澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

30年前の東京地裁103号法廷に、ラムゼー・クラーク(元米司法長官)が立っていた。

(2021年4月13日)
 今朝の朝刊各紙に、ラムゼー・クラーク(元米司法長官)の死亡が報じられている。

 米メディアによると、9日、ニューヨーク市の自宅で死去、93歳。めいのシャロン・ウェルチ氏が明らかにした。死因は不明。
 ジョンソン政権時の1967?69年に司法長官を務め、学校での人種差別廃止の徹底に取り組むなど、公民権運動に重要な役割を果たした。退任後は人権派弁護士として活動。独裁政権時の人道犯罪を問われたイラクのフセイン元大統領、旧ユーゴスラビア紛争で戦争犯罪などに問われたミロシェビッチ元ユーゴ大統領に対する裁判に弁護団として加わり、議論を呼んだ。(共同) 

 ラムゼー・クラークには、思い出がある。日本政府の湾岸戦争加担を違憲だと訴えた、「ピース・ナウ! 市民平和訴訟」の第1回法廷に、この人は、事実上出廷し意見陳述をしているのだ。1991年9月10日のことである。

 ラムゼー・クラーク、訴訟の原告ではない。代理人でもない。証人として採用されているわけでもない。だから、第1回の法廷で意見を陳述する資格はない。それでも、弁護団事務局長だった私は考えた。せっかくの機会だ。元アメリカ合衆国の司法長官が、この不正義の湾岸戦争に反対しているということを裁判官に何とかアピールできないだろうか。

 彼には、103号大法廷傍聴席の最前列の真ん中に着席してもらった。そして、私が代理人席から彼を裁判長に紹介した。彼の隣で梓澤和幸君が通訳を引き受けてくれた。そして、原告の大川原百合子さんが、冒頭の原告意見陳述の形式で、ラムゼー・クラークのスピーチを日本語訳して代読した。この間、彼クラークは、傍聴席に着席することなく、起立したままだった。

 そして、陳述を終えた大川原さんが、証人席から振り向いて、クラークに握手を求めたところ、なんと彼は大川原さんを堂々と抱き寄せて、柵越しにではあるがハグしたのだ。前代未聞の法廷風景であった。

 その日の法廷の、原告と原告訴訟代理人の意見陳述はたっぷり1時間半。その熱気は、以下の「ピース・ナウ! 戦争に税金を払わない! 市民平和訴訟 ニュース」(1991.9.28 NO7)のとおり(抜粋)である。

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熱意と論理で圧倒した口頭弁論

傍聴者150名を超える

拍手が沸き起こった法廷

 午前9時半から、東京弁護士会館に原告たちは集まった。長野や静岡など遠方からの原告もいたし、同様の訴訟を起こしている鹿児島・大阪・名古屋の原告の人たちもいた。ともあれ、傍聴席100人以上の法廷をいっぱいにしなければ、という運営委員会の心配は消え、途中、39名の傍聴者の入れ替えをするほどだった。

 第1回口頭弁論に臨むにあたって、弁護団事務局長の潭藤統一郎弁護士が、「裁判官を含めたすべての出席者にとって、法廷を学習する場にしていきたい」とアピール。
 10時半から開かれた法廷では、以下の順で原告側の口頭陳述が行われた。
1 本件訴訟の意義と基本構成/徳岡宏一郎弁護士
2 提訴の動機/原告・剣持一巳氏、加藤量子氏
3 平和的生存権を裁判で回復する意義と可能性/(原告)金子勝氏
4 殺さない権利/原告・三宅和子氏、斉藤美智子氏
5 納税者基本権 加藤朔朗弁護士
6 九〇億ドル支出への思い/原告・元山俊美氏、
  
クラーク氏の見解/原告・大川原百合子氏
7 司法権の使命/後藤昌次郎弁護士
8 裁判所へ期待する/原告・大橋聡美氏
9 まとめと今後の主張・立証計画/池田眞規弁護士
10 終わりに/尾崎陞弁護士

 原告たちの体験に基づいた真摯で思いのあふれた陳述や、学者や弁護士の立場からの力強い陳述が続き、聴く人たちに感動と共鳴を与えた。陳述が終わるごとに抑えた拍手が沸き起こったが、裁判長から一切静止されるようなことはなかった。

 ラムゼー・クラーク氏の陳述は原告の大川原さんが氏の意見を陳述することになったのだが、その陳述中、氏は傍聴席の最前列で起立したままであった。

(閉廷後に)傍聴の感想を求められたクラーク氏は、「市民平和訴訟のことは広く世界に知らせていかなければならない。裁判所が違憲違法であると判断したならば、国際司法裁判所で、米政府に(援助金)返還を求める必要がある。もしも150億ドルが皆さま方の手に戻りましたら、どういうふうに使うべきかアドバイスしたい。世界は戦争ではなく、愛を必要としている・・・」などと語った。

 1991年9月10日は、午前中の第1回口頭弁論、夜の「湾岸戦を告発する東京公聴会」と、私たち市民平和訴訟の会にとって、実にドラマチックで感動的な一日となった。

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法廷…こぼればなし

◇ 当日司会役の澤藤弁護士がネクタイをしめて登場。他の弁護士の方々「あれ、ネクタイ持ってたの?」「買ったんです」澤藤弁護士のこの法廷にかける意気込みが感じられました。

◇ 陳述中に何度か拍手が沸き起こりました。禁止事項なので最初は遠慮がちでしたが、何も言われないのでしまいには大拍手に。

◇ 大川原さんの陳述中、傍聴席のクラーク氏はずっと起立されたままでした。普通傍聴人は立つことは認められません。

◇ そして大川原さんは陳述後クラーク氏に歩み寄り握手を求めたのですが、なんとクラーク氏は大川原さんを抱きよせキスをしたのです。この日本の法廷始まって以来のハプニングに一同唖然。フライデーが来ていたという話もあり、写真撮影不可とは残念。

 ほぼ、30年ほど前のことである。そのラムゼー・クラークが亡くなったという報せに、時の遷りについての感慨がある。あの法廷の裁判長は、涌井紀夫さん。その後、最高裁裁判官となったが、在任中に病没している。弁護団・長老格の尾崎陞さん、三井明さんも間もなく亡くなった。当時弁護士として盛りの活躍を見せていた池田眞規さん、後藤昌次郎さんも今はない。私の同期で、この事件を最後まで引き受けた加藤朔朗君も病を得て亡くなった。原告団の中心にいた、剣持一巳さん、 元山俊美さん、大橋聡美さんらも今は鬼籍にある。

 往時茫々ではあるが、あの頃と較べて、9条の平和主義は輝きを増しているだろうか。それとも衰微しているだろうか。裁判所は、当事者の声に耳を傾ける場として、よりマシになっているだろうか。あるいは後退しているだろうか。

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