「人を不幸にする自由はない」― 信教の自由を盾にする悪徳商法を許さない
(2022年8月25日)
日弁連は、「消費者法講義」(日本評論社刊)を発刊している。2004年10月に第1版を出し、現在は第5版(2018年10月)となっている。消費者委員会の然るべき執筆者が担当するもので、ロースクールの教科書にもなっていると聞く。
その第4版までには「宗教トラブルと消費者問題」の章が設けられていた。山口広弁護士が執筆し、これに私のコラムが付けられていた。コラムのタイトルは、「消費者事件の間口と奥行き」というもの。霊視商法弁護団を代表しての執筆であるが、今、あらためて統一教会の霊感商法に世の注目が集まっている。引用して紹介させていただく。
1989年10月31日、オウム真理教の幹部が横浜法律事務所を訪れた。「われわれには信教の自由がある」との言に対して、坂本堤弁護士は「人を不幸にする自由はあり得ない」と切り返している。その3日後、坂本弁護士は家族とともに非業の最期を遂げ、この言葉が彼の遺言となった。人を不幸にする「宗教」はオウムだけではない。「宗教」を金儲けの手段として、善男善女から金品を巻き上げ利をむさぼる輩はあとを絶たない。犯罪性を指摘されると、彼らが呪文のごとく唱えるのが「信教の自由」である。
その典型が霊視商法。真言宗の一派を名乗る宗教法人が大量にチラシを撒き、「3000円で特別の能力を持った霊能師が霊視鑑定をする」と集客する。霊視鑑定の結果、例外なく「水子の霊が憑いている」「種々の霊の崇りがある」ことになり、「この霊を供養しない限り不幸は去らない。さらに大きな不幸が来る」と除霊供養料250万円からの被害が始まる。東京都の消費生活センターが調査に乗り出したが、「信教の自由」の壁に阻まれた。「行政が宗教に介入するのか」「宗教弾圧だ」とまで言われたという。
「信仰の自由」「宗教活動の自由」は憲法上の崇高な理念である。しかし、宗教団体が国家権力と対峙する局面と、宗教団体が私人(消費者)と向かい合う局面とを明確に区別して論じないと、同種悪徳商法を野放しにすることとなる。
信教の自由はいささかも悪徳商法を許容するものではない。宗教の名による悪徳商法を糾弾し、消費者被害を救済するに際していささかの妥協も怯みもあってはならない。「人を不幸にする自由はない」は、信教の自由の限界を端的に表現した名言として記憶されねばならない。
組織的な加害に対しては、個別的な被害救済だけではとうてい対応し得ない。とりわけ、この種の大規模事件においては、被害の拡大阻止ないし根絶も受任弁護士の責務となる。弁護団を結成し、集団で多面的な対応が必要である。世論へのアピールも欠かせない。1992年に結成された霊視商法対策弁護団は、憲法問題にも踏み込みつつ、刑事告訴、損害賠償訴訟、破産申立て、宗教法人法上の解散命令申立てなど考えられる限りの法的手続きを行い、被害救済と被害拡大阻止の両面で成功を収めた。「消費者事件」の間口の広さと奥行きの深さを象徴する事件であった。
[澤藤統一郎(弁護士)]