元法制局長官4人目の解釈改憲批判発言
最近、時の政権に耳の痛い、元高級官僚の発言が目立つようになった。高級官僚上がりといえば当然に現政権におもねった連中、そのようなこれまでの通り相場からは様変わりの様相。原因は、安倍内閣のトンデモ度にある。この政権の危うさをどうしても黙ってはおられないという、「五分の魂」の表れなのだ。孫崎享、?澤協二、谷野作太郎…。そして、もっとも切実なのが、元法制局長官の諸氏。安倍内閣の姑息な解釈改憲の手口に我慢がならないが故の発言。
8月9日付「朝日」・「毎日」両紙での阪田雅裕氏コメントが口火を切った。20日には最高裁判事就任の記者会見で山本庸幸氏がこれに続いて大きな話題となった。次いで、8月25日付赤旗日曜版一面に、「9条から見て、とても無理」という「元法制局長官語る」の記事が掲載された。「匿名の元長官」が雄弁に語っている。そして、本日の各紙に、時事通信の配信記事として、第一次安倍内閣で法制局長官だった、宮崎礼壱氏のインタビュー記事が掲載されている。
時事の記事の大要は以下のとおり。
「宮崎氏は、集団的自衛権の行使を可能にするための憲法解釈の変更について、『(法律上)ものすごく、根本的な不安定さ、脆弱性という問題点が残る。やめた方がいいというか、できない』と述べ、反対する考えを示した。」「宮崎氏は憲法解釈の変更について…集団的自衛権に関して『憲法を改正しないと行使できないはずだという意見は(現在も)全く変わっていない』と強調した。」「憲法解釈変更による集団的自衛権の行使に関し、『自衛隊法改正をはじめとする、もろもろの法改正をやって法的根拠を与えないと、実際には自衛隊に命令できない』と説明。その上で『(それらの法整備が)客観的に見て、もし違憲ならば、無効な法律ということに理論的にはなる。その法律自体が裁判所で、あるいは別の内閣ができた時に『違憲だ』とひっくり返るかもしれない』と語り、法的安定性を欠くことに懸念を示した」
最高裁で違憲とされる可能性まで言及したのは、よほどの覚悟での発言。さらに注目すべきは、「インタビュー(要旨)」の中での次の発言。
問:国際情勢の変化は解釈変更の理由になるか。
答:ものによる。あまり議論されたこともない憲法の条文がクローズアップされ、新しい解釈を打ち出すこともあるだろう。集団的自衛権の問題はそういうものと違い、歴代内閣が今まで繰り返し「できない」と言ってきた。自国が攻撃されていない時、他国を防衛するために、組織的に人を殺し、飛行場や橋や港を攻撃、破壊することはできないと言ってきたのを変えるような情勢の変化は想定しにくい。
名問名答である。
「自国が攻撃されていない時、他国を防衛するために、組織的に人を殺し、飛行場や橋や港を攻撃、破壊すること」、これが集団的自衛権の内実。「このことはできないと言ってきた」。つまりは、集団的自衛権の行使は憲法上不可能とくり返し言ってきた。そのことは、これまでの国際状況を踏まえて議論が積み重ねられてきたはず。それを今ごろになって、国際情勢の変化を口実に、これまでの議論を一変させ無にするごときことがあってはならない、そのような理屈の通らない解釈の変更による実質的な憲法改正を認めてはならない、ということなのだ。
氏の発言は、得になることは何もあるまいに、人ととしての心意気のなす業。これで、元長官の発言者は、匿名の一人を含んで4人となった。
ところで、内閣法制局長官は、多少の名称変更はあるが、内閣制度が発足して第1次伊藤博文内閣に初代の長官が選任されて以来、今回の小松一郎で65代目となる。
その最近30年間では11名の長官が在位した。その名は以下のとおり。
茂串俊(54代)、味村治(55代)、工藤敦夫(56代)、大出峻郎(57代)、 大森政輔(58代)、津野修(59代)、秋山收(60代)、阪田雅裕(61代)、 宮?礼壱(62代)、梶田信一郎(63代)、山本庸幸(64代)
このうちの4名が解釈の変更による集団的自衛権の行使を認めるべきでないことの見解を表明したのだ。憲法政治の安定性のために、さらに心意気のある人物の名乗り出を期待したい。
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「潘基文国連総長発言」の真意
歴史認識と改憲策動とは、緊密に結びついている。今次の大戦を不義の侵略戦争と認めて反省するところが、日本国憲法の構造の出発点である。再び侵略戦争を繰り返さない。被害者にも加害者にもならない。その不戦の誓いが憲法9条となり、前文の平和的生存権に結実した。歴史を修正し歴史から学ばない者は、日本国憲法を「国家の体裁をなさない丸腰憲法」「普通の国の憲法に改正すべきだ」と攻撃する。その声は、安倍政権下で、異様に大きくなっている。
