、国旗国歌法に関する記述を「一面的」と指摘していた実教出版(東京)の高校日本史教科書の採択を決めた。8校が使用を希望しており、府教委が疑義があるとする部分について指導や助言をするとの条件を付けた。陰山英男委員長は会議で『学校現場の判断を尊重したい。不採択はあまりにもハードルが高い』との認識を示した。」という。
朝日によると、「府教委事務局は、実教出版の教科書について、(1)採択しない(各校に再選定を指示)(2)『起立斉唱を求めた職務命令は最高裁で合憲と認められた』と説明するなど、教科書の記述を補完する具体策を各校に実行させることを条件に採択する、という二つの対応案を提示。陰山英男委員長が条件付きの採択で異議がないかを確認し、了承された。」という。
「起立斉唱を求めた職務命令は最高裁で合憲と認められた」という記載の一面性については、私の6月28日ブログ「東京都教育委員諸氏よ、恥を知りたまえ」に詳細なのでぜひお読みいただきたい。
ともかく、大阪府教育委員会は、東京や神奈川よりは、少しはマシだった。
なお、埼玉でも同様の問題があり、県議会の超党派右派議員でつくる「教科書を考える議員連盟」(小谷野五雄会長)は8月12日、県教育委員会に対し、実教出版の高校日本史教科書を採択しないよう要望した。しかし、今月22日、埼玉県教育委員会は県立高8校での使用希望を認めた。奇妙な条件を付さなかったのだから大阪よりずっと立派である。
ところで、各教育委員会とも、「公立学校で使用される教科書についての採択の権限はその学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会にある」ことを当然の前提としている。しかし、正確には、採択権限の所在を明確に定めた条文はない。
この点文科省は、教育委員会に権限あることを前提に、採択の方法について、「高等学校の教科書の採択方法については法令上、具体的な定めはありませんが、各学校の実態に即して、公立の高等学校については、採択の権限を有する所管の教育委員会が採択を行っています。」と言っている。
根拠条文がなければ、条理(原理原則)に基づいて判断するしかないが、教科書採択が、教育内容そのものであり典型的な「内的事項」である以上、教育条件の整備に徹すべき教育行政の権限外といわざるを得ない。各教育委員会の教科書採択「介入」の強引な手法は今後、違憲違法として問題を残すものとなろう。
再び、加藤さんの「実教出版『高校日本史』とはどのような教科書か」。
「実教出版『高校日本史』は、私をふくめ、実際に教科書を活用して授業をしてきた現場の救師たちの経験と提言をもとに、少しでも生徒にとって学びやすく、彼らが主体的に歴史を考えられる教科書をつくろうとして生み出された教科書です。どうか、一人でも多くの方に手にとっていただき、そのことを確かめていただきたいと思います。そして、そのような教科書を、国旗・国歌法をめぐる脚注の一部に自分たちにとって都合の悪い事実(「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」)が書かれているというだけで排除してしまおうとする東京都教育委員会などの決定がいかに非教育的で、よりよい歴史教育の実現、生徒を歴史認識の主体に成長させて平和と民主主義の担い手として育てようとする社会科・地歴科教育の進展に逆行するものであるかを理解していただきたいと思います」
まったく、そのとおりだ。できるだけの支援をしたい。
(2013年8月30日)