たたき上げ異論の学者たたき出し⇒「すがすがし」言うのこのごろ避けている
(2020年10月17日)
コロナ禍の終熄がいっこう見えてこぬうちに、なんと厳しい寒さの到来である。冷たい雨が降り止まない、陰鬱なこの時代を象徴するかのごとき暗い日である。
まさかとは思ったが、一応、東大本郷キャンパスの赤門・正門・農学部門とまわってみた。幸い、大勲位への弔意を示す半旗は出ていない。他の大学はどうなのだろう。土曜日の裁判所はどうなっているのだろうか。敢えて、叛旗を翻す大学や裁判所はないものだろうか。
本日の各紙が、この時代の危うさを批判して充実している。いくつか、ご紹介したい。まずは、毎日新聞「読者の広場」(投書欄)の「説明責任果たさぬ姿知る」無職・森則子・64(名古屋市)の投稿である。
菅義偉首相に厚くお礼申し上げます。その趣旨は、日本学術会議から推薦された新会員候補6人の任命を拒否したことです。
これにより、菅首相は政府からの高い独立性が保障されるべき同会議に政治介入したことを明らかにしました。さらに、どれだけ求められても、その理由を明言していません。
マスメディアからは当初、「苦労人」とか「たたき上げ」などと報道され、私はつい良いイメージを作ってしまいがちでした。しかし、実相はそうではありませんでした。冷淡な表情で説明責任も果たさず、学術会議を権力の傘下に置こうともくろんだ、一連のあなたの言動。おかげさまで、本当の姿を知ることができました。
したがって、これからはもっと政権の動き、あなたの一挙手一投足を注視していかなければいけないと思っています。政治への関心を高めてくださり、ありがとうございます。
なんとも、みごとな文章である。論旨明快で無駄がなく、起承転結しっかりしているから読み易い。ウイットも利いて、ピリリと辛い。「当初、『苦労人』とか『たたき上げ』などと、つい良いイメージを作ってしまいがちでした。しかし、冷淡な表情で説明責任も果たさず、学術会議を権力の傘下に置こうともくろんだ、一連のあなたの言動。本当の姿を知ることができました。」という思いは、多くの人の共感を呼ぶことだろう。
東京新聞の時事川柳も、同じ思いの秀句がならんでいる。
たたき上げ異論の学者たたき出し (四街道 小林修)
理由なし六名の顔に墨を塗り (世田谷 富山茂雄)
理由など言えぬ勝手に忖度を (横浜 高田正夫)
お家芸「解釈変更」継承す (三島 茶っかり娘)
巨費葬儀香典返しは国民に (相模原 関口実)
「退院だ」患者が言って医者が「はい」(相模原 関野春雄)
最後の句だけが、「スガネタ」ではないが、面白い。本日の朝日川柳も立派なものだ。
文科省いつ葬儀社になったやら(東京 根本勲)
大磯の時は黙って頭下げ(三重 植原みのる)
菅は安倍 加藤は菅に輪をかけて(三重 山本武夫)
「すがすがし」言うのこのごろ避けている(東京 堀江昌代)
「すがすがし」などとは、とても言えない。言う気にならない。敢えて言えば、正反対の意味になる。言葉が、「迷惑だ」と怒っている。
そして、朝日の「(多事奏論)」に、「日本政治のドタバタ シェークスピア劇に重ねたら」(郷富佐子)とのタイトルの論稿があり、中に次の一幕。
〈照明がつくと、城内の小部屋に重臣、哲学者、王女の3人〉
重臣 だから、言ったはずだ。新国王はお前たち6人を任命しなかったのだと。
哲学者 なぜだ。総合的か、俯瞰的(ふかんてき)か、それが問題……、なのではない。きちんと明確な理由を言え。
重臣 (メモを棒読みして)個人情報だから言えない。でも、直ちに学問の自由の侵害にはつながらない。以上。
哲学者 意味がわからん。あんたは何か隠しているか、ウソをついているだろう。
王女 ふふふ、ウソつきの者よ、汝(なんじ)の名は女。女性はいくらでもウソをつける。
重臣 馬鹿な、おれは男だ。そもそも、新しい従臣連中に女は2人しかおらん。
哲学者 たったの2人か! (首を振って)この国は何も変わらぬ。〈暗転〉
そして、毎日の毎月第3土曜日の連載コラム「近代史の扉」で、当事者となった加藤陽子(東大教授)が、冷静な筆致で[学術会議「6人除外」]問題を語っている。表題は「『人文・社会』統制へ触手」というもの。私には、意外な視点からの切り込み。やや長いので、要点だけをご紹介したい。物足りない方は、ぜひ毎日新聞で、全文をお読みいただきたい。
発足直後の世論調査で6?7割超の支持を得た菅義偉内閣。行政改革やデジタル庁など重要案件が待つ今、なぜわざわざ、日本学術会議の新会員候補名簿から6人を除外して決裁するという批判を浴びるまねをしたのか。目的と手段の点で整合的ではなく見え、政治分析の玄人筋も首をひねる事態となった。
今回の人文・社会系研究者6人の任命除外をめぐっては、「世の役に立たない学問分野から先に、見事に切られた」との冷笑もSNS上に散見された。だが、実際に起きていたのは全く逆の事態なのだ。人文・社会科学が科学技術振興の対象に入ったことを受け、政府側がこの領域に改めて強い関心を抱く動機づけを得たことが、事の核心にあろう。
菅内閣は、行革やデジタル庁創設を掲げ、先例打破の改革者イメージをまとって発足した。最重要課題の一つが、1995年の科学技術基本法(旧法)を今夏25年ぶりに抜本改正した「科学技術・イノベーション基本法」(来年4月施行)の着々たる執行であるのは明らかだ。
実は、今回の改正の重要な目玉の一つが、除外された学者の専門領域に直接関係していた。日本学術会議は、第1部(人文・社会科学)、第2部(生命科学)、第3部(理学・工学)からなる。名簿から除外された6人全員が第1部の人文・社会科学を専門とする。安倍晋三政権下で成立した新法は、旧法が科学技術振興の対象から外していた人文・社会科学を対象に含めたのだ。
25年ぶりの抜本改正は、解決すべき重要課題を国家が新たに設定し、走り始めたことを意味しよう。現状は、日本の科学力の低下、データ囲い込み競争の激化、気候変動を受けて、「人文・社会科学の知も融合した総合知」を掲げざるをえない緊急事態である。新法の背景には、国民の知力と国家の政治力を結集すべきだとの危機感がある。
このたび国は、科学技術政策を刷新したが、最も大切なのは、基礎研究の一層の推進であり、学問の自律的成長以外にない。
時代は厳しいが、これに対抗する真っ当な国民の側の力量にも自信をもってよい。異論の学者をたたき出したつもりであろう「たたき上げ」だが、国民からは、「すがすがし」と言葉を発することさえ憚られる事態。近々、国民が「すがすがし」からぬ政権をたたき出すことになろう。