澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

安倍晋三医師の「丁寧な説明」

もしかしたら、「丁寧な説明」は今年の流行語大賞に輝くかも知れない。これと争うのは、「どろっとした生牡蠣」あるいは「たった2520億円」だろうか。

「丁寧な説明」は、この国の為政者が何とも奇妙な使いかたをしたことによって、人々に印象深く記憶されることになった。この言葉の使い方が今の時代の政治のあり方をよく表している。国民があらためて認識したのは、為政者の言葉の軽さ虚しさであり、また、「政権の二枚舌」「政権の傲り」「政権の無責任」でもあったろう。

「説明」には、相手の意思や立場を尊重すべき状況が前提とされている。決定権限がある相手に対して、その決定が適切になされるよう、知識や情報を提供することが説明の基本である。馴染みのない複雑なことがらについて理解してもらわねばならないという状況があって、説明が必要となる。より複雑な問題について真に理解しを得ようというには、時間をかけ工夫を凝らして、「丁寧に説明をする」ことが求められる。

行政の国民に対する説明責任、医師の患者に対するインフォームドコンセント、投資勧誘におけるインフォームドチョイス、事業者の消費者に対する説明責任、すべて同じ発想である。決定権限は、国民に、患者に、消費者にある。その決定権限の行使を誤らしめることがないように、十分な情報を提供し、可能な選択肢を示し各選択肢のメリットとデメリットを正確に教示する。これが専門家責任における説明の基本である。

だから、安倍晋三が、「この法案については、国民に丁寧な説明をいたします」といえば、誰しも「おっ、安倍クンも国民が主権者として有する権限を尊重するつもりなんだね」と思う。そして、「説明が尽くされて国民が納得するまで、ゴリ押しはしないんだ」とも思うではないか。「安倍クンといえども、あながち民主主義無視というばかりでもないんだ」と、うっかり誤解もしてしまいそう。

7月15日、あの強行採決で幕を閉じた衆院安保特のその日の委員会審議において、民主党大串委員の質問に安倍はこう答弁している。
「残念ながらまだ国民の理解は進んでいる状況ではないということは申し上げているとおりでございます。これからさらに国民の理解が進むように努力をしていきたい、こう申し上げているわけでございます。」

えっ? 国民の理解は進んでいる状況ではない? では、強行採決などやらないのだな、と一瞬誤解ささせておいて、これからも「説明を続けます」というのだ。強行採決してからの「丁寧な説明」。いったいなんだ、それは。

安倍晋三流の「丁寧な説明」は、「インフォームド」の形だけがあって、「コンセント」が抜け落ちている。形だけ、予定された審議時間の説明さえすれば、国民が理解しようがいまいが、「これからさらに国民の理解が進むように努力をしていきたい」といって、採決の強行をしてしまう。国民に決定権限があるとは思っていないのだ。国民をなめているとしか言いようがない。

本来ものごとの決定権は主権者国民にある。憲法に関わることであればなおさらだ。しかし、安倍には、国民の合意を得ながら政治を進めようという姿勢はさらさらない。国民がどう反対しても、「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん」とまでいうのだ。およそ、民主主義社会の為政者が口にすべき言葉ではない。

安倍晋三医師は、患者である国民に向かってこう言ったわけだ。
「特に緊急事態というわけではありませんが、早いに越したことはありませんので、これまでの常識的治療法とはまったく異なる大手術を行います。これまでの担当医師たちは、これから私が行おうという治療方法は許されないと言ってきましたが、私は断固やる方針です。患者さんは、ちょっとご心配の様子ですから、できるだけ丁寧に説明をしてまいりました。残念ながらまだ患者ご自身やご家族の理解も進んでいる状況ではないということは申し上げているとおりでございます。しかし、ずいぶん説明に時間をかけましたから、もう機は熟しました。「自らを省みてなおくんば一千万人といえども我行かん」が私の信条ですので、誰がなんと言おうと手術はやります。しかし、これからさらに患者の理解が進むように努力をしていきたい、こう申し上げているわけでございます。」

しかも、この安倍医師。うまくいった場合の治療のメリットはよく説明するが、リスクはない、デメリットはない。たいした手術ではない、と繰り返すばかり。
説明を聞いている患者の方は、聞けば聞くほどアブナイ思い。医師の方は、逃げられたら困るとばかりに、麻酔注射を手に迫ってくる。

「感じ悪いよね」を遙かに通り越して「こわ?い」、安倍医院。これだけで医療過誤訴訟では、違法として慰謝料請求が可能であろう。消費者事件なら悪徳商法の手口。そう批判されて当然なのだ。セカンドオピニオンも、医師を選ぶのも患者の権利だ。早く、この藪医者を取り替えないとたいへんだ。患者は殺される。
(2015年7月20日)

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