「法と民主主義」1月号購読のお願い
(2021年1月31日)
1月28日発行の「法と民主主義」1月号が、通算555号となった。毎年10号の発刊を、1号の欠落もなく50年余にわたって積み上げての555号である。編集に参加してきた者の一人として、いささかの感慨を禁じえない。
自らの画に自ら讃の趣ではあるが、最近の本誌は充実していると思う。本号も<第51回司法制度研究集会>特集を中心に読み応えあるものになっていると思う。
51回目となる司研集会のテーマは、「今の司法に求めるもの ─ 特に、最高裁判事任命手続きと冤罪防止の制度について」である。その趣旨は、以下のとおり。
第49回司研集会のテーマは、「国策に加担する司法を問う」。そして昨年の第50回は「いま、あらためて司法と裁判官の独立を考える、ー 司法の危機の時代から50年」であった。この両シンポジウムで、安倍政権になってからの最高裁の重要判決の中に、国の政策に積極的に加担するものが散見されると指摘され、共通認識となった。これにともなって、安倍政権下での最高裁判事任命の恣意性がクローズアップされてきた。
こうした流れを受けて今回は、最高裁判事任命のありかたを中心に、司法の独立や司法の人権保障機能強化のための提言ができないかという問題意識をもって集会を準備した。結局は、今回の実行委員会で具体的な政策提言などを作ることは困難として、集会の中で方向性が見いだせればということになった。
そこに10月1日菅首相が日本学術会議会員候補者6名の任命を拒否するという前代未聞の事態が起きた。この政権の問題性は今回の司研集会に色濃く反映され、非常に緊張感のある充実した集会になった。
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法と民主主義2021年1月号【555号】(目次と記事)
●特集のリード(PDF) ●時評(PDF) ●ひろば(PDF)
特集●今の司法に求めるもの ─ 特に、最高裁判事任命手続きと冤罪防止の制度について<第51回司法制度研究集会から>
◆特集にあたって … 日本民主法律家協会事務局長・米倉洋子
◆基調報告・今の司法、何が問題か ── 新聞記者の視点から … 豊 秀一
◆報告?・最高裁判事任命の問題点
── その基本構造及び安倍政権下の問題、改革の方向性 … 梓澤和幸
◆報告?・冤罪防止のための制度の実現を … 周防正行
◆質疑応答・発言
… 近藤ゆり子/明賀英樹/岡田正則/晴山一穂/西川伸一/森野俊彦
平松真二郎/澤藤統一郎/毛利正道/瑞慶覧淳/白取祐司
◆集会のまとめと閉会の挨拶 … 新屋達之
◆連続企画●憲法9条実現のために〈33〉
日本学術会議会員任命拒否と「科学技術・イノベーション基本法」… 南典男
◆司法をめぐる動き〈62〉
・大飯原発設置許可取消判決の意義と展望──大阪地裁2020・12・4判決 … 冠木克彦
・11/12月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2021●《政治とことば》
問われる政治家、リーダーの資質 「迷走」の要因はどこにあるのか? … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ2─〈№1〉
被爆者として、被爆者によりそって … 田中熙巳さん×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈No.30〉
「ずさんな議論」で改正改憲手続法案の早期採決を求める自民・公明・維新・国民民主党 … 飯島滋明
◆BOOK REVIEW●ティモシー・ジック著、田島泰彦監訳、森口千弘ほか訳
『異論排除に向かう社会─トランプ時代の負の遺産』(日本評論社) … 澤藤統一郎
◆インフォメーション
新型インフルエンザ等対策特措法等の一部を改正する法律案に反対する法律家団体の声明
◆時評●沖縄の米軍基地撤去は日本の歴史的責務 … 加藤 裕
◆ひろば●カジノ関連法の廃止を … 新里宏二
記事の紹介は下記URL
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集会でのメインの各報告は、本誌をお読みいただくとして、「フロア発言」の2件の抜粋をご紹介させていただく。森野俊彦さんと私のもの。
学術会議任命拒否と重なる裁判官の任命拒否
森野俊彦(弁護士・大阪弁護士会)
私は、いまは弁護士ですが、40年間裁判官をしていた者です。今回、日本学術会議の被推薦者6名の方が任命拒否をされましたが、私はそれを聞いて、50年前に私たちが経験した「任官拒否」を思い出しました。私たち60数名の任官希望者のうち7名が裁判官任官を拒否されました。私はその方たちと一緒に修習し、いかなる裁判官になっていくかを真剣に考え、任官し得たあかつきには、ともに少数者の権利を擁護する司法権の担い手として頑張っていこうと誓い合っておりました。
