澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

総務省官僚の「NHKの経営には自主自律なんてない」発言の真意を問わねばならない。

(2021年4月8日)
 総務省とNHKと朝日新聞の三題噺である。「権力」と「その膝下にある公共放送」と、その「二者の関係を論評するメディア」の、それぞれの立ち位置のお話なのだ。主たる批判の対象は総務省であるが、問題はそれにとどまらない。NHK問題とは、まずはNHK自身の問題であり、次いで総務省とNHKの関係性の問題であり、この二者の関係について監視を怠らず鋭く切り込まねばならないメディア全体の問題でもある。そしてもちろん、終極的には国民の自覚の問題である。「それぞれの国民は、自らにふさわしいジャーナリズムをもつ」しかないというのだから。

 話の順から述べれば、まず朝日がNHKの姿勢に関して社説を書いた。「NHK値下げ 政治の影に疑念が残る」という、このタイトルにピッタリの記事。これが、今年の1月28日のこと。

 内容は、下記の要約のとおり、至極常識的で真っ当なものである。

 「NHKが唱える「自主自律」とはいったい何なのか。こんな迷走ぶりで、市民の真の理解を得られると考えているのか。
 執行部が業務のスリム化に加えて、23年度に受信料を引き下げることを急きょ打ち出した。剰余金が多すぎるのは明らかで、視聴者に還元する方向性自体は妥当といえる。
 それでも釈然としないのは、決定に至る過程に政治の圧力を明らかに感じるからだ。視聴者・国民よりも政権の顔色をうかがうことにきゅうきゅうとするNHKの体質も垣間見える。
 受信料の値下げについて、前田晃伸NHK会長は、「物事には順番がある」「値下げできる環境を整えるのが私の役割」と語っていた。それが一転した。これまでの方針は何だったのか。「環境」はいつ、どう整えられたのか。納得できる説明はない。
 おかしな話はまだある。20日になって突然、副会長(放送総局長)が「衛星契約の1割をめざす」と具体的な数字を示した。菅首相が施政方針演説で「月額で1割を超える思い切った引き下げ」を表明した2日後のことだ。
 値下げに異を唱えているわけではない。しかしNHKは新年度から、これまでに例のない規模の事業の縮小に踏み出そうとしている。影響を受けるのは国民一人ひとりであり、私たちの社会だ。
 これからの時代にNHKはどんな役割を担い、そのために必要な費用を、だれが、どのように負担するのか。その議論を深めないまま、受信料を人気取りの道具に使おうとしているとしか見えない政権にも、それに追従するNHKにも、不信の念を抱かざるを得ない。」

 この社説を書いたのは、田玉恵美論説委員。田玉によれば、この社説掲載の日に、総務省の課長に呼び出され、抗議されたという。このことが、昨日(4月7日)の朝日(多事奏論)欄で明らかにされた。

 これは由々しきことではないか。社説は明らかにNHK批判である。ところが、NHKからではなく、「政治の影」濃い総務省からの抗議なのだ。総務省の担当課は、NHKに関するメディアの動向に目を光らせ、好ましからざる記事には、執筆者を呼びつけて「抗議」までするのだ。このことを朝日が2か月余も黙っていたというのも、やや腑に落ちない。

 (多事奏論)は、「NHK値下げ 社説書いた 総務省に呼び出された」という、表題。3段落に要約して引用させていただく。

 「1月の末、総務省に呼び出された。霞が関へ出向くと、初対面の課長らが出てきて「事実と異なる。抗議させていただきたい」「何が言いたいかというと、政府の圧力でNHKが1割値下げを決めたなんて話じゃないんですよ」と言った。
 社説で私は、NHKが受信料値下げを決めた背景に政治の圧力を感じると書いた。大臣が再三迫って方針が変わったからだ。まるで国営放送みたいだ。
 私は思った。これが忖度というやつか。首相はかつて、意に沿わない同省のNHK担当課長を更迭した。目の前で私に抗議をしているのは、まさに今そのポストにいる課長だ。首相や大臣の顔に泥を塗られたと感じ、強気に出てみせたのか。

 もう一つ課長は気になることを言っていた。『NHKの経営に自主自律なんてないですから。そんなことおっしゃる方は初めてなんでびっくりしてます。自主自律は放送番組の編集の話。人事も金も握られてる。もうちょっと制度を勉強してください』

 翌月、ニュースを見ていて思わず声が出た。東北新社にいる首相の長男らから違法接待を受けて懲戒処分を受けた官僚の中に、あの課長の名前があった。外資規制違反問題でも渦中の人になっている。あの抗議の真意を知りたい。改めて課長に取材を申し込むと、国会対応などで相当多忙であり取材はお断りしたいと返事が来た。放送法を勉強しろとお怒りだった課長に、国家公務員倫理法の勉強はどうなっていたのかも聞きたかったのだが。」

 これは重大な情報である。総務官僚は、「NHKの経営に自主自律なんてない」と決めてかかっている。おそらくはNHKも同様の見解なのだろう。なるほど、NHKの置かれている立場がよく見えてくる。それだけではない。総務官僚はメディアの各紙・各社にも「自主自律なんてない」と思っているのではないか。かくも威丈高に朝日の社説にまで圧力をかけようという姿勢なのだ。

NHKには、「倫理・行動憲章」がある。NHKの自主憲法と言ってよいものだろう。その冒頭に、次の一文がある。

 NHKは、公共放送として自主自律を堅持し、健全な民主主義の発展と文化の向上に役立つ、豊かで良い放送を行うことを使命としています。

 ここでいう、「自主自律の堅持」とは、歴史的な経緯から、再び「大本営の伝声管とはならない」という宣言と理解すべきであろう。そのような歴史を捨象しても、「自主自律の堅持」とは、権力からの介入を拒絶することが主旨でなくてはならない。この理念と、現実との落差が問題なのだ。

 また、この憲章をやや具体化した「行動指針」というものがある。その冒頭が次のような宣言文となっている。
○公共放送の使命を貫きます。
◆ いかなる圧力や働きかけにも左右されることなく、みずからの責任において、ニュースや番組の取材・制作・編集を行います。

「いかなる圧力や働きかけにも」というとき、総務省や官邸、あるいは政権与党からの圧力を除外する合理性はない。いや、むしろ、他の何よりも公権力やそれを支える社会勢力からの圧力や働きかけからの自律をこそ大切にしなければならない。それが、NHKが自らに課した視聴者に対する責任なのだ。本来、総務省には、そのようなNHKの自主性を尊重すべき責務がある。

 しかし、『自主自律は放送番組の編集だけに限られている。人事や金など、NHKの経営に自主も自律もない』という、総務省NHK課長の言い分は、「政権は、NHKの人事と金を握っている。だから時の政権に不都合な放送はさせない」という恫喝に聞こえる。そして、この『NHKの経営に自主も自律もない』という見解をジャーナリズムに押し付けようとしているのだ。このような公権力による「恫喝」があれば、すぐにでも市民に知らせてほしいものと思う。朝日の姿勢は評価に値するとしても、報道がやや遅れてはいないか。

 なお、この件については、醍醐聰さんが、(元総務省情報通信審議会委員)という肩書で、昨日の内に総務省に抗議のファクスを送っている。なんと迅速な行動力。
https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1379721599595651076

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