澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

優秀な官僚の憂愁

「日本の官僚は優秀」。皆さん、そうおっしゃいますし、私もそう思います。その優秀な官僚群の中で、最も優秀なのが私なのです。

えっ? 「何をもって優秀というのか」ですって。そりゃ愚問というもの。官僚たるもの、一に出世、二に出世。三、四がなくて、五も出世。出世を願わぬ官僚はなく、その出世競争を勝ち抜くことこそ優秀の証しなんですよ。
なにしろ私は、優秀な官僚のトップと目される内閣法制局長官に、外務官僚から初めて抜擢されたんですよ。その上の出世といえば、官僚枠をねらっての最高裁判事。そのポストにも手が届くところまで来ているのです。どうです、たいしたものでしょう。

「その人事は極めて異例」ですって? それはそのとおり。異例こそ、私の優秀さの表れなんですよ。優秀な官僚は、時代を読まなければなりません。どっちに向かって、誰にシッポを振ったら、一番出世に有効か。その読みの的確さこそが優秀さの神髄。小泉さんは、アメリカのポチと言われていましたが、私は小泉さんを風向きを読む能力のある優秀な政治家だと思いましたね。そして今は、なんといっても安倍晋三さん。この人のポチとして、尽くすことが、出世の早道なのですよ。私の読みは、あたりましたね。自分の優秀さが恐いくらい。

複数のメディアが私を、集団的自衛権行使容認派だと評していますが、そりゃそうでしょう。政権は私を見込んで異例の抜擢をしたのですから、優秀な私としては、以心伝心、万事飲み込んで、政権の期待に応えなければなりません。日銀総裁の人事と同じですよ。

ただ、見え見えの人事の意図については、とぼけてみせるところに私の優秀さがあります。「どういう根拠で私を容認派だとそういうのかよく分からない」とか、「個人的意見は誰にでもあるが、内閣法制局長官に任命されたからには、その職責を果たします」なんて言ってみせています。

集団的自衛権に関する憲法解釈を変えてしまうには、知恵が要りますよ。誰でもできることじゃない。だから、ほかならぬ私が抜擢されたわけですね。
突然の解釈変更には、恣意的、不自然、姑息、裏口改憲等々、うるさく言われるに決まっています。そこで、持ち出す「手口」が二つ。いや、私としたことが、「手口」などとはしたない言葉を使ってはいけませんね。「手法」とでも言っておきましょうか。あるいは「秘策」とか。これで、あたかも憲法解釈の一貫性を保っているような外観を取り繕うことができる。一種のトリックですね。いや「秘策」です。

その一つは、「事情変更の原則」という常套手段。これまでの憲法解釈を支えていた事情が、予測できないような変化を遂げた今、これまでの解釈は妥当性を失ってしまったという、あれ。まずは、あれを上手に使ってお見せしなければ。

もう一つは、集団的自衛権行使のイメージをなんとなく抵抗感の少ない、きれいなものに変えてしまうこと。いま、集団的自衛権行使といえば、とてつもなくキナ臭くて、国民のアレルギー反応が過剰です。そこをマイルドにイメチェンして、「大したことではありませんよ作戦」を展開すること。

さっそく、「毎日」のインタビューで実践してみました。
「私が忖度しますに、安倍晋三首相の問題意識は二つあります。一つは、日本を巡る安全保障環境が、これまでにない格段の厳しさを増す中で、国民の生命、財産、領土を守ることにいささかの遺漏もあってはならない、というものです。国民の負託を受けた内閣の長として当然の問題意識ではないでしょうか。」

「もう一つは、世界には冷戦終結後、宗教的対立や民族、部族対立、極端な貧困がもたらす国家の破綻などが原因で、明日の食べ物にも事欠く人々がたくさんいます。1992年の国連平和維持活動(PKO)協力法を発端に最近では海賊対処法まで、日本は国際社会と連携して支援の手を差し伸べる努力を積み重ねてきましたが、これで本当に十分なのか、という問題意識です。この両方をカバーするため、安全保障の法的基盤のあり方を内閣で真剣に議論し、結論を出す必要があるというのが首相の考えだと理解しています」

どうです。なかなかのものでしょう。あまり無理をせず、「日本を巡る安全保障環境が、これまでにない格段の厳しさを増す」という言い回しで事情変更の原則をつかい、さりげなく集団的自衛権とはPKOや海賊対処、あるいは世界の貧困対策でもあるんですよ、と押し出すイメチェン作戦。やっぱり、優秀な私ならではの説得力ですね。

加えてもう一つ、カムフラージュ作戦もやっておきましょう。
「内閣法制局の任務は、法令が憲法を頂点とする法体系と整合性があるかどうかを審査することと、法律問題について内閣、首相、各閣僚に意見を述べることです。首相が安全保障の法的基盤のあり方を内閣として議論するというのだから、法制局は法的問題について適切な意見を申し上げる。そういう議論に積極的に関与していくべきではないかと思っています」

どうです。文句の付けようがないでしょう。もちろん、私が求められている役割は国会で堂々と「集団的自衛権の行使は、現行憲法が禁じているところではない」と答弁すること、そして、国家安全保障基本法の国会審議において、「この法律が定める集団的自衛権の行使は現行憲法の解釈において容認されるところ」とフォローすることですよ。そのために、私は異例の出世をしたのですから。でも、そうあからさまには言わない。「法的問題について適切な意見を申し上げる。そういう議論に積極的に関与していくべきではないか」なんちゃって。

