制度と人と ― 西村秀夫さんを思い出す
なにかの折に、ふと袖触れあった人を思い出すことがある。その一人に西村秀夫という人がいる。東大の駒場で、新入生として一度だけ口をきいたことがある人。1963年春のことだ。この人は、「教養学部学生部長」という肩書だったはず。
確かではないが、入学手続のためにはじめて登校した日のことだった。前年までは、年額9000円だった授業料が、この年から1万2000円に増額されたことが問題となっていた。
このとき、学生自治会の2年生が、新入生に呼びかけていた。「これから学生部長交渉をする。新入生の中での苦学生は、ともに交渉に参加せよ」というのだ。で、私も、学生部まで出かけた。その席に、学生部長であった西村さんがいた。
他の学生が何を喋ったのかは憶えていない。私は、自分の経済事情を訴えた。
「僕は、1年前に大阪の高校を卒業して上京した。以来親からの仕送りは一切ない。一年間別の国立大学に通い、学費と生活費は、すべてアルバイトと奨学金でまかなってきた。今年からは、この大学の学生となるが、受験料や入学金は、アルバイトで稼いだものでしはらった。痛いのは、これまでもらっていた育英会の特別奨学金(月額7500円)が打ち切られてしまったこと。駒場寮入寮の予定だが、アルバイト漬けの生活は当分変わりそうもない。高額に過ぎる授業料を負担に感じている学生はけっして少なくないはずだ」
西村さんは、真剣に聞いてくれた。2?3の質問の後、こう言った。「キミ、たいへんだね。授業料免除の申請をしたまえ。キミのような学生のための制度だ」。
その場で、授業料免除申請書をもらった。その場で、受け付けてもらったような記憶でもある。おかげで、授業料免除の通知はすぐに来た。私は、授業料の負担からは免れて学生生活を送ることができた。西村さんには、感謝しなければならない。
西村秀夫さんは、新渡戸稲造・矢内原忠雄の直系で、無協会派のクリスチャンだった。学内でも、聖書研究会を主催していたという。しかし、私には聖書への興味はなく、矢内原も新渡戸も眼中にはなかった。西村さんにはその後会う機会もなく、アルバイトに明け暮れた学生生活が終わった。既に故人となった西村さんにお礼を言う機会を失って、ときどきあのときのことを思い出す。
私は、東大では6年間を過ごして退学した。最初の4年間は、きちんと授業料免除の手続をした。が、残りの2年は手続を怠っていた。在学5年目に、はじめて司法試験を受験して不合格となり、翌年合格した。いわゆる「東大闘争」で学内騒然としていた頃のこと。私は、退学して司法研修所に入所することとした。
ところが、司法研修所への入所手続には退学証明書が必要であるという。さらに、「退学証明書発行には遅滞している授業料の納入が必要」だと言われて愕然とした。ひとえに、司法修習生としての給与を得んがために、私は、やむなく2年分の授業料を納入した。気持の上では、「24000円もの大金で、退学証明書を購入」した。
それでも、司法試験と司法修習とは、苦学生にはまことにありがたい制度だった。誰でも受験でき、合格すれば翌年からは公務員に準じた地位を与えられて給与を得ながら法曹実務を学ぶことができた。今のロースクールの制度では、私が弁護士になれたとは思えない。
人は平等という建前だが、実質的な平等を実現するのは難しい。とりわけ、経済的な不平等という圧倒的な現実はまことに厳しい。経済的な格差や貧困をなくすることが、最も望ましいことではあろうが、百年河清を待ってはおれない。経済的な困窮者を救済する幾重もの制度が必要である。その制度の実効性は、はたして進歩しているであろうか。
そして、社会のあらゆるところに、ヒューマニスティクな人が欲しい。西村秀夫さんのような。
(2019年8月28日)