小池百合子よ、東京都教育委員諸氏よ。本日の東京新聞社説に目を凝らせ。
(2022年10月31日)
本日、東京新聞が「『君が代』強制 処分避け対話で解決を」という社説を掲載した。人権・民主主義を大切に思う者として何ともありがたい。この問題での訴訟を担当している立場からはなおさらである。東京新聞には、深甚の敬意を表したい。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/211116?rct=editorial
この社説の趣旨は、冒頭に述べられている。『学校現場で教職員に「君が代」の起立斉唱を強制している問題を巡り、国際機関が日本政府に強制を避けるよう勧告を重ねている。政府は勧告を放置しているが、強制は教員らの内心の自由を侵す。政府は勧告を受け入れ、処分ではなく教員団体との対話によって問題解決を図るべきだ』という簡潔で力強い宣言。
「君が代・強制」には、重層的にいくつもの問題が伏在している。思想・良心・信教の自由の侵害、公権力によるナショナリズム煽動の罪、君が代に象徴される戦前的価値観の押し付け、国家の存立が個人の尊厳に優越するという全体主義の肯定、教育の自由に対する無理解、教育行政の名による教育への積極的権力介入の放任…。憲法論上の最重要問題として、《国家が個人に対して、「国家に敬意を表明せよ」との強制をなしうるか》が問われている。
そして、新たな状況の中で東京新聞社説は、「《我が国が締結した条約》や《確立された国際法規》の順守義務」履行の問題として、君が代強制に疑問を呈した。
社説の言う「(日本政府に強制を避けるよう勧告した)国際機関」とは、国連にほかならない。国連のしかるべき専門機関が、日本が締約した条約に基づいて、「愛国的式典の規則は、国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できる内容であるべきだ」と勧告したのだ。「学校現場での「君が代」強制は好ましくない」「強制を避けて対話で解決せよ」とも明言している。これが、国際的なスタンダードなのだ。
我が国は、憲法において国際協調主義を宣言した。国際条約を遵守すべきことも、国連勧告を尊重すべきも、自らに課した当然の責務である。その姿勢を堅持してこそ国際社会の一員として胸を張ることができる。国連からのこの勧告を、「勧告に過ぎないから」と無視することは許されない。
この問題に関わる当事者も、労働組合も市民も真剣である。けっして、問題をうやむやのうちに葬ることはしない。政府が、そして文科省と東京都教育委員会・大阪府教育委員会が、この問題を解決するまではけっして引き下がることはない。政府が真摯な対応をしない限り、セアートの勧告は引き続きおこなわれることになる。
この社説が言うとおり、「強制の排除に踏み出すべき」なのだ。
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学校現場で教職員に「君が代」の起立斉唱を強制している問題を巡り、国際機関が日本政府に強制を避けるよう勧告を重ねている。政府は勧告を放置しているが、強制は教員らの内心の自由を侵す。政府は勧告を受け入れ、処分ではなく教員団体との対話によって問題解決を図るべきだ。
勧告したのは国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)の合同専門委員会「CEART(セアート)」。
東京都や大阪府などの学校現場では、入学式や卒業式の際に「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」ことが求められ、従わない教員らが懲戒処分を受けている。
2014年、日本の教職員組合が「公権力によって敬愛行為を強制され、思想良心の自由を侵害されている」と訴えたことを受け、セアートが審査を実施。一九年と今年6月の二度、日本政府に勧告が行われた。
根拠は1966年、日本も参加したユネスコの会議が採択した「教員の地位に関する勧告」。教員の責任や地位などの原則を定めた国際基準で、日本の「君が代」強制は基準に反すると判断した。
君が代は、日本の侵略戦争の象徴だと忌避し、不起立によって抵抗を示す人はいる。
政府は99年の国旗国歌法制定時に「国民に新たな義務を課すものではない」と説明し、強制を否定した。しかし東京では、石原慎太郎都政時代の2003年に出た通達に基づき不起立の教員を懲戒処分にし、大阪でも11年に設けた条例で起立斉唱を義務化した。
処分を受けた教員は再発防止研修が課され、定年退職後の再雇用希望も拒まれた。勧告はこれら懲罰的行政を戒め、起立しないことは「混乱を生まない市民的自由の範囲」との見解を示している。
勧告は、公務員の教員には職務命令に従う義務があるとする文部科学省の主張も退け「愛国的式典の規則は、国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できる内容であるべきだ」と組合との合議による規則作成も求めた。
日本国憲法は締結した条約や確立された国際法規の順守義務を定める。2度目の勧告は、政府が放置している英文勧告文の和訳を組合と協力して行うよう求めている。言葉の意味を確認する共同作業を通じて見解の相違を埋め、強制の排除に踏み出すべきだ。