前の戦争は自存自衛のやむを得ない戦争だった。残虐行為は多少あったとしても、そのぐらいは普通、他の国だって同じだよ。このままでは、国境の島をとられてしまうんじゃないの。もっと武装しなきゃ舐められる。平和主義の憲法第9条なんかなくして、武器も強くして、アメリカと一緒に戦争できる国にならなきゃ。戦争が残虐だなんていったら、子どもたちが怖がって、兵隊になり手がいなくなる。へんぽんと「日の丸」掲げて、「君が代」唄って、一致団結だ。戦争で死ねばお国に御霊を捧げた英霊だ。靖国神社に祀って、総理大臣がお参りして、軍人恩給だってつくよ。
安倍政権下では、そんなことが繰り返し繰り返し言われるものだから、アジアの人々は、日本軍国主義の復活の悪夢再びと懸念し、また日本が攻めてくるんじゃないかと心配になってくる。日本国内にも、反対意見や批判が巻き起こっている。
そのような状況の反映が、8月26日の潘基文国連事務総長発言となった。
日本と中国・韓国の関係の悪化を心配して「歴史認識問題や政治的な理由で緊張関係が続いていることを極めて遺憾に思う」「北東アジアの指導者は自国の発展だけでなく、北東アジアの発展、アジアの発展、世界の共存、共栄のためにどのようなことができるか考えることが必要だ」と述べ、さらに、日本の憲法改定の動きを周辺国が心配していることに関連して、「歴史をどう認識したら、未来志向的な善隣国家関係を維持できるのか。日本政府や政治指導者が非常に深く省察し、未来を見通すビジョンが必要だ」と指摘した。
これが、アジアの常識であり、世界の良識であろう。まさしく、わが国の現政権を担う者、心して耳を傾けなければならない。ところが、政権はこれに即座に反発した。次の菅官房長官の記者会見発言である。
「わが国の立ち場を認識した上で、(発言が)行われているのかどうか、非常に疑問を感じている」「事務総長(発言)の真意を確認し、引き続き日本の立場を国連などで説明していきたい」
菅発言の内容は、「事務総長発言に誤解あり」というもの。「わが国の立ち場を正確に認識していただけば誤解は解けるはず」と言っていることになる。果たしてそうだろうか。
安倍政権の歴史認識はどうなっているのだ。アジア・太平洋戦争が侵略戦争であったことを認めるのか。植民地支配の不当性を認めるのか。従軍慰安婦の存在と強制性を認めるのか。東京裁判の正当性を認めるのか。侵略や植民地支配や、戦争犯罪による近隣諸国の民衆の被害に謝罪する気持があるのか。村山談話や河野談話を、きちんと継承するのか。
国連事務総長に、「わが国の立ち場を正確に認識した上での発言か」というまえに、誤解をされていると思われる具体的な事項について、明確に所見を述べるべきであろう。
この両者の角逐は、日本の独善とアジアの憂慮との矛盾をさらけだすものとして、注目されたが、問題の本質を明確化するに至らなかった。外交辞令で、ことが納められたからである。
28日、ハーグの会合の立ち話で、事務総長は松山政司副外相に「日本のみについて指摘したのではない。日中韓3カ国の指導者は過去をしっかり理解して克服していくべきだ」「日本で発言が誤解されたことは残念。歴史認識に関する安倍政権の立場や平和国家としての日本の努力はよく承知している」と釈明した。29日菅官房長官は「真意は明らかになった。これ以上問題視しない」と矛を収めた。
潘基文事務総長発言の真意は「日本、ドイツ、イタリアのファシズムが引き起こした侵略戦争について思い起こしてほしい。安倍政権は平和憲法を変えようなんて考えないで、良好な善隣関係を未来に向かって築くにはどうしたらいいか深く考えてほしい」と希望したのだ。安倍政権の歴史認識問題と改憲策動に深い憂慮を示したものでもある。
にもかかわらず、菅官房長官は何も理解しなかったようだ。「(事務総長発言の)真意は明らかになった」という「真意」とは何なのか、余人にはサッパリ解らない。官房長官はいったい何を理解したというのだろうか。
安倍政権の歴史認識と改憲姿勢が続く限り、世界の至るところで、今回の事務総長と同様の発言が繰り返されるだろう。アジアにおいては、とりわけ切実な内容となるだろう。今回は外交辞令の応酬だけでことが収まったが、いつまでもこうはならない。安倍政権は、世界の良識が日本の歴史認識と改憲の動きを危うんでいることを、真摯に自覚すべきである。(2013年8月29日)