その方たちは、裁判官になって当然とも言うべき人で、裁判官にふさわしい人でありました。こうした人たちが拒否されたことは、本当に驚きでありました。せめてその拒否理由を明らかにすべきであると考えて、裁判官内定者55名のうち45名の不採用理由開示を求める要望書を最高裁に持っていきました。
拒否された人のうち六名が青法協に入っており、また経歴や人柄から推測しますと、おそらく最高裁はそういう方たちが裁判官として存在し活動することを絶対に避けたいと考えたのだと思います。つまり最高裁判所は、裁判所にとって都合が悪くなる可能性がある人は基本的には入れない。特に任官拒否は採用の問題ですから、入場門に立って入場を拒否すれば足りると考えたのです。
その年、私たちの10期上の13期の宮本裁判官の再任拒否もありました。私は紛れもなく思想信条を理由とする差別であったと考えます。その後、再任問題については、下級裁判官指名諮問委員会が設けられて一定の改善を見たのですが、それで裁判所の中が良くなったかというと、そうは言えないところがあるのです。残念なことに、裁判所内の民主化をめざす運動は、いまは風前の灯火です。われわれの時代には任官者の中にも結構骨太な、あるいは少数者の権利擁護こそ司法権の任務だと力説する方がいたのですが、現在そういった方が裁判官として入ってこれるかというと、それが難しい。採用の段階で選別されてしまうわけです。
最高裁判所の判事の任命は、まだ弁護士出身などいろいろなところから入ってくる部分があるのですが、国民の権利を擁護する、あるいは政府にノーと言える裁判官がどれだけ最高裁の判事になれるかということになると、これは極めて否定的なのですね。裁判官時代はともかく面従腹背して、それなりに出世をしないとだめなのです。だいたい現職で最高裁判所の判事になろうと思ったら、最高裁事務総局経験者、司法研修所の教官、最高裁の調査官などにならなければならない。それには、言いたいことも言わずに、しかし時々はこれはという判決も書かなければならない。残念ながら、今の裁判官にそんなことができるはずがない。
私の場合で言えば、青法協の会員でもありましたし、全国裁判官懇話会にも入りました。日本裁判官ネットワークを一緒にやって、そういう問題を市民とともに考えようと頑張ったのですが、残念ながら、裁判所自体を根本から変えるということにはなり得なかったのです。
どうしたらいいかということは、本当に難しい問題なのですが、ある日突然、いい裁判所ができるはずはないですね。時々いい裁判官が出るときがある。そういう裁判官を盛り立てるということも私は大切ではないかなと思っています。あとは、弁護士からの最高裁判事、少数意見がちゃんと書ける裁判官にもっともっと入っていってもらうとか、いろいろな方策が考えられます。どれも、けっこう厳しいこととは思いますが。(拍手)
50年前の苦い経験を繰りかえさないために
澤藤統一郎(弁護士・東京弁護士会)
私も森野さんと同じ23期で、50年前に同期の裁判官志望者7名が任官を拒否された事件に立ち会いました。このときの衝撃は非常に大きかった。
当時私たちは、私たちなりの常識的な裁判官像、あるいは裁判所、司法像を描いていました。憲法の理念を厳格に守る裁判所、これが当然のありかただと考えていたのが、どうもおかしい。そうではない権力の意のままになる裁判所がつくられてしまうのではないかという違和感と衝撃です。私たちが理解していた、三権分立とか司法の独立とか、あるいは裁判官の独立などとはまったく異質のものが、いま目の前に立ち上がろうとしている。そういう恐怖心を、50年前に感じたことを思い出します。
その同じ悪夢が、また今年の10月1日に繰り返され、現実の出来事として受け止めざるを得なくなりました。さきほど森野さんが発言されたとおり、50年前に私たちがいったい何を考えて何をし、それがどうしてうまくいかなかったのか。その教訓をもう一度きちんと整理すべきなのだと、あらためて思います。
50年前の苦い総括ですが、私は最高裁が成功体験を積み上げたのだと思っています。つまり最高裁は、判事補採用の段階で数名の任官志望者を拒否することによって、自らの思惑は公にせずとも、誰にでも忖度可能な状況をつくり出した。そして人事の問題だからと言う理屈で、決して採用を拒否をした理由を明らかにしない。それでいて、自分の組織の隅々にまで、トップが何を考えているか、トップに忖度をせず逆らえばどうなるのかを見せつける。そういうやり方で、巧妙に組織全体を動かしたのです。採用人事を梃子にして、全裁判官を統制し、裁判の内容まで変えてしまった。それをいま司法官僚ではなく、内閣総理大臣、行政のトップが真似てやろうとしている。
私たちは50年前の苦い経験から、その轍を踏まないように、いまの学術会議問題について、発言を継続していかなければならない。それが私たちの使命であろうと思っています。