澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「オリパラ中止」を、英断にも聖断にもしてはならない。

(2021年5月8日)
 本日の新規コロナ感染確認者数が全国で7249人と報道された。東京・大阪がいずれも1000人を越し、愛知・兵庫・福岡が500人台、北海道が400人である。しかも全国にまんべんなく蔓延している。重症者も増えている。医療態勢は逼迫という域を超え、一部では崩壊の現実があると報じられている。深刻な恐るべき事態というほかはない。

 何よりも国民の生命を第一に対策を考えなければならない。いま、コロナ感染対策への最大の障碍物として誰の目にも明らかなものが東京オリパラである。その開催へ向けた準備こそが、コロナ禍を深刻化させ、医療態勢を脆弱化させる。いまだに、オリパラ開催強行にこだわる政府や東京都の神経は異常というしかない。

 国民の反オリパラ感情は急速に高まりつつある。早晩爆発することにもなろう。その前に、野党はこぞって「コロナ対策優先。オリパラ中止」を政策の対決点として押し出すべきである。東京都議選を目前にした今、東京都の医療態勢の整備と並んで、「オリパラ中止」を分かり安い争点とすべきである。

 いったい何のための東京オリパラなのか。「アンダーコントロール」という招致の真っ赤なウソ。復興五輪とは名ばかりの際限なく国費や都費を食い物とする、儲けのタネとしてのオリパラに過ぎないではないか。そして、菅政権や小池都政の政治宣伝の場としてのパフォーマンス。

 昨日アップした「世相いろはカルタ」。出来の良いものとは思わないが、「あなた何様? 五輪様」「憎まれバッハ 世にはばかる」というフレーズが、自分では多少気に入っている。オリパラは崇高でアンタッチャブル、という思い込みが少しでもなかっただろうか。オリパラなら仕方がない。オリンピックだから許される。オリパラとは、いったい何様だ? と問い直さねばならない。

 「天皇は批判しがたい」という社会の空気が厳然として存在する。これは、社会が天皇の権威を認める愚かで馬鹿々々しい風潮というだけのものではない。統治者にとって、極めて有効で便利な社会統御の手段なのだ。天皇の権威が蔓延している社会とは、統治をする者にはまことに御しやすい好都合なものなのだ。それ故に、天皇の権威は再生産されて存続する。
 
 オリンピックも、これに似ている。これまでIOCも、その会長も、日本国民からは批判しにくい権威と映ってはいなかっただろうか。アスリート・ファーストが当然でオリンピック選手は批判のしにくい対象となってはいないだろうか。

 オリンピック憲章は良くできた立派なものだが、現実のオリンピックはまた別物である。オリンピックの実態は、商業主義の極みではないか。ナショナリズム鼓舞のアリーナではないか。目立ちたがり屋政治家たちによるパフォーマンスの舞台ではないか。その成功のためとする国民統合の道具立てではないか。

 竹田恆和という当時のJOC会長が東京オリンピック招致のための「贈賄疑惑」で会長職を下りた。その男のおかげで、JOCという組織の権威は疾うになくなった。そして今、ようやくIOCとその会長の権威が崩れつつある。

 ワシントン・ポストがバッハを「開催国を食い物にする、ぼったくり男爵」と揶揄して、大会中止を促したことが、日本国内では好意的に紹介されている。そう、こんな人物に恐れ入る必要はないのだ。

 5月17日とされていたバッハ来日予定が見送りになった。なぜ日本に来ないのか。来れば抗議の対象になることが目に見えているから、来ようにも来れないのだ。「バッハが来日できるかどうかは開催可否の一つの目印」だが、「訪日すれば、あの態度でまた日本国民の批判をかうだろう」というのが大方の見方。誰が見ても、この訪日見送りは「東京オリパラ中止の第一歩」なのだ。

 11日から予定されていた福岡県内の聖火リレーは中止が発表された。聖火リレーなどやってる場合ではないということだ。IOCが参加する選手らに米製薬大手ファイザー社からワクチンを無償提供すると発表したが、「五輪優先」との批判が高まっている。着実に国民世論はオリパラ中止に動いている。

 政権は、機を見てオリパラ中止を宣言することになるだろう。小池百合子がオリパラ断念を宣言するのではないかという憶測の記事も散見される。場合によっては、その中止宣言が「英断」ともてはやされるかも知れない。あの「遅れた聖断」のごとくにである。もしかしたら、その決断の「成果」を掲げて解散総選挙もあり得ないではない。総選挙はともかく都議選には影響必至だろう。

 これを防止するには、オリパラ中止を、英断でも果断でもない「追い込まれ判断」「遅きに失した方向転換」に可視化しなければならない。全野党の要求が政権を追い詰めたという構図を作るということである。野党も市民も、今こそオリパラ中止の声を高く上げねばならない。

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Published in 土曜日, 5月 8th, 2021, at 22:57, and filed under 未分類.

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