澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

いったい誰が安倍晋三の国葬に出席しようというのか。

(2022年9月7日)
 安倍晋三の統一教会葬はないのだろうか。あるいは、勝共連合葬。もちろん葬儀の挙行は自由だ。安倍晋三の政治信条を支持する人々が任意に葬儀に参列してその真情からの弔意を表明し、献花し、献金すればよい。安倍晋三の政治信条を支持しない人々にはなんの迷惑もかからないし、なんの憲法問題も生じない。その場合、弔辞は、安倍晋三とともに統一教会に親密だった細田博之が読むことになろうか。

 国葬となれば話はまったく別だ。全国民を弔意の表明に巻き込むことになる。さまざまな憲法問題が生じる。国会での論議が不可欠である。予算も決算も明らかにしなければならない。そもそも、嘘とゴマカシ、政治の私物化で知られる人物の国葬適格性が問題とならざるを得ない。

 そんな安倍国葬が、政府の予定のとおりに強行されるとして、世論の糾弾を押して、いったい誰が出席するといのだろうか。共産党に続いて、れいわ新選組が安倍国葬出席拒否の方針を表明した。山本太郎は会見で「れいわとして出席しない。(政府は)法的根拠がないものをごり押ししようとしている」「閣議決定だけで国会を事実上、形骸化させるようなことは絶対に許してはいけない。政府の裁量だけで決めるのは独裁国家だ」と強く非難。「それほどやりたいなら、自民党と旧統一教会の合同葬にしてほしい」とまで述べたという。なるほど、安倍晋三には、自民党と統一教会の合同葬がふさわしいのかも知れない。

 まさか、社民党が出席とはならないだろう。準与党というべき維新と国民は、ボイコットできまい。問題は立憲だ。出欠については「(閉会中審査の)結果を見極めた上で判断」とのことだが、権力の横暴に対する抵抗の姿勢が問われる問題として、見守りたい。

 なお、この問題「党議拘束」とは無関係。出欠は、議員や被招待者各個人の主体性にもとづく判断による。自民党からも公明党からも、出席ボイコットあってしかるべきだろう。下記のような事態となれば、何とも痛快なのだが。

「(山県有朋の)国葬当日は雨上がりで寒かった。1万人収容の仮小屋に数百人しか参列せず、議員数人の他は軍人と官僚ばかり。たまたま1カ月前、同じ東京・日比谷公園で行われた政敵、大隈重信の国民葬に30万人が詰めかけ、沿道に100万人が並んだ盛況との明暗を、毎日新聞の前身・東京日日新聞は『大隈侯は国民葬 きのうは<民>抜きの<国葬>で 中はガランドウの寂しさ」と伝えた。」(伊藤智永・毎日「石橋湛山は国葬に反対した」)

 そして、国外からの要人は弔問に来日するのか。これも見込み違いとなりそうだ。
 主要各国の首脳の顔が揃いそうにもない。アメリカからバイデンは来ない。トランプだってその気配もない。シンゾーとどこまでも駆けて行くことを誓った親友ウラディーミルもそれどころではない。習近平も来ない。金正恩が来れば弔問外交の目玉になろうがあり得ない。イギリスも、フランスも、イタリアも、首脳は参列しない。ドイツのシュルツ首相も来ない。せめてメルケルが来れば話題ではあろうが、これとて来ない。

 あれっ? 「地球を俯瞰する外交のアベ」と自讃したこともあった安倍晋三のはずだったが、棺を蓋いてこと定まれば、こんな程度のことなのだ。全ては晋三の不徳の至りで、自己責任なのだろう。結局、安倍国葬実施の一つの根拠とされてきた「弔問外交」は“絵に描いた餅”と言われる事態である。

 やっぱりやめよう 金食い虫の安倍国葬。

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