石原慎太郎、靖国参拝について記者に曰わく。「記帳するときに東京都知事と書いちゃいけないの。馬鹿なこと言うな、本当にお前ら。どこの人間なんだ貴様。日本の近代史知っているのか、現代史。あの戦争がどんなもんだったか知らないから馬鹿なこと言うんだよ。」
(2024年8月18日)
フィフィというタレントが、一昨日(16日)に自身のX(旧ツイッター)に議員による靖国神社参拝を肯定する意見を述べた。彼女の私見はどうでもよいが、多少の話題になったのは、都知事時代の石原慎太郎の記者会見記録が引用されていたこと。
この記録は、右翼・慎太郎の面目躍如たるところで、並の感覚では慎太郎の問題発言材料として忘れてもらいたいというところ。フィフィなるタレントは、この慎太郎記者会見記録を立派な見解の表明と考えているようだから、泉下の慎太郎も苦笑しているのではないか。
以下に、2012年8月10日定例都知事記者会見記録を紹介して、その続きをパロデイとして綴ってみたい。
【記者】今年も8月15日が近づいてきましたけれども、知事は例年靖国神社に参拝されていますが、今年のご予定を教えてください。
【知事】当然行きます。
【記者】それは、いつもの質問で恐縮ですけれども、公で行かれるのか、個人として行かれるのか。
【知事】公と個人の両方。私の家内のお父さんもいるし、私の又いとこ2人も、海軍の軍人で亡くなっていますからね。それに公人として私人として会いにいくのはどこが悪いんだね。シナが怒るからかね。毎日新聞、反対なのか、賛成なのか、どうなんだい。僕が行くことに、君どう思う。君の意見聞きたいな。
【記者】すみません。個人の意見としてはちょっと言えないんですけれども。
【知事】君個人の意見を聞いているんだよ。せっかくだから、個人対個人で話そうじゃないか。質問した人間がどう考えているか、言ってみろよ。
【記者】会社としての意見もいろいろありますし、個人としても意見ありますけれども…。
【知事】個人の意見聞いているんだよ、君の。個人の意見述べたら首になるのか。そんな会社なのか君の会社は。
【記者】いや、そうではありませんけれども。
【知事】じゃ、君はどうなんだよ。賛成か反対か、俺が行くのに。
【記者】私は個人として行くのは、規制はできないと思いますけれども、公として行かれるのは、ちょっと、疑問がいろいろ残るんではないかと。
【知事】どうやって肩書外すんだね。それは、記帳するときに東京都知事と書いちゃいけないの。馬鹿なこと言うな、本当にお前ら。どこの人間なんだ貴様。日本の近代史知っているのか、現代史。あの戦争がどんなもんだったか知らないから馬鹿なこと言うんだよ。君のお父さん、お母さん、ひいじいさん、ひいばあさん、命がけで国を守ってきたんだよ。
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【記者】録音を切ります。「シナが怒るからかね」とか、「本当にお前ら。どこの人間なんだ貴様」などという知事の本音を都民に紹介できて、私の任務は十分に果たせたと満足しています。ありがとうございました。
【知事】まだ、貴様の、いや君の意見をちゃんとは聞かせてもらっていない。言いたいことがあるなら言ってみたらどうだ。
【記者】私は意見を述べる立場にはありませんが、そこまでおっしゃるのなら、少しだけ。公人が靖国神社参拝をしてはいけないのは憲法上自明なことです。中国や韓国に指摘されるまでもないこと。しかし、純粋に私人として参拝することまでを咎めるのは難しいとも思います。要は、厳密に公人としての疑いを払拭できるような参拝の仕方であれば、認めざるを得ないということです。
【知事】じゃあ、「東京都知事」という肩書は、いったいどうやって外せというんだ。
【記者】もちろん記帳は個人名だけにしていただいて「東京都知事」という肩書を記入してはいけません。肩書ないのは寂しいとおっしゃるのなら、「作家」でも「文筆家」でも、あるいは「日本人」「壮士」「憂国の志士」でもよろしいんじゃないでしょうか。なお、いけないのは肩書の記帳だけではありません。公用車の利用もいけません。随行員の同伴もダメ。常識的な執務時間帶の参拝は避けた方がよいでしょう。
【知事】そんな卑俗な低次元の議論をしているのではない。石原慎太郎という生身の私人と、公人としての東京都知事石原慎太郎とは不即不離、分けられるはずがないと言っているんだ。
【記者】分けられますよ。分けなきゃいけない。人は皆、いくつもの属性を持ち、いくつもの肩書を使い分けながら社会生活を送っているのですから。でも、知事が分けられないと思うのであれば、靖国参拝はせぬことです。参拝しようとされるのなら、できるだけひっそりと神社に出かけて、人目につかないように参拝なさることです。それが、ギリギリ許される私人としての参拝のあり方。
【知事】なんだと。こっそり参拝しろだと。馬鹿なことを言うんじゃない。
【記者】馬鹿なことではありません。都知事在任中にはそうしなければならないということは、憲法20条の政教分離原則が命じるところです。もっと厳しい解釈もあるでしょうが、私が言っているあたりが常識的なところ。
【知事】君は、憲法の片言隻句よりも大切なものがあることを理解できないのかね。
【記者】当然のことですが、公人の行動規範として憲法に優越するものはあり得ません。もしや、知事は日本国憲法を認めないという立場なのでしょうか。
【知事】当たり前じゃないか。民族の歴史や大義と矛盾するような憲法を認められるはずはない。
【記者】どんなに嫌いな憲法でも、認めたくなくても、公人には憲法遵守義務があります。もちろん知事にも憲法を守っていただかなくてはなりません。
【知事】さっきも言ったが、君のお父さん、お母さん、ひいじいさん、ひいばあさん、命がけで国を守ってきたんだよ。その先人たちが、靖国に眠っているんだ。その人たちを参拝することよりも、憲法の遵守が大切だというのかね。
【記者】知事の座にある者が、憲法秩序をないがしろにしてはいけませんね。また、残念ながら、先の戦争は誰が見たって日本が仕掛けた戦争ではありませんか。命がけで国を守ってきたという言葉は、日本に侵略された隣国の人々にこそふさわしい。
【知事】何を言うんだ、貴様。現象だけでものを見てはいかん。裏の裏のそのまた裏を読めば明らかだ。一見日本が侵略しているように見えても、その実は、自存自衛のための戦争だった。白人の支配からアジアを解放するための戦争でもあった。太平洋戦争はアメリカが仕掛けたものなんだよ。日本ははめられて、先制攻撃をさせるように仕向けられたたんじゃないか。
【記者】結局、靖国参拝は、知事のような大東亜戦争肯定論と深く結びついているということがよく分かりました。
【知事】君はちっとも分かっていない。分かろうともしていない。東京裁判やらシナ人やら三国人に吹き込まれた自虐史観に洗脳されたままで、「もっと反省しよう」「反省が足りない」などと、どこかの国のお先棒をかついだ愚かしいことをやっているだけじゃないか。いい加減に目を覚ましたらどうかね。
【記者】驚きましたね。いまだにこの国には、皇国史観の亡霊がさまよっている。でも、こうやってお話しいただいてはじめて、知事の古色蒼然たる考えを知ることができました。重ねて御礼を申し上げます。