「(憲法24条のおかげで)日本の女性のいいところが失われてきた」ー 扇千景かく語りき
(2023年3月28日・連日更新満10年まであと3日)
今月7日に亡くなった扇千景の葬儀が昨日行われた。皇族やら、政治家やら、芸能人の参加で、大いに「盛り上がった」ようだ。
伝えられているところでは、「本葬に先立ち、遺骨を乗せた車が国会正門前を通過し、議員や関係者が整列して見送った」「祭壇には、天皇、上皇からの花も供えられた」「旭日大綬章、桐花大綬章、24日に叙されたばかりの従二位の勲章も並んだ」という俗物ぶり。
弔辞は小泉純一郎。こう述べたという。
「女性が活躍される社会を目指し、その先頭に立って切り開いてこられた道には、続々と後輩達は続いております。政治家として全身全霊で走り抜けられた先生。改めて心から敬意と感謝を申し上げます」
そりゃちがうだろう。扇千景という人、いかにも保守の顔をした自民党の議員となり、「女性初の参議院議長」にもなった。だから打たれざるを得ない。一昔前の私のブログを再掲しておきたい。「憲法日記」の前身である、「事務局長日記」の時代。日民協のホームページに掲載していた当時のものである。
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
澤藤統一郎の事務局長日記 2005年07月03日(日)
ベアテさんと、ある女性議員
ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、1945年暮れから、GHQの民政局で調査専門官として日本国憲法の草案起草に携わった。当時22歳。ウィーン生まれで5歳から15歳までを日本で過ごしている。ジェームス三木シナリオの演劇「真珠の首飾り」や、映画「ベアテの贈り物」で、その活躍がよく知られている。
「贈り物」というニュアンスは、日本の民衆が勝ち取ったというものでないことを物語るが、残念ながら事態はそのとおり。しかし、その後これを自らの血肉としたときに、勝ち取ったと同様の誇りを手にすることができる。
そのベアテさんは、参議院の憲法調査会に招かれて、参考人として報告し意見を述べている。00年5月2日のこと。その議事録によると、彼女が起草した憲法24条の原案は次のとおりであったという。
「家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統は、善きにつけ悪しきにつけ国全体に浸透する。それ故、婚姻と家庭とは、両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然であるとの考えに基礎を置き、親の強制ではなく相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく両性の協力に基づくべきことをここに定める。これらの原理に反する法律は廃止され、それに代わって、配偶者の選択、財産権、相続、本居の選択、離婚並びに婚姻及び家庭に関するその他の事項を、個人の尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が制定さるべきである」
個人の尊厳、両性の平等の理念が、旧弊な日本の現状を批判する文言となって条文化されている。これが、紆余曲折を経て、現行の条文となった。
ベアテさんの基調意見に対して、笹野貞子、吉川春子、大脇雅子、佐藤道夫らの委員が、さすがにそれなりの水準の質疑をしている。ところが、ある女性委員の質問が不得要領、さっぱり何を言っているのやら‥。速記者も困ったろうが、こう書き留められている。
「私は、女性の権利をこれだけ高めていただいたことには感謝申し上げますけれども、現実に日本の今の我々の生活、日本が今日あるということに関しては、この憲法の中から、これは日本国でなければならないという、女性というものが、女性の創造が見えてこないんですね。それは、日本の伝統文化というものが、今の日本の中でいかに伝統文化が重んじられていないかという点、そして義務と権利の民主主義のあり方等々も私は女性としては大変問題点もやっぱり今現実には起こっているであろうと。
ですから、権利は与えられたけれども、それに対する本来の、ゴードンさんが先ほどおっしゃった、女性の虐げられたという言葉をお使いになりましたけれども、虐げられただけではなくて、日本の女性のいいところがこの五十五年の中で失われてきたということも私どもは大いに勉強しなければならない、また私たち自身も反省しなければならないことだと思います」
「(憲法24条のおかげで)日本の女性のいいところが失われてきた」「そのことを反省しなければならない」と言ってのけているこの程度の人物が、国会議員となり、憲法調査会委員となり、そして今は参議院議長として、憲法調査会報告書を受領する立場にある。その人の名を、扇千景という。