澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「日の丸・君が代」処分に伴う再発防止研修への抗議

春は、卒業式と入学式の季節。それぞれの人生の節目と再出発の、キラキラ光る美しい時。ところが、東京の公立校では、「日の丸」と「君が代」の強制の季節。そして処分の季節だ。少しも美しくない。今年も4人に懲戒処分が発せられた。これで、「日の丸・君が代」強制に服さないことを理由とする処分は461件となった。

懲戒処分を受けた者には、服務事故再発防止研修の受講が命じられる。本日、水道橋の東京都教職員研修センターで、その再発防止研修が強行された。私たちは、これに抗議して、センターの門前に集まって抗議と要請を行い受講者を激励する。

早朝8時半、マイクを握って研修の責任者に申し入れを行う。

「行政機関としての都教委と研修センターに、抗議と要請を申しあげたい。また、本日の研修を担当する研修センターの職員の皆様にもお願いしたいことがある。聞いていただきたい。

本日、服務事故の再発を防止するための研修が予定されているが、いずれの受講者も服務事故を起こしたとの認識はない。もとより、反省とは無縁である。再発防止のためとする研修は、体罰やハラスメントの不祥事を起こした職員には必要であろうが、自らの思想・良心に忠実な行動をした本日の受講者には、まったく無意味で、本来研修は無用である。むしろ、本日の研修受講予定者は、教員としての職業的倫理観と責任感の高い尊敬に値する教育者である。模範に値すると言っても決して過言ではない。

この人たち対して、再発防止研修に名を借りた恫喝は思想良心の自由に対する直接の侵害である。また、その誤りを糺そうと説得を試みることは、行政による思想転向の強要にほかならない。いずれも憲法19条に違反する。また、子どもたちの教育を受ける権利の侵害にもなる。

行政機関は憲法を遵守しなければならない。その憲法は、思想良心の自由を保障している。思想良心の自由の保障は、国民に対してどんな行動も自由だとしているわけではない。しかし、こと国民が国家をどのように位置づけるかについては、絶対の自由が保障されなければならない。国旗国歌への敬意表明の強制は、国家主義否定の思想を侵害することではないか。各個人の歴史認識によって、日の丸・君が代が象徴している大日本帝国の時代を受け容れがたいとする思想を否定してはならない。

戦争の惨禍から新たな国をつくろうとした日本国民は、戦前の国家主義を清算することを新たな国家の礎として憲法を制定した。国家は誤りを犯す、ということが最大の教訓ではなかったか。国家は、特定の価値観をもってはならない。とりわけ、教育の場で、国家に都合のよいイデオロギーを子どもたちに押し付けてはならない。それが憲法の命じる大原則である。

10・23通達と、通達に基づく職務命令、そして職務命令違反を理由とする懲戒処分は、思想良心の侵害であり、子どもたちの教育を受ける権利の侵害でもある。それだけではない。再発防止研修という名の嫌がらせも、思想良心の侵害なのだ。

これまで、あなた方研修センターは、教職員に対する思想良心侵害実施実務の脇役だった。なによりも、懲戒処分の累進加重制度が圧倒的な重みをもつ弾圧手段だった。再雇用拒否も過酷な制裁だった。ところが、行政には甘いことで知られている最高裁も、さすがに累進加重制度を転向強要システムと認めて、これは違法とした。つまり、懲戒処分の制裁効果は最高裁によって縮減された。代わって、服務事故再発防止研修が、「怪しからん教員への嫌がらせ手段」として主役の座に躍り出た。

いま、あなた方の一挙手一投足が注目の的となっている。今日の研修におけるあなた方のやり方が歴史の審判を受けることになる。

400年前のキリシタンに対する踏み絵は、九州の天領や各藩で大規模に行われた。その実施には大勢の役人が動員されている。今、あなた方は、キリシタン弾圧の役人と同じことをやっている。
戦前の憲兵や特高警察は、多くの弾圧立法に基づいて、国家に反逆する者、天皇に逆らう者、私有財産制度を否定する者を徹底的に取り締まった。今、あなた方は、特高や憲兵と本質において変わらないことをやっている。

キリシタン弾圧の役人も憲兵や特高も、残虐非道な極悪人だったわけではない。その時代の常識人として、その時代の常識に基づいて忠実に任務を実行していただけなのだ。いや、使命感に燃えて国家社会のために働いていたとも考えられる。今、あなた方も同じ立ち場にある。任務だからという言い訳は、歴史の審判に耐えられない。

とは言っても、あなた方が、命じられた本日の研修実施任務を放棄することは難しいだろう。だから、申し上げたい。せめて、本日の研修受講者に敬意をもって接していただきたい。あなた方は、自身の行為には忸怩たる思いを抱かねばならない。そして、処分の不利益を覚悟で、自らの思想良心を貫いた教員には、敬意の念を持っていただきたい。それが、せめてもの罪滅ぼしだと認識していただきたい。
私の要請はそのことに尽きる。」

実際は以上のように整然とはしゃべれなかった。時間の制約もあった。早朝、頭も口も滑らかには回らない。言いたかったことを整理して文章にしてみれば、以上のとおり。
(2014年4月4日)

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Published in 金曜日, 4月 4th, 2014, at 21:27, and filed under 日の丸君が代.

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