澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

統一教会の「家庭」と、安倍自民党の「家族」と、天皇制下の「家」と。

(2022年8月22日)
 統一教会の正式名称は、「世界基督教統一神霊協会(Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity)」であった。現在は改称して、「世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)」となっている。

 旧名称には、「基督教」「神霊」という宗教団体らしい単語があったが、新名称にそれらしいものは一切なく、「宗」「教」「神」「霊」の一字すらない。新旧名称の共通単語は、「世界」と「統一」だけで、新名称には「平和」と「家庭」が入った。新名称での略称は「家庭連合」とされている。

 新旧の名称上の変化は、何よりも「家庭」の強調である。英文では、トップに「Family」。統一教会はこれが布教に有益で、かつ、彼らの政治主張にも適合的と考えたのだ。その思想は、自民党主流ないし右派と通底するものである。

 2012年4月に公表された「自民党改憲草案」では、日本国憲法24条に、次の1項を書き加えるものとなっている。自民党は、24条をいじりたい。憲法に「家族」のあり方を盛り込みたくてしょうがないのだ。
 「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」

 「個人」と「国家」との間には、いくつもの中間組織が重層的に存在する。そのうち個人に最も近いものが「家族」であって、強権国家・全体主義国家は、常に家族・家庭を通じての個人支配に虎視眈々なのだ。

 家族ないし家庭を国家統制の手段として利用することに熱心だったのは、戦前の天皇制国家だった。これは、儒教的伝統の「家」の活用でもあった。復古主義的自民党右派が、最も郷愁を覚えるのが、「民族の文化・伝統としての家族秩序」なのだ。端的に言えば、家父長制的「家」の復活への願望である。

 私の手許に、早川 タダノリ(編著)の「まぼろしの『日本的家族』」(青弓社ライブラリー・2018年)がある。これが、なかなかの優れもの。

 「右派やバックラッシュ勢力は、なぜ家族モデルを「捏造・創造」して幻想的な家族を追い求めるのか。家族像の歴史的な変遷、官製婚活、結婚と国籍、税制や教育に通底する家族像、憲法24条改悪など、伝統的家族を追い求める事例を検証する」と問題意識が語られている。一口に言えば、「改憲潮流が想定する『伝統的家族像』は、男女の役割を固定化して国家の基礎単位として家族を位置づけるものである」ということ。私流に翻訳すれば「全体主義国家は、家族を通じて個人を抑圧する」のだ。その典型が近代天皇制における「家」のあり方にほかならない。

この書は、7人の著者による7章からなり、それぞれに面白い。
第1章 「日本的家族」のまぼろし 早川タダノリ
第2章 右派の「二十四条」「家族」言説を読む 能川元一
第3章 バックラッシュと官製婚活の連続性― 斉藤正美
第4章 税制と教育をつなぐもの 堀内京子
第5章 家庭教育への国家介入の近代史をたどる 奥村典子
第6章 在日コリアンと日本人の見えにくい「国際」結婚の半世紀 りむ よんみ
第7章 憲法二十四条改悪と「家族」のゆくえ 角田由紀子

 私は、とりわけ第5章を興味深く読み、知らないことを教えられた。
 全国民のマインドコントロールに熱心だった文部省教学局が、1937年に「國體の本義」を、1941年に「臣民の道」を発刊したことは良く知られている。実は、これに続いて44年4月刊行予定の「家の本義」の編集に手を染めていたが、戦局悪化のためにこの計画は潰えたという。

 常識的に、天皇制国家は「家族国家観」を基礎として成立した。家庭内の秩序を国家大に拡大したイデオロギーである。道徳の基礎としてまず家庭内の秩序の形成と受容を求める。教育勅語の徳目羅列は、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」から始まっている。臣民に対する教化の根幹は、「家を思い親に対する孝心を養え。その孝心を忠君愛国の精神に昇華せよ」というものである。

 ところが、未刊に終わった「家の本義」のイデオロギーはこれとは違うのだという。「真に家を思ふのであれば、家を忘れなければならない」「生まれた子どもは『我が子』ではなく、『陛下の赤子』である」「親の務めは『陛下の赤子』を天皇の盾へと育てあげること」と説くものなのだそうだ。「家」あっての「御国」という悠長なことを言っておられなくなり、天皇と国家への戦闘要員の供給源としての「家」を露骨に説くものとなったのだ。

 全体主義国家の家族観として、行き着くところを示したものと言うべきであろう。自民党の復古主義家族観の恐さを示して余りある。これと呼応するがごとき、《私たち統一教会は、家庭を中心として国家救援、世界救援を主張しているのです》という、統一教会の家庭の捉え方も恐ろしい。「反人権・親国家」のイデオロギーとしての「家族」「家庭」「家」、いずれもとうてい受容し得ない。

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