安倍晋三と統一教会、その関係を総理に語らせるわけにはいかんだろう。
(2022年9月9日)
私が山口俊一。昨日(9月8日)の衆院閉会中審査、あの質疑を取り仕切ったのが議運委員長の不肖私。徳島を地盤に現在11期目。麻生派ですよ。これまで、パッとした業績はありませんが、突然に有名になっちゃった。どう見ても頼りない総理を、鋭い野党の攻勢から私が守ったわけだから、我ながらの大きなお手柄。
この日の審議の議題は「安倍元首相の国葬儀について」だった。本来は、どうすれば立派な国葬儀ができるかの知恵を寄せ合う議論をするはず。どうすればより深くより暖かく、元首相に対する敬意と弔意を示す儀式とするか。建設的で、提案型の諸意見集約の場とすべきが当然のこと。
ところが、野党の側は元首相に対する敬意と弔意のカケラもない連中ばかり。質問とは名ばかりの国葬儀への嫌がらせ。不肖私が割ってはいらなければたいへんなことになっていたはず。
議題が「安倍元首相の国葬儀」だということは、旧統一教会問題の議論をすべき場ではないということ。安倍元首相と統一教会との関連がいかに親密なものであろうとも、統一教会問題の議論は論点ずらしではないか。いや、安倍元首相と統一教会との関連が極めて親密なものであるからこそ、ここを野党に衝かせるわけにはいかんのだ。
だから、総理が危なくなれば、「本日の議題は国葬儀」と、不肖私がレフリーの身でクリンチを繰り返す。野党やその支持者には面白くなかろうが、これも闘いの一場面。ハラハラしていたはずの、政権も自民党も、そして統一教会も、胸をなで下ろしたろう。
立憲民主党泉健太の舌鋒は、さすがに鋭い。「自民党と旧統一教会との関係を考えた場合に、安倍元総理は最もキーパーソンだったのではないか」と、総理に迫った。これに対する総理答弁が、いかにも頼りない。余計なことを口にしての時間稼ぎという狙いが見え見えだから、なおさらだった。
「本人が亡くなられたこの時点において、実態を十分に把握することは限界がある」「自民党として丁寧に説明しなければいけない。それぞれの点検結果について、取りまとめを行い、説明責任をしっかり果たしていこうという作業を進めている」とまあ、誰が聞いても下手くそな論点ずらし。
「限界はあろうが、可能な限り調査する」なら分かるが、「限界があるから一切調査しない」って、いったいそりゃなんだ。これで、納得しろと言うのが無理な話。だから、私の出番が必要なのだ。泉に対して、「本日の議題は国葬儀だ」「それをよく踏まえてのご質問を…」と何度かのブロック。質問の腰を折って、それなりの効果があったと思うね。
委員長席で聞いていても、総理の答弁は、今まで小出しに言ってきたことを繰り返しただけ。そして、聞かれたことにははぐらかし。どう考えても、ひいき目に見ても、「丁寧な説明」にはなっていない。野党も国民も納得できるはずはない。
でも、本日の日刊ゲンダイが不肖私を、《岸田政権の新たな守護神誕生だ》と持ち上げてくれたことは、ややこそばゆい。我が党は人材豊富なのだ。入れ替わり立ち替わり、新たな政権擁護の立役者を生み続ける。
共産党の塩川鉄也もしつこかった。「国政選挙における安倍氏と統一教会の関係についてはどう考えるか」と、安倍と統一協会との関りを明らかにせよと追及して、明らかに総理を困らせていた。だから、私は、総理の顔を見ながら、「直接議題と関係ないことには、お答えいただかなくて結構でございます」と、恩を売っておいた。総理は、「安倍氏がなくなられているいま、関係を調査することには限界がある」との主張を繰り返すばかり。正直のところ、こりゃダメだね。
安倍国葬を検討するに際して、安倍と統一協会の関係の究明を避けて通ることができないことくらいは分かりきったこと。安倍晋三が統一協会の広告塔の役割を果たし、統一協会の活動を側面支援し、国政選挙において統一協会の組織票配分を差配していた。みんな知っていることだが、そんなことを総理に答弁させるわけにはいかない。だからこその私の働き。
昨日から今日のメディアの論調は、不肖私が、安倍元首相と統一教会の密着性を却って浮き彫りにし、閉会中審査を契機に国葬反対論がさらに拡大することが避けられない情勢だという。おそらくはそのとおりだろう。それでよいのだ。何よりも私の知名度が上がることが大事なのだから。悪名は無名に優る、というではないか。