それから、歴代の内閣法制局長官の顔も立てておかねばなりませんね。こうも言っておきましょう。
「諸先輩は、憲法解釈は法的安定性や整合性が極めて大事なので、極めて慎重に対処すべきだと言っています。その通りです。諸要素を総合的に判断し、適切な意見を述べます。内閣が出す結論がどうなるか今の時点で予断できないので、歴代長官と私で違いがあるかどうかは言えません。ただ、内閣の意思と離れて、内閣法制局が勝手に解釈を決めてきたという認識はまったくの誤解です」

自分の手を縛ることなく、これまで内閣法制局が独断専行せずに内閣の方針に従っていたと言っておけば、内閣の方針変更に追随する法制局の解釈変更を合理化できる。これで、満点でしょうね。

とはいうものの、すべてが、見え透いていますからね。優秀な私も、本当は憂愁な気持なんですよ。やっぱり、世論が恐い。解散総選挙が一番恐い。こんなことやっていて、安倍政権は本当にもつんでしょうかね。政権と心中なんて、私のシナリオにはありませんから、場合によったら、買い主の手を噛むことも考えておかないと。それが官僚としての本当の優秀さかも知れませんね。

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  アメリカは横須賀から出て行け!
  「子どもに銃持たす米兵」
米海軍横須賀基地は、毎年「基地開放イベント」を行う。今年は8月3日に開催され、公開された基地を市民が見学した。その際、米兵が訪れた子どもたちに銃を持たせ、射撃の構えをさせていたことが問題になっている。それだけでなく、海兵隊員たちは、見学者の前で「Kill! Kill! Kill!(殺せ! 殺せ! 殺せ!)」と叫んだり、相手の首を絞める武闘訓練を行ってみせた。これをみかねた、「平和委員会」や「新婦人の会」などの市民団体が「日本の銃刀法違反に当たり、市民交流の趣旨にはずれている」として、米軍側と横須賀市に抗議文と質問状を出した。

米軍側の対応は素早く、29日同基地司令官のディビッド・グレニスタ大佐が横須賀市を訪れ釈明した。「部隊装備品のデモンストレーションを行っていた。子どもたちの持っていた銃はモデルガンだった」と釈明し、「文化的な背景の違いから一部の方々に対し、意図せず大変不快な思いをさせてしまった」と述べた。今後同様のことが起こらないよう最大限配慮すると謝罪もした。

おそらくは、銃規制のない野蛮な国から来た兵士たちは、日本の銃刀法のことも、憲法9条のこともまったく知らないに違いない。「武器は世界中の子どもが欲しいもの」「同盟国の戦意の昂揚を見せれば、日本国民は喜ぶだろう」と、思い込んでいるのではないか。

こんな時こそ、県なり市なりの教育委員会はすぐさま、米軍に強く抗議しなければならない。
「残虐で暴力的である。子どもの教育上由々しき問題だ。二度とこんなことがあってはならない」と。
そして、学校長を集めて「子どもたちがこのような好戦的行事に参加することは好ましくない。指導の徹底を」と指示すべきであろう。そうしてこそ、教育委員会の存在意義がある。日の丸・君が代問題強制を記述した歴史教科書を排除しているばかりが、仕事ではなかろう。

  「もっと怖い原子力潜水艦の原子炉」
横須賀には、「基地開放イベント」より格段に恐ろしい「時限爆弾」が潜んでいる。
横須賀軍港には海上自衛隊とともに在日米軍海軍司令部があり、第7艦隊司令部がある。横須賀軍港は歴史的には大日本帝国海軍の横須賀海軍工廠であったが、戦後、アメリカ海軍に接収され、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争の前線基地としての大きな役割を担ってきた。現在はアメリカ海軍第7艦隊に属する航空母艦ジョージ・ワシントンの母港となっている。

原子力空母ジョージ・ワシントンは、熱出力60万KWの原子炉を2基積んでいる。横須賀市の直近の海の上に福島原発が2基あると同じことである。これだけでなく、原子力潜水艦も、頻繁に軍港に出入りする。そのときは、潜水艦と合わせて3基の原子炉が東京湾内の横須賀基地に集合することになる。

原子力空母の原子炉は、20年に1回燃料を取り替えるだけでいいということを売り物にしているが、どうしても艦内の「放射性廃棄物」と「死の灰」はどんどん貯まっていく。ジョージワシントンが、横須賀を母港としているということは、例年1?5月の4カ月間、横須賀に留まって、定期整備を行うということなのだが、その際に「放射性廃棄物」の艦外排出(クレーンで別の貨物船に積み替え米本土へ輸送する)を行っている。

実は、母港にするときの日米の合意で、放射能に曝された物質は艦外に出さないとされていたが、約束に違えて、2008年の横須賀配備以来5回も排出が行われている。「放射性廃棄物」の艦外排出の有無にかかわりなく、横須賀市のすぐそばに「死の灰」満杯の福島原発が2基あるということになる。これには慄然とせざるを得ない。

近い将来、首都圏地域に地震が必ず起こるといわれている。大きな船だ、すぐ動くことなどできはしない。津波でジョージ・ワシントンが陸に乗り上げるなり、冷却水の汲み上げができなくなったりすれば、原子炉のメルトダウンが起こる。東京湾は「死の海」になってしまう。無論、ジョージ・ワシントンの原子炉に日本の原子力規制委員会の審査の及ぶところではない。規制はできないのだ。何が起こっているのか、何をやっているのかすら闇の中だ。

とすれば、沖縄からは無論のこと、横須賀からも早急に米軍は出て行ってもらわなければならない。首都の近くに、こんな危険なものを持ち込まれてはたまらん。詳細は、「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」の下記サイトをご覧いただきたい。とりわけ、福島の原発事故を他人事と思っている首都圏在住者の皆様には、ぜひとも。
  http://cvn.jpn.org/
(2013年8月31日)

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Published in 土曜日, 8月 31st, 2013, at 23:56, and filed under 未分類.

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