安倍論法での安倍国葬擁護論。
(2022年9月15日)
ネットを開いたら、デイリースポーツ 2022/09/14 22:04のタイムスタンプで、「ひろゆき氏 国葬反対派に時論『例え反社の人でも葬式くらいは静かに礼節』『村八分でも葬式手伝う』」という記事が、目に入った。
時論は持論の間違いだろうが、たいしたことではない。問題は、こんなつまらない意見を拡散するスポーツ紙の姿勢である。面白くもオカシクもない、ひねりも落ちもない、安倍国葬反対論に対する、たどたどしい揶揄。こんなものを取り上げて報道するいかほどの意味があるというのか。
「ひろゆき意見」がどんな背景や奥行きをもったものかは論じようがない。報じられている彼のツイッターの文言だけに反論しておきたい。
デイリースポーツが報じる「ひろゆきツィッター」は以下の3件のようだが、(2)と(3)は、同じ1件のツィッターの一部なのかも知れない。
(1) 「同意しない人も多いと思いますが、、」「例え反社の人でも葬式ぐらいは静かに送ってあげる礼節を持つべきだと、おいらは考えます」「昔から日本人は村八分であっても葬式の手伝いはしてました」「『酷いことをした人だから葬式を妨害していい』と言える人は、誰にも迷惑を掛けずに生きてきた人なのかな?」
(2) 「人の葬式に行かない人は、黙って行かなければいいだけです。『行きません』とわざわざ言う必要はないと思います。遺族と参列者に失礼です」
(3) (反対デモなどについて)「『国葬に反対だけど、葬式は静かに見守る』という大人の対応をすべきかと。安倍氏の国葬に反対という意思表示は表現の自由で守られるべきですが、葬式で集まって騒ぐのは不道徳」
ひろゆき意見は、庶民の私的な葬儀と国家が行う国葬とをことさらに混同させて、私的な葬儀についての社会常識やマナーをもって、国葬という政治権力の暴走に対する批判の言論を封じようというもの。私的な葬儀は参列者だけで完結するが、国葬は全国民を巻き込んで弔意を求めるものである。私的な葬式と、権力作用としての国葬。これを混同してはならない。
実は、その意識的混同こそが政権のねらいなのだ。日本社会に根強くある、死者への批判は遠慮すべきだとする社会意識を利用しようという魂胆。安倍国葬を強行しても、死者を鞭打つことになる反対論は口にしにくいものとなるだろう、だから世論が大きく国葬を批判することにはなるまいという読み。
さすがに政権は、恥ずかしくて、このようには言わない。政権の言えないホンネを露骨に口にする、政権の走狗というものが必ず出てくる。いま、その役割を果たそうというのが、ひろゆき意見にほかならない。
「同意しない人も多いと思いますが、…例え反社の人でも葬式ぐらいは静かに送ってあげる礼節を持つべきだと、おいらは考えます」
おいらだけではない、だれだってそう考える。同意しない人も多い…はずはない。他人の葬式を静かに送ってあげる礼節を否定する者はない。7月12日に行われた安倍晋三の葬儀を妨害したり非難したりする者は皆無だったではないか。にもかかわらず、まるで国葬反対派が礼節を持たざる人々と言わんばかり。
「昔から日本人は村八分であっても葬式の手伝いはしてました」「『酷いことをした人だから葬式を妨害していい』と言える人は、誰にも迷惑を掛けずに生きてきた人なのかな?」
ひろゆき意見は、安倍晋三を「反社」にたとえたり、「村八分」を例に出す。死者に対して、失礼と言えば失礼な言辞。もしかしたら、本心は安倍晋三を軽侮し揶揄しているのかも知れない。
ひろゆき意見の悪質さは、唐突に『酷いことをした人だから葬式を妨害していい』と、あたかも、安倍国葬反対派が、言論の行使を超えて『実力による葬儀の妨害』を企図しているかのごとくにすり替えていることに見える。こういう、相手の言っていないことで、攻撃してはならない。
「人の葬式に行かない人は、黙って行かなければいいだけです。『行きません』とわざわざ言う必要はないと思います。遺族と参列者に失礼です」
個人の葬儀なら、失礼か失礼でないかだけの問題。しかし、国葬の是非は大きな政治的なテーマになっている。安倍晋三の葬儀を国葬として行うべきかどうか、そのことについて、一人ひとりの国民が主権者として賛否を問われている。明確に賛否を表明することは、失礼か失礼でないかを超えた、主権者としてのあるべき姿勢である。
「『国葬に反対だけど、葬式は静かに見守る』のが大人の対応」なら、その大人は主権者としては未成熟。実は、権力にとって御し易い「こんな未成熟な大人」が大半だったから、政権私物化甚だしい安倍長期政権を許したのだ。
そして、最後にまた出た「葬式で集まって騒ぐのは不道徳」。だれも国葬を実力で妨害して騒ごうなどと企図していない。こういう詭弁で、論争相手を貶めようとしたのが、生前の安倍晋三だった。ひろゆき意見は、まるで生前の安倍晋三の国会答弁である。泉下の晋三、クシャミをしているに違いない。